〈香り〉の文化魚類学  
〜わらわとゾーラとそれからあやつ〜  
 
 
個人配水路というものがある。  
配水路とは、水流が円滑に、効率よく流れる仕組み・設計全般のことだ。  
我々ゾーラ族は常に潤沢な水を要するが、住居などの複雑な構造を持つ生活条件下では水の流れが滞りやすく、それによる健康への影響は無視できない。  
だから、都市的なコミュニティを築き始めたここ数百年来のゾーラ族、とくに宮殿などの、大型で入り組んだ生活空間を持つ高層階級のゾーラにとって、  
水流を阻害せず、常に新鮮な水を運んでくれる配水路は、体内を網羅する血管のごとき存在だ。  
新鮮な水それ自体が、身分の高さを表している節さえある。  
ゾーラ川の水源は“泉”ただひとつであり、その水を振り分けるにも限界がある。当然格差が生まれ、清浄な水、およびプライベートな配水路は、高層階級の特権となる。  
とはいえ、ゾーラは魚のみで生きるに非ず。  
生存や健康維持のため以外にも、配水路、とくに個人配水路を必要とする事情はある。  
俗に、“穢れた芳香”と呼ばれる問題によって。  
幼少のころから、わらわはその言葉を知ってはいたが、詳しいところは知らなかった。  
その頃のわらわの認識は「芳香なのにけがれてるなんて、変じゃなー」といった程度のものだった。  
ある日わらわはその言葉の意味を、身をもって知ることになる。  
 
あの緑色の少年が里にやってくる一年ほど前のある日、身体が腫れもののように火照っていることに気づく。  
流行り病のたぐいかと思ったが、それにしては体調は万全、喉も痛くなければ、肌が荒れているということもないし、だいいちそんな病は周囲に流行っていない。  
それなのに、治まる気配がない。  
体調に変化があったら、直ちに周囲の大人に告げるよう最近言われるので、その通りにする。  
わらわの訴えを聞いて乳母は、落ち着くまで自室にこもるよう言った。必ず鍵を掛けるよう念を押され、ついでに何の話か爪を立ててはいけないと忠告を受けた。  
不安がるわらわを乳母は心配ないと抱きしめて、かといって同伴してくれるでもなく、背中を押してわらわを見送った。  
わらわはそのまま覚束ない足取りで自室にたどり着き、言いつけのとおり鍵を掛けて、そのまま過ごすことにした。  
一人用の個室は、つい最近になってあてがわれた、配水完備の大人の部屋。大人が生活するためにつくられているせいか、わらわにとってはけっこう広い。  
わらわが縦に4、5人連なって横になれそうだし、寝るとき用の水床はかなり広々としている。魚と藻を育てればここから出ないで生活できそうだ。  
わらわは一昨日辺りから水を換えていない水床から水を抜いて、配水の取っ手を引き上げた。  
 
新しく張り換えた水床に全身浸かって、半時ほど経ったろうか。  
火照りが治まらない。むしろ徐々に強まってきている。  
動悸がそれに従って多少高まってはいるものの、体調は悪くない。悪くないことが逆にわらわを不安にさせる。  
火照りが強まるに従って、火照りの出所がお腹の奥のほうだということがわかった。  
むずむずと、何かよくわからない疼痛のようなものがわだかまっていることも自覚される。  
鎮めようと、腹痛のときと同じような気分で、お腹を片手でさすってみた。  
 
「ひん」  
ぞわぞわと悪寒に似た何かが、手のひらの触れる部位の奥から沸き起こり、お腹全体に広がる。  
 
「な、? ……ふひゃっ」  
ぞくりと身を震わせ、手が一瞬止まる。  
一呼吸ののちにまたさすりだす。  
再び沸き起こる奇妙な感覚をもう一度味わおうと、身体がわらわの言うことを聞かず、勝手に動きはじめる。  
 
「あふっ」  
そのうちもう片方の手も加わり、縦横無尽好き勝手にわらわのお腹を撫で回す。  
くすぐったさから時々ピクリと腹筋が勝手に引っ込んで、それに追い打ちをかけるように、爪の先でさわさわとくすぐったりなどすると、得も言われぬ感覚はより一層高まる。  
 
「あぅ、あっ……ん〜っ」  
妙な声が、だらけた唇からもれる。  
この辺りになると、わらわの理性はだいぶ蕩けて心もとなくなっていた。  
お腹をさする手の感触にも慣れはじめ、くすぐったさが遠のいてきている。  
 
「あむ…ん」  
だから物足りなくなって、さらなる刺激が欲しくなる。  
手は刺激に慣れてしまったお腹を離れ、無意識に下のほうへと移ってゆく。  
お腹のふくらみの底を抱えるようにしてさすって。  
 
「んん…」  
それも慣れてしまいかけて、さらに下方へ。  
やがて指先が股の間にさしかかって、その部分に触れたとき。  
 
「ぅひっ?」  
 
わらわは、その感覚を知った。  
 
それまでの、くすぐったいような感覚の延長線上、しかし強さは比べるべくもない。下半身にわだかまっていた疼きが、残らず一点に集中したような。  
 
「う…うぁっ、うぁっ」  
疼きの源が身体の奥のほうだけだと思っていたわらわは、何も考えずにその部分に触れてしまい、その感覚を不意打ちに近い状態で、無防備に受け止めてしまった。  
 
「ぁんんっ、くっ、な…んじゃコレ、はぁっ」  
身体が跳ねる。じっとしていられない。  
だから太腿を擦り合わせて、余計に強まった感覚にじっとしていられなくて、  
だからまた太股を擦り合わせて。それの繰り返し。  
 
「ふぅっ、ふぅっ、うんっ」  
股間の手指はまるで躊躇していない。  
刺激を求めてわらわの股の間、小水の出る付近、今まで漠然と、少女として大切にするよう躾けられてきた部位を、気兼ねもなく弄り回している。  
はしたないとは思っても、止めることはできない。  
さする程度だった手つきはいつしか押さえつけるような力を帯び、ついには捏ね回すとも引っ掻くともつかぬ動作の繰り返しとなり、自然その速度も速まってゆく。  
 
「ゃ、いや、あっ」  
さして力のない腕が疲れを訴え始めても、指は止まろうとはしなかった。かぶれを起こしたときのように、引っ掻くことしか念頭にない。  
爪を立てるなという忠告を遅まきながらに思い出し、その意味を悟る。乳母はこうなることをわかっていたのだろう。  
 
「んーっ、んむぁ、ぁ、」  
これは一体何なのだろう。訊いてみたくもあるが、今はそれどころではない。  
爪を立てずに指の腹を使って擦るように、そう念じることさえ難儀する。  
先ほどから、妙な声が自分の口から漏れ続けているが、どうすることもできない。  
むしろもっと声の出るままに鳴きたい。変な例えだが、この堪えのきかなさは、嬉しくてたまらないときと似ている。  
 
取り憑かれたように大切な部分を弄び続ける指と、その刺激に我を失いつつある自分に本能的な恐怖が芽生え、  
その恐怖は同じく芽生えた巨大な本能にねじ伏せられる。  
弄らずにはいられない。弄りたくてたまらない。  
そこに至って気づいた。この衝動はつまり欲求なのだと。  
でもいったい何の?   
ただひたすらに股を触りたくなる欲求が何なのか、なんの意味があるのか、なぜ支配されなくてはいけないのか、何もわからない。  
 
「ぁやっ、ぁ、ぁ、ああ」  
わからないのに。  
得体が知れないのに。  
ほとんど自分の意思でもないのに。  
 
「ぅひ、き、き、」  
頭が蕩けそうなのに。  
それなのに、すべてを跳び越えて、ひとつ確かな、答え。  
 
「気持ち、いい……のじゃ」  
 
言ってしまった。  
口に出して、認めてしまった。  
わらわは今はっきりと、この感覚を快感として受け入れた。  
もう、自分の身体に嘘はつけない。無視もできない。求めるしかない。  
 
「ひぅ…あ、あぁあっ、あぁーッ」  
こうなると早い。それまでは得体の知れない事態に対する抵抗がまさっていた。そうするだけの理性が残っていた。  
今やわらわの理性は敗北し、思考の隅に追いやられた。蕩けきった頭にできることは、ただ純粋に快感を追い求めることだけだ。  
 
「気持ちいい、きもひいい、あー、あ゛ーっ」  
わらわは急速に昇りつめてゆく。わらわの知らない、どこかに向けて。  
目の焦点が合わずに、室内の薄青い色彩がおぼろげに視界を満たす。  
わらわは今どんな格好をしているだろうか。  
水面のきらめきが斜め下に見えるので、たぶん仰向けになって、足だけが勝手に立ち上がろうと踏んばっている状態だろう。  
両の手が、思うさまわらわの大切な部分を弄り倒し、わらわを気持ち良くさせる。  
自分の両手に気持ち良くされることを望んでいるのは、わらわ自身。  
 
「!? ッあ…」  
 
そのとき、股間のどこか一点に、ひときわ強い快感をもたらす小さな突起を探り当てた。  
何なのかはわからない。わかる必要もない。することは決まっている。  
「ゃ、駄目、ひゃ…」  
吸い寄せられるように、愛撫がその一点に集中する。  
 
「ふに゛ゃ、あ゛あ゛あ゛あ゛…」  
水面から手で水をすくうのと同じように、両手の指がその突起を挟み込む。  
違うのは指という指が水の代わりに小さな突起を掴みこんで、滅茶苦茶に揉み回していることだけ。  
 
その一手で、昇りきってしまった。  
 
「あッ、ひぅん……〜〜〜〜―――――……‥‥‥」  
 
水が溢れるように、快感がある一点で突然暴れだし、わらわの視界も意識も、一瞬なにも捉えなくなる。  
あるいは、あまりにもそれ一色で、かえって認識できなかったのか。  
気がついたとき、わらわには快感しかなかった。  
 
「はうっ、はうっ、ん゛ーっ」  
わらわの下腹部が、大事な部分が、底なしに気持ち良い感覚を、脳天に向かって突き上げ続け、なすすべもなく舞い踊るばかり。  
下半身が悶えているのがわかる。水面に向かって、くいくいと何度も股間を突き出して。それにより生じた水流が、ぬめぬめと身体を舐め回す。  
両手はすでに離れているのに、ずっと気持ち良いまま。  
 
 
「…はぁ、はぁ、はぁ」  
どれほど続いたろうか。長い時間だったような気もすれば、ほんの数呼吸分の長さだったようにも思える。  
乱れていた息遣いが一応の治まりをみせ、視界がかすかに震える水面越しに、天井の壁画のタイルを識別できるほどに回復する。  
 
「んん…」  
行為の余韻に酔う。快感の奔流はいまや凪いで、穏やかな安心感と充足感をもたらしていた。  
何か身体の拠り所が欲しくなり、就寝時にいつも使用している水草のブランケットを数枚引き寄せる。  
全身が倦怠感にまみれて、水草を細かく調整するのも億劫なので、乱暴に身体に巻きつけるだけでよしとする。  
 
「……ん?」  
ふと、鼻をひくつかせてみる。  
水床の中は、えもいえぬ香りで満ちていた。  
そう、香りと言っても差し支えない、鼻と、身体の奥のほうをくすぐる蠱惑的な匂い。  
わらわはたゆたう意識の中で思い出す。水床に浸かる前に、水は新鮮なものに入れ換えていて、水に浸かってからもこのような匂いはなかったことを。  
とするとこれは、わらわの身体から立ち上った匂いだ。  
わらわの身体、とりわけ下腹部の、そこから。  
わらわは“穢れた芳香”が何を意味するのか悟る。  
同時にその芳香にあてられたか、またあの欲求で身体が疼きだした。  
とはいえ、すでに体力を限界まで消耗しており、疲労と充足感からくる眠りは目の前まで迫っている。  
わらわは緩やかに身体を愛撫しながら、眠りに落ちていった。  
 
これが、“穢れた芳香”の正体。  
我々ゾーラは性的に興奮すると、ある種の香りをもった体液を分泌する。その体液は、嗅いだ者を同じく興奮させる――いわば媚薬のようなもの。  
ゾーラは性別を問わずある年齢に達すると、二次性徴の一環として激しい性欲の高まりを体験し、強制的に快楽を知る。  
同時に“芳香”の分泌もはじまり、以降は生理と同じく周期的に性欲の高まりが訪れる。  
どうしてなのかは誰も知らない。  
一説には、定住の地を見つける以前、過酷な環境で子孫を残すために起こった進化の名残だという。  
その説が正しいかは定かではない。  
確実なのは、わらわがあの日、ゾーラ女性としての目覚めを迎えたということ。  
 
そして“穢れた芳香”が、個人配水路を必要とするもう一つの事情である理由も、おのずと見えてくる。  
ゾーラの階級社会において、王族などの高層階級は神聖視される。  
神に等しい存在である者たちが性的な快楽に溺れ、平民と変わらぬ淫臭を垂れ流すことは、その神性の失墜につながりかねない。  
現に王家の歴史において、“芳香”がそのような危機を招いた前例がいくつかあったという。  
それでもゾーラ社会は、大きな崩壊を迎えることなく今まで続いてきたが、  
その裏には必ず、追放ないしは監禁され闇に葬られた当事者たちがいた。  
渦中の人物を切り捨てることで取り繕ってきたのだ。まあ、そこは良かれ悪しかれ、他の数多の歴史と同じだ。  
そうした危機を避けるために、同時に自分自身の破滅を避けるために、“芳香”は個人配水路を経由し、それとわからないよう他の廃水と混ぜて捨てられなければならない。  
以上のことを、わらわは二次性徴後の性教育で学んだ。  
 
それから一年と、少し。  
わらわは当然のことながら、今でもゾーラ族だ。  
すべての生物が、その生まれもった身体で生きるしかないのと同じように、わらわ自身にも、ゾーラ族として生きる選択肢しかない。  
つまり、その……そういった行為は切っても切り離せないわけで。  
伴侶となる殿方もおらず、その年齢にも達していないわらわは、周期的に高まる疼きを、毎度自分の手で鎮めている。  
ゾーラ族としては、べつに普通のことではあるのだが、わらわとしては少々気がかりなことがある。  
最近ハイリア人について勉強している。おもに、その文化と身体について。  
理由は……察するように。  
男性はともかく、大概のハイリア女性には、このような爆発的な性欲の高まりはないらしい。  
それが少し、わらわを不安にさせる。  
いつもの行為のあとの、余韻のなかで想うのは、あの緑の少年のこと。  
あの少年は、このような行為に乱れる自分を、どんな目で見るだろうか。  
ハイリア女性としてはふしだらに過ぎるわらわを、軽蔑したりはしないだろうか。  
 
「リンクよ」  
寝入り際、水草を抱きながら、ぽつりとその名を呼ぶ。  
 
「わらわのこと、キライになるか?」  
わらわはその答えをいつも、夢にゆだねるのだ。  
 
 
〈了〉  
 
 

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