城門の衛兵は、神殿の見張りの兵士ほど、ものわかりがよくなかった。ゼルダ姫に会いたいと  
言うリンクを鼻で嗤い、けんもほろろに追い返した。リンクはしかたなく、城下町への道を  
とぼとぼと戻った。城門が見えなくなった所でふり返る。威容を誇る白亜のハイラル城が、  
青い空に美しく映えていた。  
 こういう立派な所に住む人には、やはり簡単には会えないものなのか。  
 自分の世間知らずぶりを改めて思い知らされたような気がして、リンクは心が重くなった。でも、  
ここであきらめるわけにはいかない。何としてもゼルダ姫に会わなければ。  
 その時、リンクは足もとの影に気がついた。道端に立つ木の影。だがそれだけではない。  
木の上に何か大きなものが乗っているような……  
 見上げたリンクは驚いた。木の上には梟が──コキリの森の出口にいた、あの大きな梟が  
とまっていたのだ。  
『いつの間に……』  
 あの時と同様、梟はまるまると目を見開いて、リンクを凝視していた。リンクもまた、じっと  
梟の目を見返す。  
 しばしの対峙ののち、梟はいきなり飛び立った。ハイラル城の上空へと舞い上がり、高く聳える  
主塔のまわりを旋回したあと、梟は内壁の一角にとまった。左の翼がさっと開かれた。その先端は  
内壁の下方を指している。遠くてはっきりしないが、梟の視線はこちらに向けられているようだ。  
『そこへ行け、と言うのか』  
 ハイラル平原に出る時もそうだった。自分の行くべき道を指し示す、巨大な梟。いったい  
何者なのか。疑問は尽きないが、いまはそれを信じて行動するしかない。だが、あの城門の衛兵に  
まともにあたっても、どうしようもあるまい。城に入る他の手だてを考えなくては。  
 城下町の方から、のんびりとした調子で一台の馬車がやって来た。御者台にいるのは、さっき  
見たマロンの父親だ。リンクはマロンの言葉を思い出した。確か、父親が城へ牛乳の配達に行くと  
言っていた……  
 馬車はゆっくりとリンクの横を通り過ぎた。マロンの父親はリンクに目もくれなかった。  
リンクは馬車をやり過ごしてから、こっそりとその後ろにつき、荷台に身をすべりこませた。  
荷台には、牛乳が入っているらしい大きな壺がぎっしりと並んでいた。狭い場所だったが、  
リンクはなんとか壺の間に身を隠した。のんきな性質なのだろうか、マロンの父親が気づいた  
様子はなかった。マロンがいたら面倒かも、とリンクは思ったが、マロンは馬車には乗っていない  
ようだった。また町の中で父親を待っているのだろう。  
 馬車が止まった。城門に着いたのだ。あの衛兵がマロンの父親に話しかけている声が聞こえる。  
「よお、タロン。牛乳の配達だな」  
「へえ、遅くなって申し訳ございません」  
「牧場からだとけっこうな道のりだ。しかたないさ。お前の所の牛乳はうまくて栄養満点だと、  
城でも評判がいいぞ」  
「そいつはどうも、ありがたいことで」  
「一応、中を改めさせてもらおうか」  
「へえ、どうぞ」  
 足音が馬車の後方に回り、止まった。リンクは壺の陰で身を固く縮ませた。足音が止まっていた  
時間は短く、すぐに前方へと戻る足音が続いた。衛兵は荷台にざっと目をやった程度なのだろう。  
「よし。厨房が晩餐用にとロンロン牛乳をお待ちかねだ。早く行ってやれ」  
「へえ、それじゃ失礼させてもらいます」  
 馬車が動き始めた。リンクはそっと吐息をついた。第一関門は突破だ。  
 馬車は何度か方向を変えつつ、ゆっくりと進んだ。衛兵に呼び止められた箇所がもう一つだけ  
あったが、そこも見つからずに切り抜けられた。やがて馬車は止まり、タロンが独り言を呟いた。  
「さて、着いたか」  
 リンクはあわてて、しかし物音を立てないよう気をつけながら、荷台から降りた。タロンが  
御者台から降りてくる気配がする。ここで見つかったら元も子もない。リンクは馬車のすぐ横の  
堀に飛び降りた。幸い、水面近くに狭い足場があり、身体を濡らさずにすんだ。  
 
 
 タロンの足音が遠ざかり、戸を叩く音が聞こえた。すぐに誰かが出てきたようだ。二人は  
無駄話をしながら、牛乳の壺を荷台から下ろし、戸の中に運び入れる作業を続けた。リンクは  
堀の壁に張りつき、息を殺してその様子をうかがっていた。やがて作業は終わり、タロンは再び  
馬車に乗って、もと来た方へと帰っていった。もう一人の人物も、戸の中に戻ったようだった。  
 リンクはそのままじっとしていたが、物音がしないので、思い切って堀の縁から顔を出し、  
あたりを見回した。やはり誰もいない。リンクは、ほっとして堀から這い上がった。  
 だが、ここは城のどのあたりだろう。馬車に乗っている間に、方向がすっかりわからなくなって  
しまった。梟が指し示していた場所はどこなんだ?  
 頭上で羽ばたく音がした。見上げると、近くの尖塔のてっぺんにあの梟がとまり、一方の翼を  
開いている。  
『まただ』  
 何者かはわからないが、あの梟は自分を助けてくれている。ここはとことん信じてみよう。  
 翼の示す方向は、左右に長く伸びる城の内壁で遮られていた。しかしリンクのいる場所から  
さほど離れていない所に穴があり、中から流れ出る水が堀に注いでいた。水路だ。  
 リンクは穴に近寄った。かなり狭いが、何とかくぐり抜けられそうだ。もはや服が濡れるのも  
かまわず、リンクは水路を這い進んでいった。  
 水路はさほど長い距離ではなく、やがてリンクは広い空間に出た。城の建物にはさまれ、奥に  
向かって、花壇や生け垣が点在する庭が続いていた。ところどころにベンチや彫刻が据えられて  
いる。静かで落ち着いた雰囲気が満ちていた。  
 しかしそんな雰囲気に気を落ち着かせる余裕はなかった。リンクの目はすでに、庭のそこかしこに  
散らばる衛兵の姿を捕らえていた。リンクは足音を忍ばせ、生け垣や短い壁に身を隠しつつ先を  
目指した。苦労の末に、庭の奥の端が見える所まで到達した。小さな門があり、その先に通路が  
続いている。しかし門の手前には衛兵が数人集まっていて、通り抜けられそうもない。  
 足止めされた状態のリンクの耳に、後方からの足音が聞こえた。やり過ごした衛兵が、方向を  
変えてこちらへやって来るのだ。このままだと見つかる。だがこれ以上は前へ進めない。前と  
後ろの両方の視線を避けられるだけの逃げ場もない。  
 ここまでか、と観念しかけた時、大きな羽ばたきの音が庭を駆け抜けた。あの梟が低空飛行で  
リンクの頭上をかすめ、庭の端でぐいと高度を上げると、そのまま庭に面する内壁の上に舞い  
降りた。またも片方の翼が開かれる。その先は庭の奥の門に向いていた。  
「なんだ、あの鳥は」  
「梟だぜ。どうして真っ昼間から梟なんかが」  
「あんなでかい梟、見たことがないぞ」  
「お前たち、知らないのか。あの梟はな、ハイラルの主みたいなもんさ」  
「そうそう、もう何百年も生きているって話だ」  
「へえ、知らなかったな。この城に巣があるのかい?」  
「いや、ハイラルのいろんな所に出没するというが、城で見るのは珍しいな」  
 門の手前にいた衛兵たちは、梟を見上げながら興奮気味に話している。リンクはその機を逃さず、  
衛兵たちの背後に回り、死角をとりながら、静かに、しかしできる限りの急ぎ足で、門への道を  
突破した。  
 リンクは門の陰に隠れ、しばらくじっとしていた。衛兵たちには気づかれなかったようだ。  
激しい動悸が治まるのを待って、リンクは門の奥へと進んだ。通路は左に折れ、すぐに別の空間に  
出た。  
 さほど広くはない、円形の中庭だった。まわりは城の建物に囲まれ、中央には色とりどりの花が  
咲いた花壇がある。そこには誰もおらず……いや……  
 いまリンクがいる中庭の入口の、ちょうど反対側。周囲より少し高くなった狭い壇上に、一人の  
人物が背を向けて立っていた。背は低い。子供だ。白と紫の清楚な服。頭には同じ色の組み合わせの頭巾。  
 リンクはそっと歩を進めた。物音を立てたつもりはなかったが、その人物は、さっと後ろを  
ふり返った。  
 少女だった。  
 
「誰?」  
 少女は言った。  
「あ、あなた、誰なの? どうやってこんな所まで……」  
 動揺がこもった、鋭い、しかし、よく通る声。  
「ぼくは……」  
 リンクは口を開きかけた。が、何から話したらいいだろう。  
「あら……その緑色の服……」  
 少女の口調が変わった。  
「あなた……森から来た人なの? それなら、森の精霊石を持っていませんか? 緑色の  
きらきらした石……」  
 どうしてわかるんだろう。初めて会った人なのに。  
「持っているのでしょう?」  
 森の精霊石。『コキリのヒスイ』のことだろうか。そうに違いない。でもどうして……  
 思考は飛ぶが、行動がついていかない。リンクは言葉が継げなかった。  
「おかしいわね、あなたがお告げの人だと思ったのですが……」  
 少女の表情が曇った。その変化で、唐突にリンクの心は動いた。この娘を失望させてはいけない。  
「これ……」  
 リンクはやっとそれだけ言い、『コキリのヒスイ』を取り出して少女に見せた。  
「やっぱり!」  
 少女の顔がぱっと輝き、次いですぐに深刻な色を帯びた。  
「あなたがこれを持っていることを、誰にも言ってはいけませんよ」  
 誰にも言うつもりはない。だがこの娘は何をそんなに喜び、そして警戒しているのか。次々に  
変わる少女の表情に、リンクは当惑していた。  
「おしゃべりな男の方は、よくありませんよ」  
 リンクの無言を否定と受け取ったのか、少女は拗ねたような顔で言った。リンクを暗に非難する  
言葉だったが、にもかかわらず、リンクはその顔をかわいいと思った。その気持ちの余裕で、  
リンクは初めて少女に返事らしい返事ができた。  
「いや、誰にも言わないよ」  
 少女の表情が和らぎ、笑みが満ちた。リンクはそれに見とれていた。かわいいだけじゃない。  
美しい……いや、それだけでは表現できない、慈しみにあふれた、この笑み……  
 また少女の口調が変わる。あわてたような様子で。  
「あ、ごめんなさい。わたし、夢中になってしまって。まだ名前もお教えしていませんでしたね」  
 少女は一呼吸おいた。周囲の空気が引き締まったような気がした。  
「わたしはゼルダ。ハイラル王国の王女です」  
 やはり! 最初に見た時から、リンクはそうと確信していた。  
 歳は自分と同じくらいか。背は自分よりもやや低い。そんな小さな存在でありながら、王女と  
名乗った少女の声には、それにふさわしい威厳が漂っていた。だがその威厳は、先に見た、  
いかにも子供らしく移り変わる仕草や表情と、何の不自然さもなく同居していた。  
 一国の王女であり、かつ血の通った一人の女の子。  
 なんという魅力だろう。  
「あなたの名前は?」  
 問いかける声。半ば意識を漂わせたまま、リンクは答える。  
「リンク」  
「リンク……」  
 ゼルダはその名を繰り返した。何かを思い出そうとでもいうように。  
「不思議……なんだか懐かしい響き……」  
 それは独り言のように漏らされた言葉だったが、ゼルダが自分を受け入れてくれた徴のように、  
リンクには感じられた。  
「ゼルダ……」  
 今度はリンクの方から呼びかけた。  
「はい」  
 ゼルダは静かに答えた。律儀に返事をする礼儀正しさは、王女としての育ちのためだろうか。  
「君は、ぼくがここに来るのがわかっていたの? 『お告げ』とか言っていたけれど……」  
 リンクはさっきからの疑問を口にのぼらせた。ゼルダは少しの間うつむいていたが、意を決した  
ように顔を上げた。  
「わたし、夢を見たのです」  
 ゼルダは少し視線をそらし、話し始めた。  
「このハイラルが、真っ黒な雲におおわれて、どんどん暗くなっていくのです。その時、ひと筋の  
光が森から現れました。そしてその光は、雲を切り裂き、大地を照らすと、緑に光る石をかかげた  
人の姿に変わったのです」  
 
 ここでゼルダは視線を戻し、リンクの顔をじっと見つめた。  
「それが夢のお告げ。そう……さっきあなたを見た時、あなたがその夢に現れた、森からの使者  
だとわかったのです。その緑色の服……あなたはコキリの森の人でしょう?」  
「コキリの森を知っているの?」  
 リンクは思わず大きな声で問い返した。  
「知っています」  
 ゼルダは頷いた。  
「コキリの森は、ハイラル王家にとって特別な場所なのです。昔、王家は森の精霊石をコキリの  
森の古老に託しました。樹齢何百年という、大きな樹です」  
「デクの樹サマ!」  
 リンクは叫んだ。目に見えない何かが、かみ合ったような気がした。  
「そう、デクの樹サマ……あなたはもちろんご存じのはず」  
「デクの樹サマがぼくに言ったんだよ。ハイラル城の姫君に会えって。そして『コキリのヒスイ』を  
……森の精霊石をぼくに渡して……」  
「そうでしたか……」  
 ゼルダは微笑んだ。しかしその表情は、すぐに真剣なものへと変わった。ゼルダは後方の壁に  
ある窓に歩み寄った。  
「わたしは……いま、この窓から見張っていたのです。あなたも覗いてみてくださる?」  
 話の飛躍にリンクは戸惑ったが、その言葉に従い、窓に近寄って先を見た。広間を横から眺めて  
いるような情景だった。一人の人物が横を向いて跪いている。  
「鋭い目つきの男が見えるでしょう? あれが西の果ての砂漠から来た、ゲルド族の首領、  
ガノンドロフ……」  
 その人物。筋肉の張りつめた巨躯、硬い黒褐色の皮膚……  
 リンクの身体が震えた。  
 あの男だ! 夢に出てきた、あの男!  
 西の果ての砂漠から来た……『黒き砂漠の民』!  
「夢のお告げの、もう一つの暗示……ハイラルをおおう黒い雲……あの男のことに違いありません」  
 窓から視線を離し、ゼルダをふり返る。自分でも表情がこわばっているのがわかった。ゼルダは  
言葉を続けた。  
「ハイラル王国とゲルド族は、長い間、争いを続けてきました。ところが最近、ゲルド族は王国に  
和平を持ちかけてきたのです。首領のガノンドロフは……いまはお父さまに……国王に忠誠を  
誓っているけれど……きっと嘘に決まっています!」  
 ゼルダの声が熱を帯びた。  
「ガノンドロフの狙いは、おそらく……」  
 そこまで言うとゼルダは、はっとした様子で話をやめた。言ってよいものかどうか、迷っている  
ようだ。あとを引き取って、リンクは短く言った。  
「トライフォース」  
 ゼルダの目が大きく見開かれる。  
「ああ、あなたも知っていたのですね。そう……ガノンドロフの狙いは、聖地におさめられた  
トライフォース。それを手に入れるために、ハイラルにやって来たのでしょう。そしてハイラルを  
……いえ、この世界そのものを我が物にしようと……」  
 トライフォース。聖地。次々につながってゆくキーワード。歯車が音を立てて回り始める光景を、  
リンクは脳裏に描いた。  
「わたしは……怖いのです。あの男がハイラルを滅ぼしかねない……そんな気がするのです。  
それだけの恐ろしい力を持った男なのです」  
 震えるゼルダの声。夢に出てきたあの男のまとう邪悪な空気を考えると、ゼルダの心情が  
リンクにはよく理解できた。恐怖の象徴。それがあの男──ガノンドロフ。しかし……  
「ゼルダ、君はそこまでわかっていて……そのことをお父さんには……」  
 リンクが言い終わらないうちに、ゼルダは首を振り、悲しげに言った。  
「お父さまには話しました。けれどお父さまは、わたしの言うことを信じてくださいませんでした。  
夢のお告げなど馬鹿げていると……子供が政治のことに口出しするな、とも……ふだんは立派な  
お父さまなのに……」  
 
 ここでゼルダはリンクの顔を見つめ、切迫した調子で言葉を継いだ。  
「でもわたしにはわかるのです! あの男の悪しき心が!」  
 ゼルダがリンクの手を握る。  
「リンク、あなたは信じてくださる?」  
 真剣きわまりない目。  
「信じてください! お願いです!」  
 リンクの手を取ったまま、祈るように合わされるゼルダの両手。その両手に額を近づけ、目を  
伏せたゼルダの、必死の懇願。  
 リンクの心は再度、そしてさらに大きく動かされた。  
 この娘を失望させることなど、できるわけがない。  
「信じるよ」  
 リンクは短く、しかし確信をこめて答えた。  
 ゼルダが顔を上げる。そこに浮かんだ安堵の色に、リンクの心も暖かくなる。  
「ありがとう……」  
 返事の代わりに、リンクはゼルダの手を握り返す。  
 ゼルダの言うことは、デクの樹の話と逐一合致していた。信じないではいられなかった。夢の  
お告げの件も──以前のリンクなら荒唐無稽と思っただろうが──自分もまた、ガノンドロフを  
夢に見ていたという事実がある以上、素直に信じることができる。  
 リンクはコキリの森でのできごとを、ゼルダに話して聞かせた。世界の支配を目指してトライ  
フォースを狙う、邪悪な『黒き砂漠の民』により、デクの樹に呪いがかけられたこと。自分は  
魔物を倒して呪いを解いたが、時すでに遅く、デクの樹は死んでしまったこと。死の前にデクの  
樹がすべてを語り、『黒き砂漠の民』の野望を阻むよう、『コキリのヒスイ』を自分に託して送り  
出したこと。そしてガノンドロフこそが『黒き砂漠の民』に他ならず、それを自分は夢によって  
悟っていたこと……  
 ゼルダはいちいち頷きながら、リンクの話を聞いていた。その目はきらきらと輝き──デクの  
樹の死のくだりでは、さすがに悲痛な色を帯びたが──自らの確信が裏づけられていく興奮と  
喜びを表していた。  
 聞き終わったあと、ゼルダはしばらく口を開かなかった。リンクも黙ってゼルダの反応を待った。  
やがてゼルダは、夢見るような口調で言った。  
「ほんとうに不思議……今日初めて出会ったわたしたちが、二人とも別々に全く同じことを思って  
いたなんて……」  
 リンクも同じ気持ちだった。ゼルダとの出会いに、運命を感じた。  
 今日、城下町で感じたこと。世界の危機を真剣に考えているのは、自分一人きりなのでは  
ないかという、焦りにも似た思い。  
 だが、自分一人ではなかった。同じように、世界の行く末を案じる人が、ここにいる。  
 その人は、ぼくの育った所、コキリの森を知っていた。他の誰もが知らなかったコキリの森を、  
その人だけは知っていた。  
 何もかもが目新しく、自分は場違いな異邦人でしかなかった、この『外の世界』。その中で、  
ゼルダは初めて出会った理解者だった。旅に出てからの孤独感が癒される気がした。  
 その快い感情に後押しされ、リンクはゼルダに語りかけた。  
「ゼルダ、君はさっき、ガノンドロフのことを、怖いと言ったね」  
 暗い表情でゼルダが頷く。  
「ぼくも、あいつの夢を見ていた時はそうだった。でも、デクの樹サマが教えてくれた。勇気を、  
と……」  
 リンクは声に力をこめて続けた。  
「ぼくは……君に『コキリのヒスイ』を渡して終わりだとは思っちゃいない。ぼくにはこれから  
先も、やらなきゃならないことがある。どれだけのことができるのか、まだわからないけれど……  
でも……」  
 しっかりとゼルダを見つめる。  
「勇気だけは忘れない」  
 わかってほしい。これだけは。  
「だから、君も……」  
 ゼルダの目に浮かぶ涙を見て、リンクは思わず言葉を切った。だがそれは、あとに続いた  
微笑みとともに、ゼルダの正の感情が表出する証だった。  
「そうね、わたしも……」  
 繰り返すように言い、さらにゼルダは続けた。  
「いま、ハイラルを守ることができるのは、わたしたちだけなんですもの……」  
 わたしたち。この言葉。この一体感。  
「……よかった……あなたが来てくれて……」  
 深く安らぐようなゼルダの声を、リンクもまた、大きな感動を覚えながら聞いていた。  
 
 リンクはふと気がついた。さっきからずっと、ゼルダと手を握り合っていることに。  
 その心の動きが伝わったのか、  
「あ……」  
 小さく声を漏らすと、  
「ごめんなさい。わたし、夢中で……」  
 先ほど名乗った時と同じようなことを言い、ゼルダは、すっと手を引いた。謝らなくても  
いいのに、とリンクは残念に思った。  
 二人の間に、ぎこちない沈黙が落ちた。  
 そのよけいな沈黙を追いやるつもりもあって、リンクはかねてから抱いていた疑問を口にした。  
「トライフォースのことだけど……」  
「何でしょう」  
 ゼルダの言葉は丁寧だったが、少しよそよそしくなったようにも思われ、それがリンクの気に  
かかった。  
 考えすぎだろうか。でもいまは、訊きたいことを訊いておこう。  
「デクの樹サマは、トライフォースは神の力を秘めている、と言っていたけれど……」  
 ゼルダは、  
「ここにおすわりになって」  
 と言うと、二人のいる壇上と地面をつなぐ短い階段に腰掛けた。リンクもその隣に腰を下ろす。  
 ゼルダが問い返した。  
「リンクは三人の女神様の伝説をご存じ?」  
「うん、知ってる。それも前にデクの樹サマが教えてくれた。その伝説に、こうあるね」  
 リンクは、伝説の最後の方の文句を暗唱した。  
 
 神々の去りし地に 黄金の聖三角残し置く  
 この後 その聖三角を 世の理の礎とするものなり  
 また この地を聖地とするものなり  
 
「この『聖三角』が、トライフォースのことだよね。それがとても大事なものだということは  
わかる。でも、それにどんな力があるのかが、よくわからないんだ。ガノンドロフは世界を  
我が物にしようとして、トライフォースを狙っているというけれど、トライフォースを手に  
入れたら、いったい何が起こるというんだろう?」  
 ゼルダは小さく頷くと、落ち着いた口調で言った。  
「三人の女神様の伝説は、ハイラルに住む者ならば、みな知っています。でも、リンク、あなたの  
質問に答えられる人は、多くはありません。それは、ハイラル王家だけに伝わる秘密なのです」  
 そこでいったん言葉を切ると、ゼルダは真面目な表情でリンクを見た。  
「あなたには、その秘密をお話ししましょう」  
 リンクは思わず居ずまいを正した。そう仕向けるような深刻さが、ゼルダの声にはこめられていた。  
「それは、こう伝えられているのです」  
 ゼルダはそう前置きをすると、詩を朗唱するような調子で語り始めた。  
「三人の女神様は、ハイラルのどこかに、神の力を持つトライフォースを隠されました。その力とは、  
トライフォースを手にした者の願いをかなえるものでした。心正しき者が願えば、ハイラルは  
善き世界に変わり、心悪しき者が願えば、世界は悪に支配される。そう伝えられてきました」  
 抽象的だが、簡潔な説明だ。リンクは素直に納得できた。  
 
 ゼルダの話は続く。  
「そこで、いにしえの賢者達は、心悪しき者からトライフォースを守るため、時の神殿を造られ  
ました。そう……時の神殿とは、この地上から聖地へ入るための入口なのです。でもその入口は、  
『時の扉』と呼ばれる石の壁で閉ざされています。そしてその扉を開くためには、三つの精霊石を  
集め、神殿に納めよ、と伝えられているのです」  
 時の神殿。時の扉。三つの精霊石。  
 今日訪れた、あの建物のことに間違いない。あれが聖地への入口……  
「トライフォースを手に入れるためには、その三つの精霊石が必要、ということなんだね」  
「そう……でも、さらにもう一つ必要なものがあります。言い伝えとともに、王家が守っている  
宝物……それが『時のオカリナ』です」  
 時のオカリナ。それも神殿の中に記述されていた。  
「『時のオカリナ』は、王家の女性に代々伝えられるもの。亡くなった母から引き継ぎ、いまは  
わたしが持っています」  
 淡々とした口調だったが、リンクはその内容にうたれた。  
 この娘が──いくら王女とはいえ、この年端もいかない女の子が──ハイラルの運命を背負って  
いるなんて。  
 だが、ゼルダだけではない、とリンクは強く思う。  
 自分もまた、ハイラルを、世界を救うという使命を負っている。  
 ぼくたち二人が、なすべきこと。  
「トライフォースを守らなければ……」  
 リンクの口から思わず言葉が漏れた。ゼルダも深くそれに頷いた。  
 それに続くリンクの質問は、具体的なものだった。  
「トライフォースのことはわかったけれど……それは……ええと……どういう『もの』なのかな。  
つまり……大きさとか、形とか……」  
 首をかしげながら、ゼルダは言った。  
「わたしも実物を見たことはありませんから……大きさのことは知りません。でも形ならわかり  
ますわ。トライフォースはハイラル王国の象徴で、王家の紋章にも使われています。この城や  
城下町でも、いろいろな所で目にすることができますが……そうね……」  
 ゼルダは周囲を見回し、手近な例を探すふうだったが、  
「そう、この耳飾りはちょうど、トライフォースの形、そのものです。ごらんになって」  
 横を向き、右耳に指を添えつつ、ゼルダは耳飾りをリンクに示した。リンクは顔を近づけた。  
三つの金色の三角形が、より大きな三角形を形作るよう、三つの頂点に位置して並んでいる。  
神殿の壁にあった印だと、リンクは気がついた。  
 単純だが均整のとれた美しい図形だ。そして耳飾りそのものも、金色の小さな光を美しく  
きらめかせている。  
 美しいといえば……耳飾りが触れている、薄桃色の耳朶……耳飾りの色に同期したような、  
頭巾の縁からのぞく金色の髪……その生え際から頬に続く、きめ細かな白い肌……表にうっすらと  
透けて見える産毛……そしてそれらすべてによって形作られる、ゼルダの端正な横顔……  
それぞれの美を、リンクの目はしっかりと感じ取っていた。さらに……  
 思わずリンクの顔はゼルダに寄る。  
 ゼルダの肌から湧く、かすかな、芳しい香り。  
 これは……何かの装いなのか……それともゼルダその人の……  
 
「どう? おわかりに……」  
 突然、ゼルダがこちらを向く。間近に合わされる顔と顔。それらを隔てる距離は予想外に短く、  
ゼルダは絶句し、リンクも息をのみ……そのまま、時間が過ぎてゆく。  
 ゼルダの吐く息、そして体温すら感じ取れるほどの、この近さ。それをぼくは、畏れながらも、  
なぜか快く……  
 今度は、ゼルダは謝らない。いや、謝るのはぼくの方だが、言葉が出ない。だが同じように  
何も言わないゼルダは、この近さを、どう思って……  
 自分の激しい動悸が聞こえる。いや、ぼくが聞いているのは、ひょっとして、ぼくの  
ものではなく……  
 涼しい風が中庭を吹き抜けた。  
 リンクは我に返り、身を引いた。胸はまだ大きく動悸を打っている。  
 そんなつもりはなかったが……ゼルダを傷つけてしまっただろうか。  
 後ろめたい気がしながらそっと見ると、ゼルダは胸に右手を当て、口を少し開いて、目を地面に  
向けていた。その表情に浮かぶ、動揺の色。  
「あの……ごめん……」  
 リンクに言えたのはそれだけだった。ゼルダは大きく首を振った。  
「いえ……」  
 と短く言い、リンクに視線を戻すと、こう続けた。  
「気にしないで、わたしも……」  
 わたしも……何なのだろう。  
 リンクは気になったが、それ以上、訊ねることはできなかった。  
 ゼルダは上に目をやった。  
「あ……もう、陽が……」  
 リンクも空の色の翳りに気がついた。日没が近づいているのだ。  
 ゼルダはそのまま空を見上げていたが、やがてリンクに向き直ると、落ち着きの感じられる声で  
言った。  
「ねえ、リンク、長い旅で疲れたでしょう。今夜はここに泊まっていって」  
「あ……うん……」  
 自分を避けるふうでもないゼルダの様子に、リンクは、ほっとした。むしろ言葉に親しみが  
増したようにも思えた。  
 その時、  
「ここにおいででしたか」  
 中庭の入口から声をかける者があった。  
「あ、インパ……」  
 ゼルダが身を起こした。リンクが声の方をふり返ると、その人物は隙のない身のこなしで足早に  
歩み寄ってきた。リンクもそれに合わせて立ち上がる。  
「紹介するわ、リンク。こちらはインパ。わたしの乳母です」  
「乳母というより、教師、兼、護衛、といったところですが」  
 インパはゼルダの言葉を訂正した。冷たさがなくもないが、深みのある低い声だった。  
「インパ、こちらはリンク。コキリの森からおいでになったの。ほら、前にお話しした、森からの  
使者よ」  
「ほう……」  
 インパはしげしげとリンクを眺めた。背が高く筋肉質で、表情は厳しく、リンクはやや威圧感を  
覚えたが、反面、頼りがいがあるとも思われた。身にぴったりと合った、機動性のある濃紺色の  
服を着ている。風貌も服装も、まるで男のようだったが、大きく盛り上がった両胸が、インパの  
性別を明示していた。  
「インパ、今晩、リンクはわたしのお客さまなの。晩餐にご招待するわ。それまでにお部屋へ  
ご案内して」  
「承知しました」  
 インパは短く答えると、リンクを見下ろした。愛想のかけらもない顔だった。  
「リンク、インパについて行って。まずお部屋で休んでください。あとでわたしも行きますから。  
どうか……恐がらないで」  
 最後の言葉を、ゼルダはひそかな笑いとともに口にした。  
「恐がらないで、とはご挨拶ですな」  
 インパの頬に、かすかながら初めて笑みが浮かんだ。  
 
 リンクとインパの姿が城の中に消えると、ひとり中庭に残ったゼルダは、大きく息をついた。  
表面は平静を装っていたが、高ぶった鼓動はやみそうにない。  
 リンクを部屋へ案内するのは、自分でもよかったのだ。それを折よく現れたインパに頼んだのは、  
そんな鼓動の高ぶりを悟られないためだった。  
 それとも、この感情を素直に表に出した方がよかったのか……  
 ふと胸に浮かぶ思い。ゼルダは、そう思う自分自身が意外だった。だが……  
 確かに、リンクとの出会いは、自分にとって救いであり、喜びだった。真剣に世界の危機を  
憂慮し、それに対抗しようという意志を持った人間が、自分の他にもいた、という安堵感と一体感。  
 次いで、自分を励ますリンクの言葉。「勇気だけは忘れない」という、あの言葉。凛と引き  
締まった顔。強い意志に満ちた目。  
 感動した。  
『……よかった……あなたが来てくれて……』  
 あれは自分の本心からの、まぎれもない真実の言葉だった。さらに……  
 握っていたリンクの手の感触。その暖かさ。  
 それを思うと、ゼルダの胸は波打つとともに、小さな痛みも覚える。  
 あの時は、はしたないという意識が働き、とっさに手を引いてしまったが……(リンクにどう  
思われただろう)……省みると、行動が性急すぎたような気がする。  
 そして、さっき顔を間近で見合わせてしまった時は……  
 ゼルダの胸の鼓動がさらに早まる。  
 あの時、リンクはわたしに、何かをしようとしていたのだろうか。  
 ゼルダは思い出す。あの時のリンクの表情。そこに当惑と動揺はあった。だが、決して邪な  
意図はなかった。そう言い切れる。  
 やはりあの接近遭遇は、二人の意志に関係のない、ただの偶発事に過ぎなかったのだ、と  
ゼルダは結論した。同時にゼルダは、その結論に失望している自分に気づいて驚いた。  
 リンクの顔を眼前に見た時、わたしは動けなかった。今度は、はしたないという意識は湧かず……  
わたしは……あのままリンクと顔を寄せ合っていたいと願っていたのではなかったか。  
そればかりか、リンクがわたしにそれ以上の何かをするのではないかと、ひそかに期待しては  
いなかったか。わたしはリンクに……(ああ、こんなことを思ってしまうなんて)……  
「男」を期待してはいなかったか。  
『わたしが……リンクに……』  
 男。この未知なるもの。  
 ゼルダの脳裏に、別の記憶がよみがえる。  
 ガノンドロフが父に拝謁するために、初めてハイラル城を訪れた時、わたしもその場に列席して  
いた。平和を謳う和やかな儀式。ガノンドロフもひたすら従順な態度をとっていた。表面上は。  
 夢のお告げによって、わたしは初めから、ガノンドロフを信用してはいなかった。だが、  
そんな自分の感情をはるかに上回る悪意を、わたしは見せつけられた。父がわたしを紹介した時、  
ガノンドロフがわたしに向けた視線。それはほんの短い間に過ぎなかったが、わたしは  
たとえようもない恐怖と嫌悪を感じたのだ。  
 ガノンドロフが怖いと言ったわたしを、リンクは励ましてくれた。しかし、わたしが怖れる  
ほんとうの理由を、その時、リンクには言えなかった。  
 ガノンドロフは、明らかにわたしを、その目で犯していた。  
 着衣を通してわたしの裸体を見、それを蹂躙するさまを思い描いて、心の中で涎を垂らして  
いたのだ。  
 わたしはすでに、男と女の行為についての知識を持っている。王族として知っておくべき裏の  
常識として、インパがすべて教えてくれた。さらに、男が女に対して抱く暗い獣性についても、  
インパに聞かされた。  
 男というものが持つ、そんな醜悪な一面を知りながら、そしてその醜悪さを実際に垣間見て  
おきながら、わたしはリンクに、それを期待している……いや、それは醜悪という一語で  
片づけられるものではなく……  
 何かがわたしの中で蠢いている。殻を破って外に出たいと悶える何かが。  
 この感情に、意味があるのだろうか。  
 危うい感覚に心を揺すぶられながらも、不思議に静かな意識をもって、ゼルダはそれを  
分析していた。  
 
 インパはリンクを城の中の一室に案内すると、  
「晩餐までにはまだ時間がある。それまでに身体でも洗っておけ」  
 と、ぶっきらぼうに言い、すぐに立ち去った。  
 残されたリンクは、部屋の中を見回した。一つの部屋でありながら、コキリの森にあるリンクの  
家の何倍もの広さだった。凝った作りの家具。銀色に輝く上品な調度品。足がめり込みそうな厚い  
絨毯。柔らかそうな純白の布団を敷いたベッド。ハイラル城ではごく普通の客室に過ぎない  
部屋だったが、リンクにとっては、豪華きわまりない天上の空間に思えた。  
 インパの言葉を思い出し、リンクはその場所を探した。部屋の入口とは別に、横の壁にドアが  
ついていた。そこを覗くと、つるつるした陶器のような床の上に、人がひとり入れそうな、白く  
大きな入れ物があり、中には湯が満たされていた。風呂に入るという習慣のなかったリンクは  
戸惑ったが、身体を洗うとすればここしかあるまい、と解釈した。脱衣して湯につかり、そばに  
あった布で身体を拭いた。これまで身体を洗うといえば、川や池、せいぜい井戸端という経験しか  
ないリンクだったが、湯の温かさや布の柔らかい感触に、リンクは安らぎを感じた。  
 洗い終わって服を着け、リンクは客室に戻った。ベッドに腰掛けてみる。身体はきれいに  
なったが、服はそのままだ。白いシーツに薄黒い汚れがついた。リンクは思わず立ち上がった。  
 入口のドアがノックされた。とがめられたような気がして、ぎくりとしたリンクだったが、  
それでも短く答を返した。  
「はい?」  
「ゼルダです。おじゃましてもいいかしら」  
 ドアの向こうから声がした。リンクは、ほっとした。  
「いいよ、入って」  
 ドアが開き、軽い微笑みを浮かべてゼルダが部屋に入ってきた。  
「どう? おくつろぎになれた?」  
「ああ、とても……気持ちのいい部屋だね」  
「よかったわ、気に入ってもらえて」  
 気持ちのいいのは、部屋だけじゃない。大したことのない会話だけでも、ゼルダの声は、もっと、  
ぼくをくつろがせる……  
 たゆたい始める意識が、ゼルダの手にしたものによって現実に戻った。ゼルダはリンクの視線に  
気づいたのか、それを両手にのせて持ち上げ、黙ってリンクに示した。  
「それが……」  
「そう、『時のオカリナ』です」  
 ゼルダはそう言うと、窓際の小さなテーブルへとリンクを誘った。つかず離れずの二脚の椅子に、  
二人は腰掛けた。  
 ゼルダは厳かな口調で言った。  
「トライフォースに近づくためには、三つの精霊石とともに、この『時のオカリナ』が必要です。  
『時のオカリナ』をもって、時の歌を奏でよ、と言い伝えられています」  
 そう、精霊石の台座にも、確かにその言葉が刻まれていた。  
「あなたには、見ておいてほしいのです。『時のオカリナ』の実物を……」  
 王家の女性だけに伝えられる宝。それを目にすることができるのは、長い歴史を通しても、  
ごく限られた人数だけだろう。ゼルダが自分に寄せる信頼をひしひしと感じて、リンクは身が  
引き締まる思いがした。  
 珠玉のような楽器だった。優美な曲線で縁取られ、表面は光沢のある紫色で、深い透明感を  
感じさせた。吹き口の近くでは、小さなトライフォースの印が金色に輝いていた。  
 この小さな楽器が、果てしない重みを持っている。世界にとって。そしてゼルダにとって。  
 その重みを自分も実際に感じたような気がして、リンクはものが言えなかった。おそらく  
ゼルダも同様であっただろう。しばらくその場には沈黙が漂った。  
 
「そういえば……」  
 思い当たることがあって、リンクは口を開いた。  
「ぼくもオカリナを持っているんだ」  
 サリアにもらったオカリナを取り出し、ゼルダの持つ『時のオカリナ』と並べてみる。  
「まあ……」  
 驚いたような、ゼルダの声。リンクもまた、予想していたことながら、それを目の当たりにして  
驚いた。  
 サリアのオカリナは、くすんだような灰緑色調で、トライフォースの印はついていなかったが……  
大きさと形は、指で押さえる穴の位置に至るまで、『時のオカリナ』と全く同じだった。  
「リンク、このオカリナはどこで……?」  
 不思議そうにゼルダが問う。  
「コキリの森で、友達にもらったんだ。その友達は、デクの樹サマからそれをもらって……確か、  
遠い国に伝わる、ある宝物を模して作られたって、デクの樹サマは言っていたそうだけれど……  
その宝物というのは、『時のオカリナ』に違いないよ」  
 二人がほとんど同一のオカリナを持っている。それもまた、運命の結びつきのひとつだろうか、  
と考えながら、リンクは熱をこめて言った。  
「そうね……たぶん、森の精霊石がデクの樹サマに託された時、そのオカリナも一緒に渡された  
のでしょう。トライフォースを守る象徴として……」  
 ゼルダの口調は夢幻的だった。心ここにあらずという感じもした。  
「それで……そのお友達というのは、どんな方?」  
「サリアといって……コキリの森では、ぼくのいちばんの友達なんだ」  
「……女の方?」  
「うん」  
 ゼルダの顔が、かすかに翳りを帯びたように思われたが、リンクは深く気に止めず、サリアの  
ことを物語った。話の内容は必然的に、リンクの身の上にも及んだ。  
 自分は実はハイリア人であり、どういう経緯かは不明だが、これまでコキリ族として育てられて  
きたこと。コキリの森で、ひとり妖精を持たず孤独であった自分を、サリアは常に気にかけ、  
優しく接し、見守ってくれたこと。この旅に出る時も、サリアにだけは──さすがにキスのことは  
黙っていたが──別れの挨拶を交わしてきたこと。自分にとって、かけがえのない存在。リンクは  
サリアのことを正直にそう語った。  
 聞き終えるとゼルダは、顔に寂しげな笑みを浮かべて、こう言った。  
「リンクには、いいお友達がいるのね……」  
 その声の調子で、リンクは初めて、ゼルダの微妙な態度に気がついた。  
 
「ゼルダには……友達がいないの?」  
 リンクが、ためらうような声で訊いた。  
「わたし?」  
 虚を突かれたような気がして、ゼルダは一瞬、絶句した。  
「そう……友達と呼べるような人は、いないのかも……」  
 王女としての生活。それは何ひとつ不自由さを感じることのない、恵まれた生活ではあったが、  
反面、いかさま窮屈なものでもあった。心を許せる人は数少ない。唯一の家族である父は、自分に  
接する時は優しく暖かい存在だったが、国王としての多忙さで、接する機会自体がきわめて少なく  
ならざるを得なかった。侍女の中には心のおけない者もいるが、しょせん主従の関係だ。自分が  
最も信頼するインパは──夢のお告げのことも、ガノンドロフの脅威のことも、彼女にはすべて  
打ち明けているが──やはり友達と呼べる間柄ではない。  
 そんな自分の境遇を、いまさらのように実感させられ、ゼルダの心は重くなる。  
「ぼくが……」  
 リンクが何か言いかける。  
「え……?」  
「ぼく……じゃ、だめかな?」  
「リンクが……?」  
「そう……ゼルダがぼくの友達になってくれたら……あれ、逆か……いや、そうしたら当然ぼくは  
ゼルダの友達になるわけで……だから……それでいいんじゃないかと……なに言ってんだろう、  
ぼくは……」  
 しどろもどろなリンクを見て、ゼルダは思わず笑ってしまう。それとともに胸をひたす、暖かな想い。  
 なんとまっすぐな人だろう。  
 リンクにとっては、わたしも、サリアという人も、同じように大切な存在なのだ。いまはそれでいい。  
リンクとはすでに、目的を同じくする同志であることを確かめ合った。そしてここで、二人の  
関係に『友達』という新たな側面が加わる。そう、いまはそれでいいではないか。それ以上の  
何かが──わたしが期待するような何かが──さらに加わるかどうかは、まだ先の問題だ。  
リンクはわたしの秘めた気持ちに気づいていない。でもそこが、いかにもリンクらしい率直さの  
現れではないか。  
 
「ありがとう、リンク」  
 ゼルダは椅子の上ですわり直した  
「では、改めてお願いするわ。リンク、わたしのお友達になってくださる?」  
「もちろん」  
 リンクの手が、力強くゼルダの手を握った。  
 その真情を深く感じながらも、リンクの手の感触が、またもや胸を高ぶらせそうになることに  
気づいて、ゼルダは話題を変えた。  
「リンク、あなたはハイリア人だと言ったけれど……ご家族やご両親のことはわかっているの?」  
 リンクは眉根を寄せて首を振った。  
「わからない。デクの樹サマも、そこまでは教えてくれなかった。ぼくもこの旅で、何か  
そのことがわかれば、と思ってはいるけれど……」  
「そう……わたしにできることがあったら、言ってちょうだい」  
「ありがとう。でもいまは……」  
 夕べの鐘の音が大きく響いた。  
「あ……」  
 ゼルダは窓の外を見た。もうすっかり日が暮れている。部屋の中は暗い。灯りをつけることも  
忘れていた。  
 赤黒く染まる空の高みに、一番星が光るのが見える。  
『あの星は……』  
 ゼルダの心が浮遊する。  
 あれは予兆の星。未来を示す星。ハイラルの星占いでは、そう解釈されている……  
 その時。  
 ひとつの概念がひらめいた。  
 心の中でもう一度その概念をたどり、それが何を意味するのかを知って、ゼルダは愕然となった。  
 まさか……ほんとうに……?  
「ゼルダ?」  
 不審そうなリンクの声。ゼルダは我に返る。  
「どうかしたの?」  
「いえ……なにも……」  
 強いて何気なさそうに聞こえるよう努力しながら、ゼルダは言った。  
「もうすぐ晩餐が始まるわ。あと少しだけ、待っていてね」  
 ゼルダは侍女を呼び、部屋の灯りをつけさせると、『時のオカリナ』を持って部屋を出た。  
 胸の中には、いまひらめいた概念が渦巻いていた。  
 予知能力。  
 これまで自分の予知は、常に夢のお告げとしてなされてきた。眠っている間だけのことだった。  
ところが、いま──あの星の影響だろうか──初めて覚醒中に予知がなされた。  
 信じられないような、その内容。  
 だが……  
『わたしの予知は、はずれたことがない』  
 そう、一度もはずれたことはない。だからいまの予知も、絶対に、確かなことなのだ。  
 自分がこれから、なすべきこと。  
 ゼルダの心はすでに、冷静な判断を始めていた。  
 
 客室の豪華さと同様、晩餐はリンクの肝を抜いた。色彩豊かな手の込んだ料理。口の中を  
総動員しても味わい尽くせない美味。リンクは健啖な食欲を示した。マナーも何もあったものでは  
なかったが、同席者は──ゼルダとインパの二人きりだったが──それについては何も言わなかった。  
インパは時に非難めいた視線を送ることもあった。しかしゼルダはむしろ嬉しそうに、リンクの  
食事ぶりを見守っていた。  
 ゼルダは饒舌だった。リンクを友達として改めてインパに紹介し、話題が尽きぬよう、二人を  
リードした。リンクは楽しくそれに応じ、インパも──無口な方だったが、それでもゼルダの  
調子に巻き込まれてか──会話には常に参加した。  
「乳母……というのは、どういうことをする人なの?」  
 リンクの問いに、インパは簡潔な説明を返した。  
「本来、乳の出ない母親に代わって、赤ん坊に乳を与える女性のことを指すが……私の場合は、  
両親に代わって子供を教育する役割を持つ人、といったところだな」  
「インパは武芸の達人なのよ」  
 ゼルダがリンクに話しかける。  
「へえ……」  
 リンクは意外な気がした。確かに身体つきは立派だが……女じゃないか。  
「シーカー族として、当たり前のレベルに過ぎません」  
 平然とした声で、インパは言った。  
「シーカー族?」  
 ハイリア人とは違うのだろうか。リンクの疑問を見透かすように、インパが答えた。  
「ハイリア人に属する部族の一つだ。昔から王家を守護する役割を持っている。いまはもう残り  
少ないが……」  
「リンクもインパと立ち合ってみたらいいわ。きっとかなわないから」  
 挑発的なゼルダの言葉に、リンクは少しむっとした。ぼくだってコキリの森では……  
「でもインパ、リンクもすばらしい剣士なのよ。デクの樹サマに取り憑いた魔物を倒したんですもの」  
「ほう……」  
 ひるがえって、ゼルダはリンクを持ち上げる。ゼルダに剣士と呼ばれたのは嬉しいが、今度は  
インパの視線がきつい。実際あの時は、大して立派な戦いぶりでもなかった……  
「ねえ、リンク、その時のことを聞かせてちょうだい。どんなふうに戦ったのか」  
 ゼルダにそう言われると、謙遜もしきれない。なるべく大げさにならないよう、リンクは  
「武勇伝」を語った。目を輝かせて聞き入るゼルダの表情が、リンクには快かった。  
 
 話題がリンクのハイラル城侵入の件に移った。リンクがどうやってゼルダのいる中庭まで  
入りこむことができたのか、ゼルダにもインパにも、それまでわからなかったのだ。リンクは  
初めから順にその経緯を話した。  
「警備を鍛え直さねばなりませんな。そんなに簡単に城内に侵入されるようでは……」  
 インパはむすっとして言ったが、ゼルダは笑って片づけた。  
「でも、そのおかげでリンクに会えたんですもの。わたしにとっては、とてもありがたいことだわ」  
 インパは肩をすくめて答えなかったが、その表情は、かすかな笑みを隠せなかった。  
「そうそう、リンク、もっと早く訊いておきたかったけれど……あなた、お歳はいくつ?」  
 ゼルダが熱心な調子で言った。  
「九歳」  
 リンクの答えに、ゼルダの顔がぱっと輝いた。  
「まあ、わたしと同い年ね。誕生日は?」  
 生まれた日まで意識したことのなかったリンクは困ったが、かつてデクの樹に聞いたことや、  
コキリ族の仲間との会話を思い出し、たぶんこれくらいの頃、というふうに返事をした。  
「じゃあ、わたしの方がちょっと早いわ。わたしがお姉さんね」  
 ゼルダの声がさらに大きく、はしゃぐように響く。  
 この場合の「お姉さん」というのは、血縁関係のことではなく、単に年上ということを意味して  
いるんだな、と、リンクは心の中で確認した。でもそれだけのことが、どうしてそんなに  
嬉しいんだろう。年上だから、ぼくの保護者をもって任じたいんだろうか。サリアのように……  
 そう、確かにサリアは、いつも保護者っぽい態度でぼくに接していた。ぼくはあまり真面目に  
保護されてはいなかったけれど……それでもぼくは、サリアのそんな態度に不満はなかったし、  
それがごく自然に思えた。だがゼルダの場合は……  
 不満というわけじゃない。ただ……いくら年上とはいえ、ゼルダが自分の保護者と考えると、  
どうにも違和感が拭えない。むしろ反対に……ぼくの方が……ゼルダを守ってやりたいと……  
 そこまで考えて、リンクは思い当たった。あの神殿の見張りの兵士たちも、そして王国の  
国民たちも、同じように思っているのだろうか。この人を守ってやりたいと。  
 その魅力を改めて知らされたような気がして、リンクは陶然と、明るく笑うゼルダの顔を  
見つめるのだった。  
 晩餐は終わりに近づいていた。デザートが出され、次いで飲み物が出た。  
「これを……」  
 ゼルダがリンクのグラスに、濃褐色の液体を注いだ。  
「あ……」  
 インパの声を待たず、喉が渇いていたリンクは、それを一気に飲み干してしまった。とたんに  
口の中が燃え上がり、喉が灼け、頭がふらついた。  
「まあ、大丈夫、リンク?」  
「酒はまずかったですな。まだ子供なのに」  
「わたしはいつも飲んでいるから……」  
「あなたは王女です。嗜みも必要でしょう。だが世間の子供というのは、酒など飲まないものですよ」  
「どうしましょう……わたし、気がつかなくて……」  
 ゼルダとインパの会話が聞こえる……小さな声で……遠く離れた所にいるかのように……  
ぼくは……いったいどうなって……  
 リンクの記憶は、そのまま絶えた。  
 
「それは……」  
 正気ですか、と言いかけて、インパはさすがに言葉を切った。だが、いまのゼルダの言葉は、  
そう思わずにはいられないほど、異常なものに聞こえた。  
 晩餐の終わりのハプニング。酒を飲んで酔いつぶれてしまったリンクを、二人は客室へ運び、  
ベッドに寝かせた。ほっとする間もなく、ゼルダはインパを自室に誘った。そこでゼルダの口から  
聞かされた、予想外の事柄。  
 インパを驚かせた言葉のあと、ゼルダは黙っていた。その表情は固く、真剣そのもので、自分の  
言葉に確信があることがうかがわれた。  
 インパは改めて口を開いた。  
「確かにあの少年には……リンクには……見どころがあります。剣の腕は知りませんが、あの歳で  
魔物を倒したというのなら、大したものだと言えるでしょう。それに、正直だし、誠実だ。  
あなたが信頼を……好意を寄せるに値する人物だと、私も思います。しかし……」  
 インパは語調を強めた。  
「それがどんなに危険な賭であるか、あなたにもおわかりでしょう」  
 ゼルダは口をつぐんだままだった。インパはかぶせるように言葉を続けた。  
「ハイラルの未来。あなたの未来。それらがすべて、そこに懸かってくるのですよ」  
 沈黙が座を支配した。  
 ゼルダは表情を動かさず、やがて静かに言った。  
「わたしのお告げは……予知は……いつも正しかった。それは、インパ、あなたも知っている  
はずです」  
「それはそうですが……しかしこれはあまりにも……」  
「必要なことなのです」  
「なぜそこまで確信を持てるのです? それが必要だという理由が、私には理解できない」  
「理由は、わたしにも説明できません。でも、わたしにはわかるのです。それが絶対に必要な  
ことだと」  
 再び沈黙。  
 インパはため息をついた。これほどまでに固い決意。翻意させることはできない。  
 ゼルダの予知は、はずれたことがない。それは自分にもわかっている。とはいえ……  
「姫……」  
 インパは最後の抵抗を試みた。  
「つらい生涯を送ることになるかもしれません。それでもよいのですか?」  
 ゼルダは無言で頷いた。迷いのかけらもない態度で。  
「わかりました……」  
 ついにインパは肯定の返事をせざるを得なかった。  
「あなたは、あなたの信じる道をお行きください。私は全力でお守りします」  
「ありがとう、インパ」  
 ゼルダの声が、初めて和らいだ。喜びすら感じられる声だった。  
 確かに、本来なら、ある意味、喜ぶべきことなのかもしれない。だが……  
 その歳で、そこまでのことを考えなければならないとは……  
 ゼルダの運命を思うと、インパの心は複雑に揺れるのだった。  
 
 リンクは目を開けた。  
 口の中が、からからに乾いていた。枕元の机の上に、水を入れた瓶がある。リンクは瓶を  
つかむと、中身を一気に飲み干した。その行動が晩餐の記憶を呼び起こした。  
 あの時ぼくは、ゼルダに勧められた飲み物を飲んで……それから……いったい……  
どうなったんだろう……  
 いま、ぼくはベッドの上にいる。あの客室の。いつの間に、ここへ……  
 周囲を見回す。窓からは日の光が差しこんでいる。もう朝なのか。  
 リンクは自身を見て驚いた。いつもの服じゃない。薄く白っぽい、やけにふにゃふにゃした、  
しかし肌触りのいい服だ。  
 何か変だ、という気がした。でも何がどう変なのか、リンクにはわからなかった。  
 ドアにノックの音がした。返事を待たずドアが開いた。ゼルダか、とリンクは思ったが、  
入ってきたのはインパだった。  
「お目覚めかな」  
 インパが訊いた。相変わらずぶっきらぼうな調子だったが、どこかおかしそうな様子も感じられた。  
「気分はどうだ。頭が痛くはないか」  
「いや……別に……」  
「ゆうべは大変だったぞ」  
「あの……ぼく、どうなったの? どうやってこの部屋へ……」  
「晩餐の終わりに飲み物が出ただろう。あれは酒だったんだ。今までに酒を飲んだことは?」  
「いや……ないよ」  
「そうだろうな。お前は酔っぱらったんだ。それで倒れてしまって……ゼルダ様と二人で、お前を  
この部屋へ運んで、寝間着に着替えさせて、ベッドに寝かせて……まあ、お前はぐっすり寝ていたし、  
子供だから大して力も要らなかったが……侍女らの目を避けるには、ちょっと苦労したな」  
「どうも……すみません……手間を取らせてしまって……」  
「気にするな。夜の間のことを、何か覚えているか?」  
 インパの質問で、リンクは記憶をまさぐってみた。霧のかかったような、ぼんやりとした頭。  
考えてみても、その霧は晴れそうにない。  
「何も思い出せないみたいだ……」  
「酒を飲んで寝ついてしまえば、だいたいそんなものだ。ほら、これだ」  
 ベッドの上に何かが投げ出された。  
「お前の服だ。洗濯させておいた」  
「あ……ありがとう」  
「着替えたら、私につきあえ。体調が悪くないのならな」  
「え?」  
「剣の腕を見てやる。朝食前の運動には、ちょうどいいだろう」  
 晩餐の席でのゼルダの言葉を、リンクは思い出した。  
『リンクもインパと立ち合ってみたらいいわ。きっとかなわないから』  
 それでほんとうに目が覚めた。  
 やってやろう。そしてゼルダに見せつけてやるんだ。  
「ぼくは大丈夫だよ。立ち合わせてくれよ」  
 リンクは力をこめて言った。インパは少し嗤ったようだった。それがさらにリンクの闘志に  
火をつけた。  
 
 朝食の席に現れたリンクは、意気消沈していた。  
「おはよう、リンク」  
 ゼルダの声に答える気力もない。目を合わせるのも恥ずかしい。  
「どうしたの、リンク。インパと立ち合ったんでしょう。どうだったの?」  
 そこまで知っているのなら、なおさら訊かないでほしい。リンクは本心からそう思った。  
 インパはリンクに剣を持たせ、自分は素手で相手をすると言った。あまりの扱いに息巻いた  
リンクだったが、まるで勝負にならなかった。コキリの森にいる頃は、『外の世界』の剣士を  
見てみたいと思ったものだが、これほどまでに差があるとは、予想もしていなかった。リンクが  
振り回す剣を、インパは軽々と避け、四方八方から目にもとまらぬ速さで、突きや蹴りを  
繰り出してきた。リンクはいいようにあしらわれ、きりきり舞いするばかりだった。一時間ほどの  
立ち合いだったが、結局、剣は一度もインパに届かなかった。立ち合いとも言えない喜劇だった。  
 リンクのすぐあとから、インパが部屋に現れた。  
「どう、インパ。リンクの剣の腕は?」  
「全然なっていませんな」  
 ゼルダの問いに、インパはリンクをばっさりと斬って捨てた。リンクは身が縮む思いだった。  
「だが、素質はあります。一時間ほどの間に、ずいぶん動きがよくなりましたからな」  
「まあ、ほんとう?」  
 ゼルダは嬉しそうな声をあげ、次いでリンクの方を向き、熱心な調子で言った。  
「インパがそこまで言うのなら、かなりの腕なのね。リンク、自慢してもいいことよ」  
 そうだろうか。リンクには信じられなかった。あそこまで無様な醜態をさらさせておいて、  
素質があるとは……  
 リンクはインパを見て、意外に思った。その顔には笑みが……嘲笑ではなく、心からの笑みが  
浮かんでいたからだ。  
 そういえば……と、リンクは思い出した。立ち合いの間、インパはリンクをあしらいながら、  
常にリンクに声をかけていた。前ばかり見るな。上を見ろ。横を見ろ。後ろの気配を知れ。  
大振りするな。攻撃の直後に油断するな。相手の動きを予測しろ。自分の動きを気取られるな……  
 すべてリンクへの忠告だったのだ。  
 インパの心遣いが初めてわかり、リンクは感謝の念にうたれた。  
「ありがとう、インパ。勉強になりました」  
 リンクは素直な気持ちで礼を言った。インパはそれには答えず、笑みを浮かべたまま、リンクに  
席を勧めた。  
 朝食は軽めの献立だったが、やはり非常に美味だった。立ち合いの屈辱が和らいで、改めて  
ゼルダを見ると、様子が晩餐の時とは変わっていた。さっきは明るい態度を見せていたが、それは  
一時のことで、朝食を摂っている間、やけに静かなのだ。ゆうべはあれほどしゃべっていたのに、  
と、リンクは不思議に思った。そんなリンクに気づいたのか、インパがリンクに、こう話しかけた。  
「ゼルダ様は、お前を酔わせてしまったことを、申し訳なく思っておられるのだよ」  
「まあ、インパ……」  
 ゼルダは驚いたように言ったが、すぐにリンクに向き直り、いかにもすまないといった表情で  
詫びを述べた。  
「ほんとうにごめんなさい、リンク。あなたがあんな具合になるとは思わなくて……」  
「いや、気にしないで」  
 リンクはあわてて言った。ゼルダに謝らせるのは、本意ではない。  
「でも……ちょっと残念だったな」  
「え?」  
「ぜひ起きたまま、最後まで君と一緒にいたかったのに」  
 ゼルダとインパは顔を見合わせた。  
「君におやすみの挨拶ができなかった」  
 三人は声を合わせて笑った。  
 
 朝食のあと、ゼルダは真面目な顔でリンクに言った。  
「リンク、大事なお話があります。これからのことで……」  
 きた、とリンクは思った。予想していたことだった。  
「昨日の中庭へ行きましょう。あそこなら、誰にも邪魔はされませんから……」  
 ゼルダの口調が、改まったものに変わっていた。それほど大切なことなのだ。リンクは身が  
引き締まるのを感じた。  
 二人は中庭の奥まで行き、昨日と同じく、壇上と地面をつなぐ短い階段にすわった。インパは  
少し離れた中庭の中央あたりに立ち、二人を見守っていた。  
 真剣な目つきでリンクを見、ゼルダはゆっくりと切り出した。  
「わたしたちの目的は、ガノンドロフの魔手から、トライフォースを守ることです」  
 リンクは頷いた。  
「そのためには、トライフォースへの鍵となる、三つの精霊石と『時のオカリナ』、これらを  
守らなければなりません」  
 再びリンクは頷く。  
「あなたのお話では、ガノンドロフがデクの樹サマに呪いをかけたのは、森の精霊石を奪うため。  
そうでしたね」  
「間違いないよ」  
「すると、残りの二つの精霊石も、ガノンドロフに狙われているはずです」  
「そう、確かに」  
「森の精霊石は、あなたの活躍で、ガノンドロフに奪われずにすみました。でも残りの二つの  
精霊石は、非常に危険な状態にあると言わなければなりません」  
「そのとおり、だから……」  
 リンクは性急に言いかけたが、ゼルダの目を見て、それ以上、言葉を続けるのをやめた。  
 ゼルダは、わかっている。  
「『時のオカリナ』の方は、あの男の手に渡らぬよう、何とかしてわたしが守ります。だから、  
リンク……」  
 ゼルダの顔が近づく。  
「森の精霊石は、このまま、あなたが持っていてください。そして……」  
 ゼルダがリンクの手を取る。  
「残る二つの精霊石を見つけてください」  
 二人の視線が、がっちりと結ばれる。  
「危険な仕事です。でもこれは、あなたにしか頼めないこと。どうか……お願いします」  
 ゼルダは頭を垂れる。  
 リンクはもう、自分を抑えてはいられなかった。  
「やるとも。もちろん。それがぼくの使命だから」  
 リンクは言い切った。  
 ぼくの使命。ぼくのなすべきこと。世界のために。そしてゼルダのために。  
 全身に勇気が満ちあふれる、そんな高揚感だった。  
「ありがとう……」  
 ゼルダは顔を上げ、かすれた声で言った。目に涙があふれていた。それがリンクをますます  
高揚させた。  
 君を守る。必ず。  
 二人はそのまま、じっと互いを見つめ合っていた。  
 やがてゼルダは、視線をインパの方に向け、立ち上がった。リンクもそれに合わせて立ち上がる。  
 二人のそばへと、インパは歩み寄ってきた。  
「リンクは引き受けてくれました」  
 インパは頷くと、事務的な口調でリンクに言った。  
「残る二つの精霊石は、炎の精霊石と、水の精霊石だ。炎の精霊石は、デスマウンテンに住む  
ゴロン族に、水の精霊石は、ゾーラ川上流に住むゾーラ族に託されたというが、どこにあるかは、  
実際に行ってみなければわからない」  
 
 リンクはその話の内容を心に刻みこんだ。そして、インパはことの経緯をすべてゼルダから  
聞かされているのだな、と悟った。  
 インパはゼルダに信頼されている。そして、このぼくも。  
「この手紙を渡しておきます」  
 ゼルダが隠しから一枚の紙を取り出し、リンクに見せた。それにはこう書かれていた。  
 
 この手紙を持参する者 王家のために働く者なり  
 あらゆる便宜を図るよう 配慮されたし  
 
 末尾には印章と、ゼルダの自筆の署名があった。きれいな字だ、とリンクは思った。  
「これがあれば、ハイラル王国の中では、自由に行動できます。兵士や役人に足止めされたら、  
これをお見せなさい。きっと役に立つはずです。それから、インパ……」  
 呼びかけられたインパは、中庭の入口を凝視していた。  
「インパ、どうかしたの?」  
「気配を感じたのですが……いや……気のせいでしょう。どのみち、この場所なら、声は届かない」  
 二人を、そして自分をも安心させるように言うと、インパはリンクに向き直った。  
「リンク、お前に一つの歌を授ける。その歌は、古代より王家に伝わる歌……私がゼルダ様に、  
幼き頃より子守歌としてお聞かせしていたものだ。心して聞くがいい」  
 そう言うとインパは、短いながらも優美な旋律を口笛で吹いた。リンクはそれを耳に焼きつけ、  
自らのオカリナで正確に復唱してみせた。インパは頷き、さらに言葉を続けた。  
「その歌は、王家にかかわる者の身の証ともなろう。よく覚えておくのだぞ」  
「わかりました」  
 リンクは答えた。自分でも驚くほど、声に力が入っていた。  
「リンク」  
 ゼルダが声をかけた。涙はもう消え、表情には固い決意のほどが現れていた。  
「すべての精霊石を得ることができたら、必ずここに戻って来てください。わたしに考えが  
あります」  
「考え?」  
 リンクは問い返した。  
「デクの樹サマがあなたに森の精霊石を託したのは、単にそれを守れという意図だけではないと、  
わたしは思います。それを使うように、との意図があったのだと」  
 それに続くゼルダの言葉は、驚くべきものだった。  
「わたしたちが、トライフォースを手に入れるのです。ガノンドロフよりも先に。そうすれば、  
あの男を倒すことができます」  
 守るだけではなく、倒す! そこまで考えていたとは!  
 リンクはゼルダの周到な知恵に舌を巻いた。  
 トライフォースは手にした者の願いをかなえる。心正しき者が願えば、ハイラルは善き世界に  
変わる。  
 ゼルダが心正しき者であるのは明らかだ。ゼルダがトライフォースを得れば、必ず悪は滅びる。  
「わかった」  
 リンクは短く答え、次いで力強く言った。  
「じゃあ、行くよ」  
 ゼルダは無言で頷いた。決意に加えて、自分を案ずる真情を、リンクはゼルダの顔にうかがう  
ことができた。リンクはそれで満足した。  
「城の外まで送ろう」  
 インパが低い声で言った。  
 中庭から出る前に、リンクは後ろをふり返った。離れた壇上にゼルダが立っていた。昨日、  
初めて出会った時と同じような光景。リンクは軽く手を上げて見せた。ゼルダも同じように手を  
上げた。インパに従ってリンクは通路に向かい、ゼルダの姿は視界から消えた。  
 
「インパ」  
 通路を早足で進むインパの後ろから、リンクは声をかけた。インパは立ち止まってふり向いた。  
「デスマウンテンとゾーラ川と、ここからどっちが近いでしょう」  
 インパは、しばし考えている様子だったが、  
「自分の目で確かめた方がいいだろう」  
 と言うと、道を変え、リンクを城の塔の一つに案内した。四方が見渡せる、眺めのよい場所だった。  
「あれがデスマウンテンだ」  
 インパは北東方向の、白い噴煙を上げている、ひときわ高い山を指さした。  
「ゾーラ川は、あそこを流れている」  
 東方から流れてきた川は、ハイラル平原の北をめぐり、城下町の横をかすめて、さらに西方へと  
続いていた。  
「ゾーラ川の上流は、ここからは見えない。距離からいうと、デスマウンテンの方が近いな」  
「じゃあ、デスマウンテンの方へ先に行きます」  
「近いとはいえ、あれは活火山だ。楽な道のりとは言えんぞ」  
「平気です」  
 インパは頬をゆるめた。再び外に目をやると、東の方を指した。  
「デスマウンテンの麓に、村があるだろう」  
 確かに、人家が集まっている領域が見える。  
「カカリコ村だ。デスマウンテンに登るには、あの村を通ることになる」  
 インパは、リンクが初めて聞く、穏やかな声で続けた。  
「あれは私が生まれ育った村でな……いい所だ。住人たちに話を聞いてから、デスマウンテンへ  
向かうがいい。きっと役に立つことが聞けるはずだ」  
「わかりました」  
 インパはしばらく黙っていたが、やがてまた、大きく外の景色を見渡した。  
「美しいだろう、ハイラルは」  
 リンクも、インパと並んで外界を見下ろす。  
 眼下に横たわる広大な平原。そこを突っ切る銀色の川。点在する町や村。遠くにそびえる山脈。各々の美と、それらが織りなす交響的な美が、リンクの目に鮮やかに投影された。  
「我々は、この美しいハイラルを守らねばならない」  
 インパの言葉は、リンクの心に沁みた。  
「失望はさせません。あなたにも、ゼルダにも」  
 リンクの顔をふり返ったインパは、優しささえうかがわれる声で言った。  
「頼んだぞ」  
 他でもないインパにそう言われて、リンクは心が奮い立つのを感じた。  
「剣の腕についてだが……」  
 インパが続けた。  
「何よりも経験だ。実戦では、生半可な知識はかえって邪魔になる。重要なのは……」  
「勇気」  
 リンクはインパの言葉を引き取った。インパは満足げに微笑んだ。  
「今度お前に会う時が楽しみだな」  
 
 リンクを城から送り出し、インパは中庭へと戻った。ゼルダはそこにいなかった。心当たりを  
探してみたが、どこにも姿は見えない。侍女に訊くと、城の主塔に登っていったという。先ほど  
リンクを案内した塔ではなく、城の中央にある、最も高い塔だ。インパもその上を目指して  
登っていった。  
 ゼルダは主塔の頂上にいた。狭いながらも、外に張り出したバルコニーがあり、そこからは、  
さっきリンクと見た景色をはるかに上回る絶景が見渡せた。人によっては恐怖を覚えるであろう  
その高みから、ゼルダは一心に東の方を見下ろしていた。  
「姫……こんな所で何を……」  
 ふり向きもせず、ゼルダは言った。  
「リンクはどこへ向かったの?」  
「デスマウンテンです」  
「そう……なら、カカリコ村へ行くはずね」  
 ゼルダの視線が絞られる。  
「遠すぎます」  
 インパは冷静な声で言った。  
「そうね……でも、ひょっとしたら、リンクが見えないかと思って……」  
 気丈な人だと思っていたが、やはり少女は少女なのか……  
 インパはため息をついた。もう引き返せない所まで来てしまったのに。  
「姫……後悔してはいませんか?」  
 残酷ともとれる質問を、敢えてインパは放った。むきになって否定してくるさまを予想したが、  
しかしゼルダは平静だった。  
「インパ……あなたは、わたしのことを『姫』と呼ぶわね……」  
 ゼルダが何を言いたいのかわからず、インパは黙っていた。  
「あなただけじゃない、他の人も……『姫』、『姫様』、『ゼルダ様』……でも……」  
 ここでゼルダは初めてふり返り、インパの顔をじっと見つめた。  
「リンクは、わたしのことを、『ゼルダ』と呼ぶわ。ただ、『ゼルダ』と……」  
 それは……と、インパは声には出さず、心の中で答える。  
 それは単にリンクが、高貴な王族に対する口のきき方を知らない田舎者だから……  
 というのが、常識的な答なのだろう。  
 だが、ゼルダの中では、そうではない。  
 リンクはゼルダを、王女という器としてではなく、同志として、友人として、一人の人間として  
見ている。  
 ゼルダは、そう思っているのだ。  
『それが正しいのかもしれない』  
 その思いこそが動機であるならば──世界を救うという行動が、そしてそこに不可欠な  
リンクとの関係が、その思いあるゆえになされ、築かれるものならば──どうしてそれを阻む  
ことができようか。  
 ゼルダは揺れている。揺れてはいるが、揺れている自分を自覚している。  
「あなたを信じます」  
 インパはゼルダに向かい、礼をした。  
 ゼルダの顔には、深い感謝の色が浮かんでいた。しかしそこにはまた、喜び、寂しさ、  
怖れといった、複雑な感情の断片も秘められていた。  
 
 
To be continued.  
 
 

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