あれからどれだけの時が経ったのかしら。  
とても長い時間が過ぎたような、ほんの少しだけしか動いてないような。  
私は少し大人になった。  
 
恐ろしかった怪物も居なくなって、さらわれたみんなも戻って来て。  
離ればなれになった家族や友達と泣き笑って抱き合ってお互いの無事を確かめ合って。  
今は全て元に戻ったように見える。  
 
でも足りない。  
この風景の中に足りない物がある。  
 
今日も村で一番高い建物の屋根に腰掛けて  
ビンのミルクを飲みながら足りないものを探す。  
 
山羊を追っていたあの青い瞳と、真っ白な歯の光る笑顔と。  
風になびくハチミツ色の髪と、その合間にキラキラ輝くピアスの銀と。  
 
幾ら追っても本当は見つからないって判ってる。  
でも、探さないと気持ちが落ち着かないの。  
心の奥の奥が納得するまで、私は足りないあのひとの色を探し続ける。  
 
え?あれは?  
一瞬だけど遠くの森に駆ける緑の姿が見えた気がした。  
 
見間違い?  
ううん。間違いない。  
あれは。絶対に!  
 
気が付くと私は森まで走っていた。  
真っ暗な森の入り口の前を過ぎても走るのを止めなかった。  
 
もう恐ろしい怪物は居なくなったけど  
もともと森の深いところには、肉食植物や狂犬や大こうもりが出てとても怖い場所だから  
行っちゃいけないって言われてる。  
 
だけど、あれは。  
あの鮮やかな緑は。  
今ここであのひとかどうか確かめないと、きっと一生後悔する。  
 
森の奥は空気も澱んでいて、腐葉土の匂いに生臭いにおいが混じって息苦しい。  
ガラスは武器になるって聞いたから、お守りのように硬いビンを抱きしめて慎重に歩く。  
 
土がいびつに盛り上がってる脇を過ぎると、ずるっと嫌な音が地面から響いて  
盛り上がった土からいきなり触手のようなツタが飛び出た。  
あっという間に気味の悪い触手は私の身体にからみつく。  
 
抵抗しようとしたとたんツタに身体が持ち上げられ地面に叩きつけられた。  
目を回した隙にもっとたくさんの触手が身体に巻きついてきた。  
ぬるぬるした細いものがあちこちに巻きついて気持ち悪い。  
逃げたくてもがんじがらめになって動けない。  
叫びたくても口の中に押し入ったツタが声をふさぐ。  
 
「ぅ!」  
急に触手が深く身体を締めつけ息が出来なくなる。  
身体に食い込んだツタが痛くても、もう悲鳴もあげられない。  
意識を失いかけた私の身体はずるずると本体に引きずり寄せられていく。  
かすみがかかった目にぼんやり浮かぶ丸い塊がふいにはっきりと形を作る。  
 
私の目の前で血の臭いのする牙だらけの口が大きく開かれた。  
 
何かがキラっと光る。  
次の瞬間、どさっと地面に悪臭のする塊が叩き付けられ跳ねあがって転がって。  
ふいに締め付けがほどけて息が出来るようになった。  
足元で切り落とされた怪物の頭が断末魔の悲鳴を上げ崩れていく。  
 
顔を上げると剣を握るリンクが私の目の前に立っていた。  
「大丈夫か?」  
差し伸べられる手が私の手を握ると、触手の束から身体が引き起こされて私は自由になった。  
 
夢じゃないの?  
私、あの怪物に食べられちゃって死ぬ前に夢を見てるんじゃないの?  
本当にリンクなの?  
 
私の手をしっかりと握る手が夢じゃないって教えてくれる。  
ああ。あの手のぬくもりがもう一度私の中に戻ってきたんだ。  
 
震える私を見たリンクは おやっとした顔になって、ちょっと笑って私を見つめる。  
もう片方の手に目をやるとまた おやっとした顔になって私の手からビンを取り上げた。  
「駄目だよ悪戯しちゃ。売り物を勝手に持ってきちゃいけないな。これは店に返しておくんだよ」  
ミルクのビンを片手に、指を立てて軽くめっと言ってみせるリンク。  
 
うん。もう悪戯はしないよ。約束するよ。  
叱ってるようでも本気で怒ってるわけじゃないから何だか可笑しい。  
いつの間にか心が落ち着いて震えは止まっていた。  
 
安全な場所までエポナに乗せてもらう。  
こうしてリンクの背中につかまっているだけで幸せだった。  
地面へ降りて振り返るとリンクは村の近くで足を止めて、心に刻むように辺りの風景を見つめている。  
ずっとずっと。でも、決して中には足を踏み込まずに。  
私もその横顔を心に刻む。ずっとずっと。  
 
いつまでもこのままでいたいと思ったけど、ふいにリンクはエポナを呼び寄せて鞍に飛び乗った。  
そうだよね。  
最後の見納めに故郷に立ち寄ったなら、もうそろそろ行かないといけないよね。  
多分これっきりだって判ってる。もうリンクは戻ってこない。  
 
でも去る前にあなたの手に触れられて良かった。  
ぬくもりの思い出は永遠に私の中にあり続けるから。  
 
リンクの人生に、リンクの冒険の日々に、私が入る隙間はどこにも無いけど。  
リンクが私の事を忘れないでいてくれた。  
それだけで十分だよ。  
 
もっと大人になって、友達の誰かとそのうち一緒になって子供を産んで、  
おばあさんになって死んでいっても。  
あなたの手のぬくもりと爽やかな汗の匂いは忘れないから。  
 
リンクを乗せ、エポナがいなないて別れを告げる。  
私も手と尻尾を振って別れを告げる。  
 
さようなら。  
さようなら、私の王子様。  
 

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