「ねえマリアー。先生ここに沈んでるの?」
奈美は露天風呂の縁にしゃがみこみ、湯から頭だけをだしたマリアに尋ねる。
「うん。センセイこの中にいるヨ。チョット長湯しすぎダヨ。」
「・・・それは長湯じゃないと思う。」
明るく言って湯に潜ったマリアに答え、奈美は浴衣の袖をまくって、温泉の中へと片手を入れた。
「・・・・んー・・・・・・」
しばし手探りしていると、おそらくマリアが動かしたのだろう。人の腕らしき物の感触が当たった。
奈美はその腕を掴み、思いっきり引き寄せる。
「よっ・・・・・・」
白く濁った湯をかき分け、腕と、続けて先生の頭が出てきた。
「・・・・先生、意外と軽いなー。」
そう呟いた途端、
「死んだらどうする!!」
「わああ!?」
突然先生が叫んで立ち上がり、奈美は盛大に水しぶきをかぶって尻餅をついた。
「・・・なにするんですかぁ。」
奈美の非難の声には応えず、先生は風呂の縁に半分倒れかかり、荒い息をついている。
肌の色は真っ赤になり、のぼせ上がった目は虚ろにどこかを見ている状態だった。
「先生? 大丈夫ですか?」
奈美は起き上がり、先生の顔を覗き込んだ。
「ダイジョぶだヨ。チョット湯あたりしてるダよ。」
「・・・湯あたりで済みますか・・・! 死ぬ所でしたよ・・・!」
奈美は苦笑を浮かべた。
「・・・苦情はカフカちゃんに言ってください! ・・・いつもの死にたがりはどうしたんですか。」
「ドクがぬけたのカ?」
二人の言葉に先生は空を仰いで、
「毒抜きされた状態で検死されるなんて御免です! 普通にただの溺死と断定されてしまいますからね!」
普通という言葉の時だけ、奈美の方をチラッとみた事に気がつき、奈美は溜め息をついた。
「・・・・・・全然、毒抜けてないよ。」
先生はそれだけ言うと立ちくらみでもおこしたのか、再び体を伏せ荒い息をついている。
「・・・先生。とりあえず浴衣とタオル持ってきたから。適当にあがってくださいよ?」
「マリア、メガネ取ってクルー」
見た目、半死状態の先生を残して、奈美とマリアは風呂場を後にした。
「ほんっと、先生には困ったもんだよ。」
湯で濡れた浴衣を着替えて、奈美は半ば独り言のようにつぶやいた。
部屋の中には、鏡の前でブラシ片手に髪を手入れしている芽留しかいない。
他のみんなは温泉街に繰り出していったらしく、姿はなかった。
芽留は片手でささっと携帯をいじり、画面を奈美のほうに向ける。
『わかりきったこと 言うな タコ女』
「・・・・・いや、わかってるけどさ。」
奈美は肩をすくめて、芽留の背中側に屈み込む。
鏡の中の芽留がチラッと奈美を見た。
「貸して。やったげる。」
芽留からブラシを受け取り、奈美は芽留の髪を整えてゆく。
じっと鏡を見る芽留が、また携帯をいじる。
『ふつうに 恩着せがましいぞ おまえ』
「普通ってゆうな!」
ブラシの毛で芽留の頭を一回叩き、奈美は手入れに戻る。
「先生も、二言目には フツー フツー って、さあ。・・・・・・なんかの標的にされてるみたいだよ。」
ブラッシングを終えて、奈美は傍らにあったクシを手にとった。
「私も突っ込まれる隙があるんだろうけどさぁ・・・・・・そこまで狙わなくても良くない? うれしそーに、『普通ですね』
って言われると、普通にムカツク・・・・!」
そこまで言って、奈美は あっ! という顔をした。
芽留の手が携帯に伸びる。
「・・・だからゆうなっ!」
奈美はそう言って、芽留の髪にゆっくりとクシを流す。
「あ、そーだ、この前のホワイトデーの時もヒドくない? ふつ・・・・マトモにありがとうとか言えばいいのに、ホワイトライ
とか訳わからない事にしてさー・・・・・」
奈美の目の前に、芽留が携帯の画面を持ってきた。
『さっきから ノロケてんのか? うぜーぞ バカ』
「・・・・・・・・へ? え? なんで?」
奈美は、ぽかんと鏡越しに芽留の顔を見る。
『自分の事だろーが 気付け にぶい女!』
『気になってしょーがねーのな わかんねーのか 自分で気付け』
芽留は奈美の方を向き直りながら、髪をまとめてゆく。
奈美は、まだよくわからないような顔で芽留を見ていた。
「えっと・・・・・・・芽留ちゃん?」
『普通に気付けバカ やってらんねーな』
そう言って奈美の頭を携帯で軽く叩くと、そのまま立ち上がり、部屋を出て行った。
小刻みな、パタパタというスリッパの音が聞こえなくなっても、奈美はまだ困惑したままだった。
一人、窓辺の椅子に腰掛けて、奈美は窓から外を眺めていた。
(気になってしょうがない事って・・・・・・・・・何よ?)
片手を窓枠に乗せて頬杖をついたまま、奈美は考えていた。
(・・・・先生の事気にしすぎって事・・・・? そりゃあ、あんなネガティブな構ってほしがり、無視できるわけないと思う
んだけど・・・・・・・・・ま・・あ・・・私も人の事言えないかもだけど・・・!)
初めて先生と会った時の自分を思い出し、奈美は少し慌てた。
(・・・・・チョコあげたりもしたけど・・・・それだけだよ? そんな風に・・・・・・・そんなふう・・・・。・・・・私は・・・・え・・・ちょっ、ちょっとまって!)
まとまりそうになる思考に、奈美は少し顔を赤くして、大きく頭を左右に振った。
「あーもう! 芽留ちゃんのバカ! 変な事言うから・・・・・」
思わず大きな声を上げてしまう。
一拍おいて、奈美の携帯が鳴った。
『人のせーにして もだえてんじゃねえよ ブス』
奈美は思わず旅館の中庭を見て、脱力感に襲われた。
『凹んでんじゃねーよ ちょっとロビーまで来い』
「・・・・・・芽留ちゃん、あなたって・・・・・・」
奈美はしばらく窓枠に突っ伏して脱力していたが、やがてのろのろと立ち上がり、部屋を出ていった。
ロビーには人気はなく、がらんとしていた。
「・・・あれ? 芽留ちゃん?」
奈美はまわりを見回すが、芽留の姿はない。
首をかしげていると横手から声が掛かった。
「おや、日塔さん。」
ロビーのソファに先生が横になっていた。
氷嚢を額にのせているが、もう顔色は普段の状態に戻っていた。
「さっきは申し訳なかったですね。」
先生は起き上がって、腰を上げた。
「あ、いえ、いいんですけど・・・」
「・・・・・・何か飲みましょうか。お礼がわりにご馳走しますよ。」
先生はそう言って売店の方へと歩いてゆく。
「いいんですか? んー・・・じゃあ、コーヒー牛乳で・・・・」
先生はピタッと止まり、奈美の方を見る。
「・・・・え?」
「・・・・・普通ですね。」
「普通って言うなぁ!」
すっかりいつもの調子の先生からコーヒー牛乳を手渡され、奈美はロビーのソファに向かい合わせで座っていた。
「先生、もう大丈夫なんですか?」
「・・・・ああ、まだしばらく駄目ですねぇ、これは。・・・・あー、熱っぽいです、吐き気がします。」
そう言って寝転んだ先生を見て、奈美は微笑を浮かべた。
「かわいそぶりも、もう元通りですねぇ。」
先生は何も応えず、氷嚢を額にあてている。
「・・・・しかし、こんなところで、偶然みなさんと会うとは思いませんでしたねぇ・・・・・・」
「腐れ縁ってやつですよ。」
「・・・・・・・・普通な返事ですね。相変わらず。」
奈美はもう突っ込む気もなくなったように、力の抜けた顔になる。
「・・・先生ー・・・。私に『普通』っていうの、日課にしてませんか?」
「・・・・・・・まあ、強迫観念のようなものでしょう。」
「私が強迫観念と・・・!?」
ショックを受けた声を上げる奈美の方を向き、先生は悪戯っぽく笑う。
「まあ、楽しい面もありますよ。・・・・・・普通に。」
「・・・ああ・・・・・・もう・・・・いいですけど・・・」
奈美は疲れた声を上げながらも、先生に笑い返した。
ロビーにある玄関が開き、ドヤドヤと人が入ってくる気配がした。
みんなが帰ってきたようで、楽しそうな声が聞こえてくる。
「あ、みんなお帰りー」
「ひゃあ!」
先生の声に振り向くと、いつの間にか背後から、まといが絡み付いていた。
千里やカフカを筆頭に、口々に先生に突っ込みを入れ、先生は「熱があるので!」と言って、そそくさと立ち去る。
先生に付いて行く子や、ロビーでくつろごうとする子がいて、急に賑やかになった。
そんな普段の空気が流れる中、奈美は自分の中に広がって行く、空虚な部分を感じていた。
(・・・・・今・・私と話していたのにな・・・)
ぼんやりとそんな思いが浮かぶ。
少し、友達を疎ましく感じ、そんな自分に罪悪感を憶えた。
『デトックスしてこい ブス』
・・・メールが入った。
奈美はサッと立ち上がり、観葉植物の影にいた芽留の腕を取る。
「芽留ちゃんも一緒にいこうねー?」
そう言って芽留の返事を待たず、ずんずんと引っ張ってゆく。
『バカ やめろ バカ女!』
『今 髪 手入れしたばかりだぞ コラ!』
携帯の画面は見ず、困っている芽留を楽しそうに引っ張り、奈美は廊下を進んでいった。
「さー、温泉温泉!」
笑顔を浮かべて、
その胸のうちに、ドキドキする予感と、小さな不安を抱えて。
「・・・ヤー!!『\(>д<)/ 』」