また同じ夢を見ました。  
 
私の目の前には、先生のいつもの背中。  
その横に並び、手をつないで歩く少女。  
音も無く、桜色の風だけが吹き抜けてゆく場所。  
私は二人の後ろを歩く。 ついてゆく。  
少女は、振り返り先生を見る。  
銀色に光る髪留めが揺れた。  
途端にあの子の姿が掻き消えた。  
慌てる先生。  
そして、少し離れた場所から微笑む少女。  
先生は近寄る。だけど、近づけない。  
先生は走る。少女は立ったまま、  
その姿が遠く離れてゆく。  
私は走る先生を追いかける。  
やがて少女の姿は見えなくなり、この世界は色を失う。  
先生の叫び声だけが聞こえ、  
 
 
私は目を覚ましました。  
最初に肉眼で認識できたのは、天井に灯るオレンジ色の常夜灯。  
そして、鼓膜を震わして伝わる先生の低い呻き。  
私は飛び起き、自分の手を握り、自身に現実の世界を実感させる。  
そして、隣の布団で横になっている先生を見ました。  
切れ切れに苦痛の呻き声を上げ、両手は目の前の宙を漂い、苦悶の表情を浮かべていた。  
私は先生に覆いかぶさり、両手を押さえつけた。  
そのまま抱きかかえ、半身を起こさせる。  
口元から、逆流した胃液が伝い落ち、私はすぐに手で拭い取る。  
先生を抱えたまま、その背中を何度もさすっているうちに、落ち着いてきたのか先生の呻き声が止まりました。  
ゆっくりと布団に横たえ、私は先生の頭をそっと抱え込む。  
しばらくそうしていると、先生は薄く目を開けました。  
まだ夢を見ているのでしょうか。ぼんやりとした瞳は、焦点が合っていないようでした。  
「・・・・・・・・・・・常月さん。」  
やがて、私が分かった様子で、力無く微笑みかけてくる。  
私は先生の頬を優しくさすりながら、微笑み返しました。  
「もう少し、横になっていたほうがいいです。」  
私の言葉に先生は小さく「・・・ええ」とうなずいた。  
その言葉に安心して、私は隣に横になる。  
先生は天井を向いたままだったけど、私は横を向いて先生の顔を見ていました。  
「・・・あなたは眠らないのですか?」  
「・・・・ここで先生をみてます。」  
「・・・・・そうですか。」  
先生は瞼を閉じたが、恐らく朝まで眠らないでしょう。  
ここ最近はずっと・・・・・・・この繰り返しだから。  
私は先生の唇に触れたくて手を伸ばし・・・・・・・・途中で戻した。  
指が空を掴む。  
夜明け前、空気に冷たい匂いが混じり始めているように思えました。  
 
 
 
あれから・・・もう、半年と少し。  
先生は、辛い思い出のある街を去ることに決め、もちろん、私は先生についていきました。  
遠く離れた片田舎の町。  
そこの高校で教鞭を振るう事に決まった先生と、当然のように転校してついて来た私。  
先生は困ったように笑ったけど、何も言わなかった。  
ここの生活でも、私は片時も先生のそばを離れずに暮らしていました。  
『生きる努力をしてみます』  
そう言った先生は、その言葉に偽りの無い日々を送っていました。  
 
私が時々みる夢。  
先生は毎日のように見る夢。  
そこでだけ、最愛の少女に逢う事が叶い、・・・・・・・でも。触れる事は叶わない、残酷な夢。  
・・・・・・・悪夢じゃないですから。  
取り憑かれたかのように、繰り返し同じ夢を見続ける先生は、何度もそう言っていました。  
『先生を連れて行かないで・・・・』  
私は夢の中の少女に、ただひたすら懇願していました。  
自分の夢にうなされ、ひどく憔悴して夜中に目を覚ます。  
そんな日々が続いていました。  
私にできる事は、身の回りのお世話と、祈る事くらい。  
・・・以前の私は、「死」へ向かおうとする先生を止めていた。  
でも、今の私は何をしているのでしょう?  
歯を食いしばるように懸命に生きようとする先生に、私は何をしてあげられるのだろう?  
毎夜苦しみ、疲れ果てても、逃げない先生を見続けていました。  
少しでも、気休めでも、力になれたら・・・・・・  
そう思い、先生のそばに居続け、  
その日は突然、訪れました。  
 
私の方に・・・・・・・限界が来てしまっていたようでした。  
 
 
この街で初めて迎える冬。  
ちょうど一年。  
雪がちらつけば、やはり、思い出してしまう事。  
そんな不安に押しつぶされるような夜でした。  
私は初めて、先生と一緒に眠りについてました。  
「今日は、寒いですから。お願いします。」  
強引に押し切り、困惑する先生を抱きしめて眠りにつきました。  
先生の体温は温かだったはずなのに、私の心は凍りつくような恐怖で満たされ、いまにも手足が震え出しそうだった。  
先生の腕に、脚に、自分の両腕、両足をしっかり絡め、絶対に離さないつもりでした。  
うつら、うつらとしながら時間が過ぎてゆく。  
そして、また同じ夢を見ていました。  
 
同じ夢、  
手をつなぐ少女と先生。後ろにいる私。  
一つ違ったのは、離れてしまった少女を追いかけようとした先生の手を、私がしっかりと握っていた事。  
先生は走り出す事が出来ずに立ちすくんでいる。  
『行かないで・・・・』  
音の無い世界で、私の声だけが聞こえた。  
少女の姿は微笑みを浮かべたまま、遠ざかってゆく。  
先生は追いかけられない。・・・・・私が、離さないから。  
私は遠くなって行く少女の姿を見ていた。  
いつもと変わらない微笑み・・・・・・・なのに、何でだろう?  
とても寂しそうに見えるのは。何故だろう?  
そして私はなぜ泣いているの?  
・・・・・・・そうか。  
私が先生を離したら・・・・・・私は一人きり。  
・・・あなたは、先生がそばにいないから・・・・・・一人きりで、・・・そこにずっと。  
 
・・・・・私が、あなたを、一人にしている。  
 
目が覚めたとき、私は自分の全身に鳥肌が立っているのがわかりました。  
硬直した手足を、そっと、先生を起こさないように剥がします。  
先生は・・・・・・・今日はまだ、うなされる事なく静かに寝息を立てていました。  
先生、私、わかりました。  
二人は、やっぱり、一緒にいないと駄目なんだって事が。  
・・・ずっと、仲のいい先生たちを見てきた私には、それが当たり前であることが。  
 
私は、静かに起き上がりました。  
本当はずっと分かっていました。先生たちと、私が、ここから開放できる方法。  
簡単な事なのは分かっていました。  
押入れを静かに開け、奥にあったカバンを引っ張り出しました。  
先生が私にくれた物です。  
中から、そっと、練炭を取り出しました。  
部屋は外の冷気が入らないよう、夜は閉め切ってありました。  
ゆっくりとマッチを擦り、火をつけます。  
炭の燃える匂いが部屋に広がり始め、私はカバンの中にある瓶を取り出し、フタを開けました。  
円卓の上に置いてあった水差しを手に取り、瓶から取り出した錠剤を少しずつ口に含み、噛み砕きながら水で流し込んでゆきます。  
ゆっくりと、ゆっくりと、その動作を繰り返し、やがて瓶の錠剤が半分ほどになった頃、私は水差しを置きました。  
そして先生の隣に寄り添い、目を閉じました。  
私はいつしか、子守唄を口ずさんでいました。  
誰のためなのか・・・・・わからないけど。  
先生・・・・・もうすぐ、あの子に会えますよ・・・・・  
でも、私も寂しいから、ついてゆきますね。・・・いいですよね?  
体の周りに暗闇が広がってゆくのがわかりました。  
怖くはなかったです。  
ずっと、先生の鼓動と、自分の鼓動が聞こえていたから。  
せんせい・・・・・私・・・・・愛してる・・・って、言い過ぎてましたね。  
・・・・・こんな時に、一度だけ言えれば良かったんですね。    せんせい・・・・・・。  
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・  
なんだろう?  私、いま、どこにいるの?  
まっくらです。何も見えない・・・・・何も無い・・・・・私一人なの?  
 
・・・・笛?   笛の音が・・・・・・  
だれ?  可符香さん? どうしたの? 先生は・・・・・・・あれ、どこへ行くの?  
何? この笛の音? だんだん大きく・・・・・・・  
先生・・・どこ・・・・? どこにいるの? 一緒に行きましょう。・・・可符香さんが・・・・まってます・・・・・よ・・・・・・  
 
 
 
笛の音が段々大きくなり、それが笛の音ではない事に気がつきました。  
聞こえているのは、規則正しい電子音・・・・・・・    
あれは何? 浮かんでいる・・・・? あ、そうだ、あれは点滴のパック・・・・・・・ 点・・滴・・・?  
私は、ようやくはっきりしてきた意識で、おぼろげに自分の姿を確認できました。  
何これ? 腕に紐みたいなものが刺さって・・・・・・  
口元には・・・マスク? 息は楽だけど・・・・・  
「・・・常月さん。」  
あ・・・先生! そこにいたんですね。 ここ、どこですか? ここは・・・・・・  
・・・・・私は急速に鮮明になってゆく頭の中で、次々と記憶がフラッシュバックしてきました。  
薄暗い部屋。  
ガラスの水差し。  
手のひらに転がる白い錠剤。  
奥歯がガチガチと音を立て、全身に震えが走りました。  
「・・・・わ・・・わたし・・・・先生を・・・・先生を・・・・・自分で、先生を!!」  
「・・・常月さん! 落ち着いて!」  
いやぁぁぁぁぁっっ!!!!  
声にならない悲鳴を上げたのが自分でわかりました。  
やけに冷静な自分がいました。  
私は、今から壊れていくんだな・・・・と。冷静に見ている自分がいました。  
「また私を一人にする気ですか!!」  
・・・・・・・あ・・・・・  
いまの声・・・・・先生・・・・・?  
気がつくと、先生の顔がすぐ近くにありました。  
「あなたまで無くしたら、私はどうなります!?」  
波が引くように、臨界点まで達しようとしていた鼓動が、おさまってゆくのがわかりました。  
でも、気持ちが混ぜかえった状態で、どうしたらいいのか・・・・  
笑うのがいいの? 泣くのがいいの?  
「・・・せん・・せい・・・。私、どうしたらいいのか分からない。」  
先生は私の手を握りました。  
「・・・・・・・私に、腹を立てる所ではないでしょうか。」  
「・・・・・どうして?」  
そう・・・どうしてだろう。  
「・・・あれだけ、あなたを突き放しておきながら・・・・あなたの気持ちを考えもしないまま、放っておきながら、あなたが  
こんなになるまで何もしない人間ですよ? 当たり前のように、あなたの気持ちがあると思って、自分の世界に閉じこも  
っていた卑怯者ですよ・・・・私は。」  
「・・・・・・・だって・・・ついて来たのは私の・・・・・」  
先生は首を振って、うな垂れた。  
「・・・私はそれに甘えているのです。」  
甘えてほしくて・・・・、私によりかかってほしくて、ずっとついて来たんですよ?  
でも、・・・・・・・先生の命を、粗末にしようとしたんですね・・・・・私が・・・  
口に出そうとして、でも言いよどんでしまう言葉が、ぐるぐると頭の中を回っていた。  
「・・・・先生が・・・助けてくれたんですか?」  
何とか言葉になったのは、その質問でした。  
先生は少し青い顔でうなずきました。  
 
「・・・・ええ。練炭の燃える匂いで飛び起きました。」  
・・・そして先生は、薬瓶の横で眠る私を見たんですね。  
どんな・・・・思いをさせてしまったのか。  
「・・・・・先生、未遂経験は豊富ですからね。匂いには敏感になったのですよ。」  
少し苦笑しながら、そう説明する先生。  
そうだった。  
誰よりも、死を恐れていた先生でしたよね。  
私は微笑んだつもりだったけど、透明なマスクは少し曇っていて見えなかったかもしれない。  
ようやく先生の顔を見れる余裕もでてきました。  
「・・・先生・・・・・泣いていたのですか?」  
先生は少し焦って頬にある涙の跡をこすった。  
「恥ずかしながら・・・取り乱してしまいましたよ。」  
「・・・ごめんなさい。」  
私は握ったままの先生の手を強く握りしめる。  
「もう、こんな事しません・・・・・・ごめんなさい・・・先生。」  
先生は優しく私の頭をなでました。  
「・・・さ・・・もう少し休みなさい。・・・安心してください。もう、ヤマは越えたそうです。」  
私はうなずいて、  
「・・・先生。ずっと、ここに居てくれますか?」  
「・・・・・ええ。そのつもりです。」  
「絶対・・・?」  
「もちろん。」  
「ずっと・・・・?」   
そんな言葉を繰り返しているうちに、私は再び眠りに落ちてゆきました。  
・・・夢を見たかどうかは、憶えていません。  
 
 
それから、数日が過ぎたと思います。  
・・・あまり記憶が定かではなかったので、はっきりとは分かりませんが。  
私は、順調に回復し、明日には退院できるとの話でした。  
 
「転校・・・・・ですか?」  
先生の言葉を、私はそのまま繰り返しました。  
「・・・やっぱり、今回の事で、ですね・・・・・?」  
それはそうでしょうね。  
私は質問しながらも自分で納得していました。  
ただでさえ、自分の教え子と暮らしている教師が、問題を起こしたと見られてしまう訳ですから。  
「いえ・・・確かに私も転任する事になるでしょうが・・・・・。そうではないです。転校、と言ったのは・・・・・・・・・常月さ  
ん、あなたの事で。」  
一瞬、先生の言葉が理解できませんでした。  
何ソレ? 私だけが転校するって、何?  
「・・・嫌です。だったら退学してもいいです! 私・・・・」  
声を荒げた私に、先生は首を振りました。  
「学校側の措置ではなくて・・・・・これは、私が判断した事です。」  
先生は真剣な声ではっきりと告げました。  
今度こそ、私は言葉を失いました。  
「・・・ど・・・・どうし・・て、ですか・・・。だって・・・・先生は、私が必要だ・・・って言ってくれた訳じゃなかったんですか  
? 嫌・・・・・嫌・・・・です!」  
興奮して、ただ「嫌」と繰り返す私に、先生は静かに言いました。  
「自分が寄り掛かるためだけに、あなたを必要とする事はしたくないんです。」  
「そんなの・・・・・私は、先生になら・・・・・」  
先生は、手を私の頬に触れて、私の言葉を止めました。  
「常月さんの人生は・・・・私が全てなんでしょうか?」  
「はい。」  
私は即答して頷いた。  
考えるまでもなく、そうだから。  
でも、先生は困ったような笑いを浮かべた。  
「それではいけません。・・・私も人の事は言えませんが、もっと他の事が、あなたの中にも、外にも、あるはずです。  
それを、考えて下さい。先生も、そうします。だから・・・・・」  
先生は私の髪を優しく撫でた。  
 
「今は、離れた方がいいんです。・・・忘れろって言ってる訳ではありませんよ? ・・・・忘れられたら先生が寂しい  
ですから。・・・・・ちょっと勝手な言い方ですが。」  
先生以外の事?  
考えられるの? 私に?  
「・・・先生も、そうするのですか?」  
「はい。・・・・・忘れられる物ではないですけどね。・・・・でも、忘れないまま、他の事を自分の中に入れてみますよ。」  
私は先生の目を、真っ直ぐに見た。  
「私の事も・・・・ですか?」  
先生は小さく笑いながら頷いた。  
「あなたが私を想ってくれる事、目をそらさないようにします。・・・いつか、二人に、答えが出せるように。・・・・・こん  
な、どうしようもない私でも、想ってくれた事に・・・・・私は答えたいのです。」  
二人・・・・・そうだ。  
私も、それが心に重石となっていたんだ。  
可符香さんから・・・先生を取り上げてしまうから。  
完全に、一人に、してしまうから・・・・・・・  
 
 
しばらく、静寂が訪れました。  
先生が私の言葉を待っているのがわかる。  
答え・・・・・言葉・・・・・私にとっての答えは・・・・  
「・・・・約束してくれますか?」  
そんな言葉が私の口から出た。  
先生はうなずき、次の言葉を待つ。  
「絶対・・・・一日一回は、私の事、考えてください。そして・・・・」  
泣いたらだめ。  
でも、泣きそうになる。  
「・・・・・死・・・・・なないで、下さい。絶対に! ・・・・・・ちゃんと生きてるって事、私に伝わるように、して下さい・・・」  
先生は少し間を置き、深く頷いてくれた。  
「約束しますよ。」  
そういって、ふわりと包み込むように私を抱きしめた。  
 
 
そうして、先生は行ってしまったのです。  
一人、病室に残った私は、例えようもない孤独感に取り付かれ、この一年の先生との暮らしが次々と思い出されてきました。  
一緒に暮らしていた部屋。  
エアコンが無くて、窓を全開で眠った夏。  
小さい円卓で寄り添って食べた食事。  
おそろいで買った箸。  
同じような事が繰り返される毎日だったけど、先生のそばにずっと居れた日々。  
 
私は、先生と離れて生きて行けるのでしょうか?  
ベッドの上で、一人。ひざを抱えて考え続けていました。  
答えは・・・・・・・・わからないままです。  
 
 
 
 
「先生、さよならー。」  
「また、あしたー。」  
下校時刻が過ぎて、校舎の中は、にわかに騒々しくなりました。  
でも、日が傾くころには、再び、静けさを取り戻し、  
私は、一人、廊下を歩いていました。  
昨夜は少し雪が降り、その名残が、まだ中庭にあるのが見えます。  
ぱたぱたと、足音が近づいてきます。  
「・・・ああ、常月先生。いまお帰りですか?」  
甚六先生でした。  
私が学生の頃から少しも変わらない、柔和な笑顔で話しかけてくれます。  
智恵先生が退職された後、私が替わりとしてSC室を担当する時も、甚六先生が後押ししてくれました。  
「お疲れ様です。・・・戸締りですか?」  
「ええ。いま確認しおわった所ですよ。」  
そう言って私の横に並びました。  
「・・・あ、そうそう、コレ、見てくださいよ。」  
甚六先生は携帯を取り出して、画面を私に見せます。  
「・・・あら。赤ちゃんですか?」  
「そうなんですよ、初孫が生まれたと、娘からメールがきましてねぇ。・・・いやあ、可愛いもんですなぁ。」  
目尻を下げながら、嬉しそうに次々と画像を見せてくれます。  
私の「おめでとうございます。」の言葉も聞こえないくらい、夢中になってました。  
「あ・・・すいません、ちょっとはしゃぎすぎましたな。」  
そう言って頭をかく姿を見て、私は思わず吹き出してしまいました。  
「・・・・あら・・すみません。こんな時、先生が居たら、また何か言い出すんだろうな・・・と、思ってしまって。」  
私の言葉に、甚六先生は、ポンと手を叩いた。  
「おお! そういえば、明日、行かれるのですね? 有給は取られましたか?」  
「ええ。大丈夫ですよ。ありがとうございます。」  
先生は携帯をしまって、私の方を向いた。  
「気をつけて。あ、糸色先生にもよろしく。」  
そう言って、少しスキップを刻みながら甚六先生は去ってゆきました。  
『年忘れですよ!』  
思わず先生の言葉が思い出され、私はクスリと笑いました。  
 
 
 
雲ひとつ無い、澄んだ寒空の下。  
蔵井沢の駅から歩く事、小一時間。  
小高い丘の上に私はいました。  
手には、ささやかだけど、選んで作った花束と、今年は小さな袋に入ったキャンディー。  
沢が一望できるその場所に、真っ白な墓碑が立っていました。  
彫られた墓碑銘の横には、誰かの置いた花束が風に揺れていました。  
「・・・・やっぱり今年も先生が先ですか。」  
ちょっと苦笑して、私は花束と袋をその横に置きました。  
目の前の大理石に少し会釈します。  
「あのね・・・・・可符香さん。甚六先生に初孫が生まれたって。先生にもよろしくって。」  
その上に積もった雪を軽く払いながら私は話かけます。  
もちろん、答える者はいません。  
風が針葉樹のこずえを撫でる音だけがしています。  
私はしばらく空を見上げていました。  
「ねえ。可符香さん、先生のどんな所が好き? 後ろ向きなとこ? 悲惨なとこ? 不器用なとこ?」  
そこまで言って、私は溜め息をつきました。  
「・・・私はね、よくわからない。・・・・・ただ好き。それだけなの。それだけでも、ずっと、気持ちは変わらないの・・・・  
いまでも眠れない時もあるくらい。・・・・時々、一晩中泣いちゃうくらい・・・・・・」  
すこし言葉を切りました。  
「可符香さん。・・・そろそろ・・・私・・・先生の事、もらってもいいかな・・・・・。幸せに・・・なりたい。また、ずっと、先生と  
一緒にいたい。ずっと・・・・ずっと・・・・・・一緒に・・・・・・」  
私はいつの間にか泣いてました。  
慌てて涙を拭い、私は立ち上がります。  
「・・・・あ! 先生を幸せにしたい、が、抜けてたね。」  
そう言って苦笑を見せた。  
「ふふ・・・失敗、失敗。まだ、だめね。」  
そう言って、白い墓碑に手を振りました。  
「・・・・じゃ、また、来年くるね。先生によろしく・・・・・」  
言い終わる前に、少し強い風が私のそばを通りました。  
風は大理石の上にあった二つの花束を転がし、その下にあった物が見えました。  
あれは・・・・・・何?  
先生が持ってきただろう花束。その下にあったのは、手紙の白い封筒でした。  
石の隙間にはさんであるそれを手に取りましたが、中身は入っていないようでした。  
首をかしげ裏返してみると、そこには、見覚えのある文字で、  
 
今度は 私から 会いにゆきます  
 
考えなくても、誰かは分かりました。  
私は、可符香さんの墓碑の前に座り込んでしまいました。  
一度、止まった涙がまた溢れ出します。  
涙で霞んで見える白い墓碑を私は見つめました。  
「・・・ありがとう。可符香さん。」  
それだけ言い、私は墓碑を抱えるように泣きました。  
嬉しくて、切なくて、胸が痛みます。  
一人じゃなくなる事と・・・・・・一人にしてしまう事に。  
 
 
 
 
携帯が鳴りました。  
履きかけのパンプスに急いで足を通すと、私は歩きながら通話ボタンを押します。  
「もしもし? あら。え、もう入園式は終わっちゃったの? 今どこ? うん。分かった、ちょっと待っててね。はーい。」  
私は小走りで、学校を出ました。  
今日は娘の入園式・・・・だったのに、こんな日に限って、何だかんだで休めずに、せめて早退して遅れて行くつもりだったのに・・・・・  
私は心の中で、こぼしながら、満開の桜並木の中を急ぎました。  
そよ風が、花びらを運んでくれて、あたり一面を桜色に染めます。  
・・・お昼は、外で食べるのもいいかもね。  
そんな事を考えていると、娘と、先生・・・・・・主人の姿が見え。  
私は思わず立ち止まる。  
 
それは、いつか、繰り返し見た夢に似て  
桜色の風  音も無くそよぐ  
先生と少女の背中   
二人、手をつないで・・・・・・  
 
不意に、少女・・・・娘が振り向き、  
「あ! ままですよ! ままーーっ!」  
私に気がつき、走り寄る。  
まだ頭でっかちで、ちょっと転びそうになりながら走り寄る娘を、私はしゃがみこんで迎える。  
「おかえりなさいでした!」  
私の胸に飛び込み、元気な声を上げました。  
 
娘の頭を撫でてやると、嬉しそうに微笑みます。  
ふと、私の横に先生が来ていた。  
いつもの柔らかい笑顔で私達に微笑み・・・・・・手を伸ばして、娘の前髪に、一本の髪留めを通した。  
銀色に光る・・・・・・・髪留め・・・・・  
これは・・・・・・・・・  
呆然としている私の前に、先生の手が差し出され・・・・・  
その上には、同じ髪留めが一本・・・・  
私は、意識せずにそれを手に取り、不思議そうな顔を浮かべている娘の前髪を撫で上げ、  
先の髪留めと交差させるように髪に通しました。  
 
・・・ずっと、心の中に積もっていた気持ち  
 
「これ、なんですかー?」  
不思議そうに、先生と私を見る娘。  
「お守りですよ。私と、まといさんからの。」  
私の背に手を回し、先生が穏やかに娘に告げた。  
 
・・・あの子を孤独にしてまで得るもので、それを幸せと言えるのか  
 
「うん・・・お守りよ。似合うわ・・・・・」  
私は、たまらなくなって娘を抱きしめた。  
頬を伝う涙が暖かい。  
 
・・・先生が前に言った事、二人に答えが出せるようにと  
 
「まま? 泣いてますよ?」  
「うん・・・・桜が綺麗すぎて、泣けてきちゃった・・・・」  
娘は嬉しそうに、私の顔に触れた。  
 
・・・見つけてくれた。ここに・・・・約束した、答えを  
 
「ぜつぼーしたー! きれーで、ぜつぼーしまったー!」  
まだ、舌足らずな言葉でそう叫んで、私は思わず吹き出しました。  
先生は明後日の方を向いていましたが、目が笑っているのがわかります。  
 
・・・先生は、いないと言っていたけど  ・・・神様がいるなら、感謝します  
 
たくさん・・・いろんな所に行こうね。  
いっぱい遊ぼうね。  
ずっと・・・そばにいるから。  
私たちは、ずっと一緒に。  
 
・・・私たちを、出会わせてくれてありがとう  
 
娘を抱く私を、先生の腕が包み込みました。  
「・・・おかえりなさい。」  
私と・・・・・この子に・・・・・  
私は娘を強く抱きしめました。  
 
「おかえりなさい・・・・・!」  
 
桜の大樹の下  
舞い散る花びらに包まれていました  
私たちは・・・ずっと  
 

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