夢を見た。  
 少女のゼルダが裸になる、あの夢である。  
 いつものように筋書きらしい筋書きもなく、裸身が幻惑的に揺れ動く情景を最後として、夢は  
終わった。  
 覚めてみると、勃起していた。触れ合う感覚のない夢だったので、欲情が発散されず、  
高まりきったままとなっていた。リンクは自慰を行った。大人の身では久しぶりとあって、  
かの人を思い浮かべつつ射精する快感は絶大だった。  
 快感のあとに、虚無が訪れた。  
 自慰を卑しい行為とは考えない。ただ、現実のゼルダと関係なく快楽にふける自分が、何とも  
寂しく感じられてしまうのは、どうしようもなかった。  
 こんなぼくを知ったら、ゼルダはどう思うだろう。  
 以前、シークに言われた。  
 ゼルダがぼくを脳裏に描いてオナニーしているとしたら、ぼくはとても嬉しい。だから同様に、  
ぼくがゼルダを相手としてオナニーするのを、ゼルダは嬉しく思うだろう──というのだ。  
 その時は──オナニーするゼルダというイメージに動揺したせいもあって──何となく  
受け入れてしまった理屈だが……  
 よく考えてみると、おかしい。ゼルダがぼくを好きであるとの前提でのみ、それは成り立つ  
話なのだ。シークはゼルダに会ったことがないのだから、ゼルダの真情を知っているはずはない。  
なのにどうしてシークは、そう決めつけられるのだろう。  
『いや……』  
 決めつけていたわけではない。妙に確信ありげではあったが、絶対そうだ、とは、シークは  
言わなかった。ゼルダがどう思うかは、当人に会って訊いてみなければわからない──と、  
つけ足してもいた。  
 結局はそこへ行き着く。いま悩んでもしかたがない。ぼくはゼルダが好きだけれど、ゼルダが  
ぼくを好きかどうかは、ゼルダに会ってみなければ……  
 不意に意識する。「好き」という言葉。  
 他者の印象を表現するにあたって、男女の別なく、小さい頃から、しばしば、何気なしに  
使ってきた言葉だ。実際、これまで出会ってきた人たちの中に、好きな人はたくさんいる。  
ところが「ゼルダが好き」と思う時、同じ「好き」でも、そこには特別な意味がある、と、ぼくは  
感じてしまう。そして願うのだ。ゼルダもまた、ただの「好き」ではない、特別な「好き」を、  
ぼくに向けてくれないだろうか──と。  
 どのように特別だというのか。  
 ぼくとゼルダとの間を繋ぐ、他の人との関係にはない、あの「何か」が、それなのか。  
 それが「愛」というものなのか。  
 わからない。  
 これもゼルダに会わなければ解決されない問題だと──  
 後ろでエポナが鼻を鳴らした。  
『起きたのか』  
 空を見上げる。なお支配的な夜の暗みに、厚い雲を通して、ほのかな明るみが染み出している。  
冷ややかな黎明の空気がいまさらのように感知され、身体はぞくりと震えた。  
 懊悩を振り払って、腰を上げる。伸びをする。膝を屈伸させ、胴を左右にひねって、筋肉を  
ほぐす。野宿には慣れているといっても、固い地面に横たえていた身体を効率よく覚醒させるには、  
ある程度の運動が必要だ。  
 オナニーも一種の運動と言えるかもしれないけれど──と考え、思わず苦笑してしまう。  
 朝食を摂るうちに空の明るみは増し、闇に沈んでいたハイラル平原が、風景として認められる  
ようになってきた。リンクは出発の準備をした。当面の目的地はゾーラの里である。  
 さあ、今日もなすべきことをなそう。常にそうあるべきぼくなのだから。  
『……ゼルダに会う日を迎えるためにも』  
 
 デスマウンテンの安定により危機を脱したゴロンシティでは、身を賭して事態の打開に尽力した  
リンクとダルニアに対し、かつてのキングドドンゴ退治の際にもまさる、最大級の賞賛と感謝が  
表せられた。  
 かつてダルニアが炎の神殿に赴いた時点で、その生の姿を目にする機会が永遠に失われたことを、  
ゴロン族の人々はよく承知していた。このたび『炎の賢者』として覚醒し、これまでにも増して  
強力に一族を守護する存在となったダルニアへ、一同は改めて深くしめやかな感情を寄せたのだった。  
 その反動もあってか、現実に存在するリンクを取り巻く歓喜の度合いは相当なもので、放って  
おけば何日も饗応が続きそうだった。リンクは一夜のみを宴に費やし、あとは丁重に辞退して、  
みなの別れを惜しむ声を背に受けつつ、ゴロンシティをあとにした。  
 デスマウンテン山頂における猛炎の消失と、同地の天候回復は、カカリコ村でも大きな話題と  
なっていた。騒ぎに巻きこまれて時間を無駄にしたくはなかったので、リンクはシークとのみ  
接触し、ひそかに成功を喜び合った。  
 次の目標は水の神殿と決まった。またも闇の神殿を先送りにすることになるが、優先して  
救うべきは、さしあたって被害のないカカリコ村よりも、凍結したゾーラの里と、やはり魔物が  
出没しているハイリア湖である──とシークは主張し、リンクも同意したのである。  
 ただ一つ、シークは気がかりな点を述べた。ここ数日、村の井戸の水位が不安定な変動を  
示している、というのだ。  
「いまのところ実害はない。とはいえ、捨て置けない気がする。君と行動をともにしたいのは  
やまやまなんだが、そういう事情で、僕は村にとどまる」  
 リンクはこれにも頷き、食料、水、残り少なくなっていた矢など、旅と戦いに必要な品を  
補充した上で、エポナとともにハイラル平原へと乗り出した。  
 まっすぐハイリア湖へ向かう気はなかった。  
 ゾーラの泉にいた大妖精は、大人になったらまた来い、と言っていた。デスマウンテン火口の  
大妖精が、炎の神殿を攻略するのを助けてくれたのだから、水の神殿の攻略にあたっては、  
その地に関連したゾーラの泉の大妖精から、何らかの援助を得られるのではないか。  
 いまリンクがゾーラの里を目指しているのには、そうした理由があったのである。  
 
 この世界のゾーラ川は、水量を減じつつも、ある程度の流れを保っていた。ゾーラの里に続く  
渓谷も、水が涸れきっていた改変前の世界とは異なり、曲がりなりにも川としての姿をとどめていた。  
 エポナを平原の脇の空き地に残し、リンクは渓谷を遡行した。急な傾斜に加え、足に抵抗を  
及ぼす水流が、リンクの息を弾ませたが、七年前に経験した激流とは段違いの穏やかさであり、  
前進を妨害するには至らなかった。淵にひそむオクタロックが思わぬ障害となったものの、  
吐いてくる石を盾で跳ね返せば、退けるのは容易だった。  
 最上流の寒気は厳しいものだった。しかし凍結した滝が形づくる氷塊は、改変前よりは規模が  
小さく、川に流れが残っている点とも併せ、寒気の程度が多少は弱いのだろう、と推測された。  
ただ、里への進入路である洞穴が完全に塞がっている点には変わりがなかった。  
 改変前にここへ来た時は、諦めざるを得なかった。が、いまは手ぶらでは帰れない。  
 リンクは方法を模索した。  
 氷を破壊するのに最適であるはずのハンマーは、手元にない。持ち歩くには厄介な大きさであり、  
また、もともとゴロン族に縁の深い品であるという理由もあって、ゴロンの現族長に引き渡して  
きたのである。  
 次に思いつくのは爆弾だ。ゴロンシティで補給を受けられたので、手持ちの数は充分。だが  
水に濡れる場所では使用できない。  
 結局、自身の腕力を使った。『銀のグローブ』を装着して氷を殴りつけ、長い時間をかけて  
削り取り、最後には無理やり引っぺがして、どうにか洞穴を目にすることができた。  
 
 洞穴の奥は、一面が氷に包まれていた。清澄な水に満たされたかつての光景と、幻想的である  
点は同じでも、いまのゾーラの里は、ただ一つとして動くもののない、荒涼とした無音の世界だった。  
 あちこちに氷の柱が立っていた。人の身長ほどの高さがあるそれらは、見ればそのとおり、  
ゾーラ族の人々が凍りついてできたものであり、リンクを驚愕と痛憤に誘った。  
 一族みんなが脱出もできないまま凍ってしまったのだから、ガノンドロフの攻撃は、よほど  
急激な温度低下をもたらすものだったに違いない。いまは静まりかえっているが、当時ここを  
襲ったのは、言語に絶する猛吹雪であっただろう。  
 しかし──とリンクは考える。  
 凍りついた人々は、もちろん微動だにしない。けれども、表情はいまにも動き出しそうな生彩を  
有している。肌にもつやがうかがえる。凍っただけで、死んではいないようだ。氷が溶ければ、  
再び活動可能になるのではないか。  
 改変前の世界でデスマウンテンを大噴火させ、ゴロン族を皆殺しにしたガノンドロフなら、  
ゾーラ族の復活を防ぐために凍った身体を破壊しつくすくらいのことは考えそうなものだ。  
あるいは改変前には、実際、そうした事態が起こっていたのかもしれない。それがこの世界で  
起こらなかったのは、寒冷攻撃の直後に張られたルトの結界が、ガノンドロフのさらなる侵入を  
阻んだからだろう。里の氷結を防ぐには遅すぎた結界だが、ゾーラ族復活の可能性は残して  
くれたのだ。  
 その復活をもたらすのは自分──と意志を固めるリンクが、ふと感じ取ったのは、冷気による  
皮膚の痛みである。  
 これまで行動にさしたる影響がなかったので、甘く見ていた。急な変化ではないというだけで、  
体温は徐々に低下しているのだ。ぼやぼやしていると自分も凍ってしまう。  
 リンクはあわただしく先に向かった。  
 
 ゾーラの泉もまた、完全な氷結をきたしていた。ジャブジャブ様の姿は影も形もなく、代わりに、  
触れれば重度の凍傷は免れないアイスキースやフリザド、ウルフォスよりも大型のホワイト  
ウルフォスといった魔物がうろついていた。戦って倒せないほどの強敵ではないが、かまっている  
うちに寒さで倒れてしまいかねない。できるだけ戦闘を避け、リンクは対岸へと急いだ。  
 デスマウンテン火口の大妖精の泉が、外界とかけ離れた環境にあったのと同様、ここでも、  
泉のある洞穴の中は、外の寒さとはうってかわった暖かさだった。ほっとしつつ呼び出した  
大妖精は、水の神殿向けの助力を要請するリンクに快く承諾の返事をし、大盤振る舞いをしてくれた。  
 まず服に新たな効果が加えられた。水にもぐると『ゾーラの服』に変化し、水中でも呼吸可能に  
なる。耐寒仕様でもある。『ゾーラのうろこ』のような時間制限はない。  
 次はブーツである。踵の外側を圧迫すると、重量のあるヘビィブーツとなり、水底を歩くことが  
できる。ただし重いだけに、行動の自由は制限される。同じ部分を圧迫すれば、いつものブーツに  
戻る。  
 改変前の水の神殿は、名に反して水のない場だったが、いまのハイリア湖は、少ないとはいえ  
ゾーラ川の水を溜めているはずだから──事実、シークはそう語っていた──こうした装備は  
確かに必要となるだろう。  
 礼を述べるリンクに対し、大妖精は何の代償も求めなかった。デスマウンテン頂上の大妖精と  
同じく、肉体を満足させるのは初回だけでよい、ということのようだった。  
 
 大妖精と別れたリンクは、ゾーラの泉で、授かったばかりの助力を確認してみた。水がすべて  
凍結した状態では、水中における『ゾーラの服』の効果を確かめることはできない。が、  
耐寒作用は明白で、色を青く変えた服に身を包み、冷気を全く気にすることなく、リンクは  
片っ端からあたりの魔物を倒していった。ヘビィブーツによってもたらされる重量増加、そして  
歩行の困難さも、すぐに実感できた。  
 そののち里に戻り、王の間へ赴いた。キングゾーラの肥満体は、人一倍の大きさの氷で  
包まれていた。変わり果てたその姿は、リンクの胸を重くし、しかし同時に、救いの意志をも  
熱くかき立てるのだった。  
『もうちょっとだけ待っていてくれ』  
 キングゾーラのみならず、ゾーラ族全員に心で呼びかけ、リンクは酷寒の地をあとにした。  
 
 ハイリア湖に着いたのは五日後である。  
 鬱陶しい曇天のもと、湖面はかつての半分ほどに狭まっており、広いハイラルでも随一と  
思われた、あの風光明媚な印象を、胸の内に再現させることはできなかった。それでも水が  
ほとんど失われていた改変前の状態とは大違いで、自然が潤いをとどめている点に、リンクは  
どうにか慰めを得た。  
 再会したみずうみ博士は、驚きと喜びをあらわにしてリンクを歓待してくれた。容姿には  
必然的に七年分の老いが加わっていたが、親切さと剽軽さは相変わらずで、リンクは深い安らぎを  
感じられた。  
 探りを入れてみたところ、博士はルトが水の神殿に入った経緯を知ってはおらず、湖の周囲に  
結界が張られていることにも気づいていなかった。もともとゲルド族がめったに訪れない  
場所なので、彼女らの侵入を抑止する結界の効果を実感できていないのだった。  
 そのめったにない侵入により、改変前には命を失っていた釣り堀の親父は、禿げた頭に七年の  
歳月を語らせつつも、健康そのものの身体をカウンターの向こうに置いていた。親父はリンクの  
ことを覚えており、以前、ルトを伴って訪れた際にキープした魚を、いまも大事に飼い続けていた。  
やや乱暴に聞こえる訛りとは裏腹の、その意外な律儀さを、リンクは微笑ましく、また嬉しく思った。  
 シークの言に違わず、ハイリア湖にも魔物はいた。水中のオクタロック、湖岸の青テクタイト、  
空中のグエーといった連中を、見える範囲でリンクは一掃した。二人の住人には感謝されたが、  
もともと彼らにとって魔物はさほど脅威でもなかったようである。好奇心旺盛なみずうみ博士は、  
魔物を恐れてはいなかったし、釣り堀の親父ものんきなもので、魔物がいようがいまいが客足の  
少なさに変わりはない、と開き直っていた。  
 リンクは魔物の存在を軽視できなかった。弱敵ではあっても、ガノンドロフの魔力が結界を  
越えて浸透している明らかな証拠であるからだ。魔物は神殿内にも送りこまれている可能性が高く、  
それはルトの安全が脅かされていることを意味する。  
 そのルトから──と、思い出深い第二の小島を訪れたリンクは、ため息をつきながら考えた。  
 七年前、ここでぼくは一方的に別れを告げられ、のちにゾーラの里を訪れた際も、結局、  
会ってはもらえなかった。いまのルトは、キングゾーラやシークの説得で、『水の賢者』としての  
自らの意義を知っているはずだから、会ってもくれない、ということはないだろう。けれども  
真の覚醒に必要な、あの行為を、ルトは果たして承諾するだろうか。ぼくにしたって、ルトと顔を  
合わせた時、どう振る舞えばいいというのか。ルトがあれほど態度を頑なにした理由を、ぼくは  
いまだに知ってはいないのだ。  
 が……  
 どうであれ、ぼくはルトに会わなければならない。すべては会ってからの話だ。それに、  
これまでの経験からして、簡単に会えるとも思えない。神殿には数々の試練が待ち受けている  
だろう。まずそこを乗り越えなければ。  
 懸念をいったん脇へ置き、リンクは来たるべき戦いに向け、闘志を高めるのだった。  
 
 減少しているとはいえ、湖は無視できない量の水を残していた。生身の人間ならば、湖底にある  
神殿の入口へ到達することは、とうてい不可能な状態である。  
 リンクは臆せず湖に身を入れた。衣服が青色に変じて『ゾーラの服』となる。履き物をヘビィ  
ブーツとすることで、歩行は重く、緩慢とならざるを得なかったが、それ以外は、いかなる動作、  
いかなる感覚にも支障はなかった。もちろん呼吸にも問題はない。ただ、閉ざされた入口の前まで  
行って初めて、水中ではオカリナを演奏できないのだ、と気づいた。ブーツを常態に戻し、水面に  
浮いて『水のセレナーデ』を奏でる。再び沈むと、入口の扉は大きく開いていた。  
 神殿の中央部は、三層となった、縦長い吹き抜けの空間である。そこは薄明るい光と、そして  
水とで満たされ、かつては届かなかった上層部に泳ぎ至ることができた。一方は舞台のような床と  
なっており、意味ありげな石像が立っていて、奥に扉が見える。興味を惹かれたが、床の位置が  
高く、水面からは這い上がれない。そこは後まわしにし、各層の四方に伸びる通路を先に調べる  
こととした。  
 魔物は意外に少なく、対応も困難ではなかった。青テクタイトは、もはや馴染みの敵である。  
シェルブレードは大きな貝で、水底を跳ねながら体当たりをかましてきたが、殻が開いた瞬間に  
剣で貝柱を切断すれば、それで終わりだった。水中と空中を自在に滑走するスティンガも、剣や  
矢で対処可能だった。金属的な棘の生えたスパイクは、見かけの割には脆弱で、盾をぶつけて棘を  
引っこませると、あとは剣で容易に片づけられた。  
 問題は神殿の構造そのものだった。以前、水溜まりで足止めされた所は、『ゾーラの服』と  
ヘビィブーツで通り抜けることができる。しかし道筋は複雑で、行き止まりや堂々めぐりは  
しょっちゅうだった。  
 さまよううち、壁にトライフォースの印があるのに気づいた。計三箇所である。各々の前で  
『ゼルダの子守歌』を奏してみると、驚いたことに、それで神殿内の水位が調節できるのだった。  
各層をくまなく探索するにはどうしても水位を変えなければならない、と思っていたリンクは、  
行動範囲の拡大を喜んだ。結果は迷う範囲が拡大しただけのことだった。  
 
 見当もつかないほどの長時間、行きつ戻りつを繰り返した末、それでもやっと新しい道が  
見つかった。リンクは安堵の息をついた。  
 ここまで苦労したけれど、もうさすがに、あらかたの部分は探索できただろう。大した敵も  
いない。この分なら、あとは案外、簡単に……  
 道の突き当たりに扉があった。  
 開く。  
 驚愕した。  
 広漠な湿地帯なのである。神殿の外に出たのだ、と、一瞬、思った。  
 いや、違う──と惑いを振り払う。  
 ハイリア湖にこんな湿地帯はない。霧が立ちこめていて、四囲には何も見えないが、神殿の中で  
あることは間違いない。  
 考えは当たっていた。湿地帯を横切ってゆくと、扉があった。  
 開かなかった。  
 元の扉の所に引き返すと、これもいつの間にか開かなくなっている。  
 例によって、閉じこめられたのだ。ここには必ず何かがいる。  
 剣を抜き、再び湿地帯へと足を入れる。警戒しながら、ゆっくりと歩を進める。  
 二つの扉の中ほどで、水面の上に土が盛り上がっており、一本の木が生えている。横目に見て、  
さらに進む。  
 何もいないのか──といぶかしく思った刹那、背後に気配を感じた。  
 急いでふり返る。  
 木の横に人が立っていた。  
 
 何者──と思う間もなく駆け近づいてきたその人物を眼前にして、リンクはまたも驚愕に打たれた。  
 それは「自分」だった。  
 体格も、顔つきも、服装も、手にした剣の形状までも、自分と全く同一なのである。ただ全身が  
黒く、両目が赤く光っている点だけが違っていた。  
 混乱するリンクの内心など毛ほども勘案しない、といった塩梅で、その人物は斬りかかってきた。  
マスターソードで受ける。二つの剣が火花を散らせてぶつかり、腕は衝撃でびりびりと震えた。  
 間もおかず次々に攻撃がくる。上から、中から、下から、あらゆる位置から剣が繰り出される。  
そのつど剣で防ぎながら、リンクの驚きはやまなかった。  
 戦闘時の動作もそっくりなのだ。自分自身を見ているとしか思えない。  
『馬鹿な!』  
 まやかされるな。こいつはただの敵だ。森の神殿にガノンドロフの分身がいたように、こいつも  
ガノンドロフの魔力が作り出したぼくの偽者に過ぎないんだ!  
 言い聞かせつつも、猛然と攻め立ててくる相手に対し、リンクは受け身にならざるを得なかった。  
 これまで多くの魔物を倒してきたリンクだったが、人を斬った経験はなかった。人に対しては  
──ゲルド族を相手にした時でさえ──できるだけ剣は振るうまい、と心がけてきた。そのせいで  
どうしても後手に回ってしまう。  
 まして相手が自分と同じ姿とあっては……  
『そうじゃない!』  
 再びおのれを叱咤する。  
 ガノンドロフの分身を斬ったぼくじゃないか。姿形がどうであっても、こいつが魔物である  
ことに変わりはないんだ!  
 攻勢に移る。ひたすら身体を前に出し、息をもつかせぬ勢いで、縦に横にと剣を振る。  
 完璧に防がれる。  
 これならと思った回転斬りすら避けられた。  
 剣の腕は互角──と長期戦を覚悟する。が、延々と斬り合いを続けるうち、互角とも言えない  
ことがわかってきた。  
 時間が経つにつれ生身のぼくは疲れてくる。ところが相手は──魔力が生み出した存在である  
せいか──疲れの色をうかがわせない。そればかりか勢いは増す一方だ。長引けば長引くほど  
ぼくが不利。  
 
 そのとおりだった。こちらの剣がいっこう相手に届かないのに、相手の剣はこちらの皮膚を  
かすめてくるようになった。流れる血が力の源とでもいうふうに、敵はますます攻撃に激しさを  
加える。  
 打開策はないか。他の武器を使ってみるか。  
 ハンマーは? ない。  
 矢は? 弓を構えている間に攻撃される。  
 爆弾は? やはり爆発まで時間がかかる。それに下は水。  
 デクの実は? これは有効かも。  
 右手を懐にやり、つかんだ実を水面に叩きつける。場を満たす閃光。自分の視界が奪われない  
ようにと一時そむけた目を前に戻した時、  
『いない!?』  
 気配が後ろに移っていた。即座に前転し、殺到する剣をどうにか避ける。起き上がりかけた  
ところにまた剣がくる。ぎりぎりで受ける。  
 デクの実もだめか。小技は効かない。  
 剣戟が再開される。さらに数え切れない攻防を経るうち、彼我の疲労の差が明らかとなってきた。  
 下手に攻めると隙を衝かれる。かといって守りのみでは勝てない。その守りさえも完全とは  
いかず、受ける傷の数が増えてゆく。  
 このままではやられる。思い切って──  
「たぁッ!」  
 全身の力をこめて突く。温存していた攻撃手段。これで意表に出られれば──  
 意表に出られたのはこっちだった。相手は軽々と飛び上がり、突き出したマスターソードの  
刃の上にふわりと降り立った。  
「!?」  
 予想もしなかった行動への驚きと、手に体重が感じられない奇妙さを自覚する暇もなく、剣が  
頭上から襲ってきた。咄嗟にマスターソードを手放し右へ跳びすさるもわずかに遅く、左の腿に  
鋭い疼痛が走る。  
『やられた!』  
 水面に倒れる。重傷ではないがすぐには立てない。敵が迫る。こちらに剣はない。何もない。  
避けられない。どうしようもない!  
『まだだ!』  
 顔に残虐な笑みを浮かべてとどめとばかり剣を振り上げる相手をしっかと睨みつけ、  
「『ディンの炎』!」  
 放つ奥の手。生じた猛炎は周囲へ放射状に拡大する。不思議にも熱は感じない。が、威力は強大。  
敵は全身を燃え上がらせ、黒い身体をいっそう真っ黒に焦がして棒立ちとなる。やがて炎は消える。  
敵は動かない。動かないが倒れもしない。まだ終わらずと判断し、傍らのマスターソードを手に  
戻す。立ち上がる。正面から一気に斬り下ろす!  
 二つに割れたもう一人の自分が、無数の黒い粒子と化して消えてゆく。やはり魔であったか──  
との安慮が勝利の実感を呼び寄せた時、霧は晴れ、四方の遠くに壁が見え、場は広大な一室という  
真の姿を明らかにした。  
 
 入ってきた扉は閉まったままだった。その前の床に腰を下ろし、左腿の傷に応急処置を施しつつ、  
リンクは激闘を顧みた。  
 貴重な魔法を使わなければ勝てなかった。他の魔物が少ないのを補って余りある最強の敵だった。  
あとは簡単かと思ったのは大きな間違い。この先も決して油断はできない。  
 心を引き締め、身を立たせる。左足を踏ん張ると傷に響いたが、歩行に大きな支障はない。  
 もう一つの扉に向かうと、こちらは開くようになっており、先は小さな部屋だった。床の中央に  
大きな箱が置かれている。  
 ここでも──と期待を抱き、箱の蓋をあける。見慣れない品が入っている。  
『これは?』  
 手を伸ばしかけた時、  
 ──リンク……  
 声がした。頭の中に直接語りかけてくるように。  
 ──そなた、リンクじゃな。わらわじゃ。  
「ルト?」  
 ──いかにも……わらわは、ゾーラの王女、ルト……  
 独特の口調でそれとわかったのだが、声が以前とは違っている。やけに落ち着いた様子なのだ。  
 ──七年前の、二人の契り、すべて覚えておるぞ。七年もわらわを放っておくとは、そなたも  
ひどい男じゃ。  
 思わず反論したくなる。  
 それは違うだろう。ぼくの顔も見たくないと言ったのは、そっちじゃないか。訪ねても会って  
くれなかったのは、そっちじゃないか。ぼくは君の態度が気になってしかたがなかったというのに、  
どうしていまさらそんなことを。お姫様の気まぐれというやつなのか。  
 いや、そうではあるまい──とおのれをなだめる。  
 台詞とは裏腹に、ルトの話しぶりは穏やかで、どこか戯れているような趣がある。あの頑なさも  
消え失せているようだ。とすると……  
 ──じゃが、いまはゆっくりと思い出を語らっておる時ではない。  
 ルトの声が真剣味を帯びた。  
 ──そなたも見たであろう、凍りついたゾーラの里を。わらわだけはシークという若者に何とか  
助けてもろうたが……父も、一族みなも……  
 苦渋に消えかかる声が、一転して強くなる。  
 ──わらわはみなを助けたい。ゾーラの里を救いたいのじゃ。そなた、力添えしてたもれ。  
わらわからの頼みじゃ。  
 もちろんだとも。けれど、そのためには……  
 ──よいか。そのフックショットをうまく使うのじゃ。さすれば……そなたと、わらわは……  
再び……  
 そこで声は絶えた。何かに妨害されたのではなく、ルトが自ら言葉を切ったという感じだった。  
それでも続きはわかる気がした。  
 二人の間に「再び」生じるべき行為を、ルトは拒んでいない。いや、それどころか……  
 なお把握しきれない点はあるものの、ルトの思いが察せられたことで、リンクは胸を安んじさせた。  
 
 ところで──と、リンクは箱の中の品に改めて目をやった。  
 フックショットとか言っていたが、これはどういうものなんだろう。ルトも使い方くらい教えて  
くれればいいのに。  
 太く短い筒。一端に三角形の握りがついている。もう一方の端には、先が鏃のように尖った  
金属塊。重みはあるが、片手で楽に持てる。  
 握りの部分に小さな突起がある。握ったまま指で押せる位置だ。これで操作するのか。  
 押した瞬間、先端の金属塊がものすごい勢いで飛び出し、あっという間に戻ってきた。金属塊に  
鎖がついていて、それが伸び縮みするのだ、とわかった。  
 遠隔攻撃用の武器らしい。  
 威力を試すため、部屋の隅から箱を狙ってみた。放たれた金属塊は箱に突き刺さり、しかし  
それを破壊はせず、自分の身体の方がぐいと引っぱられた。箱に激突する寸前に体勢を整え、  
どうにか怪我はせずにすんだ。次に落ちていた木片を狙ってみると、これは手元に引き寄せられた。  
 固定された物体に打ちこめば、そこへ瞬時に移動できるのだ。軽い物ならば、離れていても  
居ながらにして入手が可能。多目的で有用そうな道具である。  
 フックショットを右腰に吊るし、リンクは次の進路に目を向けた。  
 部屋の端の床に穴があり、底から激流の音が聞こえてくる。階段はなく、進むとすれば  
飛び降りることになる。危険な気もするが、あとへは戻れないのだから、そうするしかない。  
 飛び降りた所は、案の定、水の中だった。あっという間に身をもっていかれそうになる急流  
だったが、あらかじめヘビィブーツにしておいたので、流されることはなかった。ところどころに  
ある渦に巻きこまれないよう注意しながら、曲がりくねった水路の底を歩き進むうち、見覚えの  
ある場所に出た。先に探索した時は行き止まりと思っていた地点である。その天井近くに、前には  
気づかなかった出口が開いていたのだった。  
 リンクは神殿の中央部へと向かった。フックショットが大いに役立った。魔物は離れた位置から  
瞬殺できる。剣で接近戦を挑む必要がなく、不要な危険は回避できるのだ。また──これまでも  
目に留まりながら意味がわからなかったのだが──的のような白い輪を描いた板が、壁や天井の  
あちこちに貼りつけられており、フックショットでそれらを狙えば、水位を変えなくとも、  
立体的な移動が可能だった。初めは行き着けなかった、舞台状の高い床の上へも、石像に貼られた  
的を利用することで、無事に到達できた。  
 奥の扉をあけ、短い傾斜路を登ると、またもや扉である。ただし今度の扉は豪華な装飾が施され、  
いかにも重要なものがひそんでいそうな雰囲気を醸し出していた。  
 その先が最後の未探索領域。  
 いかなる状況にも対応できるよう、すべての装備を確認し、さらに心をも整えてから、リンクは  
扉を押し開いた。  
 
 そこは広い部屋で、床面のほとんどが深く陥没し、大量の水を容れていた。巨大な水槽といった  
様相である。歩ける場所は狭く、通路状となった細い床が部屋の四方をめぐっている他は、  
水槽内にいくつかの足場があるだけだった。  
 足を踏み出すやいなや、背後の扉がひとりでに閉まった。予想していたことであり、心は乱れない。  
 ただ──とリンクは不思議に思った。  
 怪しげなものは見受けられない。室内は明るく、拍子抜けするほど平穏だ。水槽に満たされた  
水は、透明で、きれいで、身を浸したくなるくらい……  
 ──リンク! 気をつけよ! それはただの水ではない!  
 声が響いた。はっとして、  
「ルト?」  
 顔を上げると、離れた所で水面が不気味に振動していた。と見るや、そこからいきなり水の柱が  
立ちのぼり、リンクめがけて突っこんできた。  
 咄嗟にバック宙で回避し、マスターソードを抜いて身構える。  
 水そのものが敵だったと!  
 水柱はリンクを目指して水面を移動してくる。くねくねと蠢くさまは、あたかも触手のようだ。  
『触手?』  
 思い出す。ツインローバに見せられた幻影。ルトを襲っていた透明な触手。  
 あれがこいつなんだ。水に身を浸すなどしたら、とんでもないことになる。  
 迫る触手に神経を集中し、間合いをとって、細い床の上をじりじりと後退する。後退しつつ、  
攻撃手段を考える。  
 相手は水だ。剣で斬るのは無理かも。かといって他に有効な方法は──  
 不意に腹部が圧迫された。ぎょっとして目をやると、触手が巻きついている。  
『しまった!』  
 触手は一本ではなかったのだ。目の前の一本に注意を奪われ、背後から別の一本が近づいて  
いるのに気づかなかった。  
 斬りつける。手応えはない。案じたとおり、全く痛手を与えられない。  
 もがくうち、元の一本までが巻きついてきた。  
 締めつけられる。引っぱられる。踏ん張ろうとしても歯止めはきかず、とうとう水中に  
引きずりこまれる。  
 とたんに圧迫の範囲が広がった。透明で見分けはつかないが、無数の触手が全身を絡めとって  
いるのだ。『ゾーラの服』のおかげで呼吸はできるものの、行動の自由を奪われてしまった。  
 突破口を求めてさまよわせる目が、奇妙な物体を捉える。目玉のような赤い球体が、水中を  
ゆらゆらと漂っている。  
 水とは異なる固体。あれが敵の核だろうか。狙うとすればあれしかない。だが位置は遠い。  
剣は届かない。遠隔攻撃しかない。水中では弓を使えないから──  
 
「!!」  
 触手が服の下に侵入してきた。皮表をやたらに撫でられ、ぞっとしてしまう。単なる水ではない  
気味の悪い生物に弄ばれているという実態が、ありありと自覚された。  
 問題は感覚ばかりではない。触手の侵入で服が緩んでいる。脱がされてしまえば息ができなくなる。  
そうなったら終わりだ。  
 締めつけに抗し、全力で右手を腰へと伸ばし、フックショットをつかみ取る。揺れ動く核に  
どうにか狙いをつけ、発射しようとした瞬間、  
「ぐ──!」  
 股間が攻撃にさらされた。触手が下着の中に押し寄せ、陰茎を揉みしだく。手とも口とも膣とも  
肛門とも異なる奇怪な、しかし絶妙な感覚に、是非なくそこは勃起してしまう。  
『こんな時だというのに……』  
 焦りと羞恥が集中力を奪う。必死で立て直そうとする意識は、  
「お!」  
 さらなる動揺でぐらついてしまう。触手が肛門の方へも伸長したのだ。何が起こるかが想像され、  
『冗談じゃない!』  
 それだけはさせじと残る意識を一点に集め射出するフックショット。先端はみごとに核を  
突き刺し、次の瞬間それは眼前に手繰り寄せられる。剣を食らえと構える左手は、突然無軌道と  
なった触手群の動きに妨げられ、その隙に核は間合いを脱し、水中を、水上を、足場の上を、  
ぽんぽんと不規則に跳ねてゆく。触手は統制を失ったまま、リンクの身体を空中へと持ち上げ、  
ぐるぐると乱暴に振りまわし、あげく無造作に投げ捨てる。  
 壁に叩きつけられ、次いで床に落ちた身体を、痛みに耐えて起き立たせ、リンクは再び  
戦闘態勢をとった。  
 危ないところだった。二度と触手に捕まらないようにしなければ。  
 その触手は、核を引き抜いたあと動きを乱していた。やはり奴の急所は、あの核なのだ。  
 跳ねまわっていた核は、いつの間にか水中に帰っている。触手も統制を取り戻している。  
 今度は背後にも細心の注意を払いながら、核の動きに目を据える。水中では遠すぎて狙いを  
つけられない。とはいえ近づくと触手に捕まる。なかなか手を出せない。触手も伸びる長さに  
限界があるようで、やみくもな攻撃はしかけてこない。  
 持久戦となった。  
 長時間の睨み合いに耐えられなくなったのは敵の方である。  
 水上に突き出た触手の内部に核が入りこんだ。直後、触手はいままでにない長さとなって  
襲いかかってきた。  
 寸前でかわし、瞬時に対応する。  
 触手を伸ばすのに核の移動が必要だった。おかげで核が目の前だ!  
 機を逃さず放ったフックショットは触手を突き破り、捉えた核を手元に送る。またも跳ね去ろうと  
する核を、逃がしはしないと剣で斬る。  
 明瞭な手応え。  
 攻め時はいま!  
 腕に力をこめて斬りまくる!  
 最後の一撃で核は弾け飛ぶ。触手の形態は失われ、水は沸騰するがごとく盛り上がり、  
あちらこちらが不統一に膨張し、収縮し、宙に飛び上がり、天井に張りつき、痙攣し、少しずつ  
少しずつ小さくなり、とうとう一つの雫となってぽとりと部屋の底に落ち、さらに数個のかけらに  
割れ、ついには痕跡も残さず消滅した。  
 
 その瞬間を待ちかまえていたとでもいうふうに、ぽつんと青い光点が出現した。緊張を  
脱せないまま立ちすくむリンクの前で、みるみるうちに数と輝きを増した光点は、徐々に人の姿を  
形成し始める。場を圧するほどとなった光が、ふと強さを失ったあとには、弾む息をたちどころに  
止めてしまうくらいの、驚くべき姿態が実体化していた。  
「リンク……」  
 返事もできない。これが──  
「実にあっぱれな戦いぶりであったぞ」  
 ルトなのか? あのルトなのか?  
「これで、ゾーラの里も、一族の者たちも、いずれ、元に戻るであろう……」  
 サリアはコキリ族だから、七年経っても子供のままだった。もともと大人だったダルニアは、  
身体にほとんど変化がなく、七年の経過を感じさせなかった。ところがルトの場合は……  
 七年という時間が、なんという著しい変化を、その風貌にもたらしたことか。  
 ためらいなく全裸をさらす習慣は変わるはずもない。体内が透けて見えそうな青白い肌も  
そのままだ。でも背は伸びた。すっくと立つ身の頭の位置は、ぼくとほとんど同じくらいだ。  
七年前はぼくより少し高かったから、ぼくが追いついた形ではあるのだが、男として決して  
低くはないぼくの身長と同等というのは、女性としてはかなりの成長と言っていいだろう。  
また、滑らかな曲線を描く躯幹が、すらりとした伸びやかな四肢が、すでに七年前その片鱗は  
示されていたものの、いまは完全な均整をもって、広めの肩幅とともに、泳ぎを得意とする者の  
理想的な体型を形づくっている。  
 さらには……やはり七年前に花開き始めていた女のしるしが、いまや満開となって……控えめな  
胸のふくらみは、はちきれんばかりの豊かな実りとなって……下腹部のささやかな黒い翳りは、  
あたりに及ぶ密な茂みとなって……子供と大人の中間という一種独特の美しさは、大人の女の美を  
誇らしく歌い上げるまでに完成されて……  
 そう、ルトは大人になった。七年前のあの少女は、すっかり大人になったんだ。  
 成長は表情にもうかがえる。整った美貌は、なおいっそう洗練されて……高慢で、わがままで、  
かと思えば、頼りなげで、一途で、人前で大泣きすることも辞さない、あの頃のそんな感情の  
起伏の大きさが想像もできないほど、頬に浮かぶ微笑みは、静けさ、穏やかさを湛えていて……  
 声もだ。さっき声を聞いた時、前とは違っていると思った。そこに感じられる自若さは、  
肉体的な面だけではなく精神的な面でも、ルトが大人として成熟したのだと教えてくれる。  
のみならず、決然とした意志を、王女としての威厳を、それは思わせるまでになっていて、  
といっても他人行儀な冷たさはなく、あくまで親密な温かさが、それには明確に備わっていて……  
「そなたの力添え、深く感謝する。さすが、一時はフィアンセとして、わらわが選んだだけの  
ことはある」  
 ああ、それだ。その件で、七年前、ぼくたち二人が別れる際に、そして別れたあとにもルトが  
ぼくに示した頑なな態度。それはいま、嘘のように和らいでいるようだけれど……  
「では、その褒美として、そなたには、我が永遠の愛を与えよう」  
 え!?  
「──と言いたいところであったが……」  
 びっくりした。本気ではないのか。悪戯っぽい口調。やっぱりルトは戯れとして……  
「それは、いまのわらわには、かなわぬ願いのようじゃ」  
 諦めを意味する言葉なのに、哀しみの色は見えない。むしろ事態を、自分自身を、面白がって  
いる感じだ。  
 深刻でないのはいいとしても、  
「ルト……」  
 訊いておかなければ。  
「そのことで……ぼくたちは……七年前にあんな別れ方をして……君がどうして急にああいう  
ふうになったのか、ぼくは全然わからなくて……もし君が腹を立てたのなら……そうなのかどうか、  
わからないけれど……でもわからないのはぼくの察しが悪いからで、だからぼくは君に……いや、  
ぼくが間違ってたというわけじゃ……ただ……それでも……どうにかしないと……いけないんじゃ  
ないかと──」  
 
 は!──とルトは笑いを漏らした。女心を洞察できない単純さ、当の自分へ疑問を直接  
投げかけてくる素朴さに、思わず誘われた笑いだった。  
 リンクが言葉を切り、戸惑いの表情となる。  
 微笑みを残したまま、ルトは胸に染みる温かさを自覚した。  
「そなたの、そうした心遣い、嬉しゅう思うぞ」  
 七年前と全く変わらない、そのまっすぐなところが、リンクのリンクたる所以なのだ。  
「わらわは腹など立ててはおらなんだ。そなたは何も間違うてはおらぬ」  
 とはいえ……  
「別れの折り、わらわが言うたことは──」  
 リンクには罵倒としかとれなかっただろう。  
(二度と、そなたの顔は、見とうない)  
 想いを断つには、すべての繋がりを断つしかすべはない、あの時の自分だった。あそこまで  
言わなければ、リンクにも、自分にも、それを徹底させることはできなかった。里に来た  
リンクとの対面を避け通したのもそのためだ。が、そんな自分の態度は──  
「──あれは、わらわのわがままであった」  
 そう、リンクを想う自分が独善に凝り固まっていたように、リンクを拒絶する自分もまた、  
独善に囚われていた。自分のことしか考えられなかった。自分の態度がリンクにどんな混乱を  
引き起こしても、自分を守るためにはかまわないという、あれは身勝手さの表れに他ならなかったのだ。  
「省みて、自身の醜態が、恥ずかしい。そなたには、まことにすまぬことであった」  
 
 リンクの戸惑いは続いていた。  
 あれがわがままだった、という意味が、正直、ぴんとこない。けれど、ルトは怒っていたのでは  
ないと、ぼくを嫌いになったのではないとわかった上で、そしてこの殊勝な態度を鑑みた上で、  
もう一度、あの時のことを想起してみると……  
 困惑が納得へと移ろってゆく。  
 ぼくと結婚するとまで思い詰め、しかしその願いを断たねばならないとなったルトは、ああでも  
しなければ、耐えられなかったのだろう。  
 初めは甘い親愛を、次には嵐のような激情を寄せてくるルトに翻弄され、さらにはあの  
素晴らしい交わりに心を踊らせていた当時のぼくに、そこまで推し量る余裕はなかったのだが……  
「ぼくの方こそ、すまなかった。気づいてあげられなくて」  
 遅まきながらと差し出す思いは、優しい否定の仕草で受け入れられる。溶けてゆく七年越しの  
わだかまりをしみじみと見送るうち、  
「──という次第じゃ」  
 ルトがさばけた口調で言い始める。  
「過ぎたことにはこだわるまいぞ。大切なのはこれからのこと。わらわは『水の賢者』として、  
水の神殿を守り、ゾーラの里とハイリア湖を守り、また、世界を救うべく、そなたに力を託さねば  
ならぬ身じゃからの」  
「それも──」  
 心に残っていた、いま一つのしこり。  
 二度と元の世界には戻れないという厳しい運命を、君に背負わせるわけなのだから──  
「賢者のことも……ぼくがちゃんと言っておかなくちゃならなかったのに……」  
「気にせずともよい」  
 あくまで静穏なルトの言葉。  
「賢者の件は、父から何度となく聞かされておったし、シークにも懇々と諭された。いまでは  
そなたの使命も、自身の立場も、よう理解しておる。それがゾーラの王女たるわらわの務めじゃ」  
 粛然と頷きを返しながら、ルトは大人になったのだ、と、リンクは改めて強い印象を持った。  
 過去の行き違い。現在の境遇。未来の運命。それらすべてを静かに受容するあり方は、  
王女として、賢者として、七年を生きてきたルトの、驚くばかりの成長を物語っている。  
 ぼくなんかより、ずっと大人だ。もともとルトはぼくより年上だけれど、歳の差だけでは  
説明できないくらいの差が、ぼくたちの間にはできている。  
 一方で、リンクの胸には、苦笑めいた感想も浮かんでいた。  
 七年をすっ飛ばして、身体だけ大人になったぼくだ。冒険を続けるうち、行動や考え方も  
大人っぽくなってはいるが、掛け値なしの七年を経験してきたルトと差ができるのはしかたがない。  
それにルトだって、初めから物わかりがよかったわけでもないだろう。  
「そういえば、シークとは一悶着あったってね」  
 
 どきりとし、  
「一悶着──か……」  
 しかしリンクが言うのはその意味ではないはず、と考え直して、ルトは別の記憶を引き出した。  
「確かに、初めて会うた時のシークは──」  
 思い起こせば、  
「──物腰は柔らかであるのに、口は直裁での。わらわを王女とも思わぬげに、ずけずけと  
ものを言いおった。まだ心が幼うあったわらわは、それが腹に据えかねて、シークの言を正論と  
知りながら、素直には受け取れなんだ。しまいにはシークも業を煮やしたか、まわりの者が  
止められぬほどの口喧嘩になってしもうたものよ」  
 微笑ましくも懐かしい。  
「けれども、のちには……いろいろあって……わらわもシークの心根を知ることができた。  
シークがおらなんだら、いまのわらわはなかったであろう……」  
 そう──と、ルトはひそかに思う。  
 おのれの独善を悟り、そんなおのれのありようを自ら戯れとしてしまえるほどの境地と  
なれたのは、そして賢者としての自覚をおのれに浸透させることができたのは、七年という  
時間の経過に加えて、シークの……いや、シークではない、あの──  
「じゃが」  
 湧き上がる思いを押しとどめ、  
「このような時、他の者の話をするのは、野暮というもの」  
 ひたとリンクに視線を送る。  
「というより、話をしておること自体、野暮の極みじゃな」  
 視線に意図を語らせる。  
「いまからの、そなたと、わらわに、もう、余計な言葉は、要らぬであろう?」  
 
 一語一語をゆっくりと切っての語りかけが、すべてを見通すがごとくの嫣然たる笑みが、  
耐え難い誘惑となって、リンクの背筋を震わせた。  
 いまから何が起こるのか、いまから二人は何をするのか、すでにわかりきっていたはずの  
そのことを、まるで初めて知らされたかのように、どきどきしてしまう。これもルトの大人ぶりが  
もたらす影響なのか。  
 蠱惑的な表情を保ちつつ、ルトは部屋の出口の方に首を傾けて見せ、そちらへ向かって  
歩き始めた。歩みに続くうち、初めてルトに会った時のことが思い出された。  
 わらわの前を歩くでない、下がってあとについて参れ──と高飛車に言われ、むっとして  
付き従っていたぼくは、やがて否応なく動悸と勃起を誘発されてしまった。  
 同じことが、いま、ぼくに起こっている。  
 くいくいと左右に揺れるルトの尻。  
 それはあの時と変わらず──いや、あの時よりも、もっと大きく、もっと張りがあって、  
もっと肉感的で、その二つの丸いふくらみの間に何がありかつてそこにぼくが何をしたかが  
まざまざと頭に浮かんで……  
 いきなりルトがふり向いた。ぎくりとして立ち止まる。にっこりと笑うルトを見て、あらぬ  
疑いを抱いてしまう。  
 自分の後ろ姿が与える効果を知った上で、ぼくに見せつけていたんだろうか。それとも  
そんなふうに思うのは、ぼくの方が意識しすぎているからか。  
「そなた、なぜ離れて歩く」  
 ルトが横に寄り添い、腕を組んできた。  
 聞いたことのある台詞。したことのある行為。  
 いつどこで聞き、したことなのか、すぐには記憶を呼び起こせない。預けられる腕が、頭が、  
全身が、七年ぶりのルトとの接触が、七年前よりも格段に女である裸のルトとじかに隣り合って  
いるという状況が、強烈な刺激となって思考を鈍らせるのだ。  
 おとなしやかな中にも燃える想いを垣間見せるルト。  
 リンクは引かれるようにして足を前に送った。無意識に近い歩行だった。  
 
 
To be continued.  
 
 

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