「変わったことはなかった?」
旅に区切りをつけてハイラル城に立ち帰った際、ゼルダにそう訊ねるのがリンクの常だった。
本気で何かを気にしているのではない。いわば挨拶のうちである。
ゼルダはいろいろ教えてくれる。内容は身辺雑記といった感じで、料理人の飼い猫が仔を
産んだとか、侍女が恋人らしき男と一緒にいるのを見たとか、まことにのどかな話題ばかり。
冒険に慣れた身としては、いちいち瞠目する気にもなれない。とはいえ満足すべきではあった。
その程度で「変わったこと」になるくらい、世界は平和を享受しているわけである。
ところが今回は違っていた。
「ひと騒動あったのよ。それでインパが怪我をしたわ」
「インパが?」
緊張した。
同じく緊張の面持ちでゼルダが語った経緯を要約すれば、次のとおりである。
──一ヶ月ほど前、王国の、とある高官が、夜、お忍びで城下町を歩いていたところ、突然、
刃物を持った暴漢に襲われた。たまたま所用で近くにいたインパが助けに入り、間一髪で高官の
命を救ったのだが、はずみで腕に傷を負ってしまった。暴漢は逃走し、以後、その行方は杳として
知れない──
「どれくらいの怪我?」
「大したことはないの。そこそこ血は出ていたけれど」
「犯人の正体は?」
「はっきりしないみたい」
詳細を知らぬふうのゼルダへ、さらなる質問を向けるのは控えておき、リンクはインパを部屋に
訪ね、前置きも抜きにして容態を問うた。
「かすり傷だ」
平静な声でインパは言い、左腕を突き出してきた。下膊部に切創があった。確かに軽傷である。
包帯も必要ないほどに治癒が進んでいる。運動にも支障はないようだった。
ほっと胸を撫で下ろし、次いで、誰にやられたのかと訊いてみる。犯人を実見したインパなら
何かをつかんでいるだろうとの確信があった。
「よくわからん。深夜で見通しが悪かった上に、相手は顔を隠していたのでな。ただ……」
インパの表情が深刻味を帯びた。
「男の服装ではあったが、身のこなしが女のようだった」
「女?」
前にも増しての緊張がリンクを襲った。
「変装ってこと?」
「うむ」
「ひょっとして、ゲルド族じゃない?」
武芸の達人であるインパに傷を負わせ、あげく、まんまと逃げおおせてしまうくらいの手練れ。
しかも女。インパは高官を庇わねばならなかったはずだから、それに足を引っぱられて実力を
発揮できなかったのだろうが、だとしても尋常な相手ではない。
反乱を未然に防がれて以来、しばらく鳴りを潜めていたガノンドロフが、再び策謀をめぐらし
始めたのではないか。王国の要人を暗殺せんと企てているのではないか。
「可能性はある」
インパは驚かなかった。すでに想定していたようである。
「だが、証拠は何もない。ハイラル平原西方に駐留している王国軍からの情報では、ゲルド族に
取り立てて怪しい動きは見られないという。物騒な事件もあれきりだ。暗殺失敗に懲りて
おとなしくしているのかもしれんが、現状では奴らを糾弾することはできん。ここは静観の
一手だな。それに……」
くだんの高官には私生活の面でちょっとした問題があり、騒ぎは個人的ないざこざに過ぎなかった
とも考えられる──とインパは述べた。実際、城内の人々は、もっぱらそのように取り沙汰して
いるらしい。
高官の私生活の問題とやらが何であるのかを、インパは説明しなかった。リンクも聞きたいとは
思わなかった。それどころではない、との切迫感に囚われていた。静観にはとどめておけない
危険性を、リンクは事態に嗅ぎ取っていたのである。
インパにも告げられない──告げてはならない──危険性だった。
リンクは自室に閉じこもり、長い時間を思考に費やした。
ぼくが『この世界』にある意義とは……
『この世界』の平和を守ること。
『あの世界』の悲劇が再現されないようにすること。
それが『あの世界』のゼルダの願いだった。その願いを承けてぼくは『この世界』に帰って
きたのだ。
ゲルド族の反乱を食い止め、一応、平和は確保できていた。しかし油断は禁物。今回の事件が
ガノンドロフの差し金と決まったわけではないが、この先、奴が何らかの攻撃を加えてくる
おそれは常にある。
守るべき『この世界』の平和のうちでも、とりわけぼくが守るべき対象は……
言うまでもなくゼルダ。
そして賢者たち。
『あの世界』において賢者たちの存在は、ガノンドロフを倒すのに必須の要件だった。『この世界』の
歴史は、すでに『あの世界』のそれとは違ってきているけれども、賢者たちの重要性に違いは
ないはず。みなに危険が及ばぬよう、注意の上にも注意を払っておかねばならない。
今度の一件が、その感を強くした。
インパの受傷。
幸い、大事には至らなかった。インパが直接の標的となったのでもない。彼女が『闇の賢者』で
あることは、いまだ知られていないとみてよかろう。
が、今後そうなる危険性を、決して無視はできない。
ぼくと出会った賢者はオーラを発するようになる。そのオーラをツインローバは感知できる。
ゲルドの砦でガノンドロフとともにおとなしくしていると思われるツインローバが、のこのこと
ハイラル王国内にさまよい入ってくるとは考えにくいものの、万が一、賢者が奴の目に留まったら、
たちまち正体を見破られ、抹殺されてしまうだろう。
ぼくが賢者の近くにいれば、対処のしようもある。『あの世界』の知識を持つぼくは、人の心を
読めるツインローバに、絶対、会ってはならないのだが、その危険を冒してでも、賢者を守りきる
手は尽くそう。ただ、賢者たちは広大なハイラルの各地に散らばっている。ぼくの目が届かない
所でいきなり襲われるという局面も、当然、あり得る。
そんな時、どうすれば賢者は助かるか。
神殿に身を隠すしかない。もちろん──身を隠すだけでは追求をかわせないだろうから──
覚醒状態となって。そうすれば賢者は、自らと、自らが関係する地域とを、結界によって守る
ことができる。
しかし……
それには代償が伴う。
賢者は神殿の外へ出られなくなってしまう。現実の世界から切り離されてしまう。
ほんとうは、そうあってはならないのだ。賢者が賢者としてではなく、普通の人間として
生きられる世界にしてくれ──と、ぼくは『あの世界』のゼルダに頼まれている。
とはいえ、殺されてしまうよりは、そちらの方がまだしも救いなのではないか。
歴史改変前の『あの世界』で、賢者たちがどれだけ悲惨な目に遭ったかを、重々、承知している
ぼくとしては、そのように思わずにはいられない。
いかにすべきか。
とりあえず賢者はいまのままにしておいて、危機に見舞われたらやむを得ず覚醒に導く──
というのが妥当な線だが……
賢者が覚醒するにあたっては、二つの条件がある。
第一は、時の勇者であるぼくと契ること。
第二は、神殿という場に身を投じること。
ぼくが十六歳にならないうちは、時の勇者としての力を発揮できず、覚醒は半覚醒にとどまる
のだけれども、どちらにせよ賢者は安全を保てる。
といっても、賢者がぼくのいない状況で襲われたら、無論、契りは行えない。すなわち覚醒は
不可能となる。それに、ぼくがいたとしても、切迫した場面では契っている暇などないかもしれない。
こうしよう。
あらかじめ賢者たちと契りを交わす。当面はそこまで。ただし指示はしておく。ふだんは神殿に
足を踏み入れないようにし、何らかの異変が起こって、いよいよ他に命を永らえるすべがないと
なった場合にのみ、急ぎその中へ赴くように──と。
ぼくとの契りという第一条件を満たしても、神殿の場という第二条件が作用しないうちは、
覚醒も半覚醒も生じない。つまり、世界が平和であり続ける限り、賢者は普通の人間として
生きられるのだ。
この策を施す相手となるのは……
『時の賢者』であるゼルダは枠外だ。すでに契りを結んでいるし、仮に賢者として覚醒する仕儀と
なっても、現実の世界にとどまることができる。
『光の賢者』であるラウルも除外される。精神だけの存在であるため、危害を加えられる
心配はない。ぼくは動かなくていい。もしも覚醒が必要となった時は、あちらから接触して
くるだろう。『あの世界』のようにシークとして出現するかどうかは不明だが。
『魂の賢者』であるナボールは、むしろ放置しておくべきだ。『この世界』ではぼくと出会って
おらず、オーラを発していないナボールゆえ、ツインローバも彼女が賢者だとは看破できない。
いまのままの方が安全といえる。
残るは四人。
サリア。ダルニア。ルト。インパ。
契ろうとするなら同意を得なければならない。しかも賢者がどうこうといった詳細を伏せた
上でだ。覚醒を余儀なくされるまでは、あくまで何も知らない普通の人間であって欲しいから。
できるだろうか。
インパの同意を得るのは難しい。契ろうなどと言おうものなら、即座にぶん殴られそうだ。
しかし、他の三人については、さほど難しくはないという気もする。
『水の賢者』であるルトは、『この世界』においても非常に積極的。『水の精霊石』を譲られた時に
念を押しているので、結婚を言い立ててくることはないが、それでも「わらわの初めてを
貰うてくれ」と──口には出さないものの──言外に要求するかのごとく、会えばやたらと身を
すり寄せてくる。
『森の賢者』であるサリアも、ルトほどではないにせよ、態度に積極性が感じられる。コキリの森へ
行くたび、家に来いと誘われる。いまもって「見せたいもの」を見て欲しいようなのだ。ぼくが
初めて森を出る際に交わしたキスの再現をも、内心、望んでいるのではないか。
『炎の賢者』である、あのダルニアさえ、ぼくがそばにいると、妙にもじもじして、女めいた──
実際に女なのだが──風情を漂わせる。『あの世界』のダルニアがそうだったのと同じく。ならば
『この世界』のダルニアも、ぼくに対して女の感情を抱いていることになる。
そんな各人の真意を推察しつつも、これまでぼくは、彼女らが示す有形無形の誘いに応じなかった。
彼女らにとっては、賢者としての覚醒に──現実世界との永別に──繋がる行為となるからだ。
応じる時が、いま、来ている。
特に、サリアの場合は、別の意味でも契りの必要性を感じる。
ぼくが『この世界』に帰ってきた時点は、デクの樹サマの死後だった。よってコキリの森では、
いまだに新しい子供が生まれてこない。その現況を放っておくわけにはいかない。
『あの世界』では、時の勇者としての力を持った大人のぼくが、森の神殿の敵を倒して呪いを解き、
かつ、契りによりサリアを賢者として覚醒させたことで、デクの樹のこどもが誕生し、コキリ族は
滅亡を免れた。『この世界』でもデクの樹のこどもを誕生させなければならない。まだ子供の
ぼくがサリアと契ったところで、同じ成果が得られる保証はないのだが、呪いという因子を
排除できている『この世界』のコキリの森なら、それでもどうにかなるのではないか。
──とまでぼくは考えてきて……
大きな壁にぶつかってしまう。
ルトやサリアやダルニアに対し、ぼくが何もしてこなかったのは、賢者としての覚醒を防ぐため
だけではない。他にも理由がある。
ぼくにはゼルダがいる。軽々しく他の女性と関係を持つことはできない。
そう思ってきた。
ところが、このような情勢となって……
なおも他の女性との関係を回避すべきか。
回避はできない。賢者たちの安全を図るのであれば。
しかしゼルダに黙ってそうするわけにもいかない。世界を救うという行動の一環なのだ。
同志でもあるゼルダには──できる範囲で──話しておかねばならない。
ゼルダはわかってくれるだろうか。
わかってくれるだろう。
『あの世界』のゼルダは、ぼくと他の女性たちとの関係を知っていたにもかかわらず、ぼくを
責めたりはしなかった。知った上でぼくの愛を受け入れてくれた。
『この世界』のゼルダだって、真剣に話せば、わかってくれるはず。
それに、一方では、こうも思うのだ。
ルトやサリアやダルニアの好意をうかがい知りながら、その好意を無視していなければ
ならないのは、人と人とのつき合いとして実に不自然──
思考は破られた。ドアがノックされたのである。
ノックの回数と間隔、そして音の調子には、聞き慣れた特徴があった。
一人で思考に集中するため、ドアには内から鍵をかけていた。リンクは坐していたベッドから
腰を上げ、戸口に歩み寄った。開錠し、ドアを引きあけると、そこには予期したとおりの人物が
立っていた。
ゼルダである。懸念ありげな表情だった。
「お邪魔してもいいかしら」
「いいとも」
室内に導き入れる。窓際のテーブルへと移動する。ゼルダに椅子を勧め、自分はその向かいに
すわる。
すぐにゼルダが口を開いた。
「心配ごとがあるのね」
「わかるの?」
「ええ」
さもあろう。旅から戻って顔を合わせたはいいが、ろくろく会話も交わさないうちに座をはずし、
インパに会い、あとはこの部屋にこもりきりだった。ずっとゼルダを放置していた。何かあったと
思われて当然。
こちらの心配を推量しながら、ゼルダもまた心配している。そうさせてしまったことに悔いを
覚える。ひと言くらいかけておくべきだった。けれどもゼルダの心配は、ぼくへの真心ともいえる。
二人の近しさを反映している。
ほんのりとした温かみを胸に感じるリンクだったが、ゼルダの方は表情に懸念を貼りつけた
ままで、遠慮がちに言葉を送ってきた。
「何が心配なのか、聞かせてもらえない?」
「ぜひ聞いて欲しい。大事な話があるんだ」
インパを含め、第三者が部屋に入ってくる気配はないと見極めた上で、リンクはゼルダの懸念を
晴らしにかかった。
例の高官を襲ったのはゲルド族の刺客かもしれない──と、まず切り出す。
そこまでは考えていなかったのだろう、ゼルダは顔に驚愕を、次いで憂慮の念を表した。
「確実な証拠があるわけじゃない。だけど、今後ガノンドロフがほんとうに何かを仕掛けてくる
おそれは充分にあるから、こっちも気をつけておかないと」
頷くゼルダ。
「実は、大きな問題があってね。ガノンドロフを……封じこめるために……何て言ったらいいかな
……そう、とても重要な役割を持つ人が、ハイラルには何人かいるんだよ。その人たちが危険な
目に遭わないよう、しっかりと守っていかなきゃならない」
封印や賢者といった単語の使用を、リンクは意図的に避けた。賢者の名前や人数も秘匿した。
鍵となる情報をゼルダに記憶させたくなかった。ゼルダがツインローバに心を読まれてしまうという
万一の事態を考慮したのである。
再びゼルダは頷いた。が、表情は若干の当惑をも宿していた。
急に未知の事柄を聞かされたのだ。当惑もするだろう。しかし賢者について詳述はできない。
リンクは話を本題へと進めた。
「で、その重要人物たちを守るには、ちょっと特殊な方法が必要なんだ」
ゼルダが当惑を言葉にする。
「特殊な方法?」
「うん」
「どんな?」
「ぼくと契りを交わすこと」
ゼルダの顔がこわばった。頷きも声も返ってこない。返ってくるのは視線だけである。じっと
こちらを凝視している。
どきりとした。
これは? この視線が持つ意味は?
顔のこわばりを維持したまま、ゼルダは、再度、口を開いた。
「あなたがどんないきさつでその方法をお知りになったのか、うかがってもよろしくて?」
今度はぞくりとした。ゼルダとの距離が開いたような気がした。正しくは、ゼルダが後ずさって
距離を広げたかのような印象だった。
まことに丁重な口ぶり。さっきぼくに心配ごとの内容を訊ねた時も似たげな言葉遣いをして
いたが、それよりさらに丁重だ。丁重すぎてよそよそしい。その時には感じた温かみが、いまは
全く感じられない。
言い方が悪かったか。しかしあれ以外にどう言えば──
「いかがなの? 教えていただけないのかしら」
「それは……ええと……」
話せない。話せるはずがない。ぼくがその方法を知ったいきさつなど。
「……ぼくが、得た、お告げで……」
「お告げ? ずいぶんあなたに都合のよいお告げですこと」
明らかに皮肉。誤解されている。そんなつもりじゃないんだ──
と説く暇もなく声をかぶせられる。
「一応、確かめておきますけれど、契りを交わすというからには、その何人かの重要人物とやらは、
みなさん、女性なのね?」
「あ、うん……」
「それで、契りの意味するところは、身体の関係を結ぶこと──と受け取ってかまいませんわね?」
「そうさ、でも──」
「つまりあなたは、わたし以外の女性と身体の関係を伴ったおつき合いをしたい──と、
おっしゃっているわけね?」
「いや──」
結果としてはそのとおりだが、本質としては──
「違う、ぼくが言いたいのは──」
「何が違うのよ!」
一転──
「あなたが言っているのはそういうことでしょう? 他に解釈のしようがないわ!」
大音声。
丁重さはかなぐり捨てられていた。顔にはあからさまな怒りが充ち満ちていた。
ゼルダに怒られるのは初めてである。その衝撃がリンクの言葉を奪った。どう応じたらいいのか
わからなかった。
「もしかして……」
ゼルダの声が低くなった。
「とっくにそうしているんじゃないの?」
「え?」
「旅先で他の誰かと、いいえ、そもそもわたしと出会う前からあなたは──」
「してない!」
脳裏をよぎる『あの世界』の記憶にぎくりとさせられながらも、
「君以外のひととは絶対にしてない! 『この世界』でそうしたのは君ひとりだけだよ!」
と言い切る。
これは断じて嘘ではない。
沈黙するゼルダ。怪訝そうな顔つき。
やがておもむろに返答がなされた。
「いいわ。そこのところは信じてあげる。でも、一つのことだけはあなたも否定しないわね?」
「一つのことって?」
「あなたはもうわたしを愛していないということよ」
「まさか!」
叫ぶ。
「とんでもない! ぼくはいまだっていつだっていつまでだって君を愛してるさ!」
叫び返される。
「じゃあどうして他のひととつき合うなんて言うのよ!」
「だって──」
話が本筋からはずれてきている。だけどこうなったらとにもかくにも説得を──
「愛とセックスは同じものじゃないだろう?」
ゼルダの目が丸くなった。
「……何ですって?」
意味が伝わっていない? 舌足らずだった? それなら『あの世界』のアンジュに教わった
とおりを──
「セックスというのは人と人との繋がりを確かめ合うもので、男と女がめぐり会ってお互いに
そうしたいと望んだらそうするのが自然なことだろう?」
間があって……
震え始めるゼルダの顔。
「よくもまあ、ぬけぬけと……」
まずい。ますます怒っている。どうする? どうする? そうだ、確か、あの時──
「君は言ったよね。男が複数の女に欲望を抱くのはごく普通のことで、いわば男の本能であって、
別に悪くはないんだって」
「わたしが? 冗談でしょう! そんなことを言った覚えはこれっぽっちもないわ!」
「あ──」
しまった!
「……君じゃなかったよ。そう言ったのはシークだった」
「シーク? シークって誰?」
いけない! またも!
「ぼくの……友達で……」
「旅先で知り合ったの?」
「うん、まあ……」
「男? 女?」
「どっちかっていうと、男……かな」
「どっちかって、どっちなの? はっきりしなさいよ」
「いや、男だよ、男」
「どんな人だか知らないけれど、そういう不届きな考えをあなたに吹きこむなんて、感心できない
お友達だわね。会うのは控えた方がいいと思うわ」
噴き出してしまう。
「何がおかしいの!?」
笑っている場合ではないとわかっていながらどうにもならなかった。
「もう知らない!!」
耳を貫く金切り声が、やっと笑いを収まらせるも、跳び上がるように席を立ったゼルダの形相は
ガノンドロフもかくやの凄まじさで、とても言葉をかけられない。
憤然という語を体現するかのごとく、ゼルダはきっぱりと背中を向け、あとをも見ず部屋を
出て行ってしまった。
リンクはため息をついた。胸には苦みがわだかまった。
こちらとしては、思うこと、信じることを率直に述べたつもりなのに……
身勝手と受け取られてしまったか。
話せばわかってくれると思っていたけれど……
考えてみれば、『あの世界』のゼルダは経験を積んだ大人だった。大人の分別というものが
あったのだ。賢者にまつわる事情も知っていて、ぼくのしたことを許容できる下地ができていた。
詳しい事情を知らない、しかも──いかに大人びているとはいえ──まだ年若い『この世界』の
ゼルダに、『あの世界』のゼルダと同等の理解度を期待したのは、早計だったと言わざるを得ない。
セックスについての認識が、ぼくとゼルダでは違っているのだ。そこまで思い及ばなかった。
笑ってしまったのも失敗だった。他ならぬゼルダがシークをあんなふうに評するものだから、
どうにも笑いを抑えられなかったのだが、あれで火に油を注いでしまった。
それにしても、ゼルダにあのような一面があったとは……
いや、驚くにはあたるまい。
平生、実に優美で、清楚で、たおやかなゼルダではあるが、ただおとなしいだけの女の子ではない。
自分の意見はちゃんと言うし、意外に行動的であったりもするし、王女として毅然たる態度を
示すべき時は、みごとに示してみせもする。さらに、『あの世界』のゼルダは──シークとして
ではあれ──世界を救うという途方もない重荷を、ぼくのいない七年間、たった一人で担い続けたほど
意志強固で、なおかつ、決戦に臨んでは怯みもせずガノンドロフに矢を射かけるだけの度胸を持って
いたのだから、『この世界』のゼルダとて、それらの基盤となる気質をすでに備えているとしても
不思議はない。意に沿わぬ事柄に接して怒りをあらわにすることくらい、あって然るべきとも
いえるだろう。
そんなゼルダの一面は、ぼくにとってたいそう新鮮で、ある意味、感心さえしてしまう……
『待て』
感心している場合じゃない。ぼくはゼルダを説得しなければならないのだ。
が……
この上、説得できるだろうか。
心許ない。
かといって、あの案を撤回するわけにもいかない。賢者たちを危険から守りきるためには。
ならば、どうするか……
王女たる者、常に淑やかであるべし──と躾られ、また、常にそれを実践してきたゼルダで
あったが、廊下を歩く足の運びが淑やかさとは懸隔した粗雑さになるのを、自分の意思で制する
ことはできなかった。制する気にもならなかった。
侍女に行き合う。話しかけてくる。
無視する。
まっすぐ自室の前へと至る。ドアを突きあける。室内に身を移したあとは、投げ放つようにして
ドアを閉める。
居間の中ほどまで進む。ソファにクッションが置かれている。つかんで床に叩きつける。
さらに生贄を探し求める目が、飾り棚の上の一点に留まった。
瓶の中で燃えている『青い炎』。先の誕生日にリンクから贈られた、美しくも涼やかな幻想的逸品。
つかつかと棚に歩を寄せ、瓶をひっつかみ、それをも床に叩きつけ──
──ようとして、思いとどまった。
中身は炎。瓶が割れたら火事になるかも。
心に浮かびかける別の理由を、ゼルダは無理やり意識の外へと追い出した。その点を考える
気にもなれないほど神経が高ぶっていた。
が、乱暴な行為を断念したことで、激怒一色だった脳にも、多少の落ち着きが回帰した。
瓶を棚に戻す。床のクッションを拾い上げ、ソファに置き直す。自らもそこに腰を下ろす。
思いをめぐらそうとするものの、いまだ頭は鎮静しきっていない。思考を秩序立てられない。
ノックの音がした。リンクかと判じ、返事をしないでいたところ、許しも得ず部屋に入って
きたのは、予想と異なる人物だった。
「ドアは静かにお閉めなさい。けたたましい音が私の部屋にまで響いてきました。王女に
ふさわしからぬお振る舞いですぞ」
眼前に立ったインパが、厳しげに、しかしあくまでも穏やかに、たしなめの言葉を送ってきた。
ゼルダは黙っていた。思惟の乱れが発語を妨げたのである。
「いったい何があったのです? もの凄い剣幕で廊下をお歩きだったそうですが」
侍女から聞いたのだとわかった。
わたしが何かに怒っているのを、もうインパは知っている。下手に隠すとよけい怪しまれる
だろう。ここは、むしろ……
「ねえ、インパ」
とりあえず疑問を投じてみる。
「男の人というのは、恋人がいても、他の女性に心を惹かれるものなのかしら」
一般論に聞こえるよう、ぼかしたつもりだったが、インパは直ちに状況を把握したらしく、
口元をかすかに微笑ませ、ずばりと核心を突いてきた。
「リンクが浮気でもしましたか?」
答に困った。
あれを浮気といえるだろうか。
他者との契りを主張するリンクではあるも、それを実行したわけではない。
すでにそうしているのではないか──と、わたしは、一瞬、疑った。過去の交情が思い返されたのだ。
これまでリンクはいつもわたしにセックスを教えてくれる立場だったし、そもそも初めての時から
行為に慣れているふうだった。
『でも……』
(君以外の人とは絶対にしてない! 『この世界』でそうしたのは君ひとりだけだよ!)
あの台詞が虚偽であったとは思えない。「この世界」という例の言いまわしが奇異に感じられは
したものの、あの時のリンクの態度は、決して嘘をついている者のそれではなかった。
だから、わたしは、信じた。
相応の知識さえ持っていれば、たとえ未経験であっても、女を導くべく行動できるのが、
男というものなのだろう。リンクは旅先で──肛門性交の件がそうだと言っていたように──
人から話を聞きでもして、その種の知識を得ているのだろう。
断定できる。リンクは浮気をしていない。
それはいいが、ではリンクが何をしたかというと……
これから浮気をすると予告したのだ。なんともふざけた話ではないか。
「異性への関心ということでしたら──」
ゼルダに返事を促すでもなく、インパは淡々と言葉を継いだ。
「人間、誰しも、持っていて当然です。恋人の有無にかかわらず、心を惹かれる時は惹かれるもの。
男も女も変わりはありません。ただ、男の方にその傾向が強いとはいえるでしょうな。お父上を
ごらんになればおわかりかと」
いかにも──と思い至る。
父には何人かの妾がいる。公然の事実だ。父のみならず、身分ある男の中には妾を持つ者が
少なくない。襲撃を受けた、あの高官にしても、噂によると、お忍びで夜の町を歩いていたのは、
妾宅を訪れるためであったらしいのだ。
父が妾を囲っていることをとやかく言う気はない。地位の高い男とはそんなものだと割り切ってきた。
父の場合は何年も前に配偶者を──わたしにとっては母にあたるひとを──亡くしているから、
性欲処理の意味でも妾が必要なのだ。母をないがしろにする行状であるとは思わない。父は
いまもって亡くなった母を愛している。妾のうちの誰をも後妻に迎えようとしないのがその証拠だ。
とはいうものの、自分自身の話となると、そう簡単には納得できない。リンクは高位の人物では
ないし、それに何より、わたしという相手が死にもせず実在しているのだから。
「もっとも、リンクの場合は、本人の気持ちがどうであれ、まわりの方が放っておかないでしょう」
不気味なことを言い出すインパ。
「あの歳でいて、リンクはなかなかの男です。剣の腕は立つし、人柄もいい。面貌も並み以上の
部類といえます。旅の先々で女性にもてまくっているのではないですかな。私にせよ、あなた
くらいの年齢なら、リンクを好きになっていたかもしれません」
思わずインパの顔を見直す。にやにやと笑っている。
冗談なのだ。としても、こんな冗談を謹厳なインパに言わせるほど、リンクは女性受けが
いい男だったのか。
あわよくばリンクに意見してもらおうと思ってこの話をしたのに、インパは全く同情して
くれない。それどころか、浮気を正当化するようなことを言い、あまつさえ、わたしの不安を
煽りさえする。どういうつもりなのだろう。
インパが笑いを引いた。
「男と女が長くつき合っていけば、いろいろな場面に遭遇するものです。よい場面もあれば、
悪い場面もあるでしょう。よくお考えになって、その上で、どうしても我慢できないと
おっしゃるなら、リンクとは別れなさい」
「そんな──」
「ともかく」
繰り出しかけた言葉を封じられる。
「よくお考えになることです」
同じ語句を繰り返したのち、インパは身を翻し、すたすたと場を立ち去った。とりつく島もない
感じだった。
部屋にひとりとなったゼルダは、インパが去り際に残した言を、何度も胸中で反復させた。
『リンクと……別れる……』
思いつきもしなかった。激しい怒りに支配されてはいても、リンクと別れようなどとの発想を、
わたしは露ほども抱かなかった。
なぜなら……
リンクを愛しているから!
他の女性と交わりたいという馬鹿げた要望を聞かされながらも、いまなお、わたしは──
『青い炎』を捨てられなかったわたしは──心からリンクを愛している!
インパも本気で別れろと言ったのではないだろう。いつも小言を絶やさないインパだが、
それでもわたしたちの交際は認めてくれている。わたしたちを温かく見守ってくれている。
さっきは冷たい素振りだったけれども、あれは敢えてわたしを突き放したのだ。
以前、インパに問われたことがある。
(あなたとリンクがともにあり続けられると言い切れますか?)
わたしは答えた。
(言い切れます)
そう言い切ったのだから恋人の浮気くらい自分で収拾をつけろ──と、インパは態度でわたしに
命じたのだ。
ならば、命じられたとおりにしよう。よくよく考えてみよう。
わたしはリンクを愛している。では、リンクの方はどうだろうか。
リンクもわたしを愛している──と結論せざるを得ない。他の女性と交わりたいという馬鹿げた
要望を呈示しながらも、だ。
(ぼくはいまだっていつだっていつまでだって君を愛してるさ!)
あの台詞とて、口からでまかせだったとは思えない。真情のほとばしりが感じられた。
『なのに……』
(じゃあどうして他の人とつき合うなんて言うのよ!)
そう、どうしてそんなことを面と向かって愛する相手に言えるのか。
(愛とセックスは同じものじゃないだろう?)
と開き直っていたが、仮にわたしが同じことを言ったら──他の男に抱かれると宣告したら──
リンクはどうするつもりか。
言ってやりたい気もする……が……
わたしには言えない。たとえ戯れであろうとも。
リンク以外の男に抱かれたいなどとは毛の先ほども思わない──思いたくもない──わたしなのだ。
そのあたりが男と女の差なのだろうか。インパが言うように、男の方が異性に心惹かれやすい
のだろうか。リンクの話に出てきたシークなる人物が言うように、「男が複数の女に欲望を
抱くのはごく普通のことで、いわば男の本能」なのだろうか。
かもしれない。
しかし、だとしても、
(男と女がめぐり会ってお互いにそうしたいと望んだらそうするのが自然なことだろう?)
というのはあまりに無節操で非常識な発言。知り合った女性とはセックスするのが礼儀だとでも
思っているのか。開き直りにしたってあの台詞は──
『開き直り?』
違う。
開き直りではなかった。リンクは真面目にそうと信じているようだった。
あの時だけではない。最後になって笑い出したのを除けば──なぜ笑い出したのかはいまだに
わからないけれども──リンクは初めから一貫して大真面目だった。
ガノンドロフを封じこめるにあたって重要な役割を持つ人物を守らなければならず、そのためには
守るべき相手と契りを交わさなければならない──とリンクは言った。普通に聞けば荒唐無稽な
たわごとだが、他の女を抱きたいがゆえの虚構だったとは思えない。リンクは真剣そのものだった。
別の根拠もある。
わたしとリンクの関係自体が、類似の経緯で成り立っているのだ。
ガノンドロフを倒すためにはわたしとリンクの契りが必要不可欠だった。わたしの予知はそう
断言し、リンクもまた、リンク独自の「お告げ」によってその結論に達していた。
(ずいぶんあなたに都合のよいお告げですこと)
と、さっきは思わず皮肉ってしまったが、同様の男女関係が他にもあって、リンクがそれを
「お告げ」で知ったというのも、あながちおかしな話ではない。
もしもリンクが一般的な意味での浮気をするつもりなら、あんな怪しげな理由を持ち出す必要は
なかった。ただ黙っていればよかったのだ。旅に出ている間のリンクが、どこで誰と何をして
いるのか、わたしには知るすべがないのだから。
詮ずるところ、リンクがしようとしている行為は、単なる浮気ではない。世界の平和を
保とうとする行動の一環なのだ。契りの件をわたしに告げたのは、わたしが同じ使命を担う
同志であるためで、その点、リンクは誠実といえる。
『誠実?』
恋人に向かって他の女性と交わると言うのを誠実と表現するのは奇妙なことだ。世間では
とうてい通用しない誠実さであるだろう。
むしろ馬鹿正直と呼ぶべきか。
もっとも、リンクのそんな馬鹿正直さを、わたしは愛しているのだけれど。
リンクの言動が非常識であるのを、いちいち批判しても始まるまい。コキリの森という、
一般社会から隔絶した地で生きてきたせいで、考え方も常人とは異なっているのだ。世間の常識に
囚われないところがあって当たり前。
わたしは心を広く持たなければならない。決して狭量であってはならない。
「お姉さん」のわたしとしては、いかにリンクが非常識でも、そこのところを理解し、包容して
やるべきだ。
そして王女のわたしとしては、世界の平和に通じるリンクの行動を、我意によって妨げることは
慎むべきだ。
例の高官を襲ったのはゲルド族の刺客かもしれないとリンクは言ったが、城内ではむしろ、
女遊びの激しい高官をめぐって複数の愛人たちが繰り広げた嫉妬がらみの争いだという説が
ささやかれている。真実が奈辺にあるかは不明にせよ、王女であるわたしなれば、かりそめにも
左様な醜態をさらすようなことがあってはならない。
いいだろう。呑み下そう。
ただし、リンクの恋人であるわたしとしては、何もかもをリンクのほしいままにはさせたくない。
譲れない一線というものを引きたい。
どこにその一線を引いたらよいか。
ゼルダは熟考に熟考を重ねた。
夕食の時刻となったので、リンクは食堂に赴いた。ゼルダと顔を合わせたらどんな態度をとった
ものか、と気後れしたが、そこにいたのはインパだけだった。
安堵しつつも心配になり、ゼルダはどうしているのかと訊ねる。
「黙想しておられる。ご夕食はお部屋で摂られるそうだ」
ぶっきらぼうな返事。それだけである。食事の間もほとんど口をきいてくれない。
ことの次第をゼルダから知らされているのだろうか。だとしたら何か言ってきそうなものなのに……
疑問を感じたものの、自分から言い出せる話でもない。リンクはインパの沈黙につき合って、
はなはだ居心地の悪い時間を過ごさねばならなかった。
食事が終わって席を離れようとするインパに、
「あの……」
リンクは思い余って問いかけた。
「ゼルダは……まだ怒ってる?」
ぎょろりと目を剥くようにして、インパが答える。
「怒らせたお前なら、ゼルダ様がどの程度にお怒りなのか、わかっていそうなものだが」
わからないから訊いているのだ──とは、とても言い返せない。ただ、その発言から、二人の
齟齬について少なくともある程度は知っているらしいと推測はできた。
勇を鼓して問いを継ぐ。
「ぼくのこと、何か言ってた?」
「私は聞いていない。そのうち沙汰があるだろう。首を洗って待っていろ」
不穏きわまりない言葉を置いて、インパは食堂から姿を消した。
怒りは治まっていないようだ──とリンクは察した。
なんとかして真意を伝えたいところだが、怒っているうちは話も通じまい。機嫌が直るのを
待つしかない……
その日のうちに「沙汰」はなく、リンクは心細いまま輾転反側の一夜を過ごした。
翌朝、眠い目をこすりつつ朝食の場に出ると、このたびはゼルダが姿を見せていた。
「おはよう、リンク。よく眠れた?」
落ち着き払った、しかし何の感情もうかがえない声であり、物腰だった。戸惑いを覚え、また、
ろくに眠れなかったとも告げられず、
「まあね」
と曖昧に答を返す。ゼルダは気にかけるふうもなく、仮面のような顔のままで言葉を続けた。
「今日は別荘へ行くことにしたの。あなたと一緒に。それでかまわないかしら」
「うん……」
とりあえず肯定の返事をしながら、同席しているインパに目をやる。端然としている。いまの
ゼルダの言に意見を差し挟もうとはしない。すでに段取りはできているようである。
推し量ってみた。
高官襲撃事件が念頭にあれば、危険を考慮して外出を控えるのが普通というものだろう。
にもかかわらず敢えて別荘へ行くのは、それをゼルダがよほど強く希望しているからだ。
そこで何をするつもりなのか。
これまで別荘には何度か招かれた。いつもインパだけが付き添いで、そのインパも滞在中は
どこかに──別荘に附属するいくつかの建物の中のどれかだと睨んでいるが──引っこんでくれて、
ぼくとゼルダは水入らずの一泊二日を過ごすことができた。
今回も同じ流れになる?
とは考えにくい。
ゼルダはもう怒りを解いているようだが、さりとて機嫌よさそうでもない。何かを胸の奥に
秘めているらしい。
その「何か」とは、おそらく……いや、間違いなく……
食事中もゼルダは感情を表に出さず、ただし会話は如才なく切り回した。けれども契りの件は
話題にのぼらせなかった。
意外とは思わなかった。
給仕人が出入りするこの食堂で出せる話題ではない。別荘で話すつもりなのだ。ゼルダの胸に
秘められている「何か」が、それ以外のものであるはずがない。
どんな話になるのだろう。
簡単な話にはなるまい──と、リンクは予想した。ゼルダの様子を見れば見るほど、楽観とは
ほど遠いところへと、思いは移ろってゆくのだった。
午前中はゼルダの勉強時間にあたっていたため、別荘に着いたのは昼下がりだった。常のごとく
インパのみが同伴者である。そして到着と同時に、やはり常のごとくインパはいずこかへと去り、
リンクとゼルダの二人だけが客間に残された。
いつもなら待ちに待った時間の始まりである。インパがいなくなるやいなや、寝室へ行く手間も
惜しみ、着衣のまま床に転がって互いを求め合ったことさえ、以前にはあった。しかし、いまは
とうていそんな展開となるような雰囲気ではない。
ゼルダは、なおも表情を崩さず、部屋の一隅にあるテーブルにつくよう指示してきた。リンクは
従った。二人は向かい合って椅子に坐した。
何ごとが始まるのかと心を張りつめさせるリンクに対し、まずゼルダがとった態度は、実に
驚くべきものだった。
「きのうは、ごめんなさい」
と言って頭を下げたのである。
「あんなふうに声を荒立てるなんて、みっともなかったと反省しているわ」
唖然となってしまう。発するべき言葉が見つからない。
「あれからよく考えてみたの。そうしたら、あなたの言うことは筋が通っていて、道理もあると
納得できたわ。もう臍を曲げたりしないから、あなたはあなたの信じるとおりにして」
おのれの口がぽかんとあけっぱなしになっているのをリンクは自覚した。自覚しながら口を
閉じられない。それほど意表外なゼルダの変容ぶりだった。
どう説得しようかと悩む必要もなかった。拍子抜けするくらいだ。ゼルダはぼくの要望を
すっかり受け入れてくれている。申し分のない決着……なのだが……
ほんとうに「すっかり」受け入れてくれたのだろうか。ゼルダの表情は緩んでいない。胸の奥に
秘めている「何か」を全部さらしきってはいないように思える。
当たっていた。
「ただし」
と、ゼルダは続けたのである。
「二つ、条件があるわ」
「条件?」
「ええ」
「なに?」
「一つ目は、こうよ。あなたが、あなたの言う何人かの重要人物と契りを交わすのは、一人につき
一度だけにしてもらいたいの。その人たちを守るための契りなら、それで充分だと思うのだけれど、
どうかしら」
なるほど──と、リンクは得心した。
やはり無制限の受け入れではなかった。他者との継続的な関係は認めないというわけだ。
一人につき一回。ゼルダにすれば、これ以上は譲れない一線といったところだろう。こちらと
しても折り合える条件。『あの世界』でも賢者の保護は──たとえ半覚醒であっても神殿の中で
身を守ることはできるから──一回の契りで可能だった。
「わかった。そうする。で、二つ目は?」
「その人たちが、どこの誰なのか、教えてちょうだい」
詰まってしまう。
できれば秘したい点なのだが……
「あなたは知っているんでしょう?」
「うん……」
肯定せざるを得ない。即答できなかったことが、すでに無言の肯定だった。知らなければ
知らないとすぐに応じられたはずなのだ。
「いますぐじゃなくていいわ。でも、契りを交わす時になったら、その前に、必ず教えておいて
欲しいの」
こちらの行動を把握しておきたいという意図なのだろう。もっともな要求ではある。ここは
譲歩するべきだ。ゼルダの方も大幅に譲歩してくれているのだから。
「それもわかった。その時が来たら、必ず言うよ」
「なら──」
ゼルダの顔がほころんだ。ずいぶん久しぶりに見る笑みのように思えた。
「これでこの話はおしまい。ずっとすげなくしていて、ごめんなさい。けれど、もう仲直りね」
こちらは初めから仲違いなどしたくはなかったのに……
いや、そんなふうに考えるのはよくない。ゼルダは二度も謝った。ならば……
「ぼくの方こそ、君の──」
心情も酌み取れなくて──と続けることはできなかった。ゼルダが右の人差し指を立て、
引き結んだ唇の真ん中にくっつけて見せたのである。その動作が示唆するとおりに、リンクは
口をつぐんだ。ゼルダは笑みを保ったまま、生じた会話の空白を、軽やかな口調で充填した。
「言ったでしょう。この話はおしまいって」
覚えずリンクも微笑した。詫びを免除されるのは心苦しい気がしたものの、ゼルダの挙措が
湛える愛らしさは、それだけで赦しなのだとも感じられた。そこで頷きだけを返した。張りつめていた
心に安らぎが戻り、同時に感嘆の念が湧いた。
ゼルダにもいろいろ思うところはあっただろうに、過程は省いて、ただ結論だけを明示した。
こちらの至らない点を追及もしない。すべてを呑み下してしまっている。
王女ならではの鷹揚さなのかもしれない──と、リンクは胸の中で独り言ちた。
そののちゼルダは唐突に、夕食の仕度をするからと言い残して厨房へと去った。そうするには
早すぎる時刻ではないかとリンクは思ったが、いかに「仲直り」したとはいえ、直ちに別の会話を
始めるのもわざとらしい気がしていたので、間が入るのはむしろ適切であるとも思えた。
事実、適切だった。庭園を散策したり、また『あの世界』で馴染みとなっていた馬小屋を訪れ
感慨に浸ったりして単独の時間を過ごすうち、気分は新たとなり、食卓についた時には、
ごく自然な態度でゼルダに相対することができた。
かつての失敗を糧としたのか、このところゼルダは料理の腕前を上げてきていた。以前に
希望したポトフなどは、いまや得意の品目となっており、その日も献立の中心として卓上にあった。
リンクは舌鼓を打ちつつ賛辞を呈し、ゼルダは嬉しそうに礼を返し、そうしたやりとりも含めて、
会話は順調に推移した。
会話としては、である。
和やかに談笑する一方で、リンクはひそかに疑問を抱いていた。
今回の滞在が例によって一泊二日となることは、すでにゼルダから知らされている。けれども
今夜がどんな性質の夜となるのかは──つまり「仲直り」がそっちの方面をも含んでいるのか
どうかは──不明確だ。
その点についてゼルダは何も言わない。言わずもがなと考えているのかもしれないが、確信を
持てない。かといって問い質すのも何となくためらわれる。思い切ってためらいを捨てようと
しても、そんな時に限ってゼルダは新しい話題を出してくるので、訊ねるきっかけは失われてしまう。
疑問を解決できないまま夕食は終わった。これでは埒が明かないと決心し、リンクは観測的な
発言をしてみた。
「風呂に入ってくるよ」
一緒に入ろう、とまでは言えなかった。別荘滞在の折りにはいつもそうしていたのだったが、
相手の真意を読めないとあって、ざっくばらんに誘うことが憚られたのである。
ゼルダの反応は穏当だった。
「じゃあ、わたしはあとで」
過去においてもたいていの場合、リンクが先に浴場へ赴き、ゼルダは多少の時間をあけて
それに続くという手順が踏まれていた。ゼルダがそのようにしたがるのだった。脱衣するさまを
見られるのが恥ずかしいらしいのである。いったん裸となればけっこう奔放に振る舞うゼルダが、
なぜそこだけにこだわるのか、かねてからリンクは不思議に思っていたが、女の子の心理とは
そんなものかもしれないとも判じて、特に指摘はしてこなかった。そうした含羞の暗示に
接するのが楽しみでもあった。『あの世界』のゼルダにも見られた同様の傾向を想起させて
くれるからだった。
ともあれ、ゼルダが日頃の手順を踏もうとしているのであれば、あとの手順も日頃と変わりは
ないだろう──とリンクは安心し、ひとり浴場へと向かった。
ところが待ち人は一向に来ない、
とうとうのぼせてしまい、やむなくリンクは風呂から上がった。用意していた下着と寝衣を着て
脱衣所から出ると、その部屋のソファにゼルダがすわっていた。リンクが口を開くよりも早く、
ゼルダは、食後の後片づけに思ったより手間がかかった、と弁解めいたことを──ただし悪びれる
ふうもなく──言い、あっさりと脱衣所に入っていった。
追って入浴し直す気にもなれず、リンクはゼルダに代わってソファに腰を落とした。
頭は再び疑問に占められていた。
どうしてゼルダは浴場に来なかったのか。後片づけなど放っておくこともできたはずなのに。
ここにすわっていたのもおかしい。まるでぼくが風呂から出るのを待っていたようだった。
『あ……』
待っていたのか? 「あとで」とゼルダは言ったが、あれは「ぼくのあとで入浴する」という
意味だったのか? はなからぼくと一緒にそうする意図はなく? であればベッドをともにする
気もない?
『ひょっとすると……』
これはゼルダの仕返しではないだろうか。他の女性との契りを一応は許してくれたものの、
実は胸に一物あって、ぼくを翻弄しているのではないだろうか。
朝からぼくを萎縮させる態度をとって、かと思えば気前よく──としか思えない豹変ぶりで──
ぼくの要望を受け入れて、殊勝なふうに謝ってみせて、こっちが謝ろうとするのを押しとどめて、
ぼくに負い目を持たせて、ぼくがゼルダの意思を確かめにくくなるよう仕向けて、それでも
確かめようとする雰囲気を感じると巧みに話題を操って口を封じて、そうやってぼくの気を
そそりつつ挫きつつ、ぎりぎりまで本心を隠しておいて、最後になってゼルダは冷たく拒絶する
つもりでいるのでは?
『まさか……』
考えすぎだ。ゼルダがそんな陰険な仕打ちをするはずがない。ゼルダの性格なら──そして
きのうの怒りようから類推するに──ぼくと寝たくなければ寝たくないとはっきり言うだろう。
だが単なる思い過ごしと捨て置くこともできない。ゼルダの素振りは明らかに変だ。なおも
ゼルダは胸の奥に「何か」を秘めているのだ。その「何か」が何なのか、察しの悪いぼくには、
さっぱりわからないのだけれど……
想像は膨らみ、何度も行きつ戻りつし、しかし、まとまるには至らない。
果てない惑いに溺れるうち──
リンクはドアの開く音を聞いた。目をやると、白いバスローブを身に纏ったゼルダが、
脱衣所から部屋に入ってくるところだった。続けてソファへと近づいてくる。すぐ隣に腰を
下ろしてくる。肩が触れそうになる。にもかかわらず、ゼルダはあらぬ方へ顔を向け、リンクの
視線に応えようとはしないのだった。ものを言おうとする気配さえない。あたかもその部屋に
いるのが自分一人だけであるかのような行動だった。
リンクの惑いは極まった。
ぼくを無視している? いや、違う。無視する気ならわざわざ隣にすわったりするはずがない。
それどころか、寝衣ならぬバスローブを着ているということは、別の言い方をすればバスローブしか
着ていないということで、下は素のままの裸だということで、そんな無防備な格好でぼくの隣に
来るからには、ゼルダにもその気があるとしか思えない。だけどほんとうにそうなのか。
ここまでのことをふり返ると素直には受け取りかねる。でも、ああ、でも、湯上がりの肌の
温かみが伝わってきそうなこの間近さ、漂ってくる清潔な石鹸の匂い、かてて加えてゼルダのみが
放つあの芳しい香りが、ぼくを惹きつけて、ぼくの胸をどきどきさせて、こんな時、ふだんの
ぼくなら迷わずゼルダの肩に手をやって、迷わず身体を腕に包んで、迷わず次の行為へと
突き進んでいくところだ。いまだってそうしたくてたまらない。旅の間、ずっとお預けだったのだ。
が、そうしていいのやらどうなのやら。何度もゼルダと情を交わしてきたぼくなのに、いまは
まるでゼルダと一緒にいるのが初めてみたいな動転ぶりを──
「リンク」
突然、ゼルダが口を切った。顔がこちらを向いた。
「わたしを抱きたい?」
耳を抉られたような気がした。何もかも見透かしているかのごとき言である点もさることながら、
いまだかつてゼルダが使ったためしのない直接的な言いまわしである点が、リンクを驚愕させた
のだった。
ゼルダの表情は静やかだった。けれども眼差しはひたむきで、何らかの強烈な意志がそこに
ひそんでいることは疑いようがない。その意志に問われているのである。回答しなければ
ならなかった。
どう答える?
答は決まっている。とはいうものの、そう答えたら果たしてゼルダはどんな反応を示すか。
お断りよ──と、にべもなくはねつけるのではないか。
他の女を抱きたがっているくせに──と、嫌味の一つもぶつけてくるのではないか。
いや、ゼルダがそんなことを言うはずが……
再び始まる惑いの堂々めぐりを、リンクは無理やり打ち切った。
ぼくはぼくの欲するままを答えるだけだ。たとえ何と言われようとも。
「抱きたい」
ゼルダの表情が和らいだ。口元から頬へ、そして両の目へと笑みが広がった。そこに混じる
諧謔的な色調が、してやったりというふうな、得意然とした趣を描出していた。
リンクは悟った。
言わされてしまった。一緒に入浴しなかったのはぼくを焦らすためで、それも含めて、案の定、
ゼルダはぼくを翻弄し続けてきたわけで、けれども結末は拒絶ではなく、ただしその結末への
願望をぼくの方から言い出さざるを得ない状況にしたかったのだ。やはり一種の仕返しだった。
「身勝手」な要望をきいてもらえたぼくとしては、この程度の仕返しなら甘んじて受けるべき
だろう。とはいえ、一杯食わされたと悔しがる気持ちもあるにはあって、また一方では、
それにしてもどうしてこんなまわりくどいやり方をゼルダはしたのかという新たな疑問が──
やにわにゼルダが立ち上がった。不意を突かれて見守るしかないリンクの前で、ゼルダは深い
呼吸を一つしたのち、素早くバスローブを床に脱ぎ落とした。
先ほどの露骨な発言に続けて、ゼルダにしては常ならぬ、羞じらいのかけらさえ欠いた
所作である。こちらの答に対する行動と判断はできたが、思考はそこで頓挫した。あらゆる思考を
奪う美が眼前にあった。
すべてをさらけ出してまっすぐに立つゼルダ。
見慣れた裸体でありながら、その姿はいついかなる時も感動を呼び起こす。いや、厳密に
言うならば、それは見慣れた裸体ではない。長い旅から帰って見れば、どこかしら何かしら、
変化が生じているのだ。特に初潮を迎えてからは、成長が一段と加速している。
いま目にしてわかるのは……
細身の体型は維持されているが、全体に薄く脂肪が乗って、身体の線がやわらかくなった。
乳暈だけの盛り上がりだった両の胸は、麓の部分にも隆起が及んで──いまだ丸みといえるほどの
丸みはないにせよ──乳房の形をつくり始めている。乳暈そのものも少し広くなり、色はほのかに
紅さを増した。そして──
「抱きたいんじゃなかったの?」
優しげな声音である。しかし挑発の意は歴然としていた。リンクの内部で欲情が燃え上がり、
次の瞬間、身体はソファから跳ね上がった。むしり取るように寝衣と下着を脱ぎ捨てる。
佇むゼルダの前に寄る。力いっぱい抱きしめる。
遅れてゼルダの両腕が背にまわってきた。抱擁の完成がさらなる衝動を誘発しかけ──
かろうじて踏みとどまる。
頬を接する形で隣にある頭部の位置が意識されたのだった。
ゼルダは背が伸びている。まだぼくの方が少し高いけれども、明らかに差は縮まった。
ぼくだって少しずつ伸びてはいるのだが、伸びの程度がぼくより上なのだ。やはりゼルダの成長は
加速している。
観察の再開が衝動を静めた。
やすやすと挑発に乗ってしまった。結果、ぼくはこうしてゼルダを抱きしめている。そんな
自分を否定するつもりはない。初めからこうしたいと思っていた。でも……
ぼくがこうしたがっていると──他の女性に関心を持ちながらも、なおかつぼくはゼルダに
夢中なのだと──強調する筋書きをゼルダは作っていて、ぼくはなすすべもなく翻弄されて
その筋書きどおりのぼくを演じているわけで、たとえそれが真実であっても──真実なのだが──
一杯食わされてばかりだという反発的な気分になるのは如何ともしがたい。こうしたがって
いるのはぼくだけではないはずなのだ。これは仕返しであるとともに手のこんだ誘惑でもあって、
つまり……
抱擁を緩める。ゼルダの顔に視線を注ぐ。
目が潤んでいた。頬が紅潮していた。息が速まっていた。
そう、ゼルダも欲情している。
──と知ったからには、もう翻弄されっぱなしのぼくではない。
改めてソファに腰を下ろす。ゼルダの手を引いて右隣にすわらせる。右手で肩を抱く。顔を顔に
近づける。
ゼルダが目を閉じた。首をわずかにかしげた。唇をかすかに開いた。接吻を待つ仕草である。
応じてやらない。
口は頬に当て、左手を顎に添え、ともに唇には届かせずにおいて、首へ、胸へとすべらせる。
胸でも左右の隆起は無視する。まわりを愛撫するだけだ。ほんとうはそこを賞味したくて
たまらないのだが、強いておのれに忍耐を課し、肝腎な箇所への接触を避ける。
ゼルダは切なげに呻きを漏らす。眉間に皺を寄せている。心なしか不満を訴えているように
見える。それでいい。簡単に満足させてやる気はない。あれだけぼくを焦らしたゼルダなのだから、
今度はこっちが焦らしてやる。
右手を肩から背に移す。左手は腿と膝に這わせる。上体をかがめて腹部に口をつけ、ゆっくりと
下にずらせてゆく。秘密の場所が視野に入る。その深奥をいきなり訪れるつもりはもちろんない。
まずは近辺を経めぐるにとどめるのだ。谷間の上方にある小高い丘。胸とは異なり、いまもって
そこには成長の兆しが全く──
「あ……」
思わず声が出る。目を離せなくなる。すべての動きが止まってしまう。
「どうかしたの?」
いぶかしそうに問うゼルダへ、半ば茫然と答を返す。
「生えてる……」
立ち姿を眺めた時には気づかなかった。顔を近寄せてみて初めてわかった。丘のなだらかな
下り傾斜が谷間に移行するあたりで、褐色がかった短い繊毛が、狭い範囲にひっそりと集簇している。
産毛がほんの少し濃くなった程度の頼りなさだが、顕然とした兆しであることは確かだ。
「ほんとう?」
本人も気づいていなかったらしい。身を離して場所を譲ると、ゼルダは驚きの表情で秘部を
覗きこんだ。指で一帯を撫でまわしている。確かめ得たようである。表情から驚きが失せ、
代わりに微笑みが浮かび上がった。鷹揚な感じの微笑みだった。
翻って自らの股間を見るに……
兆しの「き」の字もない。
乳房の発達は気にならなかった。女性に特有の現象だからだ。むしろ嬉しく思った。ところが
発毛は男女に共通する現象であって、その点で明らかな差がついたとなると、劣等感を覚えざるを
得ない。ゼルダがすでに初潮を迎えているにもかかわらず、それに対応する精通をまだぼくは
経ていないという事実も、いまさらながら意識される。十六歳になればあれほど成長する
自分なのだと知ってはいても、現時点での未熟さを覆すことはできない。
股間を見比べるさまで察したのだろう、ゼルダが声をかけてきた。
「わたしたちくらいの年頃だと、女の子の方が早く育つのよ」
学識に富むゼルダが言うのである。そんなものかと納得する。しかし納得しただけでは
終われなかった。ゼルダの言い方に、そして、なお表情を彩る微笑みに、鷹揚さと併せて、
先刻も見てとった、得意然とした趣を感じたのだった。
これは王女としての鷹揚さというよりも、ぼくより一足先に「大人」の身体となりつつある
「お姉さん」としての鷹揚さだろう。だがゼルダを「お姉さん」と表現するのは、ほんとうは
大げさだ。誕生日が少し早いだけで、実質的にはぼくと同い年。いまだって二人はともに十歳。
ちょっとばかり発育がいいからといって──生物学的にはそれが順当だとしても──
「お姉さん」づらをされたら、反発的な気分がいっそう──
ゼルダがこちらに向き直った。微笑みは消えていた。目が爛々と輝いていた。
「舐めて」
耳を疑う。
そこまで露骨なことを!
言葉だけではなかった。ゼルダは行動した。両脚を大きく開き、さらに両手で秘唇をも左右に
広げて見せたのである。
一瞬、目が眩んだ。
ゼルダがこんな下品な振る舞いをするとは!
「さあ」
声が強まった。ほとんど命令だった。そこには確固とした意志がうかがわれ、行動の下品さと
組み合わさって、激しく矛盾した、しかし不思議に調和しているとも感じられる、異様な魅力を
醸し出していた。
『あの世界』のゼルダも、興奮した時、似たような振る舞いをしたものだ。『この世界』の
ゼルダも同じなのだ。そう、ゼルダは興奮している。顔の赤みが増している。自分自身の行為に
煽られている。いったい何がこうまでゼルダを駆り立てるのか。触って欲しい所に触って
やらなかったせいか。それとも──
「早く!」
叱咤に近い呼びかけ。
これも「お姉さん」としての一面だろうか。
リンクはソファから離れ、坐したゼルダの正面に身を移し、床に跪いた。開いた両脚のつけ根に
向けて首を伸ばす。見下ろされていることを意識する。屈服的な姿勢である。
それでもかまわなかった。
姿勢なんかどうだっていい。王女だろうが「お姉さん」だろうが、ぼくと肌を合わせた時は、
いつもメロメロになるゼルダなのだ。最後に屈服するのはどっちの方なのか、とっくりと教えて
やろうじゃないか。
唇を触れさせる。当初の予定どおり近辺からだ。両の腿の内側。薄い草が芽吹いた丘陵。
いまだなめらかな左右の唇。その奥に隠れた一対の襞。愛液をあふれさせる密壷の入口。さらには
脚を持ち上げ、肛門にまで舌技を施す。
「あ……う……あッ……あぁんッ……」
ゼルダが喘ぐ。快美の音調。けれども満足しきってはいないとわかる。しきりに腰を押し出して
くる。最も敏感な部分への刺激を求めているのだ。が、敢えてそこへは口を持っていかない。
繰り返し、繰り返し、周辺だけを逍遥する。
いきなり後頭部に力が加わった。とうとう耐えきれなくなったゼルダが、両手で頭を押さえつけて
きたのだった。自ずと接触が密になる。避けていた所も避けられなくなる。
もっと焦らしてやろうと思っていたが、この密着状態だとそういうわけにもいかない。ここは
求めに従うとしよう。
勃起した肉芽をやんわりと舌でくすぐる。
「いぃぃッ!」
意味ある言葉とも単なる音響ともつかない声がゼルダの喉からほとばしり出た。ようやく望む
部分に望む刺激を得ての歓喜である。その歓喜を極めさせてやるつもりは、まだなかった。
穏やかに、曖昧に口接を続け、高まってきたところで中断する。両手の拘束を脱し、少しずつ顔を
上へと移動させる。
恥丘へ。
臍へ。
鳩尾へ。
そして胸の小さなふくらみへ。
周囲への寄り道を優先させつつも、今度はさほどの遅滞なく、凝り固まった二つの微細な──
いや、以前に比べればやや大きさを増しているようにも見える──乳首に至る。片方は指で、
もう片方は唇と舌で、交互に、執拗に、玩弄する。
またもや歓喜の声をあげるゼルダ。
秘部への接吻を途中やめにしたのはゼルダにとって不本意だったに違いないが、胸への攻めが
それに劣らぬ快感をもたらしているのだ。まだ満たされていない秘部へもすぐに別種の攻めが
なされるはずだと期待しているだろう。もちろん期待には応えてやる。ただし……
君が欲する応え方ではないかもしれないけれど──と、心の内でほくそ笑みながら、リンクは
ゼルダをソファの上に横たわらせた。自らもソファに乗って、ゼルダの脚間に位置を占める。
臥位でいるには充分な長さのあるソファでも、二人が並んで寝られるほど幅広くはない。
仰向けのゼルダに相対するのなら、その上に身体を重ねることになる。それが本来あるべき
体勢だから、行為するには何の問題もないが、敢えて異なる体勢をとる。膝を曲げ、腰を落とし、
しかし上半身は起こしたまま、両腕でゼルダの脚を抱え上げ、露呈された秘裂に一物を接近させる。
触れた。
ずっといきり立ちっぱなしだった陰茎が、濡れた粘膜の感触によって、なおさら欲望を
先鋭化させる。貫きたくてたまらなくなる。
必死で自制する。
焦らすのをやめたわけではない。まだまだ満足させてはやらないのだ。
局部が訴える憤懣に耐え、谷間の表面を撫でるがごとく肉柱をすべらせる。すべらせ続ける。
その範囲には、さっき口で慰めてやった中心点も含まれているので、当然、ゼルダは心地よいはず。
実際、ゼルダの声と面持ちは、心地よさを如実に物語っている。が、ほどなくそれらは、
表面だけの摩擦では物足りないといった調子の、不服の色をも呈し始める。そうだろう。
不服だろう。けれども不服がっているうちは相手になってやらない。
ゼルダが腰を突き出してきた。自らくわえこもうとしているのである。リンクはゼルダの脚から
両手をはずし、腰にあてがって動きを封じた。
「あぁ……」
ゼルダの表情が失望に覆われ、次いで、哀願の色調を帯びた。不服が哀願に変わったことで、
リンクもおのれの頑なさを緩めた。
先端を秘洞にもぐりこませる。
「あッ!」
歓喜の再来を予感してか、ゼルダは嬉しげに小さく叫ぶ。顔にもきらりと輝きが差す。
一時のみの輝きだった。頑なさを緩めはしても、捨ててはいないリンクだったのである。
いったん進ませかけたものを引いてやると、またもやゼルダは失望と哀願を面に出した。
浅い刺入をつれなく反復させる。そのつどゼルダの表情が移ろい、哀願の色調が濃くなってゆく。
それを言葉にしてもらおうか。君がぼくに「抱きたい」と言わせたように。
やがてゼルダは屈服した。
「お願い……」
やった!──と心の中で快哉をあげつつも、進入は控える。「お願い」の内容を聞いていない
からである。
「どうして欲しい?」
意地悪く問う。
「挿れて」
相変わらずの露骨な、しかし素直な答が、かえって嬲りの情をそそった。
「もう挿れてるよ」
「でも……」
「でも?」
「まだ……」
「まだ?」
鸚鵡返しで先を促す。ゼルダの両目が切迫感を湛える。
「ちょっとだけだわ」
「ちょっとじゃだめ?」
「だめよ」
「もっと奥まで?」
「そうよ」
「どれくらい奥?」
悲泣にも似た顔貌で、途切れ途切れにゼルダは言った。
「いちばん、奥まで、きて、ちょうだい」
ここらが限度だろう。ぼくだっていつまでも我慢はしていられない。
上半身を前に倒す。ただし肌は触れ合わせない。両手をついて体重を支え、屈服者を見下ろす
体勢をとる。腰が至適位置にあることを確かめ──
突き通す!
「んああぁあッッ!!」
背を仰け反らせて絶叫するゼルダ。
そのさまを詳細に観察する余裕はなかった。挿入したものの全長が、かつてないほどの緊密さで
肉鞘に押し包まれたのである。寸毫も動くわけにはいかなかった。動けばたちまち達してしまうと
わかっていた。
『この世界』に帰ってきたばかりのぼくなら、これだけで達していただろう。『あの世界』で
経験したことの記憶はあっても、肉体の方は未経験だったのだ。が、『この世界』のぼくも、
あれからゼルダと経験を重ねて、ちょっとやそっとでは参らない身体になっている。いまの難関を
凌いだら、あとはじっくりと腰を据えて、ゼルダを翻弄しつくしてやるのだ……
凌ぎきった。
対象に注目する。忘我の態である。瞳は虚ろで視線が定まっていない。半開きの口は弱い呼吸を
自動的に繰り返すのみ。
達したのか?
自分の制御にかかりきりで感知できなかった。
しかし仮に達しなかったとしても、あれほど待ち焦がれていた充足を、やっとそこに得ることが
できたのだ。さぞかし感激も深いはず。
もっと感激させてやろう。知っている技術を駆使して──
──と企む心が、別の企みを思いついた。
ここで引き抜いてみるのはどうか。さらに焦らしを続けるのだ。そうすれば、あとの感激が
なおさら深くなるのでは?
決めた。
倒していた上半身を再び起こし、撤退しかけたその時──
「いやッ!」
朦朧状態にあったゼルダが、急変して鋭利な叫声を発した。
「離さないでッ!」
胸を衝かれた。
『あの世界』のゼルダが、時の神殿で、別れるべくあるぼくたちの運命を知った時、それでも
別れを受け入れたくはないと血を吐くようにほとばしらせたのが、まさに同じ言葉だった。
言葉だけではない。強迫的な表情。激した視線。すべてがあの時のゼルダと同じだ。
そこまで切羽詰まっているのだ! いまぼくの目の前にいるゼルダは!
「離さないで」という言葉。いまの場面だけに投じられたものとは思えない。性器の結合が
解かれようとしていることへの抵抗だけとは思えない。こうも切羽詰まっているからには。
自分の存在そのものからぼくが離れてゆく──と、ゼルダは案じているのだろうか。
他の女性たちとの契りによって。
『あり得ない!』
そう、あり得ない。そんなつもりは毛頭ない。それはゼルダもわかっているはずだ。
が……
昨日からのゼルダとのさまざまなやりとり。いまになってようやく知る、そこに暗示されていた
真の意味。
理屈の上ではわかっていても、なお消すことのできない不安な情念が、ゼルダの内奥には
澱んでいるのだ。たおやかで、それでいて芯が強くて、ぼくに怒りをぶつけることすら辞さない
ゼルダも、心の底には、いじらしい、か弱い女の情念をひそませているのだ。
王女として、「お姉さん」として、ゼルダは鷹揚にすべてを呑み下した。呑み下したように
見えた。自分でも呑み下したと思っていただろう。さもなければ、あの「赦し」の挙措は
説明できない。
けれども呑み下せてはいなかったのだ!
ゼルダが今朝から見せていた、妙にまわりくどい態度は、ぼくへの「仕返し」であると同時に、
消すに消せない情念を押し隠そうとする葛藤の表れでもあった。そして、いつにない露骨な言動と
挑発は、内奥にひそむ情念が一途な情動となって噴出したものだった。ゼルダの眼差しが、声が、
その情念を、強烈な、確固とした意志という形にして、くっきりと表出させていたではないか。
なのに! ぼくは!
挑発を挑発としか感じられないで、鷹揚であろうとするゼルダに反発さえして、焦らすだの
屈服させるだの翻弄するだの愚にもつかないことばかり考えて、小手先の性技を繰り出して
悦に入っていただけの大馬鹿野郎だ!
君の心情も酌み取れなくて──と省みたはずのぼくだというのに!
どうしたらいいだろう。ぼくはどうしたらいいだろう。
やらなければならないことがある。やりたいと思うことがある。やってはいけないことがある。
何がどれなのか、明らかなようで明らかではない。明らかではないそれらについて、ゼルダに、
どうする? 告白する? 詳述する? 謝罪する? 懇願する? 全部が必要だと考えつつも
言うべき内容を言葉にできない。できるのは、ただ──
「ゼルダ!」
身を前に倒す。可能な限りの近さで向き合う。
「離すもんか!」
腕に包みこむ。可能な限りの力で抱きしめる。
緊迫していたゼルダの顔が、ゆっくりと柔和な笑みに染まってゆく。
腕に包まれる。可能な限りの力で抱きしめられる。
うち続く沈黙の抱擁を、やがてゼルダは笑みながらの点頭で彩った。
改めての赦しである。
激情がリンクを支配した。至近にある唇に唇を重ね、がつがつと口腔を貪った。その激情に
感染したかのごとく、ゼルダもまた、一心不乱に貪りを返してきた。
口の乱舞は下半身にも影響した。埋めこんでいた硬直への施しをリンクは感得した。ゼルダが
膣壁を間欠的に収縮させているのだった。覚えてからさほど長くも経っていない操作とあって、
精緻さは欠けていたものの、けなげに奉仕を試みるさまは、リンクの心を強く打った。激情が
より激しくなった。
刺突を開始する。ひたすら腰を打ちつける。技術も何もない単調な運動である。
他に方法はなかった。激情をそのまま行動にすることだけが、リンクにできるすべてだった。
行動は報われた。両膝を立てた姿勢でいたゼルダが、リンクの躍動に応じ、脚を下背部に固く
まとわりつかせ、自らの腰をも躍動させ始めたのである。
絶妙な整合だった。そうしようと意図しているわけではないのに、二つの動きは完全無欠な
協和をなしていた。
互いに腰をぶつけ合い、互いに胴をかき抱き合い、互いに口を貪り合う。
部位によって異なる、けれども総体としてはこの上ない統一を呈する交わりが、リンクを急激に
高揚させた。
終末点が見えた。あっという間に近づいてきた。目前に来た。
迷うことなく突進する。
股間が爆発した。
全身が痺れた。
頭の中が白くなった。
リンクが躍動を止めたのに同期して、ゼルダの躍動も終息した。腕の中にある細い身体が、
電撃を受けたかのように痙攣していた。
最後まで整合を保てたのである。
至福だった。
疑いなく一つである二人なのだった。
陶然と意識を酔いに預ける。
だが……
酔いきれなかった。
どれほど赦しを下そうとも、どれほど悦楽に浸ろうとも、いまなおゼルダは、かの情念を、
おのれの内奥に澱ませているだろう──との想像を、いかにしても禁じ得ないリンクだった。
To be continued.