「アンジュ!」 
 と呼びかけられ、それが誰であるかを声から瞬間的に判別してふり返ると、予想どおり、緑衣の 
少年が路上に見いだされた。満面に笑みを浮かべ、高々と片手を上げて、足早に歩み近づいてくる。 
再会の喜びを率直に表すそのさまが、アンジュの胸を清々しくし、頬を自然に緩ませた。 
「リンク!」 
 応じて名を呼び、差し招く。少年は顔をひときわ輝かせ、駆け足となって庭に飛びこんできた。 
アンジュは仕事の手を休め、目の前で立ち止まった相手と、しばし談ずる姿勢をとった。 
「いらっしゃい。元気にしてた?」 
「とても。アンジュは?」 
「わたしもよ。けれど、ずいぶん久しぶりだわねえ。前に会ってから、もう一年くらいに 
なるんじゃない?」 
「長いこと南の方へ行ったりしてて、こっちに来る暇がなかったんだ」 
「相変わらず旅の毎日?」 
「うん。今度は東の方をまわろうと思ってね。それでやっとここにも寄れたってわけで」 
「そう……じゃあ、旅の話でも聞かせてもらおうかしら」 
「いいよ。だけど、アンジュはかまわないの? 仕事の途中だったんじゃ……」 
「かまわないわ。放っておいても大丈夫だから」 
 世話をしていたコッコの群れには、勝手に餌をついばませておき、アンジュは母屋から 
ティーポットとカップ二つを持ち出して、庭の隅に置かれたテーブルへと運んだ。 
 木製のベンチにリンクと並んで坐し、茶を飲みながら、生き生きと語られる各地の珍しい話に 
耳を傾ける。 
 やがて冒険談に一段落をつけると、リンクは穏やかな口調で言葉を継いだ。 
「ここにすわって、こういうふうに話をしてたら、アンジュと初めて会った時のことを思い出すよ」 
「そうね……」 
 まさに同じ感慨を抱いていたアンジュは、当時の記憶を脳裏によみがえらせた。 
 あれは三年前。コッコの扱いに難渋し、困り果てていたところを、たまたま通りかかった 
リンクに助けられた。村中に逃げ散ってしまったコッコを一生懸命かき集めてくれたのだ。お礼に 
お茶をご馳走した。このベンチに腰かけて話をした。ちょうどいまのように。 
 大事な用件があってデスマウンテンに登ると言うリンクに、こんな子供がなんと無謀な──と、 
あの時は危ぶみを覚えたものだが…… 
 あとで噂を聞くに、リンクは「王家の使者」としてゴロン族のもとに赴き、族長ダルニアと 
協力し合って、人々を苦しめていた巨大な怪物を打ち倒したのだとか。いまでもゴロン族の間では 
恩人と讃えられているらしい。 
 ゾーラ族も同様の恩恵を被ったという。一族の守り神であるジャブジャブ様に取り憑いた魔物を 
退治して、その命を救ったのがリンクなのだそうだ。 
 さらには、ゲルド族の反乱を未然に防いだ功労者でもあるとのこと。 
 子供ではあっても、立派な「勇者」だ。 
 なのに、全然、威張ろうとはしない。 
 リンクはハイラル中を旅していて、時には、ここ、カカリコ村へもやって来る。来れば必ず 
わたしを訪ねてくれる。態度は初会の時と変わらない。素直で、溌剌としていて、笑顔が印象的な 
男の子だ。大人のわたしと話すのに敬語も使わず、「アンジュ」と呼び捨てにするあたり、 
礼儀にはいささか問題ありだけれども、むしろそこに純真さを感じる。接しているとさわやかな 
心持ちがする。 
 そんなリンクを、わたしは好きになった。 
 無論、恋愛の対象ではない。歳が離れた弟のような存在といったところか。 
 もっとも、常に前向きなリンクの男っぽさに、女としての感情を刺激されたことはある。 
たとえば、もしもリンクが男の好奇心を発揮して、裸の胸を見せてくれとでも頼んできたら、 
場合によっては応じてやったかもしれない。が、すでに無二の連れを持つわたしとしては、他者と 
──しかもはるか年下の少年と──それ以上の関係を持とうなどという気には決してなれないし、 
第一、リンクはわたしに性的な接触を求めてきたりはしない。 
 三年の間にけっこう成長したとはいえ、いまもリンクのありようは以前のままだ。心身ともに 
健康な一男児だ。 
 ただ、ごく稀に、リンクは奇妙な雰囲気を漂わせる。ふだんは年齢相応に子供っぽい表情が、 
その時だけは何となく大人びた感じになって……  
 
「そういえば──」 
 リンクの声が思いを破った。 
「──アンジュはコッコが苦手だったはずだよね。触ると鳥肌が立つんだって。でも、さっきは 
平気で世話をしてたじゃない? どういう風の吹きまわし?」 
「ああ、それは……」 
 当然の疑問。そもそもリンクと知り合う機縁になったコッコの逃走も、わたしのそうした 
苦手意識が原因だった。久しくカカリコ村を訪れなかったリンクは、その間にここで起こった 
諸々の変化を知らないのだ。説明してやらなければ。 
「新しい井戸のことは、前に話したかしら」 
「うん。一年前に来た時、教えてもらったよ。もともとカカリコ村には公共の井戸が一つしか 
なくて、しょっちゅう水が不足していたから、もう一つ井戸を掘り当てられたのは幸運だって 
言ってたよね。だけど、それとコッコに何の関わりが?」 
「その井戸の水を使い始めてから、コッコに触っても鳥肌が立たなくなっちゃったの」 
「え? どうして?」 
「水が身体にいい成分を含んでいるんでしょうね。他にも、関節の痛みがなくなったり、皮膚病が 
治ったりした人が、村には何人かいるわ」 
「へえ……」 
「人だけじゃなくて、コッコの方にもいい影響があったみたい。カカリコ村のコッコは卵や肉の 
質が高いって、最近、この地方じゃ引っ張りだこなのよ。それに、ほら、あのコッコを見て」 
 群れの中の一羽を手で示す。 
「あれだけ他のコッコより小さいでしょう?」 
「ほんとだ」 
「近頃は、時々、ああいうのが生まれるの。専門の人に言わせると、やっぱり水が影響したんだろうって。 
性質がおとなしいから、こんなふうに……」 
 席を立ち、当該のコッコを抱え上げる。 
「腕にとまらせることだってできちゃうのよ。居眠りしてる飼い主を鳴き声で起こしてくれたりも 
してね。それで、手乗りコッコと呼ばれて、ペットとして高値で取り引きされてるの。それや 
これやで……」 
 ベンチに戻って説明を締めくくる。 
「カカリコ村は、かなり豊かになったわ。新しい井戸が、本来の意味でも、経済的な意味でも、 
村を潤してくれてるっていうわけ」 
 加えて──と、アンジュは心の中で述懐を続ける。 
 コッコは予想外の恵みをわたしの身内にもたらした。 
 ある時、思いもかけず生まれてきた、手乗りコッコにも増して珍しい青色のコッコに、怠け者で 
通っていた兄が、なぜか──仲間らと毛色が違う点を自分の孤独に重ね合わせでもしたのか── 
いたく執着してしまい、コジローという名前までつけてかわいがるようになった。それが元で 
動物全般に求知心を持ち、いまでは育種家として熱心に働いている。 
 のみならず……  
 
「実は、わたしにも、いいことがあったの」 
 今度は言葉としてリンクに伝える。 
「アンジュにも? どんなこと?」 
 興味をあらわにするさまが微笑ましく、 
「この家ね……」 
 母屋を指し、わざと勿体ぶった言い方をする。 
「いまは、わたしの家じゃないの」 
 不思議そうな顔をするリンクに、 
「家族はみんな、前のとおり、ここに住んでるわ。でも、わたしだけは別の所で暮らしてるの。 
時にはこうしてコッコの世話をしにここへ来るけど、夕方になったら自分の家に帰るのよ」 
 なおもまわりくどい表現をしてみせる。 
「アンジュだけが引っ越ししたっていうの?」 
 ますます怪訝の色を濃くするリンク。 
 気性がまっすぐなだけに、察しはよくない。焦らすのはほどほどにしておこう。 
「わたし、結婚したの」 
 リンクの顔が驚きに満ち、次いで、 
「おめでとう!」 
 混じりけのない喜びをあふれさせた。 
「あの人と?」 
「そうよ」 
 だいぶ前から婚約はしていた。リンクも相手の人物を知っている。わたしより少し年上で、 
養鶏を営む優しい青年。昨今のコッコ景気で蓄えができ、二人で暮らしてゆける目途がついたのだ。 
わたしが苦手意識なくコッコを世話できるようになったことも、結婚に踏み切る好材料だった。 
「いつ?」 
「四ヶ月前」 
「じゃあ、まだ新婚さんなんだ」 
 冷やかしめいた言ではあったが、声の調子は温かかった。それまで示されていた子供らしい 
快活さとは異なる趣がうかがわれた。アンジュは少しく奇異の念をもってリンクの面貌に見入った。 
 微笑みがあった。 
「アンジュ」 
「なに?」 
「幸せ?」 
「ええ」 
 正直に答えながらも、アンジュはいぶかしんだ。静かに問う声と、慈しむような色合いを湛えた 
目に、やはり子供らしからぬ風情が──例の大人びた雰囲気が──感じられたのだった。 
「そうだよね」 
 しみじみと、リンクが言う。 
「好きな人と、気兼ねなく、ずっと一緒に暮らしていけるというのは、幸せなことだよね」 
 いぶかしさがいっそう募った。 
 わたしの結婚を祝福してくれている……のは間違いない……のだろうけれど…… 
 まるで懐かしい者でも見るかのような……わたしの知らないもう一人のわたしを見るかのような 
……リンクの、この眼差しは……いったい…… 
『考えすぎだわ』 
 わたしの知らないわたしなどありはしないし、ましてやリンクがそんなわたしを見られる 
はずもない。  
 
『それにしても……』 
 いまの台詞。 
『子供のくせに、いっぱしの口をきくのね』 
 問うてみる。 
「リンクにも好きな人がいるの?」 
 もちろん、肯定を予想してはいなかった。恋愛の経験があるわけでもなかろうに、という揶揄を 
こめての戯言だった。 
 ところが、 
「うん」 
 意外にもリンクは頷くのである。 
「ほんとに? ただの友達じゃなくて? どんな人?」 
 思わず質問を畳みかけてしまう。その勢いに押されたか、リンクはどぎまぎした様子となり、 
「あ、いや……それは……」 
 頬を赤らめて羞じらう気色をも呈し、 
「……ちょっと……言えないよ……」 
 ぼそぼそと声を消え入らせる。 
 アンジュは追及しなかった。 
 興味は湧くが、強いて聞き出すほどのことでもない。この年齢なら──確か、リンクは十二歳 
──どうせ、恋愛の域にはほど遠い、ほのぼのとした、ままごと的なつき合いがせいぜいだろう。 
あるいは単なる片思いかもしれない。 
「でも、まあ、何というか、新しい井戸が──」 
 唐突にリンクがしゃべり始めた。 
「──この村の……つまり……水源として、見つかったのは……幸せだと、思ってたけれど、 
他にも、健康のこととか、コッコとか──」 
 笑い出しそうになる自分を、どうにかアンジュは抑えた。 
 無理に言葉を繋げたような、ぎくしゃくした物言い。照れて話をそらせようとしているのだ。 
かわいいリンク。 
「──それで、村も、アンジュも、幸せなのは、やっぱり、インパが……あ、いや、ええと…… 
とにかく……よかったなと……」 
「そうそう、インパ様といえば──」 
 なぜリンクはその名前を出すのか──との不審は、アンジュの意識にとどまらなかった。 
より重要な一件を思い出したのである。 
「もうすぐだわね」 
「え? 何が?」 
「お里帰りよ」 
「カカリコ村に来るの?」 
 寝耳に水といった態のリンク。 
「知らなかった? リンクはたびたびお城へ行ってて、インパ様にも会うんでしょうに」 
「しばらく旅をしていたから、最近の事情には詳しくないんだ」 
「あ、そりゃそうよね。じゃあ、ゼルダ様がおいでになるのも知らない?」 
「ええッ!?」 
 リンクが大きく目を見張る。 
「どういうこと?」  
 
 アンジュは経緯を略説した。 
 ──近年、国王の名代で、たまさかには地方を訪問する折りもあるゼルダ姫だが、ハイラル 
北東部は未見の地である。今回、インパが休暇で里帰りするのを好機とし、ぜひ同行して 
カカリコ村を訪れたいと希望した。国王はこれを許し、村に受け入れを要請してきた。王女様の 
ご滞在という栄誉を担えるとあって、村人たちに否やのあろうはずもなく、みな大喜びで、 
いまかいまかとその時を待っている。国王からの触書に、これは公式の行事にあらず、若輩の 
娘がする私的な旅行に過ぎぬゆえ、大がかりな接待は不要、と記されていたにもかかわらず、 
歓迎の意を表するのに躊躇を差し挟もうとする者はいない。大工をなりわいとするアンジュの 
父親などは、迎賓館を建てるのだと息巻いたくらいである。もっとも、そんな時間的余裕はなく、 
村を挙げての宴席を設けるというあたりに話は落ち着いたのだった── 
「いつなの?」 
「一週間後よ」 
「どこに泊まるのかな?」 
「インパ様のお家ですって。ああ、そうだわ、そろそろそっちの準備をしないと……」 
「準備って?」 
「お掃除したり、ベッドを整えたり、飾りつけしたり。わたしの受け持ちなのよ」 
「家の中に入れるの?」 
「インパ様のお許しは貰ったし、鍵は守備隊長さんが預かってるから、それは大丈夫。でも、何を 
どういうふうにしたらいいのか……」 
 不安が発問を促した。 
「リンクはゼルダ様に会うことがあるの?」 
「まあ……たまにはね」 
「ゼルダ様って、どんな感じのお部屋がお好みなのか、知ってる?」 
「うーん……好みとか、そのあたりは、ぼくには……」 
『わからないでしょうねえ……』 
 男の子に女性の好みなど把握はできまい。いわんや貴人のご趣味をや、だ。たまに会うとは 
言っているものの、いくら「王家の使者」であっても、王女様と大した接点があるわけでは 
なかろうし。 
「できる範囲でやればいいんじゃないかな。あまり深刻にならないでさ」 
 こともなげなリンクの弁。なんとも能天気で参考にならないと、一瞬は思ったアンジュだったが、 
『そうだわ』 
 すぐさま考えを変えた。 
 接点が乏しいにせよ、ともかくもリンクはゼルダ姫を知っているのだ。そのリンクが深刻に 
なるなと言う以上、ゼルダ姫は細かいことにうるさくこだわるような気質ではないのだろう。 
忠告のとおり、自分にできる範囲でもてなそう。心をこめて。しかし気は楽に持って。となると…… 
「ねえ、リンク」 
 急きこんで訊く。 
「これからの予定は?」 
「ハイラル城に帰るつもりだよ」 
「じゃあ、とんぼ返りになって悪いんだけど、できたら一週間後にもう一度こっちへ来て、 
ゼルダ様との仲立ちをしてもらえないかしら。どう?」 
 仲立ちならインパや守備隊長にも可能なところを、わざわざリンクに頼むのは、気安く当てに 
できる相手だからである。もっともリンクは、種々の功績と人なつこい性格ゆえにカカリコ村でも 
人気者となっており、アンジュだけでなく住民全般と親しく交流しているので、実際、仲立ちに 
好適な人物ではあるのだった。 
「わかった。ぼくでよければ」 
 リンクの快諾にアンジュは心強さを覚え、 
「ありがとう」 
 と礼を述べつつ、準備の手筈を頭に描き始めた。  
 
 そして当日の午後── 
「私的な旅行」とはいっても、王女様のそれともなると、下々の者が旅するのとは事情が異なる。 
カカリコ村に到来したのは、総勢五十人にも及ぶ大集団だった。地方の小村が一度に引き入れる 
客としては異例の人数である。 
 住民たちの代表数名と守備隊長が、村の入口で一行を出迎えた。歓迎の辞を述べたのは 
アンジュの父だった。平素より村の諸事をうまく取り仕切ってきた経歴から、代表の中の代表と 
なるのを誰もが妥当と考えた、この大工の親方も、事前には応対の方法に迷い、地面に平伏して 
お迎え申し上げるべきか、と守備隊長に訊ねたほどである。そこまではせずともよいとの返事を 
貰って、立ったままでの演説とはなったが、饗応役の一人として同じ場にいたアンジュの目にも、 
父親の緊張ぶりは歴然としていた。高貴なお方との対面は初のことゆえ、やむない仕儀では 
あるものの、端で聞いていて、はらはらするくらい、その口調は拙く、たどたどしい。 
 そんな緊張を解きほぐしたのは、他ならぬ「高貴なお方」が、温雅な笑みとともに返して 
よこした答礼だった。涼やかな声で、流暢に、ただしあくまでも真摯に語られる内容は、歓迎に 
対する謝意の他、自分のわがままで住民の手を煩わせる羽目になったのを詫びる弁をも含んでいた。 
事実、そう言いながら、語り手は深く頭を下げさえした。年端もゆかぬ身であることをわきまえた 
上での言動とは思われたが、それでも、王族であるのに偉ぶらない、むしろ謙虚に過ぎるとも 
いえる態度は、アンジュの──そして、アンジュが見るところ、そこにいる全員の──心を 
安らがせた。 
 しかし、眼前にあるのが、一般の少女とは隔絶した存在であることも、また、確かなのだった。 
立ち居振る舞いから自ずと醸し出される気品や、いまだ若年にしてこれならば成人する頃には 
どこまでに達しようかと嘆じずにはいられない美貌は、余人が競える範疇をはるかに超えている。 
 好意と敬意が入り混じってアンジュの胸を満たした。感動的ですらあった。 
 そうこうするうちに挨拶の交換は終わった。歓迎される側に随行していた護衛の兵士らは休息を 
与えられ、村に駐留する守備隊と合流すべく、ぞろぞろとその場を去っていった。アンジュは 
当惑した。一行のうち、そこに残ったのが、ゼルダ姫、インパ、リンクの三人だけだったからである。 
 多数の護衛が必要なのは当たり前としても、付き従うのが兵士のみとは…… 
 同様の当惑を覚えたらしい父が、おずおずと質問を口にする。 
「あのう……侍女の方とか、姫様のお世話をなさる人は、いらっしゃらないので?」 
 にこやかに返事がなされた。 
「侍女は連れてきておりません。ただでさえ多くの人数がご厄介になるのです。この上、わたし 
ひとりの役にしか立たない者を加えて、村のご負担を増やすわけにはゆきませんから」 
「では、うちの娘にでもお手伝いを……」 
 との提案も、 
「どうか、おかまいなく」 
 丁重に遮られる。 
「たいていのことは自分でできますし、インパもいてくれます。お申し出はたいへんありがたく、 
お断りするのがまことに心苦しくもあるのですが、人に頼るばかりであってはならないと常々 
思っておりますので、そこをご勘案くだされば……」 
 謙虚な上に、存外、自立しておられる──と、アンジュは重ねて感嘆した。 
 一行の乗り物に馬はあったが、馬車や輿のたぐいはなかった。王女様が徒歩とは考えられないから、 
騎馬で旅してこられたのだろう。じきじきに馬を操るほどの活発さを、この年若い姫君は有して 
いるのだ。そんなところも自立精神の表れか。 
 父も納得したようである。 
「承知いたしました。ですが、もしお困りの点でもございますれば、ご遠慮なく、何なりと 
お申し付けくださいまし」 
「はい。その節は、よろしく」 
「で、いまから姫様もご休憩なされますか?」 
「ええ、できましたら」 
「娘がご案内を仕ります。いや、これについては、どうぞお聞き入れを。ご滞在のお部屋を 
整えましたのが娘でございまして、せめていっときのご接待くらいはさせていただきたいと……」 
「わかりました。お願いします」 
 親方は安堵の表情となり、自分は宴席の設営を監督しなければならないから、と言い置いて、 
他の代表らとともに広場の方へ去った。  
 
 あとを一手に引き受けさせられる次第となったアンジュは、しかしそれを不服とは思わなかった。 
父が忙しいのは事実であるし、また、休憩の場に大勢が押しかけたのでは休憩にならない。加えて、 
準備した饗応の品は自らの手で献じたいという気持ちがアンジュにはあった。単独で王女様に 
相対し、和らいでいた緊張がぶり返しそうにもなっていたが、その比類ない魅力に接していられる 
嬉しさの方が大きかった。 
 そうした前向きの心情を、さらに後押しする要素もあった。リンクである。迂闊な父親に 
「娘」としか呼ばれず、中途半端な立場となっていたアンジュを、リンクは正式な形でゼルダ姫に 
紹介し、仲立ちの役割を果たしてくれたのだった。結果、先ほどの挨拶では村全体に向けて 
贈られた、出会いの喜びと歓迎への感謝に満ちた言葉を、再び──あまつさえ、このたびは一身に 
──受けることとなり、アンジュの感動は強まった。 
 ただ、紹介に際してリンクが示した態度は、一種、滑稽な印象をアンジュに与えた。リンクと 
いえどもゼルダ姫との会話では、さすがに敬語を使用していたが、アンジュが初めて聞くリンクの 
それは、あからさまにぎこちなく、不自然だった。敬語を使い慣れていないのが明白であり、 
従って、やはりリンクはゼルダ姫と話すことがめったにないとわかるのである。 
 とはいうものの、そうまでして紹介の労を取ってくれたのだから、リンクへの好感は増しこそすれ、 
決して減じはしない。あとでぜひお礼をしなければ──と、三人の前に立ってインパの家へ 
向かいながら、アンジュはひそかに思いを定めた。 
 一方では、別個の印象がアンジュの意識を捉えていた。 
 わたしがリンクに対して持つ好感と、ゼルダ姫に対してのそれとが、妙に重なり合うような 
気がする。つまり二人には何らかの共通点があって、そこにわたしは惹かれているらしいのだが、 
では、その共通点とは何なのだろう。 
 ゼルダ姫は十二歳と聞いている。リンクとは同い年だ。しかし年齢は表面的な共通点でしかない。 
いくら同い年であれ──リンクは「弟」と見なせても──ゼルダ姫を「妹」とはとうてい見なせない。 
身分があまりにも違いすぎる。そうではなくて、わたしが感じているのは……もっと…… 
 検討は続けられなかった。目的地に到着したのである。自分の手でもてなしたいと思いつつも、 
かねてから並行して抱いていた不安が、アンジュの胸中で頭をもたげた。 
 田舎暮らしのわたしは、ハイラル城の中はおろか、その外壁さえ見たことがないけれども、 
おそらくは内外ともにすこぶる壮麗であるだろう。そんな所に住むお方が、果たしてこちらの 
接遇に満足するかどうか…… 
 それでも、リンクの言葉を信じ、壮麗さでは初めからかないっこないと開き直りもし、できる 
範囲で準備をした。清潔を第一に心がけ、装飾はせいぜい花を生ける程度にとどめた。他人の家を 
大幅に模様替えするわけにはいかないし、どうせそうするだけの元手もないのだ。 
 なおかつ、不安を弱めてくれる事柄もある。 
 ゼルダ姫の風体。 
 白と紫を基調にした清楚な服。上質ではあるが華美に偏してはいない。同配色の頭巾は聖的な 
しるしとも見え、慎み深さをうかがわせる。あまり派手好みではないのだろう。となれば、質素な 
もてなしにも理解を示してくれるのではあるまいか……  
 
 観測は当たった。居間に入って椅子に腰を下ろしたゼルダ姫は、室内の地味さを気にする 
模様もなく、逆に、落ち着いてくつろげる素敵な部屋だと賛辞を呈した。それだけなら家の主である 
インパへの言ともとれたが、次には、卓上や窓際に置かれた花瓶に目を留め、生けられた花卉の 
瑞々しさや色鮮やかさを賞美し、心尽くしに感謝する旨を、他の誰でもないアンジュに伝えてきた。 
準備にあたり特に配慮した点を評価してもらえて、アンジュはようやく不安を解き、また、先に 
倍する嬉しさを覚えた。 
 その後、嬉しさはさらに倍増した。茶とともに献じた饗応の品が、思いのほかゼルダ姫の嗜好に 
合ったようなのである。それはある種の焼き菓子で、料理をあまり得意としないアンジュが、 
結婚ののち、夫のためにと頑張って会得した献立の一つだった。美食に慣れた貴人の舌を 
満悦させるほど洗練された味ではないはずだが、むしろ野趣に徹したところを気に入って 
もらえたらしい。いつもは愛想なしのインパまでが褒めるので、実際に良好な出来映えであること、 
ゼルダ姫の賞揚も単なる社交辞令ではないことがわかる。アンジュは天にも昇る心地となった。 
 ただ、喫茶に際してゼルダ姫に同席を求められたのは意外だった。王女様と向かい合って一つ 
テーブルにつくなど非常に僭越とは思われたけれども、せっかくの勧めであるから、言われる 
とおりにする。リンクが断りなくそうしているのにも勇気づけられた。もっとも──姫君との 
同座に慣れていないせいだろう──黙しがちのリンクと同じではいられなかった。ゼルダ姫が 
さまざまな話題を提示してくるのである。話しぶりはたいそうこまやかで、温かい気分を誘われる。 
訊ねられるままにアンジュは語った。 
 自分のこと。家族のこと。夫のこと。家業のこと。 
 ゼルダ姫は養鶏という仕事に関心を示し、その実態を知りたがった。とりわけ手乗りコッコに 
興味を惹かれたとみえた。アンジュは夫が営む養鶏場の見学を提言し、それは即座に同意された。 
王女様と親しく話ができただけでなく、我が家にお招きする機会まで得られたのは、アンジュに 
とって欣幸の至りといえた。ただし実施は翌日まわしとなった。すでに日は傾き始めており、 
夜には歓迎の宴が控えてもいて、そうするだけの時間がなかったのである。 
 とはいえ、なおしばらく座談を続けるだけのいとまはあった。ゼルダ姫はコッコの経済的効果を 
話柄とし、カカリコ村が好況にあることを寿いだ。のみならず、その好況が近隣の地域に、 
ひいてはハイラル全土に及ぼすと予想される影響につき、インパを相手に論じ始めた。巨視的すぎて 
アンジュにはついてゆきかねる内容だったが、王国の現状を分析し、よりよい未来のために 
役立てようとする熱意はひしひしと伝わってきた。さすがは王女様とアンジュは何度目かの感嘆を 
覚え、少女らしからぬ理知的な面にも新たな魅力を見いだしたのだった。  
 
 宴はカカリコ村が始まって以来の盛大さであった。ゼルダ姫とインパはもちろん、護衛の 
兵士ら全員が招待され、村の側も成人のほとんどが参加したからである。一つの建物で催すのは 
とうてい不可能な規模であり、よって、村の広場にテーブルと椅子を並べ立てての、いわば 
園遊会的な様式となっていた。 
 そこでもアンジュはゼルダ姫と同席した。ともにテーブルを囲んだのは、インパ、リンク、 
守備隊長、そして大工の親方である。親方は当初こそ恐縮していたものの、ゼルダ姫の物腰が 
柔らかいのに安心してか、徐々に日頃の地を現し始め、数杯の酒が喉を過ぎる頃には、言葉遣いが 
すっかりくだけてしまっていた。そんなさまを見て、自分らも王女様とお近づきになろうとする 
村人たちが、厚かましくも次々に寄ってくる。ご機嫌が損なわれるのではとアンジュは気が気で 
なく、折りをみてゼルダ姫に、父をはじめとするみなの不作法を小声で詫びた。ところが先方は 
実に鷹揚だった。 
「堅苦しい儀礼は抜きでかまいません。ありのままのみなさん方と接していたいのです。こういう 
気のおけない集まりは、城ではほとんど経験できませんし」 
 ゼルダ姫は微笑みながら返事をし、静かな声であとを続けた。 
「各地に住む方々と広く積極的に交流して、その暮らしぶりに通じようと努めている人が、 
わたしの知り合いの中にいます。わたしもそれに倣うべきだと思ってきました。城に閉じこもる 
ばかりでは、国の実状が見えなくなってしまいますから」 
 アンジュは改めて胸を打たれた。 
 淡々とした発言だが、内含される意志は限りなく高邁だ。しかも口だけではない。ゼルダ姫は 
自らの意志を現実の行動にしている。コッコの件がそうだった。そして、いまも…… 
 押しかける人々に対して嫌な顔ひとつせず、丁寧に、親しげに会話を交わし、聞き取った彼らの 
生きざまを深く賞翫するふうのゼルダ姫である。また、誰をも分け隔てしないそのあり方は、 
気品や美貌とも相まって、村人たちの心をすっかり捉えたようだった。無礼講ゆえ馴れ馴れしさも 
当たり前といった雰囲気の中で、それでもなお、敬愛の情を真率に抱かぬ者は一人としてあるまい 
とアンジュには思われた。 
 かくして賑やかに、かつ和やかに時は過ぎ、やがて会場の様相は次第に変化し始めた。ゼルダ姫を 
取り囲んでいた群衆が、気づけば数を減らしている。宴が終わりに近づいたわけではない。逆に 
賑わしさは増す一方である。村ではいまだかつてなかった大宴会とあって、一同の浮かれ気分も 
高まりきっており、ただ、その気分の対象が、いつしか主賓から多彩な事柄へと分散して、 
それぞれに熱中する種々の人数の集団を、そこここに分立させる状態となっていたのだった。 
 たとえば、護衛の兵士たちは、守備隊の面々と入り混じって、彼らにしかわからない軍の 
内輪話に興じている。いまはハイラル城とカカリコ村に別れていても、元は同じ隊の仲間だったと 
いう関係が稀ではないらしく、そんな者同士が久闊を叙するには、まさに絶好の場といえる。 
守備隊長にしてからが、酒も手伝ってか、いつになく興奮気味に、インパと戦術論を取り交わして 
いる。村人たちも然りで、仕事、遊興、家庭、社会情勢など、とりどりの放談に余念がない。  
 
 頃合いとみて、アンジュは席を離れようとした。 
 好きなだけ飲み食いしていればよい男たちとは違い、女たちには賄いという役目がある。無論、 
せっかくの宴会で、裏方に専念したがる奇特な者はいないから、各人が交代で仕事を分担しようと、 
事前に取り決めがなされていた。饗応役のアンジュも例外ではなかった。実家の母親に引き継ぎを 
頼まれており、その刻限が近づいていたのである。 
 ところが意図したとおりにはできなかった。 
「すまないが……」 
 と、インパにささやかれたのだった。 
 ──楽しさのあまりか、どうやら姫様は、少々、御酒を過ごされたようである。さしあたり 
お休みいただくのがよかろうと考える。ついては、滞在所へお連れしてはもらえまいか── 
 アンジュは話題の主に目をやった。 
 未成年でありながら平然と飲酒するゼルダ姫を風変わりと思う一方で、王族とはそんなもの 
なのかもしれないと納得もしていた。が、いま見ると、なるほど、顔色に翳りがうかがえる。旅の 
疲れも加わっているようだ。 
「それに、羽目をはずしすぎて、よろしくないことを口走る者もいるのでな」 
 言われてみれば、確かに、年若い王女様の耳に入れるのが憚られる、猥雑な色話が聞こえてくる。 
 ここは引き受けるべきか。しかし仕事の引き継ぎも気にかかる…… 
「インパ様はどうなさいますの?」 
「私は──」 
「インパ殿!」 
 いきなり守備隊長が割りこんできた。 
「話は終わっておりませんぞ。カカリコ村が敵を迎え撃つとしたら、どんな戦法が最善なのか、 
ぜひともご高説をお聞かせ願いたいですな」 
 こんなありさまだから──と言いたげにインパは苦笑し、次に、頼むといった調子で片手を顔の 
前に立て、その格好のまま、上機嫌の守備隊長に引っぱられていってしまった。 
 やむなくアンジュは予定を変えた。身内である母との約束と、村の恩人であるインパの依頼。 
どちらを優先すべきかとなれば、当然、後者である。 
 声をかけると、ゼルダ姫は神妙に頷いて椅子を離れた。すでにインパから言い含められていた 
らしい。ただ、インパが口にしなかった一つの点を、ゼルダ姫は指摘した。 
「リンクも一緒の方がよいと思いますが」 
 アンジュは同意した。 
 年少者に不適な話が飛び交う場所を避けさせようとの配慮は、リンクにもなされて然るべき。 
 そのリンクは、初めのうちこそ、仲立ち役としてゼルダ姫と村人たちの間を取り持ってくれて 
いたが、座の人数が増えたため、場所を譲って別のテーブルに移動していた。いまもそこにあって、 
心なしか、手持ち無沙汰な風情である。アンジュが簡単に事情を説明すると、リンクも否とは 
言わず、素直に席を立った。  
 
 三人はインパの家へと移り、居間に腰を落ち着けた。 
 飲用にと、とりあえずゼルダ姫に水を供したアンジュは、しかし、その先の行動に迷った。 
 悪酔いしているのでもなさそうなゼルダ姫だが、口数は少ない。気分が優れぬのであれば、 
わたしがいると、かえって煩わしかろう。会話が弾まないから、こちらとしても、何となく、 
いたたまれない感じになってくる。いっそ、この場を離れようか。お連れしてくれとは頼まれた 
けれども、続けて侍っておれとは言われていないのだし、母との約束もあることだし……いや、 
それでも…… 
 迷いが態度に出てしまったものか、ゼルダ姫が気遣わしげに訊いてきた。 
「ひょっとして、何か他にご用事があったのでは?」 
 言い当てられて、しかたなく、 
「実は──」 
 と、賄いの件を告白する。 
「それでしたら、どうかお仕事に戻ってください。わたしのことは気になさらず」 
「ですけど、姫様をここにお残ししてしまっては、用心の点で行き届きませんわ」 
「ご心配なく。リンクがいてくれますから」 
『そう言われれば……』 
 子供とはいえ「勇者」たるリンクなら、仮に誰かがこの家に侵入しても──平和なカカリコ村で 
そんな椿事が起こるはずもないが──しっかりゼルダ姫をお守りしてくれるはず。 
 リンクに目を向ける。力強い頷きが返ってきた。任せてくれとの身ぶりである。 
 アンジュは心を決めた。そこから去る失礼を謝し、一時間ほどで帰ると告げ、念のため玄関の 
戸に内から閂をかけるよう勧めておき、二人を置いて居間を辞した。 
 玄関を出ようとして戸を開く。そこで思いついたことがあった。 
 ゼルダ姫は先に就寝するかもしれない。寝室にも水を用意しておいた方がいいだろう。 
 いったん開いた戸を閉め、台所に赴く。水差しとグラスを用意し、寝室に運ぶ。ついでに 
ベッドを整え直す。 
 作業を終えて玄関に戻ると、戸に閂がかかっていた。 
 二人が勧めに従ったとみえる。戸を開閉した物音を聞いて、わたしが去ったと誤認したのだ。 
寝室にいるとは思いもしなかったらしい。 
 準備の際、守備隊長から渡されたこの家の鍵は、もうインパに返してある。閂をはずして外に 
出てしまうと、あとの戸締まりができない。出入りできる場所としては、もう一つ、勝手口が 
あるが、外からの施錠が不能な点は同じだ。まだ去っていなかったことを二人に話して、いま一度、 
閂をかけてもらわなければ。 
 アンジュは居間の方へと立ち返った。ドアが閉まりきっておらず、廊下に灯火が漏れ出ている。 
その光の範囲に達する直前で、足は止まった。室内からリンクの大声が聞こえてきたのだった。 
「えッ? 酔ったっていうのは嘘だったの?」 
 発言の内容にも増して、そのぞんざいな口ぶりが、アンジュを驚かせた。 
「わたしがあれしきのお酒で酔うと思った? それに、嘘はつかなかったわ。ちょっと話をやめて、 
考えごとをしていたら、インパが勝手に酔ったと勘違いしたのよ」 
 いかにもおかしそうに応じる声が、驚きに輪をかける。 
 ゼルダ姫も丁寧語を使わない。さっきまでの二人とはまるで様子が違う。これはいったい 
どうしたことか。  
 
「でも、インパの勘違いを、君は正さなかったんだよね」 
「酔っていないなんて言ったら、この家へ来られなくなってしまうでしょう? 一応、他にも 
わたしを休ませたい理由はあったみたいだけれど」 
「なぜそんなにまでしてここへ来たんだい?」 
「わからない?」 
「わからない」 
 間があってのち、ゼルダ姫が、はにかんだふうに言う。 
「あなたと二人きりになりたかったから」 
 再び間があき、今度はリンクが、口ごもりながら── 
「……ぼくを、連れて行けと、アンジュに言ったのは……そういうわけ?」 
「ええ」 
「……アンジュを、仕事に戻らせたのも?」 
「ええ」 
 ──そして、あきれたように言葉を連ねる。 
「ずいぶん大胆だなあ」 
「今回は別荘に行く暇がなかったんだもの。あなたも残念がっていたじゃない」 
「そりゃあ、ぼくだって……だけど、旅先なのに、そこまでするのは……」 
「いまならお城より安全なくらいよ。みんな宴会で盛り上がっていて、わたしたちのことなんか、 
誰も気にかけていないし」 
「インパが気にかけてるだろう」 
「あなたがここにいるのを、インパは知らないわ。あなたも一緒の方がいいとわたしがアンジュさんに 
言ったのは、インパと別れたあとだから」 
「アンジュがインパに知らせるんじゃないかな」 
「賄いをしているうちは、知らせる暇もないほど忙しいでしょうね」 
「ぼくが会場にいないのを、インパが怪しむかも」 
「あそこは人が多くて、誰がどこにいるのかわからないありさまだったわ。あなたが見つからなくても 
怪しんだりはしないはずよ」 
「やれやれ……すべて想定ずみってわけかい? 悪知恵が働くお姫様だ」 
「まあ、悪知恵だなんて、失礼ね。『機を見るに敏』と言ってちょうだい」 
 二つの忍び笑いが重なり合う。 
 ようやくアンジュは実状を把握し始めていた。 
 つまりこの二人は仲のいい友達同士だったのだ。リンクが敬語を使い慣れない感じだったのは、 
ゼルダ姫と話すことが稀だからではなく、いつも敬語抜きで会話を交わす間柄だったからだ。 
「それはそうと、昼間はびっくりしたわよ。もう少しで吹き出すところだったわ。あなたがやけに 
恭しくするせいで」 
「ハイラル城ならともかく、よそで打ち解けたしゃべり方をするのは、やっぱりまずいだろう?」 
 そう、こんな具合に対等の口をきき合う二人を見たら、村人たちは多大な不審を抱いたに 
違いない。ゼルダ姫の評判にも影響が及びかねない。そのように考え、今日、リンクは敢えて 
敬語を使用し、二人の関係を秘そうとしたのだ。 
 両人に欺かれた形のわたしだが、腹は立たない。自分たちの仲を守るに、そして自分たちの 
時間を持とうとするにひたむきな、この二人なのだと思うと、むしろ微笑ましい気持ちになる。 
他面では──  
 
「あなたも考えてくれているのね」 
「それくらいは考えるさ。けれど、いつもまわりの目を気にしていなくちゃならないってのは、 
正直、疲れるよ」 
「そうねえ……」 
 ──同情も湧く。十二歳の少年少女であれば、ざっくばらんに話をする方が自然だ。なまじ 
一方が王女様であるため、この二人は不自然なつき合いを強いられている。普通なら無心に 
遊び合える年頃なのに。 
「でも、いまは、わたしたちだけだわ」 
「アンジュが帰ってくる一時間後までは、ね」 
「その一時間を、有効に……」 
「使おうか」 
 わたしはここにこうして立っているのだが──と、アンジュは胸の内で独り言ち、おのれがいる 
状況の微妙さを認識した。 
 居間に入りにくくなってしまった。子供がするかわいらしいやりとりではあっても、せっかくの 
逢瀬を邪魔するのは悪い気がする。それに、いまわたしが姿を見せれば、二人は大いに動揺する 
だろう。自分たちの関係がばれたと悟るかもしれない。そうなってはかわいそうだ。とはいうものの、 
戸締まりのことを考えると、このまま家を出るわけにはいかない。 
 どうしよう。 
 入りやすい空気になるのを待つか。しかし、時が経てば経つほど、わたしが家の中に残っている 
ことの奇妙さが強調されてしまう…… 
 ──と困惑する一方で、アンジュはなにがしかの違和感をも覚えていた。二人が使う言葉の 
端々に、「かわいらしいやりとり」では説明できない意味深な趣が感じ取れたのだった。 
(旅先なのに、そこまでするのは……) 
 何をするつもりなのか。 
(その一時間を、有効に……) 
(使おうか) 
 どんなふうに使おうというのだろう。 
 気がつくと、話し声が聞こえなくなっていた。無言で何かが行われているのである。 
 一段と好奇心が刺激された。 
 アンジュは忍び足で前に進んだ。こんなことをするのは礼儀に反すると自らを諫めながらも、 
室内の現況を確かめるためなのだと理由をつけ、ドアの隙間に目を当てる。広い視野は得られない。 
それでも目的のものは観察できた。 
 
 仰天した。 
 
 正面にあるテーブルの向こう側。先刻は離れていた二つの椅子が、いまはぴったりと隣り合わされ、 
壁を背にしてそこに坐す二つの身体も接着している。こちらから見て右にリンク。左にゼルダ姫。 
リンクの右腕はゼルダ姫の肩を抱き寄せ、ゼルダ姫の左腕はリンクの背にまわされ、余った二つの 
手は卓上で互いを握り、二つの顔は近々と相対し、その上、あろうことか、二つの唇は密に 
重ねられている。  
 

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