目指す集落にリンクが到着したのは、ロンロン牧場を出発した日の夕方である。 
 日没まで、まだしばらくの間がある頃だったが、城下の近郊であるその地は、いまだ残存する 
──しかもかつての他地域よりも一段と濃密な──暗雲のもとにあり、夜とほとんど変わらない、 
深い暗みに支配されていた。天候の回復した地域では上昇しつつあった気温も、ここでは低い 
ままである。そうした環境とあっては住む者とてあろうはずもなく、少なからぬ数の家屋が 
立ち並んでいながら、それらはすべて荒れるがままとなり果てていた。以前は城下町との行き来が 
ひっきりなしであっただろう、集落を貫く街道も、いまはただ、身震いを誘う冷たい風が索漠と 
吹き過ぎるのみの場であった。 
 陰鬱な雰囲気をひしひしと感じ取り、しかしいずれは──いや、もうすぐ──こんな雰囲気も 
一掃してみせる、との気概を胸に抱いて、リンクは道をたどっていった。 
 集落のはずれに小さな光が見えた。火が燃えているようである。近づいてみると、家並みから 
はずれた空き地に焚き火が起こされており、予想に違わず、傍らにはシークがすわっていた。 
地面に短刀が並べられている。研ぎ具合を確かめていたらしい。 
 短く声をかけ合い、リンクも火の前に腰を据えた。 
 エポナの経過は良好だが、大事をとって牧場に置いてきた──と、まず報告する。シークは頷き、 
短刀をしまいこんだあと、城下町の探索結果を述べ始めた。すでに得ていた情報のとおり、 
ゲルド族の姿はなく、城下は全くの無人であるという。町への進入に問題ははないと判断された。 
 早めの夕食を摂りつつ、二人は今後の方針を話し合った。 
 最初にとるべき行動は決定ずみだった。時の神殿に赴き、シークに宿っている『光の賢者』 
ラウルの真の覚醒を図ることである。それにより、かねてからの目標である、六賢者すべての 
覚醒が果たされるわけだった。 
 ところがその後となると、ここで話すだけでは解決しそうにない、不明な事項が多いのだった。 
たとえば、敵の本拠地であるガノン城へ乗りこまねばならないとしたら、空中に浮遊している 
そこへどうやって渡ればよいか、こちらが戦いを挑みにきている現状をガノンドロフが把握して 
いないとは思えないが、具体的にはどのような迎撃態勢を敷いているのか、といった点である。 
それらについては、実際にその場に立ってみなければわからない、と結論せざるを得なかった。 
 理屈ではそうとわかってはいたものの、いかにしてガノンドロフと戦うかを、リンクは 
模索せずにはいられなかった。膂力に秀で、かつ魔力をも駆使する相手である。魔王となった 
のちの実力を目の当たりにしたことはなかったが、これまで倒してきた敵より、はるかに強大で 
あろうとは、容易に想像がついた。何よりも警戒すべきは右手から放たれる衝撃の波動であり、 
それを回避した上で、剣なり他の武器なりを使った物理的戦闘に持ちこむのが基本と考えられた。  
 
 余念なく戦法を練るリンクに、時おり助言を送りつつ、自分の中に元あった憂慮を、シークは 
跡もなく消え去らせた。 
 ロンロン牧場でどんな時を過ごしたのか、リンクは詳細を語らなかったし、シークも問い質す 
気はなかったが、滞在の間にリンクの精神状態が好転したことは、疑問の余地なく察知できた。 
ガノンドロフとの最終決戦を控え、重圧に押しつぶされそうになっていたリンクが、いまは完全に 
立ち直り、緊張を感じながらもそれを糧として、心身に勇気を満たしているのだ。しかも以前の 
ような無鉄砲さは影をひそめ、あくまで冷静に、客観的に、彼我の力量と周囲の状況を分析している。 
まさに勇者と呼ぶにふさわしい姿であり、態度であった。 
 とはいえ、戦いを前にして、いまだ不確定の要素が残っていることに関しては、シークも懸念を 
持っていた。 
 その新たな一つを、いかにも解せないといった調子で、リンクが口にする。 
「ガノンドロフを倒すために必要だと言って、賢者がぼくに託してくれた力のことが、まだ全然 
わかっていないんだ。いったいどんな力で、どんなふうに使うものなのか……」 
 シークも答を持たなかった。ただ、引っかかる点はあった。 
 ナボールは、魂の神殿での別れの際、その力について言及しつつ、僕に意味ありげな視線を 
向けてきた。あれはどういう意味だったのか。その力の発現に、僕が何らかの関わりを持っている 
とでもいうのだろうか。 
「それにゼルダのことも……ゼルダが、いつ、どこで、どんな具合に姿を現すのか、さっぱり 
わからない……」 
 これもシークには答えられない疑問である。 
 インパはリンクにこう言ったという。 
(間もなくゼルダ様はお前の目の前に現れ、すべてを語られるだろう。その時こそ、我ら六賢者の 
力をもって魔王は封印され、ハイラルに平和が戻るのだ) 
 この言もあって僕は、ゼルダはガノンドロフを倒すにあたり重要な役割を演じるだろう、と 
想像したのだが、詳細は全く不明のままだ。 
「とにかくラウルを覚醒させるのが先決だ。そうすれば何かわかるんじゃないだろうか」 
 と話を元に戻す。 
「……そうだね」 
 リンクが頷く。その表情には、戦闘案を語っていた時とは異なり、溢出しそうになる想いを 
押しとどめている、とでもいうふうな、やるせない色合いが見てとれた。 
 そこには──とシークは思う。 
 リンクがゼルダに対して抱く特別な感情が、二人を繋ぐ特別な「何か」が反映されている。 
そしてそれを僕は──なぜか──喜ばしいと感じてしまうのだ。あたかも自分自身のことで 
あるかのように。なおかつ、僕が『ゼルダの子守歌』を知っていたという事実に示される、 
僕とゼルダの──いまだ実態不明の──繋がりまでもが、そこに関わっているのでは、との疑念、 
あるいは……確信……が…… 
「先に寝ててくれよ」 
 リンクの声で我に返る。 
「ぼくが見張りをやるから」 
「……ああ、頼む。夜中を過ぎたら代わろう」 
 横になり、逸走していた思考を抑制する。 
 僕のこうした内面の問題も、ラウルの覚醒によって解決するはず──とおのれに言い聞かせ、 
シークは意識を眠りに追いこんだ。  
 
 翌朝、日の出とともに──といっても暗雲のせいで太陽は見えず、それとおぼしき刻限に、 
と言うべきであったが──二人は行動を開始した。夜が明けているとはとても思えないほどの暗闇が、 
街道を行く二人のまわりに沈澱していた。それでも城下町に到着する頃には、昇るにつれて 
強まった日の光が、わずかながら雲を透過して地に届き、左右に伸びる城壁を目に映すことが 
できるようになっていた。 
 城壁は一カ所で途切れている。正門である。かろうじて構築は保たれており、かつての王国の 
栄華を偲ばせはするものの、反乱に伴う破壊の形跡は歴然としている。 
 リンクはシークとともに門をくぐり抜けた。そこを通るのは、この七年後の世界では初めての 
ことだった。 
 城下町を出入りする際、これまでリンクはいつも、西側にある王家の別荘跡近くの通用門を 
利用していた。正門にはゲルド族の見張りが立っていたからである。だがその見張りはもういない。 
跳ね橋も下りたままであり、通行は全くの自由なのだった。 
 二人は通りを歩み進んだ。 
 王城のお膝元であっただけに、建物の数は多い。以前は住居であったり商店であったり役所で 
あったり宿屋であったりしたそれらの家々は、しかしいまはすべて無人の廃墟だ。町の規模が 
大きい分、よけいに空虚感が強調されている。その上、反乱の爪痕は市街地でもありありと 
しており、半壊あるいは全壊した建造物は数えきれない。焼けたまま放置された区画もしばしば 
目に入る。道にはもちろん人影の一つもなく、暗く冷たい空気だけが澱んでいる。 
 ここに来るたび見せつけられる光景だ。否応なく胸がかきむしられる。同時に心は奮い立つ。 
 この鬱積した憤懣も、あと少しで解消できるのだ。 
 町を行くのに障害はなかった。いつガノンドロフが襲ってくるかと警戒を怠らずにいた 
二人だったが、そのような徴候は全くなかった。 
 けれども気は抜けない。何ごともないのはかえって怪しい。どこに罠が仕掛けられているか 
わからない。 
 事前には『副官』に教えられたゲルド族の宿所を訪れることも考えていたが、邪魔が入らない 
うちに行うべきことを行うべきである──と意見は一致し、二人は本来の目的地へと足を進めて 
いった。 
 時の神殿が見えてくる。暗然とした環境にあっても、その荘厳な佇まいは、七年前と変わらない。 
それが心を励ましてくれる。 
 しばし歩を止め、気配をうかがう。周囲に敵はいないと確認して、中に入る。 
 短い通路を抜け、吹き抜けの部屋に出る。室内は暗黒の一歩手前といった状態だが、天窓から 
差しこむかすかな光が、どうにか内観を視認可能としている。その光を受け、前方に横たわる 
石板の上で、三つの小さな色点が輝いている。 
 左側は緑。デクの樹より授かった『コキリのヒスイ』、すなわち『森の精霊石』。 
 中央は赤。ダルニアから渡された『ゴロンのルビー』、すなわち『炎の精霊石』。 
 右側は青。ルトの思いのこもった『ゾーラのサファイア』、すなわち『水の精霊石』。 
 七年前、『時の歌』とともに『時の扉』を開く鍵となり、時を越えゆく旅の原点をもたらした、 
三つの精霊石。 
 その前に歩み寄ったシークが、立ち止まったと見るや、くるりとこちらに向きを変え、 
黙したまま、頷いた。 
 それだけでは何の意味もとれない促し。しかし、なすべきことは了解ずみだ。 
 リンクは『時のオカリナ』を手に持った。  
 
 ラウルを真の覚醒に導くためにはどうすればよいか。 
 シークは確信を持っていた。魂の神殿で自己の内にラウルの存在を感知した時から、その確信は 
あった。すなわちラウル本人が潜在的にそう主張しているのである。誤っているはずがないのだった。 
 すでにラウルは半覚醒状態にある。光の神殿という場を得るに至って、彼の覚醒は完全となる。 
 光の神殿は地下深くにあり、物理的には到達できない。が、神殿の前にあるゴシップストーンから 
得られたメロディには神殿の扉を開く効果がある、という原則は──物理的ならぬ精神的な 
意味であれば──ここでも適用されるはずだ。『光のプレリュード』で扉を「開く」ことにより、 
ラウルの精神は光の神殿に回帰できるのだ。 
 そのメロディが、いま、奏でられる。 
『時のオカリナ』を構えるリンクを、シークはじっと見守った。この時が来たことに、言いようのない 
感慨があった。ラウルが覚醒するというだけでなく、それは自分自身を発見できる瞬間でも 
あるのだった。 
 オカリナから紡ぎ出される、晴れやかな、軽やかな旋律が、室内の空気を介して、鼓膜を震わせる。 
神経を伝わる。脳によって認識される。 
 扉が開いたとは感得できない。けれども開いたのは確実だ。なぜなら…… 
 これまでずっと僕の心にひそんでいたラウルの精神、その伏在を知ったのちも混和を保ってきた 
ラウルの精神が、いま、僕の精神から分離しつつある。それを僕は実感できる。確かにそうだと 
実感できている! 
 僕の身体は光り始める。全身が光に包まれる。光は闇を消え散らせ、真昼のように室内を 
照らし出す。圧倒的な明るさが、逆に視覚を無にしてしまう。壁も、床も、天井も、石板の上の 
三つの精霊石も、僕の前に立つリンクの姿も、何もかもが見えなくなる。ただ一つ感じ取れるのは 
僕自身の内部だ。留意しろ。留意しろ。ラウルが去ったあとに残るのが真の僕── 
 ではない! まだ! 
 ラウルとは異なる例の「何者か」がそこにいる。ラウルが離れてゆくにつれてその存在は 
確然となる。そいつの本態を見極めろ。いや、それよりも、「何者か」を除いたところにある 
ほんとうの自分を僕は確かめなければ。  
 
 注目する。 
 愕然となる。 
 何もない! 
 どういうことだ? 僕自身が「ない」とは? 僕の中に残っているのは正体不明の「何者か」 
だけなのだと? そんな馬鹿なことが── 
『起こっていた……わけだ……』 
 ……わかった。すべてわかった。完全に理解できた。 
 僕は記憶を失っていたのではなかった。『僕』の記憶など初めからありはしなかったのだ。 
もともと『僕』は──『シーク』という人間は──存在すらしていなかったのだ! 
 ナボールの意味ありげな視線の意味を、いまは明瞭に把握できる。 
 他にも思い当たる点を挙げればきりがない。 
 僕があの子守歌を知っていた理由。 
 かつて自分が持つ男性器に違和感を持った理由。 
 時おり右手の甲に漠然とした痛みを感じた理由。 
 カカリコ村の酒場で酔客の話を聞いて、まるで自分が責められ、侮辱されているように思えた理由。 
 これほど手がかりがありながら、なぜ僕は気づかなかったのか。 
 考えるまでもない。 
 気づかないようにしてきたからだ。僕自身が思考を抑制してきたからだ。 
 もちろんインパは知っていた。にもかかわらず彼女は僕に真相を告げなかった。僕が知っていては 
ならないことだったからだ。 
 僕の中の「何者か」を守りきるために! 
 だが、もう、かまわない。いまこそ僕は抑制をかなぐり捨て、思いたいことを、思いたいように、 
思おうではないか。 
 リンクは常に僕の心の支えだった。なぜか? 
 リンクが主張する特別な「何か」に、僕は安心感を持っていた。なぜか? 
 リンクのそんな想いを、僕は自分のことのように喜ばしく感じた。なぜか? 
 リンクと「他の」女性との関係を考える時、僕はいつも胸に痛みを覚えた。なぜか? 
 僕の中にいた「何者か」のせいだったのだ。 
 僕が『幻影の砂漠』でリンクに情動を向けたのも、ラウルの存在だけが原因ではなかった。 
そんな情動を抱くのが当然である「何者か」が僕の心にいたからこその、あの夜のできごとだったのだ。 
 ゲルドの谷でもそうだった。リンクが放ったあの言葉に対して──(君は……じゃないからな!) 
──いや、僕こそが(『わたし』こそが)そうなのだと反応せずにはいられなかった「何者か」が 
(『わたし』が)僕を(『わたし』を)リンクとの接吻に踏み切らせて…… 
 それは……その「何者か」が僕自身であって……『僕』であって、『わたし』であって…… 
わたし自身であったからで──  
 
『光のプレリュード』を奏で終わるやいなや、シークの身体から放散され始めた光に対して、 
リンクは驚きを抱かなかった。光が何に由来するものであるかは明らかだった。 
『光の賢者』であるラウルが、シークから分離しつつあるのだ。 
 場のあらゆる物体をかき消すまで強まったのち、光の勢いは減衰へと移る。見えるべきものが 
再び見えてくる。ラウルが光の神殿へと戻っていったからだろう。ただ、その余波なのか、 
初めの暗闇は立ち返ってこない。何が光源なのかは不明だが、そこにあるものの姿形を正確に 
見てとるに充分な量の明るみが、なお室内には保たれている。だからぼくは目の前にいるシークを 
……正確に……見てとることが…… 
 できていないじゃないか! 
 何が起こったんだ? シークはどうなったんだ? ぼくの前にいるのは誰なんだ? 
 女性。 
 華やかな、かつ淑やかな、濃淡のある紅色の衣装を身にまとった、ぼくと同年代の若い女性。 
 こんな人物に、ぼくはこれまで会ったことが…… 
『ある!』 
 眼前の姿そのものを見たことはなくても、会ったことはあると言い切れる。なぜなら、 
赤い宝石をあしらった額の飾り、純金製とおぼしき両の肩当て、二の腕まで届く長い手袋、 
そして前垂れの布に描かれたトライフォースとハイラル王家の紋章が、その高貴な出自を明確に 
主張しているからで、のみならず、背中まで届く髪の金色の輝きは、あの時ぼくが垣間見たそれと 
全く同じであって、ぼくにしたらただ美しいとしか表現するすべを持たない容貌は、あの時の 
少女が七年を経たらそうなるだろうと、いや、まさにそうなのだと断言できるものであって、 
いまにも感情があふれ出しそうな表情は、あの時──(どうか……お願いします)──ぼくに 
向けられたそれとぴったり重なり合っていて、その感情の断片を乗せた、 
「リンク……」 
 呟きは、あの時の──(ありがとう……)──かすれた声と正確に共鳴していて、それに、ああ、 
それに、そんなのは全部ぼくの思いこみかもしれないとの無慈悲な可能性を完璧に否定してくれる 
要素、右手の甲に印された知恵のトライフォース、さらに左の耳につけられたトライフォースの 
耳飾りが右にはないという事実によって……君は……間違いなく君は…… 
「ゼルダ……」 
 こみ上げる。想いがこみ上げる。その想いがあまりにも大きく、重く、深いせいで、言葉は 
喉に詰まってしまい、どうしてもあとを続けられない。ぼくの名を呼んだきり声を出さない 
君もまた、ぼくと同じ想いを溜めこんでいるのだろうか、そうであって欲しい、ぜひそうであって 
欲しい、もしそうならぼくたちは、ここで再び出会ったぼくたちは、いまこそ互いの想いを 
さらけ出して、触れ合わせて、ぶつけ合って…… 
 でもどうして、どうしてシークがゼルダなんだ、シークにはラウルが宿っていたはずだが、 
いったいどういう機序でゼルダが現れたのか、待てよ、ゼルダが現れたということは、これからの 
戦いに新たな局面が加わることを意味するけれども、それはどんな局面なのか、他にもまだ 
わからない点が── 
 
 あふれ出しそうになる感情を、ゼルダは抑えきった。 
 できることなら、ああ、できることならいますぐにでもリンクと、七年の時を隔ててようやく 
相まみえられたリンクと、心ゆくまで想いを交わし合いたい。しかしそうはできないのだ。 
その前にしておくべきことがある。リンクの混乱を解いてやらなくてはならない。リンクに 
すべてを語らなければならない。それをし終えて初めてわたしはリンクと──  
 
「魔王の追及を逃れるためとはいえ、シーカー族と偽り、接してきたこと、どうか、許してください」 
 ゼルダが口を開く。感情の露出を控えた、落ち着いた声音に、意外な印象を誘われながらも、 
ぼくは発言の内容に注意を向ける。 
 シーカー族と偽っていたというのなら、やはりゼルダとシークは同一人物だったのだ。変装? 
違う。シークは明らかに男だった。女であるゼルダが男の姿となっていたわけは…… 
「シークにラウルが宿っていたんじゃなくて……君にラウルが宿って……シークになっていた…… 
と……?」 
「はい」 
 穏やかに頷き、ゼルダは語る。 
「七年前、ガノンドロフに追われたわたしは、インパに連れられて城下を脱出しました。 
あなたとのお別れも、その時でしたね」 
 当時の心境を思い出してか、寂寥の気をうかがわせる微笑みを、いっとき口元に現したのち、 
ゼルダは淡々と話を続けていった。 
「わたしは南の荒野に身を隠しました。光の神殿に封印されたあなたが、時の勇者として七年後に 
帰還すること、六賢者を目覚めさせ、その力を得て、ガノンドロフを倒すのが、あなたの使命で 
あることを、そこでわたしは予知し、併せて啓示を受けました。ラウルの精神がわたしに接触し、 
語りかけてきたのです。トライフォースが三分された背景と、それらすべてを奪取し、さらに 
賢者を抹殺しようとするガノンドロフの邪悪な意図を、ラウルはわたしに伝え、一つの策を 
提示しました。ラウルがわたしに宿り、ゼルダでもなくラウルでもない、新たな精神と肉体を持つ 
一人の人間となって、二者の存在を隠し通す、という対抗策です。わたしはそれを受け入れました。 
こうしてシークという人物がこの世に現れることになったのです」 
 つまり──とリンクは首肯する。 
 シークは男女の混淆だった。身体つきが華奢で中性的だったのも、射精しなかったのも、 
そのせいだったのだ。見かけが男であったのは、ラウルとしての側面が表に出ていたということ 
なのだろう。ケポラ・ゲボラはシークが若い頃のラウルに似ていると言っていたが、いまとなっては 
妥当なことと頷ける。 
 そのケポラ・ゲボラは、シークがゼルダであることを知っていたのだろうか。 
 もちろん知っていたに違いない。シークの中のラウルに気づいた時点で。ケポラ・ゲボラは 
ラウルを守るためにシークを庇って囮になったわけだが、それは同時にゼルダを守るためでも 
あったのだ。 
「そのいきさつを……自分がゼルダだということを、シーク自身は……というか、シークだった 
時の君は……知っていたのかい?」 
「いいえ」 
 きっぱりと言葉が返ってくる。 
「ゼルダとしての記憶を、シークは持っていませんでした。そうでなければならなかったのです」 
 当然だ。ラウルが自分の中にいることを知らなかったのと同じ理由で、シークは自分がゼルダで 
あることを知っていてはならなかった。心を読む能力を持ったツインローバに抗してゼルダを 
守りきるためには。 
 確かに──とリンクは思う。 
 ずっと捜し求めてきたゼルダがすぐ身近にいたというのは、まことに皮肉な話ではある。 
しかしそれをどうこう言う気には全然ならない。偽りだったと、許してくれとゼルダは言うが、 
シークとしては知らなかったことなのだから、許すも何もないわけだ。むしろ、シークの七年間の 
苦労はすなわちゼルダの苦労であったのだと、シークとともに戦ってきたぼくはすなわちゼルダと 
ともに戦ってきたのだと考えると、感慨を、感動を覚えずにはいられない。ぼくにとってシークは、 
友人であり、同志であり、また、そんな既存の単語では言いつくせない大事な存在でもあった。 
他の誰にも起こりえない、ぼくたちの間でしか成り立たない関係だったと言っていいだろう。 
そこまで信頼し心を許した相手が、実はゼルダであったというのなら、これ以上、嬉しいことは──  
 
 そこで、ぎくりとする。 
 ここまでのゼルダの話しぶりだと…… 
「あの……じゃあ、いまの君は……シークとしての記憶を……」 
「持っています。あなたと一緒に戦ってきた思い出を、わたしは決して忘れません」 
 そう言ってくれるのは嬉しい。ひたすら嬉しい。ところが別のこともゼルダは知っている。 
ぼくがゼルダを好きで好きでたまらないということ、それだけならまだしも、ぼくがゼルダを 
想って自慰にふけっていたこと、多くの女性と関係を結んできたこと、何もかもゼルダは知って 
いるんだ。なんら恥じるべき行為ではないと見なしてきたことだけれど、実際にゼルダを目の前に 
置いて、そんなぼくをゼルダはどう思っているのかと考えると、何というか、どうにもこうにも、 
そうだ、ゼルダがぼくをどう思うかはゼルダに会ってみなければわからない、といままでぼくは 
この件を棚上げにしてきたが、とうとうその時が来てしまった、どうなんだろう、どうなんだろう、 
いったいゼルダはぼくを── 
「ですが、まだ戦いは終わっていません。ガノンドロフとの対決が残っています」 
「あッ!」 
 ゼルダの冷静な台詞がぼくを現実に戻す。大変なことを思い出す。 
「ガノンドロフだ! あいつはぼくたちのトライフォースを狙ってる! 君が姿を現したら、 
すぐにもあいつは襲いかかって──」 
「大丈夫です」 
 泰然と微笑むゼルダ。 
「覚醒したラウルが、神殿の周囲に結界を張りました。ガノンドロフはここへは入ってこられません」 
「あ……」 
 そうだった。完全覚醒した賢者の結界は強力で、ガノンドロフ本人はもちろん、魔力の浸透すら 
許さない。 
「それに、わたしの結界も加わって、神殿は二重に守られています。万が一にも襲われる心配は 
ありません」 
 なるほど、その点は安心だ。が…… 
「君の結界──って……どうして君にそんなことができるんだ?」 
「わたしが賢者だからです」 
「何だって?」 
「わたしは『時の賢者』──六人の賢者の、さらに長となるべき、七人目の賢者です。ラウルの 
啓示によって、わたしは自らの存在意義を知りました」 
 驚きのあまり二の句が継げない。 
 優しげな、それでいて強い意志のこもった眼差しをぼくに向け、ゼルダは言葉を連ねてゆく。 
「ラウルの計画は、こうです。『時の賢者』であるわたしの呼びかけで、覚醒した六賢者たちが 
封印を開く。そこへガノンドロフを引き込み、わたしがこちらの世界から封印を閉じる。それで 
魔王ガノンドロフはこの世から消え去り、暗黒の時代は終わりを告げるのです。ただし……」 
 短い間をおいて、 
「そのためには、リンク、あなたの働きが必要です」 
 言葉は続けられる。 
「ぼくの働き?」 
「はい」 
「どんな?」 
「二点あります。ガノンドロフを封印に引き込む前に、彼の力を奪っておかなければなりません。 
あなたの武勇に期待します。それが一点です」 
 ガノンドロフと戦えと。いいとも、もちろん。そのつもりでぼくはここに来た。 
「わかった」 
 頷く。そして問う。 
「もう一点は?」 
 ゼルダの視線が、かすかに揺らいだ。  
 
 わたしは動揺している。胸の鼓動が速くなっている。王女として、賢者として、どうにか平静な 
態度をとってきたというのに、その態度を維持するのがだんだん難しくなってきている。もう少し、 
もう少しでいいから自分を保っていなければ。 
「わたしが六賢者に呼びかけて、封印を施すにあたっては……」 
 そう、そうやって明確な言葉で、わたしはリンクに知らせるべきことを知らせなければならない。 
わたし自身さえついさっきまで知らなかったこと。ラウルが土壇場まで秘密にし、去り際になって 
ようやくわたしに伝え置いていった最後の啓示── 
「相応する力を、わたしが持たなければなりません」 
 ──そうありたいとわたしが願ってきたリンクとの結びつきが、こういう運命的な形で 
果たされることをわたしはこの上なく嬉しく思うのだけれど── 
「それを、リンク、わたしはあなたから受け取ることになっています。あなたが賢者たちから 
託された力です」 
 ──その前にわたしは告げなければならない。リンクに告げなければならない。わたしと 
リンクの間にわだかまる、あのこと。ああ、なのに── 
「あの力を、君に?」 
 ──なのに話はここへきてしまった、言うべきところへきてしまった、もうどうしようもない、 
言わないわけにはいかない…… 
「はい、それを受け取るとともに……わたしは……つまり……『時の賢者』として……覚醒…… 
するのです」 
 
『時の賢者』として覚醒する──だって? 
 ぼくの胸はざわめき始める。賢者に託された力のことは「当人」すなわちゼルダに訊けと 
言ったケポラ・ゲボラはやはりゼルダの居場所を知っていたのだという納得やら、その力の 
使い道がようやくわかったという安堵やら、賢者として目覚めていないゼルダがどうして結界を 
張れるのかという疑問やらを、そのざわめきが押し流してゆく。他のことを考えられなくなる。 
 ゼルダの物腰はやけに丁寧で、妙に感情が抑えられていて、何となく近寄りがたい雰囲気すら 
漂わせていて、それはゼルダが王女であり賢者であることの表れなのかもしれないが、 
人の肩書きなんかどうでもよかったぼくがそんなことを意識してしまうのはゼルダがぼくを 
どう思っているのか気になってしかたがないからで、ところがそのゼルダがここへきて、 
抑えてきた感情を抑えられなくなったのか、はにかんだ風情でびっくりするようなことを 
言い出して、賢者の覚醒が何によってなされるかをぼくは知りすぎるほど知っているけれど 
ゼルダの場合もそうなのか、もしそうならぼくとゼルダがそうなるわけだがほんとうにそうなのか、 
そうなのか、そうなのかどうなのか確かめないと── 
「どうやったら……その力を……ええと……君に、渡せるのかな?」  
 
「それは……その……」 
 落ち着いて、落ち着いて話せばいい、これはわたしたちの使命なのだからなにも臆する 
必要などない、過去の行為を考えたらこれくらいさらりと言えるはず──と必死で自分に 
言い聞かせてもそんなことで動揺は治まらない。治まらないどころかますます強くなる。 
胸はがんがん動悸を打つ。頬はかっかと熱を持つ。リンクには見えているだろう。わたしが真っ赤に 
なっているのが見えているだろう。そのせいかリンクの態度がおかしい。あわてているみたい。 
気づいた? わたしが言おうとしていることに気づいた? 気づいたのならリンクの方から 
言ってくれるかも…… 
 だめ、そうはいかない。リンクはわたしに質問した。だからわたしは答えなければ。女のわたしから 
言い出すなんてはしたないことではあるのだけれど、それに告げなければならない件が残っては 
いるのだけれど、ここまできたら、ああ、ここまできたら── 
「あなたと……わたしが……」 
 
 ゼルダが言う。目を伏せて。消え入りそうな声で。それがぼくの期待している言葉なら、 
女性であるゼルダに言わせるのはどうかと思ったりもするのだが、ほんとうにゼルダが、 
あのゼルダが、ぼくにそんなことを言うとは信じられないような気もまだしていて、だからゼルダ、 
言ってくれ、君がぼくとの何を望んでいるのか教えてくれ、早く続きを聞かせてくれ! 
 
 言おう。言ってしまおう。リンクがわたしに寄せる想いをシークであったわたしはすでに 
知っている。いまはわたしの想いをリンクに伝えよう。わたしは望んでいるのだから、リンクとの 
それを望んでいるのだから、心の底から望んでいるのだから! 
「契りを、結ぶことで」  
 
 ゼルダの声が耳を刺す。 
 やっぱり! やっぱりそうだった! 
 ゼルダがぼくと! ゼルダがぼくと! ゼルダがぼくと! 
 あまりのことに、それはほんとうにゼルダの望みなのか、使命を果たす上での単なる過程としか 
思っていないのではないか──などと一瞬、夢を見た人が頬をつねるような思考をしてしまうが、 
そんなわけはない、顔を赤らめてたどたどしく言葉を絞り出すゼルダの、いまのが真情でない 
はずはない! 
 思い出す。 
 ルトも言っていたじゃないか。ゼルダはぼくを好いていると。 
 他にも。自慰に関する議論の際、ゼルダはぼくが好きだという根拠のない──とその時は 
思われた──前提でシークは話を進めたが、あれはゼルダとしての深層意識がシークに反映されて 
いたからに違いない。 
 同じく! ゲルドの谷でシークがぼくに唇を寄せてきたのは! ゼルダの意識に牽引された 
結果だったんだ! 
 もう確信は揺るがない。 
 ぼくはこの時が来るのを望んできた。ずっとずっとずっと望んできた。 
 それが、ついに、現実となって── 
『でも……』 
  
 とうとう言ってしまった。 
 けれど、言ってよかった。ほんとうによかった。リンクは表情どころか全身に歓喜を満ちあふれさせ、 
いまにも怒濤のような感激をぶつけてこようとしている。わたしの想いを受け取ってくれて! 
 わたしはこの時が来るのを望んできた。ずっとずっとずっと望んできた。 
 それが、ついに、現実となって── 
『でも……』 
 自分の過ちを、自分の罪を忘れてはならない。 
 リンクを戦いに巻きこみ、七年という時間を奪ってしまったわたしの愚かさ。 
 リンクの人格をも無視して貫きとおした、あの行為。 
 過ちは正さなければならない。罪は贖わなければならない。が、それはあまりにも重大で…… 
「ゼルダ」 
 切迫した声が思いの流れを絶ち、目は覚えずリンクへと向いた。 
 
 ぞっとするような発想に、リンクは至っていた。 
「賢者として目覚めたら、君は……神殿にとどまらなきゃならなくなって、この世界とは…… 
切り離されてしまうんじゃ……」 
 他の賢者はそうだった。ゼルダもそうだというのなら、ぼくは── 
「いいえ」 
 ゼルダが首を横に振る。 
「賢者として覚醒したあとも、わたしはこの世界にとどまります。そうでなければ、ガノンドロフの 
封印を閉じることができませんから」 
「あ、そうか……」 
 ほっとする。胸に温感が染み渡る。全身の力が抜けそうになる。 
「じゃあ……ぼくたちはこの先も、ずっと一緒にいられるんだね」  
 
 リンクの思わぬ発言が、心を大きく揺さぶった。 
「……ええ……そう……」 
 言われてみれば── 
「そうよ、そのとおりだわ……」 
 目前の戦いに意識が集中しすぎていて、そこまで考えが及ばなかった。リンクとの関係は 
一時のものではないのだ。わたしたちはこの先、ずっと一緒にいられる。そう、ずっと一緒に! 
ずっと一緒に! ずっと一緒に! 
 告白はしなければならない。けれどそれが、リンクとの契りだけでなく、リンクと将来を 
ともにすることへの関門だというのなら、わたしは他の何ものを捨ててでもリンクの許しを請おう、 
そうすれば、そうすれば、わたしたちは、わたしたちはずっと── 
『でも!』 
 
 そうなんだ、自分の未来を現実的に捉えられなかったぼくだが、いまのぼくにはそれが 
現実として見えている。ぼくたちはこの先、ずっと一緒にいられる。そう、ずっと一緒に! 
ずっと一緒に! ずっと一緒に! 
 七年前、ハイラル城の中庭で、そして案内された部屋で、ぼくは君の手を握って、君もぼくの 
手を握って、その時の触れ合いはそこまでだったけれど、いまはもっと、もっと、もっともっともっと 
密に、別の形で── 
「ゼルダ……」 
 ──ぼくたちは触れ合えるんだから、ぼくたち二人は望んでいるんだから、ああ、ぼくは 
なんだってぼんやり突っ立ってるんだ、目の前にいる君に向かってぼくは一歩を踏み出して、 
さらに一歩近づいて、そうすればぼくは、君に、もう少しで、もう少しで── 
 
 おかしい。どこかおかしい。何がおかしいのかというと、そう、あの予知だ。七年前、 
リンクと初めて会った日の夕方、予兆の星に喚起された、あの予知。あれは「切り札」だ。 
ところがその「切り札」をわたしは使っていないし、何がどう「切り札」なのかさえいまだに 
わかっていない。ガノンドロフを封印する目途は立っているのだから使わなければ使わないでもいい、 
とは切り捨てられない。そんなはずはないのだ。あれは絶対に必要な「切り札」だ。わたしの 
予知ははずれたことがない。これはどういうわけなのか──と惑っている間にもリンクが歩みを 
寄せてくる。目に情熱を滾らせて、両手に意思を語らせて、わたしを捉えようとして、わたしを 
抱きしめようとして、けれどわたしはこの「切り札」とそれをもたらした罪のことをあなたに 
告げなければ、告げなければ、でも、でも、あなたは── 
「リンク……」 
 ──あなたは待ってくれない、腕が、あなたの腕がわたしを包もうとして、包もうとして、ああ、 
もういい、いまはいい、いまは、ただ、あなたに、あなたの腕に、わたしを、わたしのすべてを──  
 
 手が触れた。ゼルダにではない。その手前にある何かに。 
『え?』 
 何もない空間に忽然と現れた、透明なそれ。大きな結晶のようなそれ。ぼくとゼルダの間を 
遮断して、いや、ゼルダの全身を取り囲んで! 
 ゼルダが口をぱくぱくあけている。狼狽の表情で何か言っている。しかし聞こえない。 
姿は見えているのに声は全く届いてこない。 
「ゼルダ!」 
 と叫ぶぼくの姿はゼルダにも見えているだろう。が、声はやはり伝わってはいまい。 
 結晶を叩く。硬い。 
「ゼルダ!」 
 続けて叩く。叩き据える。びくともしない。 
 いったい何がどうなったのかと惑乱する意識が、ふと気配を感じ取る。目を上げる。 
 開かれた『時の扉』の陰から、のっそりと出現する、黒い巨体。 
 驚愕── 
「愚かなる反逆者、ゼルダ姫よ。七年もの長き年月、よくぞ俺から逃げおおせた」 
 両眼に灯る残忍な光。口元に宿る冷酷な笑み。底知れぬ重みをもった低い声。 
「だが、油断したな。この小僧を泳がしておけば、必ず現れると思うておったわ」 
 ガノンドロフ! 
「どうやって……」 
「結界か? 益体もない」 
 声が嘲りの色を帯びる。 
「結界が張られる前から、ここにいただけのことだ。ツインローバの注進でな」 
「ツインローバ?」 
「死ぬ間際に思念を飛ばしてきたのだ。ラウルがシークに宿っている、とな。ラウルが覚醒する場は、 
この時の神殿しか考えられん。ラウルを最後に六賢者の覚醒が完了すればゼルダが出てくると 
見越して、ここで待っていた。結界のことも想定してな。ただ、ラウルが当のゼルダに宿って 
シークとなっていたとは、さすがに俺も気づかなかったが」 
 やはり罠はあった。先回りされていたのだ。ゼルダを捕獲した結晶は間違いなくこいつの 
魔力の所産。 
 心身に緊張が充満する。 
『怯むな!』 
 状況を確認する。ガノンドロフは『時の扉』の前に立っている。こちらを嘗めてかかっているのか、 
体勢は隙だらけだ。速攻の好機。とはいえ距離が開いている。間には三つの精霊石の填った 
石板もあって、剣で斬りかかるには無理のある位置。それなら……  
 
 右手を腰にやる。フックショットをつかむ。構える。発射する。飛び出す尖端はみごとに 
相手の顔面を── 
 通過してしまった。 
『どうして!?』 
 狙いは正確だった。なのに命中しないとは── 
「馬鹿め」 
 ガノンドロフが冷笑する。 
「俺が生身で待ち伏せなどすると思ったか。これは俺の影に過ぎん」 
 やはり魔力の産物。実体のない映像なのか。 
「しかし所作の素早さと度胸はなかなかのものだ。各地の魔物を倒し、俺の片腕である 
ツインローバさえ討ち果たしただけのことはある。貴様の力を、俺は少々甘く見ていた。 
そいつが誤算だった。特に……」 
 ガノンドロフの顔から笑いが引いた。憎悪が剥き出しになった。 
「時間を飛び越えて歴史を変えてしまうとはな!」 
 それを知っていたのか。なぜガノンドロフが? シークは、すなわちゼルダは知っていた。 
二人の共通点は? トライフォース? 実際に時を旅するぼくを含めて、トライフォースを 
持つ者だけが歴史改変を認識できるのだと? 
 そのトライフォースに、ガノンドロフが言及する。 
「いや……貴様の力ではない……勇気のトライフォースの力だ……そしてゼルダの持つ 
知恵のトライフォース……この二つを得たその時こそ……俺はこの世界の真の支配者となる……」 
 こちらに語りかけているふうだが、独り言ともとれる。声が異様だ。呻きに近い。何かに 
取り憑かれてでもいるような…… 
 そんな挙動も束の間だった。ガノンドロフが右手を顔の前に上げ、鋭く指を鳴らした。とたんに 
眼前の結晶がゼルダを捕らえたまま空中へと浮き上がる。 
「ゼルダ!!」 
 大呼も虚しく不意にその姿はかき消える。 
「ゼルダを助けたくば我が城まで来い!」 
 声を浴びせられて目をやれば、ガノンドロフの影もすでにない。 
「くそッ!」 
 ここまできて……もうちょっとでゼルダに触れられるところまできて……そのゼルダをみすみす 
奪われてしまうなんて…… 
 悔しさと情けなさと怒りがないまぜとなって胸を爆発寸前にする。 
『まだだ!』 
 ことが終わったわけじゃない。これから始まるんだ。これからが真の戦いなんだ。 
 来いと言うなら行ってやる! 
 踵を返し、足を駆けさせ、リンクは時の神殿から立ち去った。  
 
 地面は大きく深く抉り取られ、灼熱の熔岩を底に溜めている。その不気味な赤みを底面に映して、 
ガノン城が宙に浮いていた。この世のあらゆる邪悪さをまとめて一つにしたような、陰惨かつ 
獰猛きわまりない雰囲気を発散させる暗黒の城を、リンクはまっすぐ睨み据えた。 
 立っているのは、熔岩の海に面した崖の縁である。城の入口らしい構造が、どうにか遠目に 
見てとれる。 
 けれどもそこへは渡れない。その場に立ってみなければわからないと先送りにした問題だが、 
実際にその場に立ってみても解決法は見当たらなかった。 
 フックショットが届く距離ではないし、届いたとしても撃ちこめる的がない。ホバーブーツを 
作動させても、途中で落ちてしまうのは確実だ。 
 ゼルダが賢者として覚醒していれば、その力で橋でも架けてくれただろうか──などと考えても 
しかたのないことまで考えてしまう。 
 こうしている間にもゼルダの身には危険が及んで……あるいは、もう…… 
『いや』 
 冷静に考えてみる。 
 ガノンドロフはぼくとゼルダのトライフォースを狙っている。どうやって奪うつもりなのかは 
わからないが、何らかの侵襲を伴う行為であることは間違いあるまい。 
 ゼルダはガノンドロフの手の内にある。襲うのは簡単だ。なのに、 
(ゼルダを助けたくば我が城まで来い!) 
 ガノンドロフはわざわざぼくを呼び寄せている。なぜなのか。 
 ぼくを襲う気だとしても、それだけなら呼び寄せる必要はない。ゼルダを襲ったあと、好きな 
時に好きな場所でぼくを襲えばいいのだから。 
 トライフォースを奪う際、ぼくとゼルダが同じ場にいなければならない、何らかの理由があるのだ。 
 とすれば、ぼくが行くまで、ガノンドロフはゼルダに手を出さないはず。 
 得心した上で、次の行動を考える。 
 一つの手だてが残っていた。  
 
 かつて城門だった瓦礫を乗り越えてゆくと、無数の巨岩が地を埋めつくしていた。リンクは 
『金のグローブ』を両手に嵌め、邪魔物をひとつひとつ排除して、道を作った。かなりの時間が 
かかったが、ついには終点に到達できた。 
 太い柱のような岩の壁が、天を衝くほどの高さでそそり立っている。 
 七年前の世界では、岩に開口する小さな穴を、ぼくは這い進んでいった。その穴は、いまは 
つぶれてしまっている。先へ行くには、壁そのものを取り除かなければならない。 
 さすがに無理かと思われたが、底部に両手をかけてみると、岩壁はわずかに揺れ動いた。 
渾身の力を投入し、やっとのことで持ち上げ、脇に落とし置く。露出した地肌には、奥へと続く 
洞穴が開いていた。 
『銀のグローブ』のままだったら、岩壁を動かすことはできなかっただろう。砂漠の大妖精が 
述べたとおり、最後の戦いを前にして『金のグローブ』が役に立った。その最後の戦いに臨んで 
また来いと言ってくれたこの地の大妖精に、ぼくはこれから対面するのだ。 
 泉へとたどり着く。『時のオカリナ』で『ゼルダの子守歌』を奏でる。 
 高らかな笑いとともに、巨大な女体が水面から飛び出し、空中に静止した。 
「ようこそ、リンク。私は、勇気の大妖精……といっても、あなたにはわかっているわね」 
 頷く。 
 七年前は「魔法の大妖精」と名乗っていたが、同じ相手であることは明らかだ。 
「とうとう最後の戦いに行くのね。私からの贈り物も、これが最後よ」 
 両手から放たれる黄金色の光波が、リンクの全身を包みこむ。 
「魔力に対する防御力を強化してあげたわ。ガノンドロフと戦う時、役に立つはずよ。でも、 
受ける被害を弱めるだけで、なくすわけではないから、気をつけて」 
「わかった。ありがとう」 
 一礼し、あとを続ける。 
「デスマウンテンでも、ゾーラの泉でも、『幻影の砂漠』でも、たくさんのものを授けてもらえて、 
ほんとうに助かった。感謝するよ」 
 にっこりと微笑む大妖精。 
「気がついていたのね」 
 そう、気づいていた。各地で出会った大妖精がすべて同一の存在であることは、言葉の端々から 
うかがい知れていた。 
「これまで人間とは何度か関わってきたけれど、全部の場所で私に会って、それが一人だと 
見抜いたのは、あなたが初めてよ。特別な贈り物をしてあげなくてはね」 
 そこでいったん言葉を切り、目を中空に向けた大妖精は、次に、詩を朗唱するような調子で、 
短い文章を口にした。 
 
 剣は戦と旅にのみ用いるものにあらず 
 ただその時を待ちて用いるべし 
 
「この文句を、よく覚えておきなさい」 
 言い終わるやいなや、大妖精の身体は水面に落ちた。静寂だけがあとに残った。 
 リンクは狐につままれたような気分だった。 
 剣というのはマスターソードを指しているらしいが、「時を待ちて」とはどういう意味なのか。 
ガノンドロフとの戦いは、これからすぐにも始まろうとしているのに。 
 いや、戦いの他にも用途があると大妖精は言っているのだ。どんな用途かは、全くわからない 
けれども。 
 考えてどうなるものでもない、いずれわかる時は来るだろう──と腹をくくり、リンクは泉に 
背を向けた。  
 
 リンクは当初、大妖精がガノン城への到達方法を教えてくれるのではないか、と期待していた。 
が、出会いを待たず、その方法は見いだされていた。 
 再び『金のグローブ』を装着し、どけておいた岩壁を抱え上げる。足が地にめりこむのでは 
ないかと危ぶまれるほどの重みに耐えて、一歩、一歩、進んでゆく。途中で何度も休まなければ 
ならなかったものの、リンクはどうにか、その長大な岩の柱を、元の崖っぷちまで運び終えた。 
 これだけ高さがあれば届くだろう。 
 立てていた岩を目標に向けて押し倒す。目算どおり、岩の先端は轟音を発してガノン城の縁に 
叩きつけられ、崖との間を結ぶ一本の橋ができあがった。 
 その重量と衝撃にもかかわらず、城は微動だにしない。物理法則を無視して浮き続けている。 
 魔が支配する場所であることの証左でもあろうか。 
 リンクは岩の橋をゆっくりと歩み渡った。攻撃がくるかと案じたが、幸い、何にも邪魔されず、 
城の入口に到達できた。 
 内部へ伸びる通路からは、外観に勝るとも劣らぬ邪悪な雰囲気が感じ取れた。 
 ぼくを呼び寄せておきながら、簡単にはここへ来させなかったガノンドロフだ。この先も平坦な 
道ではないだろう。 
 それでも、ぼくは行く。勇気をもって。 
 ガノンドロフ! ぼくはお前を倒す! 絶対に! 
 ゼルダ! ぼくは君を救い出す! 絶対に! 
 見えざる二人への呼ばわりを、おのれに向けての鼓舞にも変えて、暗黒の渦巻く城内へと、 
リンクは足を踏み入れていった。 
 
 
To be continued.  
 

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