私本・時のオカリナ/外伝/第一話/ナボール編その1
ナボール×インゴー
『4-18-1 Twinrova II-1』『4-19-1 Nabooru V-1』で触れたナボールの冒険譚の一つです。
大地は北に向かって緩やかな上り勾配をなしている。表面を覆うのは灰色がかった枯れ草ばかり。
単調な風景の中で、ところどころに露出した黒っぽい土が、アクセントといえばアクセントだが、
色合いの変化がその程度では、とうてい心を慰めるには至らない。それどころか、空のすべてを
埋めつくす暗雲が、いっそう重苦しい雰囲気を頭上から押しつけてくる。
歩みを進めながら、ナボールは何度目になるかもわからないため息をついた。
ケポラ・ゲボラが言うには、ゲルド族が支配している西方以外は、いずこも大差ない荒れ方
だとか。自分が知っているのは広い世界のごく一部に過ぎないけれども、ケポラ・ゲボラの言葉は
真実だと実感できる。ハイラル平原のどこへ行こうが、この陰鬱さは変わらない。コキリの森に
ひそんでいるうちも、晴れることのない空に鬱陶しさを感じたものだが、森としての植生を保って
いるだけ、あそこは恵まれていると言わねばならない。
『ガノンドロフをのさばらせた結果がこれか……』
苦い思いを噛みしめつつ、ナボールは回想する。
『幻影の砂漠』の西の果てにある巨大邪神像でツインローバに襲われたところを、ケポラ・ゲボラが
助けてくれた。追跡を振り切ってコキリの森へ逃れ、そこに逼塞して、もう四年が経つ。コキリ族の
生活を乱さぬよう、彼らですら踏みこまない森の深部で、ひっそりと暮らしてきた。ケポラ・ゲボラ
だけが話し相手だった。
そのケポラ・ゲボラによれば、ガノンドロフに対抗するためには、ハイラルの各地に眠る六人の
賢者が覚醒しなければならず、そして、なんと自分がその一人──『魂の賢者』──なのだという。
初めは大いに当惑したものの、ガノンドロフが「やばい」奴だとは自分も前から感じていたし、
倒さねばならない相手なのではないかと思い悩んだこともある。その時は踏ん切りがつかなかったが、
当のガノンドロフに追われる身となった以上、避けては通れない問題だった。
賢者を覚醒させる使命を担うのは、巨大邪神像で出会ったリンク。ところがリンクは光の神殿に
封印され、再び活動を開始するまでには七年という時間が必要。ならばその間に身の振り方を
考えようと決めた。
ハイラルでは最も辺鄙な地であるコキリの森。さらにサリアが森の神殿に入り──そのいきさつを
森の奥深くにいた自分は知らず、あとでケポラ・ゲボラから聞かされたのだったが──
『森の賢者』として半覚醒したあとは、結界によってガノンドロフらの侵入も防がれた。森の中で
暮らしていれば安全だった。しかし安穏としてはいられない。ケポラ・ゲボラに頼んで、時には
他の土地へ連れて行ってもらい、世界のありさまを自分の目で確かめてみた。長きにわたって森に
隠れ住むのは退屈だからという、いささか不謹慎な理由もあるにはあった。
まずは大事をとって、訪問の場所は、コキリの森と同じく賢者の結界で守られた地域に限定した。
すなわちデスマウンテンであり、近年ではゾーラの里やハイリア湖も対象となった。ただし
住民との接触は厳禁だった。ガノンドロフらと一線を画す立場になったとはいえ、自分が
ゲルド族である点に変わりはない。会えば敵視されるのは明白。ゆえに人の多いカカリコ村は
訪問の対象外とした。
慣れてくると、結界外の地域も訪れたくなった。もちろん危険は増す。一般住民のみならず、
かつては仲間であったゲルド族もが障害となる。ガノンドロフやツインローバ以外の面々に対して
個人的な恨みはないが、ゲルド族内には「ナボールを捕らえろ」という指令が行き渡っている
だろうから、絶対に見つかってはならないのだ。けれども世界の現状を確かめるためには、
「外」を知ることが必要不可欠。そこでケポラ・ゲボラと相談し、ハイラル平原のうちで安全と
いえそうな場所をいくつか選んで、慎重に踏査を行った。
人の住む町や村へは入れなかったが、周辺から観察しただけでも、彼らの生活が困窮の極にある
ことは容易にうかがい知れた。戦争の敗者が困窮するのは当然だから、それだけなら何とも
思わない。しかし困窮の原因は他にもあった。むしろそっちの方が主因ともいえた。
眼前にある光景。
空は暗雲に支配され、常に気温は低い。肌もあらわなゲルド族の衣装では、過ごすのが少々
つらいほどだ。農業生産に大きな影響が出ていることは、地の草の枯れ方からも推測できる。
加えて平原のあちこちに跳梁する魔物の群れ。
どう考えてもまともではない。
反乱を成功させ、ハイラルを手中に収めただけでなく、ガノンドロフは、計り知れない魔力に
よって、自然を著しくねじ曲げてしまった。コキリの森の外郭が焼失したのも、ゾーラの里が
氷結したのも、ハイリア湖の水が大幅に減少したのも、すべてガノンドロフの仕業だ。まるで
世界が滅びてもいいとでもいうような、悪魔そのものの行状。いくら敵方の地であっても、
こんなことをしていたら、現在は安泰だというゲルド族の地にも、いずれは影響が及ぶに違いない。
すでにナボールは決心していた。
いまの行動は、その決心の表れでもある。
ガノンドロフが腰を据えているハイラル城を、現時点で目にしておきたかった。城への接近は
あまりにも危険とケポラ・ゲボラは反対したが、敢えてナボールは自分の望みに固執した。
遠くから眺めるだけでいいと説得し、ここ、ハイラル平原中央部へとやって来たのである。
この勾配を上りきって平原の最高地点に立てば、北方にハイラル城が見えるはず。
賢者として覚醒すれば、自分は現実世界から切り離されてしまうという。それもよかろう。
ガノンドロフの悪行の片棒を担いだのが自分たちゲルド族なのだから、その一人として、当然、
払わなければならない代償だ。
何があろうとガノンドロフを倒さなければならない。
おのれの運命を改めて心に刻印しつつ、ナボールは足を進めていった。
目的は果たされなかった。目指す場所に至ったナボールが眺め得たものは、空にわだかまる
暗雲が、北のかなたでは、より暗みを増して澱んでいるという曖昧な景色だけで、ハイラル城も、
周囲をめぐっているはずの城壁も、その暗みの中に埋没してしまっていた。
それでもナボールは満足した。暗黒を直視することで、ガノンドロフの邪悪さを実感でき、かつ、
倒すべき敵であるとの確信を深められたからである。
満足したあとは、他の事柄に注意が向いた。
ここに接近する過程で見いだしていたものに注目する。
ハイラル平原の最高地点には人工の建造物があった。石の塀で取り囲まれた、かなり広い、
ほぼ円形の領域。一部には家屋が建っている。
ただの空き家か。あるいは人が住んでいるのか。だとすると、他の村々から離れたこんな所で、
いったい何をしているのか。
石塀の丈は高く、外からでは内部の様子はわからない。それがなおさら好奇心を刺激した。
どこかに出入り口があるだろうと予想し、ナボールは石塀に沿って歩を運んだ。
外縁を半周ほどめぐったところで、前方から馬蹄の音が聞こえた。
咄嗟に身を伏せ、近くの木陰まで這い進む。
石塀の内から数頭の馬が飛び出してきた。鞍上にあるのはゲルド族の女たちである。ナボールは
木陰に置いた身体をできるだけ小さくした。幸い、見咎められることはなく、ゲルド女らは
一直線に西の方へと馬を走らせてゆき、じきに姿は見えなくなった。
安堵しながらも、ナボールは素早く思考した。
ここはゲルド族の根拠地らしい。そうとわかれば長居は無用。
そそくさと腰を上げる。
背後に気配を感じた。
誰もいないはずなのに──と動転してふり返る。
奇怪な物体が宙に浮いていた。人の形をしているが、実際の人よりは小さい。身体にはぼろを
まとい、片手にカンテラを持っている。顔面は真っ黒で、いかにも禍々しい雰囲気を漂わせている。
『ポウか!』
ハイラル平原に出没する魔物の一種として、ケポラ・ゲボラから話は聞いていた。が、現物に
出会うのは初めてである。
ポウは攻撃を仕掛けてくるでもなく、ナボールの周囲をくるくると回った。嘲弄的な行動が
気に障った。
腰の堰月刀を抜き放ち、ポウに向かって振り下ろす。
紙一重で避けられる。
ますます気に障り、何度も斬りかかる。そのつど巧妙に回避される。
肌に汗が滲むほど刀を振りまわした末、ようやく悟った。
完全に間合いを見切られている。相手にするだけ無駄だ。放っておこう。
追跡をやめ、刀を鞘に戻す。それを見計らっていたかのごとくポウが突進してきた。いきなりの
攻撃を避けられず、体当たりを食らって転んでしまう。右足首に痛みが走る。怯んでいる間に、
ポウは「ケケッ!」といやらしい声をあげ、跡形もなく消え去った。
「ちくしょう……」
足を挫いてしまった。大した怪我ではないものの、歩き続けるのは無理。指笛を吹けば
ケポラ・ゲボラが迎えに来る手筈になっているが、ゲルド族が近くにいるとなると迂闊には
呼べない。ガノンドロフはケポラ・ゲボラをも狙っているのだ。
どうしようかと思案するうち、新たな気配に気づいた。
向き直る。
一人の少女が立っていた。
人に会ってしまったという懸念と、無様なところを見られたという羞恥が、ないまぜとなって
ナボールの胸に充満した。が、一方で、
『大丈夫』
との安心感も、併せてナボールは抱いた。
ゲルド族ではない。しかも子供。
少女が立っているのは、石塀が途切れた部分に設けられた門の下である。
先刻、ゲルド女たちが飛び出してきた所。ポウを追いかけながら、ここまで来てしまった。
少女はその不穏な空気を感じ取って探りに出てきたのか。それともゲルド女たちを見送っていたのか。
人に会うのは厳禁としてきたが、情報を聞き出すことができれば、むしろ好都合──と
ナボールは割り切り、地面に腰を据えたまま、努めて冷静に問いを発した。
「あんた、誰だい?」
少女の表情には怯えの色があったが、返事は明瞭だった。
「ここの娘です」
「ここってなあ何なんだ?」
「ロンロン牧場」
「ゲルド族がいるのかい?」
「いません」
「さっき何人か出て行ったじゃないか」
「たまに来るだけです」
「何の用で?」
「いろいろです。今日は馬に餌を食べさせろと言われました」
「いまここに何人いる?」
「あたしの他には一人」
一般人が細々と営んでいる牧場か。ゲルド族が利用しているとのことだが、根拠地という
わけではなく、常駐しているのでもないらしい。足の具合を考えると、とりあえずここに
ひそむのがよさそうだ。ゲルド族とつき合いがあるのなら、こっちに敵意を向けてはこないだろう。
「ちょいと休ませてもらおうか」
おもむろに立ち上がる。少女に案内されて門の奥へと進む。右足が痛む。なるべくゆっくり歩く。
しかし足を引きずってしまうのを隠しきれない。少女は気づいた様子だったが、何も言わなかった。
母屋に入り、椅子にすわって一息つくと、少女が茶を出してきた。
「ありがとよ」
何気なく漏らした言葉である。ところが少女は怪訝そうな面持ちになった。支配階級である
ゲルド族が丁寧に礼を言うのはおかしい、と気づく。
「もう一人いるって言ってたね。ここへ連れてきな」
ことさら高圧的に命じる。少女は一礼すると、母屋を出て行った。
待つ間に右足首を調べる。
腫れている。じっとしている分には問題ないが、関節を動かすと痛む。当面は静かにしておこう。
別の椅子の上に右脚を伸ばし置き、次に屋内を見まわす。
貧しげな様子ではあるものの、日々の生活はちゃんと送れているようだ。そういえば少女の
身なりも、地味ではあるがそれなりに整っていた。
その少女が戻ってきた。一人の男を伴っている。汚れた作業衣を着た、むさ苦しい中年男である。
口髭だけが立派だったが、かえってそれが滑稽な印象を抱かせた。
男は卑屈な笑みを顔に浮かべ、揉み手をしながら話しかけてきた。
「ようこそおいでくださいました。どのようなご用件で?」
「別に用はない。通りかかったんで寄っただけだ」
「確かお初にお目にかかりますね」
「そうだな」
「先ほどお仲間の方々がお見えになっておられましたが」
「あたしはあいつらとは別行動なのさ」
「お一人で?」
「ああ」
「馬は?」
「いないよ」
男の表情が少し動いた。が、その変化はすぐ再び笑みに取って代わられた。
「お怪我をなさいましたか?」
右足の腫れに目を留めたようだ。あるいはこっちが足を引きずっていたのを少女が告げたのか。
いずれにせよ弱みを見せてはならない。
「大したこたあない」
「お仲間をお呼びしてきましょうか? 西の村に向かうと言っておられましたから、いまなら
追いつけるかと……」
「いや、呼ばなくていい」
「でも──」
「いいと言ってるだろ」
語調を強める。仲間など呼ばれたらとんでもないことになる。
「はあ、そうおっしゃるなら……」
男は引き下がった。ほっとする。
話題を変えたい。こっちから質問してやろう。
「この牧場はあんたら二人でやってるのかい?」
「へえ」
「あんたが主人か?」
「いえ、あっしゃ使用人のインゴーってもんで。主人はタロンといいまして、しばらく留守にして
おりますです」
「この娘は?」
「主人のお嬢さんでさ」
「マロンといいます」
少女の言に頷いておいて、問いを重ねる。
「ここの景気はどうだい?」
「まあ、ぼちぼちといったとこで……そちら様に目をかけていただいてるおかげで、よそよりは
楽をさせてもらっとりますです、はい」
「そうかい、あたしらのおかげかい」
「へえ、そのとおりで」
「じゃあ、あたしが今夜ここに泊まってくって言っても、文句はないだろうね」
もうすぐ日が暮れる。夜の平原はスタルベビーがうようよしているから出歩きたくはない。
ましてや足を挫いている状態だ。明日になれば歩きもできようし、ケポラ・ゲボラも危険なく
呼ぶことができるだろう。
インゴーとマロンが顔を見合わせた。二人とも表情を硬くしている。しかしそれも一瞬のことで、
インゴーは前にも増してにこやかな面貌となった。
「どうぞどうぞ、こんなむさ苦しい所でよろしかったら、どうかごゆっくりお過ごしくだせえまし。
こちらも光栄至極ってもんで」
本音ではないな──とナボールには知れた。
ほんとうは敬遠したいのだ。台詞が丁重すぎる。いまの二人の硬い表情からもわかる。
ゲルド族の要求だから断りたくても断れないだけだ。けれども内心はどうあれ、ゲルド族に
依存して生活しているのなら、こっちを疎略には扱うまい。あとで他の連中に話が伝わるかも
しれないが、ケポラ・ゲボラで飛び去れば足取りをつかまれることもない──
不意に音がした。戸が叩かれたのである。
『連中が戻ってきたか?』
立っていたインゴーが軽く礼をし、ナボールの前から離れた。戸をあけて誰かと話している。
ナボールのすわっている場所からは外が見えず、誰なのかはわからない。話の内容も聞き取れない。
全身に緊張をみなぎらせていると、インゴーが話を中断させ、声をかけてきた。
「近くの村の者がミルクを取りに来たんでさ。ちょいと失礼して用を片づけてきてえんですが、
よろしゅうございますか?」
ほうっ──と思わず安堵の息をつき、顎をしゃくって無言の承認を与える。インゴーは戸外に
姿を消した。
代わってマロンが口を開いた。
「あの……足を冷やしましょうか?」
「ああ」
怪我のことは知られてしまった。隠しておく意味はない。
マロンが持ってきた濡れタオルを受け取り、足に置く。注意して礼は言わなかった。
夕食の席は静かだった。時おりインゴーが追従めいた話題を出したが、別に和気藹々としたい
わけでもないナボールだったので、会話は一向に弾まなかった。
料理は口に合わなかった。肉はなく、主に野菜である。それもあまり新鮮ではない。
「いつもこんな貧相なもん食ってんのかい?」
うんざりして訊くと、
「すみません」
マロンが小さな声で言い、頭を下げた。
「まことに申し訳ございません。このご時世、なかなかいい食材が手に入りませんで……」
加えてインゴーが言い訳をする。さらなる文句をナボールは控えた。
コキリの森では食べられない家庭的な料理と思えば我慢もできる。それに、料理したのは子供の
マロンなのだ。責めるのは酷というもの。
飲み物は、水と茶の他はミルクだけだった。欲しいのは酒だったが、二人の住人に飲酒の習慣は
ないようで、酒樽も酒瓶も見当たらない。しかたなくナボールは、ロンロン牛乳という、その
自家製ミルクを飲んだ。評判のいい製品であるというインゴーの言葉どおり、そんなに悪くはない
味だった。
ほどなく食事は終わり、ナボールは隣にすわっているマロンに関心を向けた。
最初に会話を交わした時から好印象を抱いていた。女の子だというのに泣き出しもせず、
はきはきと答を返してきた。ゲルド族への対応に慣れているせいだろうが、もともとしっかりした
性格でもあるのだろう。茶を出してくれたり──その際、礼を言ったのは、マロンへの好感ゆえ
だった──足を冷やそうかと言ってくれたりしたところにも、表面的な愛想ではない、率直な
気遣いが感じられた。
『しかも……』
改めて見ると、なかなかの美人。
「あんた、歳はいくつだい?」
「十二です」
「ふうん……」
十二にしては発育がいい。服の上からでも胸の豊かさがわかる。けっこう手応えのありそうな身体。
脱がしてみたら面白いかも……
「部屋へ行ってなせえ、お嬢さん」
唐突にインゴーが口を挟んだ。
「え? でも、まだ片づけが……」
マロンが食卓に目をやる。
「後片づけは俺がやっときますから」
穏当な台詞の陰に、有無を言わせない雰囲気があった。不思議そうな顔のマロンだったが、
逆らいはせず、素直に席を立ち、別室へと去った。
続けてインゴーが鋭い視線を向けてきた。
「おめえ、仲間に追われてんだろ」
がらりと口調が変わっていた。それ以上に発言の内容がナボールを驚かせた。咄嗟に言葉を
返せなかった。
「図星か?」
にやりと笑うインゴー。沈黙が答になってしまっていたと臍をかむ。
「何のことだかわからないね」
と煙幕を張ったが、インゴーは動じなかった。
「とぼけたって無駄だぜ。このあたりじゃ、ゲルド族は必ず集団で行動するんだ。一人で、しかも
馬もなしにうろつく奴なんか、いやしねえんだよ。それだけでもうさんくせえってのに、さっき
客が来た時、おめえ、やたら焦ってたよな。ゲルド族がそこらの住民を恐れるはずはねえ。
恐れるとしたら自分の仲間だ。怪我してても呼んで欲しくねえほどにな。その仲間が来たんじゃ
ねえとわかって胸を撫で下ろしたのが見え見えだったぜ」
惰弱な奴だと思っていたら、油断のならないタマだった。観察が細かい。仲間に通報する
気だろうか。手荒なことはしたくなかったが、こうなったら……
腰の刀に手を伸ばす。
「おっと、乱暴な真似はよしてくれよ。ちくったりゃあしねえから安心しな。それどころか、
こちとら、おめえを応援してやりてえくれえなんだ」
思わぬ反応だった。
「おめえがなんで追われてるかは知らねえが、どういう事情だろうと、あいつらのためになる
ようなこたあ、これっぽっちもやりたかねえのさ」
憤懣やるかたないといった苦々しい表情。
ゲルド族べったりの態度は、やはり見せかけだったか。
ナボールは刀の柄から手を離した。
通報する気なら胸中をさらして見せる必要はない。黙ってこっちのご機嫌を取っていれば
よかったのだ。信じよう。仲間に追われているという相手の言を肯定することになるが、ここまで
見通されていては否定しようがない。
とはいうものの、やりこめられたままでいるのも癪だった。
「ゲルド族のおかげで暮らしてるくせに、ずいぶん反抗的じゃないか」
「何がおかげなもんかよ!」
吐き捨てるような言い方である。
「好きでへいこらしてるわけじゃねえ。生きていくためにゃ他に手がねえからそうしてるだけさ」
少し冷静な調子となって、インゴーは続けた。
「ここ何年か、ろくでもねえ世の中だ。魔王様のお力だか何だか知らねえけども、空は曇りっぱなしで、
作物のできは年々悪くなってる。おめえは飯にいちゃもんをつけてたが、そりゃおめえら自身の
せいってもんよ」
確かに。食事の時、文句を控えたのは、同じ感想を持ったからでもある。
「それだけじゃねえぞ。お嬢さんが言うにゃ、おめえ、外で魔物を追っかけまわしてたそうだが、
ああいう物騒な化け物が出るようになったのも、おめえらがのさばりだしてからだ。おめえが足を
怪我したんだって、自業自得だぜ」
いちいち言われるとおり。
「まあ、おめえは他の連中とは違うみてえだから、そこまで言うこたあねえのかもしんねえがよ。
ただ……」
いったん弱めた視線を、インゴーは再び強くした。
「お嬢さんにゃ手を出すな」
断固とした口ぶりだった。
「ゲルド族の中にゃ、女同士でつるむのが好きな奴がいるっていうじゃねえか。おめえもその口
なんだろう。だがお嬢さんに妙なことをしやがったら、この俺が許さねえからな」
態度がでかくなったのはそういうわけか──とナボールは得心した。
マロンを好色な目で見ていたのが気に入らなかったとみえる。強いてマロンを部屋へ追いやったのも
そのためだったのだ。にしても、やけに勇ましい。無謀ともいえる。足を怪我していようが、
こっちが本気になったら、この程度の男、刀の錆にするのは朝飯前だ。向こうも承知の上だろうが、
にもかかわらず、ゲルド族相手にこれほどのことを言ってのけるとは……
微笑ましい思いが揶揄の台詞を吐かせた。
「あの娘に惚れてんのかい?」
「そんなんじゃねえ!」
即座に怒鳴り声が返ってきた。
「タロンの旦那を差し置いてこんなことを言うのもなんだが、お嬢さんは俺にとっても実の娘
同様に大事な人なんだよ。下種の勘繰りはすんな!」
ほんとうだろうか。男が女と二人で暮らしているのだ。女の方は子供とはいえ、美人だし、
発育もいい。その気が皆無とは思えないが、反面、インゴーの主張には真実の匂いもある。
ここは信用しておこう。しかし……
「そうはいっても、他に女っ気はなさそうだ。かなり溜まってるんだろ」
「ほっとけ!」
そっぽを向くインゴー。明らかに強がっているとわかる。微笑ましい気分がさらに膨らむ。
「あたしと寝てみないか?」
インゴーがぎょっとした顔になり、しばらくの沈黙のあと、ぼそっと言葉を口にした。
「本気で言ってんのかよ」
先ほどまでの勢いはどこへやら。たじたじとなっている。けれども拒否しようとはしない。
やはり女は欲しいのだ。
「本気さ」
マロンへの興味はあくまで興味であって、実際にどうこうしようと思ったわけではない。が、
大いに性感を煽られたのは事実。
セックスとは無縁の四年間だった。欲望を満たす方法は自慰だけだった。
いまは目の前に男がいる。
『いや……』
単に男だからというだけの理由ではないのだった。
インゴーを促し、赴いた先は、馬小屋に附属した小さな部屋だった。粗末な内観だったが、
気にはならなかった。
コキリの森で野宿しているふだんのことを考えたら、ベッドがあるだけでも天国に等しい。
ナボールは端的に行動した。下半身の衣装をすべて脱ぎ捨てる。胸の布は残す。男と交わる時の
いつもの格好である。
一方、インゴーは脱衣しようとしない。剥き出しの股間にちらちら視線を向けてくるだけで、
じっと突っ立ったままだ。
「さっさとしな」
声に応じて、ようやくインゴーが作業衣を脱ぎ、上下の下着だけの姿となった。
肉体労働に従事しているとあって、年齢の割には逞しい肉体。
情欲の高まりを覚えるナボールだったが、インゴーの手は再び止まった。下着を取ろうと
しないのである。
「何やってんのさ」
いらつきを抑えきれず、インゴーをベッドの上へと押し倒し、仰向けにする。抵抗はなかった。
ただし積極的に動くわけでもない。なすがままになっている。
不審に思いながら相手の股間を探る。
萎えている。
「しっかりしなよ」
「んなこといったって……」
「その気にならないってのかい?」
「そうじゃねえよ。ただ……おめえらのやり方ってなあ、ずいぶん荒っぽいんだろう?」
ゲルド女が男をどういう具合に扱うか、聞き知っているとみえる。びびっているのだ。
「安心しなって。乱暴な真似はしないからさ」
先に聞かされた台詞を引用して返す。
とはいいながら、ナボールにも戸惑いはあった。
男とする時は常に強姦だった。「乱暴な真似」ばかりだった。他のやり方を知らないのだ。
どういうふうにしたものか。
ともかく経験に従ってみる。下着を引きずり下ろしてペニスをしごく。インゴーの緊張が強い
せいか、反応は乏しい。いらつきと戸惑いが増幅される。
こういう時は陰茎の根元を縛って強制的に勃起させるのがゲルド流なのだが、いまはそうも
できない。優しくしてやっているつもりなのに、これでも荒っぽすぎるのか。もっと手加減する
べきなのか。いずれにしてもこのままでは終われない。ここまできたら我慢できない。何とかして
勃たせなければ。
『口を使ってやるか』
そう考えた自分に驚いた。
男のものを口に含んだ経験などない。そんな行為は屈辱的と見なしてきた。
が……
この際、しかたがあるまい。決してこいつに屈服するのではない。他に手段がないという
だけのこと。あくまで主導権はこっちにあるのだ。
実行する。
口中に男を包む感覚は、想像以上に奇妙なものだった。
舌や唇や頬の筋肉を使えばいいのだろうが、手技よりもなお困難に思える。どこで呼吸を挟めば
いいかもわからない。慣れない味や匂いにもまごついてしまう。
それでも不思議に嫌悪感は湧かないのだった。肉の塊が口の中で徐々に硬度を増してゆく。
そうとわかると悦びさえ覚えた。目的が達せられつつあるからに過ぎない、とナボールは自らに
言い聞かせたが、他に理由がありそうな気もした。何であるのかはわからなかったし、そのうち
わかろうとも思わなくなった。時にインゴーが漏らす快美の呻きがナボールを熱中させていた。
勃起が完全になったところでナボールは口を離した。間をおかずインゴーの腰に跨り、すでに
ぬかるみきっている部分へとおのれの成果を挿入させる。
「くッ!……うぅッ!……」
痺れるような快感が全身に走る。
ちぎれ飛びそうになる意識の中、思い切り腰を打ちつけたいという衝動を、ナボールは
かろうじて抑制し、できるだけ穏和に身体を動かした。
まどろっこしい。まどろっこしいけれどもここは控えて……
葛藤しながらも快感は増す。両の乳房の先端がきりきりとうずく。布の上から触れてみる。
物足りない。男の前で全裸になるのをこれまでは憚ってきたがもう耐えられない。
布をほどき捨てる。露出した乳房を揉みしだく。
そこに生じる別の感触。インゴーが手を伸ばしてきたのだ。いつもなら男に胸を触らせたりは
しないのだが、いまは認めてやろう。しかし上手な触り方ではない。女のつぼを押さえきれていない。
『だけど……』
この感覚は……ただの肉体的快感とは別の、でもどこか気持ちのいい、なぜか嬉しいこの感覚は……
下から股間に加えられる衝撃を感じ取る。
突かれている。突かれている。男の上で躍動はしても、男の躍動を許したことはないあたし。
なのにいまは……いまのあたしは……
いつの間にかインゴーは上の下着を脱いでいた。
全裸のインゴー。全裸のあたし。何一つの夾雑物もなく交わっているあたしたち!
抑制を解き放つ。一心に腰を上下させる。
かまわない! かまうもんか! こいつが必死で突いてくるんだ! あたしだって! あたしだって!
力の限りのぶつかり合いは、やがて頂点に達した。怒張の脈打ちと精の放出をナボールは膣内に
感受し、そして自分も感激のうちに動きを止めた。
ナボールはベッドに横たわっていた。隣にはインゴーがいる。触れ合いはなく、ただ並んで
寝ているだけである。
にもかかわらず、心は安らかだった。
しばしの時が経過したのち、インゴーが呟いた。
「ゲルド族のおめえとこうなるなんて、思ってもみなかったぜ」
こっちこそ──とナボールは苦笑する。
いくら飢えていたとはいえ、こんな冴えない中年男と交わることになろうとは。しかも男とは
初めてになる強姦ならざる交合。そればかりか、口を使うというゲルド女にあるまじき行為すら
厭わずに。
『でも……』
悔いはなかった。
理由はインゴーのありようだ。気に食わないゲルド族に取り入ってまでも生きようという
したたかさ。こっちを逃亡者と見破った明敏さ。マロンを守ろうとするけなげさ。食糧不足に
苦しむ他者にミルクを供給しているのも見上げた行い。犯す対象としか考えてこなかった男という
生き物の中にも、隅に置けない奴がいると知った。
相手になってやってもいいと思った。
『こういうまぐわいも、案外、乙なもんだな……』
「あのよ」
インゴーがおずおずと語を継いだ。
「おめえさえよかったら、ここにかくまってやってもいいんだぜ」
「そんな気はないね」
きっぱりと言う。
朝が来たら早々に去るつもりだ。インゴーに通報の意図がなくとも、自分がここにいるのを
何らかの経緯でゲルド族の連中が知ったら、厄介なことになる。こっちが危険に陥るだけでなく、
インゴーやマロンにも迷惑がかかる。
「気持ちだけ貰っとく」
言葉が自然にこぼれ出た。
「ありがとよ」
インゴーの勧めには、女をそばに置いておこうという下心がひそんでいる。けれども決して
それだけではないとナボールにはわかっていた。
ひそかな感情の交換が、ほのぼのと快い。
ゲルド族も部族外の人々とこういうつき合いをするべきなのかも……
そしてリンク。
賢者として覚醒するために、いずれあたしはリンクとも交わることになる。その時にもこんな
快さを得られるだろうか。
そうできるだけの交わりにしなければならない。
チビ助だったリンクが、七年経って、どんなふうになっているか。
『こいつよりはいい男だろうな』
傍らのインゴーに目を向ける。
眠っていた。だらしのない寝顔である。ただ、滑稽とみえた口髭が、男としての力強さを表して
いるようにも、いまでは感じられた。
引き合いに出して悪かった。よその人間に対するあたしの気持ちが変わったのは、あんたの
おかげなんだから。
ナボールは静かに微笑んだ。
The End