あの日、ボク達にはボク達が全てだった。  
 
この街はまだ小さかったボク達にはとてもとても広い街で。  
クロックタウンという体内に縦横無尽に伸びる道という血管に呑み込まれて、ボクらは街の体内を駆け巡る。  
時計塔の中を探索して独特の幾何学で満たされた世界に触れた。  
天文台への道の途中、薄暗い地下通路に何か出ないかとキミは怯えて、ボクは強がって歩を進めた。  
両親が忙しい日などは、街の北側の空き地の滑り台。よく2人一緒に滑った。  
大妖精の泉ではこんなに神秘的な水がこの世界にあるものかと思ったものだ。  
少し成長して、街の外へ出るのを許してもらってボク達だけで平原に出る。  
スノーヘッドの大きな山、グレートベイの水平線。見るものは尽きず、ボク達は平原を探索した。  
大きな空洞の木の下で雨宿りをする。石垣に落書きをする。チュチュ達の交尾を見つけて、夕刻になって鳴くグエーの声にもうこんな時間かとあわてて街に帰る。  
クリミアの牧場へ遊びに行って、牛の乳搾りをさせてもらう。搾りたての牛乳の温かさに驚く。  
ニワトリ達を追いかけ回して、反撃される。  
劇団の公演に笑った夜。  
年に一度の刻のカーニバル。この日だけは深夜の外出許可をもらう。  
盛大な花火が鳴る。1年に1度開かれる道を通って、時計塔の頂上に登って花火と月を眺める。ああ綺麗だな、と言ったらキミはボクに身を寄せた。  
翌日、来客やカーニバルの対応で忙しい家を抜け出してキミに会いに行く。キミの家も宿屋を経営してたからなかなかに忙しかっただろうけど、キミは笑顔でボクを迎える。  
2人でまた時計塔に登る。どこまでも済んだ空の下。  
ボクらは結婚式が行われているのを見つける。若い男女で、女の人の方は見覚えがあった。ボクの家に仕事で来ていた女性だ。  
あんなに幸せそうな顔を人はするものだね、私たちも…あんな顔をできるようになるかしら?  
ボクらは互いを見て、結ばれる男女を見る。男女は2つの仮面を交わす。  
契りを結ぶ。  
祝福される。  
虜にされたように見入るキミの横顔を今でも鮮明に覚えている。  
 
ねぇ、アンジュ。  
なあに、カーフェイ?  
ボクらも…いつか。  
わたし達も?  
ボクらもいつか、刻のカーニバルの日に…太陽と月のお面を交わそう。  
……。  
結婚しよう。  
 
返事がなくても構わなかった。  
驚いたような顔をして、すぐに笑顔になったけれども泣き出すキミを見ただけで十分だった。  
キミはボクに抱きついて、何度も何度もうなずいた。  
本当はボクも嬉しくて泣きたかったけど、ちょっとみっともないかもと思って堪えた。  
ボクはキミを抱き直して、そっとキスをした。  
 
あの頃のボク達の前には、世界はとんでもなく大きく広がっていて。  
いつか大人になるって分かっていた。早く大人になって結婚したいと思っていた。  
けれどもいつまでもこの時間が続くと思っていた。2人子供のままこの幸せな時間を過ごすと思っていた。  
 
いつからだろう。  
身体は大きくなって、キミは女性になって、ボクも青年と呼べる年頃になった。  
今ではあの頃に感じる程世界は大きいものではなく、それなりの大きさの囲いの中でたくさんの人間がせわしなく忙しそうに動いている街。  
時間はボク達が思っていたほどゆっくり流れるものではなかった。  
気がつけば、あっという間に後ろの方に走り去って…もう姿も見えなくなるくらい遠くに行ってしまうもの。  
キミは宿屋で受付をする。時を経て美しくなったキミのこと。町民の評判は上々で、接待を任される。  
そしてボクも、町長の1人息子の身としてこの街の事を考えるようになる。お互い会える時間が少なくなる…。  
 
失ってしまった物は多かった。  
でも、本当に大切な物だけはお互い失わなかった。  
幼馴染だったボク達は、少年と少女になり、男と女になる。  
ボク達はお互いの事が好きだった。  
アンジュと違ってボクは永遠の愛とか、そういう言葉はこっ恥ずかしくてなかなか口に出せないけれど、それでも。  
彼女を愛していた。  
そしてボクらは今度の刻のカーニバルの日に結ばれる。  
 
■■■  
 
疲労で足がもつれそうになる身体に鞭打って草原を駆ける小さな影がひとつ。  
元の姿であればまだ幾分マシだっただろう、カーフェイは自分の身体を呪った。  
月はもう、時計塔を今にも喰わんばかりに近付いている。  
 
ずっと夢見てた最愛の女との結婚式を目前にして、不幸は突然襲って来た。  
そして不幸というものは連鎖するもので。  
結婚式を控えたカーフェイは奇妙な仮面をかぶった小鬼に出会う。  
小鬼は彼を子供の姿に変えた。  
彼の命運は大きく変わる。  
大きな力を持つ大妖精に相談しようと町の北へ向い、そしてその時に大切な太陽のお面を盗まれる。  
そして肝心の大妖精もまた、小鬼に姿を変えられて力を失ってしまっていた。  
カーフェイは途方に暮れる。  
父の友人(本人に言わせれば悪友らしい)に事情を説明し、とにかく結婚式に必要な太陽のお面だけでも取り返そうと、盗賊を追う事にする。  
紆余曲折あって出会った緑の帽子の不思議な少年の協力により太陽の仮面を取り返す。  
彼らが言うには、刻のカーニバルが始まって数刻程で月が落ちるらしい。  
イカーナ渓谷からクロックタウンの帰路の途中、遠い時計台の真上に幾つもの花火が上がるのを見る。刻のカーニバルの合図を確認する。  
時間は迫っている。カーフェイは仮面を抱え直し、走る。  
 
ボクは最低だ。  
突然姿をくらませて、恋人を心配させる。挙げ句、彼女を苦しめた。  
だからこそ、せめて約束の、夫婦になるという儀式だけは行いたい。  
破滅に向かう町の中の、寂しい儀式だとしても。  
 
今まで何度も来た事のあるナベかま亭の従業員室の扉。  
カーフェイがそれを重いと感じたのは初めてだった。  
扉を明ける。  
窓から差し込む外の明かりが目に入る。  
不意に、風が吹き、カーテンがサァ、と揺れた。  
驚いたような顔。当然だろうに、今まで一月も姿を見せなかった恋人が世界の終焉の直前に現れる、それも子供の姿で。  
けれどもどこかでそれを予期していたかのように、受け入れるような顔。  
「私…あなたに会ったことがあるわ。なつかしい匂いがする」  
月の仮面を胸に抱いて、アンジュは両膝をつく。それでようやく2人の視線の高さは同じ位になる。  
「遠い昔…そう。まだ小さかったころ…私たちは約束したわね。月と太陽のお面を…  
刻のカーニバルの日に交わそうって…。結婚しようって…」  
あの日、2人で時計塔の上で誓った約束。  
「嬉しかった…」  
あれから時は流れ、2人は大人になった。  
けれども、今でも鮮明に覚えている。  
「…アンジュ。遅れてゴメン」  
「…お帰りなさい」  
抱き合う。  
「あの日の約束を…夫婦の誓いを交わそう」  
太陽は男性。月は女性。異なる2つの仮面を触れさせる。光に包まれ、2つの仮面は1つとなる。  
 
 
「2人とも…」  
リンクが困ったように声をかけた。  
「貴方達は…私たち夫婦の誕生の証人です。どうか、その夫婦のお面を受け取って下さい…そして、逃げて下さい」  
「けど…、せっかく2人がまた会えたのに…」  
「無駄よ。…2人きりにしてあげましょ」  
チャットがリリリリ、と音を鳴らす。リンクはしばらくお面を眺めた後、部屋を出ていった。  
ズズズ…と定期的に地響きが起こる。理由は言うまでもなかった。もうすぐ月がこの町に落下する。  
生まれ育ったこの町で、もうすぐあの月に喰われるのだろう。  
悲しい気持ちはあった。だがそれでも幼い頃からの約束がこの町で叶い、この地で2人で果てることを嬉しく思う。  
祝福をするのは緑の衣服の少年と、少し口の悪い妖精。なんだか自分達がお伽噺の住人のようで、それも悪く無い。  
カーフェイはそんな事を考える。  
バタン、と遠くの扉がしまる音。  
リンクがナベかま亭を出ていったのだろう。  
「今から逃げて間に合うかしら」  
アンジュがつぶやく。  
「間に合うさ。不思議な子たちだもの。…まるで、別の世界から来たみたいな子だ」  
2人はお互いを抱き、互いをめいっぱい感じる。今までずっと会えなかった、その分を埋め合わせるように。  
カーフェイからはアンジュの顔は見えなかったが、彼女が泣いていのはすぐに分かった。  
泣き虫な所は昔から変わらないな、と言いかけてやめる。  
目の奥が熱くなって来て、彼自身も二の舞になりそうだったからだ。  
(ボクも、意地を張る所は変わらないな…)  
2人は言葉も無く、身につけているものを落として行く。  
 
布の擦れる音。  
急かすように艶やかな唇にくちづけを。  
貪るように口で口を覆い、舌を絡ませる。  
生暖かい唾液の味がする。  
二度、三度口を離してまたくちづけて。  
くちづけをしたまま、ボクの手は自然と彼女の胸へとのびる。  
「相変わらずせっかちなのね」  
「キミは、相変わらず泣き虫だ」  
涙を拭ってやるとアンジュは嬉しそうに微笑んだ。  
「…涙を受けとめてくれる人がいるもの。安心して泣けるわ」  
ボクの髪をかきわけて、けれども優しく、ボクの頭を優しく抱いてくれる。  
「受け止めてくれるっていうそいつは、ずいぶんと幸せ者なんだろうな」  
「きっと、そうね」  
胸の弾力を弄ぶ。  
同じ人間なのに何故こうも違う身体になるのだろう。  
アンジュがやや困ったような顔をした。  
ボクは彼女を押し倒して馬乗りになる。  
ボクらはひとつになる。  
 
余韻は激しい地響きによって現実に引き戻される。  
「ねぇ、アンジュ。覚えてるかい?はじめてキスした時のこと」  
「ええ。あの時に約束をしたのよね」  
ボクらの前には、あの時の広大な景色が広がっている。  
「あの時はさ、アンジュの所も人手が少なかったのに抜け出して、大変だっただろ?」  
「そうね、帰った後母さんに叱られたわ。どこほっつき歩いてたんだって。その後はずっとお芋の皮剥きよ」  
「皮剥き…。この際だから言わせてもらうけど、キミ、お世辞にも料理が上手いとはいえないぜ」  
アンジュは苦笑する。  
「そうね。自覚はしてるんだけど。…じゃあ、カーフェイはいつも無理して食べてくれていたのかしら」  
「まぁ、愛は最高の調味料って言うしね」  
家がカタカタと揺れる。  
けれども今はそれさえ、揺籃に揺られているような安心感を感じる。  
「次からは、ボクが作ろうか?料理」  
「一緒に作りましょうよ。教えて?」  
「ああ、それも悪くないね」  
一緒に、か。次に会った時もどうかまた、一緒に。  
恋人でいさせて欲しい。  
「…?カーフェイ、今なんて?」  
地響きが大きくて、他の音が聞こえなくなる。  
「…いや」  
ボクはゆっくり首を振って、笑った。  
「アンジュ、今までありがとう」  
「…どういたしまして、これからも宜しく。カーフェイ」  
もう言葉も聞こえない。  
ボクらは互いをただ強く、強く抱きしめあう。  
あの日、月の下で見た景色が目前に広がって。  
音が遠くなる。  
目の前が開けた気がした。  
ああ綺麗だな、ボクの呟きは世界に溶ける。  
ボクらは明日を迎える。  
 

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