交換と出会い Final  
 
 
街は、闇夜に包まれていた。  
その街の中のホテルの一室、この街で唯一起きている少女が…。  
 
「ふぅー…っ。」  
テトラは、ホテルの部屋に戻っていた。  
リンクとの哀しい別れを遂げた後、テトラは気が抜けたようにホテルに戻って自分の部屋へと篭っている。  
テトラはじっと、部屋の窓から外を眺めた。月は先ほどよりだいぶ昇っている。もうすぐ夜も更けてくるだろう。  
テトラはまだ夕食を食べていなかったが、食欲が無く、何も食べようとはしなかった。  
 
夜風に当たって少し冷えてしまった身体を、シャワールームで温めるテトラ。  
髪飾りは外し、脱いだ服の上に置いてある。  
じっとシャワーを浴びていると、身体が温まる…。  
動揺していた心が、だいぶ落ち着いた。  
しかし尚、テトラは、あまり状況が飲み込めないでいた。突然、夢から醒めてしまったかのように。  
だが、なんとか冷静に、ようやく今までのことを考えた。  
 
今日であったばかりのリンク。  
出会ったばかりの頃は緊張した。しかし打ち解けあううちに、彼はとても優しく純粋な青年だと知った。  
そうして出会い、楽しんだ、その今日…彼と別れた。そして、もう二度と会えないかもしれない。  
テトラは混乱した。いろんな事が、一度に起きすぎて…。  
テトラはシャワーを浴び終えると、再び服を着、髪飾りをつけた。髪は、普段と違ってほどいている。髪飾りを買ってもらったときから、ずっと髪はほどいたままだった。  
ふと、ドレッサーの鏡に映る自分の姿が見えた。  
髪を解き、可愛い髪飾りをつけたその姿、まるで、いつもの自分とは違う人間のようだった。  
それだけではない。いつもと、表情が違う。  
海賊らしいもとの自分の表情ではない。その姿は、どこからどう見ても、可愛らしい女の子だ。  
 
ベッドの上に置いた携帯電話が目に入った。  
この携帯電話は、海の上では使えない。ということは、もう今日限りで使うことは無いだろう。  
その携帯電話に、メールが届いている。  
2通届いていたメールは、どちらも、テトラが良く知る、ネコ目のリンクから来たものだった。  
【テトラ、積み込み終わったよ! みんなで打ち上げするから、テトラも早く来てね!】  
【テトラ、どうしたの? もしメールを見たら、すぐに返事してね。】  
「…………」  
テトラはふたたび、窓を眺めた。ずっと遠く、建物の間に、海が見える…。  
自分の帰るべき場所だ。  
テトラは相変わらずぎこちない操作で、返事を送った。  
【今から帰る】  
テトラはそれからすぐに荷物をまとめ、早めのチェックアウトを済ませにホテルのロビーへ向かった。  
 
テトラは港町まで降りてきて、そのまままっすぐ、修理が終わった海賊船へ、海賊達のもとへと戻ってきた。  
髪飾りは外し、いつもの髪型に戻して、何事もなかったかのように船長として戻ってきたテトラ。  
他のほとんどの海賊達は帰ってきた船長に違和感を感じなかったようだが、ネコ目リンクだけはほんの少しだけ、テトラの様子がおかしいと感じた。…あえて何も言うことはなかったが。  
 
やがて、他の海賊達は、明日一番の出航に向けて、眠りに付いた。  
ただ、テトラとネコ目リンクだけは起きている。  
テトラは、船の手すりに腰掛け、じっと港町を眺めていた。  
その髪には、いつの間にか、再び青い髪飾りをつけている。  
 
そして、その様子を影でじっと見守るネコ目リンク。  
テトラは帰ってきてから、ネコ目リンクとは話し合っていない。  
ネコ目リンクは、きっと何か言われるだろうと予想していたのだが…。  
だが、テトラの中でなにかが変わったことだけは、はっきりと分かっていた。  
 
海の向こうが、僅かに明るんできた。  
まだ月明かりが、港に停泊する海賊船を照らしている。しかし、その月もやがて沈んでいくだろう。  
海賊船は既に出航できる準備が整っている。海賊達を起こせばもう出発は出来るのだが、テトラは出発しようとしなかった。  
夜中からずっと姿勢も変えずに、海賊船から港町を眺めている。  
 
 
テトラは夜中から、ずっと待っていた。  
 
リンクが来るのを…  
 
リンクは昨夜、別れの時…もう見送りには来られないと言った。しかしテトラは、リンクが見送りに来てくれるような気がしてならない。  
あるいは、それはテトラの願望なのかもしれない。  
昨日のリンクとの別れは、あまりにあっけなかった。…少なくともテトラからすれば。  
テトラはちゃんとリンクに別れを言っていない。一日付き合ってくれた、お礼も言っていない。もう二度と会えないかも知れないというのに…  
リンクはあの時、逃げるように帰ってしまった。リンクも悲しさが我慢できなかったに違いない。  
最後の時も、自分の為に悲しんでくれたリンク。  
彼に、もう一度だけ会いたかった。会って、ちゃんと別れを言いたかった。  
 
「テトラ…」  
テトラの肩に手が置かれた。  
「あっ……リンク…。」  
テトラが振り返ると、そこには、リンクがいた。  
…だが、『ネコ目』のほうのリンクだ。  
「テトラ、どうしたの?」  
「…………」  
テトラはじっと、ネコ目リンクを眺めた。  
そこには、優しさは感じられるものの、昨日見たリンクの凛々しさは見られない。包容力も、あまりあるとは言えない。  
テトラの肩に置かれた手も、小さかった。テトラと変わらないほどだ。  
ネコ目リンクを見ていて、なぜだかイライラするテトラ。  
「なんでもないっ!」  
テトラはふたたび、目線を港町に戻す。  
「テトラ、ねぇ、テトラってば!」  
リンクはテトラの肩をつかんでゆする。  
「うるさいな! なんだい!?」  
「そ、そんなに怒らなくても…」  
「怒ってない!」  
テトラはリンクを振り払い、甲板から港の桟橋に飛び降りた。  
「あっ! テトラどこいくの?」  
「どこにも行かないっ!」  
テトラは船から降り、桟橋に立って、なおも港町を見つめた。  
「…リンク…やっぱり…来てくれないかな…」  
テトラはじっと、その場に立ち尽くした。  
 
次第に空全体が明るんできた。まだ日は昇らないが、じきに海の向こうから朝日が差してくる。港町も、次第に明るく照らされていく。  
もう、夜明けは近い。  
「…………」  
テトラも、半ば諦めかけたときだった。  
 
まだ眠りについている街の奥から、何かがやってくる。  
誰かではない、『何か』だ。  
テトラは目を凝らした。何かがこちらにやってくる…。  
テトラの海賊船に向かってまっすぐに駆けて来るそれは…  
 
「!!」  
こちらに駆けてきたのは、一匹の狼だった。  
それも、ただの狼ではない。銀色の毛並みをした、珍しい狼だ。魔獣かもしれない。  
驚いて立ちすくむテトラ。  
狼はまっしぐらにこちらに向かってきたが、やがて、テトラと距離を置いて止まった。  
その距離、5メートルといったところだろうか。狼の跳脚力なら、一気にテトラに飛びかかれるかもしれない。  
 
すかさずネコ目リンクが船から降りてきて、テトラの前に立った。  
「テトラ、下がって!」  
ネコ目リンクは背負った剣を抜き、狼に向ける。  
狼は二人に向かって牙をむいて唸り、今にも飛び掛ってきそうだ。  
 
「…リンク?」  
テトラがつぶやく。  
「えっ? 何?」  
ネコ目リンクが振り向くが  
「お前じゃない。」  
テトラが言っているのは、ネコ目のリンクのことではなかった。  
 
テトラは狼の瞳をじっと見つめた。  
青い。しかもその青、透き通るような青だ。  
その瞳、前にも確かに見たことがある。  
 
リンクだ。昨日デートを共に楽しんだあの青年、リンクの瞳と全く同じ色だった。  
テトラはゆっくりと狼に近づく。  
「あっ! テトラ、危ないよ!!?」  
ネコ目リンクの言葉を無視し、テトラは狼に近づいていく。  
とうとうテトラは、狼に1メートルまで近づいた。  
狼はいつの間にか唸るのをやめ、じっとテトラを見つめ返している。  
「……リンク…なの?」  
 
狼はしばらくテトラを見つめていたが、突然、後ろ足だけですっと立ち上がった。  
かと思ったら、もう既にその姿は狼でなく、凛々しい青年の姿に変わっていた。  
 
「リンク! やっぱり…!!」  
狼の姿をしていた青年、それは紛れも無く、昨日テトラと共にデートしたあのリンクだった。  
「リンク、えっ…どうして…」  
戸惑うテトラの問いに対してリンクが口を開く前に、どこからか声が聞こえた。  
「ククッ…よくリンクだって分かったな。」  
「!? だ、誰?」  
テトラは辺りを見回すが、目の前にはリンクしかいない。  
確かに、リンクではない誰かの声が聞こえたのだが…  
そう思っているうちに、また聞こえてきた。  
「…なぁんだ、分からないのか? 寂しいな。ワタシだよ、ミドナ。」  
突然自分の真上から、一人の…いや、一匹の魔物が降りてきた。どうやら、話しかけてきたミドナという人物は彼女らしい。  
ミドナはテトラに顔を近づけた。  
「へぇ、お前がテトラか。」  
急に現れたミドナに怯むテトラ。ミドナと言われてもピンとこなかった。  
「な、なにアンタ!? ミドナって…」  
ミドナは、ふわりと飛んでリンクに並び、ケラケラと笑う。  
「ほら、覚えてない? このリンクの相棒。昨日電話越しに話し合ったじゃないか。」  
「…電話越し…あっ…」  
 
確かに、ミドナのその声、聞き覚えがあった。ミドナという名前も…。  
リンクと出会ったあの時、リンクの携帯電話の向こうから聞こえてきた声…リンクが自分の相棒と言った、ミドナだ。  
まさかこんな姿だとは思っていなかったが…  
 
テトラが驚いている間に、リンクがミドナに言った。  
「…ほらな。テトラならきっと見破れるって言ったろ。」  
「あーぁそうだな。見直したよ。」  
リンクとも親しげだ。ということは大丈夫だろう。  
 
それにしても、目の前で起きたことが信じられないテトラ。  
なにしろ、狼がいきなりリンクになったのだ。しかも目の前で…  
確かにリンクなのではないかという予感はしたのだが、まさか本当にリンクだとは…。  
テトラはパニックになり、もう一度リンクに尋ねた。  
「リンク、なに、どういうことなの? さっきの狼…あれ…」  
リンクがテトラに向き直った。じっとテトラを見つめ、少し申し訳なさそうに笑いかける。  
「…テトラ…ごめんな、驚かせて。…でも、君ならきっと、オレのことが分かると思ってたんだ。」  
「リンク…やっぱり、狼になってたんだ。」  
テトラは信じられない。人間が狼になるなんて…いや、狼が人間になったのだろうか?  
「テトラ、オレは人間だよ。ただ、ちょっと他の人に無い特殊な力があるだけだ。…まぁ、ミドナのおかげなんだけどな。」  
やはり、リンクが狼に変身していたのだ。テトラは驚いたが、それでも、なんとか現実を飲み込んだ。  
なにも気にすることは無い。彼はリンク、昨日と変わらないリンクだ。  
 
ミドナがリンクの肩に寄りかかった。  
「ククッ…。でも、本当に見破れるなんて思わなかったよ。」  
ミドナは、リンクの頬をつねって引っ張る。  
「いたた、ミドナ、や、やめろって…」  
ミドナはリンクの頬をつねったままテトラにむかって笑う。  
「…ハハハ、こいつな、狼になって出て行っても、テトラなら絶対に見破れるって言い張ったんだ。バカだよなぁ。知らずに追い払われても、傷つくのはお前自身だぞ…って注意したのに。」  
いつまでもミドナが頬をつかんでいるので、リンクがミドナを払った。ミドナは今度は、テトラに飛び寄る。  
「おいテトラ、どうだったんだ? 昨日のデート。」  
「…えっ?」  
ミドナはテトラの目の前でニッと笑う。  
「えっ、じゃないだろ。昨日、リンクと楽しかったのか?」  
「あ…あぁ、うん。」  
テトラは少し恥ずかしくなり、素直にうなずいた。ミドナはなおもニヤニヤしながら尋ねる。  
「リンクはどうだった? バカで呆れたか? ひょっとして、胸とか触られたりした?」  
「ちょ…! な、何言うんだい!」  
テトラがつかみかかろうとしたのを、ミドナはまた避けた。  
「ククッ、なに怒ってるんだよ?」  
「だ、だって、リンクはそんなことするわけないだろ!」  
テトラは怒って言うが、ミドナは、テトラをからかうように笑っている。  
「そうかなぁ?」  
ミドナの挑発的な態度。  
「しない! 絶対しないってばしない!!」  
「へ〜ぇ…。たった一日一緒だったのに、いやに自信持って言えるんだね。」  
「…。だ、だって…」  
確かに一日限りのデートだけで、そこまで断言できるのはおかしい。しかし、テトラの口から「絶対そんなことしない」という言葉は、なぜか、自然と出た。  
テトラはリンクのことをどのくらい知っているか分からない。だが、テトラには、リンクは誠実な青年にしか見えなかった。いや、そうに決まっていると、テトラにははっきりと言えた。疑う気持ちは無い。  
 
テトラの反応を笑うミドナを、リンクが止めた。  
「おい、ミドナ! テトラをからかわないでくれよ。」  
「あぁ、悪い悪い。」  
ミドナは笑いながらテトラのほうをむき直す。  
「あぁそうだよ。確かにお前の言うとおり、リンクはそんなことする勇気がある奴じゃない。」  
「あ、当たり前だよ。リンクはそんな事、するわけない。」  
テトラはムッとしてミドナに言うが、ミドナはそれを受け流して話題を変えた。  
「……ところでさ、テトラ、お前はここで何してたんだ? こんな所に突っ立って…」  
「えっ…アタシは…」  
「…リンクを待ってたのか?」  
ミドナに言われて、テトラはすこし目をそらす。ミドナは「やっぱりな」という顔をして、言った。  
「まぁいいや。それより、ワタシはお前じゃなくて、後ろのアイツに用があるんだ。」  
ミドナは、テトラの背後を指差した。  
 
そこには、状況がつかめず呆然としているネコ目のリンクがいた。ミドナはネコ目リンクのもとへ飛んでいく。  
「よっ、リンクちゃん。」  
「あ、あぁ、ミドナ。」  
ミドナに話しかけられてようやく我にかえるネコ目リンク。ネコ目リンクの微笑みからして、二人も随分親しい仲になっていたようだ。  
(ミドナ…なんでそんなにリンクにベタベタなんだよ…っていうかリンクちゃんて…)  
正直、その様子にテトラも驚いている。  
 
ミドナはネコ目リンクに飛び寄るなり、いきなり抱きついた。  
「わっ! ミ、ミドナ、や、やめてよ、テトラが見てるんだから…」  
赤くなってミドナを突き放すネコ目リンク。ミドナは嬉しそうに笑っている。  
「いいじゃん別に…それより、もう出航だろ。最後に会いたかったんだ。ワタシのリ・ン・ク♪」  
「…う、うん。そうだね。もう、お別れだもんね…」  
突然、ミドナはネコ目リンクの肩をつかむ。直後、信じられない行動を取った。  
 
ぐっと身を乗り出し、ネコ目リンクにキスしたのだ。しかも、唇に。  
「!!」  
「!!!」  
傍から見ていたリンクとテトラは唖然とした。だが、一番驚いたのはネコ目リンク自身だろう。  
 
少しだけ長いキスをし、唇を離すミドナ。ネコ目リンクも予想外だったらしく、顔を真っ赤にしている。キスをしたミドナも少し赤くなって、  
「お、お前には、二人っきりで話したいことがあるんだ…」  
ミドナはテトラのほうをむいた。  
「テトラ、悪いけどちょっと、お前のほうのリンク借りるからな。」  
「あ、あぁ…」  
テトラが答える前に、ミドナはもう、ネコ目リンクを引っ張って、離れたところへ行ってしまった。  
 
桟橋には、リンクとテトラの二人だけになった。  
テトラは改めて、リンクを見上げる。  
リンクもじっと、テトラを見下ろした。  
二人の間にある1メートル。ちょっと離れたくらいが丁度良かった。  
 
テトラは、嬉しかった。  
今、目の前にリンクがいる。  
やはり、来てくれたのだ。  
「…リンク…」  
「……………」  
リンクはじっと、テトラを見つめ返す。  
「…リンク、やっぱり来てくれたんだ。」  
「…あぁ。やっぱり…な。」  
リンクは微笑む。  
この微笑だった。彼が昨日、最後に見せてくれた、そして、暗さゆえにテトラが見られなかった、笑顔。  
 
「テトラ…ごめん、昨日はもう来ないとか言っておきながら…」  
「ううん、来てくれて嬉しいよ。」  
二人は再び、じっと見つめあった。  
「リンク…あのさ…えっと…」  
言いたいことはたくさんあるのに、言葉が出ないテトラ。  
リンクの優しい表情と言葉にを聞くと、嬉しくて、何から言えばいいのか分からなくなってしまう。  
テトラが迷っているうちに、リンクが先に言った。  
「…テトラ……オレ、君に言いたいことがあって来たんだ。」  
「…? 何?」  
リンクはじっと、テトラの瞳を覗きこんだ。  
「昨日言うべきだったんだけど、言えなかったこと…三つ。」  
リンクの青い瞳に見つめられると、ドキドキして返事ができなくなってしまうテトラ。  
リンクはテトラの前にしゃがみ、優しく肩をつかんだ。  
「…聞いて欲しい。まず言いたいのは……お別れだな、って事。残念だけど…。」  
「あ…うん…そうだね…。」  
確かに、一番大事なことであり、テトラも言いたかったことだ。  
リンクは目をそらさず、テトラをじっと見つめて言った。  
「…テトラ、海に出ても、元気でな。身体に気をつけて。…頑張れよ。」  
単純な言葉だったが、リンクの口調はとても柔らかく、優しい。テトラは胸が熱くなった。  
「…ありがとう。…リンクも、がんばって。」  
リンクの励ましに、素直に返したテトラ。その返事に、リンクも微笑んだ。  
 
急にリンクの笑みに、どことない寂しさが生まれた。  
「それから…もう一つ…聞いておきたいんだ。」  
「何?」  
リンクはじっと、テトラのようすを伺うように黙っていたが、やがて、言った。  
「テトラ…もう、ここに来る予定は無いんだよな…」  
「あ…」  
これも確かに、リンクにとっては聞いておきたい大事なことだろう。  
再び、この地を訪れることになるのか…それは、テトラにも分からない。だが、…おそらく、もう来ることは無いかもしれない。  
今回立ち寄ったのも、天災によって、偶然。立ち寄るつもりがあってきた場所でもない。今後も、通りががりにも寄るとは思えない。  
「…テトラ…。どうなんだ?」  
テトラも、現実を考えて心が沈む。暗くなったテトラの表情から、リンクも察したのだろう。  
「テトラ…もう、ここには来ないんだな?」  
テトラはまた、素直にうなずいた。  
「…うん、多分…。もう、ここには来ない…かもしれない。」  
「そうか…分かった。」  
リンクは承知したように頷いた。  
しかし、テトラには分かる。リンクの瞳に、深い悲しみが映っている。  
分かった、と答えたリンクだが、本当は、心のどこかで否定したい気持ちがあるのかもしれない。  
それは、テトラも同じだった。  
だが、テトラは自分の都合だけで船を動かすわけにはいかない。  
 
リンクはじっとテトラの瞳を見つめたままだったが、表情はだいぶ違う。悲しそうなリンクの顔…。  
「テトラ、最後に一つだけ、いいか? …あのさ…最後に、どうしても言っておきたいことがある。オレのことなんだけど…」  
「?」  
リンクが言いたい最後のこと…  
テトラには何か、はっきりと感じるものがあった。  
リンクの表情は、今までに増して寂しそうなものになっている。  
何か、言葉に出来ないような哀しさを、隠しているかのような…  
 
「テトラ…昨日、言ったよな。オレのこと、忘れないで…って。」  
「うん…。」  
「あのことなんだけど…」  
リンクが急に、テトラからすこし目をそらし、うつむく。  
「…テトラ…君はこれから、いろんなところを冒険するんだろ。…だからその時、オレよりもずっと、魅力的な人に出会うはずだ。」  
「………」  
「…その時は…もし、オレよりも魅力的な人に出会えたときは……オレのことを…忘れてもいいよ。オレのことは何にも気にしないで、その人と…。」  
「………」  
「…オレは、君の邪魔にはなりたくない。だから、オレとの思い出が必要なくなったとき…その時は、もう、オレのこと、忘れてもかまわないから…。」  
 
テトラはじっと、リンクを見つめた。  
 
これが、リンクが最後に言いたかったことなのだろう。  
 
もうテトラはここには来れない。  
それを踏まえて、いつまでも自分への想いを引っ張らないようにという  
 
リンクの最後の愛情だ。  
 
愛する者のため、愛する者に自分を忘れられてもかまわない…  
 
それは、勇気が無ければ言えることではない。  
 
 
リンクは辛そうな表情だ。こう言っているのも辛いのだろう。だが、決して心の弱みではない、強い表情だった。  
リンクと同じ気持ちのテトラには、良く分かる。確かにリンクの言うことは分かる。だが、リンクだって、自分のことを忘れてほしいわけがない。  
そしてテトラは、リンクのことを忘れたくなどない。  
 
「リンク…」  
テトラはリンクに言った。  
「リンク、もし同じ事をアタシが言ったらどうする気?」  
「えっ…」  
「もし、あなたが…アタシよりもいい女性に出会ったとき…もうアタシのことは気にしないで、忘れてもいい…って言ったら…」  
リンクはその問い、といっても自分がした問いと同じ問いだが、その問いを噛み締め、そしてテトラをじっと見つめ、間をおいて言った。  
 
「…もし、君よりも魅力的な人に会ったら…その時は、君の言うとおり、君の事は気にしないでその人を選ぶ。…だけど、君の事、君との思い出は絶対に忘れない。…君との思い出は、オレにとって大事なものだからな…。」  
 
「…そうでしょう? …アタシだってそうだよ。」  
テトラは、リンクに微笑んだ。  
「リンク…アタシはリンクのこと、忘れない。だからリンクも、アタシのこと、忘れないで。」  
そのテトラの笑みは、自然なものだった。  
これほど自然な笑みをしたことは、今までにないかもしれない。  
その笑みに、リンクは寂しそうに、でも嬉しそうに笑い返した。  
「あぁ…そうだな…。忘れないよ。君のこと…。」  
 
リンクはふいに、懐から小さな盾を取り出した。  
「? 何これ?」  
「オレが、新しい盾に代えるまでに使ってた盾なんだ…。」  
その盾、確かに、今リンクが背負っている金属の盾と異なり、木で出来ている。相当使い込んだらしく、傷や焼け焦げた跡が目だっているものだった。  
「オレのことを覚えていてくれるなら、なにか記念になるものをあげたいから…。オレの盾…君にあげるよ。」  
「えっ? この盾を…」  
リンクは盾を眺め、それからちょっと恥ずかしそうに笑う。  
「ハハ、ちょっと汚い盾だけど…でも、このくらいしかあげられるもの、ないんだ…。」  
「…………」  
「君が、オレのことを忘れないでいてくれるなら…これをあげたい。これを持って、いつまでも、オレを覚えていてくれるように…。」  
テトラは、その盾をじっと見つめた。  
その盾、きっと幾度とない冒険をリンクと共に切り抜けてきたものなのだろう、どことなく、リンクを感じることが出来る盾だった。  
「…もらって、いいの?」  
「あぁ。君にあげたいんだ。他に、贈れるものなんてないしな。」  
テトラはその盾を受け取った。木の匂いがする。昨日、リンクの背中で眠ったときの、あの、森の匂いだ。  
テトラはその盾を両手に抱えて抱きしめた。  
「…これがなくても、リンクのことはずっと覚えてるよ。でも、リンクのことを守ってきた盾なんだよね…うん…大切にする。ありがとう。」  
「…どういたしまして。」  
テトラはこの世界に一つしかない盾をもらえて嬉しいし、リンクも、受け取ってもらえて嬉しそうだった。  
 
「リンク…ア、アタシも、何かないかな…」  
テトラも、何かを返したかった。なにをリンクに送るべきか…。しばらく考え、テトラが出した結論は…  
 
テトラはゆっくりと、自分の髪にある青い髪飾りを外した。  
「リンク、これ、受け取って。」  
これは昨日、リンクに誘われて行った祭りの装飾品店でリンクに買ってもらったものだった。テトラにとっては、宝物だ。  
「テトラ…これ…」  
テトラはその髪飾りを、胸の前で強く握り締める。  
「これ、リンクからもらったアタシの宝物…。リンクにもらって、すごく嬉しかった。だけど…でも、リンクに持っててほしいんだ。  
アタシは…私は…これから、船に戻らなきゃならない。その時は、船長でなきゃならないんだ。女の子でいられる時間は、なくなる…だから、『その時間』は、リンクに、大切に持っていて欲しい。」  
「………」  
「私が女の子でいられるのは、あなたといられる時だけだから…」  
「………」  
リンクは、テトラの心を察した。  
リンクはテトラの手から髪飾りを受け取り、優しく手に握る。  
「分かった。『君の時間』は、オレが大切に預かる…。」  
テトラも、リンクの盾を優しく抱えた。  
「…そっか。うん…じゃぁ私も…あなたの盾を、あなたのことを大切にする。いつまでもずっと…。」  
 
テトラはリンクと並び、水平線の彼方を眺めた。  
朝日が顔を出している。人が出始める前に、出航しなければ…  
リンクがぼそりとテトラに尋ねた。  
「テトラ、もう行くのか…」  
「うん…そろそろ…ね。」  
 
テトラが急に、リンクのほうを向く。  
「さっきさ、ミドナ、うちのリンクにしてたよね。」  
「何を?」  
テトラはイタズラっぽく笑った。  
「お別れの、キス…してた。私たちも、する?」  
テトラは冗談半分で、しかし、密かに期待してそう言った。  
だが、それをリンクは真面目に受け止めてしまったのか、頬を赤らめた。  
「テ、テトラ…」  
テトラも言ってしまったことをちょっと恥ずかしく思い、赤くなって顔を伏せる。  
「ふふ、冗談。恥ずかしいなら、別にやらなくてもいいよ。リンクが私のこと想ってくれてるのは分かるから…」  
突然、リンクはテトラの肩を掴み、テトラを自分のほうへ向かせた。  
「リ、リンク?」  
リンクは頬を赤くし、しかし鋭い表情だ。聊か滑稽とも言えるが、リンクは恥ずかしながらも、真面目なのだ。  
リンクはまっすぐテトラをみつめて、緊張からか、少し強張った声で言った。  
「…テトラ…君がして欲しいなら…」  
リンクの様子が可笑しくて、少し笑ってしまうテトラ。  
「リ、リンク…そんな必死にならなくたっていいよ。」  
リンクもちょっとばつが悪くなり、恥ずかしそうに笑う。  
「あぁ、そ、そうだな。」  
それからリンクは、いつもの優しい表情に戻って、改めてテトラを見つめた。  
「…オレは、してもいい。君は?」  
「…私も…。」  
 
リンクはぎゅっとテトラの肩を掴んでいる。  
「…テトラ、な、なんか恥ずかしいな…。悪い、ちょっと目、瞑ってくれないか? み、見つめ合ってなんてとてもできない…」  
テトラにはその気持ちが分かる。リンクに少し照れ屋なところがあるのも理解している。  
テトラは黙って、目を瞑った。  
リンクの、テトラの肩を掴む手に力がこもっている。かなり緊張しているようだ。  
「……。」  
「……。」  
リンクはそっと、テトラの唇にキスをした。  
 
互いの唇が触れ合ったその瞬間、おもわず『キュン』となって目を開いたテトラ。  
リンクも、赤くなって目を瞑っていた。  
そのリンクの表情…可愛い表情だった。生まれて初めてキスをした少年のような表情だった。  
テトラは再び目を閉じ、リンクとのキスに身を委ねる。  
 
リンクがそっと、テトラから唇を離す。  
「テトラ…もういいよ。」  
リンクはやはり、テトラがずっと目を瞑っていたと思っていたらしい。  
テトラは改めて、ゆっくり目を開いた。  
リンクの、恥ずかしそうな、しかし充実したような満足げな顔…。  
 
リンクはテトラの両肩を抱き、もう一度、強い抱擁をした。  
次にテトラを放したリンクは、別れを惜しむような、一層寂しそうな顔をしていた。リンクの瞳が、少し潤んでいる。  
「リ、リンク…もう、泣かないでよ。」  
「…あぁ、悪い…君には…涙を見せたくなかったんだけどな…」  
声が擦れている。  
リンクは左手で、涙を拭った。そして、テトラの頬にそっと手を置く。  
「テトラ…テトラだって、涙、出てるぞ。」  
「えっ? あっ…」  
リンクは、テトラの涙を優しく払う。  
「ご、ごめん、リンク…。私…嬉しくて…」  
「嬉しくて…? どうして?」  
「…あのさ…。私のために泣いてくれる人なんて…今までいなかったから…それと、あの…悲しいんだ…」  
テトラは、泣くのを堪えようとする。するとリンクが、テトラの頬を優しく撫でた。  
「…そうか。テトラ、君は女の子だから、泣いてもいいんじゃないか。」  
リンクは、テトラに優しく笑いかけてくる。  
「…リンク……私…」  
テトラはリンクに寄りかかり、泣き始めてしまった。  
ダメだった。リンクの優しい笑顔を見ると、その優しさが嬉しくて、そして、別れが辛くて、そして、心から安心出来て…もう我慢はできなかった。  
今まで人前で泣いたことなど、一度もないテトラが…。  
リンクはそれを、守るように抱きしめる。  
テトラは最後に、もう一度だけ、リンクの前で女の子になった。  
 
「…もっと…一緒にいたかった。」  
「…オレもだよ…。」  
 
 
 
 
ミドナとネコ目リンクが戻ってきた。  
リンクは、今度はネコ目リンクと向き合う。  
「…君が、テトラの友達のリンクか。なるほど、確かに同じ格好だな。もしかして…伝説の、時の勇者の…」  
ネコ目リンクはリンクを見上げて答える。  
「…はい。僕が着ているのも、時の勇者の服です。僕の名前も、時の勇者の名前です。」  
「そうか、やっぱりな。オレの名前も、時の勇者からつけられたものだ。…同じ伝説を受け継ぐ者同士…知り合えてよかった。」  
テトラはようやく理解した。  
二人のリンクが同じ姿をしているのは、偶然ではないことを…。  
ということは、この出会いも、偶然ではなかったのかもしれない。  
 
「リンク…それからテトラ。……分かると思うが、オレ達は、ひょっとしたら、あまり干渉しあってはいけない存在なのかもしれない。…でも、オレは君達に会えて良かったと思っている。」  
「僕もです。」  
リンクは、ネコ目リンクに握手を求めた。ネコ目リンクは、リンクの一回り大きい手に握手を返す。  
「…リンク…。この先、頑張れよ。…テトラのこと…頼んだぞ。」  
「はい。」  
リンクは最後に、もう一度だけテトラのほうを向いた。  
「…テトラ…元気で。」  
「…うん。リンクも、元気でね。」  
 
ネコ目リンクがタクトを手にし、風向きを調整する。  
海賊船は帆を張り、海へと向かった。  
 
朝日に照らされていく港町を、海賊船から眺めるテトラとネコ目リンク。  
「テトラ…きれいな街だったね。」  
「あぁ。…リンク、だらしないからにやけるのやめな。」  
ネコ目リンクはなんだかいやに嬉しそうな表情だ。  
「リンク、ミドナのこと、好きになった?」  
「うん!」  
元気良く答えるネコ目リンク。それから続けて  
「テトラは? あの、お兄さんのことは?」  
「リンクのこと? …あぁ…好きだよ。最高だった。」  
次にテトラが抱える盾が目に入る。  
「あっ、その盾もらったんだ。」  
「あぁ、記念に…って。」  
「…良かったね。」  
「うん…」  
テトラは、リンクのことを回想した。  
器量が良く、優しく、一緒にいる間ずっと自分のことを考えてくれたリンク。  
申し分のない青年だった。出会えたことは本当に嬉しい。本音は、もっと早く、知り合いたかったのだが…。  
ネコ目リンクは、寂しげなテトラに笑いかける。  
「テトラ、楽しかった?」  
テトラは顔を上げ、ネコ目リンクに笑い返す。  
「…楽しかったよ。……さ、ほら、もう無駄話はやめて、リンクも仕事しな!」  
「う、うん。…テトラは?」  
「あぁ…アタシは…ちょっと疲れたから、一眠りさせてもらうよ。…昨日、ほとんど寝てないから…。」  
テトラは離れていく港町に背を向け、船内の、自分の部屋へと戻っていった。  
 
朝日に光る海の上を走る海賊船は、もう港からは見えなくなってしまった。  
青い瞳を持つ青年リンクとミドナは、桟橋に腰掛けてじっと海を眺めている。  
「…ミドナ。オレは黄昏時も好きだけど、朝焼け時も好きだな。」  
「ワタシも、嫌いじゃないけどさ。」  
ミドナはリンクの目の前に飛んでくる。  
「リンク、あの子…いい子だったな。」  
「テトラか?」  
「あぁ。…海賊だって聞いたから、どんな荒くれかと思ったけど、全然素直だったじゃないか。」  
「あぁ、そうだよ。テトラは優しくて、可愛いらしかった。本当は、とっても女の子らしい子なんだ。この髪飾りも、よく似合ってた…。」  
リンクは自分の手の中で青く光る髪飾りを見つめた。  
「…リンク?」  
髪飾りの上に、涙が落ちる。  
「リンク、おいバカ、なに泣いてんだよ? みっともないぞ。」  
「…あ、あぁ…そうだな…。」  
リンクは手で涙を拭い取り、テトラの髪飾りを、優しく握りしめた。  
「テトラ…オレとの一日が、君のいい思い出になったなら…何よりも嬉しいよ。」  
ミドナはリンクの肩をつつく。  
「ククッ…それにしても、リンクもなかなか粋なことするじゃないか。」  
「…見てたのか。ハハハ、ミドナに言われたくないよ。」  
「まぁ、そうだな。…なぁ、リンク。あの子、本当に嬉しそうだったじゃないか。絶対お前に惚れてたな。…まぁ、ワタシには全然理解できないね。ただ…ちょっと紳士的にしてるだけで…お人よしで、ちょっとかっこいいだけなのにさ…。」  
「ハハ…でも良かったよ。テトラがオレのこと好きになってくれて。」  
ミドナは急にリンクに背を向けた。  
「…リンク。…なぁ、もし…もしもだぞ…いつかワタシと別れるときが来たら…その時は、泣いてくれるのか? ワタシのために…」  
「…分からないなぁ、その時にならないと。」  
 
 
テトラは海賊船の自分の部屋に戻り、壁に盾を飾る。そしてそれを眺めながら、ベッドに横になった。  
「…さよなら、リンク。」  
 
リンクはミドナと共に、海を離れて街へ戻っていく。その前にもう一度、リンクは振り返り海を見つめた。  
「…テトラ…またな…。」  
 
 
 
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