霧のような小雨が降りつづく。  
まだ暗い景色を淡く照らす街灯の灯りは、ぼんやりと滲んだ色を窓ガラスに映していた。  
(・・・・・・暖かくなったという事ですね。)  
先生は外を眺めながら、窓を濡らす雨を見ていた。  
部屋の中には明かりもつけていない。  
暗い部屋の中に目をやると、畳の上に敷かれた布団にくるまり、寝息を立てている姿が見えた。  
小さな布団の塊が一つ、それよりさらに小さな塊が一つ。  
その横に、丁寧に畳まれた布団が一組。  
しばらくその姿を見ていた先生は、やがて、足音を立てないようにゆっくりと部屋を横切った。  
入り口の戸の前で屈み、静かに履物をつけると、そこに置いてあったカバンを持ち上げた。  
(・・・・・・・・・・・・・)  
先生は振り返ると、無言で、部屋の中に向かい軽く会釈をすると、そっと戸を開け外に出た。  
音も無く戸が閉まる。  
部屋の中には、変わらない静寂の中で、寝息が二つ聞こえていた。  
 
 
宿直室を出た先生は、薄暗い廊下を一人、進んでいた。  
廊下の窓は暗く、映るのは歩く自分の姿だけ。  
先生は、窓から目をそらし歩いてゆく。  
職員用の玄関に辿り着き、ゆっくりとドアノブを回す。  
開いたドアから、湿気の混じった外気が入りこむ。  
先生は外に出ると、すぐにドアを閉めた。  
まだ寒い朝の空気が、たちまちその身を包んだ。  
「・・・・・ふぅ・・・・」  
先生が一つ溜め息をついた途端、服の裾を強く引かれ、先生は後ろによろめいた。  
「・・・どこへいくんですか?」  
声に振り返ると、そこには厳しい目をしたまといが、いつもの袴姿で立っていた。  
どのくらいここにいたのか、その髪は湿気を吸い、少し重苦しく垂れている。  
「常月さん・・・」  
「・・・どこへ、いくんですか。」  
まといは先生を強引に壁に押し付け、襟元を掴んでにらみつける。  
「ちょっ・・・! 常月さん!?」  
まといは構わず、先生をさらに壁に押し付ける。  
「・・・・・どこへ・・・何をしに行くんですか? こんな朝から。」  
「・・・あ・・・・・実家・・・ですよ。ちょっと用事がありましてね・・・・・・」  
「うそです。」  
はっきりした、まといの一言に先生は言葉に詰まる。  
「こんな時間からですか? それに、誰にも何も言わずに?」  
まといはさらに先生に詰め寄る。  
 
「ええ・・・私の実家が遠いのは知っているでしょう? 今日中に帰ってくる為ですよ・・・・。わざわざ言う事も無いと・・・・・」  
「・・・・・・うそです・・・・」  
まといはキッと先生を睨むと、突然先生の懐に手を入れた。  
「あ・・・・・!」  
先生が止める間もなく抜き出したまといの手には、真新しい封筒が一枚握られていた。  
まといはその封筒を先生の目の前に突きつける。  
「これ、何ですか? ・・・新幹線のチケットなんじゃないんですか?」  
「・・・・そ・・・うですよ? それは、新幹線で行くつもりですから、別におかしく・・・・・・」  
「うそですっ!」  
まといは鋭く叫んだ。  
「・・・じゃあチケットの行き先が違うのはなぜです? まったく逆方向なのはなぜです? ・・・・・その行き先から、どこに行くのか  
私が気が付いてないと思います?」  
先生は目を伏せ沈黙した。  
「・・・・・・・先生が前から集めていた資料の中にありましたよ。・・・自殺の名所が近いですよね? 観光にいくような季節でもない  
ですよね? 先生! 答えて!」  
先生はまといから目をそらして苦笑を浮かべた。  
「・・・私が死にたがるなんて、いつもの事でしょう?」  
まといは激しくかぶりを振った。  
「違います! 全然いつもと違います! ・・・先生は、こんな、誰も見つけられないような場所を選んだ事、無かった! うそもつかなかった!」  
まといは、高ぶる感情を抑えられないのか、しだいに張り上げる声が高くなってゆく。  
「もう全部捨てて、後を追うつもりだったんでしょう!? あの子の!」  
まといの指摘に、先生は表情を強張らせる。  
顔だけはそらしたまま、視線でまといの顔を見た。  
「・・・・・・なぜそこまで知ってます?」  
先生はそう言って、まといが握っている封筒を見た。  
まといは先生の視線を受け止める。  
「・・・全部知ってます。どこでこの場所を調べたのかも。チケットを取ったかも。いつ、行く予定にしていたかも全部!」  
そう言って、まといは自嘲気味に笑った。  
「・・・・・・・・構いませんよ、軽蔑されても。・・・先生にとって、私はストーカーでしょう? いまさらじゃない!!」  
まといは言葉を吐くと同時に、先生を壁に押し付けた。  
先生は驚いてまといを見つめる。  
まといの唇が、笑みのかたちに吊り上がった。  
「ずっと、つきまとってやるんだからね。・・・私からは逃げられませんからね。一生、ずっと! 死ぬまで! 死んでも!」  
先生を壁に張り付け、その襟を掴みながら、まといは一気にまくし立てた。  
むなぐらを掴まれ、叫びと同時に何度も強く胸を押される。  
いつにない、まといのその迫力に、先生は言葉を無くし、呆然とまといを見つめていた。  
 
・・・ふと、まといの動きが止まった。  
先ほどまでの狂相は消え、大きな瞳は虚ろに先生の姿を映している。  
まといの唇は震えていた。  
「・・・・・何で・・・・・・・・ですか・・・・」  
笑みを浮かべたままだったまといの表情が崩れ、喉から、かすれた声が絞りだされた。  
「・・・・・・・何で、考えてくれないんですか。・・・・生きようと、考えてくれないんですか・・・・・」  
「・・・・・・常月さん?・・・・・・」  
先生の声がきっかけだったかのように、まといの瞳から涙が湧き、頬をつたってこぼれてゆく。  
「・・・わかってるはずです、先生は・・・・。残される事がどれだけ辛いかは・・・・・・・! 知ってる・・・・・はずです・・・・・」  
さっきまで先生を捉えていた手は離れ、すがりつくように、その着物の端を握っていた。  
「・・・・お願い・・・・・先生・・・・・生きてよ・・・・・・生きていてよ・・・。・・・私の事、嫌いでいい・・・・・疎ましがってもいい・・・・・・。・・・もう、近寄ら  
ないでって言うならそうします・・・・・・・。だから・・・・・・・・・」  
まといは力を使い果たしたように、がくりと膝をついた。  
「・・・・・死なないでください・・・・・お願い・・・・。・・・残して行かないで・・・・・・。・・・・私を・・・一人にしないで・・・下さい・・・。」  
うなだれ、地面に座り込んだまといは、押し殺した声で泣いていた。  
「・・・・・お願い・・・・・・・・」  
繰り返す嗚咽の中から、それだけが聞こえた。  
 
 
やがて、まといが落ち着いた様子を見て、先生はまといの手を取り、ゆっくりと立ち上がらせた。  
まといは片方の袖で顔を覆い、目をこすっていた。  
「・・・・・風邪をひいてしまいますよ。中に入りましょう。」  
「・・・いやです・・・・。先生が約束してくれるまで、ここにいます。」  
まといは袖で顔を覆ったまま、首を振った。  
先生は少し困ったように、笑った。  
「・・・約束はできません・・・・・。」  
先生の言葉に、まといはハッと体を強張らせた。  
「・・・・・ですが・・・・・努力はしてみます・・・・・・。もっとも・・・いつまで続くかは、約束できませんですが・・・・・」  
先生の笑みが苦笑に変わった。  
まといは、袖の向こうから少し顔を覗かせた。  
「・・・大丈夫です。止めてみせますから。・・・・私が、必ず。」  
そう言って、にっこりと笑いかけた。  
先生はまといの笑みを見て、少し苦しそうな表情をした。  
「・・・常月さん。」  
「はい。」  
まといは間をおかずに返事をする。  
先生の表情が、さらに辛そうな物に変わった。  
「・・・・・・私の心は、もう、変わる事は無いと思います。たとえ、このまま生きても、ずっと。・・・大切に思ったあの子の  
想いを抱えて、老いて行くだけでしょう。」  
まといは表情を変えなかった。先を促すように、静かに頷いただけだった。  
「・・・私自身が、そう望んでいるのです・・・・・・。それで、十分なのだと・・・」  
先生はそう言って、まといの手を離した。  
「・・・・・・あなたの気持ちに応える事は、できないのです。」  
まといは一瞬だけ目を閉じ、いつもの笑顔を先生に見せて答えた。  
「・・・わかってます。ずっと前から。・・・・・・私の入れる隙間なんて、二人の間には無いんだって事くらい。」   
「常月さん。」  
まといは口を開きかけた先生を手で制した。  
「いいんです。私はただ、先生について行きたいだけ・・・・・。先生を守りたいだけ・・・・・・」  
そう言って、小首をかしげて笑った。  
「それを、望んでますから。」  
先生は何も答えなかった。  
自分に笑いかけるまといを見つめ、言葉が出ないようだった。  
沈黙が訪れ、小雨が柔らかい地面を打つ音だけが鳴っていた。  
 
 
「・・・・・・・校舎に入りましょう。本当に風邪をひいてしまいますから。」  
先生は静かに口を開いた。  
まといは無言でうなずく。  
「・・・着替えは持ってませんよね? たしか、職員室のロッカーにあったと思いますから・・・・・。とりあえず、シャワーを  
浴びて着替えて下さいね。」  
「はい。」  
先生はドアを開けて、校舎に入る。  
まといは先生に続いた。  
「・・・じゃ、常月さん。先生について来て下さい。」  
先生が振り返らずに言った言葉に、まといは一瞬硬直した。  
背後で、ドアが閉まる音がした。  
先生はゆっくりと歩き出している。  
「・・・はい。」  
まといは少し遅れて返事を返した。  
(・・・・ずっと。)  
・・・少しこぼれた涙を拭い・・・・心の中でその言葉を加えた。  
 

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