ガノン城内に伸びる通路は、やがて緩やかな下り階段となった。 
 前方にほのかな光が見える。階段の先に部屋があって、そこに火が焚かれているようだ。 
 真っ暗な中を足探りで進んできたリンクは、目が利く状況となったことに安堵し、歩調を速めた。 
 部屋に踏みこむやいなや、足元に熱した光線が突き刺さった。咄嗟に後方へと跳びすさり、 
素早く観察する。 
 部屋の向こう側に門がある。その左右に一体ずつのビーモス。番人といったところだ。死角はない。 
どんな具合に突入しても光線を食らってしまうだろう。が、こんな所でもたもたしているわけには 
いかない。 
 爆弾を連投し、強引に破壊して押し通る。 
 門をくぐると、さらに広い部屋に出た。重苦しい闇の中に、突然、無数の小さな火が浮かび上がった。 
 即座にマスターソードを抜き、襲い来るファイアキースの集団を回転斬りで一掃する。しかし 
それでは終わらない。第一波のあとは固まることなく四方八方から飛来してくる。各個撃破に 
移るも、どうやら敵は無限、きりがないと判断して、左方に見える階段を駆け上がった。 
 追ってくる群れを引き離し、階上の扉を開く。直ちに閉じて追尾を断つ。前方に警戒の目を向ける。 
 長い廊下。相変わらずの暗さではあるが、壁に打ちつけられた燭台の灯が点々と奥まで続いており、 
視覚を保つことは可能だ。 
 ここには敵はいないようだが…… 
 剣を持ったまま、リンクは注意深く前進した。 
 
 あとは部屋と通路の繰り返しだった。敵は部屋ごとに待ち受けていた。かつて遭遇した 
魔物ばかりであり、退けるのにさほど苦労はしなかったものの、部屋は多く、敵は多彩で、 
片時も油断はできなかった。 
 一刻も早くゼルダのもとへ──と気は逸るが、焦りは禁物。無理をして怪我でもしたら、 
ガノンドロフとの対決で不利になる。 
 慎重に、的確に、リンクは戦闘を続けていった。 
 行くにつれ、進路は上り階段に変じた。階数に比例して敵も強力になった。リザルフォスの 
強化版であるダイナフォス、スタルフォス、さらにはアイアンナックといった連中が、複数同時に 
襲いかかってくる。相手が強くなるのは終点に近づいている証拠、と闘志を燃やし、マスターソードと 
ハイリアの楯を手に、わきまえている対処法を駆使して応戦する。さすがに楽勝とはいかなかったが、 
多少の手傷を負った程度で、すべての敵を倒すことができた。 
 アイアンナックの部屋の次は、長い螺旋階段だった。壁には窓がある。城の中央に塔があって、 
そこを登っているらしい。 
 あとは天辺に至るのみ──と気を奮わせるリンクの耳に、奇妙な音が届いてきた。 
 身体を揺すぶり上げる重厚な響き。音楽のようだが旋律らしい旋律はない。不気味な音の積層である。 
 登るに従って音量が上がる。緊張も強まる。忍び寄る不安感を振り払い、ひたすら先を目指す。 
 ついに階段が尽きる。大きな扉に行き当たる。音はその向こうから漏れてくる。 
『ガノンドロフが、ここに……』 
 扉に手をかけようとして、動作を止める。 
 確認する。 
 身は? 問題なし。傷も疲労も戦闘に影響するほどではない。 
 心は? 大丈夫だ。緊張はあるが呑まれてはいない。勇気は烈々と内にある。 
 ただ…… 
 ガノンドロフを封印するためには、ゼルダが『時の賢者』として覚醒しなければならない。 
ところが覚醒を果たす前にゼルダは拉致されてしまった。このままガノンドロフと戦うことに 
なったら、ぼくが勝っても封印はできない。 
 先にゼルダを奪い返すか? 
 それができれば道は開ける。しかしガノンドロフが簡単に奪還を許すとは思えない。 
 どうする? 
 できることをやるしかない。 
 あとは状況次第──と腹を据え、リンクは扉を押し開いた。  
 
 その瞬間、聞こえていた音響が一段と勢いを得てリンクを押し包んだ。 
 大きな広間。先に道はない。やはりここは塔の天辺。意外に明るい。壁の燭台が多いのだ。 
また左右の壁には窓が並んでいて、乏しいながらも外光が透けて見える。 
 音は部屋の向かい側から発している。そちらの壁を占めるのは巨大な方形の物体。その前の 
椅子に坐す一人の人物。後ろ向きだ。赤いマントが肩から下を覆っている。音に合わせて肩が 
動いている。 
 ガノンドロフ! 
 あの物体は楽器なのか? ガノンドロフに演奏の心得が? ここに至ってこの振る舞いとは、 
余裕か、あるいは挑発か…… 
 さらに詳細を──と動かす視線が新たな物体を捕捉する。 
 ガノンドロフの頭上。天井近くの空中に静止した縦長の結晶体。中に立ちすくむ人影は 
ぴくりともしない。 
「ゼルダ!」 
 いくら呼んでも聞こえはしない。だが呼ばずにはいられない。 
 左手の甲に奇妙な痛みが走った。 
 見る。 
 トライフォースを構成する三つの三角形。その右下の一つ──勇気のトライフォースが、 
明滅を繰り返しながら輝きを増してゆく。 
 上方にも光を感じた。目をやると結晶の中に同様の輝き。 
 知恵のトライフォース! 
 その輝きで意識を取り戻したのか、ゼルダが身体を動かした。右手を見たのち、顔がこちらに 
向く。ぼんやりしていた表情がにわかに生気を帯びる。口が何かを叫び放つ。 
 応じて再び呼ばわろうとした時、室内の空気を震わせていた音響がぴたりと止まった。 
「共鳴している……」 
 ガノンドロフの声。 
「トライフォースが、再び一つに戻ろうとしている……」 
 巨躯がゆっくりと立ち上がる。 
「七年前の、あの日……我が手にできなかった二つのトライフォースが……貴様たち二人に 
宿ろうとはな……」 
 ふり返るガノンドロフ。両目の残忍な暗光と、口元の冷たい笑みは常のままに、重く低い声だけが、 
「そしていま、ついに……」 
 徐々に感情を表してゆく。 
「すべてのトライフォースがここに揃った」 
 ガノンドロフが右腕を上げる。右手の甲が示される。輝きを放っているのは確かめるまでもなく 
力のトライフォース。 
「貴様らには過ぎたおもちゃだ」 
 嘲弄と憎悪の混じった呟きが、 
「返してもらうぞ!!」 
 いきなり大喝となって場に響き渡った。 
 剣と盾を構え直す。ガノンドロフも身構える。腹の底から湧き出すような唸りとともに 
ぶつかってくるどす黒い悪の感覚。闇の波動。微動だにできないほどの圧倒的な迫力! 
『負けるもんか!』 
 構えを保つ。睨み返す。全身に勇気を充溢させる。 
 七年前のぼくはこいつとの対峙に耐えられなかった。やみくもに斬りかかることしかできなかった。 
いまのぼくは違う。魔王が発する重圧はあの時のそれを優に上まわっているが、ぼくは自分を 
見失いはしない。 
 ガノンドロフは言った。トライフォースが共鳴していると。トライフォースが一つに戻ろうと 
していると。ガノンドロフはこの時を待っていたのだ。ぼくとゼルダのトライフォースを奪うためには 
ぼくたち三人が一つの場に集まらなければならなかった。だからぼくをここへ呼び寄せたのだ。 
 ──と分析できるくらいぼくは冷静だ。見かけの迫力に押されることなく奴の動きを見極めろ。 
見極めろ。どうくるか。剣か。魔力か。何が来ようと対応できる態勢をぼくはとって──  
 
「はッ!」 
 と気合いを発してガノンドロフが宙に浮く。 
 魔力が来る! 
 右手を開くガノンドロフ。力をこめている。 
 距離を測れ。重心を浮かせろ。タイミングを見誤るな。 
 右手が光った。白い光線が突っこんできた。右に跳んでかわす。一足飛びに間合いを詰める。 
 波動を撃つには魔力を溜めなければならない。攻撃直後には隙ができる。そこが狙い目だ。 
 浮遊する敵には飛び道具。ただし剣を持ったままだと弓矢は使えない。かといって剣は手放せない。 
ならば──と初めから考えていた。 
 いっとき盾を左手に預け、空いた右手でフックショットをつかむ。構えると同時に発射する。 
飛び出す尖端は敵の顔面めがけて疾走し、 
「ちッ!」 
 ぎりぎりのところで避けられる。 
 しかし方策としては悪くない。次の攻撃がくる前に接近できた。あとは動きをもっと速く、 
もっと正確に── 
 ガノンドロフが大きく空中を移動した。近寄らせないよう距離をとるつもりだ。 
『させるか!』 
 と足を前に出す。ガノンドロフが右手を上げる。まわりに稲妻のような電光が走る。 
 異なる攻撃?──といぶかった直後、 
「はぁッ!」 
 光線ならぬ光弾が発せられた。だが避けるのは容易。間をおかず接近。フックショットを 
構えようとしたところへ、 
「あッ!」 
 新たな光弾が飛んできた。 
 よけられない! 
 咄嗟に盾を前に出す。光弾が衝突する。光が粒となって飛び散る。圧力は感じるが被害はない。 
 盾で防げた。助かった。 
 急いで後退する。敏速に頭を働かせる。 
 光弾は光線より溜めの時間が短いとみえる。光線では後手に回ると悟って攻撃法を変えて 
きたのだ。でも盾が有効なら…… 
 光弾が来る。避ける。次が来る。避ける。 
 やはり間隔は短い。避けるだけだと近づけない。 
 前方へと駆ける。正面から襲来する光弾は盾で飛散させ、速度を落とさず突っ走る。敵は 
目の前だ。今度こそフックショットを── 
「ぬあぁぁッッ!!」 
 突如ガノンドロフが降下した。右手で殴りつけてくる。あわてて横に回避。直撃は免れた。 
しかし強打は床に穴をあけ、大音響とともに周囲へ衝撃の振動をぶちまける。身体が床に 
叩きつけられる。盾が手から離れてすっ飛んでゆく。 
『しまった!』 
 追おうとするが、すかさず放たれた光弾に遮られる。やむなく後ろへ下がる。 
 防御できなくなった。どうすればいい? 
『待てよ……』 
 思い出す。浮遊する敵。盾で防げる光弾。かと思えば直接攻撃も。それで盾を失ってしまって。 
 同じ経験をぼくはした。 
 森の神殿で対戦したガノンドロフの分身! 
 分身だけに同じ攻撃パターンだったんだ。ならばいまもあの時と同様── 
 ガノンドロフの右手が上がる。振り下ろされる。マスターソードを握りしめ、一直線に走り来る 
光弾を、狙いすまして打ち返す! 
 光弾が逆走する。これで反撃と意気込んだ刹那──  
 
「ふんッ!」 
 ガノンドロフが右手を払った。光弾が跳ね返されてきた。 
 思わぬ再反撃。けれども遅れはとらない! 
 再びマスターソードで打ち返す。ガノンドロフも打ち返す。繰り返しになる。目まぐるしい 
光弾の往復。寸秒も気が抜けない高速の応酬。 
 埒が明かない。いっそ…… 
 打ち返した直後に突進する。 
「む!」 
 ガノンドロフが目を剥く。それでも返してきた光弾を、走りながらまた返す。突然の周期の 
乱れに敵の反応は間に合わず、 
「うぉッ!」 
 光弾は左肩に命中する。雷のような閃光と轟音がガノンドロフを包む。マントが裂ける。 
身体がぐらつく。 
 落ちてきたところを叩き斬ってやる──と待ち受ける。ところが落ちてこない。呻きながらも 
浮いている。のみならず急速に位置を変える。間合いが広がる。 
 一撃では足りない。もう一度だ。 
 とはいえ、こちらの戦法にすぐ対応してくるガノンドロフ。同じ攻撃は仕掛けてこないだろう。 
 ──と思いきや、ガノンドロフは右手を上げた。火花が散った。 
 懲りもせず光弾か。今度は一気に──! 
 いち早く突進する。遅れて光弾が放たれる。打ち返す。光弾はまっすぐガノンドロフへと 
向かい── 
 回避された。 
『何だって!?』 
 予期せぬ行動に驚く暇もなく、 
「ぬおりゃあぁぁッッ!!」 
 肉弾攻撃が降ってくる。 
 ドォンッ!──と炸裂する打撃を紙一重でかわす。しかし衝撃はかわせなかった。全身に激しい 
疼痛が走る。 
 やはり対応してきた! 油断した! 
 床を転がって離れる。が、すぐには立てない。 
 ここで光弾を食らってしまったら── 
 何も来なかった。再び空中に戻ったガノンドロフは両手を差し上げている。両手の間に小さな 
闇が現れる。 
「ぬぅぅぅううううう……」 
 唸りとともに闇が大きくなる。大きくなる。その中で点滅する数個の光。 
 強大な攻撃! いままで以上の! 
 こっちが即応できないのを見て溜めの時間を長くとっているのだ。 
 膝を起こす。腰を浮かせる。やっとのことで立ち上がる。 
 立ったところで応戦できるのか? あの巨大な魔弾をマスターソードで跳ね返せるのか? 
『やってやる!』 
 構えた直後、 
「ッりゃあああーーーッッ!!!」 
 ガノンドロフが吼えた。頭上の闇から飛び出した五つの光球が歪んだ弧を描いて殺到する。 
「てやあぁッッ!!」 
 全力をこめての回転斬り! 
 強烈な威に抗して左腕を振り抜く。光球は五本の軌跡を逆行してガノンドロフを強襲する。 
「ぐああぁぁぁッッ!!」 
 前に倍する閃光と轟音に囲繞され、ガノンドロフが絶叫する。残余の光が八方に飛ぶ。窓を粉砕する。 
屋根を突き破る。無秩序な破壊が席巻する中、凝固していた黒い巨体がどさりと床に落下する。 
『やったッ!』 
 賭だった。できるかどうかわからなかった。それでもぼくは賭に勝った! 
 痛みを忘れて身を駆け飛ばせる。腕を振り上げる。うずくまるガノンドロフにマスターソードを 
叩きこむ!  
 
 キン!──と鋭い響き。 
 阻まれた! 
 ガノンドロフが自らの剣を抜いたのだった。 
「ふんッ……!」 
「ぬぅッ……!」 
 ぎりぎりと結び合う二本の剣。 
 こちらが上から加える圧迫を、床に尻をついたガノンドロフが受ける。歯を食いしばって、 
目だけを爛々と光らせて、根を限りに! 
 惜しくも討ち損じたが、こっちが優勢。もはやこいつに余裕は── 
 ──残っていた。マスターソードがじりじりと押し上げられる。ガノンドロフの腰が浮く。 
巨体が立つ。逆に上から圧迫される。 
 何という腕力。やはり魔力だけの敵ではない。 
『いや!』 
 あれだけ痛手を負ったんだ。向こうだって精いっぱいのはず。 
 押し返す。ありったけの力で押し返す。二つの闘気が拮抗し、剣は寸毫も動かなくなる。 
 緊迫した静寂が場に張りつめるうち── 
 腕にかすかな振動が伝わってきた。異様な気配を感じた瞬間、ガノンドロフの剣が白い閃光を発した。 
 剣に魔力を伝播させるつもりか! 
 ところが何ごとも起こらない。 
「当てがはずれたな」 
 なぶってやる。 
「退魔の剣か……」 
 憾みのこもった呟きが返ってくる。 
 そう、マスターソードが魔力を受けつけなかった。加えてこちらには大妖精による耐久力もある! 
 体内で勇気が膨れあがる。それが腕にも波及する。最大の力が充ち満ちる。 
「おりゃぁッ!」 
 押す。押す。押しまくる。 
 ガノンドロフが後ずさる。抵抗しつつも後ずさる。 
 いける。これならいける。このまま片をつけてやる! 
 唐突に抵抗がやんだ。ガノンドロフが剣を引き、横に跳びのいたのだ。押し勝ったと満足する 
暇はない。瞬時に相手を目に捉え、息もつかせず突く! 薙ぐ! 払う! 
 ことごとく止められる。しかし手は緩めない。 
 ガノンドロフにどれだけ腕力があろうと、スピードはこっちが上だ。攻めの方向を振り分けて 
やれば、必ず隙はできる! 
 右に回りこむ。左に身を跳ばす。そのつど剣を繰り出し斬り結ぶこと十数回、横転して背後を 
とろうとするこちらに向き直りかけたガノンドロフが、ついにその片膝をがくりと折った。 
『いまだ!』 
「てえぇッッ!!」 
 最上段から振り下ろすマスターソードはまっすぐ相手の脳天に── 
 ──食いこむことなく床にぶつかった。ガノンドロフがなりふりかまわず逃げをうったのだ。 
床をごろごろと転がり、離れた所で起き上がった。肩で息をしている。たたみかけるべきなのだが、 
こちらも息が切れてしまって突っかかれない。 
 呼吸を整えながらの睨み合いになる。 
 喘ぎの下からガノンドロフが言った。 
「腕を上げたものだな」 
 褒めるところをみると、まだ余裕が残っているのか。 
「貴様の父親を思い出すぞ」  
 
 胸で驚きが爆発する。同時に記憶がよみがえる。 
 そうだ、ガノンドロフはぼくの父を知っている。かつて城下町の正門前で立ち合った時、 
ガノンドロフは父のことを口にした。 
「もう十六年も前になるが、いまでもよく覚えておるわ」 
 十六年前? ぼくが生まれるか生まれないかの頃? 何があった? 父とガノンドロフの間に 
いったい何があったんだ? 
「父親がどうなったか、知りたいか?」 
『知りたい!』 
 と心が叫ぶ。本来ならそんな話を聞いている場合ではない。が、父の情報を持っているのは 
ガノンドロフだけだ。ここで聞き出しておかなければ、手がかりは永久に失われてしまう…… 
「コキリの森の近くの、ある村を襲った時だ。敵にもならない奴らばかりの中に、一人だけ例外がいた。 
ハイラル王国の騎士。貴様の父親だ」 
 ハイラル王国の騎士! ぼくの父が! 初めて明らかとなったぼくの出自! 
「けっこう腕の立つ男だったぞ」 
 にやりと笑うガノンドロフ。それきり声は発せられない。 
 父とガノンドロフは戦っていた。その結果は? ガノンドロフが生きてここにいるということは…… 
 背筋にちりちりと悪寒が走る。 
「それで?」 
 促さずにはいられない。 
 ガノンドロフの笑いが凄みを増した。捕らえた獲物を弄ぶかのように。 
「手を焼かせてくれたが、結局は俺の剣の錆になったわ。みじめな死にざまをさらしてな」 
 ガン!──と頭を殴られたような衝撃。 
 予感はあった。それでも実際に聞かされると激しい動揺を禁じ得ない。 
「母親のことも教えてやろうか」 
 またも衝撃に襲われる。 
「貴様の母親は、そこにいた。赤子を抱いていた」 
 赤子だって? 
「俺は歩み寄って、こうやって……」 
 右手を伸ばして見せるガノンドロフ。 
「赤子を引きはがして、放り投げてやった。やかましく泣き出しおったな。生まれたばかりだった 
貴様が覚えているはずもないが」 
 赤子とはぼくのこと! 言われるとおり、そんな記憶などぼくには──  
 
『ある!』 
 あの夢だ! コキリの森を発つ前、毎日のように見ていたあの悪夢! 闇の中、湧き上がる 
炎を背に、巨大な黒い影、つまりガノンドロフがぼくを鷲づかみにしようと手を伸ばしてきて…… 
 ぼくの心の奥に埋もれていた、あれはその時の記憶だったんだ! 
「あとの経緯は知っているか?」 
 知っている。デクの樹のこどもから聞いた話。母は深い傷を負って── 
「俺は貴様の母親を斬った」 
 やはり! やはりそうなのか! 父だけでなく母までがこいつに! 
「最期を見届けてはおらんが、どうせすぐに死んだだろう」 
 そう、母は死んだ。ぼくを連れてコキリの森に逃げこんで。死の直前までぼくを守ってくれて! 
「斬る前に犯してやったぞ」 
 最大の衝撃が全身を打った。 
「冷たくなった夫の骸の横で──」 
「黙れ!」 
「その夫を殺した俺に抱かれて──」 
「言うな!」 
「声を漏らすまいと必死に耐えながら──」 
「やめろ!」 
「快感に身を震わせていたぞ貴様の母親は!」 
「やめろーーーーーッッ!!!」 
 酷薄な笑いを顔に貼りつけたまま、ガノンドロフが左手を突き出す。手のひらを上にし、 
くいっと指を曲げる。 
「復讐したければかかってこい。貴様にできるものならば、な」 
 脳が沸騰した。 
 吶喊する。たちまち眼前となった憎むべき対象に、腕も折れよとばかり剣を叩きつける。 
 斬ったのは空だけだった。 
 勢い余って前のめりになる。あわててふり向く。寸前で身をかわしたガノンドロフが斬りかかってくる。 
防ごうとかざしたマスターソードは剛剣を受けきれず、金属音を残して手から離れ去った。 
 直後に蹴りが飛んできた。後ろへ吹っ飛ばされる。床に衝突する。激痛。のみならず鳩尾に 
食らった打撃でまともに息ができない。 
 このままだとやられる。なのに身体は言うことを聞かない。 
 かろうじて上体を起こしたところに光弾が到来した。 
 回避できない! 
 激甚な痛みと痺れが全身を絡め取る。 
 大妖精の加護のおかげか、肉体の破壊は免れていた。しかし倒れた肢体は硬直しきっている。 
首だけが動く。前に目をやる。 
 ガノンドロフが両手を上げて闇を作っている。闇は徐々に大きくなる。とどめを刺すつもりか、 
時間をかけて魔力を溜めている。ここを狙うべきだというのに── 
『だめだ……』 
 立つことができない…… 
 満を持してガノンドロフが放った魔攻を、リンクはなすすべもなく受けるしかなかった。 
五つの光球が激突した。痛みと痺れが五倍の凄まじさでリンクを責め苛んだ。 
 何も考えられなかった。  
 
 ゼルダは茫然となっていた。 
『どうして……』 
 結晶内に監禁されながらも、その透明な壁を通して、ゼルダは高所から、眼下で展開される戦闘を、 
逐一、目で追っていたのである。 
 リンクは有利に戦いを進めていた。強力無比な攻撃を敢然と跳ね返し、冷静に相手を追いつめていた。 
ところがその冷静さが急に失われた。無鉄砲な猪突に移ってしまい、隙を衝かれて…… 
 二人は会話を交わしていたようだった。結晶に阻まれて声は聞こえなかったが、それがリンクの 
集中力を殺いだのだろうか。 
 いや、過程はいい。いまはどうなっているのか。 
 リンクは動かない。 
『まさか……』 
 最悪の予想が脳裏をかすめた。 
 
 腰の鞘に剣を収め、ガノンドロフはゆっくりと歩を運んだ。 
 倒れ伏すリンクを見下ろし、ほくそ笑む。 
 父親同様、侮れない相手ではあったにせよ、あれしきの揺さぶりで心を乱すなど──それを 
こちらは狙ったわけだが──まだまだ青い小僧っ子よ…… 
 かすかに呻きが聞こえた。リンクの口から漏れたのだった。 
「ほう……」 
 思わず驚きの声が出る。 
 死なない程度に手加減はしたものの、いまの攻撃を食らって、なお意識を保っているとは。 
何か特別な防御力でも備えているのか。 
『まあいい』 
 身体の自由さえ奪っておけば、意識があろうとなかろうとかまわない。いや、むしろあった方が 
好都合。苦しみを自覚させることができる。精神的に敗北させなければならない相手なのだ。 
ひと思いに殺さなかった理由もそこにある。 
『それに……』 
 見上げる。 
『もう一つ、趣向を加えてやるか』  
 
 ガノンドロフが右手を顔の前に上げ、指を鳴らす仕草をするのを、ゼルダは見てとった。身体が 
結晶ごと緩徐に降下し始め、ほどなく床の上で停止した。 
 すぐ目の前で、リンクがうつ伏せに倒れている。心臓が破裂せんばかりに拍動する。 
『まさか……』 
 リンクの横にかがみこんだガノンドロフが、その首を持ち上げた。顔が見えた。閉じられていた 
両目が、薄く開いた。 
 生きている! 
 喜びは、しかし束の間だった。 
 確かに最悪の事態は免れた。とはいえ生きているというだけの状態。絶体絶命だ。 
 ガノンドロフがリンクの身体を探り始めた。弓矢、フックショット、爆弾、『金のグローブ』、 
果てはデクの実に至るまで、武器になりそうなものを根こそぎ取り上げ、部屋の隅に放り投げている。 
反撃の芽を完全に摘んでおこうという意図だろうが、やけに用心深い。マスターソードとハイリアの盾を 
失っただけでもリンクは圧倒的に不利だというのに。ましてやリンクは動けないというのに。 
 そこまで反撃を警戒しながら、ガノンドロフがリンクを生かしておく理由は? 
 何か企みがあるのだ。それはおそらくトライフォースに関係していて── 
 ガノンドロフがリンクの後方に移動した。膝をつき、両手で腰を持ち上げた。下着を引きずり 
下ろした。 
「あ──!」 
 何が起ころうとしているのかを悟り、ゼルダは顔を背けようとした。できなかった。意思を 
上まわる力が作用し、どうしても首を曲げられない。両手で目を覆い隠そうと試みるが、やはり 
手は動かない。ならばと目を閉じにかかる。意に反して目蓋は落ちない。 
 驚愕と悲嘆がゼルダの胸中で渦を巻いた。 
 
 ガノンドロフは自らの股間を解放した。陰茎は隆々と勃起していた。 
 抵抗を続けてきた厄介な敵を、完膚なきまでに叩きのめす時がきたのだ。そしてそれは、 
トライフォース奪取という宿願が果たされる時でもある。 
 満足感と歓喜の思いが、性的欲望となってガノンドロフを支配していた。相手の性別など 
無関係だった。 
 魔力で強制的に開かせたゼルダの目が、悲痛な色を湛えている。ますます欲情を高めてくれる 
その視線に、しばらくさらして見せた剛直を、次いでガノンドロフは、同じく強制的に静止させた 
リンクの後ろへと近づけた。 
 貫いた。  
 
 痛みと痺れは弱まっていた。目の前に何かが下りてきたのも、臀部が露出されたのも感知していた。 
しかしそれらが何を意味するのかを、リンクのぼやけた頭脳は理解できていなかった。 
 そこに激痛を感じて、やっと思考が稼働した。 
 もがこうとした。逃れようとした。 
 身体は全く動かなかった。 
 荒々しく刺入が続けられる。改変前の世界で賢者たちが受けた暴虐行為を、いまは自分が受けて 
いるのだ。 
 苦痛と嫌悪と羞恥と屈辱がリンクを打ちのめした。 
 それでも苦痛が苦痛である間は、まだましだった。 
 やがて苦痛に代わる新たな感覚が生まれ始めた。 
 快感である。 
 いくら否定しようとしても、現に存在する感覚を無にすることはできない。これは身体が 
動かないのと同じく魔力で強制された現象なのだと自分を説得するが、だからといって現状の 
本質が変わるはずもない。 
 背後から伸びてきた手に陰茎を握られた。そこが勃起状態にあることを指摘し、揶揄する 
ガノンドロフの声が、リンクをますます惑乱させた。 
 さらにガノンドロフは勝ち誇った声で、この一幕を熱心に見物している者がいる、と言い放った。 
 愕然となり、伏せていた顔を思わず上げると──相変わらず首だけは動かせた──眼前に 
その姿はあった。さっき下りてきたのはそれだったのだとようやく知れた。視線は確かに 
こちらへと向いている。とても目を合わせてはいられず、リンクは再び顔を伏せた。 
 最も見られたくないひとに見られている。 
 リンクは恥辱のどん底に落ちた。なぜ目を閉じてくれないのか、と恨めしさすら覚えた。 
 行為は延々と続けられた。手によって前の急所に、陰茎によって後ろの急所に加えられる刺激が、 
否応なく快感を高めていった。それがなおさら情けなく、恥辱を煽り立てた。初めての経験では 
ないことだけが救いだったが、快感が増進するにつれ、その思いも忘れ去られた。こんな状況で 
達したくないという否定と、いっそ達してしまいたいという肯定だけが、脳内で膨れ上がり、 
入り乱れた。 
 ガノンドロフは執拗かつ老巧だった。リンクの葛藤を見通しているかのようだった。じわじわと 
高ぶりを誘導し、絶頂に至る寸前で中止する。高ぶりが引きかけたところで、また玩弄を再開する。 
それが何度も繰り返される。 
 抑制が薄まってゆく。肯定が否定を凌駕する。機を計っていたかのごとく、ガノンドロフが 
耳元でささやいた。 
「いかせて欲しいか?」 
 口が裂けてもそうとは言えない。かといって拒絶の返事もできないのだった。やむなく沈黙を守る。 
けれども沈黙自体が返答になってしまっているのを認めざるを得ない。 
 やにわに攻めが強まった。間もなく最後の時がきた。絶大な快感が股間で暴発し、次第に 
消褪していった。 
 心が敗北感に浸される。 
 そこに別の感覚が加わった。左手の甲に痛みが走ったのである。 
 のろのろと目を向ける。 
 左手の皮膚は空白となっていた。 
 勇気のトライフォースが、光を放ちながら、ゆっくりと空中を浮き上がり、視界から去っていった。  
 
 ガノンドロフは、そのさまを悠然と眺めていた。 
 勇気のトライフォースは浮上を続けたのち、天井に接するあたりで静止した。 
『なるほどな』 
 敗北を意識させるには、こちらの精を受けさせるよりも、絶頂を強いる方が効果的と考えたのだが、 
それが的を射ていたとみえる。ただ現時点では、トライフォースをリンクから切り離しただけだ。 
リンクの命を絶って初めて、あれは俺のものとなる。ツインローバはそう言っていた。 
 挿入していた陽物を引き抜き、ガノンドロフは立ち上がった。リンクの腰がへなへなと床に沈んだ。 
 息の根を止めるのは、もう少しあとだ。 
 射精を経ていない巨茎を傲然と聳え立たせたまま、ガノンドロフは結晶の横へと移動した。 
近接した場所には位置せず、敢えて少々の距離をおいた。 
 結晶の中のゼルダは、いまにもくずおれそうな身体を、前面の壁に押し当てた両手で、やっと 
支えている。顔はリンクに向いている。懸命に目を閉じようとしている様子がうかがえる。 
しかし魔力が及んでいる限り、それは不可能なのだ。 
 そのゼルダを、どう料理してやるか。 
 有無を言わせず強姦し、苦痛の極致に至らしめるのは──気をそそるやり方ではあるものの── 
トライフォース奪取という目的を考慮すると、適当ではない。むしろ自発的な屈服に追いこみたい。 
初めは強制の要もあろうが、リンクの顛末を見たあとだ、落ちるに時間はかかるまい。 
 邪な吟味を続けつつ、ガノンドロフは右手で指を鳴らした。 
 
 ゼルダは前方へとよろめいた。支えとなっていた結晶の壁が不意に消失したのである。 
 床に伏すリンクの上へ身体が倒れかかる。かろうじて起立を保つ。 
 ようやく動いた両手で顔を覆う。もはや無意味な行為とわかってはいたが、そうせずには 
いられなかった。できることは他になかった。 
 自分がそうであったように、リンクもまた、ガノンドロフの魔力によって動きを封じられて 
いたのだ。とはいっても、それが何の慰めになるだろう。 
 いまのリンクに、わたしが何を言えるというのか。何をしてやれるというのか。痛ましい限りの 
屈従を強いられ、勇気のトライフォースさえ失ってしまったリンクに。その苦悶を見ている 
ことしかできなかったわたしが。 
 切り刻まれる心に、 
「こっちを向け、ゼルダ」 
 傲岸な呼びかけが突き刺さる。 
 ──わたしをそう呼んでいいのは…… 
 急速に硬化する思いが、腕を下ろさせる。顔をふり向かせる。 
「七年前は、すんでのところで取り逃がしたが……」 
 そう、あの時、わたしは落花の寸前でインパに助けられた。 
「今度は逃げられんぞ」 
 そのインパは、ここにはいない。それに…… 
「お前の勇者は、もう使い物にならん」 
 わたしに勇気をくれたリンクも……いまは…… 
『でも!』 
 気力を奮い起こす。 
 ハイラル王女としての矜持を、わたしは捨てない。そうあることで何ができるかは別としても。 
「軽々しい物言いは控えなさい」 
「はッ!」 
 ガノンドロフが破顔する。 
「気丈な態度は、昔と全く変わらんな。美しいだけの姫ではない、か」 
 平然と言葉が連ねられる。 
「そうでなくては面白くない。が、その気丈さも、どこまで続くか」 
 せせら笑うがごとき呟きが、背筋をぞくりと震わせる。 
 身体が硬くなる。これから起こる事態を予想して。 
 続くガノンドロフの台詞は、しかしゼルダの予想を裏切った。 
「下着を取れ」 
 唖然となる。 
「下の方だけでいいぞ。服も着たままでいい」 
『何を……』 
 わたしが従うとでも思っているのか。力ずくで奪われるならともかく、そんなことなどわたしは 
決して──  
 
 打ちひしがれて横たわるリンクの耳に、会話は容赦なく食い入ってきた。 
 死んだも同然だった心が揺り起こされる。 
 ゼルダが標的となっている。そうなるのはわかりきっていた。にしても、あまりに愚弄的な、 
そして奇妙なガノンドロフの要求。ゼルダが聞き入れるはずもないのに、いったい何を考えて 
いるのか。 
 顔を上げる。ガノンドロフに向かって立つゼルダの、斜め後ろの姿が見える。横に下ろした 
両手を固く握りしめている。屈しはしないと宣言するかのように── 
『え?』 
 手が開かれた。またすぐ握られた。そこに接していたものをつかんで。 
 足元までを覆っていた薄紅色のスカートが、ゆっくりとたくし上げられる。 
 ──まさか…… 
 長い靴下に覆われた、くるぶしが、ふくらはぎが、ひかがみが、徐々に形を現してゆく。 
 ──自分からそうするというのか? なぜ? 
 太股に至って靴下の覆いは尽きる。つややかな素肌が目に飛びこんでくる。 
 ──気でも狂ったのかゼルダ! やめろ! やめるんだ! 
 念も届かずそれは現れる。ゼルダの中心部を包む純白の布。見えるのは手の操作が及ぶ 
側面だけで、前と後ろは隠されているが── 
『いけない!』 
 思わず視線をそらせる──はずが、そらせられない。さっきまでは動かせた首が、いまは 
身体の他の部分と同じく、がっちりと固定されている。目を閉じることもできない。 
 理解した。 
 ガノンドロフの魔力だ。ゼルダの恥ずかしいありさまをぼくに見せつけるつもりなんだ。 
さっきゼルダがぼくを見ていたのも、同じことをされていたからに違いない。いまだって、 
ゼルダの顔は引きつっている、手はいかにも不本意と言いたげにぶるぶると震えている、 
ゼルダはやりたくてやっているわけじゃないんだ、無理やりそうさせられているだけなんだ! 
 わかったところで事情は変わらない。ゼルダの指がそこにかかる。少しずつ手が下がってゆく。 
左の脚が、そして右の脚が抜かれる。右手に持たれた小さな布が、次いでそこから離れ、はらりと 
床に落ちる。 
 衣装の丈が長いせいで、大事な場所はさらされずにすんだ。だがこれで終わるはずはない。 
ガノンドロフはきっと── 
 さらなる要求が突きつけられた。 
「捲って見せろ」  
 
 屈辱に震えるゼルダの胸を、その言葉は鉄杭のごとく刺し貫いた。 
 全身の皮膚がそそけ立った。 
 人前で下着を脱ぐだけでも耐え難い行為だというのに、あまつさえ…… 
 憤りが脳内を駆けめぐる。ところがそんな思いとはかけ離れた行動を、身体は勝手に始めてしまう。 
 いったんは元に戻った下半身の衣装を、再び両手が引き上げてゆく。しかも今度は前の方を 
持ってである。懸命に図る自己抑制は全く功を奏さない。 
 やがてそれはあらわとなる。 
「王女の隠し所を拝めるとは、眼福だな」 
 嘲笑めいた言が投げられる。 
 そう、かりそめにも王女であるわたしが、よりにもよってこの男に──国王を弑した、つまり 
わたしにとっては父の仇となる、この非道で下劣な男に──抵抗不可の強制下とはいえ、生まれて 
このかた一度たりとも異性の目に触れさせたことのなかった女の部分を、諾々と供覧するはめに 
なろうとは! 
 総身を劫火で焼かれるような、それは羞恥の極点だった。 
 
 ゼルダの後ろにいるリンクに、そこは見えなかった。 
 自分に見えるか見えないかは関係なかった。他者が──なかんずく自分たちにとっての宿敵が 
──それを見ているという点に我慢がならなかった。 
 こんなことがあってはならない。ゼルダがこんな目に遭わされるなど、決してあってはならない 
ことだ! 
 守らなければ。 
 男として最大の屈辱を味わわされ、勇気のトライフォースまで失ってしまったいまのぼくだが、 
それでもぼくはゼルダを守らなければ! 
 意志を全開にする。持てる力を振り絞る。 
 動けない。 
 どんなに頑張っても動けない。 
 無念と焦燥が胸を引き裂く。 
 その傷を、なおも抉り抜く命令が、ガノンドロフの口から短く放たれた。 
「手淫しろ」  
 
 すぐには意味をとれなかった。それほど格外の要求だった。 
 理解した瞬間、気が遠くなりかけた。極点にあると思われた羞恥が、想定を超えて膨張した。 
魂が肉体から飛び去ってゆく──そんな錯覚さえ、ゼルダは抱いた。 
 できるわけがない! たとえ命を失おうとも! 
 ──と心は絶叫する。にもかかわらず…… 
 わたしはそれをしてしまうのだ。拒否はできない。徹底的な体動の制御。舌を噛み切って 
自害することすら、いまのわたしにはかなわない。 
 手が動く。前をさらけ出したまま、両手がそこに伸びてゆく。 
 到達する。 
 おぞましい。ただただ、おぞましい。自分自身の感触が、こんなに嫌悪を催させるとは。 
「せいぜい励め。お前の勇者が物欲しそうに見ているぞ」 
 胸がぎりっと絞めつけられる。必死で自分に言い聞かせる。 
 後ろにいるリンクが、実際にそうしているのかどうか、わたしには確かめられない。が、 
もし事実だとしても、それは物欲しいからではなく、ガノンドロフの魔力で縛られているからだ。 
 意図しない行為を強要されているわたしであるとリンクにはわかって欲しい。同じ束縛を 
受けているリンクならわかってくれるはず。 
 とはいえ、この行為をリンクに見られてしまうのは── 
「くッ……!」 
 思いもかけず呻きが漏れる。指が最も敏感な場所に触れたのだ。触れて快感が呼び起こされたのだ。 
 そう、快感が! 
 なぜ? おぞましいはずではなかったか? こんな場面でどうしてわたしは── 
「指の使い方を知っているようだな。王女という身でありながら」 
 何を言う、そっちがやらせていることだろう、わたしの意思とは関わりなく指を動かして 
いるのだろう──との反駁に、ふと疑いが差しはさまれる。 
 ほんとうにそうなのか。 
 王女という身でありながら、確かにわたしは──一度きりだが──自分を慰めた経験がある。 
その時の指の動きを、わたしは再現しているのではないか。ガノンドロフが知るはずもない 
細かな点まで正確になぞって。 
 ということは……これは……わたし自身の意思による行為だと…… 
『違う!』 
 死に物狂いで否定する。 
 決してわたしは望んでいない。無理強い以外の何ものでもない。好きでもない男の面前で 
おのれをなぶるなど、どうしてわたしが── 
 ……好きでもない男? 
 好きな男の前でなら、できるとでも? 
 もし仮に、この場にいるのがリンクとわたしだけだとしたら、わたしは自ら進んでそれを 
行えるとでも? 
『できる……かも……』 
 わたしの願う形ではなくとも、いま、わたしはリンクに見られている。それがわたしを 
突き動かすのか。だから快感が湧き起こるのか。 
「あ!……う!……」 
 指が舞う。声が飛び出す。股間がひたひたと潤い始める。 
 止められない。止められない。 
 何によるのかもわからない操りによって、そこは一挙にぬかるみと化す。淫らな音をたてながら、 
なおも指は踊り狂う。 
「ほどよく濡れてきたな。そろそろ頃合いか」 
 翻然と我に返る。 
 ガノンドロフが巨大な肉柱をしごきたてていた。 
 自分の立場を思い出す。 
 快感の誘い手が何であれ、行き着く地点は変わらない。 
 犯される。わたしは犯される。 
 七年前と同じ危機。 
 かまわない、『時のオカリナ』を守れるのであれば──と、あの時は思った。 
 いまのわたしが守るべきは、知恵のトライフォース。 
 守れるのか? 
 トライフォースがいかなる機序で持ち主の手を離れるかは、リンクの例で明らかとなった。 
その状況に直面した時、わたしは知恵のトライフォースを守りきれるのか? どんな理由が 
あるにせよ、仇敵の眼前で快感に溺れることを拒めない、いまのわたしが。 
 苦渋のうちに答を出そうとした、その時。 
 卒然と、ゼルダは悟った。 
 これがわたしの運命だったのだ。 
 いま、ここで、こうなること。 
 それは遠い昔から決定づけられていた、動かしようのないわたしの運命だったのだ。 
 決断する。 
 運命には、従わなければならない……  
 
 ゼルダに生じた変化を、その表情から、ガノンドロフは読み取った。 
 魔力の縛りを解いてみる。 
 がくりとゼルダの膝が折れ、身体は床の上に倒れこんだ。 
 動かない。 
『観念したか』 
 ゆったりと、歩を寄せる。やはり動く様子はない。 
「裸に剥いてやってもいいが、王女の姿のままの方が、お前の気分も乗るだろう」 
 挑発的な言辞にも、反応は返ってこなかった。 
 しゃがむ。肩に手を置く。仰向けにする。 
 抵抗は生じない。こちらを見ているだけである。両の目には嫌悪も悲哀も感じられなかった。 
静かな色合いだけが湛えられていた。それは諦念と呼ぶ他はないものだったが、単にそうとは 
言いがたい感情の片鱗も、そこにはひそんでいるように思われた。 
 どうであろうとかまわん。女の感情などにかかずらっていられるか。 
 傍らに剣を置く。両脚を割って位置を占める。上半身をのしかからせる。 
 侵入しようとして、脇からの視線に気づいた。自分で強制していた視線である。 
 その主に、ガノンドロフは顔を向けた。 
 
 ゼルダの変化を、リンクは敏感に察知していた。 
 諦めてしまったとしか思えなかった。 
 不可能と知りながら続けてきた奮起の努力も、とうとう続けられなくなった。 
 口惜しかった。ゼルダが屈服したことに対してではなく、そうした状況にゼルダを追いこんだ 
自分自身の無力さが呪わしかった。 
 ガノンドロフに両親の話を聞かされた時、いかに激昂を誘う内容であろうとも、ぼくが冷静さを 
保ってさえいたならば、こんなことにはならなかったのだ。 
 ゼルダに覆いかぶさったガノンドロフが、こちらを向く。 
「そこで見ていろ。貴様の大切な姫君が、俺に抱かれて喘ぎ狂うさまをな」 
 一語一語が鋭利な刃となって身を斬り苛む。 
 辱められる君を、ぼくは、ただ、見ていることしかできない。 
 その痛みが尽きないうちに、ガノンドロフが向きを戻した。腰を前に突き出した。 
「ああッ!!」 
 響き渡る悲鳴。 
 続けて、 
「……ぁ……ぁ……ぁ……」 
 かぼそい声が、きれぎれに、ゼルダの口から漏れた。 
 意識が壊乱する。 
 おのれが穢された時のそれをはるかに上まわる、超絶的な苦しさだった。  
 
 常にもあらず、ガノンドロフの胸は躍っていた。女を手中にして、これほどの歓喜を得たことは、 
かつてなかった。 
 七年越しで狙いをつけてきた相手である。加えて王女という高貴な血筋。しかも一度、惜しい 
ところで食い損ねている。心が高ぶるのも当然ではあった。 
 その相手が、顔面を引き絞って固く閉眼し、無音の叫びをほとばしらせるように大きく口をあけ、 
艱苦の色を隠しもせず、全身を硬直させている。 
 このまま無惨に蹂躙してやりたい、との誘惑に駆られるものの…… 
 いや、手順はすでに決めてある。苦痛では知恵のトライフォースを奪い取れない。絶頂させて 
やらなければならないのだ。自由にするのは、あとの楽しみ。最終的には殺すことになるが、 
そうするまでに可能な限りの方法でいたぶりつくしてやる。 
 来たるべき暴虐の情景をわくわくと想像しながらも、かつ、打ちこんだ肉茎を緊密に取り囲む 
若々しい襞の感触を楽しみながらも、ガノンドロフは敢えて動かなかった。手や舌の使用も控えた。 
余計な刺激を避け、痛覚の鈍麻を待ったのである。 
 しばらくの時間を経て、変化が生じた。硬直していた肉体が軟化の徴候を示した。表情の 
切迫感も弱まった。さらにしばしの時が経ち、変化が安定へと移行するに至って、ガノンドロフは 
活動を開始した。 
 腰を緩やかに前後させる。 
 摩擦のたびに顔がしかめられる。しかし激しい痛みを感じているふうでもない。 
 動きを速める。 
 不意に膣が収縮した。快美の信号が、ガノンドロフの背筋を駆け上がった。 
 体動を止める。 
 いまの収縮は単なる筋肉の反射で、まだ達してはいない。これからが本番だ。にしても 
予想外の刺激。思わず快感を誘われてしまった。あわてない方がいい。こちらが先に達して 
しまっては洒落にもならない。 
 上体を起こし、息を吐く。挿しこんだ陰茎を少しく引き出す。 
 血に染まった、それ。 
 満足感を胸に行き渡らせ、運動を再開する。慎重に抽送を続けてゆく。 
 串刺しにされた獲物は無抵抗だ。目を閉じたまま、両腕を投げ出して横たわっている。若干、 
息が深くなっている。悩ましげな調子にも聞こえる。 
 顔を寄せ、声をかけてみる。 
「覚えているか?」 
 かすかに目蓋が動いた。 
 言葉でいたぶる分には、いまでもかまうまい。 
「七年前、お前は俺を下郎と罵ってくれたな」 
 再び目蓋が動く。 
「その下郎に犯される気分はどうだ?」 
 頬がぴくぴくと痙攣した。 
 追いこみをかける。 
「快いか?」 
 目がゆるりと開かれた。諦念とは異なる感情が、拡大されて、そこにあった。 
 冷たい蔑みの念である。 
「快さなど、微塵もありません」 
「ほざけ!」 
 この期に及んで口の減らない女だ。強がるのも大概にしろ。 
 ガノンドロフはおのれを解放した。持てる技巧を尽くして──ただしあくまでも暴戻さを抑えて 
──組み敷いた相手を攻め立てた。相手は、なすがままだった。強情な台詞とは裏腹に、いやがる 
素振りも見せず、ガノンドロフの攻撃を受け入れていた。呼吸は不規則に乱れ、顔は激情に 
ゆがんでいた。けれどもその激情が、苦痛によるものなのか、快感によるものなのかは、 
ガノンドロフにはうかがい知れないのだった。 
『確かめてやる』 
 攻めを中断し、ガノンドロフは命じた。 
「俺を抱け」 
 魔力で強制はしない。本人の意思を見るためだ。 
「抱け! 俺を!」 
 気をこめて発した再度の声に、投げ出された両手が応答した。じわりと床から持ち上がった。 
 ガノンドロフは胸中で快哉を叫んだ。  
 
 それは絶望の極限にあるリンクの目にも捉えられた。 
 ガノンドロフの身の下で、その巧みな性技に翻弄されていた──としか見えなかった── 
ゼルダが、いまや、抱擁を指図する傲慢な声に応じ、両手を差し上げているのである。 
 これも強制なのだろう。そう思いたい。が、そうであったとしても、ゼルダがガノンドロフを 
抱きしめる場面など、絶対に見たくはない! 
 いかに痛嘆しようとも、事態は粛然と進行する。 
 ゼルダの両手が、ガノンドロフの肩に接近した。 
 手のひらは、ガノンドロフに向かってではなく、虚空に向かって開かれていた。 
 
 その時── 
 コキリ族は見た。迷いの森の深部より、天を指して音もなく立ちのぼる、木々の葉よりも 
鮮やかな碧緑の光の帯を。 
 ゴロン族は見た。熔岩とは異なる真紅の光柱が、噴火も地震も伴わず、しかし確然と 
デスマウンテン頂上に聳える光景を。 
 みずうみ博士と釣り堀の親父は見た。ハイリア湖の水面を割り、それでいてさざ波のひとつも 
たてず、ただまっすぐ上方へと噴出する青藍の光を。 
 カカリコ村の住人は見た。墓地の奥から生じた無量の光によって、頭上を覆う範囲のすべてが、 
紫紺の色に染め上げられてゆくさまを。 
 ゲルド族は見た。西のかた、砂漠の彼方とおぼしき場所で、夕暮れ時にしては異様な銀朱の光に、 
空が明るく彩られているのを。 
 ハイラル各地に散る五つの神殿より発した五色の光は、神速をもって宙を疾走し、城下町の 
上空に至って、折しも時の神殿から放たれていた金色の光と合体した。そこに生まれた白光は、 
日輪にもまさる輝きで暗黒を切り裂きながら、その暗黒の原点であるガノン城へと、一路、 
殺到していった。  
 
 突然、窓の外が白くなった。間もおかず、まばゆいばかりの光芒が天井の穴を通して広間に 
突入し、差し上げられたゼルダの両手に集束した。真昼以上の明るみが室内に炸裂した。 
 リンクは反射的に目を閉じた。開いたままでいたら網膜を焼かれていたかもしれないと思われる 
ほどの眩しさだった。 
 ほどなく目蓋の向こうで明るみは弱まった。おそるおそる開眼する。室内の明度は元に戻っていた。 
光の形跡は皆無である。 
 何だったんだ? 落雷? にしては雷鳴もなかったが…… 
 それよりもゼルダだ。光はゼルダに落ちかかっていた。ゼルダは無事? 
 無事に見える。怪我も火傷もないようだ。顔が動いている。こっちを向いた。口を開いて何かを 
言おうと── 
「賢者の力を借りて……ガノンドロフの力を……一時的に抑えました……」 
 一斉に疑問が立ち上がる。 
 いまの光はゼルダが呼び寄せたのか? どうやって? 賢者の力を借りたとは? 『時の賢者』として 
目覚めていないゼルダになぜそんなことができる? ガノンドロフの力を抑えた? 封印ではなく? 
「あッ!」 
 魔力が抑えられたのなら、そうだ、こうやって身体を動かせる。目を閉じられた時点で 
悟るべきだったがまだ遅くはない。いまのうちにガノンドロフを── 
 そのガノンドロフの様子がおかしい。呻いてはいるが動かない。魔力を抑えられただけでなく、 
身体の自由もきかないようだ。逆転だ。武器は? 剣は? あそこだ。部屋の隅。早くあれを 
手に取って、いや、それより一刻も早くガノンドロフをゼルダから引きはがして── 
 起き上がろうとして脚がもつれる。膝に絡まった下着を引き上げ、床に落ちた小さな布をも 
つかみ取り、その主のもとへと駆け寄ったところへ当人の叫び。 
「だめ!」 
「え?」 
「いまガノンドロフに触れてはだめ!」 
「どうして!?」 
「力のトライフォースを取り戻します」 
 何だって? ゼルダは何を言っている? 
 混乱しながらも結論を引き出す。 
 ぼくはガノンドロフに絶頂させられて勇気のトライフォースを失った。ということは、ゼルダは、 
ガノンドロフを── 
『そう、だった、の、か──!』 
 ゼルダは諦めたのではなかった。屈服したのではなかった。力のトライフォースを取り戻す。 
そのためにゼルダは我が身を投げ出したのだ! 
 百戦錬磨のガノンドロフ相手にそんな無謀な企てを。逆に知恵のトライフォースを奪われて 
しまう── 
 いや、魔力も腕力も抑制されたいまのガノンドロフが相手であれば可能かもしれない。 
抑制したのは賢者の力。ガノンドロフと身体を接触させておけば、呼び寄せた賢者の力を 
ガノンドロフにぶつけられると考えて、そこまで考えてゼルダは! 
 この自己犠牲。この苛酷な運命。何という……何というゼルダ! 
 目的のためにゼルダは交合を続けなければならない。ぼくは手を出せない。ただ立ちつくして 
いる以外には何もできない。それはぼくにとって身を磨り潰されるよりもつらいことなのだけれど、 
ゼルダ自身の意志を……ぼくは……重んじなければならない…… 
 しかし! 
 どうしても耐えられないことがある。それだけは絶対に許せないという一点。それを免れるには── 
「お……お……お……」 
 ガノンドロフが喘ぎ始めた。ゼルダの上にうずくまったまま、ぶるぶると身体を震わせて、 
目はうつろで、口はだらしなく開けっ放しで。これは? いきかかっている? ガノンドロフが 
絶頂しかけている? こんなにも早く? こんなにも急に? 
 賢者の力の影響? あるいはゼルダの技巧? ゼルダがその種の技巧を知っているはずはない。 
ないのだが、ひょっとして、シークとしての記憶? たとえばアンジュのあの技をシークは知って 
いるはずで、だからゼルダも間接的に知っているはずで、そういう記憶をもとにゼルダは── 
 そんなことはどうでもいい。問題は許せない一点だ。免れる方法は──  
 
 ある。 
「ゼルダ!」 
 叫ぶ。 
「離れろ!」 
「だめ……」 
 沈痛な面持ちで首を振るゼルダ。 
「直前で離れろ!」 
「でも──」 
「君にそうさせたくないんだ!」 
 一瞬のためらいを経てゼルダは頷く。 
「そうは、いかんぞ……」 
 ガノンドロフがしゃがれ声を出した。ぐいと身を沈め、ゼルダを抱きすくめた。 
 抑制が解けたのか? ゼルダは一時的と言っていた。 
 いや、悪あがきだ。体動が可能になっただけだ。魔力は使えていない。ぼくは自由に行動できている。 
早くこいつを── 
「お、お、お、おおおおおおぉぉッ……!」 
 声が上ずっている。もう限界だ。 
 ガノンドロフの身体に手をかける。全力をこめる。腰を持ち上げる。どん!──と下からの衝撃。 
ゼルダが蹴ったのだ。その勢いでさらに浮き上がる巨体。横に転がり出るゼルダ。直後── 
「うおおおおおおぉぉッッ!!」 
 咆哮とともにガノンドロフがのけぞった。置き去りにされた陰茎が大量の白濁液を空中に 
撒き散らした。 
 間に合った!──と安堵する暇もなく後ろに倒れてきたガノンドロフがぼくを下敷きにする。 
頭が床に打ちつけられる。かすむ意識を叩き起こしてぼくは見る。ガノンドロフの右手の甲。 
 ゼルダの中にだけは放たせたくなかった。どこにぶちまけようが絶頂したことに変わりは 
ないのだからこれでいい。いいはずだ。いいはずだが── 
 そこが光を発した。力のトライフォースが遊離した。 
「あ?」 
 気づいたガノンドロフがあわてた様子で左手をかぶせる。効果はない。 
「くそッ!」 
 浮上するトライフォース。 
「待て!」 
 ガノンドロフが立ち上がって手を伸ばす。つかめない。 
「おのれ!」 
 手は届いているのにつかめない。狼狽しきった元の持ち主をあざ笑うかのように、力の 
トライフォースは天井すれすれまで上昇し、すでにあった勇気のトライフォースと合して動きを 
止めた。 
 茫然と上を仰ぎ見るガノンドロフ。 
『ゼルダは?』 
 若干の距離をおいてその姿はあった。上半身を起こし、緊張の眼差しでこちらを見ている。 
「君のは?」 
 達してはいないはず──と信じながらも心は騒ぐ。 
 ゼルダが右腕を立てる。手の甲をこちらに向ける。くっきりとそこに印された知恵のトライフォース! 
『よし!』 
 勇躍、身を立たせようとするところへ上から── 
「き、さ、ま、ら……」 
 声が落ちてきた。火山が起こす地鳴りのように、爆発直前の緊迫感を秘めて、それはガノンドロフの 
口から絞り出されたのだった。表情は悪鬼のごとくである。目は吊り上がり、歯はぎりぎりと 
噛み合わされ、顔面は充血によって赤黒く変色していた。憤怒に滾る視線が突き刺さってくる。 
睨み殺してやると言わんばかりに。 
 すぐに爆発は起こった。放置していた剣に飛びつくや、ガノンドロフは乱暴な動作で鞘を投げ捨て、 
猛然と斬りかかってきた。 
 後ろへ跳ぶ。間合いを広げる。ゼルダが壁際に退避しているのを確認し、その反対方向へと 
ガノンドロフを誘導する。 
 狙われたのがぼくでよかった。とりあえずゼルダは難を逃れた。それはいいがぼくは手ぶらだ。 
このままだと斬られる。早くマスターソードを、いや、何でもいいから武器を持たないと。 
どこにある? 部屋の向こう側に散らばっている。遠い。遠いけれどもどうにかして──  
 
『リンクを助けなければ』 
 壁際に身を立たせ、それだけをゼルダは考えていた。 
 部屋の扉は近くにあったが、一人で脱出するつもりはさらさらなかった。股間の痛みも 
気にならなかった。 
 リンクはガノンドロフを引きつけてくれてはいるものの、戦う手段を持っていない。逃げ場を 
なくしたら一巻の終わりだ。何とか武器を持たせてやりたい。 
 ガノンドロフはこちらに注意を払っていない。この隙に…… 
 壁に沿ってそろそろと移動し、武器への接近を図る。 
 マスターソードを手渡すことができたら最善なのだが、それはできない。マスターソードに 
触れられるのは、勇者であるリンクだけだ。むしろわたしがすべきことは…… 
 
 怒りで我を忘れているようでいて、ガノンドロフは巧緻だった。武器を得ようとする意図を 
見透かしているのだろう、常にリンクの前へと回りこみ、ことごとく行く手を遮る。のみならず、 
長大な剣を振りまわし、リンクを隅に追いつめようとする。回避を続けるリンクだったが、剣先は 
しばしば皮膚をかすめた。 
 ガノンドロフを抑制していた賢者の力は、もう失われてしまったようだ。身体の動きも腕力も 
元に戻っている。ただ魔力を行使する気配はない。力のトライフォースを失ったからだろう。 
いまのガノンドロフは魔王ではなく、単に一人の人間に過ぎない。立ち向かうには絶好の機会。 
しかし武器がないことには── 
「どりゃッ!」 
 繰り出された突きをバック宙でかわす。背が壁にぶち当たった。後退できなくなった。左への 
迂回は防がれる。やむなく右に寄る。部屋の隅へと至らざるを得ない。とうとう追いこまれてしまった。 
 顔に憤激の色を満たしたガノンドロフが、ひたりと足を近づけてきた。 
「俺の宿望を粉々にしおって」 
 こめかみに血管が浮き上がる。 
「真っ二つにしてやる」 
 上段に剣が構えられる。 
 回避できるか? できない。普通なら。だが敏速にやってのければ── 
「死ねッ!!」 
 剣が振り下ろされる寸前、右に一歩を踏み出す。 
「むッ!」 
 剣の向きが修正される。 
 左へ跳ぶ。 
「逃がさん!」 
 耳元で空気が裂け、同時に鋭い痛みが右腕を襲った。 
 投げ出す身体は平衡を失い、床にぶつかって一回転する。痛みに耐えて目を上げる。ガノンドロフが 
そこにいる。烈風を巻いて降りかかる剣! 
 
 ──神よ、勇者を護りたまえ── 
 
「『ネールの愛』!」 
 いまのは?──と喫驚しつつ唱えた魔法が斬撃を跳ね返す。反動で大きく後ろへ下がった 
ガノンドロフが愕然とした面持ちでこちらを凝視している。 
 あらゆる攻撃を無効化する見えない防壁。 
 いまのは確かにマロンの声。時空を超えたマロンの祈りが、ぼくに『ネールの愛』を思い出させて 
くれた! 
 胸が震える。心が勇む。しっかと相手を睨み据える。 
 態勢を立て直しながらもガノンドロフは迫ってこない。警戒しているのだろう。この機に── 
「ガノンドロフ!」 
 部屋の向こうから凛然たる声が発せられた。 
 ガノンドロフが声の方に目をやった。リンクも注目する。 
 ゼルダが立っていた。『妖精の弓』に矢をつがえて。  
 
 リンクは驚く。 
 ゼルダが弓を? 経験があるのか? 
 構えは立派だ。が、あの弓は女性には強すぎる。ナボールでさえ完全には扱いきれなかった。 
ゼルダが使いこなすのは無理だ。ましてや、あんなひどい目に遭った直後だというのに。 
 ガノンドロフは、ちらりとこちらに目を戻したあと、再びゼルダに向き直った。 
 射られる危険は無視できない、それに得体の知れない防御法を持つぼくよりもゼルダの方が 
御しやすい──と考えているに違いない。 
『ネールの愛』は短時間しか発動できない。もう効果は切れているだろうが、ガノンドロフには 
わからないことだ。 
 ゆっくりと近づくガノンドロフに対し、ゼルダは弓を構えたまま、じりじりと後退する。 
 やはりまともには射られないのか。これだとじきに追いつめられる。こちらが虎口を逃れられた 
のはよかったが── 
『そうか!』 
 ようやく気がついた。武器のある方とは反対側へ、ゼルダは後退している。ガノンドロフを 
誘っているのだ。ぼくに無言で呼びかけているのだ。いまのうちに武器を取れ──と! 
 右腕の傷は痛むが重傷ではない。移動への影響は無視できる。ただし迂闊には動けない。 
ガノンドロフは、まだ近くにいる。ぼくへの注意を怠ってはいないはずだ。すぐに動けば、 
また遮られる。かといって動くのが遅れると、その時はゼルダが危ない。 
 リンクは慎重に時機をうかがった。 
 
 わずかずつゼルダは後ずさる。 
 歩を進めてくるガノンドロフは、しかし一気に間合いを詰めようとはしない。下手に近寄れば 
矢を射られる──そう思っているのだ。 
 もとよりゼルダもそのつもりである。もっとも腕に自信があるわけではなかった。 
 弓術は幼い頃、インパに教わった。とはいえ王族としての嗜み程度。実戦向きの訓練など 
受けてはいない。シークである間は弓に触れたことすらなかった。 
 加えて、いま手にしているこの弓の強さ。弦を引ききるに至らない。射ても威力は乏しかろう。 
至近距離なら何とかなるかもしれないが、その分、こちらが斬られる可能性も高くなる。 
 ガノンドロフはこれまでわたしの命を取ろうとはしなかった。知恵のトライフォースを奪うために。 
けれども力のトライフォースを失い、野望が潰えたいまとなっては、もう斟酌はすまい。わたしを 
殺すことしか考えていないはず。 
 まだ距離は開いている。が、わたしが弓に慣れていないのをガノンドロフは見抜いているに 
違いない。踏みこんでくるのは時間の問題。 
 迫り来る危険を確信しながら、なおもゼルダは対峙を保つ。 
 その時が来るまでは…… 
 唐突にそれは来た。リンクが身を跳ね上げ、部屋の隅に向かって突進するのが見えた。 
ガノンドロフがふり返る。顔は瞬時にこちらへと戻る。追っても間に合わないと判断したのだ。 
接近が速まった。ゼルダも後退の歩度を速めた。 
 もう少し引きつけられれば、リンクと二人でガノンドロフを挟撃できる。 
 目論見は許されなかった。  
 
 最適の瞬間に行動を開始できた。ガノンドロフはこっちに来ない。だがそれはゼルダの危機を 
意味する。寸刻も無駄にはできない。 
 全速で疾駆しながら、一つの危惧をもリンクは抱いた。 
 勇気のトライフォースを失ったぼくが、マスターソードを手にできるのか? 
『できる!』 
 即座に危惧を打ち消す。 
 七年前、初めてマスターソードを台座から引き抜いた時のぼくには、まだ勇気のトライフォースは 
宿っていなかった。幼すぎるがゆえの封印は甘受しなければならなかったとはいえ、その時、 
ぼくはすでに勇者の資格を持っていた。 
 勇気のトライフォースがあるから勇者なのではない。 
 勇者だからこそ勇気のトライフォースが宿ったのだ。 
 ならばいまのぼくがマスターソードを手にできないはずがない! 
 床に落ちたそれの前にぼくは到達する。左手を伸ばす。つかみ取る。それは常のごとくぴたりと 
手に吸いつき、ぼくを退ける気配などかけらもない。 
『そうだとも!』 
 勇気のトライフォースを失いはしても勇気自体は確固として身に横溢している。 
 奮い立ちつつふり向くリンクの目にその光景は届いた。 
 剣を振り上げたガノンドロフがゼルダに詰め寄っていた。 
 
『来た!』 
 攻撃体勢となるガノンドロフを前にして、ゼルダは覚悟を決めた。 
 挟撃はかなわない。だが最低限の目標は達成した。リンクはマスターソードを確保したはず。 
あとは──! 
 力の限り弦を引く。引ききったところで手を離す。放たれた一矢は肉薄する敵の顔面めがけて 
まっしぐらに突き進み、 
「ふんッ!」 
 剣の一振りで叩き落とされた。 
 やはり勢いが弱かった! 
 持っていた矢は一本のみ。これで攻め手はなくなった。 
 目睫の間に迫った巨体が頭上で長剣を振りかざす。 
 もはやわたしにできるのは、ただその剣に両断されることだけ── 
 ──とガノンドロフは思っているだろう! 
 弓を捨てる。隠しに手をやる。ひそませていたデクの実をつかみ出す。 
「む!」 
 ガノンドロフが足を止める。かまわず床に打ちつける。弾ける閃光をあとにして離脱を図る。 
壁沿いに走る。 
 背後で足音がする。追いかけてきた。目くらましの効果は不充分だった。逃げられるか。 
いまにも剣が背に食いこむのではないか。裾が脚にからむ。股間の痛みを思い出す。逃げられるか。 
わたしは命を保てるのか── 
「あッ!」 
 床の段差につま先が引っかかる。前にのめる。身体が壁に打ちつけられる。床に腹這いとなって 
しまう。死を意識した、その刹那── 
 ガッ!──と後ろで硬い音が響いた。来るはずの攻撃は来なかった。 
 ふり仰ぐ。 
 立ちふさがるリンクが、剣を剣で阻みとどめていた。  
 
 上段からの剣撃をマスターソードで遮断しながらも、リンクは次の行動に移れなかった。 
 間一髪でゼルダを救えた。しかしまだゼルダはぼくと壁の間に挟まった状態だ。動きがとれない。 
逃がすにはガノンドロフを押しのけなければならない。が…… 
 加わってくる圧迫は驚異的。魔力を失ってもガノンドロフにはこの腕力がある。しかも先の 
剣戟の際より威を増している。疲労がないはずはないのに、どこからこんな力が生まれてくるのか。 
「往生際の悪い奴め……」 
 噛みしめた歯の間から呪詛を吐き出すガノンドロフ。 
 その憎しみだけが、いまの奴の力の源泉なのか。 
 圧迫が強まる。押されてしまう。右腕の傷が全力の発動を妨げる。マスターソードがじわじわと 
顔に近づけられる。このままでは潰される── 
「リンク!」 
 敢たる声が耳を貫く。 
『ゼルダ!』 
 腕に力が湧き出でる。 
「死に損ないが!」 
 なおも寄せ来る強圧を、 
「二度と、お前を、ゼルダに、触れさせはしない!」 
 絶対の意志で防ぎ止める。 
 ぼくはゼルダを守り抜く。ゼルダがぼくを支えてくれる。 
 のみならず── 
(どこまでも、まっすぐに)──サリア! 
(行け、勇気をもって)──ダルニア! 
(そなたの大切なひとを)──ルト! 
(守れるのはお前だけだ)──インパ! 
(ぶっ飛ばしてやんな!)──ナボール! 
 それにラウル。ついに姿を見ることもなく声も聞くことはなかった、けれどもシークとして常に 
ぼくの傍らにあった『光の賢者』。 
 そして、ぼくがすでに出会った、あるいはいまだ出会っていない、ハイラルの人々。 
 ぼくの後ろに、みんながいる。みんなの思いのすべてを背負って、ぼくはぼくのすべてを尽くす! 
 腕を出す。足を出す。身体全体を前に出す。 
「つああああぁぁッッ!!」 
 心身にあふれかえる限界以上の力。それを一気に解放する。 
 ガノンドロフが押し飛ばされる。ぐらりと脚をよろけさせる。が、なお怒りの形相は凄まじく、 
剣は再び襲来の構えを示す。 
『させない!』 
 押されてばかりいられるか! 今度はこっちが圧倒してやる! 
 沸き立つ気概をそのままに、リンクは猛攻を開始した。 
 
 リンクが飛びかかる。ガノンドロフが受け止める。 
 倒れた身を起こして部屋の一端へと退きながら、火の出るような剣闘に、ゼルダは注意を集中した。 
 自分にできることはないか。リンクを助けられないか。できればもう一度── 
 弓を求めてさまよわせる目が奇妙な映像を認識した。 
 景色がぶるぶると震えている。 
 視覚が異常をきたしたか? 
 そうではなかった。足が振動を感知した。実際に部屋が揺れているのだ。 
 窓が割れ散る。天井の一角にひびが入り、建材の破片が落下してくる。先の戦闘でガノンドロフが 
床にあけた穴の縁が崩れ、敷石が階下に落ちこんでゆく。他にも数カ所で床が陥没している。 
 見ているうちにも振動はますます大きくなる。 
 城が崩壊しつつある! 
 ガノンドロフの魔力が失われたせいで、その所産である城が構造を保てなくなったのか。 
あるいは、奪った魔力が行き場を失い、暴走し始めたのか。 
 いずれにしても、これではリンクを助けるどころか、自分に降りかかる難を避けることすら 
覚束ない。 
 身を置く場所を探す一方で、ゼルダは戦況を見守り続けた。 
『どうか……リンク……』  
 
 場の異常には気づいていた。が、その異常はリンクにとって行動の邪魔という一事でしかなく、 
危険を想起させる要素とはならなかった。それほどまでにリンクの関心は、おのれが立ち向かう 
敵のみに絞られていたのである。 
 真っ向から打ちこむ攻撃は、いずれも巧妙にさばかれる。いくら憎悪に燃えていようと、 
戦いぶりは相変わらず如才ないガノンドロフだ。 
 立て続けの踏みこみで呼吸が乱れる。ふと間をとった瞬間、今度は猛烈な反撃が返ってきた。 
退きながら受け流し、再び攻めに転じる。また防がれる。 
 焦るな──とおのれを制する。 
 さっきは圧迫をはねのけてやったが、いつまでも力比べをしていたら、いずれはこっちが 
疲れてしまう。やはりここは自分が優っているスピードを生かすべき。 
 直線的だった攻め筋を左右に振り分ける。背後をとることに専心する。 
 ガノンドロフの反応が遅れ始めた。ところが攻めきれない。先の立ち合いでこの戦法は披露ずみだ。 
動きを見切られている。 
 ここぞというわずかな機会で繰り出すマスターソードは、しかし服に裂け目を入れるのが 
精いっぱいだ。床の振動と陥没で足場は不安定。狙いを定められない。ひっきりなしに降ってくる 
石塊も視野を狭める。ただ条件は敵も同じ。時に突出してくる鋭い剣をきわどいところでかわせて 
いるのも、ガノンドロフの狙いが定まらないからだ。 
 双方とも決め手を欠いたまま、いつ果てるともなく続けられる激闘に、やがて転機が訪れた。 
 不意に身体が浮いた気がした。 
 違う、足は床についている──と思ったその時、床の下から轟音と激震が伝わってきた。 
床の全面に亀裂が走った。一方の壁が粉砕された。天井の半ばが崩れ落ちてきた。 
 さすがに立っていられない。舞い飛ぶ瓦礫を避けて床に伏す。震動が弱まってゆく中、 
壁の燭台が半減して一挙に明るみを減じた室内をあわただしく観察するうち、リンクは事態を悟った。 
 浮遊していたガノン城が落下したのだ! 
 なぜ? 
 いや、理由は二の次だ。ガノンドロフはどうしている? 
 部屋の中央にへたりこんでいる。瓦礫で頭を打ちでもしたか。間合いは大きく開いてしまって 
いるが── 
『いまこそ!』 
 飛び起きる。走り寄る。突撃の態勢に入ったところで、いきなりガノンドロフの腕が旋回した。 
剣が真正面から突っこんできた。 
 誘いの隙だった! 
『でも!』 
 この機は逸せない!  
 
 跳躍する。高々と。空しく床を撃つガノンドロフの剣。その頭上から裂帛の気合いでマスターソードを 
振り下ろす! 
 ──父よ! 
 ガノンドロフの首がのけぞり、剣先は右頬を擦過するにとどまる。 
『まだだ!』 
 着地と同時に薙ぎ払う! 
 ──母よ! 
 ガノンドロフが横に跳び、攻撃は左脇腹をかすめて終わった。 
『届かなかったか!』 
 反撃が来る!──と飛ばす視線が思いもよらぬ様相を捉える。 
 ガノンドロフが棒立ちだ。二カ所の傷からおびただしい量の血が噴き出している。どうして? 
かすっただけだと思ったが── 
 そのはずなのに──というおののきがガノンドロフの表情にもうかがえる。 
 ともかくいまは──! 
 追い討ちの態勢をとりかけた時、急に床が傾き始めた。床だけではない。部屋全体が大きく 
傾いでいた。咄嗟に床石をつかんで身を固定させる。立っていたガノンドロフはそれもならず、 
倒れて部屋の端へとすべり落ちてゆく。傾斜はぐんぐん角度を増す。塔が倒れつつある!──と 
気づいた瞬間、手をかけていた石が床からはずれた。いまや完全に横転した部屋の、新たな 
底面となった壁をめがけて身体は落下する。そこに仰向けとなったガノンドロフ! 
 大出血で動けないのだ。それでもこっちを睨んでいる。剣を構えて待ち受けている。その真上へと 
落ちかかるぼく。避けられない。避けようがない。このままだとぼくは奴の剣に刺し貫かれて、 
いや、奴がそうするつもりならぼくは──! 
 マスターソードを下に向ける。狙いをつける。初めは小さな一点だったそれは落ちるに従って 
加速度的に大きさを増してゆき、増してゆき、増してゆき、ついには視野いっぱいに拡大されて 
見える範囲を埋めつくして──!! 
 
 全身が砕け散るかと思われるほどの激烈な衝撃がリンクを襲った。 
 どうなった? ぼくはどうなった? 
 衝撃を感じられるということは、生きているのだ、ぼくは。 
 ではガノンドロフは? 
 手応えはあった。が── 
「……この……俺が……」 
 耳元で低い声がした。 
 反射的に顔を上げる。ガノンドロフに覆いかぶさる格好となっていることを、ようやく知る。 
「……魔王……ガノンドロフが……破れるの……か……?」 
 両手が握るマスターソード。刃は見えない。それほど深く突き刺さっているのだ。ガノンドロフの 
心臓に。 
「……こんな……小僧に……」 
 両眼が異様な輝きを発していた。憎悪と驚愕と遺恨が入り混じった、狂的な色調。 
 ごぼり──とガノンドロフの喉が鳴り、口から大量の血があふれ出た。 
 目の輝きが消えてゆく。 
 がくりと顔が横に傾いた。 
 動かなくなった。  
 
 リンクも身体を動かせなかった。 
 なすべきことをなしたのだ、という事実は認識できたが、感動は生じなかった。ずっしりとした 
疲労だけが実感された。 
 わずかに残った力をかき集め、上半身を起こす。 
 意識もせず置いた手が、奇怪な感触を得た。ガノンドロフの死体が異様な硬化を呈していた。 
ついさっきまで生きた人間だったとは、とても思えない。あたかも岩であるかのような、無機的な 
印象を受ける。 
 マスターソードの力で、実際に岩と化してしまったのかもしれない──と、リンクはぼんやり 
考えた。 
 そのマスターソードを引き抜こうとして、できなかった。ガノンドロフを貫通した刃が、 
下の石壁にまで深々と食いこんでいたのである。回収は諦めざるを得なかった。 
 立ち上がってみると、あちこちに鈍い痛みが自覚された。打撲にとどまっているようだった。 
相当の衝撃であったのに、その程度の怪我ですんだのは不思議である。落ちた時に下敷きとなった 
ガノンドロフの身体が、衝撃の一部を吸収してくれたためと思われた。 
 ガノンドロフによって加えられた傷もあった。剣が左肩の皮膚を切り裂いていた。かすり傷の 
範疇で、出血はしているものの、さほどの量ではない。といっても、落下の位置が少しずれて 
いたら、首は胴から斬り落とされていたはずである。幸運と言わねばならなかった。 
 身体の状態を探っているうち、徐々に意識が冴えてきた。 
『ゼルダは?』 
 思い至ると同時に気配を感じた。 
 ふり返る。 
 崩壊が行き着くところまで行き着き、もはや建物としての形態を失ってしまった廃墟の中、 
先刻までの騒乱が嘘のような静けさと、すべての灯りがなくなったことによる重い暗みを背にして、 
ゼルダは立っていた。 
 ゆっくりと、歩みが寄せられる。 
 どうやって破壊をやり過ごしたのか、髪も肌も衣装も汚れきってはいたが、怪我らしい怪我は 
ないようである。 
 傍らまで来て、ゼルダは足を止めた。 
 目が下に向けられる。 
「終わったのですね……何もかも……」 
 言葉が出なかった。何と言っていいかわからなかった。 
「ガノンドロフ……」 
 呟きが続けられる。 
「あわれな男……強く正しい心を持たぬゆえに、神の力を制御できずに……」 
 喜びも、憎しみも、そこにはうかがえなかった。どんなふうにも表現できない感情が、ゼルダの 
心を満たしているようだった。最も近い言葉で言い表すなら、それは「哀しみ」ではないか──と、 
リンクは思った。 
 沈黙が流れてゆく。 
 その中で抱いた一つの疑問を、リンクは口にした。 
「……封印は?」 
 ゼルダは首を振る。 
「ガノンドロフの生命は、完全に絶えました。もう封印の必要はありません」 
 ラウルの計画とは別の形で、ことは決着したということなのだろう。 
 目を上にやる。 
 なお空を埋めつくす暗雲を背景とし、いまや手の届きようもなくなった、はるかな高みで、 
金色の光が小さく輝いていた。 
 勇気のトライフォースと、力のトライフォース。 
 持ち主の手を離れた二つのトライフォースは、これからどうなるのか。そしてゼルダが持つ 
知恵のトライフォースは? 
 さらなる疑問を思い出す。 
 力のトライフォースを取り戻すため、ゼルダは賢者の力を呼び寄せたという。いったい 
どのようにして? 
 ゼルダの顔に目を戻す。 
 血の気がなかった。 
「ゼルダ──」 
 思わずかける声にも差し伸べる手にも応えることなく、ゼルダはその場に崩れ落ちた。 
 精も根も尽き果てた──と告白するような、それは戦うべきを戦いきった一人の女の、 
はかなくも尊い姿だった。 
 
 
To be continued.  
 

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