いくらも眠らぬうちに、夜は明けた。みずうみ博士の勧めで朝食をともにしたのち、リンクは  
感謝を述べて湖研究所を辞した。  
 湖畔に立ち、今後の行動を考える。  
 ゾーラの里へ戻るべきか。  
 試しにと思い、手元にある『銀のうろこ』をくわえて湖に顔を突っこんでみると、水中での  
呼吸は可能だった。どうやら、いったん切れた効力も、時間をおけば回復するらしい。とはいえ、  
地下水路を通ってゾーラの里へ到達するには、効力が足りない。それは昨日の経験でわかっている。  
平原を歩いて行くことになるが……  
 耳の奥に残る、ルトの言葉。  
『二度と、そなたの顔は、見とうない』  
 腰が引けてしまう。  
 すぐ行っても、ルトは会ってくれないだろう。日をあけたほうがいい。となれば……  
 心を決め、その場を去ろうとした時、湖に浮かぶ島の一つ──湖研究所の横から延びる橋が  
行き着く第一の小島──に、黒い影が見えた。  
 見覚えがあった。  
 期待と興奮に胸を震わせ、リンクは橋に向かって駆け出した。  
 
 影の正体は、思ったとおりのものだった。  
 小島の真ん中にある石碑の上で、巨体を休ませる、一羽の梟。  
 前に立ち、じっと顔を見つめる。相手もまた、目をまるまると見開き、一度の瞬きもなく、  
こちらに視線を送ってくる。気味悪さとともに安心感をも呼び起こす、すべてを見通すような、  
その視線。  
 無言の対面が生み出す緊張に抗し、それを押し返す意志をもって、リンクは言った。  
「あなたは……ラウル、だね」  
 ケポラ・ゲボラは答えなかった。身体をぴくりとも動かさず、視線をちらりとも揺るがせず、  
完全な沈黙を保っていた。  
 再び緊張に耐えられなくなった時、ようやくケポラ・ゲボラが口を開いた。  
「じゃとしたら?」  
 いなされたような気がしたが、リンクは意志を保ち、声に力をこめた。  
「あなたを賢者として目覚めさせなきゃならない」  
 今度は間をおかず、ケポラ・ゲボラが応じる。  
「いかにして?」  
 詰まってしまう。  
 賢者の覚醒はぼくとの交わりによってもたらされるが、ラウルの場合もそうなのか。ぼくは  
この梟と交わることになるのか。それはあまりにも異常すぎはしないか。  
 ためらっているところへ、しわがれた声がかぶさる。  
「おぬしは何を知っておる?」  
 
 漠然とした質問が、ますますリンクを戸惑わせた。  
 ケポラ・ゲボラこそ、何を知っているのか。賢者の覚醒方法をぼくに訊ねるということは、  
自分ではそれを知っていないのか。そもそも──他の賢者たちと同じく──自分が賢者であると  
気づいていないのか。いや、ぼくが光の神殿に封印されたのはラウルの計らいであるはずだから、  
賢者の自覚がないというのは変だ。では、すべてを知っていて、ぼくを試そうとでもしているのか。  
 混乱する思考を引き戻す。  
 かつてケポラ・ゲボラは言った。自分は世界を救う使命を負ったぼくを導く者なのだと。ならば──  
 リンクはすべてを語った。これまで他者には伏せてきたことも隠さなかった。  
 時の神殿でマスターソードを抜き、ラウルの企てによって──(ここでリンクはケポラ・ゲボラの  
顔をうかがったが、何の反応も得られなかった)──七年間、光の神殿に封印されたこと。封印が  
解かれた七年後の世界で、シークと協力しつつ、ガノンドロフ打倒に必要な賢者の覚醒を図ったが、  
ケポラ・ゲボラを含めて六人の賢者は全員──(ここでもケポラ・ゲボラの反応はなかった)──  
死んでしまったこと。そののちマスターソードの作用を知り、過去の世界に戻って賢者の死を  
防ごうと、いま活動中であること。  
 リンクが話し終えても、ケポラ・ゲボラは無言のままだったが、やがて、  
「まことに不思議なことじゃて」  
 と、はぐらかすような応答をし、次いで、感慨深げに言葉を続けた。  
「二つの時代を行き来する少年のことを、このわしですら、伝説だとばかり思っとったよ」  
 つまり──とリンクは考える。  
 マスターソードによって時を越える旅ができることを、ケポラ・ゲボラは知らなかったのだ。  
であれば、封印されたはずのぼくが、それからいくらも経っていない現在、ここにこうしているのを、  
おかしいと思うはず。ケポラ・ゲボラがぼくの前に現れたのは、その点を質すためだったのだろうか。  
「で、おぬしは──」  
 声が思考を中断させた。  
「──わしが命を落とすことにならぬよう、わしと契る、というのかな?」  
 返事ができない。それがどうしても必要なら……いや、いくらなんでも……  
 ケポラ・ゲボラの顔を見る。こちらに据えられた視線が、何とはなく諧謔めいた色を帯びている  
ようだ。  
「不要じゃ」  
 ぽつりと吐かれる言葉。ほっとする。が、そうなると新たな疑問が生じてくる。  
「じゃあ、どうしたら──」  
「いずれ、わかる」  
 さえぎるケポラ・ゲボラ。素っ気ない態度に、またも言葉を失ってしまう。  
「おぬしの目指す場所は?」  
 唐突に話題が変えられた。突然のことで考えをまとめる暇もなく、リンクは自動的に答えていた。  
「カカリコ村」  
 石碑の上で身を伸ばし、ケポラ・ゲボラは短く言った。  
「つかまれ」  
 
 ケポラ・ゲボラにぶら下がって空中を旅するのは、これが二度目になる。以前、ゾーラの里へ  
運ばれた時は、ハイラル平原の中央上空を横切る最短経路をとったが、今回のケポラ・ゲボラは  
真東へ向かい始めた。平原の外縁に沿って、その南端から東端へと、反時計回りに飛んで行く  
つもりらしい。万が一にもゲルド族の目に触れぬよう、できるだけ城下町から離れておこう、  
という意図だろうか。  
 前回とは異なる、しかし雄大な点では変わらない下界の光景に心惹かれながらも、リンクの  
頭脳は数々の疑問と戦い続けていた。  
 梟とのセックスという、ツインローバの幻影で文字どおり吐き気を催させられた行為を免れた  
のはいいが、それではラウルを覚醒させるにはどうしたらいいのか。ラウルの場合は、他の賢者とは  
違った覚醒方法があるのか。だとしても、なぜケポラ・ゲボラはそれを教えてくれないのか。  
いずれわかる、とケポラ・ゲボラは言う。いずれ、とは、いったいいつなのか。そして、ぼくとの  
契りなくしてガノンドロフによる死から逃れる策を、ケポラ・ゲボラは持っているのだろうか。  
 解せない。が、ラウルの覚醒に関しては、いまのぼくが──そして将来のシークも──思い  
及ばないような、何か大きな秘密が隠されているに違いない。その秘密を現時点では明らかに  
できない理由が、この思慮深そうな老いた鳥にはあるのだろう。  
 もやもやした気分は晴れないものの、信じるしかない、と自分に言い聞かせ、リンクは疑問との  
戦いにとりあえずの終止符を打った。  
 
 気がつくと、下界の色調が変化し始めていた。緑の草に覆われた平原が尽き、荒れた灰色の  
地面が露出する南の荒野へと、場が移っているのだった。  
 やがて突兀と集族する岩の塊が現れる。シークと何度か落ち合った──いや、七年後の世界で  
落ち合うはずの、あの洞窟がある地帯だな、とリンクは察知した。  
 地上で見るのとは相当異なる、この上空からの眺めだが、地形をたどれば、かなり細かく場所を  
特定できる。そう、洞窟の入口は、あの大きな岩の横だ。その前に伸びる岩棚で、ぼくたちは  
焚き火をすることになる。  
 未来の思い出という、時の勇者にして初めて可能な感慨を抱きながら、足の下を過ぎてゆく  
風景を、リンクは目で追い続けていた。  
 
 この時、仮に──  
 賊の追撃を逃れて洞窟にひそむ一人の少女が、常に周囲を閉ざす暗がりの陰鬱さに耐えかね、  
たまにはよしと外の明るみの中へ歩みを進めていたとしたら……晴れ渡った空の高みを悠々と  
横切ってゆく巨大な鳥と、その足に吊り支えられた、少年とおぼしき小さな影を、少女の双眸は  
捉えていただろう。あるいは少年の側も、少女とわからぬでもないささやかな人の佇みを岩棚の  
上に認め、正体を確かめようと、かりそめの宿主である鳥に、暫時の休息を申し入れていたかも  
しれない。  
 けれども現実には──たとえ一瞬たりともおのれを危険にさらすまい、との自制が破れようも  
ないほど少女の意志は堅固であり、天地に分かれた二人の身は、ひとたび近づいたと見るや、  
互いを目にする機会のないまま、再び遠く離れ去ってゆくのだった。  
 リンクとゼルダ。  
 見えない糸でかろうじて結ばれた、幼い二人の行く道を、運命は、まだ、交わらせなかった。  
 
 ゴロンシティへ赴く前にカカリコ村での用件をすませておく、という計画が、いかに非現実的な  
ものであるかを、村に入った瞬間、リンクは悟った。  
 カカリコ村は混乱の渦の中にあった。平和で落ち着いた本来の雰囲気が失われているのは  
もちろんのこと、荒廃しつつも相応の静けさがあった七年後とも、様相は大きく異なっていた。  
ゲルド族の反乱で修羅場と化した城下町から、着の身着のままで逃げ出した難民たちが、大挙して  
なだれこんできていたのだ。  
 家々は可能な限り彼らを収容し、しかしそれでも身の置き場のない人々が、戸外を埋めつくす  
ほどに密集していた。苦痛を訴える負傷者の喘ぎ、家族を失った悲哀からの慟哭、残虐な襲撃に  
対する怒りの声が、総出で救済にあたる村人たちの励ましや慰め、突然の戦時到来に緊張する  
守備隊兵士らの切迫したやりとりなどを混じて、村を沸騰させんばかりの喧噪となっていた。  
かと思えば、絶望のためか諦めのためか、放心状態を呈して沈黙するばかりの者も、難民の中には、  
また少なくないのだった。  
 地にうずくまり、あるいは右往左往する人々の間をすり抜けるようにして、リンクは足を進めた。  
風変わりな身なりをしているとはいえ、このような混乱の中では、リンクも集団に埋没した小さな  
一個人に過ぎず、誰の注意も惹くことはなかった。戦乱がもたらす悲惨な結末を、七年後の  
世界ですでに見聞きしていたリンクだったが、ハイラル城の城門での体験に加え、いまこうして、  
まさに戦乱のただ中で展開される悲劇を目の当たりにし、心は震え、胸は痛んだ。  
 アンジュの家は難民であふれていた。当のアンジュの姿は見えなかった。風車小屋も同様に  
難民を容れ、『グル・グルさん』の異名を持つ、あの手回しオルガンの男も、その場にはいなかった。  
二人とも村のどこかで難民の救助にあたっているのだろうが、見つけだすのは難しそうだし、  
また見つかったところで、こちらの用事につき合え、などとはとても言えない。『嵐の歌』を  
奏でるだけなら一人でもできるが、この状況で井戸の水を涸れさせてしまったら、それこそ  
袋叩きの目に遭うだろう。第一、あの男の前で『嵐の歌』を演奏するのは、カカリコ村が  
ゲルド族との戦争に直面する、もっとあとの時点であるはずなのだ。  
 いまの村に自分のいる場所はない──と、疎外感にも似た思いを抱きながら、ゴロンシティへと  
向かいかけたリンクは、  
『いや』  
 デスマウンテン登山口の手前で、なすべき、いま一つの事柄を思い出した。  
 墓地。  
 いまだ所在の知れない闇の神殿。謎を解く手がかりは、そこにこそある。  
 踵を返し、人混みをかき分けて、リンクは村の奥へと道をたどっていった。  
 
 かなり広大な面積を擁しながら、場所が場所であるせいか、墓地は難民の避難所とはなって  
おらず、種々の大きさと形を持った墓標の群れだけが、ひっそりと立ち並んでいた。そこは時間が  
止まったような超然とした静寂に支配され、村の喧噪が現実のものとは思われないほどだった。  
ハイラル平原を飛行中は、からりと晴れていた空が、いつの間にか、いまにも雨を落として  
きそうな厚い雲に埋めつくされ、夕暮れという刻限とも相まって、重苦しい暗さをその場に  
わだかまらせていた。  
 墓地に入ってあたりを見まわしたリンクは、目的とする人物を一角に発見した。  
 大柄でごつごつした体型の男が、わずかに盛り上がった地面をシャベルでならしている。死んだ  
難民の一人を埋葬した直後でもあろうか。  
 リンクは男のもとへ歩み寄り、率直に訊ねた。  
「ダンペイさんだね」  
 男の顔がリンクに向いた。驚くほど醜い顔だ。その点はみずうみ博士も同じだが、博士の場合は  
愛嬌が感じられた。ところがこの男の顔から伝わってくるのは、不気味な陰鬱さだけだ。  
 何らの感情もうかがえない表情でリンクを見ていた男は、ややあって、唸るように声を出した。  
「ああ」  
 墓守のダンペイ。ぼくやシークの知る限り、闇の神殿に関する情報を持つ、ただ一人の人物だ。  
七年後には死んでしまっていたが、この世界では、こうして会うことができる。  
「ここに神殿があるって、聞いたんだけれど……」  
 ダンペイの視線がちらりと動き、すぐさま元へと戻った。  
「その場所を教えてもらえないかな」  
「だめだ」  
 にべもない返事だった。リンクは怯まなかった。  
「大事な用があって、どうしても知りたいんだ」  
「言えねえ」  
 押し問答が続いた。ダンペイは拒否の態度を貫いた。やっと聞き出したところでは、神殿の  
場所はカカリコ村の墓守に代々伝わる秘密で、決して他人に明かしてはならないことになって  
いるらしい。話はそこで頓挫してしまった。が……  
 リンクは気づいていた。  
 神殿という単語を出した時、ちらりと動いたダンペイの視線。それは咄嗟のことで隠しようの  
なかった、ダンペイの内心の発露ではなかったか。  
 視線が動いた先を見る。墓地の最も奥まった部分だ。そう、あそこには、あれが……  
「あの崩れた石碑は何なの?」  
 ダンペイは警戒するような顔つきとなったが、間をおいて、ぶっきらぼうに答を返してきた。  
「王家の墓」  
 再び重い口を割らせて得た内容は、こんなものである。  
 ──王家の墓といっても、王族の遺体が埋葬されているわけではない。ハイラル王家に忠誠を  
誓い、特に功績のあった者たちの魂が祀られている。だが、それも遠い昔のことで、いつしか  
そのような者たちも、ハイラル城の墓地に埋葬されるようになった。かつて、王家に仕える  
民であるシーカー族が、眠れる魂を守るために築いた、このカカリコ村も、いまは庶民に  
開放されて俗な場所へと変貌し、古い謂われを知る者も、墓守である自分の他にはいなくなって  
しまった──  
 興味深い伝説ではあるが、闇の神殿と直接の関係があるとは思えない。ただ、一点だけ……  
 予感を得たリンクは、それ以上の収穫が期待できそうにないダンペイとの会話を打ち切り、  
礼を言って、墓地の奥へと一歩を踏み出した。とたんにダンペイの怒鳴り声が降ってきた。  
「王家の墓に近づいちゃならねえ!」  
 ただならぬ形相に驚く。  
「どうして?」  
 リンクの問いに対し、ダンペイは、ためらうように沈黙したあと、  
「……神聖な場所だからな」  
 と、口をもぐもぐさせながら不明瞭な声で答え、ぷいと横を向いて、埋葬の後始末を再開した。  
もう何も話さない、とでも言いたげな雰囲気がありありとしていた。  
 ダンペイの態度は明らかにおかしい。あの石碑──王家の墓には、闇の神殿に関連した、  
何らかの秘密があるのだ。その秘密を解く鍵を、ぼくは持っている。とはいえ、ダンペイが  
見ている前では、王家の墓へは近づけない。ここは無理をせず、出直すとしよう。  
 リンクは黙ってダンペイから離れ、墓地を去った。  
 
 村へ戻ったリンクは、群衆の中をさまよい、ようやく隙間を見つけて腰を下ろした。すでに  
日は落ちていたが、狂騒は治まる気配もなく、それどころか、いっそう激しさを増すようだった。  
新たな難民が次々に到着しているのだろう、とリンクは推測した。  
 時が過ぎるのを待つうちに、空腹感が押し寄せてきた。手持ちの食料があったので、空腹には  
対応できたが、水筒は空に近かった。雑踏に揉まれながら向かった井戸のまわりでは、水を求める  
人々が長蛇の列を作っていた。リンクは列の後ろに並び、順番を待った。  
 水筒を満たすまでには、かなりの時間を要した。再び雑踏を抜けて元の場所に戻ってみると、  
そこはもう人で埋まっていた。しかたなく、別の安息の場を求めて、またもリンクは沸きたつ村を  
さまよい歩かなければならなかった。  
 真夜中近くになって、雨が降り始めた。戸外にいて雨を避けることのできない人々に、雨具を  
提供する作業が始められた。深夜だというのに、村の混乱は、いつ果てるとも知れなかった。  
 そろそろ頃合いか、と思っていたところだったので、リンクは雨具を受け取らず、濡れるに  
任せて墓地へと向かった。  
 
 墓地には何者の気配もなかった。入口の近くに建つ、ダンペイの掘っ立て小屋を観察してみる。  
灯火は見えず、人が動く様子もない。ダンペイは眠っているのだろう、と判断し、リンクは墓地の  
奥を目指した。  
 雨の夜、しかも灯りもないとあって、見通しはきかなかったが、確かこの方向、と記憶を頼りに  
歩みを進め、石碑の前に到達した。『時のオカリナ』を取り出し、雨に濡れぬよう、顔を下に  
向けて、口につける。  
 ダンペイとの会話から得た手がかり。王家の墓。「王家」の墓だ。王家にかかわる者の  
身の証となる、この曲なら……  
 音を抑えて『ゼルダの子守歌』を奏でる。待つほどもなく、足元の地面に重々しい振動が生じ、  
同時に石碑がゆっくり後方へと移動して、すぐに静止した。  
 やはり!──と胸を躍らせながら、しゃがんで、石碑が立っていた場所を検分する。  
 穴。人が二人くらいはゆったりと並んで通れるくらいの広さ。しかし階段はない。垂直の縦穴だ。  
奥には何があるのか。暗くて様子はわからない……  
 そこでリンクの意識は背後に飛んだ。  
 誰かいる!  
 あわててふり向く。揺らめく小さな光。カンテラだ。傘を差した人物が一人、こちらへ  
近づいてくる。  
 ダンペイに見つかったか──と観念しかかったが、よく見ると、どうも感じが違う。おそるおそると  
いった、ためらいがちな歩調だ。向こうもこちらを警戒しているのか。  
 その人物は、リンクから少し離れた所で立ち止まった。何も言わない。  
 乏しい光に照らされた部分から判断すると、細身のようだ。ダンペイではない。では誰が──  
「リンク?」  
 小さな声だったが、それはまるで大喝のようにリンクを打った。  
 この声は──!  
 カンテラが動いた。リンクの全身が光の到達範囲に入る。  
「リンク! やっぱり!」  
 安堵と驚きと懐かしさが入り混じったような声を発し、相手はリンクの目の前まで駆け寄ってきた。  
リンクを包んでいたカンテラの光が、その持ち主をも照らし出した。  
 アンジュだった。  
 
 思わぬ場面での再会が、何よりもまず、未来の甘美な記憶を引き出した。  
 二日にわたって身体を合わせ、セックスのさまざまなありようを教わった、あの目くるめく体験。  
「村で見かけて、ひょっとしたらと思って、あとをついて来たのよ」  
 微笑みながら、アンジュが傘を差しかけてくる。未来と変わらない、その微笑み。ただ七年分の  
若さをとどめて。  
 微笑みはすぐに消え、表情が心配げとなる。  
「リンクも城下町から逃げてきたの?」  
「あ、そう……そうなんだ」  
 他の難民たちとは全く状況が異なるのだが、城下町を抜け出してきたことには変わりない。口は  
肯定の返事をし、一方で思いはさらに漂ってゆく。  
 もちろんいまのアンジュは、あの二日間を経験していない。ぼくについてアンジュが持っている  
記憶は、ぼくが初めてカカリコ村を訪れた時のものだけだ。この世界では一ヶ月ほど前のことになる。  
あの時、ぼくは──  
「大変だったでしょう。怪我はない?」  
「うん、大丈夫」  
 ──アンジュの裸の胸を見て、どうしたらいいのか、と、思い惑ったものだ。あの時と比べたら、  
いまのぼくは、ずいぶん──  
「ここで何をしてるの?」  
 アンジュの声が怪しむような調子に変わる。不意に思いを覚まされ、適切な答が浮かばない。  
ぼくに注がれる疑惑の視線。その視線が、ふと動き──  
「この穴は?」  
 アンジュが穴の縁に歩み寄り、カンテラをかざした。その光で様子がわかるのではないかと考え、  
しゃがんだまま、立ち姿のアンジュの横へと移動し、穴の奥を注視する。  
 底と思われる平面が、かろうじて見える。  
 他に何かないか、と身を乗り出した瞬間、  
「あッ!」  
「きゃッ!」  
 いきなり足元の支えが消え、身体は穴に落ちこんでいった。  
 
 突然の不安定感を認識するいとまもなく、アンジュは背に激しい衝撃を感じた。何が起こったのか  
わからなかった。  
 穴に落ちたのだ、と、ようやく気づいた時、背に鈍い痛みが湧き上がってきた。その背の下に  
動きを感じた。動きは背を押し上げ、移動した。背は硬い平面に下ろされた。  
 床に横たわったわたしの身体。  
「どう、アンジュ?」  
 声。リンクだ。背の下の動きはリンクのものだったのだ。とすると、リンクはわたしの下敷きに  
なって──  
「アンジュ、怪我はない?」  
 わたしがさっきリンクに言ったこと……同じ気遣いを、今度はリンクがわたしに──  
「大丈夫?」  
「……ええ……」  
 背は痛むが、動かせる。他の所に痛みは感じない。いや、それよりも──  
「……リンクは?」  
「ぼくは平気だよ」  
 ほんとうに? わたしの下敷きになったのだから、衝撃はもっと大きかったはず……  
 顔を横に向ける。リンクの姿が目に入る。腕と脚に擦り傷があるが、それだけだ。  
 床は……ああ、床は石造り。リンクに大した怪我がないのは驚きだ。咄嗟にうまい体勢を  
とったのか。だとしたら相当の運動神経。わたしならそうはいかない。リンクの上に落ちた  
わたしは、リンクに助けられたことになる。そればかりか──  
 身体のあちこちを探られる。  
「ここは痛くない? こっちは?」  
 頭。腕。脚。リンクが調べてくれているのだ。わたしは、ただ、頷くだけ……  
 きびきびとしたリンクの動き。引き締まったリンクの顔。  
 そうだ、こうしてまわりが見えるということは……  
 灯の入ったカンテラが床の隅に置かれている。落ちても壊れなかったのだ。幸いなこと。  
でも、それを拾ってそこに置いたのはリンク。よくそんなところまで注意して──  
「ここだと濡れちゃうね」  
 初めて気づく。雨が穴の底に降りかかっていて、わたしの肌や服はかなり湿ってしまっている。  
リンクの方は……ずぶ濡れだ。傘もなく、長いこと外にいたから──  
 そういえばわたしの傘は? ここにはない。落ちた時、手を離してしまったのか。おそらく  
穴のまわりのどこかに転がっているのだろう。  
 
「こっちに寄って」  
 リンクに手を引かれ、起き上がる。穴の側面に窪みがあって、そこにいれば雨に打たれない。  
幅は狭いが、高さはあり、立っても頭はつかえない。通路のようでもある。しかし奥は石の壁で  
閉ざされている……  
「ここにもたれたらいいよ。でこぼこもなくて、背中に負担はかからないから」  
 奥の壁の状態を調べていたリンクが勧めてくれる。腰を下ろし、壁に背をもたせかけて、  
じっとしているうち、断片的だった思考が、少しずつまとまってきた。  
「落ちちゃったわね」  
 問うでもなく言う。カンテラを間にはさんで、前にすわるリンクが、明快な声で教えてくれた。  
「穴の縁が崩れたんだね。ぼくたち二人の重みに耐えられなくて。ほら──」  
 リンクが指さす先を見る。割れた敷石のかけらと、ばらけた土くれが散らばっている。  
「上がれるかしら」  
 リンクは眉に皺を寄せ、それでもてきぱきと答えた。  
「無理だと思う。深すぎて、ぼくはもちろん、アンジュだって背が足りない。ぼくがアンジュの  
肩に乗っても、穴の縁には手が届かないよ。他に踏み台になるようなものもないし、壁には手を  
かける所もないときてる」  
「どうしたらいいの?」  
 頼るような口調になってしまう。  
「助けを呼ぶしかない。来てくれるとしたら、ダンペイさんだろうけれど」  
 そこで窪みを出、穴の口を見上げながら、二人して声を限りに叫んでみた。助けは一向に来ない。  
ここからダンペイの小屋までは結構な距離があるし、眠っていたら、いくら叫んでも耳には  
届くまい。しかも折悪しく強まった雨の音が、声をかき消してしまう。  
「だめだ」  
 肩をすくめるリンク。  
「ダンペイさんは来ないね。夜だし、おまけに雨だし、たまたま他の人が近くに来る、なんて  
ことも……ないだろうから……」  
 リンクの声が、徐々に小さく、呟くようになり、そして、  
「朝まで待とう」  
 と締めくくられた。目がちらりとこちらを向く。何かを意識しているかのように。  
「そうね」  
 朝になればダンペイが放置された傘を見つけるだろう。穴があることにも、すぐ気づくに違いない。  
 ──と思考を保ちながら、アンジュもそれを意識する。  
 ここで、朝まで、リンクと、二人で。  
 
 待つ、と決まってしまうと、それまでは不安そうだったアンジュが、意外に明るい雰囲気となった。  
「この二日ほど、逃げてきた人たちの世話で大変だったから、休息になってちょうどいいわ」  
 などと言って笑っている。落ちた時に背中を打ったはずだが、痛みは軽いらしい。身体を  
動かすのにも支障はないようだ。  
 その様子にほっとして、窪みに戻る。さっきと同じように、アンジュを奥にすわらせ、  
向かい合って、あぐらをかく。背中が窪みからはみ出し、雨を受けてしまうが、それくらいは  
我慢する。アンジュを雨に打たせるわけにはいかない。奥にいれば濡れずにすむ。穴の底に  
溜まった雨水は、微妙な高低差があるせいか、幸い、窪みの方には流れこんでこない。  
 訊ねると、昼から何も食べていないとのこと。パンの残りと水筒を取り出して、勧める。  
遠慮しているが、こっちは夕食をすませたから、と押し切る。アンジュは礼を言い、受け取った。  
 食事とも言えない食事を終えたのち、アンジュが改めて、ここで何をしていたのか、と訊いてきた。  
少し考え、今回の反乱を話の枕とし、未来の世界で語った内容よりは、やや詳しい説明をする。  
世界支配というガノンドロフの野望を打ち砕くため、そこに必要な賢者の覚醒を目指して、  
カカリコ村の神殿を探しているのだ──と。  
「この村に神殿が?」  
 と不思議そうなアンジュ。その情報をぼくに伝えたのはシークで、そのシークに伝えたのは  
(未来の、ではあるが)アンジュ自身なのに──と考えて、おかしくなる。  
 半信半疑といった顔で聞いていたアンジュは、それでもしまいには、感心したように言ってくれた。  
「偉いのね、リンクは」  
 そこで会話が途切れた。思考は自然に、最後の話題から続く件へと移ってゆく。  
 アンジュが一緒だから、さっきは助けを呼びもしたが、ここを調べてみたいという気持ちは  
変わっていない。朝になればダンペイに助けてもらえるといっても、近づくなと言われたにも  
かかわらず、こんな所にいるのだから、さぞかし怒られることだろう。警戒が強まって、二度と  
ここへは近づけないかもしれない。とすれば、朝までの時間が探索の唯一の機会だ。  
 とはいえ、どこを探索する? まわりは石の壁ばかりで、何の情報も得られそうにない。  
 いや、おかしなことがある。ここは墓のはずなのに、まるで墓らしくない。何もない狭い空間だ。  
ほんとうの墓がどこかにあって、そこへ繋がる道があるのではないか。  
 そうなると、怪しいのはこの窪みだ。通路が途中で途切れたようになっている。その奥の壁の  
向こうに、何かがあるのでは? さっき壁を調べた時は、おかしな点には気づかなかった。もっと  
詳しく調べてみるか。でもいまはそっちでアンジュが休んでいるから──  
 
 そこで思考が旋回する。  
 アンジュ。  
 ここで朝までアンジュと二人で待つ──となった時、すでに意識していた。  
 未来のアンジュを幸せにする。シークに頼まれたこと。そのためにぼくとアンジュがしなければ  
ならないこと。それについても、いまが唯一の機会なのではないか。地上に戻ったら、アンジュは  
再び難民の世話に追われるのだから。  
 しかし──と、ためらいが胸に湧く。  
 ここでぼくがアンジュを求めたとして、アンジュはぼくを受け入れるだろうか。  
 二人がそれを望むなら、そうするのが自然なこと──と、未来のアンジュは教えてくれた。  
その未来のアンジュは、言葉のとおり、望んだ上で、ぼくを受け入れてくれた。ただし大人の  
ぼくを、だ。  
 子供のぼくに関しては……サリアやマロンやルトとは、やはり互いがそれを望んだ結果、  
ああいうふうになったわけだが、彼女らとは歳も大して違わなかった。  
 ところがいまの場合、アンジュはちゃんとした大人で、子供に過ぎないぼくとの行為を望むとは、  
どうにも考えづらい。ぼくがアンジュを口説いて、その気にさせればいいのかもしれないが、  
どう口説いたらいいのかなんて、ぼくにはわからない。  
 だが……ちょっと待て。アンジュは実際、ぼくのことをどう思っているのだろう。あの時の──  
子供のぼくに裸の胸を見せてくれた時のアンジュは、どういう気持ちだったのか。あれはどういう  
意図だったのか。ひょっとすると……アンジュは……  
 身体がぶるりと震える。一瞬、なまめかしいことを考えていたせいか、と思ったが、そうではない。  
寒いのだ。雨に濡れっぱなしで、それに夜中で気温も下がってきていて……  
 ぞくぞくと震えが止まらなくなる。  
「どうしたの?」  
 アンジュに気づかれる。  
「寒いの?」  
「……うん……ちょっと……」  
「ちょっと──って……そんなに震えて──まあ!」  
 驚いたように上体を寄せてくるアンジュ。  
「背中に雨がかかってるじゃない。こっちへ寄りなさい」  
 引っぱられる。けれども場所のゆとりはない。どうしても背中がはみ出てしまう。  
「場所を替わるわ」  
「いや、気にしないで」  
「気にするわよ。ずぶ濡れで、背中以外のところも乾いてないのに。ほら、替わって」  
「だめだよ。アンジュが濡れちゃうから」  
 アンジュの口が何かを言いかけて、しかし言葉は出さない。目が何らかの感情を湛えている。  
強情な、とあきれているのだろうか。  
 やがて、ひそりと──  
「……いいわ」  
 え? 何が?  
「一緒に、いましょう」  
 一緒にって……もう一緒なのに。  
「温めてあげる」  
 ぼくを? どうやって?  
「脱いで」  
 
 リンクが息を呑んで硬直する。その硬直からリンクが解放されないうちにと、その硬直に自分が  
動じてしまわないようにと、続けて言葉をたたみかける。  
「そんなに濡れた服を着てたら、身体が冷えるばかりよ。早く脱いで。抱いて温めてあげるから。  
こっちで一緒にいれば、二人とも雨にあたらないですむし」  
 茫然と表情を固めて、それでもゆっくりと、リンクは立ち上がり、手を動かし始める。  
ひとつひとつ、服が落ちてゆく。そのさまを確かめてから、わたしも着ているものに手をかける。  
「アンジュも?」  
 リンクがぎょっとした様子で手を止める。  
「そうよ。わたしの服も濡れてるんだし、じかに肌を合わせないと温められないわ」  
 言ってやる。きっぱりと。余計な言葉を封じるために。  
 見られていても気になどならない、と説き聞かせるかのような態度で、わたしは淡々と裸になる。  
それくらいは残しておいてもいいはずの下履きまでも脱ぎ去って。リンクもそうしろと言わん  
ばかりに。  
 わたしは動く。事務的に。服を床に敷き、上に尻を置く。やや背を後ろに傾けて壁に当て、  
脚を伸ばす。  
「さあ」  
 口をあけてこちらを見ていたリンクが、はっとして、短い間ののち、おずおずと最後の着衣を  
解きおろす。立ちすくむ全裸のリンクに、  
「いらっしゃい」  
 と両腕を差し出す。リンクの足が前に出る。一歩、また一歩と近づいてくる。伸びた両脚を  
跨いで、リンクがわたしの前に立つ。手をつかむ。引っぱる。リンクの身体が倒れこむ。二人の  
肌が接触する。  
 膝を立て、胴と脚の間にできた谷間に、横向きのリンクを落としこむ。尻がわたしの下腹に  
据えられる。左手をまわして肩を抱き寄せ、顔をこちらの左肩に触れさせる。右にはみ出した  
両脚の上に右腕を置き、手は左の太股に添わせる。  
 小さなリンクがわたしに包まれる。  
 母親が子供を抱く時は、こんな感じなのだろうか。いや、二人の歳の差からすると、姉と弟に  
近いだろうか。実際には血の繋がりなどないリンクだけど……  
 そこで意識が働き出す。心を抑えて一直線に行動してきた、その心が、ざわざわと波立ち始める。  
つん、と身体の奥に感じる刺激。  
 よその子供を裸にして抱いている、やはり裸のわたし。  
 こんなところを誰かに見られたら……  
 いや、見られることはない。リンクが言ったように、この深夜、この雨の中、墓地に来る人など  
ありはしない。  
 雨でなければ、来る人もいる。といっても、それはわたし自身だ。家族があって互いの家では  
愛し合えないわたしと彼が、しばしば逢瀬を重ねている、夜の墓地。他の人に邪魔されたことは  
なかった。だからいまだって安全なのだ。が……  
 彼!  
 婚約している彼というものがありながら、わたしはこうして裸になって、裸のリンクを……  
 違う!──と思いを振り払う。  
 わたしがしているのは、そうじゃない。  
 わたしは、ただ、寒さで震えているリンクを温めてあげているだけなんだわ。  
 
 アンジュは、ただ、寒さで震えているぼくを温めてくれているだけなんだ。  
 ──と自分に言い聞かせ、ぼくは無理やり思考を飛ばす。  
 七年後の世界ほど気温が低いわけでもないのに、やけに寒さを感じてしまう。雨に濡れたせいで  
あるのは確かだが、それのみなのか。きのう長時間、地下水路を泳いだのが影響しているのか。  
あるいは、うち続く冒険の疲れが溜まっているのか。身体だけでなく、気持ちも張りつめすぎて  
いるようだ。その気持ちの張りが緩んだために、身体の疲れが表に出てきたのかもしれない。  
 アンジュの額が、そっとぼくの額に当てられる。  
「熱はないわね」  
 そう、病気というほどではない。気持ちが緩んだだけなのだ。ただ、その理由は……  
 思考が戻ってきてしまう。  
 理由はアンジュ。  
 アンジュに会って──未来の世界で、セックスについて思い惑うぼくに深い安らぎを与えて  
くれたアンジュに、ここで再び会って──ぼくが無意識に同様の安らぎを求めたからなのだ。  
その証拠に、こうしてアンジュに抱かれて、この上ない安らぎを、やはり、ぼくは感じている。  
 温かい。温かい。震えが少しずつ治まってゆく。  
 しかし……  
 アンジュの肩に頭をもたせかけているぼくの、その目の前にあるもの。アンジュの乳房。ぼくは  
見る。見ないではいられない。もう見慣れたはずのそれが、異様な力で思考を引きつけ、ぼくを  
再びあの疑問に立ち返らせる。  
 あの時、アンジュはどうしてぼくに裸の胸を見せたのか。  
 そしていま、アンジュはどうして裸になって裸のぼくを抱いているのか。  
 アンジュは寒さで震えるぼくを温めているだけ──の、はずなのだが、ほんとうにそれだけ  
なんだろうか。  
 
 リンクが見ている。わたしの胸を見ている。リンクも思い出しているんだわ。  
 そう、リンクも。  
 そして、わたしも。  
 ああ、ついに意識してしまった。あの時のことを。リンクに裸の胸を見せてやった、あの秘密の  
時間のことを。  
 わたしは寒さで震えるリンクを温めているだけ──の、はずなのだけど、ほんとうはそれだけ  
じゃない。  
 それを理由にして、迷わないようにと、ためらわないようにと、心を抑えて行動してきた。  
わたしの心の奥にあったのは、あの時と同じ願望。その願望を果たす機会を得て、わたしは  
突っ走ってきてしまった。胸だけでなく身体のすべてをさらすという、あの時以上の格好にまで  
なって。  
 でもここまでよ。ここまでにしておかなければだめ。わたしがこんなことを考えているなんて、  
リンクに知られてはいけない。何も言っちゃいけない。なぜなら、リンクは──  
 なのにわたしは言ってしまう。  
「……また、見せちゃったわね……胸……」  
 
 ささやくようなアンジュの声が、ぼくをびくりと震わせる。それは決して寒さのためではなく、  
むしろじわじわと燃え広がる炎となって、ぼくを悩ましく熱し始める。  
 アンジュも思い出している。あの時のことを。ぼくに裸の胸を見せてくれた、あの秘密の時間の  
ことを。  
 その意図。その目的。何だったのか。あの時アンジュは何を考えていたのか。  
 七年後の再現の場面では、ぼくの求めにアンジュが応じた形だった。だけど最初の時は、  
そうじゃなかった。どうして大人の女の胸はふくらんでいるのか、とぼくが訊き、アンジュは  
教えてくれた。そのあと、アンジュの方からこう言ってきたんだ。  
『見たい?』  
『見せてあげるわ』  
『触ってもいいのよ』  
 あの時ぼくは動転していて、アンジュの気持ちを推し量る余裕もなかったけれど、あれは──  
ひょっとすると──誘いではなかったか。だとしたら、胸どころか身体のすべてをさらし、  
あまつさえ素肌を合わせることをもためらっていない、いまのアンジュも、やはりぼくを誘って  
いるんだろうか。アンジュはぼくを求めているんだろうか。もしそうなら、ぼくは──  
 そこへ降りかかるアンジュの言葉。  
「触ってみる?」  
 
 言ってしまった。また言ってしまった。自分の願望を口に出してしまった。もう身体を温めて  
やっているだけなんて言い訳はきかない。  
 そうよ。そのとおりよ。わたしは隠さない。もう隠さない。何も知らない小さな子供を  
誘惑したいという妖しい願望を隠しはしない。これには理由があるんだから。結婚というものの  
知識すらなかった、あまりにも無知なリンクを導いてやるという、立派な理由があるんだから。  
『わたしが教えてあげないと』  
 ひと月前のわたしは思いとどまった。あの時のリンクは、困惑と、助けを欲しがるような  
頼りなさを目に溜めて、けれどもその目は──  
『ほんとに……いいのかな……こんなこと……』  
 ──正しいものを求めようとするまっすぐな感情を、侵してはならない純粋さを訴えていて、  
そんなリンクを一方的に誘惑するのは、正しくないことだったから。  
 でも、いまはそれが正しいことなの。だって、いまのリンクの目は、わたしを見ているリンクの  
目は──  
 
 ぼくはアンジュの顔を見る。  
 感情のうかがえない顔。そこだけに意志を宿す目。何かが燃えている目。一ヶ月前のアンジュと  
同じように。七年後のアンジュと同じように。  
 やっぱりそうなのか。「触ってみる?」といういまのアンジュの言葉は、やっぱりそういう  
意味なのか。  
 目を下ろす。  
 とりわけ豊かというわけではないが、ふっくらとまるくて、やわらかそうで、だけど内には  
張りつめた肉感を秘めて、絶妙な曲面を形づくる、美しい一双の乳房。先端では、控えめな広さを  
薄赤く染める乳暈と、繊細な硬さをもって立ち上がる乳頭が、一組の花となって咲いている。  
 ぼくが未来で味わいつくしたアンジュの女のしるしが、いまは七年の時を遡り、一段と  
むせかえるような魅力を放ってそこにある。  
 そう、これは女のしるし。成熟した大人の女のしるし。  
 大人のアンジュ。子供のぼく。  
 いいのか? ほんとうにいいのか?   
 もう一度、アンジュの顔を見る。  
 頷くアンジュ。  
 どくどくと心臓を暴れさせながらも、迷いを振り払い、ぼくは左手を伸ばす。  
 アンジュがぼくを求めているなら、ぼくがアンジュを求めることに、何の問題もありはしない。  
それは正しいことなんだ!  
 
 触らせた! リンクに胸を触らせた! とうとうここまでしてしまった!  
 わずかに澱むやましさは、しかし、リンクが触れている部分から全身に走り抜ける、痺れの  
ような感覚に押し流され、あの確信だけがしっかりと残る。  
 わたしは正しいことをしているんだわ!  
 リンクの目。あの時のように困惑しながら、けれど頼りなさなど全くない、力強い目。わたしを  
求める目。それは男の目。  
 目だけじゃない。世界を救おうと奔走しているリンク。穴に落ちるという予期しない事態にも  
冷静に対処し、茫然とするばかりのわたしを気遣ってくれたリンク。わたしを雨から庇ってくれた  
リンク。それは男の行動。  
 このひと月で、リンクは変わった。何があったのかはわからないけど、リンクは大きく成長した。  
子供であっても、リンクは男。わたしにここまでのことをさせたのは、それ。リンクが男だという、  
その事実。だから誘ったってかまわない。教えてやってもかまいはしない!  
 だけど、ああ、このリンクの手の動き。ただ触れるだけじゃなく、やみくもにつかむのでもなく、  
乳房の形を、肌触りを、弾力を確かめるように、微妙に、複雑に、的確になされる手の動き。  
撫でられ、揉まれ、さすられる二つの乳房。こんなふうにされたら……こんなふうにされたら……  
わたしは……わたしは──!  
 
 やにわにアンジュの顔が寄る。きつく唇が合わされる。  
 突然の行為にどきんと胸を突かれながらも、ぼくは応じる。唇を尖らせ、揺らせ、蠢かせ、  
そして軽く開くと、アンジュの唇も開き、二人の舌が触れ合い、ねぶり合い、絡み合い、一転して  
強く吸われ、ぼくも吸い、息を閉ざした口の接触が延々と続き……  
 胸への愛撫をも続けながら、ぼくは考える。  
 やっぱりアンジュはぼくを求めている。が……  
 どこまで求めているのだろう。アンジュはどこまでぼくに許す気なのだろう。最後まで?  
大人のアンジュが? 子供のぼくに? ほんとうにそこまでアンジュはぼくに──  
 
 してしまった! キスまで許してしまった! わたしには彼がいるというのに!  
 いや、リンクは違う。彼との関係とは次元が違う。わたしはリンクに教えているだけ。どういう  
ふうに女と接したらいいか、リンクに教えているだけなの!  
 でも、でも、わたしはどこまで教えるつもり? ここまで? キスまで? どうしよう、  
どうしよう、まだいいかしら、まだいいわね、もうちょっと、もうちょっとだけ──  
 呼吸の途絶に耐えられず、やっと離れたリンクの顔を、続けて胸へと押しつける。口同士の  
行いを経たあとで、リンクは戸惑いもなく、わたしの乳房に口を使い始める。  
 その感覚! それは明白な性的快感!  
 漏れそうになる声を必死で抑え、リンクの太股に添わせていた右手を、わたしは移動させる。  
同じ感覚をリンクに与えてやるために!  
 
「あ!」  
 突き抜けるような感触をそこに得て、ぼくは思わず声をあげてしまう。これまで頭がさまざまな  
思いに乱れている間にも、ずっと猛っていたぼくの股間。そこをいま、アンジュがまさぐっている。  
ぎゅっと、あるいはやわやわと、強く、弱く、そっと撫でさすり、と思うと急に激しくこすりあげ、  
手が、指が、あらゆる種類の動きを駆使してぼくの中心部を翻弄する。  
「気持ちいい?」  
 アンジュの声に、  
「うん……」  
 かすかな頷きしか返せない。アンジュの乳房を弄んでいたぼくの手も、アンジュの乳首を  
含んでいたぼくの口も、もう活動を続けられない。それほどぼくの部分は、敏感なその部分は、  
ひたすらアンジュの手による快感を甘受して、快感にどっぷりと浸りきって、そしてさらに大きな  
快感を得ようと、追い求めようと──  
 
 リンクの腰が揺れ始める。自分から快感を追い求めようとするその動きが、ますますわたしを  
燃え上がらせ、右手の捌きを駆り立てる。  
 握る、というより、つまむ、くらいの大きさでしかない、リンクのペニス。まわりに一本の毛も  
生えていない、幼いペニス。でもそれは、かちんかちんに固まって、男の欲望を堂々と主張していて。  
 初めからそうだった、リンクが服を脱いだ時から、それは勃ちっぱなしで、そう、リンクは  
男だった、その部分も男だった、わたしを突っ走らせたリンクの男は、そこにもくっきりと  
現れていた!  
 まだ子供の状態だけど、包皮を押し下げてやると、さほどの抵抗もなく、赤みの増した滑らかな  
先端部が露出して、小さな口からは透明な粘液が次から次へと湧き出してきていて、やっぱり  
男としてのありさまを、そこは明確に呈していて!  
 わかるわ。リンクが男だということが、はっきりわかる。だったら次は、わたしが女だという  
ことを、もっとはっきりわからせてやらなくちゃ。  
「リンク……」  
 肩を抱いていた左手を、リンクの左腕にかける。  
「わたしの、そこにも……触って……」  
 
 左腕が後ろに送られる。アンジュの下腹に乗ったぼくの尻、その下をくぐって、わずかに開いた  
アンジュの脚の間に、ぼくの左手は導かれる。  
 手は少しずつ、少しずつ、近づいて、近づいて、そしてついに到達する。  
 女の部分。熱い粘液にあふれかえったアンジュの女の部分!  
 間違いない。アンジュは求めている。アンジュはぼくを求めている。ぼくが子供であっても、  
アンジュのそこはぼくの男を求めている!  
 それといまこそ確信し、ぼくは再び活動を開始する。密な恥毛に覆われる、なだらかな  
盛り上がり。その真ん中の、べとべとに潤みきった深い谷間に、ぼくは指を埋めて、  
「ん……!」  
 忍び出るアンジュの呻きを、もっと強めてやろうと、もっと高めてやろうと、綴じ目の上で  
固まっている小さな芽に、ぼくの指は触れて、  
「ん……んあぁ……あ……んん……」  
 未来で習った指使いを思い出して、どうすればアンジュが最も感じるか、最も悦ぶか、  
その方法を思い出して、  
「くぅ……ぅ……ん……んぁ……ぁ……」  
 ぼくは攻める。攻めてやる。目を閉じ、口をあけ、息を荒げ、紅潮し汗ばんだ顔をふるふると  
震わせ、ぼくをいじっていた右手の動きすら止めてしまって、あらん限りの感覚をぼくの指に  
集中させているアンジュを、ぼくはどこまでも攻め抜いてやる!  
 
 どういうこと? これはどういうこと?  
 信じられない。何も知らない子供とはとても思えない。女のその部分をすでに知っているかの  
ような、いいえそれどころか、それどころか、どうすればわたしが最も感じるか、最も悦ぶかを、  
完全に知りつくしたかのようなリンクの指!  
 けれどこのままじゃだめ。わたしが快感に呑みこまれてしまってはだめ。  
 忘れていた右手の動きを再開する。  
「うぁ!……あ……」  
 勃起をこすられてリンクが喘ぐ。喘ぐその口を唇で塞ぎ、思い切り吸いたてる。リンクも激しく  
口を吸ってくる。今度は右手を胸に伸ばしてくる。わたしの股間にある左手の動作も一段と活発に  
なって。  
 わたしの口とリンクの口。わたしの胸とリンクの右手。わたしの右手とリンクの性器。わたしの  
性器とリンクの左手。  
 四つの場所で触れ合い、攻め合い、煽り合うわたしたち。もう母子でも姉弟でもあり得ない  
わたしたちの振る舞い。もはや互いを求め合う男と女でしかないわたしたち二人!  
 その思いがますます快感を増幅させる。  
 だめ! だめよ! わたしは自分を保っていないと、わたしが教えてあげないと──  
 教える? これ以上、何を教えるつもり? 最後まで? 男と女が互いを求め合う最後の  
方法さえ、わたしは教えてしまうというの? これまで彼以外の男に身を任せたことのない  
わたしが? リンクに? この小さな子供のリンクに?  
 何という倒錯! 何という背徳!  
 でも……ああ、でも……わたしはそれを望んでいたのでは? 初めから──そう、ひと月前、  
リンクに出会った時から──わたしはひそかに心の底でそれを望んでいたのでは?  
 そうだわ、そうなんだわ、認めよう、正直になろう、いまこそわたしはぶちまけよう!  
『リンクと、したい!』  
 
 不意にアンジュの両脚が広がる。床に落ちるぼくの尻。四つの場所の触れ合いが絶たれ、  
どうしたのかと思う間もなく、  
「……リンク……」  
 アンジュが低く据わった声を出して──  
「……これから……」  
 ぼくの肩をつかんで真正面に向き直らせて──  
「……わたしたち……」  
 壁につけた頭と肩をずり下げて──  
「……いままでより……」  
 腰をこちらにすべらせてきて──  
「……もっと、ずっと……」  
 膝を高く立てて、股を大きく開いて──  
「……気持ちのいいことを……」  
 濡れそぼったそこを全開にして──  
「……するのよ……」  
 ぼくを上に引き寄せて──  
「……だから……」  
 ぼくを両脚ではさみこんで──  
「……リンクの、これを……」  
 ぼくの高ぶりきった男の部分に手を添えて──  
「……わたしの、ここに……」  
 煮えたぎった女の部分に触れさせて──  
「……ちょうだい」  
 言葉が切れるやいなや、  
「アンジュ!」  
 もう寸時も待てないところまできていたぼくは一気に自分をアンジュの中に没入させる!  
 
「あぁッ!」  
 ついに、ついに、やってしまった! ついにリンクを迎え入れてしまった!  
 その衝撃! その感激! そしてためらう素振りも示さず突っこんできたリンクの、男としての  
ありようへの驚き!  
 いまはじっと動かず、顔をゆがませて、わたしにしがみついている、このかわいいリンクが、  
見えない所では、幼い楔をしっかりとわたしに打ちこんでいて、短いはずのその楔に、わたしは  
串刺しにされてしまっていて、何の抵抗もなくするりともぐりこんでこられるほど小さなリンクを、  
まるでその何倍もの大きさをもった巨茎のように、わたしは感じてしまっていて!  
 錯覚? 錯覚に違いない。でも、たとえそれが実際でなくても、わたしの感じているそのままが、  
わたしにとってはまぎれもない真実!  
 そしてリンクが動き出す。何も教えていないのに、リンクが前後に動き出す。快感を求める  
本能的な動き? そうよ、それ以外にはない。だけどそうとは思えないリンクのこの動き。  
わたしに悦びをもたらそうという目的があってとしか思えないリンクのこの精緻な動き。欲望に  
任せただけの乱暴な単調な動きじゃなくて、ゆっくりと、じわじわと、まるで思いをわたしに  
染みこませるような、しっとりとした進退、それが少しずつ、少しずつ速くなって、速くなって、  
荒々しいまでにわたしの中をこすりたてて、リンクのそれには広すぎるはずのわたしの膣も、  
それを求めて可能な限り収縮して、リンクとの接触を、リンクとの摩擦を、最大限に感じようとして、  
わたしは──  
「……ああ……リンク……」  
 両脚で尻を抱えこんで、  
「……感じる……感じるわ……」  
 腰を動きに合わせて突き出して、  
「……リンク……もっと……」  
 両腕を背に巻きつけて、これより上にはないくらい密に、密にリンクとくっついて──!  
 
 ──密にアンジュとくっついて、いまにも弾けそうになる自分の敏感さにぼくは耐えて、耐えて、  
耐えて、こうすればアンジュは感じるはず、こうすればアンジュは悦ぶはず、と、未来の  
アンジュで会得した動きを、緩急つけて繰り返し、繰り返し、ぼくはただただ繰り返し、  
「はぁッ!……はぁッ!……リンク!……あぁんッ!……」  
 高まるアンジュの喘ぎに励まされながら、  
「あぁッ!……うぁッ!……もっとッ!……リンクッ!……」  
 速まるアンジュの動きに追い立てられながら、しかしまだ、まだ、まだ、と欲望を制御し、  
その部分だけではなく、と欲望を分かち、眼前のアンジュの乳房に手を、  
「あうッ!」  
 口を、  
「あんッ!」  
 じっくりと這わせ、けれど余裕はなくなってきて、自分の限界が見え始めてきて、それでも、  
もう少し、もう少し、もう少しだけ我慢して、いまのアンジュに幸せを、未来のアンジュに幸せを、  
すべてのアンジュに幸せを──!  
 
 ──幸せを、幸せを、もうちょっとで得ることができる、もう見えている、もう来かかっている、  
もういきかかっている、いってしまう、いかされる、わたしはリンクにいかされる、子供の  
リンクにいかされる、こんな小さな子供を相手に、わたしはいまにもいってしまいそう、  
そんなことが、そんなことが、ああでもリンクになら、リンクになら、いかされてしまってもいい、  
いい、いいけれど、これだと、これだとあまりにも一方的、わたしにできることを、大人の  
わたしにできることを、リンクに経験させてあげないと、リンクに教えてあげないと!  
 頭をぐいと前に傾ける。はっとリンクが顔を上げる。その唇に唇をぶつけ、腕と脚とでリンクの  
全身を絡めとって、動きを封じて、同時に全神経を膣に注いで、あの技を、男の一物をなぶり抜く  
あの技を繰り出して、締めて、放して、締めて、放して、絶え間ない蠕動でリンクを攻めて、  
攻めつくして──!  
 唇で塞いだ口の奥から、呻きとも唸りともつかない声が伝わってくる。リンクの身体が震え出す。  
 どう? リンク? 感じてる? わたしを感じてる? いいのよ、いって、いかせてあげる、  
わたしがいかせてあげる、わたしも感じてる、わたしもリンクを感じてる、わたしもいくわ、  
もういくわ、だからリンク、我慢しないで、いきなさい、いっちゃいなさい、いくのよ、さあ  
いくのよ、いますぐいくのよリンク!  
 
 最強の力で締め上げてやった瞬間、自らの中でリンクが激しく痙攣するのを、アンジュは  
感じ取った。その感覚がアンジュの限界をも突き破った。感電したかのように背がのけぞり、  
後頭部が壁にしたたか打ちつけられた。頭はゆっくりと壁の表面をすべり落ち、尻はずるずると  
前に送られ、リンクを上に抱きとめたまま、アンジュの身体は、やがて、ひっそりと、床の上に  
横たわった。  
 
 散り残る快美感を安らかに味わいながら、その所以であるリンクとの交わりを、アンジュは  
穏やかに顧みていた。  
 巧み──というほどではないのだけど……そう、リンクの思いが──どこまでもまっすぐな  
リンクの思いが──素直に伝わってくるような……そんな、激しい、優しい、セックスだった。  
 それにしても……  
 どうにかリンクを先着させることができたが、ぎりぎりだった。もう少しでわたしの方が先に  
絶頂してしまうところだった。これが初めてとは考えられないほど。いや、おそらく、リンクは──  
 そこでアンジュの思考はさえぎられた。仰向けのアンジュの上で息を切らせていたリンクが、  
身体を動かした。アンジュと同じくいままでの睦み合いを回想してのことか、ほろ酔いのような  
和やかな微笑が、リンクの顔には浮かんでいた。が、その顔はすぐと真剣な色合いに転じた。  
「大丈夫?」  
 え? 大丈夫よ、リンクと繋がることができて、わたし、とても──  
「頭、痛くない?」  
 頭? 頭がどうしたの?  
「さっき壁にぶつかったけれど……」  
 壁に? わたしの頭が? 全然気づかなかった。そういえば、後ろの方がちょっとじんじんする  
ような──  
「どうなの? 強く当たったみたいだから、気になって……」  
「……いいえ」  
 首を振る。  
「痛くはないわ、大丈夫よ」  
 嘘ではない。痛みなど全く感じなかった。全身が快美感だけに支配されていたせいだろうか。  
「なら、よかった」  
 ほっと息をつき、リンクは身を起こした。陰茎が膣から抜かれるのが名残惜しかったが、  
硬い床の上にずっと横たわっているのも楽ではなかった。リンクが離れたあとで、アンジュも  
上体を立て、ゆったりと手足を伸ばした。  
「あれ?」  
 リンクが上ずった声を出した。その顔を見、次いで、視線をたどる。  
 壁の一部が陥没していた。  
 
 アンジュとの交歓の悦びも忘れ、リンクは壁に身を寄せて、陥没した部分を観察した。  
 ちょうどアンジュが頭をぶつけたあたり。だが、そのせいで崩れたのではない。そんな柔な  
壁ではないし、陥没面はきれいな正方形で、明らかに人の手で作られたものとわかる。壁に  
切れ目が入れられているのだ。さっき調べた時は、切れ目など見えなかった。それくらい精密な  
工作。どんな仕組みで陥没したのかもわからないが、おそらく物理的な作用で──いまの場合は  
アンジュが頭をぶつけたことで──その部分だけが陥没するよう設計されているのだ。  
「何かしら、これ……」  
 顔を寄せてくるアンジュをよそに、リンクは自らの思考を再検討した。  
 工作? 設計? そんな念入りな仕込みを、なぜ?  
 やはり、この壁には秘密がある。この奥には、きっと何かがある。  
 カンテラの灯で照らしてみると──暗さのせいでこれもさっきは見逃していたのだが──  
陥没した壁面に小さな印が刻まれているのがわかった。あるかなきかの大きさの、その印は、  
明らかにトライフォースを象っていた。壁面をくまなく探した結果、さらに二つ、同じ印が  
見つかった。  
「何してるの、リンク?」  
 いぶかしげに問うアンジュに、  
「たぶん……そうだと思うんだけれど……」  
 と、答にならない答を返しておき、リンクは次の行動に移った。  
 二つの印のうち、一つは床に近い低い場所にあった。リンクはそこへ踵を思い切り打ちつけてみた。  
果たして、その部は先の陥没部と同じく、正確な正方形となって凹みを形づくった。もう一つの  
印は天井近くの高所にあり、リンクの手は届かなかったので、そこを叩いてみて、とアンジュに  
頼んだ。不思議そうな顔をしながらも、アンジュはそのとおりにしてくれた。そこはやはり  
正方形の陥没をなし、アンジュは叩いた手の下で壁が引っこむのに驚いた様子だった。が、  
その驚きは、次いで湧き起こった重々しい音響への驚きに、すぐ取って代わられた。リンクもまた、  
壁から響いてくる音に意識を奪われ、しかし予感が的中したことへの満足感、そして未知なる  
ものへの期待感をも持って、いまやじりじりと下方に沈んでゆく石の壁を、瞬きもせず眺めていた。  
 三つの陥没点が、この壁を破る鍵だった。偶然ではあるが、アンジュが壁に頭を打ちつけた  
ことによって──さらに言えば、ぼくとアンジュがここで結ばれたことによって──それが  
わかったのだ。ぼく一人では解明できなかっただろう。  
 やがて壁はすっかり床面に埋まった。その先にあるものの名を、リンクはすでに知っていた。  
 王家の墓。  
 どこまで続くのかもわからない、それは深い暗黒の空間だった。  
 
 
To be continued.  
 
 

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