カカリコ村から南へ二日行くと、ゾーラ川がハイラル平原に流れ出る地点に着く。リンクは  
ダルニアにそう聞いていた。多少の起伏はあるものの、川に沿う歩きやすい道だったので、急いだ  
リンクは半日ほど早くそこに着くことができた。  
『炎の精霊石』を入手したあと、一度ハイラル城へ戻ってゼルダに会っておこうか、とも  
思ったのだが、三つの精霊石すべてを集めない限り、ゼルダは喜ばないだろう、と思い直し、  
残る一つである『水の精霊石』を求めて、リンクはまっすぐここまで来たのだった。  
 ドドンゴの洞窟での戦いで負った傷は、まだ癒えてはいなかったが、旅を続けるのに支障となる  
ほどではなかった。この程度の傷ですんだのは、ダルニアの助けとともに、インパの指導の  
おかげだと、リンクは実感していた。顧みても、自分の戦いぶりは満更でもなかったと思う。  
 しかし、その先の行程は容易ではなかった。ゾーラ川は、急峻な山並みの間の深い渓谷を奔馬の  
ように流れ下っており、道らしい道はなかった。岸の岩にすがり、激流に耐えて水際を進みつつ、  
リンクは上流を目指した。正確な目的地はわかっていなかったが、どこかに人の住む場所がある  
はずだった。  
 ゾーラ川の最上流は、大きな滝となって山頂近くから流れ落ちており、そこから先へは進み  
ようがなかった。困惑したリンクだったが、しばしの探索ののち、滝の裏側に洞穴を見つけ、  
苦労の末にそこまでたどり着いた。  
 しばらく洞穴を進むと、中は大きく開けた空間となっていた。リンクは思わず立ち止まった。  
 リンクは壁に沿った崖の上に立っていた。眼下に広がる空間の底は、一面に豊かな水を湛え、  
洞内にはその薄青い反射光が清らかに満ちていた。奥の壁の高い所からは一条の滝が落ちかかり、  
重厚な音を響かせつつ、底面の水に飛沫をほとばしらせていた。空気は涼しく澄みわたり、  
呼吸する肺までが洗われてゆくようであった。  
 幻想的な光景に目を奪われ、立ちつくしていたリンクの背後から、声をかける者があった。  
「お客さんとは珍しいな」  
 人がいた!   
 驚きと喜びに胸を弾ませて、リンクは後ろをふり返り、そこに驚くべきものを見た。  
 
 にこやかな笑みを浮かべた、ひとりの青年が立っていた。  
 これがゾーラ族……だが、この格好は……  
 リンクは言葉もなく、目の前の青年を見つめていた。  
 青年の表情は友好的だった。その態度とともに、体型も先のゴロン族とは対照的で、筋肉の  
発達が異常に目立つことはなく、一般のハイリア人と同様──いや、より均整がとれ、洗練されて  
いた。ゴロン族との共通点は、肌の露出が目立つことくらいだった。ただ露出の程度はゴロン族をも  
上回っていた。  
 青年は全裸だった。  
「ゾーラの里にようこそ。どういうご用件かな」  
 友好的ではあるが、見張りという役割を帯びていることは確かなようだ。リンクはここでも、  
自分はハイラル王家の使者であると告げ、ゾーラ族の代表者との会見を申し入れた。そうしながらも、  
リンクの視線は、ともすれば青年の股間に注がれた。  
 両脚の間にぶら下がっているそれが、自分のものより大きいのは、まあわかる。相手は大人  
だから。でもそのまわりに密生している毛は……大人になると、こうなるものなのだろうか?  
 リンクの視線に気づいたのか、青年はくすりと笑い、  
「よその人には刺激が強すぎるかな。だが、これが我々の生活スタイルなんでね」  
 と、どこか気取った調子で言ったあと、さらに言葉を続けた。  
「ハイラル王家の使者とあらば、こちらも王族がご相手しないとな。来たまえ。ゾーラ族の王、  
キングゾーラにお引き合わせしよう」  
 青年は手招きをすると、壁沿いの崖道を下って行った。リンクはそのあとに従った。  
 底の水面に近づくにつれ、他のゾーラ族の姿が目につくようになった。彼らの多くは水中を魚の  
ように泳ぎ、一部は岸辺に寝そべったり、あたりをぶらぶらと歩いたりしていた。みんな一糸  
まとわぬ姿だった。  
「我々ゾーラ族は、ハイリア人の中でも、特に水に適応した種族でね。ほとんどはこうやって、  
水の中で暮らしている。だからみんな裸なわけさ。水から上がるとしても、遠くまでは行けない。  
当然、ハイラルの他の地方に出て行くこともない。もっとも、こんな格好でよそへ出て行ったら、  
大騒ぎになるだろうがね」  
 青年の説明は、しかしリンクの耳にはろくに残らなかった。彼らの裸体に大きな興味が湧く  
一方で、目のやり場に困るような恥ずかしさもあり、リンクの視線は右往左往した。ゴロン族とは  
違って、ここには男性だけでなく女性もおり、その全裸姿が特にリンクをどぎまぎさせた。  
 盛り上がった両の乳房を堂々とさらし、男性と同様、各々の髪の色に似た種々の彩りの毛で  
覆われる股間を隠そうともしない。リンクは勃起しどおしで、歩くのに困難を覚えるほどだった。  
最近知ったあの感覚を痛いほど味わいながら、リンクはそんな彼らの態度に驚きを感じていた。  
 男も女も全く恥ずかしがっていない。お互いを見ても、自分のような反応を示す者はいない  
ようだ。アンジュは胸を見せてくれたが、それが秘めた行為であるという雰囲気は感じられた。  
なのにここではみな、さも当然のように全身の肌をさらしている。そういう社会だから、といえば  
それまでだが……  
 一人だけ服を着ている自分の方が、ここでは珍妙な存在なのだと、リンクは認めずにはいられ  
なかった。あの感覚が「いけない」ものだという意識が麻痺してしまいそうだった。  
 そんなリンクの心の乱れを知ってか知らずか、青年はリンクに背を向けたまま歩みを進めた。  
空間の奥の端まで来ると、登り階段が壁に穿たれており、衛兵らしいゾーラ族の男が一人、そこに  
立っていた。青年は男と小声で会話を交わすと、リンクに向き直り、  
「ここから先は、彼が案内する」  
 と言って、男を指さした。リンクは青年に礼を言い、男の前に立った。男は無言で階段を登り、  
リンクも黙ってそのあとについて行った。  
 
「余がキングゾーラ・ド・ボン16世である」  
 玉座に身を沈めた、これも全裸の、太った壮年の男が口を開き、重々しい声で言った。ゴロン  
シティとは異なった、いかにも王の間らしい荘重な雰囲気に、その声はよく合っていた。直答を  
許されていたリンクは、しかし萎縮することなく、いつものようにぞんざいとも取れる率直な  
口調で、ガノンドロフの脅威と『水の精霊石』の必要性を訴えた。オカリナで『ゼルダの子守歌』を  
奏でて、身の証を立てることも忘れなかった。  
 キングゾーラはしばらく黙考していたが、やがてため息をつくと、深刻げな口調でリンクに  
話しかけてきた。  
「ハイラル王家の使者殿よ、そなたの話はあいわかった。そなたのいう世界の危機については、  
余にも思い当たる点がある。実はこれは、ゾーラの里でも、まだ一部の者しか知らぬことじゃが……」  
 キングゾーラは小声になった。  
「ゾーラ川の水源であるゾーラの泉、そこにはわれらゾーラ族の守り神である、ジャブジャブ様と  
いう大きな魚が住まわれておるのじゃが、そのジャブジャブ様の様子が、最近おかしいのじゃ。  
たちの悪い病にでもかかったようでの」  
 そう言うと、キングゾーラは再びため息をついた。  
「そのせいか、このところゾーラ川の水質が悪くなっておるようじゃ。まだ人に害を与える  
ほどではないが、ジャブジャブ様に万一のことでもあれば、水に生きるわれらゾーラ族にとっては  
死活問題じゃ。のみならず、川が流れてゆく先のハイラルの諸地方にも、影響が出よう」  
 知りたいのは『水の精霊石』のことなのだが、前置きが長い。リンクはじりじりしたが、王様の  
面前であり、焦る態度をダルニアにたしなめられた経験もあるので、黙って話を聞いていた。  
「わが娘であるルトは、ジャブジャブ様のお世話をするうちに、いち早く異変を知り、いたく  
心配しておった。で、『水の精霊石』じゃが……」  
 いきなり話が本題に入ってきた。  
「ハイラル王家の依頼でわれらが預かってきたものゆえ、同じ王家の依頼でお返しすることは、  
やぶさかではない。じゃが……」  
 じゃが? ここでもただでは渡してもらえないのか?  
「その『水の精霊石』を持っておるルトが、いま行方不明での」  
 行方不明? この王様の言いたいことは、ひょっとして……  
「ゾーラの里やこの近辺を探しても、どこにも見つからぬ。どうもハイリア湖まで行ったやに  
思われる。日頃の娘の話から察するに、時々そこへ行っているようでな。今回も、ジャブジャブ様の  
ことを案ずるあまり、何か思惑があってのことであろうが……」  
 行き先の見当がついているなら、行って連れ戻せばいいだろうに。あ、だけどゾーラ族は……  
「われらゾーラ族は、ゾーラの里からは離れられぬ。そこで使者殿よ……」  
 やっぱりそうくるか。  
「そなたがハイリア湖まで赴き、ルトを見つけてきてくれれば、『水の精霊石』をお渡ししても  
よいが……いかがであろうかの?」  
 それがなすべきことならば……  
「わかった。ハイリア湖へ行くよ」  
 リンクは腹を決め、キングゾーラに向かって力強く言った。  
 
 ゾーラの里から離れられないはずのルトが、どうやってハイリア湖まで行ったのか?  
 リンクの当然の疑問に、キングゾーラは答えることができなかった。  
 ハイリア湖は、ハイラル平原を巡るゾーラ川が最後に流れ着く場所であり、川をずっと泳いで  
いけば、自然にそこへ到達することができる。しかし川を遡らねばばらない帰路のことを考えると、  
その行程をとったとは思えない。ゾーラ族の言い伝えでは、ゾーラの里とハイリア湖を結ぶ秘密の  
水路があるらしいのだが、誰もそれがどこにあるかを知らない。が、ルトだけは、それを知って  
いるのかも……といった、あやふやな話だけであった。  
 となると、ハイリア湖までは歩いて行かなければならない。ではハイリア湖の場所は……  
 それを聞いて、リンクはげんなりした。ハイリア湖はハイラルの南西の端に位置し、ゾーラの  
里からは、ちょうどハイラル平原の最も幅の広い地帯を横切って行くことになる。急いでも  
一週間はかかるだろう、とのことだった。  
 けれどそれも、この広い『外の世界』を知るにはいい機会だ。  
 精霊石の入手に時間がかかるのは気がかりだが、リンクはそう思い直し、急ぎつつも、この旅を  
できるだけ楽しむことにした。  
 リンクはゾーラ川を下って、それがハイラル平原に流れ出る地点に再び立ち、そこから真西に  
道をとった。ハイラル平原はなだらかな起伏の連続だが、それでも中心近くには最高地点にあたる  
場所があるようだ。それが真西の方角だった。その最高地点に立って、ハイラルの四方を見渡して  
みたい。リンクはそう思ったのだ。  
 三日目には、最高地点らしい地形が目に入ってきた。そして四日目の昼前、リンクはその場所に  
到達した。単なる野原ではなく、そこには人工の建築物が立っていた。リンクはその門の前にある  
看板を読んだ。  
「タロン&マロンのロンロン牧場」  
 
 マロン。その名前はリンクの記憶にはっきりと残っていた。  
 城下町で出会った少女。開けっぴろげで、マイペースで、それでいて憎めない明るさに満ちた、  
年下の女の子。  
 タロンというのがその父親の名前であることも、リンクは覚えていた。  
 そういえば、自分のうち──ロンロン牧場に遊びに来いと、マロンは言っていたっけ。そのくせ  
場所を教えてもくれなかったが……そうか、ここがそうだったのか。  
 平原の最高地点を目指すはずの旅が、思わぬ遭遇を生んだ。その偶然に、リンクの心は弾んだ。  
この感情は、マロンの、あの明るさの記憶に影響されているのかもしれない。リンクはそう思い、  
もう一度マロンに会いたいという衝動に駆られた。  
 門をくぐると、細い道はすぐ左に折れ、木造の建物に両側をはさまれて、さらに奥へと続いて  
いた。あたりは静かで、人の気配はない。母屋とおぼしき左側の建物に戸を見つけ、リンクは  
そこから、そっと中をうかがってみた。多くのコッコが群がる中に、見覚えのある中年男が  
すわっていた。タロンだ。  
「あの……」  
 リンクはおずおずと声をかけたが、タロンは身動きもしない。よく見ると、目を閉じて眠って  
いるようだ。  
「なんだ、おめえ」  
 突然、声をかけられ、リンクは驚いて後ろをふり返った。粗末な身なりをし、それだけは立派な  
口ひげを生やした、タロンと同年配の男が立っていた。  
「あ……マロンに会いに来たんだけれど……」  
 男の硬い表情に少し気後れしながら、リンクは言った。男はうさんくさそうにリンクを見ていたが、  
「お嬢さんなら、向こうの牧場にいるぜ。会いに行きたきゃ、勝手に行きな」  
 と、言葉は乱暴ながら、意外にあっさりと教えてくれた。  
 リンクは軽く礼をし、男の指す道の奥の方へ向かった。  
「タロンの旦那は、また居眠りかよ」  
 後ろから男の声が聞こえた。ふり向くと、男は戸の所から、母屋の中を覗いている。  
「まったく、グータラもいいところだぜ。おかげでここの仕事は、いっつもぜーんぶ俺がやる  
ハメになるんだ。雇われ人はつらいよな……」  
 男はなおもぶつくさ言いながら、向かいにある別の建物の中へと入っていった。  
 こっちに話していたわけではない。独り言だ。  
 リンクはそう判断すると、すぐにそのことを心から追い出し、改めて奥の牧場の方へと足を  
進めた。歩調が少しずつ早くなっていった。  
 牧場はリンクが予想していたよりもはるかに広かった。周囲をめぐる壁にやっと目が届く  
くらいだった。三々五々、栗毛の馬が散見される。すでに旅の途中で馬という動物は見知って  
いたが、一面を覆う緑の牧草の上に点在するその姿は、牧場という世界に実にしっくりとなじむ、  
穏やかで美しい要素だった。  
 牧場の真ん中あたりに、人が見えた。近づくにつれ、その姿が明らかになってくる。小柄な体格。  
白っぽい服。裾には複雑な模様。マロンに間違いない。  
 マロンは子馬の横に立って、その世話をしているようだ。鼻歌を歌っているのが聞こえる。  
その楽しげな様子に、リンクの心も浮き立った。  
「マロン!」  
 大きな声で呼びかける。マロンがこちらを向く。その顔には……しかし驚きや喜びはなく……  
「きみ、誰?」  
 警戒するような声。  
「リンクだよ。ほら、何日か前、城下町で……」  
 そう言いながらも、マロンの思わぬ反応に、浮き立っていた気持ちが急速にしぼんでゆく。  
マロンはなおも思い出せない様子で、不審げにこちらを見つめている。リンクの出現に驚いたのか、  
子馬は向こうへ駆け去っていった。  
 会いたいと思ったのは、ぼくの方だけだったのか。  
 リンクの足はそのまま止まり、言葉も気まずく滞ってしまった。  
 
 マロンは気づいていた。母屋の方から早足で歩いてくる、緑色の服を着た少年が、数日前に  
城下町で会ったリンクであることを。  
『来てくれたんだわ!』  
 ロンロン牧場という小さな世界から、ほとんど足を踏み出すことのない生活。たまに父親に  
ついて城下町に行くくらいだ。そんな乏しい機会に、ふと興味を覚えて話しかけてみたリンク。  
いろいろと変わったところのある男の子だったが、同年代の友達がいないマロンにとっては、  
短い時間ではあったものの、リンクとの会話は楽しかった。退屈だから遊びに来てと誘ったのも、  
あながち単なる気まぐれではなかった。  
 こちらから呼びかけようとして、マロンは思いとどまった。リンクの顔にあふれる喜びの色。  
それを見て、マロンの心にいたずらな気持ちが生まれたのだ。  
 あたしから声をかけることはないわ。リンクの方があたしに会いに来たんだから。あたしは  
リンクのことなんて、別に何とも思っちゃいないんだから。  
 だから忘れたふりをしてやった。そしたらリンクったら……落胆したのがまるわかりだった。  
 そう? あたしが覚えていないんで、そんなにがっかりした?  
 マロンは心の中でほくそ笑んだ。ただ同時に、胸に小さな痛みも生じた。リンクがあまりに  
素直なので。  
 いいわ、もう許してあげる。  
「ああ、思い出したわ!」  
 わざとらしかったかしら。でもリンクの顔がみるみる嬉しそうに輝いて……ほんとに単純な人。  
「キスを知らなかったリンクでしょ」  
 リンクの顔が引きつった。気にしてたのね。かーわいい!  
「どうしてもっと早く来なかったの?」  
 そうよ、あたしが誘ってあげたのに。さっさと来ないものだから、意地悪したくなっちゃったのよ。  
「どうして、って……ロンロン牧場がどこにあるのか、君は教えてくれなかったじゃないか」  
「え? そうだっけ?」  
 うーん、そうだったかも。でも……  
「それなら、誰かに訊けばよかったじゃないの」  
「そりゃそうだけど、ぼくもいろいろと忙しかったんだよ」  
「ふーん……でもいいわ。結局は会えたんだから。ねえ、お父さんに紹介するから、一緒に来て!」  
 なんだかうきうきするわ。今日は楽しい一日になりそう!  
 
 リンクの手をとって、マロンは小走りに母屋の方へと進んでゆく。相変わらず一方的だな……と、  
リンクはあきれたが、その無頓着な態度が微笑ましくもあった。  
 マロンは母屋のタロンを叩き起こしてリンクを紹介し、さらに向かいの馬小屋で働いていた、  
さっきの男──インゴーという馬の世話係──にも、改めてリンクを引き合わせた。  
「そろそろ昼飯だぞ」  
 タロンの声に、マロンは台所から大きな袋を抱えて現れ、  
「あたし外で食べるわ、リンクと一緒に!」  
 と弾んだ声で言い、リンクの手を引っぱって、再び牧場へと向かった。  
「おいマロン、何をそんなに浮かれてるんだ」  
 後ろから呼びかけるタロンに見向きもしない。いいのかな、とリンクは思ったが、敢えて  
マロンの行動に異議は差しはさまなかった。  
 牧場の真ん中の草の上に並んですわり、二人は昼食をとった。リンクは食料を携えていたが、  
マロンはその何倍もの量の食べ物を袋から取り出し、リンクに勧めた。満腹になったリンクの前に、  
さらに飲み物が置かれた。  
「ロンロン牧場に来たら、これを飲んでもらわなくちゃ。うちの一押し、ロンロン牛乳よ」  
 マロンが自慢げに言う。ハイラル城侵入時のタロンと衛兵の話を覚えていたリンクは、興味を  
抱いてそれを飲んでみた。牛乳を飲むのは初めてではなかったが、その独特の味と風味はリンクを  
驚かせ、満足させた。  
「おいしいよ。なんだか元気が出てくるみたいだ」  
「でしょ? でしょ? ロンロン牛乳を飲んだ人は、みんなそう言うのよ。嬉しいわ、リンクにも  
わかってもらえて」  
 マロンは笑う。咲きほこる花のようなまぶしさ。  
 さらにロンロン牛乳の効用を力説するマロンを眺めながら、リンクは深いくつろぎを感じていた。  
深刻な使命を帯びた旅を続けるリンクにとって、いまのマロンは、張りつめた気を休める一服の  
清涼剤だった。  
 
 ふとまわりに目をやったリンクは、離れた所に立ってこちらを見ている一頭の子馬に気がついた。  
さっきマロンが世話をしていた子馬だ。マロンはリンクの視線を追い、  
「あ、あれはエポナっていうの。あたしの友達よ。リンクにも紹介してあげる」  
 と言うと、子馬のところへ駆け寄った。首を軽く叩いて、リンクの方を指さす。だが子馬は  
動こうとしない。リンクも立ち上がり、近づいてみる。子馬は後ずさりする。リンクを見るその  
目には、警戒の色が感じられた。  
「だめだわ。リンクのこと、恐がってるみたい。あたしにはよくなついてるのに……いい子  
なんだけど……」  
 マロンは残念そうに言い、エポナの背をなでていたが、突然、  
「そうだわ!」  
 と、大きな声をあげ、リンクの方に駆け戻った。  
「エポナの好きな歌があるの。これならエポナも安心するわ。他の人には教えないけど、リンクに  
だけは教えてあげる」  
 マロンは歌詞のない歌を歌った。さっきマロンが鼻歌で歌っていた曲だ、とリンクは気づいた。  
のどかで心が安らぐ曲だった。リンクは歌うかわりにオカリナを取り出し、マロンのあとについて  
その曲を演奏した。  
「これ、お母さんが作った歌なの。お母さん、あたしが小さい頃に死んじゃったけど、この歌は  
ずっと覚えてるんだ。エポナもこの歌が好きだから、『エポナの歌』って題にしたのよ」  
 マロンが話す間にも、エポナの様子には変化が生じていた。その場から動きはしなかったものの、  
目からは警戒心が徐々に薄らいでいくようだった。そして演奏を続けるうちに、エポナは  
ゆっくりとリンクに近づき、やがて顔をすり寄せさえするようになった。リンクの人間性を理解し、  
心を許したのだ。それからリンクとエポナが戯れ合うほど仲良くなるまでに、さほど時間は  
かからなかった。  
 
 自分の友達であるエポナが、新しく友達になったリンクと仲良くなってくれたのは、マロンに  
とっても喜ばしいことだった。だが自分を抜きにして二人がじゃれ合うのは、何となく面白くない  
気もした。  
「来て、リンク。あっちの方を見せてあげる」  
 マロンは再びリンクの手を引き、牧場のあちこちを案内した。馬の給水場、牧草をしまっておく  
建物、そして牛小屋。  
 牛小屋はリンクの興味を惹いたようだった。  
「ここ、上に登れるの?」  
 牛小屋には四階建ての塔が備わっている。リンクはそれを指して、マロンに訊いた。  
「登れるけど……登ってどうするの?」  
「平原を見渡してみたいんだ」  
「ふーん……」  
 断る理由もないので、マロンはリンクを連れて塔を登った。  
 平原なんか見て、どうするんだろう。どこを見ても同じような、つまらない景色なのに。  
 リンクの考えていることが、マロンには理解できなかった。しかし塔の上に立ったリンクは、  
「うわぁ……」  
 と、いかにも感極まったような声を漏らすと、あとは夢中になって四方を見回している。  
 あたしにとっては、毎日見慣れた、当たり前の風景に過ぎない。だけどリンクには……あたしには  
見えない、遠くにある何かが見えるのかしら……  
 リンクの横顔。そこに浮かぶ純粋な感動の色。理解できないまでも、マロンはなぜか、リンクの  
表情に惹かれるものを感じた。  
「おもしろい?」  
 そっと訊いてみる。リンクはマロンの方を向き、熱のこもった声で言った。  
「おもしろいさ。世界はこんなに広いんだって、あっちには何があるんだろうかって、そう考えると  
わくわくするよ。ほら──」  
 リンクはあちこち指さしながら、とめどなく言葉を連ねていった。  
 たぶんあっちがハイリア湖だね。ここからは見えないけれど。あの丘の向こうに広がる森は、  
きっとコキリの森につながっているんだ。平原の端で光る帯のように見えるのは、ゾーラ川だよ。  
それはあの西の山脈から流れてきていて。ほら、デスマウンテンが見えるだろ。頂上から煙を  
上げているから、間違いないよ。  
 かろうじて聞いたことがあるだけの地名が、次々にリンクの口からあふれ出る。マロンは圧倒され、  
黙ってそれを聞いているばかりだった。それでも……  
 まだリンクが気づいていない、あれなら、あたしにもわかるわ。  
「あっちにハイラル城が見えるわよ」  
 マロンは北の方を指さした。  
「ほんと?」  
 リンクが身を乗り出す。目を細めて一心にその方向を見ている。  
「ほんとだ。かすかだけど、城の塔が見えるね。案外近いんだなあ……」  
「ここからだと、馬車で半日くらいよ」  
「へえ……まっすぐだと、そんなに……」  
 リンクは顔を輝かせて、じっと城の方を見つめていた。何か嬉しい思い出がある、そんな  
感じだと、マロンは思った。  
 
「ねえ、リンク、いま、『まっすぐだと』……って言ったけど、ここへはお城の方から来たんじゃ  
ないの?」  
 リンクはふり返って言った。  
「東の方から来たんだよ。城下町を出てから、ずっと旅をしていたんだ」  
「どこを?」  
「カカリコ村からデスマウンテン、それからゾーラの里へさ」  
「へえ……」  
 あたしはこの牧場と城下町のことしか知らない。なのに、さほど歳の違わないリンクが、この  
何日かの間だけで、そんな遠い所を旅していたなんて……  
 リンクは旅の経験を語り始めた。その風土のこと。そこに住む人々のこと。マロンにとっては  
全く未知の内容だった。いつものマイペースな饒舌さも忘れて、マロンはリンクの話に聞き入った。  
 あたしよりも、ずっと広い世界を知っているリンク。熱心に、楽しそうに、世界を語るリンク。  
その生き生きとした表情。どうしてかしら……そんなリンクの顔を見ていると、なんだかあたし……  
 でもリンクはキスさえ知らなかったんだわ。  
 優越感を取り戻そうして、脈絡もなく記憶を掘り起こす。  
 だけどその記憶は……あたし自身の言葉もまた、掘り起こしてしまう……  
『あたし、前から誰かとキスしてみたかったんだ。リンクなら……わりとハンサムだから……』  
 ふとマロンは我に返った。太陽が西に傾き始め、空は東の方から徐々に明るみを減じつつあった。  
「たいへん、晩ご飯の用意をしなきゃ」  
 昼食の給仕をさぼってしまった。夕食はどうしてもあたしが準備しないと。  
「リンクも食べるでしょ。今夜は泊まっていってね」  
 かぶせるように、マロンはリンクに言った。  
 自分のペースに巻きこむ。いつものように。  
 ただ、いまはそこに、いつもとは違う一つの意図があった。  
 
 先を急ぐはずの旅だったが、リンクはマロンの頼みを断れなかった。  
 一晩くらい、いいじゃないか。ここはこんなに居心地がいい。それにマロンも……  
 夕食は母屋で、他の三人と一緒にとった。客が少ないロンロン牧場で、リンクはまず歓迎されたと  
言ってもよかった。マロンはもちろんのこと、タロンも──怠け者ではあったかもしれないが──  
気のいい男で、リンクに親しく話しかけ、マロンとの仲を冷やかしさえした。リンクは返事に  
困ったが、マロンはそれを聞いていなかった。あるいは聞こえないふりをしていた。インゴーは  
無愛想で、リンクと進んで話そうとはしなかったが、あとでマロンが語ったところによると、  
仕事ぶりは真面目で信頼できる男なのだそうだ。  
 夕食のあと、マロンはリンクを夜の散歩に誘った。  
「もう寝る時間だぞ」  
 タロンは釘を刺したが、マロンが、  
「ちょっとだけ、いいでしょ、お父さん」  
 と、おねだり口調で言うと、それ以上、止めようとはしなかった。  
 リンクとマロンは牧場に出た。ちょうど新月で、さえぎるものもなく、空には無数の星が輝いていた。  
 二人は牧場の真ん中にすわった。  
 リンクは満天の星の饗宴に心を奪われていた。ハイラル平原の最高地点であるここからは、他の  
地方よりもずっと星が多く、美しく見えるのかもしれなかった。  
 昼間とはうってかわり、マロンもまた、黙って空を見つめていた。あんなに賑やかな女の子でも、  
この静かな夜のとばりのもとでは、声を忘れてしまうのだろうか、とリンクは思った。  
 マロンが声を忘れた理由。  
 その意外な真実を、リンクはやがて知らされることになった。  
 
「ねえ、リンク……」  
 胸の高鳴りを抑えて、マロンはやっと、言葉を口にのぼらせた。  
「なに?」  
 リンクが答える。何のわだかまりもない、素直な声。  
「あたしが城下町で言ったこと、覚えてる?」  
 今度はリンクは答えない。何のことなのか、わかっていない。真面目に考えているようだ。  
「あたしと、キスしてみない?」  
 思い切って、口に出す。相変わらず無言のリンク。だがそこには、隠しようのない緊張が感じられた。  
「リンクは経験あるんでしょ」  
 もう後戻りはできない。手を伸ばして、リンクの手に重ねる。  
「あたしにも……教えてくれないかな……」  
 口ぶりだけは下手に出たが、行動はあくまで積極的に通さないと。  
「キスしてくれたら……」  
 マロンはリンクに顔を寄せる。  
「……もっといいこと、させてあげてもいいわ……」  
 もっといいこと。  
 自分の言葉に、マロンの身体は震える。  
 経験があるわけじゃない。でも、あたしは知ってる。  
 男と女のひそかな営み。  
 牧場にいれば、いやでも動物の交尾は目に入る。それがどういう意味を持つのかを、あたしは  
自然に知ってしまった。そして、それにどんな悦びが隠されているのかも。  
 牡と牝とが接触する、その場所。自分のそこに手を触れ、快感を得るようになったのは、  
いつ頃からだっただろう。思い出せないくらい、ずっと幼い頃からだったような気がする。  
いまではもう習慣になってしまった、指での戯れ。  
 それが自分の指ではなく、他の誰かの指だったら、そして他の誰かのあれだったら、いったい  
どんな気持ちがするのだろう。  
 これまでのあたしは、そんな思いだけが先走っていた。でもいまは……いまは……あたしの隣に  
リンクがいて……  
 リンクの指だったら……リンクの……あれ……だったら……  
 
 リンクは動けなかった。言葉を発することもできなかった。  
 近づいてくる、マロンの顔。  
 キス?  
 いいのか?  
 もっといいこと? 何だそれは?  
 股間を襲う、あの感覚。いけない感覚。でもそれは、ゾーラの里ではいけなくはない常識であって……  
 マロンの顔がさらに近寄る。いつの間にか、ぼくはマロンと手を重ねていて……  
 年下のマロン。明るいマロン。話していると気が休まるマロン。いまは逆にぼくをどきどき  
させているマロン。  
 目を閉じたマロンの顔が見える。近づく。近づく。ぼくはそのままマロンの肩に手をやって……  
 あれは? あれは何だ?  
 何かを感じる。マロンじゃない。その後ろから近づいてくる何か。  
 おかしい。でもただおかしいじゃなくて……この感じは……  
 危険!  
 
 リンクはマロンを横に突き飛ばした。小さく悲鳴をあげるマロン。  
「なにするのよ!」  
 しかしそっちには目もくれず、リンクは暗闇を凝視する。  
 来る……来る……  
 来た!  
 それを目に捕らえるよりも早く、リンクは居合いよろしく剣を抜き放ち、  
「たぁッ!!」  
 正面から斬りつけた。  
 手応えがあった。  
 同時に耳を襲う、醜いしわがれた叫び声。地面に何かが落ちる音。  
 リンクはそれを見た。両断された死体。全身が真っ黒な、巨大な鳥。  
「グエーだわ」  
 異常を察して近寄ってきたマロンが、その鳥を見、緊張した声で言った。  
「牧場にはめったに来ないのに……それにこんな大きなの、見たことない……」  
 やはり……とリンクは思う。ここでも異変は起こりつつある。その異変をとどめる使命が、  
ぼくにはある。なのにぼくは……こんな所で……  
『どうか……お願いします』  
 頭を垂れるゼルダの姿。ぼくはそんなゼルダに何と言ったか。  
『ありがとう……』  
 かすれた声。目にあふれる涙。ゼルダ……ぼくは……ぼくは……  
 のんびりしている暇はない!  
 リンクは傍らのマロンに向かい、決然と言った。  
「ごめん、マロン、ぼくはもう行くよ」  
 
 突き飛ばされた時には、何が起こったのかわからなかった。でもその直後……  
 怖いほど真剣な、あの表情。一瞬で剣を抜き、グエーを斬って捨てた、あの躍動。  
 突然のグエーの出現に驚きながらも、マロンの目には、いまのリンクの勇姿がしっかりと  
焼きついていた。  
 リンクが……こんなに……かっこよかったなんて……そんなリンクが……  
『あたしを助けてくれた』  
 マロンは酔った。何も言えず、ただリンクの顔を見つめているばかりだった。  
 でも、リンクはいま何て? もう行く? どうして?  
「詳しいことは言えないけれど……ぼくには使命があって……」  
 使命? 何のこと?  
「この世界には、いま、悪いことが起こり始めていて……」  
 悪いこと? あたしにはわからない。でも……リンクの、変わらないこの真剣な顔……  
「ぼくはそれを防がないと……だからいますぐにでもぼくは……」  
 引き締まった口元……すべてを見とおすような力強い眼差し……  
「行かなきゃならないんだ。さよなら、マロン」  
 訴えかける力に押され、マロンは機械的に頷いた。最後の言葉の意味が理解できていなかった。  
 リンクが駆け去ってゆく。  
 マロンは、はっと自分を取り戻した。  
 リンクは行ってしまう。何か、何か言わないと。このままリンクと別れるなんて。  
「リンク!」  
 思わず呼びかける。リンクが立ち止まる。ふり返る。  
 何と言おう。何と言おう。  
「また来てくれる?」  
 短い間をおいて、軽く手を上げるリンク。その顔には……ああ、そこには……  
 リンクが背を向ける。走り出す。遠ざかる足音。闇に溶けてゆく後ろ姿。そして……あとに残る静寂。  
『行っちゃった……』  
 マロンは、ぺたんと草の上に腰を落とした。  
 何てこと。昼間、再会した時には、リンクに口を切らせるだけの余裕があったのに。いまは  
自分の方から「また来てくれる?」だなんて……  
 マロンは首を振る。  
 どっちが言ったって、いいじゃないの。大事なのはそんなことじゃなくて……  
 別れ際の、リンクのあの表情。  
 暗くてよく見えなかったけど……あれは……リンクは……笑ってたよね。それはきっと……  
「うん」っていう意味よね。  
 そうに違いない。マロンは自分に言い聞かせる。  
 いつ会えるだろう。  
 あそこの奥が、じゅん、とする。遮られた企みへの渇望が、再びマロンの身体を支配し始める。  
 今度リンクと会った時には……  
 手が伸びる。下着をくぐって。濡れそぼつその場所に。まだ叢の気配もないその場所に。  
 ……リンク……リンク……  
 降るような星の光を浴びながら、マロンは快楽に没頭していった。  
 ひとりきりの行為。いつもの行為。  
 しかしそれは不思議に、いままでになく身体が震え心が震える、この上ない喜悦と満足の時間だった。  
 
 
To be continued.  
 
 

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