「ほら、ふー君、もう一件行こう、もう一件!!」  
酔いが回って顔を真っ赤にしたご機嫌の緑は、  
傍らの風太郎の肩にもたれかかると、嬉しそうに声を張り上げた。  
 
「緑さん、さすがにやばいですよ、終電ももうなくなっちゃいますよ……」  
緑にもたれかかられながら、同じように顔を赤く染めた風太郎は不安そうに言った。  
同じように酒がまわっていた風太郎だったが、彼の方が緑より多少冷静だった。  
 
「はあ!? 何言ってんの! ふー君が今日は飲もうって誘ったんでしょう!  
だからこうして付き合ってあげたんじゃない!! だったら今度は私のわがまま聞いてよね!!」  
不機嫌そうに眼を座らせて睨みつけ声を張り上げる緑に風太郎はたじろいだ。  
 
確かに今日、緑を飲みに誘ったのは風太郎だった。  
仕事の悩みから職場の頼れる先輩であり、同時に恋人の姉でもある緑に、  
自分の話を聞いてもらおうと思ったのだ。  
 
しかし、その思惑は一件目であえなく潰えた。  
 
「つまらねえ悩み!!」  
と緑に一蹴され、そこからは逆に緑に引きずられる格好で店を何軒も梯子し続けていたのだ。  
 
――わがまま言ってんのはどっちだよ……。  
 
風太郎をにらみつけながらなおも愚痴り続ける緑を前に、  
苦笑いを浮かべて話を聞きながら、彼は内心やれやれとため息を漏らした。  
 
「わ、わかりましたよ……じゃあ最後にしましょう……」  
いくら説得してもらちが明かないと思った風太郎はやむなく緑に従うことにした。  
 
と、その時だ。  
「……気持ち悪い……」  
さっきまで風太郎と怒鳴っていた緑は一転、顔を真っ青にして口元を押さえ、  
その場にしゃがみこんでいた。  
 
さすがに飲み過ぎていたのだ。  
 
「大丈夫ですか、緑さん……」  
しゃがみ込んだ緑を介抱しながら風太郎が声をかけたが、  
「やばい……ちょっとやばい……」  
そう言ってしゃがみ込んだままの緑は身体を起こすことが出来なかった。  
 
「ちょっと、マジで大丈夫ですか?」  
さすがに心配になって風太郎が彼女の背中をさすろうとしたとき、  
緑は小さくつぶやいた。  
「ごめん……下がって……」  
「え?」  
風太郎が戸惑いの声を上げると、緑は彼を強引に突き飛ばし、  
そのままから顔をそらすと路上の木の根もとにそれまで飲み食いしたものを派手に吐き出していた。  
 
それは風太郎を自分の吐しゃ物で汚しちゃいけない、という緑の乱暴な気遣いだった。  
 
突き飛ばされていた風太郎だったが、よろよろと身体を起こし、慌てて彼女の背中をさすって解放をしてあげると、  
「ごめん……ありがと……」  
口元を押さえながら、緑は小さくこぼした。  
 
それからもしばらく身動きできなかった緑だが、  
しばらくの時間が過ぎてようやく落ち着いたのか、ふらふらと立ち上がることが出来た。  
 
彼女が身動きできない間に風太郎は近くの自販機でミネラルウォーターを買ってきていて、  
それを緑に手渡すと、「ありがと」と小さく頭を下げた緑はそっとそれを飲み、  
ふぅ、と小さくため息を漏らした。  
「ごめん、迷惑かけちゃったね……」  
さっきまでの派手な振る舞いとは一転、申し訳なさそうに頭を下げる緑に、  
「いや、俺はいいっすよ……それより緑さん、大丈夫ですか……?」  
風太郎が声をかけると、  
「うん、大丈夫。もう平気」  
緑はニカっと白い歯を見せながら満面の笑みを作って歩き出そうとしたが、  
すぐにふらふらっと倒れそうになり、満足に歩くことすらできなかった。  
 
「全然大丈夫じゃないじゃないっすか!!」  
倒れそうになった緑をあわてて支えながら風太郎が言うと、  
「ごめん、こんなに酔っちゃったの久しぶりかも……」  
そう言って緑は恥ずかしそうに顔を伏せた。  
 
そんな緑を支えながら風太郎は携帯を取り出し、時間を確かめた。  
終電に間に合うかをチェックするためだ。  
 
が、すでに終電は発車した後。もう帰る電車はなかった。  
「もう電車、終わっちゃってますね……」  
携帯をしまいながら風太郎がつぶやくと、  
「ごめん……」  
緑は小さく頭を下げた。  
 
「どうします……? タクシー拾いましょうか……?」  
風太郎が路上を走る車に目をやりながら言うと、  
「ごめん、ちょっと……休みたい……」  
そう言って緑は再びその場にしゃがみこんでしまった。  
 
――どうすんだよ……。  
 
しゃがみ込んでしまった緑を前に、風太郎はそれまでの酔いも冷め、  
心配そうに彼女を見つめていたが、とにかくこのままでいてもどうしようもない。  
 
――どこかで緑さんを休ませないと……。  
 
そう思ったとき、近くにビジネスホテルのネオンが輝いているのが目に入った。  
「あ……ホテル……」  
風太郎はぼそっと呟いた。  
 
酔いつぶれた女性と二人きりでホテルだなんてまるでつまらない三文小説だ。  
さすがにそれはなあ……と内心ためらっていると、緑が声を上げた。  
「ホテルあるじゃん……あそこで休も……」  
 
「ええっ!?」  
これに驚きの声を上げたのは風太郎だ。  
「ま、ま、ま、まずいですよ!  
そ、そ、そんなじょ、じょ、女性と、ふ、ふ、ふ、二人きりで、  
そ、そ、そのホ、ホ、ホ、ホテルだ、な、な、なんて!!」  
酔いとは明らかに違う意味で顔を真っ赤にしながら、しどろもどろになって言うと、  
「何言ってんの……違う部屋に泊まれば問題ないでしょ……馬鹿じゃないの……」  
しゃがみ込んだままの緑は冷たい視線を風太郎に投げかけながら、やや呆れ気味につぶやいた。  
 
「は、は、はい……そ、そうです……ね……」  
そんな緑の反応に、少し慌ててしまった自分を恥ずかしく思いながら、  
同時にどこか寂しさを覚えながら風太郎が小さく頷くと、  
緑はゆっくり重たげに立ち上がり、  
「行こ……」  
そうつぶやいて、ふらふらと千鳥足気味にホテルに向かって歩き出した。  
「ま、待ってくださいよ!」  
風太郎はあわてて彼女の後を追いかける。  
 
「え?」  
風太郎と緑は二人揃って同時に声を出した。  
 
それは二人が向かったホテルのフロント。  
二人の前に立つフロント係の男性スタッフは申し訳なさそうに頭を下げて、さっきの説明を繰り返した。  
 
「申し訳ございません。本日シングルは満室となっておりまして……。  
ダブルの部屋でしたら一部屋ご用意できるのですが……」  
 
二人は顔を見合わせた。このままだと同室に泊まるしかないからだ。  
 
「どうします?」  
「どうする?」  
 
互いにじっと見つめあったままだったが、  
緑は「うっ」と小さく呻くと、その場にしゃがみこんでしまった。  
再び彼女を吐き気が襲ってきたのだ。  
 
「だ、大丈夫ですか!?」  
「大丈夫ですかお客様!!」  
風太郎が身をかがめ、フロント係も慌てて受付から飛び出して、心配そうに緑に声をかけた。  
緑はハンカチで口元を押さえたまま、  
「大丈夫だから……」  
と無理に笑顔を作ろうとしたが、その様子は明らかに大丈夫そうではなかった。  
 
「すいません、じゃあそのダブルの部屋でいいですので、すぐに用意していただけますか?」  
決断を下したのは風太郎だった。  
それはやましい心も何も無く、ただすぐにでも彼女を休ませる必要があると思ったからだった。  
すべては緑への思いやりの心からだった。  
「わかりました、すぐにご案内いたします」  
フロント係は風太郎に頷くとすぐに受付に戻り、部屋に案内する準備を開始していた。  
「ごめんね」緑は風太郎を見つめて、小さくこぼした。  
 
緑がふらふらなのでフロント係と一緒に入室した風太郎たち。  
部屋に入るなり、  
「ごめん……トイレ……」  
緑はそうつぶやくとトイレに駆け込み、再びは出に戻していた。  
 
「何かお薬用意しましょうか? もしなんでしたら、お医者様もお呼びいたしますが……」  
心配そうに風太郎に尋ねてくるフロント係に、  
「飲み過ぎただけだから大丈夫だと思うんですが……一応薬だけお願いできますか?」  
風太郎がトイレの方を見つめながら言うと、  
「かしこまりました。それではすぐに……」  
そう言ってフロント係は部屋を出ていった。  
 
「大丈夫ですか、緑さん……」  
風太郎がトイレに入ろうとすると、  
「ちょっと待って! ……汚いから……流すね……」  
慌てて返事をした緑はトイレを流すと、ふらふらと出てきてその場にしゃがみこんだ。  
 
風太郎にトイレに入られて自分の吐しゃ物を見せて不快な思いをさせるのが嫌だったのだ。  
 
「薬、用意してくれるそうですから、それ飲んでゆっくり休んでください」  
しゃがみ込む緑と同じように腰を下ろした風太郎は彼女に声をかけると、  
「ごめんね……だいぶ落ち着いたからもう大丈夫だと思うんだけど……」  
そう言って緑は少し苦笑いをしてみせたが、  
その笑顔は無理に作られていることがすぐにわかって、風太郎には見ていて痛々しかった。  
 
フロント係が用意してくれた薬を飲むと緑は、  
「ごめん、寝るね」  
そう言ってすぐにベッドに入り着替えもせずに休んでしまった。  
 
そして緑が静かに寝息をたてはじめたころ、  
ようやく風太郎も落ち着き、ネクタイを外すと緑の横のベッドに腰掛け、携帯を開いた。  
 
見ると茜からメールが届いている。  
 
「今日はお姉ちゃんと飲みに行ってるんだよね。  
お姉ちゃんならふーの仕事の悩みにもしっかり応えてくれると思うから、全部打ち明けた方がいいよ。  
私からもお姉ちゃんにふーのこと言ってるけど、ふーから直接話をする方がいいと思う。  
あ、あと飲み過ぎないようにお姉ちゃんに注意しておいてね♪」  
 
それは風太郎を気遣った健気な茜らしいメール。風太郎はそれを見ながら、  
自分の悩みを「つまらない」と緑にあっさり切り捨てられ、  
さらに彼女の飲み過ぎを防げなかった自分のふがいなさに苦笑しながら、  
携帯を閉じて、ベッドに大の字になって横たわり、瞳を閉じると大きく深呼吸をした。  
 
今夜の疲れがどっとこみあげてきて、そのまま身体を動かすことが出来なかった。  
 
そのまま眠ることが出来たらよかった。  
 
が、風太郎は不幸にもそれが出来なかった。  
ここにきて急に隣で眠る緑のことを意識しはじめたからだ。  
 
――緑さんと同じ部屋に泊まっている……。  
 
職場の先輩であり恋人の姉である緑と同じ部屋で泊る。  
それは他人から見たら何気ないことかもしれないが、彼にとっては一大事だった。  
 
なぜなら風太郎はずっと内に秘めているが、緑に対して恋心を抱いていたからだ。  
緑は風太郎の理想とする女性そのものだった。  
 
茜との恋愛は彼女の風太郎への告白から始まったものだが、  
彼女に緑を紹介された瞬間に、風太郎の秘められたその恋は始まっていた。  
 
美しく、知的で、それでいて飾り気のない気さくな性格の緑。  
気は強く乱暴なところはあるが、常に相手を思いやる心を忘れない優しい女性である彼女は、  
風太郎が常に心に思い描く理想の女性像そのものだった。  
 
それゆえに一途に自分のことを思ってくれる茜のことも風太郎はもちろん愛しいのだが、  
緑への想いもまた捨てきれないものがあって、  
風太郎はそれを表に出すことこそしなかったが、自分の内心でそれを感じないことはなかった。  
 
緑にはいつも自分の傍にいてもらいたかったし、  
いつも自分のことを優しく包んでいてもらいたかった。  
 
言ってみれば母性愛のようなものを風太郎は緑に求めていたし、  
それに応じることが緑にはできた。  
 
だから風太郎は茜と仲良くしつつも、緑との絆も断つことはできなかった。  
職場の先輩であり恋人の姉ということでもちろん縁はあるのだが、それ以上のものを求めていた。  
 
それゆえに、こうしてたびたび飲みに誘ったりすることがあったのだ。  
もっとも一線を越えてしまうつもりは風太郎にはなかったのだが。  
 
だが、この夜はその一線を越える危険のあるものだった。  
深夜のホテルに二人同じ部屋に泊まっているのだ。  
 
ホテルに泊まることを決めた際は、風太郎は緑のことが心配で夢中だったが、  
状況が落ち着いて冷静になって意識するようになると、胸の高鳴りを抑えることはできなかった。  
 
ほんの少し思い切った行動をするだけで、あっさりその一線は越えることが出来てしまうのだ。  
 
――隣のベッドに眠る緑さん……。そのベッドに入り込んでしまえば……。  
 
こんなよからぬ想像が浮かぶたびに風太郎は頭をぶんぶんと振って、それを忘れるようにしたが、  
しかし何度繰り返してもよからぬ想像はつきることはない。  
 
もはや眠るどころではなく、むしろどんどんと目は冴えていき、  
興奮を抑えることはできなくなっていた。  
 
――やばい……やばいぞ……。  
 
ベッドの上で頭を抱えた彼は、何度も寝がえりを打ちながら、悶々と苦しんでいた。  
 
――そうだ、抜けばいいんだ……!  
 
よからぬ想像に苦しむ風太郎が解決策にとっさに思いついたのはそれだった。  
何のことはない。ホテルに常備してあるペイパービュー、要はアダルトビデオを見て、  
一回すっきりすれば、多少はこの興奮は収まり、静かな夜を迎えられる、そう思ったのだ。  
 
傍から見ればそれはあまりにも愚かな考え。  
しかし当の風太郎にとってはこうでもしないと自分が暴発しそうで必死だった。  
 
幸い緑はすやすやと眠っている。  
 
風太郎はそれを見てほっと溜息を漏らすと、  
静かにテレビの下の引き出しを開けてみた。  
 
「ビンゴ!」  
彼は小さくガッツポーズをする。  
そこのは備え付けのイヤホンがあった。  
これを使えば音が漏れる心配もない。  
 
「よしよし……」  
彼は何度も頷くと、リモコンを手に取ってテレビをつけ、すぐにアダルトにチャンネルを合わせた。  
いくらかの利用料金が発生するがそんなことはたいした問題ではない。  
 
サッサと契約の手続きを済ませると、アダルトの一覧を表示し  
思い切って一つの作品を選んだ。  
 
「義姉さんいけないよ!」なる義理の姉との恋愛ものだった。  
 
――うわあ、ひでえ……。  
 
再生するなり、風太郎は顔をしかめた。  
ヒロインであるはずの義理の姉があまりにも不細工な女優だったためだ。  
 
風太郎は気づいていなかったが、こういうペイパービューのアダルトものはなぜか知らないが、  
有名女優の作品は少なくて「これハズレだろ」というようなものが少なからずある。  
彼は不幸にもその一つに当たってしまったのだ。  
 
――一応最後まで見てみよう……。  
 
そう思いながら風太郎は黙ってモニターを眺めていたが、  
女優もひどければ話の内容もひどかった。  
 
たまたまなぜか同居することになった義理の姉と弟。  
弟が姉のパンティーを使ってオナニーをしているとそれが姉にばれるのだが、  
なぜか姉はそれを嬉しいと言ってそのままずるずると関係に陥り、  
演技丸出しの興奮することもできないつまらないセックスをして、  
そのままハッピーエンドとして終わる、というものだったのだ。  
 
――こんなに簡単に行くわけねえだろうが!  
 
作品を見終えた風太郎が、自身の経験に基づいてこの駄作に毒づいていると、  
不意にイヤホンが乱暴に外された。  
 
慌てて風太郎が振り返ると、  
そこにはすやすやと眠っていたはずの緑が座り、風太郎のイヤホンを片手にしていた。  
彼女が風太郎のイヤホンを引き抜いたのだ。  
「何してんだよ」  
目を怒らせて睨みつける緑に、風太郎は返す言葉が見つからなかった。  
 
「み、緑さんこそ……何してるんですか?」  
びっくりして固まっていた風太郎が、少しの時間をおいて紡ぎだした言葉がこれだった。  
緑は眠っていたはずなのだ。  
 
うっとうしそうに風太郎を睨みつけながら緑は吐き捨てる。  
「妙にまぶしいから目が覚めて、見るとふー君がテレビで何か見てるから、  
『まぶしいからテレビ消して』って何度言っても返事してくれないから、こうしてるんだよ」  
 
不幸なことにイヤホンをしてAV鑑賞をしていた風太郎には緑の声が聞こえなかったようだった。  
 
と、緑はちらりと首を伸ばして風太郎に隠れているモニターをのぞいた。  
 
風太郎にとってさらに不幸なことに、  
そこには再生を終えた「義姉さんいけないよ!」のタイトルと、  
あの不細工な義姉役の女優が乳房を露わにして、それを弟が間抜けそうに吸う姿のジャケットが映し出され、  
その下に「もう一度再生しますか? 終了しますか?」という確認メッセージが併せて表示されていた。  
 
「しかも観てるのアダルトだし……最悪……」  
軽蔑するようにつぶやいた緑を前に風太郎は返す言葉が見つからない。  
 
最悪なのは風太郎の方だった。  
まさか眠っていた緑が突然起きて、しかも何を観ていたかまで確認されるとは思わなかった。  
すべてが緑の前で曝されてしまったのだ。  
 
気まずい沈黙がしばらく続いたが、それを破ったのは緑だった。  
「そりゃあさ、私は職場の先輩でしかも茜の姉。  
ふー君とは家族同然の存在だから、ついつい気が緩んじゃうんだろけどさ、こう見えても私、女なんだよねー」  
そう言いながら大げさにすねた様子を見せた緑は乱れた髪をくしゃくしゃと乱暴にかくと、  
「だから、ちょっとはさ、私のこと女として見てくださいよ。デリカシーくらい持ってよ。ね?」  
ため息を漏らしながらそう言って、いつしかぎゅっと正座してうつむいたままの風太郎を覗きこんだ。  
 
緑にしたらそれは冗談交じりの非難だった。  
 
彼女は男がAVを観ているくらい当り前のことだと思っていたから、  
風太郎がそんなものを観ていることに嫌悪感なんて抱かなかったが、  
けれど、女の自分の前でそんなものを堂々と見ながら、  
テレビを消してくれと言っても消してくれなかったことには腹が立っていた。  
 
もっとも、それについても本当はもう何も言うつもりはなかったのだが、  
突然の出来事にびっくりしたのか、風太郎が自分の予想以上に固まってしまい、  
気まずい沈黙が支配するようになったのでこれを打ち破るため、  
また風太郎の緊張を少しでもほぐしてあげようと思って、緑は自虐的な冗談を交えて風太郎を批判をしてみせたのだ。  
 
しかし、風太郎は固まったまま返事をしない。じっとうつむいたままだ。  
 
――さすがに気まずすぎるか……。  
 
義理の姉である自分にAVを観ている場面に遭遇されたら、  
恥ずかしすぎてこうなってしまうのもしょうがないか、  
そう思った緑は、パッと明るく笑顔を作って再び風太郎を覗き込んだ。  
顔の左右にぱっと広げた両手を太陽に見立てて大げさに振りながら……。  
「ほら、ふー君、お姉さんもう怒ってないよー。大丈夫よ? ねー?」  
 
しかし、それでも風太郎の様子は変わらない。  
 
「もう!」  
そんな風太郎にうんざりした様子で緑は言った。  
「そんなに固まらないでよ。なんだかこっちが悪いことしたみたいじゃない……」  
 
そう言って視線をさまよわせて居心地が悪そうな緑と、  
じっとうつむいたままの風太郎の間を気まずい重たい沈黙が再び支配した。  
 
「……だったんです……」  
小さくぼそりとこの沈黙を打ち破ったのは今度は風太郎だった。  
「え?」  
しかし、あまりにも小さな声だったために風太郎の言葉が聞きとれなかった緑が疑問の声をあげると、  
風太郎はさっきよりも声を大きくして、はっきりと言った。  
 
「ずっと好きだったんです……緑さんのこと……ずっと……」  
 
「え……」  
予想外の風太郎の言葉に緑が言葉を失っていると、  
風太郎は何かのタガが外れてしまったかのように、  
それまで抱きつづけてきていた緑への想いを打ち明けた。  
 
緑が自分にとってずっと理想の女性であったこと、  
いつも緑を意識していたこと、  
緑と深い絆で結ばれたいと思っていたこと、  
そしてどうしてこんなAVを観ていたのかまですべてを洗いざらい緑に打ち明けた。  
 
もう隠せない、そう思ったのだ。  
 
「……」  
今度言葉を失ったのは緑の方だ。  
風太郎の告白は緑にとって予想外だった。  
まさか自分に好意を抱いているとは想像もしていなかった。  
 
ただ、私になついているだけで、この子は茜を一途に愛している、そう信じて疑っていなかった。  
 
そんな緑に風太郎は言った。  
「だから……緑さんを女性として見てないなんてことありません……。  
いつもいつもあなたのことを……一人の女性として……意識してました……」  
 
風太郎にとって緑から「自分のことを女として見ていない」そう思われることは最も辛いことだった。  
それだと、緑が自分の想いに全く気付かれていないことになってしまうから……。  
 
そのあとはまたも重たい沈黙が支配した。  
 
風太郎が思い切ってすべて洗いざらいに緑に話したことに後悔の念を抱きそうになった時、  
いつの間にかうつむいたままになっていた緑がそっと口を開いた。  
「……茜はそのこと……知ってるの……?」  
「……前に一度……聞かれました……緑さんと初めて会った直後に……。  
『お姉ちゃんのことばっかり話してる』って……。僕が……茜に緑さんのことばかり聞いていたから……」  
緑と同じようにうつむいたまま風太郎がぽつりぽつりとつぶやくと、  
「それにあなたは何て言ったの?」  
緑は驚くほど静かに冷静に、  
しかし同時に少しふれただけでも血が噴き出してしまいそうな鋭さを秘めながら風太郎に尋ねた。  
彼は絞り出すように答える。  
「茜のことが好きだと……言いました……」  
 
「聞かなかったことにするね」  
そう言って緑はすっと立ち上がるとベッドを下りて、荷物を整え始めた。  
「え? 聞かなかったことにするって……」  
突然行動を開始した緑に戸惑いながら風太郎が聞くと、  
緑はてきぱきと荷物を整えながら言った。  
「ふー君の告白。君は茜と仲良くしたいんでしょ? だったら今日の話はなかったことにしましょ。  
まだ酔いが抜けてないから、自分でもわけのわかんないことを言っちゃったんだよ」  
 
緑としてはそうすることでこの話を綺麗に収めるつもりだった。  
風太郎の告白には驚いたが、茜の問いかけに「茜を好きだ」と彼が答えたのを聞いて、  
彼の本心は茜にあるんだ、そう思った。  
 
だったらこの話は気まぐれなもの。聞かなかったことにすればいい。  
緑はそう考えていた。  
何よりも茜を悲しませるのが嫌だった。  
 
荷物をまとめ終えた彼女はコートのボタンを締めていくと、  
「とりあえず私、この部屋出るね。お金は私が払っとくから……心配かけせさせちゃってごめんね」  
冷たく機械的に言って、そのまま部屋を出ようとした。  
 
「ま、待ってください! 部屋を出るったってもう夜中ですよ!? どうするんですか?」  
風太郎はそんな緑を止めるようにして慌てて叫んだ。  
それはホテルを出た緑が夜中にひとり街中をさまようことを心配したのと同時に、  
このまま緑が自分の前からいなくなってしまうのではないか、という不安からのものだった。  
 
「大丈夫だよ、どこかでぶらぶらして時間つぶすから……」  
緑は小さくつぶやくと、風太郎の方に振りかえって言った。  
「今度から二人きりで会うのやめましょ……職場でも仕事のこと以外じゃもう関わらないように……。  
その方がお互いのためにいいことだから……。わかった、ふー君?」  
 
風太郎の不安は的中していた。  
緑はこれからは風太郎と距離を置くつもりだったのだ  
 
「……茜のこと……これからもよろしくね、ふー君……」  
ふっと寂しげにこぼした緑は優しく儚げに風太郎に微笑みかけると、  
そのままくるりとドアの方へと進んで行った。  
この部屋を出ていくために。そして、風太郎との近づきすぎた距離を広げるために。  
 
風太郎はその光景をまるでスローモーションの映像を見つめるようにして、茫然と見つめていた。  
 
――緑さんが出ていく……。二人きりでももう会えない……職場でも親しくしてもらえない……。  
 
緑との絆が失われていくことに、言葉に出来ない絶望が風太郎の中で広がっていった。  
 
――もう会えない、モウアエナイ、アエナイ……。  
 
心の中で何度も繰り返しながら……。  
 
「イヤダアアアアアアアアーーーッッッ!!」  
風太郎が獣のように絶叫したのは緑がドアノブに手をかけた瞬間だった。  
 
突然の出来事に緑が驚いて振り返ると、  
そこには猛然と自分に駆け寄ってくる、それまで見たことのないものすごい形相の風太郎の姿があった。  
 
「え?」  
びっくりして立ち尽くしている緑に風太郎は勢いよく飛びかかると、そのまま彼女を押し倒した。  
入り口前の狭い廊下で倒れこんだ二人が激しくもつれ合う。  
 
「いやあああっ!」  
緑は叫んで、風太郎をなんとか押し離そうとしたが、  
彼は信じられないほどの力を発揮して、彼女を押さえこんでいて、  
逃れようと幾らあがいても緑は風太郎に押さえこまれてしまった。  
「離して! 離しなさい!! 君は茜のことが好きなんでしょ!! 何やってるの!!」  
力づくで風太郎に押さえこまれながら、なおももがき続ける緑は叫ぶ。しかし、  
「いやだいやだいやだ!! 緑さんがいなくなったら嫌だ!! いやだいやだ!!」  
風太郎は狂ったように繰り返しながら、緑のことを離そうとしない。  
「私はあなたとは一緒にいない方がいいの!! お願い、わかって!!」  
緑は懇願するように叫ぶが、風太郎には通じない。  
「嫌だ嫌だ嫌だ!!」  
と、首を激しく左右に振り立てながら繰り返すばかりだった。  
 
それからもしばらく二人はもつれあった。  
緑がなんとか風太郎と引き離そうと懸命に彼の胸板を両手で押したときだ。  
 
ぱたっぱたっと緑の頬を何かが濡らした。  
 
――え?  
 
何事かと思って緑が顔を上げると、そこには風太郎の顔があった。  
彼は顔をまるで子供のようにぐしゃぐしゃにして涙を溢れさせている。  
緑の頬を濡らしたのは風太郎の涙だったのだ。  
 
風太郎に両手を抑えつけられたままの緑と目線が重なった時、  
「……嫌だ……緑さん……いなくならないで……」  
息を大きく乱しながら、風太郎は泣きつかれた子供のように絞り出した。  
 
これこそが風太郎の想いのすべてだった。  
緑がいなくなる、そのことに絶望を覚えた彼はなりふり構わず彼女を引きとめようとしていたのだ。  
緑との絆は何があろうとも失いたくはなかった。  
 
「……」  
風太郎と同じように息を弾ませたまま、緑はそんな彼をじっと見つめたまま動きが取れなかった。  
 
二人が見つめあうことで一瞬の間があった後、再び風太郎の動きが激しくなった。  
ただそれはさっきまでのものとは少し違っていた。  
緑の服を乱暴に脱がせようとし始めたのだ。  
 
緑を引き留めようと強引に押し倒してしまったことで、彼の中で何かのスイッチが入ってしまっていた。  
「いやあああっ!! 何してるの!! やめて!!」  
風太郎の目的に気付き、緑は叫んだ。  
 
しかし風太郎は止まらない。なんとか緑のコートを脱がそうとボタンに手をかけ、ぎこちなく外そうとする。  
それを食い止めようと緑も必死になり、お互い再びもつれ合う。  
 
と、ボタンをはずそうとする風太郎の動きが止まった。  
突然のことに緑が一瞬拍子抜けしたようになると、次の瞬間、  
「んんっ……!!」  
緑はくぐもった声を上げた。  
 
ボタンを外すことをあきらめた風太郎は、強引に緑の唇を奪っていたのだ。  
 
「んんっ……んっ……うんんん……」  
風太郎に唇を奪われたまま苦しげにくぐもった声を漏らしながら、  
緑はなおももがいたが、風太郎は逃してはくれない。  
 
――く、苦しい……。  
 
さっきから暴れているせいで息が乱れている中、  
ぴったりと唇を重ねられているうえに、上からのしかかられているために、  
息をまともにすることが出来ず、緑は意識が遠くなりそうになった。  
 
それでも風太郎のこれ以上の侵入を許してはならない、  
と緑は唇をぎゅっと閉じて懸命にこらえていた。  
 
何とか自由に動かすことのできる両脚をばたつかせながらもがいているが、  
風太郎は唇を重ねたまま身動きしようとしない。  
 
それからどれほどの時間が経ったろう。  
 
風太郎は緑の許しを請うようにずっと唇を重ねたまま彼女を押さえつけていた。  
伏せたままの両の瞼から涙はずっと溢れ続けていて、頬を伝った彼の涙は緑の頬を濡らしていた。  
 
と、パンパンと背中を緑に叩かれ、風太郎はハッとした。  
瞳を開けて緑を見ると、彼女は顔を真っ赤にして風太郎を苦しげに見つめている。  
 
彼がとっさに唇を離すと、  
緑は唇を大きく開いて「はあはあ」と苦しげに吐息を漏らしながら、観念した様子で言った。  
「……わかったから……離して……シャワー……浴びさせて……」  
 

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