──霧のかかったような、ぼんやりとした風景。  
 ──目を凝らしてみても、その霧は晴れそうにない。  
 ただ……  
 そこには一人の人物がいて……その人はぼくのすぐ近くにいて……ぼくはその人を見上げていて  
……それが誰なのかぼくにはわからなくて……  
 いや……  
 その輪郭が徐々に明らかになり……それは小さく、やさしく、たおやかな、少女の姿……  
 鼻腔をおとなう芳しい香り……  
 そう、それは、ゼルダ。  
 首をややのけぞらせ、両目を閉じ、眉間に軽く皺をよせ、わずかに口を開き……  
 苦しいのか……嬉しいのか……何を思うのか……  
 背に流れる金色の髪……ああ、あの頭巾の下に、こんな豊かな髪がひそんでいたなんて……  
 身体が動く……ゆっくりと……  
 なめらかに続く繊細な曲線……首……肩……胸……それらをおおう白い肌……  
 胸の平面の左右に置かれた、ほのかな桃色の蕾……  
 ……裸……ゼルダの裸……  
 ……裸?  
   
「うわっ!」  
 リンクは跳ね起きた。  
 すでに太陽は稜線にかかるまでに昇り、平原は光に満たされ始めていた。露を宿す草むらは  
無数のきらめきを返し、まばらに立つ木々の葉も新鮮な輝きを放っていた。頭上の枝に休む鳥の声。  
背後を流れるせせらぎの音。美しい、しかしごくありふれた朝の風景だった。  
『夢……』  
 心臓はまだ全力で拍動している。  
 いったい……いまの夢は……ガノンドロフが出てくる、あの嫌な夢を見なくなったと思ったら……  
 コキリの森で女の子の裸は見慣れている。別にどうということはない。でも、裸の女の子が  
出てくる夢なんて、いままで見たことはなかった。しかもそれが、会ったばかりのゼルダの……  
 裸──という言葉を続けるのを、リンクの心の中でためらった。だが、ためらう理由が自分でも  
わからなかった。  
 試しにそっと口に出してみる。  
「ゼルダの裸」  
 たちまち胸の動悸が速まる。  
 何か……何かいけないことを、ぼくは考えている。もうこれ以上考えるのは、やめにしないと……  
 それでも思考がそこに流れてゆくのを止められない。  
 あのゼルダの表情。苦しげで、それでいて嬉しそうで……ゼルダのあんな表情を、ハイラル城で  
実際に見たわけではないのに……それだけじゃない、髪を下ろした姿も、ましてや……裸……  
なんて……どうしてぼくは……  
 
 リンクは身体の違和感に気がついた。股間に硬く息づく、それ。  
『……何なんだ?』  
 この現象は初めてではない。いままでにも時々あったことだ。気にとめたこともない。でも  
いまは……いまは……これはさっきの夢と、何か関係があるのだろうか?  
 いきり立つそれに、服の上から触れてみる。びくん、と痙攣するそれに、リンクは驚く。同時に  
そこから広がる、えもいわれぬ感覚。  
『いけない』  
 リンクは踏みとどまる。  
 もうこのことを考えるのは、やめておこう。もっと他に考えなきゃならないことが、ぼくには  
あるじゃないか。  
 ゼルダとの約束。ガノンドロフを倒すために、精霊石を求める旅。残りのうちの一つ、炎の  
精霊石は、デスマウンテンにあるという。その登山口となるカカリコ村が、いまの目的地だ。  
ゼルダとインパに別れを告げ、ハイラル城を去ったのが、一昨日の朝だった。カカリコ村までは  
二日の道のりと聞いた。今日の昼頃には着けるだろう。  
 野宿の臥所とした川べりの木の下で、リンクは朝食をとった。ハイラル城を出発する時に、  
インパからかなりの額のルピーを貰っていたので、今度の旅では食料の入手に困ることはなかった。  
リンクは食事に専念した。そうしなければ、思考がまたしても、あの方向へ流れていきそうに  
思えたからだ。  
 食事を終えて身支度をしていると、手が懐のオカリナに触れた。  
『サリア……』  
 オカリナを手に取り、そっとサリアに教わった歌を吹いてみる。  
 そういえば、サリアの夢は、コキリの森にいた頃、何回か見た覚えがある。もちろん、さっきの  
夢のような、なまめかしいものではなかったが……  
『なまめかしい』  
 そんな言葉の響きだけで、心が波立ってくる。その波立ちが、サリアとの、あの経験を思い出させる。  
 別れ際のキス。  
 なぜそれを連想するのか。あれはなまめかしいことだったのか。あれには……そういう意味が  
あったのだろうか……  
 またしても股間が硬化し始める。  
 まずい。何か他のことを考えなければ。何を? 気分を落ち着かせるような……いや、  
そんなんじゃだめだ。もっと気分を萎えさせるような……そう、たとえば……  
 ガノンドロフの夢。  
 ぼくはガノンドロフの夢を見て……そうしたらほんとうのガノンドロフに会って……これは、  
やっぱり予知なのか? ゼルダの夢のお告げのように? だとすると……さっきぼくの夢にいた  
ゼルダは……将来……ほんとうに……ぼくの前で……  
『何を考えてるんだ!』  
 リンクは強く首を振る。どうやっても思考がそっちへ行ってしまう。  
 こんなこと……こんなこと……ゼルダに「悪い」じゃないか……何が悪いのか、どう悪いのか、  
説明はできないけれど……  
「さあ、行こう」  
 思いを断ち切るように、リンクは敢えて大きな声を出した。  
 ぐずぐずしてはいられない。なすべきことをなさなければ。  
 リンクは自分にそう言い聞かせ、東の方向、カカリコ村へ向かって歩き始めた。  
 
 
 ハイラル唯一の活火山であるデスマウンテンは、その山容の険しさでも随一であった。鋭い  
山嶺と深い谷間が交錯し、容易に人を寄せつけなかった。しかし山塊がハイラル平原に落ちかかる  
領域ともなると、激しい起伏もさすがに勢いを減じる場所がある。その場所には、穏やかな斜面に  
沿って十数軒の家が集まっており、その一端を出発点として、ただ一本のみ、つづら折りの道が  
山頂に向かって伸びていた。そこがカカリコ村だった。  
 平原からの石段を登ると、村の入口の門が見えた。兵士が一人、所在なさげに立っている。  
ゼルダに渡された手紙が必要になるかと緊張したが、門をくぐるリンクを、兵士はちらと見た  
だけで、何も言わずにあくびをしていた。  
 城下町と違って不用心だな、とリンクは思った。が、門の向こうに続く村の様子を見て、兵士が  
そんなのどかな態度でいるのも無理はない、と思い直した。  
 喧噪と雑踏に満ちた城下町とは正反対だった。家々は小さく質素であったが、華美なところが  
ないぶん、落ち着いていて住みやすそうだと感じられた。一角には建築中の新しい家があり、  
数人の大工が忙しそうに働いていた。その槌音や話し声は、あたりの静かな空気に適度な  
アクセントを与えていた。他にも何人かの村人が、歩き、あるいはたたずみ、村全体を一幅の絵に  
見せるような調和を形作っていた。村の奥には大きな風車が立ち、その緩やかな回転は、この村の  
平和を象徴するかのようであった。  
 リンクは村の中を歩いていった。すれ違う人々はリンクを眺め、軽く会釈をするが、  
話しかけようとはしない。それは冷淡なのではなく、他人に過剰な圧力を与えないための  
奥ゆかしさなのだ、とリンクは感じた。むしろそうした心遣いが暖かく思えた。  
 村の奥へと向かうリンクの耳に、穏やかな雰囲気を破る、あわただしい声が聞こえた。  
「まあ! どうしましょう! コッコが飛んでいっちゃった!」  
 声の方を見ると、低い木の柵で囲まれた庭の前で、一人の若い女が立ちすくんでいた。両手を  
口に当て、おろおろした様子だ。何が起きているのかわからず、リンクは立ち止まったままでいた。  
女はリンクの姿を認めると、切迫した調子で声をかけてきた。  
「コッコが逃げちゃったの! ねえ、ぼうや、お願い! コッコたちを捕まえて、ここへ連れてきて!」  
「コッコ……って、何のこと?」  
 キスのことでマロンに笑われたように、これも間の抜けた質問と思われるだろうか、と気に  
なったが、女は意に介さなかった。  
「ほら、あの鳥よ! そこを歩いていってるじゃない! ああ、いなくなっちゃう!」  
 女が指さした先で、ずんぐりとした鳥が、よたよたと歩き回っている。全身の羽が白く、頭に  
赤い帽子のようなものがついている。時にちょっと飛び上がりはするが、鳥だというのに、高く  
飛ぶことはできないようだ。こんなもの、捕まえるのは簡単だろうに……と思ったが、行きがかり上、  
無視するわけにはいかない。リンクは鳥を追って駆けだした。  
 意外に面倒だった。手近にいたコッコはあっさり捕まえられたが、けっこう遠くまで逃げた  
ものもあった。見えにくい木箱の陰や、ちょっとやそっとでは背の届かない高台にいたりもした。  
リンクは村中を走り回らなければならなかった。  
 
「これで全部だと思うけれど……」  
 ようやく作業を終え、リンクは息を切らしながら女に話しかけた。  
「一、二、三……七羽全部いるわ。よかった、ありがとう!」  
 胸の前で手を組み、女はさも安心したように言った。  
「わたし、ほんとはコッコが苦手なの。触ると鳥肌が立っちゃうの。コッコの世話はわたしの  
仕事だから、我慢しなきゃいけないんだけど……」  
 それでこの人は自分では捕まえられなかったのか、とリンクは納得した。  
 女はリンクの顔を見、いま気づいたという様子で言った。  
「ぼうや、この村では初めて見るわね。初対面なのに変なこと頼んだりして、ごめんね。何か  
お礼をしなきゃ。お茶でもどう?」  
 身ぶりや口調に、まるで演技でもしているかのような大げさなところがあるが、親切そうな  
人だな、とリンクは好感を持った。  
 庭の隅にある木のベンチに、二人は腰かけた。女はアンジュと名乗り、リンクも自分の名を  
告げた。アンジュは言葉どおりにお茶の仕度をし、二人は並んでそれを味わった。噴煙を上げる  
デスマウンテンが正面に見える。インパの言葉を思い出し、目的地の情報を得ておこうと、  
リンクはアンジュに話しかけた。  
「ぼく、これからデスマウンテンに行くんだけど、どこから登ればいいのかな」  
「デスマウンテンに?」  
 アンジュが心配そうな声で繰り返す。  
「危ないわよ。子供が一人で行く所じゃないわ」  
「わかってる。でも、どうしても行かなきゃならない用事があるんだ」  
 詳しいことは言えないけれど……と、リンクは心の中で続けた。  
「ここからは見えないけど、登山口は……」  
 そう言ってアンジュは、左前方を指さした。  
「あっちの坂の上にあるわ。でも、登山口の門の所では兵隊さんが見張っていて、通れないわよ」  
「それは大丈夫だと思う」  
 ゼルダの手紙があるから……という確信があったからだが、これも口には出さない。アンジュは  
不審そうな顔だったが、それ以上、追求しようとはしなかった。リンクは質問を続けた。  
「ゴロン族って、デスマウンテンのどこにいるの?」  
「ゴロンシティよ。山の中腹あたり。ここからだと、まる一日はかかるわね」  
「どんな人たちなのかな」  
「鉱山で働いている人たちなの。その鉱石で作る刀鍛冶が有名ね。ゴロン刀って、聞いたことはない?」  
「旅の途中で聞いたことがあるような気がするよ。そういえば……ゴロン族は岩を食べるという  
話も聞いたっけ」  
「それはただの噂よ」  
 世間に広く流布しているゴロン族の生態を、アンジュはあっさりと否定した。  
「岩を食べるとか、身体が岩だとか言われてるけど、ほんとうはわたしたちと同じハイリア人なの。  
でも、ずいぶん変わった生活をしていることは確かね」  
 アンジュの話をまとめると、こんな具合だった。  
 ゴロン族は男ばかりの共同生活を営んでいる。活火山に掘られた鉱山で働くという危険きわまりない  
生活は、必然的に女を遠ざけ、男同士の結びつきを強化してきた。そのためゴロン族には結婚と  
いう概念がなく、従って子供も生まれない。仕事の後継者は、ハイラル全土からの志願、あるいは  
勧誘によって得られ、それらは養子という形でゴロン社会に組み込まれる。  
 リンクには理解できないことが多い話だった。  
 結婚? 養子? 子供が生まれない? そうだ、そもそもハイリア人の場合……  
「子供って、どうやったら生まれてくるものなの?」  
 リンクは思わず、かねてからの疑問を口に出していた。  
 
 突然、何を言い出すのかしら、この子は。  
 アンジュは焦り、どきまぎしながらも、子供向けの説明を試みようとした。  
「それは……男の人と女の人が結婚して……それで……」  
「結婚ってなに?」  
「え?」  
 結婚の意味がわからない? どういう育ちをしてきたのだろう。そういえば、着ている服も  
風変わりだ。  
「男の人と女の人が、これからずっと一緒に暮らしていきます、っていう儀式よ」  
「へえ……その二人が、父親と母親ってこと?」  
「そう、二人に子供が生まれたら、そう呼ばれるの」  
 無知にもほどがあるのではないか、とあきれながら、それでもアンジュは丁寧に説明した。  
「そこまでは何となくわかるけれど……ぼくがわからないのは、その二人が何をすれば、子供が  
生まれるのか、ってことなんだ」  
「え?……あ……」  
 リンクの直接的な疑問に、アンジュは絶句した。  
 まさかこの子、わたしをからかってるんじゃ……?  
 一瞬、そんな疑惑が胸をかすめたが、リンクの顔は真剣そのもので、とても邪心があるとは  
思えない。ほんとうにわかっていないのだろう。  
 でも、そんなこと、わたしの口からは……  
「お父さんかお母さんに訊いてごらんなさい」  
 とりあえず逃げを打つ。が、次の瞬間、リンクの表情に翳りが差すのを見て、アンジュは、  
はっとした。  
 ちょうど庭の横を一組の家族が通り過ぎた。父親と母親、そして男の子と女の子。女の子は  
母親に手を引かれ、それよりも小さい男の子は、父親に肩車されている。いかにも仲睦まじく  
談笑しながら、その家族は一軒の家に入っていった。  
 それを見送っていたリンクが、ぽつんと言った。  
「ぼくには両親がいないんだ」  
 まあ……  
「他の家族は?」  
 リンクは首を振る。  
 じゃあこの子は、独りぼっち?  
 アンジュの心は痛んだ。そして無性にリンクがいとおしくなった。こんな子供が? いや、  
これは、いうならば母親のような感情──母性愛に近いものなのだ、と、アンジュは自分に  
言い聞かせた。そう思いながらも、  
「……ごめんなさいね、悪いことを言ったわ」  
 自分の言葉が、子供相手という軽い意識から離れてゆくのを、アンジュは感じ取っていた。  
「気にしないで、アンジュ」  
 リンクがふり返り、意外に明るい声で言った。  
「どこにいるのか、いまはわからないだけさ。きっといつか会えると信じてるよ」  
 そのけなげさ。前向きさ。  
「そうね……きっと、会えるわね」  
 アンジュの心は暖かくなる。むしろ自分の方が、リンクに癒されているような気がした。歳の  
大きく違うリンクが『アンジュ』と呼びかけるのも、なぜか快い。  
 
「ぼくの生い立ちは変わっているんだよ」  
 リンクはそう言うと、その変わった生い立ちを語り始めた。出自の知れないハイリア人の子供が、  
いかなる事情によってか、これまでコキリ族として暮らしてきた、というリンクの話は、  
アンジュを驚かせた。いつまでも大人にならないというコキリ族の特性も。  
『それでリンクは、あんなに……』  
 無知だったのか、と、アンジュは理解した。  
『わたしが教えてあげないと』  
 奇妙な責任感。それをさほど奇妙とも感じずに、アンジュは自分の方から話を戻した。  
「子供が生まれることについてだけど……」  
 ゆっくりと、そう切り出す。  
「結婚した男と女は、愛し合って、それで子供が生まれるの」  
 結婚している必要はないが、いまはそこまで言わなくてもいい。  
「愛し合う……って?」  
「お互いを大事に思って……この人のそばにいたい、この人と一緒に生きていきたい、この人の  
ためなら何でもできる……って、思うようになるの」  
「好き……っていうこと?」  
「似ているわ。でも、少し違う」  
 アンジュには婚約者がいた。同じ村に住む青年だ。自らの感情を思い出しながら、自らの将来を  
夢見ながら、それをリンクに話している自分自身に、アンジュは酔っていた。  
「この人に触れていたい、この人に抱かれたい、この人が欲しい……そう思うの。それで二人は……」  
 アンジュは、ふと我に返った。  
 わたしは何を言っているんだろう。露骨な言葉をリンクは何と思っただろうか。  
 胸が激しく動悸を打っていた。そっとリンクの顔を窺う。難しげな表情だ。  
「愛って……何だか、よくわからないな」  
 アンジュは安堵する。  
 やっぱり、子供なんだわ。  
「まだわからなくていいの。いずれわかるわ」  
「大人になったら?」  
「ええ、大人になったら」  
「そうか……」  
 リンクは一応、納得したようだった。  
「でも、これはわかったよ。ゴロン族は女がいなくて男ばかりだから、結婚もしないし、子供も  
生まれないんだね」  
「そのとおりよ」  
 実はアンジュは、『兄弟の契り』と称する、ゴロン族ならではの性的習慣についても知っていた。  
しかしそのことは黙っていた。気軽に口にできる内容ではないし、いまのリンクには、言っても  
理解できないことは明らかだったからだ。  
 
「もうひとつ、訊いていい?」  
 リンクが、ためらうように言った。  
「いいわよ、なに?」  
「あの……大人の女の人ってさ……どうして胸がふくらんでるのかな」  
 リンクの声が低くなる。  
 身体の奥のどこかが、つん、と刺激される。  
 そうだわ、母親のいないリンクは、それを知らないまま……  
「母親になると、赤ちゃんにお乳をあげるの。それで胸がふくらむのよ。他の動物と同じ」  
 でも、それだけじゃない……  
「ああ、そうか……じゃあ、アンジュには赤ちゃんがいるの?」  
 わたしに? そう、わたしの胸はもう立派にふくらんでいる。でも、それは……  
「いいえ、わたし、まだ結婚してないもの」  
 授乳、それとは関係なく、女の胸は、他の目的にも……  
「結婚する前からふくらむの?」  
 そう、それは女が女であることの証明だから……  
「そうよ、お乳をあげる準備のために……」  
 そして、男に触れられるために。男を慰めるために。男を楽しませるために。  
 半ば無意識でリンクの質問に答えながら、アンジュは思い出していた。  
 婚約者との体験。彼がわたしの乳房をどのように崇め、どのように扱ったか。  
 女の魅力の源。男を酔わせる武器。  
 それをリンクはまだ知らない。  
『わたしが教えてあげないと』  
 どっちの意味で?  
 自分でも答がわからないまま、アンジュはその言葉を口にしてしまっていた。  
「見たい?」  
 
 その場に落ちる沈黙。絡み合う二人の視線。  
 アンジュにはわかった。リンクは黙っている。驚いている。そして意識している。けして無知な  
だけの子供ではない。すでにリンクは、その入口に立っている。  
「見たことないんでしょ?」  
 小さくなる声。人に聞かれてはならない、その言葉。もうこれは教育ではなく……  
 再び身体を刺激する、つん、という感覚。その場所はひとつにとどまらず、もうひとつ……  
さらにひとつ……  
「いいの?」  
 リンクの声がさらに低くなる。  
 大工の父は外で普請の最中。薬屋の母は店にこもっている。怠け者の兄はどこかへ出かけたまま。  
いま、家には誰もいない。  
 誘惑。その言葉を反芻する。  
 それでもいい。  
 ささやくように、アンジュは言った。  
「来て」  
 
 状況を把握しきれないまま、リンクはアンジュの部屋へと導かれた。  
「そこにかけて」  
 アンジュの声に従って、ベッドの縁に腰をかける。その声には、何の感情もこもっていない  
ように聞こえた。  
 リンクの前に、アンジュが立つ。顔にはやはり感情が見えない。ただ目だけが意味ありげに  
光っている。  
「見せてあげるわ。大人の女を」  
 アンジュが、ゆっくりと、上から順に、服の前ボタンをはずしてゆく。  
 リンクは息をのんでそれを見守る。  
 ──見たことのない、大人の女性の胸。それをアンジュが見せてくれる。どうして? わからない。  
わからないけれど……ぼくは……  
 ボタンがすべてはずされ、服が左右に開かれる。リンクの目を射る白い下着。  
 ──ぼくは……見たい?……見たいのか?……そう……  
 すでに服は床に落ち、下着の肩紐がずり落ちてゆく。首から肩。そこには肌をさえぎるものは、  
もはやない。  
 ──知らないものを見てみたい……確かにそうだけど……それだけじゃなくて……  
 肩紐から腕が抜かれる。もう上半身は直に空気に触れている。その全容を巧みに隠す両腕の交錯。  
 ──ぼくは目が離せない……ぼくの意思とは別のところで……何かがぼくを……  
 アンジュが真正面からこちらを向く。交差した手が胸に置かれ、その下からは未知のものの  
片鱗がのぞき……  
 ──この感覚……つい最近にも感じたこの感覚にぼくを駆り立てて……  
 両手がおりてゆく。少しずつ、少しずつ、二つの隆起の姿が現れてゆく。そしてついにその頂が……  
 ──何かが見える。何かが見えてくる。その何かというのはきっと……  
 頂が露わになろうかとしたその瞬間。  
 ──きっと……とても……すばらしいものなんだ……  
 
 さっとアンジュの両手が下ろされる。  
 さらされた胸。左右に宿る絶妙な曲面。内に張りつめた肉感。重みを訴えつつも自立した形状。  
先端に咲く薄赤い花弁。  
 これが……大人の女性……  
 リンクは目を奪われていた。成熟した女の美が、そこにあった。  
 まるくて、やわらかそうで、はかなげで、それでいてしっかりとそこにあって……それを……  
それを確かめるには……  
「触ってもいいのよ」  
 リンクの心臓が大きく収縮する。  
 触る? ぼくの手で? ぼくの手でそれを確かめていいのか? ほんとうに?  
 リンクはゆっくりと立ち上がった。一歩、アンジュに近づいた。  
 その時。  
 下着を圧迫する股間の硬いしこりを、リンクは自覚した。瞬時に朝の記憶がよみがえる。  
 夢の中のゼルダの裸。いま目の前にあるアンジュの裸。  
 それは……いまのぼくにとって……いけないことだったのでは……  
「ねえ、アンジュ」  
 声が震える。  
「なに?」  
 かすかなアンジュの声。  
 ぼくはどうしたい? ぼくはどうすればいい? ぼくはどうしなければならない?  
 リンクは惑い、その答を、目の前のアンジュに求めた。  
「ほんとに……いいのかな……こんなこと……」  
 
 いいのよ、と答えようとして、アンジュは気づいた。  
 リンクの目。  
 困惑と、助けを欲しがるような頼りなさにもかかわらず、そこには、正しいものを求めようと  
する、まっすぐな感情があった。  
 侵してはならない純粋さ。  
 アンジュは思い出す。  
 わたしがリンクに惹かれたのは、そのためではなかったか。自分の哀しい境遇を嘆いたりせず、  
常にけなげに、前向きに未来を見つめる、純粋さのためではなかったか。  
『いけない』  
 それまでアンジュは、感情が外に出ることを抑制しつつも、内では激しく燃えていた。何も  
知らない少年を誘惑するという状況に興奮していた。  
 だが、それは正しくないことなのだ。  
「ここまでにしましょう」  
 アンジュは静かにそう言い、着衣を整えた。心はすでに落ち着いていた。  
 謝るべきだろうか、とアンジュは思った。  
 そうするべきだわ。でも……  
「大人になったら……」  
 リンクの声がした。  
「え?」  
「これも、いずれ、大人になったら、わかることなんだね」  
 アンジュはリンクの顔を見た。笑みが浮かんでいた。しかしそこには、いくばくかの心残りの  
影も窺われ、リンクがすでに、無邪気な子供のままではいられない段階にあることを示していた。  
「ええ……もう少ししたら、リンクにもわかるわ」  
 リンクはうつむき、しばらく黙っていたが、やがて顔を上げて言った。  
「ぼく、もう行くよ」  
「デスマウンテンに登るの?」  
「うん」  
「これからだと、途中で日が暮れるわよ」  
「かまわない。急ぎの用事なんだ。野宿には慣れてるから」  
「そう……」  
 アンジュはリンクを家の外まで送った。リンクは登山口の方向を確かめると、アンジュに  
向き直り、軽く手を上げて言った。  
「じゃあ」  
「気をつけてね」  
 歩き出しかけて、リンクは足を止め、もう一度アンジュをふり返った。  
「……アンジュ……」  
 その頬が紅潮していた。  
「……ありがとう……とても……きれいだったよ」  
 リンクは下を向き、恥ずかしげにそう言うと、身をひるがえして駆けだした。もうふり返る  
ことはなく、登山口の方へとまっすぐに、リンクは走り去っていった。  
『結局、謝れなかった』  
 その後ろ姿を目で追いながら、アンジュは心の中で呟いた。  
『でも、許してくれるわね』  
 リンクの最後の言葉が、不思議に大きな感動を呼び起こしていた。  
 リンクがそう言うのなら、それがリンクのほんとうの気持ちなんだわ。  
 アンジュは空想する。  
『もしわたしが大人になったリンクに会ったとしたら……』  
 デスマウンテンの頂上からたなびく噴煙が、わずかに傾きかけた太陽を覆い隠し、風が肌寒く  
カカリコ村を吹きすぎた。しかしアンジュの心はなおも暖かく、未来の青年の姿を思い描いていた。  
 
 
To be continued.  
 

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