「ちぃッ!」 
 とシークは舌打ちした。 
 どうにか無事に飛び降りられた。入口に達したところでリンクにのしかかるツインローバが 
見えた。気づかれる前にと即座に短刀を投げたのだが…… 
 寸前で察知され、腕でさえぎられてしまった。さもなくば首を刺し貫けていただろうに! 
 落ち着け──とおのれを鎮静させる。 
 やり損なったことを考えてもしかたがない。重要なのはこれからだ。 
 ツインローバが腕に刺さった短刀を引き抜き、リンクの上に跨らせていた身体を素早く 
立ち上がらせた。下半身が裸であることで、行われていたことの見当はついた。 
 リンクは動きがとれないようだ。床に固定されてでもいるのか。とりあえずツインローバの 
注意をこちらに引きつけて、リンクに立ち直る余裕を与えてやらなければならない。しかし…… 
 それとて容易なことではない。あの氷と炎の攻撃は強力だ。ミラーシールドがあればいいのだが、 
ナボールがすぐに追いついてくる様子はない。やはり飛び降りるのをためらっているのか。 
さしあたっては自分一人でツインローバの相手をしなければ。 
 奴はどうする? どんな攻撃を放ってくる? 氷か? 炎か? 
 攻撃はなされなかった。ツインローバは立ちつくしたままである。 
 奇異に感じて表情をうかがう。 
 紛れもない驚倒の色が、そこにはあった。 
 
『何てこったい!』 
 腕に刺さった短刀を引き抜き、リンクの上に跨らせていた身体を素早く立ち上がらせながら、 
ツインローバはぎりぎりと奥歯を噛んだ。 
 アイアンナックの攻撃を切り抜け、あまつさえこのあたしに傷を負わせるとは! 
 寸前で察知し、腕でさえぎったからよかったものの、さもなくば首を刺し貫かれていただろう。 
 侮れない奴! 
 睨みつける。 
 そこで気づいた。 
 腕の痛みが消し飛んだ。 
 シークが賢者のオーラを発している! 
 前に会った時はこんなオーラなど発していなかった! 絶対に! 
 これはいったい──? 
 いや、そんなことより、シークは何の賢者なのか? 六人の賢者の正体はすべて判明している。 
そのうち四人は覚醒した。残っているのはナボールとラウル。シークが関与する余地はないはず。 
『もしかしたら……』 
 シークの心は前に読んだことがある。他の賢者と同様、自分が賢者であるという自覚はなかった。 
が、賢者のオーラを発するようになったことで、心に変化が生じているのでは? 
 シークの脳に思念をねじこむ。 
 なかなか読めない。もともと心を読みにくい奴だった。それもこいつの曲者たる所以だったか…… 
 どうにか読み取れた。やはり自分が賢者だという自覚はない。けれども意識におかしな痕跡がある。 
もっと深い所を探して…… 
 ようやく心のほころびが見つかった。全思念をそこに集中させる。結果── 
 
『ま、さ、か──』 
 
 信じられない。 
 信じられないが真実だ。 
 それが真実だったのだ! 
 
「……よくも……ここまで……あたしを……たばかったもんだ……」 
 身を倒さんばかりの驚きと怒りが、血を吐くような呻きとなって口から漏れ出す。しかし 
とうていそれだけでは治まらない。 
 ツインローバは絶叫した。 
 
「そこにいたのかッ!! ラウルッ!!」  
 
『ラウル?』 
 リンクは当惑した。 
 ケポラ・ゲボラが現れたのかと思って入口を見るが、そこにはシークがいるだけだ。 
 してみると、いまのツインローバの叫びはシークに向かって放たれたのだ。 
 シークがラウル? ラウルだって? 
 馬鹿げている! 
 そんな突拍子もないことをツインローバはどうして── 
『いや!』 
 ひょっとして、あれは…… 
 
『ラウル?』 
 シークは当惑した。 
 ケポラ・ゲボラが現れたのかと思って背後をふり返るが、そこには誰もいない。 
 してみると、いまのツインローバの叫びは僕に向かって放たれたのだ。 
 僕がラウル? ラウルだって? 
 馬鹿げている! 
 そんな突拍子もないことをツインローバはどうして── 
『いや!』 
 ひょっとして、あれは……それにあのことは…… 
 意識の下に秘匿されていた概念が堰を切ったように噴出する。 
 自分でも気づいていなかった事実。最近になっておぼろげに片鱗が見えてきた本質。 
 僕の中にある僕ではない何者か。 
 わかった。わかった。いまやっとわかった。 
 ラウルだったのだ。僕の中にいたのは他でもない『光の賢者』ラウルだったのだ! 
 まだ理解できない点はある。けれども根幹は明白になった。それが真実であることを僕は完全に 
確信できる! 
 僕はラウル! 
 僕はラウル! 
 僕はラウル! 
 疑いを差しはさむ余地のないその真実! 
 
「絶対絶対絶対ぜーーーーーったぁいッッ!!」 
「許さない許さない許さない許すもんかぁーーーーーーッッ!!」 
 いつの間にか分裂していたツインローバが逆上の悲鳴をあげる。 
 シークは瞬時に注意を戻し、戦闘態勢をとった。 
 来る!──と予測したとおり、箒に跨って吶喊する二人の老婆が指先から氷と炎を噴射する。 
感情を反映しての爆発的な勢い。 
 敢えて前方に突進する。 
 超高温と超低温の二つの魔攻は背をかすめて虚しく床を撃つ。猪突してきたツインローバと 
高速ですれ違い二人を後ろに置き去りにする。床に貼りつけられているリンクには目もくれず 
階段を駆け上がり右方の通路に走りこむ。 
 神殿の外に逃げるつもりはなかった。開けっぴろげの空間では二方向からの攻撃に対抗できない 
からだ。 
 攪乱するなら神殿内の方が好都合。僕がラウルと知ってツインローバは激高している。夢中に 
なって追いかけてくるだろう。その隙に立ち上がってくれリンク。ナボールが助けてくれるはずだ。 
「待て待て待て待て待てーーーーーーッッ!!」 
「止まれ止まれ止まれ止まれ止まれーーーーーーッッ!!」 
 背後に轟く大音声。 
 期待に違わず──とほくそ笑み、次々と前途に現れる部屋を、シークは飛ぶがごとく駆け抜けた。  
 
 シークが、次いでコタケとコウメが通路に飛びこむのを茫然と見送ったのちも、リンクの 
脳内では、唐突に呈示された事項についての惑乱が、依然として激しく渦巻いていた。 
 シークがラウル。信じられない。説明できないことが多すぎる。 
 ところがそう言われてみると思い当たる点はあるのだ。落ち着いて考えれば説明できない 
ことにもちゃんと説明がつきそうな気がする。 
『あとだ!』 
 いまは落ち着いて考えている暇などない──とおのれを叱りつける。 
 シークが神殿の奥に駆けこんでいったのは、ツインローバを引きつけてぼくを助けようという 
意図に違いない。いまのうちに拘束を脱して…… 
 最大限の力を手足の筋肉に投入する。 
 動かない。 
 やはりだめか──と無念の意を滾らせる。そこへ、 
「リンク!」 
 神殿の入口からナボールが駆けこんできた。 
「大丈夫か──って、あんた何やってたんだよ」 
 露出した股間を見てあきれ顔になるナボール。それでもこちらが動けない状態にあることは 
即座に把握し、床に投げ出されたシークの短刀を拾って、四肢を固定する氷を砕きにかかった。 
「やけに硬い氷だね。ろくに削れやしない」 
「ただの氷じゃないんだ。ツインローバの魔力がこもってる」 
 ナボールは何かを考える様子となったが、すぐに、 
「待ってな」 
 しゃがませていた腰を上げ、神殿の外へと走り出ていった。 
 どうするつもりなのか──といぶかっていると、入口から一筋の光が差しこんできた。 
初めのうち、あてもないかのように揺れていた光は、やがて左手を固めていた氷の上に止まった。 
みるみるうちに消滅する氷。驚く間にも、光は残る三カ所の氷を次々に溶かし、リンクを拘束から 
解き放った。 
 急いで下着を引き上げ、凍らされていた部位を確認する。 
 皮膚の感覚が鈍くなっているが、動かすことはできる。歩行にも支障はない。 
「うまくいったね」 
 会心という表現がぴったりの笑みを浮かべて、ナボールが再び大広間に入ってきた。 
「ありがとう。でも、いまの光は何だったんだい?」 
「これさ」 
 手にした盾を持ち上げてみせるナボール。 
「ミラーシールドっていうお宝だよ。光を集めて魔を打ち破る。外で太陽の光を反射させて、 
魔力のこもった氷にぶつけてやったのさ」 
 入手の経緯を簡潔に語ったのち、ナボールは心配そうな顔つきとなった。 
「で、シークはどうした?」 
「神殿の奥だ。ツインローバを引きつけてくれてる」 
「じゃあ、あたしらも行こうぜ」 
 言われるまでもない──と足を動かしかけた時、 
「こいつはあんたが持ってな」 
 ナボールがミラーシールドを突きつけてきた。 
「この盾には魔を跳ね返す力もある。ツインローバをやっつけるのに必要だとシークは言ってたし、 
あたしもそう思う。これを持ってなきゃならないのは、あんたなんだ」 
「……わかった」 
 盾とともに、ナボールの言葉の重みをも、リンクはしっかりと受け取った。 
「代わりといっちゃ何だけど──」 
 肩越しに背を指さされる。 
「その弓矢を貸しとくれ。刀を折っちまって、得物がないんだ。弓の腕には自信があるから、 
あんたを助けるくらいのことはできると思うよ」 
 弓術は乗馬と並ぶゲルド族の得意技である。リンクは快諾した。ナボールの存在が実に心強く 
感じられた。  
 
 リンクはナボールとともに右側の通路をたどった。どこにツインローバがいるかわからないので、 
注意の上にも注意を重ねて進んだが、次の部屋にも、さらに次の部屋にも、危険な徴候はなかった。 
 歩を運びながら考える。 
 ツインローバと戦う際、二人を同時に相手とするのは禁物。どうにかして二人を分断しなければ。 
さっきのような醜態は二度とさらしたくない。 
 そのうち前方から声が聞こえてきた。 
「どこにいるッ!」 
「出てこいッ!」 
 コタケとコウメの怒号である。 
 シークを見つけられないようだ。場所はどうやら、女神像のある吹き抜けの部屋らしい。 
 その部屋に達した。手前の通路から様子をうかがい、見える範囲にツインローバがいないことを 
確認して、中へと忍び入る。近くにある上り階段まで行き、欄干の陰にしゃがみこむ。 
 目だけを出して、広い部屋の中をそっと見渡す。箒に乗ったコタケとコウメが、聞くに耐えない 
罵詈雑言を吐き散らしながら、空中をゆるゆると遊弋している。 
 この部屋のどこかにシークは身をひそめている。完全に気配を絶っているのだろう。素手で 
野生動物を捕らえられるというほどの、それはシークの特技なのだ。 
 そのシークと連携できればいいのだが、現状では難しい。 
 聞こえるか聞こえないかのささやき声で、リンクはナボールと戦案を話し合った。二人同時に 
ではなく一人ずつを相手にする、との基本方針は論ずるまでもなく、それを踏まえて計画はすぐに 
まとまった。 
 コタケとコウメの動きを観察し、こちらとの間隔が適切になるのを待つ。近すぎても遠すぎても 
だめなのだ。敵の眼前にのこのこ出てゆくわけにはいかないし、かといって攻撃が届かない 
くらいの遠距離でも困る。コタケとコウメの相対位置も重要な要素だ。 
 とはいえ長くは待てない。こちらの存在に気づかれていないからこその計画なのであり、 
攻撃開始前に気づかれたら一挙に不利となる。シークが発見される可能性も考慮しなければならない。 
 時間は刻々と過ぎてゆく。 
 いつになったら──と焦燥に駆られた時、ついに好機は到来した。 
「いくよ!」 
 小声で、しかし決然と言葉を残し、ナボールが欄干の陰から走り出る。階下へ降りる壁の縁に立つ。 
弓を構える。 
 ツインローバは二人とも部屋の反対側にいる。手前にコウメ。向こうにコタケ。まだ見つかって 
いない。 
 歯を食いしばってぎりりと弦を引き絞るナボール。室内は薄暗い上に相当の距離だが狙えるのか。 
ぼくならとうてい無理だろう。弦を引く右腕が震えている。どうした? 射ろ、早く射るんだ 
ナボール! 
 びゅん!──と振動音を発して矢が飛び出す。同時にコウメがこちらを向く。 
「ぎゃッ!」 
 聞き苦しい悲鳴をあげて階下の床に落下するコウメ。 
「やったか!?」 
 駆け出しながらの問いに、 
「だめだ!」 
 と意外な答。 
「直前で気づかれた! 急所をはずしちまったよ! あとは頼む!」 
「よし!」 
 とどめを刺そうと階下へ飛び降りかけるところへ、 
「貴様らッ! いつの間にッ!」 
 いち早く突進してくるコタケ。飛び降りられない。だがこれも想定内だ。コタケが右手を 
振り上げる。あれが来る。来るがいい。待っていた。ぼくはそいつを待っていた!  
 
 振り下ろされる右手から一直線に放たれる氷の柱。背後に隠したミラーシールドをこの時こそと 
前に出す。襲来する厳寒の魔。身を突き飛ばさんばかりの衝撃。渾身の力で耐えるやそれは 
跳ね返り、往路をそのまま逆走し、発出点であるコタケを正確に捕捉し、青白い光跡となって 
飛散する。そのあとには── 
 何ごともないかのごとく、コタケが浮いていた。 
 愕然となる。 
 どうして? 確かにナボールが言ったとおり、ミラーシールドは魔法攻撃を跳ね返した。 
なのにコタケは無傷。これも奴の魔法なのか? 
「誰にも触れられないようにしてあったミラーシールドを手に入れるとは、よくよく油断の 
ならない勇者だが──」 
 嘲笑めいたコタケの弁。 
「──使い方を知らないんなら、何の意味もないねえ」 
 奴はミラーシールドの存在を知っていたのか。その使い方とは? 跳ね返すだけじゃだめなのか? 
「リンク!」 
 室内に声が響き渡った。 
「氷に氷は効かないぞ!」 
 シークの声! 
「どこだッ!」 
 コタケがあたふたと首をまわす。ぼくもあわてて目を動かす。見つからない。声だけで姿は 
見えない。それでもシークはどこかでいまの応酬を観察していて、ぼくに忠告をくれたのだ。 
 どういう意味だ? 氷に氷は効かない? 同種の魔法は無効だと? 
 そうだ! 別の相手に当てるんだ! 氷は炎に! 
 ただし跳ね返されるとわかったらコタケはぼくを攻撃しないだろう。ゼルダをおびき出すために 
ぼくを温存するつもりでもあるはず。だがシークを殺すのに躊躇はすまい。声を出してしまった 
シークは身を隠しきれるのか。 
「そこかッ!」 
 叫ぶコタケ。はっとして視線をたどる。 
 あたりを圧する規模で坐す女神像。その右肩の上にシークが立っていた。 
 予想外の場所! しかし見つかってしまった! 
 コタケが急速に方向転換する。そこへナボールが矢を放ち始めた。巧妙に避けるコタケだが、 
ナボールが立て続けに射るのでシークには近づけない。 
 いまのうちに逃げろ!──と心で呼ばわる。応じるようにシークが身を跳ねさせる。巨大邪神像と 
同じく掌側を上として空中に突き出された女神像の両手。その右の手に向かって腕の上を駆けるシーク。 
驚くべき身軽さ。これなら逃げられる──と思ったのも束の間、手のひらに達したシークはそこで 
止まってしまった。 
 なぜ止まる? 全く無防備だ。うかうかしていると── 
「殺るんだコウメさん!」 
 コタケがわめく。そうだコウメがいる。肩に矢を受けてふらふらと、それでもシークを 
睨み殺さんばかりの視線をぎょろつく目から噴き出させ、コウメが床から浮き上がる。 
 動かないシーク。どういうつもりだ? コウメの炎を食らってしまう。まるでそれを待って 
いるかのように──  
 
『そうか!』 
 シークは待っている! 囮となって! 
 だがどうやってぼくはそこへ行く? 階下へ降りて女神像によじ登って? そんな余裕はない。 
もうコウメがシークを射程に捉えようとしている。 
「来い!」 
 シークが叫ぶ。コウメへの挑発? 
 違う! 
 シークはぼくを見ている。ぼくを呼んでいる。片足を何かに載せた。何かがそこにある。 
 何? 
 箱! 
 フックショット。狙う。発射する。宙を裂いて伸長する鎖。箱に突き刺さる尖端。一転、急激な 
短縮を始める鎖に引っぱられ、高々と右手を上げるコウメをかすめてぼくは一直線に飛走する。 
後ろに跳ぶシーク。その前に転がりこむ。飛来する劫火。起き上がる暇はない。転がったまま 
ミラーシールドを立てる。激突する高温高圧の炎撃を全力で受け止める。角度をつけて跳ね返す。 
空中を突っ走る火柱。ナボールの矢に気を取られていたコタケがその時初めて── 
「げぇッ!!」 
 ──動転するがもう間に合わない。その身体は箒ごと一瞬のうちに火だるまとなり、焦げかすも 
残さず蒸発した。 
 大口をあけて何もいなくなった空間を凝視するコウメ。自らの攻撃が引き起こした事態に茫然と 
なっているのだ。が、 
「よくも……」 
 たちまちその表情は激怒にゆがみ、 
「よくもよくもよくもよくもよくもォォォォーーーーーーッッ!!」 
 狂乱の様相を呈してこちらに向く。手がひらめく。猛然と火焔が放たれる。その灼熱の攻撃を 
ミラーシールドが遮断する。 
 火焔の到来する方向がじりじりと移動し始める。コウメが空中を旋回しているのだ。こちらの 
背後をとろうとしている。かつナボールの死角に入ることで射られる危険を排除している。 
 ミラーシールドを構えたまま、ぼくもじりじりと身体をまわす。炎を跳ね返しても反撃には 
ならないが、防御にはなっている。とはいえ防御だけだ。攻勢には出られない。炎が切れない 
うちは体勢を変えられない。一瞬でもミラーシールドを下ろしたが最後、ぼくとシークは黒焦げ 
──いや、形すらとどめず熔けてしまうだろう。攻撃の中断を待つしかない。 
 ところが攻撃は止まらない。コウメが魔力を全開にしているのだ。そのせいで気温はぐんぐん 
上昇している。これだといくらミラーシールドで炎を防いでも、じきに暑さで倒れてしまう。 
 いや、ぼくは大丈夫だ。ゴロンの服がある。問題はシーク。どうにかしてシークを安全圏内に── 
「リンク、そのままで聞け」 
 背後にしゃがんでいたシークがささやいた。 
「僕は下に飛び降りる」 
 それしかあるまい。ただ── 
「君が襲われるぞ」 
「望むところだ」 
 落ち着き払った声。 
「その隙に奴を倒せ」 
 またもシークは囮になると! この極限状況で何という冷静さ、大胆さ! 
 だがどうやって倒す? コウメは宙に浮いている。距離もある。フックショットか。しかし 
万一かわされでもしたらシークの命はないだろう。もっと確実な方法は── 
『!』 
 頭に案がひらめいた瞬間、 
「いくぞ!」 
 後ろの気配が急に動いた。  
 
 おのれの魔力を極限まで高め、女神像の掌上にある二人を熱し殺さんと猛攻を加えていた 
コウメは、そこから一つの影が分離するのを見た。 
「むッ!」 
 階下に落ちた影は、巧みな受け身で床を転がったと見るや、すっくと身体を立ち上がらせた。 
刹那、コウメの全意識はそちらに集中した。 
『シーク! いやさラウル!』 
 その相手が、わずかに腰をかがめて鋭い視線を送ってくるだけで、攻撃の素振りも見せず 
静止し続けている理由を、コウメは深く考えなかった。考える余裕はなかった。ただ激烈な 
憎悪のみがコウメの脳を支配していた。 
『お前だけは! お前だけは絶対に──!』 
 放出していた炎をいったん収め、倍する勢いで仇敵にぶつけてやろうと右手を構え直した時、 
コウメは視界の隅に異様なものを捉えた。 
 あわてて目をやる。 
 驚愕した。 
 リンクが駆けてくるのだ! 空中を! 支えもなく! 
 何が起こっているのかわからない。わからないまま右手をリンクに向けて振り下ろす。 
 噴き出す炎はしかしミラーシールドによって跳ね返される。眼前のすべてが猛火に埋めつくされる。 
それには何らの影響も受けないコウメだったが、 
「つぁぁぁああああッッ!!」 
 雄叫びとともに猛火を割って突っこんでくるリンクが、左手に握ったマスターソードで上段から 
放つ一撃を避けることはできなかった。 
 頭頂から頸部、さらには躯幹に達する衝撃が、自らの死に直結しつつあるのを感得しながら、 
コウメは残る精神力に、ただ一つの思いを注入した。 
 無念! 無念! 無念! 
『ガノン……この無念をどうか……!』 
 コウメの生命は、そこで消えた。  
 
 マスターソードによる確かな成果の感触を左手が得た直後、ホバーブーツの効力が切れた。 
リンクは全身を泳がせつつも、どうにか両の足で床に降着した。身体が床の上を一回転した。 
痛みは感じなかった。 
 傍らにコウメの死骸が落下してきた。赤い光に包まれて消えてゆく肉塊を見やりつつ、リンクは 
ゆっくりと身を立たせた。 
 コタケを焼死させた時には抱かなかった感慨が、リンクの胸を満たしていた。 
『ぼくは、人を、斬った……』 
 魔物同様と言っていい相手ではある。 
 それでも、人間だった。 
 悔いはなかった。倒すべき敵であったとの確信は揺るがなかった。が、自分は生まれて初めて 
人の命を奪ったのだ、という重い意識は、リンクを捉えて離さなかった。 
「リンク!」 
 背後からの呼びかけがリンクを我に返らせた。ふり向くと、ナボールが歓喜の表情で立っている。 
いつの間にか階下に降りてきていたのだ。 
「やったじゃないか! あんたみたいなすごい男、見たことないよ!」 
 面映ゆくなる。 
 興奮のあまりか、表現が大げさだ。 
 ただ、その言葉が、嘘偽りない心情の反映であることは、素直に認識できた。 
 リンクは静かに微笑みを返した。合わせるように穏やかな面持ちとなったナボールが、弓と 
矢筒を差し出してきた。 
「この弓、あたしにはちょいとばかり強すぎたよ。一発で仕留められなくて、すまなかった」 
 受け取りつつ、首を振る。 
「君がいてくれたから、勝てたんだ」 
 ナボールは照れ臭そうにうつむき、次いで顎を横にしゃくった。 
 対象はシークである。 
 少し離れた所に立つシークは、何も言わず、しかし目には温かな色を湛えてこちらを見ていた。 
 その右腕が立てられた。拳が握られていた。 
 リンクは歩を寄せた。左手を握り、腕を立てた。 
 二つの拳の尺側が打ち合わされる。 
 その力強い感触を、手に染みこませながら、リンクは胸の奥で、一つの意志を固めていた。 
 人の命の重みというものを、勇者としてのぼくは、背負ってゆかなければならないのだ──と。  
 
 感慨を呑みこんだのち、なお心に残る、いま一つの思いへと、リンクは意識をふり向けた。 
「シーク」 
 その目を正面から見据えて、口を切る。 
「君は……ラウルなのか?」 
 同じくこちらを見据えて、シークが答える。 
「ああ」 
「ラウルはケポラ・ゲボラにではなく、君に宿っていた──ということかい?」 
「そうだ」 
「それをいままでどうして──」 
「僕自身──」 
 言い募りかけたところをさえぎられる。 
「──気づいていなかった。さっきツインローバに指摘されて、初めて自覚できたんだ」 
 そう聞かされても疑問はなくならなかった。落ち着いて考えればわかるはず、と、先に思った 
ことを頭の中で繰り返してみるが、とても落ち着いてはいられない。 
 とりあえず言えたのは、これだけである。 
「この先、君を……どう呼んだらいいのかな? シーク? それともラウルと?」 
「シーク──でいい」 
 問われた人物は即座に応じた。 
「自分の中にラウルがいることを僕は実感できる。それが真実だと確信できている。だがラウルと 
しての意識や記憶を持っているわけじゃない。僕はあくまでシークなんだ」 
「つまり……君の人格はシークのまま変わってはいない──というんだね」 
「そのとおり」 
 リンクは深く安堵の吐息をついた。 
「わかった──といっても、まだわからないことはあるんだけれど……」 
 肩の力が抜けてゆく。 
「一つだけは、はっきりしたよ。ラウルについて話す時、君がいつも楽観的だった理由が……ね」  
 
 そう──と、いまにしてシークも思うのである。 
 南の荒野に潜伏している間、そして──コキリの森の入口、南の荒野の洞窟前、ゲルドの谷、 
それにここへ来る途中の平原での──リンクとの会話において、ラウルに会えるだろうか、 
ラウルは生きているだろうか、との懸念が湧いた時、僕が常に楽観的でいられたのは、それゆえ 
だったのだ。予感でも予知でもなかったのだ。 
 ラウルは僕自身の中にいたのだから! 
 まだある。 
 僕は不思議に思ったものだ。なぜラウルはリンクが七年間の封印から目覚めた時に接触しなかったのか、 
封印の事情や七年間の世界の変化をリンクに告げるのは本来ラウルがやるべきことだろう──と。 
 ラウルはやるべきことをちゃんとやっていたのだ! 僕という者の口を通して! 
「他にわからないのは──」 
 リンクが疑問を並べ立て始める。シークはそれらのうち、あるものについてはすでに考察を 
終えており、あるものについてはいまだ検討を施していなかった。活発なやりとりを交わしながら、 
シークはリンクに、また自分自身に、次々と解答を与えていった。 
 ラウルが自分に宿ったことを、シークはなぜ自覚できなかったのか? 
 それがラウルの意図だったのだ。ラウルの居場所は絶対に秘匿されなければならなかった。 
シーク本人でさえ知っていてはならなかった。ツインローバに心を読まれても露見しないように。 
 リンクと出会うことで賢者はオーラを発するようになるはず。以前、シークを襲った時、 
ツインローバはオーラに気づかなかったのか? 
 その時はオーラを発していなかったのだろう。ラウルの存在はそれほどまでに深く秘匿されて 
いたのだ。 
 では今回、どうやってツインローバはラウルの存在を知ったのか? 
 今回はオーラを見いだしたのだ。同時にシークの心を探り、オーラ発現と並行してそこに 
生じていた微妙な変化から、ラウルの存在を感知したのだろう。 
「いつから君はオーラを──」 
 と言いかけて、リンクが言葉を切った。驚きと納得の色が、その顔にじわじわと浮き上がってきた。 
「……あの時か?」 
 ナボールがそばにいるのを憚ってか、リンクが曖昧な言い方をした。 
「あの時だ」 
 こちらも言葉は曖昧に、しかし意味するところは明瞭に、答を返す。同時に心の中で述懐する。 
『幻影の砂漠』の地下室で、僕たち二人の間に起こったこと。あれが契機となったのだ。 
僕がリンクに心を惹かれたのは──そうしなければならない、と義務感にも似た強い欲求を 
持ったのは──僕の中のラウルがそれを求めていたからだったのだ。 
「あれでラウルが覚醒したのか……」 
 リンクの呟きを訂正する。 
「完全な覚醒じゃない」 
「え?」 
「ラウルが完全に覚醒するためには、光の神殿という場が必要だ。いまのラウルは、まだ半覚醒の 
状態なんだ」 
「ということは……ぼくたちはそこに行って──いや、光の神殿には行けないから、時の神殿か 
──ともかくそこで……あ!」 
 ようやく思い当たったというふうに、リンクが小さな叫びをあげた。 
「『光のプレリュード』! あれはそこで必要になるんだね?」 
 確かな予感をもって、シークは頷いた。  
 
 リンクとの対話が一段落したところで、 
「シーク、ちょっといいかい?」 
 ナボールが口をはさんできた。 
「あんたがラウルってことらしいけど、ミラーシールドが入っていた箱をあんたがあけられたのは、 
そのせいなのかね」 
 おそらく──と前置きして、シークは推測を語った。 
「僕があの箱をあけられたのは、僕の中にラウルという賢者がいて、なおかつラウルが半覚醒に 
至っていたからだと思う。同じ賢者でも、そこに至っていない君には無理だったんだ」 
「そもそも誰にでもあけられるものじゃなかったってことかい?」 
「そうだ。ミラーシールドは誰にも触れられないようにしてあった、とコタケは言っていた。 
魔力を跳ね返す盾が人の手に渡ったら、奴らにとっては不都合きわまりない。それで魔力を使って 
箱の蓋を封じていたんだろう。賢者の力の一端が、その封緘を破ったわけだ。もちろん──」 
 横で聞いているリンクに目をやる。 
「賢者の覚醒という使命を持つリンクなら、やはり容易にあけられていただろうがね。 
『銀のグローブ』だって問題なく手に入れられたのだから」 
「けどねえ──」 
 なおもナボールの疑問は解けないようだった。 
「そんなに不都合なものなら、蓋を封じるなんて姑息な手じゃなく、捨てるなり壊すなりしときゃ 
よさそうなもんじゃないか。なんであそこに残しておいたのか……」 
「神殿のお宝を自由にできるのは、賢者か勇者だけなんだろうな。ツインローバといえども 
手は出せなかったのさ」 
「ふーん、そんなもんかねえ」 
「君は知ることになる。すぐにね」 
 ナボールは目を白黒させていたが、やがて苦笑いの表情となり、 
「楽しみにしとくよ」 
 と言いつつ肩をすくめ、続けて、 
「ところで、お宝といえばさ」 
 頭上に視線を向けた。 
「あそこにも箱があるみたいだけど、何か入っているのかね」  
 
 リンクはフックショットを用い、再び女神像の右手の上へと赴いた。的となった箱は、 
よそで見てきたものよりずっと小さい。先刻はあける暇などなかったが、いまはナボールの 
言葉で興味が湧いていた。手をかけると、蓋は何の抵抗もなく開いた。 
 中にあったのは、箱の寸法に比例するかのような、小さな鍵である。 
 怪訝に思いながら床へと飛び降り、 
「こんなものが入っていたよ」 
 シークとナボールに示す。 
「どこの鍵なのかな」 
「さあて……」 
 不思議そうな顔をするナボールに対し、シークは表情も変えず、室内の一点を指さした。 
「あそこだろう」 
 それまで気がついていなかったのだが、ちょうど女神像と向かい合う形で、壁に扉が 
設けられている。近づいて観察すると、確かに鍵穴がある。鍵を差しこみ、回転させる。 
開錠の音。扉を開く。先は通路になっている。 
「いかにもお宝がありそうだ」 
 いそいそと足を急がせるナボールのあとについて、折れ曲がった通路をたどる。いくらも 
進まないうちに行き止まりとなった。 
「当てはずれか」 
 がっかり声を出すナボールは、それでも諦めきれない様子で、壁や床を見まわしている。 
その目が一つの場所で止まった。 
「こりゃ何だ?」 
 床の隅に、人がひとり乗れるくらいの出っ張りがあった。ナボールが足で踏みつける。わずかに 
押し下げられたが、それ以上は動かない。 
「重みが足りないんじゃないか?」 
 シークの示唆で、次にリンクが試してみた。やはり途中で動かなくなる。ならば、とヘビィブーツを 
発動させる。これは図に当たった。がちゃん、と機械的な音を発して、出っ張りは床にめりこみ、 
平坦となった。 
 その途端、三人が占めていた場の床石が、ゆっくりと沈み始めた。驚くうちにも、見慣れた 
光景が眼前に現れる。神殿入口の大広間だった。 
 降り着いた地点は階段を登った所の平面である。そちらに足を移すと、乗ってきた床石は、 
今度は上昇し始め、ほどなく天井に──階上の側から見たとすれば本来の床面に──ぴたりと 
はまりこんで静止した。 
「近道ってわけかい。大した仕掛けだねえ」 
 感心したようにナボールが言う。 
 確かに──と天井を見上げながら、リンクも思う。 
 女神像の部屋と、この大広間が、こういう位置関係にあったとは──  
 
 その時、 
「姐さん!」 
 一つの叫びが大広間の空気を震わせた。 
 いい頃合い──と胸を安んじさせつつ、リンクはふり向いた。神殿の入口に叫びの主が立っている。 
正体は確かめるまでもなかった。 
 彫像のように固まっていた『副官』が、次の瞬間、いきなり躍動を開始した。泣くとも笑うとも 
つかない、複雑かつ激越な表情で、一直線に突っ走ってくる。そのまま階段を駆け上がった 
『副官』は、リンクにはもちろん、シークにすら一瞥も与えず、まっすぐナボールへと身体を 
ぶつけていった。 
 茫然と、けれどもしっかりと、長の別離を強いられてきた相手を抱きしめるナボール。その口が 
戸惑いの言葉を漏らす。 
「どうやって……ここへ……」 
 ナボールの胸に顔をうずめ、しゃくりあげながら、途切れ途切れに『副官』が言う。 
「砦にいたんだ……そしたら……どでかい梟が来て……人の言葉で……姐さんがここに…… 
いるからって……それで……そいつにつかまって……」 
 弾かれたようにナボールがこちらを向いた。 
「リンク、あんたの頼み事って──」 
 頷きと微笑みだけを、無言で返す。 
 ナボールの顔にも微笑みが浮かび、 
「ありがとよ」 
 二人の女は再び強固な抱擁に移った。 
 リンクの胸も満たされる。 
 ナボールが『魂の賢者』として覚醒してしまったら、この二人は永久に再会できなくなる。 
だからその前に──と、前から心に銘記しておいたのだった。 
『副官』のすすり泣きは、なかなか治まらなかった。ナボールがこちらに遠慮がちな声をかけてくる。 
「悪いけど……時間をくれないか? つまり……あたしら二人にさ。他にしなくちゃならない 
ことがあるのは、わかってるんだが……」 
 もちろん異議はない。そのために『副官』を呼んだのだ。 
 再度の頷きと微笑みを送ったのち、リンクはシークとともに神殿の外へ出た。 
 確かめておかねばならないことが残っていた。  
 
 その姿はオアシスのほとりにあった。ある種の憤りを感じつつ、リンクは質すべき相手の 
もとへと歩を運んだ。 
 前まで行って、立ち止まる。ぴんと背筋を伸ばしたケポラ・ゲボラが、のんびりとした調子で 
話しかけてきた。 
「神殿の中が騒がしいようじゃったから、しばらく待っておった。ツインローバを倒したのじゃな?」 
「ああ」 
「静まったのを見計らって、あの娘を中にやった。それでよかったか?」 
「うん、ありがとう。連れてきてくれて感謝するよ。ただ、その他に……」 
 視線を強くして、対手を見据える。 
「あなたにはどうしても訊いておきたいことがあるんだ」 
「何じゃ?」 
 首をかしげるケポラ・ゲボラ。 
「どうしてぼくに嘘を言ったんだ?」 
「嘘?」 
「ラウルのことさ」 
「ほう……」 
 ちらりとシークに目をやったのち、おかしみをこめたような例の口調で、ケポラ・ゲボラが 
言葉を続ける。 
「ようようおぬしにもわかったか。はてさて、長い道のりじゃったが、これでわしの役割も 
終わりというわけじゃな」 
「終わってないよ。説明してくれ。あなたはなぜ自分がラウルだと──」 
「わしは──」 
 高ぶる声がさえぎられる。 
「──一度たりとも自分がラウルだなどと言うた覚えはないぞ。おぬしらが勝手に誤解して 
おったのじゃ」 
 唖然となる。 
「だけど……だけどナボールは賢者のことをあなたから教えられたと──」 
「おぬしから聞いた話をそのまま伝えただけじゃ。忘れたか?」 
『そういえば……』 
 思い出す。七年前。ハイリア湖。ケポラ・ゲボラとの二度目の会話。 
 その時までの冒険の内容を、ぼくはすべてケポラ・ゲボラに語ったじゃないか。 
 それに! 
 あの時、ぼくはケポラ・ゲボラにこう言った。 
(あなたは……ラウル、だね) 
 ケポラ・ゲボラは何と答えたか。 
(じゃとしたら?) 
 そう! 「じゃとしたら?」だ! ケポラ・ゲボラは肯定しなかった! 自分がラウルだと 
認めはしなかった! 決して! 
 それだけじゃない。ケポラ・ゲボラはこうも言っていた。 
(二つの時代を行き来する少年のことを、このわしですら、伝説だとばかり思っとったよ) 
 マスターソードによって時を越える旅ができることを、ケポラ・ゲボラは知らなかった。 
 ラウルであれば知っていたはず。マスターソードをめぐるできごとの結果として、ぼくに 
七年間の封印を施したラウルが、二つの時代の行き来を可能にするマスターソードの作用を 
知らないはずはなかったのだ! 
 気づかなかった! ぼくは! いままで! ずっと!  
 
 そうなのだ──と、シークも回想する。 
『森の聖域』におけるケポラ・ゲボラとの会話の中で、僕に呈示されたゴシップストーンの噂。 
(ケポラ・ゲボラという怪鳥は、大昔の賢者の生まれ変わりらしい) 
 それをケポラ・ゲボラは肯定したか? 
 しなかった! 「噂じゃ」としか言わなかった! 「わしが言うのではない」とさえ、 
ケポラ・ゲボラは述べたではないか! ゴシップストーンの噂が当てにならないことも、 
そののち僕は知ったというのに! 
 だが…… 
「僕たちが勝手に誤解していた、とあなたは言いますが、実際は、あなたが僕たちの誤解を 
誘導した、というべきなのでは?」 
 シークの冷静な問いに、ケポラ・ゲボラは答をよこさなかった。 
 問いを重ねる。 
「なぜです?」 
 今度は答ともいえない答が返ってくる。 
「わからぬか?」 
 間をおいて、応じる。 
「囮──ですね?」 
 再び沈黙するケポラ・ゲボラ。ただ、にやりと笑うようなくちばしのゆがみが、その内心を 
うかがわせた。 
「どういうことなんだ?」 
 と訊いてくるリンクに、シークは考えるところを説明した。間違ってはいないという確信があった。 
 ──ケポラ・ゲボラがラウルである、と僕たちが誤解していれば、ツインローバに心を 
読まれても、ラウルの安全は保たれる。敵をも誤解させることができるからだ。すなわち 
ケポラ・ゲボラは、自らが囮となって敵を引きつけ、ラウルを守ろうとしたのだ── 
 そう語りながら、シークの心の片隅には、新たな疑念が生じていた。 
 僕の内奥にひそんで自己の存在を隠し通したラウルの周到さ。 
 囮として敵の関心を僕から引き離そうとしたケポラ・ゲボラの細心さ。 
 別個の立場でありながら、ツインローバを警戒する点で、妙に平仄の合った、この二者の 
行動原理は…… 
「でも──」 
 とリンクが反論する。 
「確かにツインローバは、ケポラ・ゲボラがラウルだと信じこんでいたけれど、それは必ずしも 
ぼくたちの心を読んだからじゃないぞ。『匂いでわかる』と言ったんだ、あいつは。そうだろう?」 
 最後はケポラ・ゲボラへの問いかけとなった。 
 問われたケポラ・ゲボラが、おもむろに口を開く。 
「わしからラウルの匂いがするのは、当然なのじゃ」 
「どうして?」 
「わしは昔、ラウルに飼われておったのでな」  
 
 絶句するリンク。 
 シークも声を出せなかった。 
「匂いというても、鼻で嗅げるものではない。わしの心身に染みついたラウルの思念──とでも 
いうかな。ラウルは長年、わしを慈しんでくれた。その思いが、いまだにわしを取り巻いておる。 
わしがハイラルの主と呼ばれ、時の勇者を導く者としての役割を持つことになったのも、 
元はといえばラウルの意志によるものなのじゃよ」 
「つまり──」 
 ようやくシークは言葉を絞り出した。 
「ツインローバは、そのラウルの思念を誤って認識したのだと?」 
「然り」 
「あなたはツインローバが誤解するとわかっていて、敢えて奴の前に姿をさらしたのですね?」 
「まさに」 
 シークは嘆息した。 
 そうだったのか。ラウルとケポラ・ゲボラの間にそんな関係があったとは。 
「シーク」 
 ケポラ・ゲボラの声が、優しさを帯びた。 
「『森の聖域』でおぬしと会うた時、わしが初めにかけた言葉を覚えておるかな?」 
「ええ」 
 覚えている。ずっと疑問のままだった。 
「『久しぶりじゃな』──と、あなたは言いました」 
 かすかに頷いたのち、ケポラ・ゲボラは懐かしげに語り出した。 
「長いつき合いを続けるうち、わしとラウルは互いの心が読み取れるようになった。ツインローバの 
ごとく誰彼なしに、というのではなく、あくまでわしらの間に限ってのことじゃがな。おぬしに 
会うた時、わしがああ言うたのは、おぬしの中にあるラウルが見えたからじゃった。もっとも──」 
 声に剽軽さが混じる。 
「あの時のおぬしは、自分の中に誰がおるかなど、全く気づいておらなんだが」 
 聞きながら、これまで抱いてきたもう一つの疑問を、シークは胸中で解きほぐした。 
 ケポラ・ゲボラが僕の名前を知っていた理由。それは僕の心を読み取っていたからだったのだ…… 
「ともかく──」 
 と真面目な口調に戻り、ケポラ・ゲボラが言葉を継いだ。 
「それでわしはラウルの意図を知った。わしも一肌脱がねばならぬ、と思うたのじゃ。囮として──な」 
 両者の思惑は一致していたのだ。行動原理に共通点があるのは当たり前だ。 
 先ほどの疑念をも解消させ、シークは再び大きく息をついた。が、 
「囮というのはわかったけれど──」 
 リンクの疑念は、まだ解消されていないようだった。 
「改変前の世界で、あなたはガノンドロフに殺されてしまった。この世界ではいままで安全に 
過ごしてきたのに、どうしてあの世界ではあんなことになったのか、ぼくにはわからない。 
あの時のあなたは何を考えていたんだ?」  
 
 問い募るリンクを、 
「改変前の世界のわしが何を考えておったかなど、いまのわしが知るはずもなかろう」 
 ケポラ・ゲボラがいなす。 
 納得せざるを得ない、しかし物足りない──といった趣のリンクに向け、 
「じゃが、同じわしのことじゃ。だいたい見当はつく」 
 と、悪戯っぽくケポラ・ゲボラは続けた。目を輝かせるリンクに、問いが返される。 
「わしが命を落とした時の話は、前におぬしから聞いておるが……それはどこで起こったことじゃ?」 
「時の神殿の前だよ」 
「敵の懐の内じゃな。なぜわしがそのような危ない場所におったのか、考えたことはあるか?」 
「いや……でも、たぶん……光の神殿に封印されているぼくの様子を見にきた……とか……」 
 自信なさげとなったリンクに、 
「そんなことでわざわざ自分を危険にさらしたりはせんぞ。わしならな」 
 ケポラ・ゲボラが追い討ちをかける。リンクは黙ってしまった。 
 そこへ驚くべき発言が投じられた。 
「殺されるために出て行ったのじゃろう、わしは」 
 再びリンクが絶句する。それを無視するかのように、ケポラ・ゲボラは淡々と語る。 
「他の賢者がすべて始末されたあとじゃったとしたら、敵の狙いはラウルに──実際にはわしに 
──集中しておったはず。追及をかわすだけなら、改変前の世界のわしでも容易じゃったろう。 
じゃが、わしがいつまでも捕まらずにおれば、痺れを切らした敵は、おそらくシークを追い始める。 
わしをラウルと信じるシークが、さらなる情報を持っておるのではないか、と疑うてな。 
そうならぬよう、わしは身を挺してシークを──すなわちラウルを──守ろうとした。 
かくのごときではあるまいかな」 
 沈黙が場を支配した。合点がいったふうでありながら、リンクは何も言わない。深い思いに 
ふけっているようだった。 
 シークも口を開く気になれなかった。改変前の世界の自分は、そのような経緯のもとで 
ケポラ・ゲボラに庇護されていたのだ──との感慨が、ものを言う意思を奪っていた。 
「さりながら──」 
 一転して、ケポラ・ゲボラが陽気な口調となった。 
「この世界のわしは、こうして命を保っておる。のみならず、六賢者は生き延び、多くはすでに 
覚醒した。それもこれも、みな、おぬしらの働きゆえ。使命が果たされる日は近かろう。 
期待しておるぞ」 
 ケポラ・ゲボラの言はシークの心を和ませた。リンクも同様であるらしく、その顔から深刻な 
色が消えた。 
「わかった。すっきりしたよ」 
 きっぱり言いつつ、どかりと砂の上にすわりこむリンク。立ったままだったのだ、と、 
いまさらのように思い至り、シークも腰を下ろした。 
「とはいっても──」 
 リンクの声に諧謔味が伴った。 
「ラウルがシークに宿っているっていうのが、まだ何となく、しっくりこないな。ぼくの想像する 
ラウルの風貌が、実際のシークと、うまく合わないんだよ」 
「ほう、どういう風貌を想像する?」 
 興味ありげなケポラ・ゲボラの問いに、迷うような表情を呈しつつも、リンクは答えてゆく。 
「そうだな……もっとずっと年寄りでさ、お爺さんといってもいいくらいの歳で……太っていて、 
頭が禿げていて、白い髭があったりして……いや、単なる想像だよ。賢者の長というくらいだから、 
それくらい重厚な雰囲気なんじゃないかって思うだけさ」 
「肉体が滅びる前のラウルは、まさにそういう風貌じゃったよ。じゃが、若い頃のラウルは、 
いまのシークによう似ておった」 
「へえ……」 
 リンクがまじまじとこちらを見る。 
「君も歳を取ったら、そんなふうに変わってしまうのかな」 
「自分の心配をした方がいいんじゃないか? 君だっていずれは歳を取るんだ」 
「ははッ! それもそうだね」  
 
 無邪気に笑うリンクの横で、やはり微苦笑を漏らしつつも、シークは一つの疑問を自覚せずには 
いられなかった。 
 僕とラウルはよく似ているという。なぜなのか。赤の他人であるはずなのに。 
 偶然? それとも何かの意味が? ラウルに似ている僕だからラウルが宿ったとでも? 
あるいは別の理由があるのか? 
 疑問がなおも疑問を呼ぶ。 
 僕がリンクに抱かれたいと欲したのは、僕の中にいるラウルが覚醒を求めたからだ──と 
解釈できる。事実、ラウルが半覚醒に至ったいま、あの時のような願望を、僕はもう持ってはいない。 
 ただ、リンクに対する僕の感情をそれですべて説明できるか、とおのれに問うた時、僕は 
「できない」と答えざるを得ないのだ。 
 先日の衝動を、かつてゲルドの谷でリンクと交わした接吻に重ね合わそうとして、僕は違和感を 
覚えた。同じようでいて、どこか微妙に違っているようにも思われる──と。 
 何が違っているのか。 
 先日、僕を突き動かしたのはラウルだったが、以前の接吻の時はそうではなかったのか。 
だとしたら、あの時、僕を突き動かしたのは、いったい何だったのか。 
 僕の中に、ラウルとは異なる「何者か」が、いまだひそんでいる──ということなのだろうか。 
 ひょっとすると、先日の衝動においても、ラウルだけではなく、その「何者か」が、重要な 
役割を果たしていたのではないだろうか。 
 さらに一つ。 
 リンクを受け入れたあと、僕はリンクに僕を受け入れさせた。ラウルの覚醒に必要だったのは 
前者だけだ。後者は関係ない。しかし僕はそれを、リンクのために望ましいこと、正しいことと 
信じた。 
 理由はいまだにわからない。 
 これも未知の「何者か」が要求したことだったのだろうか。 
「シーク」 
 ケポラ・ゲボラの低い声。 
「おぬしもうすうす気づいておるようじゃが、その件は、いましばらく措いておけ」 
 僕の考えていることがわかるのか? 
 わかるはずだ。僕の心を読み取れるケポラ・ゲボラなら。 
「いつまでです?」 
 予感をもって、問う。 
「ラウルが真の覚醒を迎える時まで──じゃな」 
 やはり…… 
 真の覚醒を迎えた時、ラウルは僕から去ることになる。その時こそ、僕の失われた記憶は復活し、 
「何者か」の正体も明らかとなるだろう。 
 僕とゼルダの関係についても。 
 
 空は暮色を帯び始めていた。オアシスの水面に落ちる木々の影が、翳りゆく大気と同化しつつ 
あった。その同化の徴候が、自らの心の統一を予言するものであるかのように感じられ、シークは、 
希望と、そして一抹の不安を抱くのだった。 
 あるがままの自分に、否応なく向かい合うこととなる、その時を思って。 
 
 
To be continued.  
 

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