ドアをノックする音が静かな部屋に響いた。  
「どうぞー」  
可符香は、視線をドアの方に向けて短く答える。  
「・・・おじゃましますよー。」  
遠慮がちにドアを開け、先生が顔を覗かせた。  
可符香は上体を起こし、ベットの上に起き上がった。  
「先生! 来てくれたんですね。無理言ってすみません。」  
先生は慌てて手を振った。  
「いや、いいんですよ。ちょっと職員会議が長引いてしまって、こんな時間になってしまいましたので。」  
そう答え、可符香の方に歩み寄る。  
「・・・お加減は・・・・どうですか?」  
病室に一つだけある丸椅子に腰を下ろしながら、先生は尋ねた。  
「大丈夫です! さっきまで皆も来てくれて、騒いでいたんですよ?」  
そう言っていつもと変わらない笑みを浮かべた。,  
先生は改めて可符香の顔を見た。  
少し・・・いや、大分痩せたように見える。  
「どうしたんですか? 先生。」  
可符香は小首をかしげ、尋ねた。  
「あ! いえいえ。何でも。・・・・風浦さんこそ、どうしたんですか? 遅くなってもいいから出来るだけ来て欲しいなんて。」  
可符香がこの病室に入ってから、およそ半年が過ぎていた。  
普段なら可符香は、こんな時間になってまで見舞いに来てくれと言った事もない。  
「んー・・・ 何となくです。」  
はぐらかすように悪戯っぽく微笑んだ可符香に、先生も苦笑を浮かべた。  
「・・・そと、寒かったですか?」  
可符香に聞かれ、先生は自分が外套を羽織ったままの事に気がついた。  
「そうですね。さっきまで、雪がちらついていましたから。まあ、積もるほどではないでしょうが。」  
そう言いながら、外套を脱ぎ、ベッドのパイプに掛けた。  
「雪? ですか? 気がつきませんでしたよー」  
可符香は残念そうに、カーテンに手を伸ばしてめくり、窓の外を覗きこんだ。  
空は厚い雲に覆われており、外の様子はよく見えない。  
かわりに、病室の様子がくっきりと窓に映し出されていた。  
窓に映った自分を見つめる可符香に気がつき、先生は思わず目をそらした。  
可符香はそんな先生に気がつき、小さく笑うと、こちらに向き直る。  
しばらく沈黙が訪れた。  
先ほどから、どうにもぎこちない雰囲気を感じて、先生は思い切ったように口を開く。  
「・・・可符香さん? 今日は、何か私に・・・・・・えー・・・」  
「何ですか〜? 先生?」  
可符香はそんな先生をからかうように、布団の中から出て、ベッドの端に腰掛けた。  
自然、可符香と向き合う形になり、先生は余計に言いよどむ。  
「・・・つまり・・・・・何か・・・」  
「先生に話しておきたい事・・・・・・そうじゃないですね。聞いて欲しい事があったので。」  
「・・・え?」  
その言葉に先生は、きょとんとした顔になる。  
「私に? ですか?」  
「・・・・・・・・・・私、ずいぶん前からこうなる事は知っていたんです。先生やみんなに会う前からです。・・・やっぱり、自分の事ですから。」  
そう告げて、微笑んだ可符香とは対照的に、先生の瞳には影がさした。  
「・・・そう・・・・ですか。・・・・想像もしませんでしたよ。・・・・・・いつも、前向きで明るくて、ちょっと度が過ぎる事もありましたが・・・・・・・」  
「・・・ホントにちょっとですかー?」  
「あ、いや、」  
慌てた先生に、可符香はクスッと笑った。  
「・・・毎日楽しかったのはホントですよ。・・・・自分の時間に限りがある、ってわかってからは、一日をとっても大事にしよう! って思えて。会う人みんなを大事にしようって。・・・・しょっちゅう度が過ぎてましたけど。」  
「・・・・・・・・可符香さん。」  
「ホントですよ? 嫌なことなんて何もなかったんです。・・・あ、でも、先生に会った時は、ちょっとショックでしたよ。」  
当時を思い出し、先生は思わず顔をそむけた。  
「先生はすごいですよ。やること全部が後ろ向きなのに、クラスのみんなから好かれてるじゃないですか。先生の事、気にしてない生徒なんていませんよ、ほんと。」  
先生は苦笑を浮かべた。  
「・・・褒め言葉だと思っておきますよ。」  
「決して褒めてはいませんよ?」  
間髪いれず切り返す可符香に、先生はカクンとうな垂れた。  
 
「・・・・たまには、褒めてください。」  
「いやだなぁ。先生は褒められるより、けなされるほうが似合うじゃないですか。」  
「・・・・・・いいんです、もう・・・」  
そう言って、自分の膝の上で「の」の字を書きだす。  
可符香はそんな先生をしばらく見つめ微笑んでいたが、  
そのまま、ゆっくりと立ち上がった。  
「ちょ、ちょっと、可符香さん!?」  
あわてて先生も立ち上がり、ふらつく可符香を支える。  
「どうしようというんですか!?  そんな体で!」  
座らせようとする先生の腕を制して、可符香は口をひらいた。  
「・・・お願いがあるんです先生。・・・・どうしても、お願いしたい事が・・・・・あるんです。」  
「お願いって・・・・可符香さん?」  
「・・・・・連れて行って欲しい場所があるんです。先生。」  
自分をまっすぐ見つめて話す可符香を、先生は思わず見つめ返してしまう。  
「・・・連れてく・・・・って、まさか今から・・・・・ですか?」  
可符香はコクリとうなずいた。  
「・・・・・その、病院には?」  
「・・・内緒ですよ・・・」  
そう言って、悪戯っぽい笑みを浮かべた。  
 
 
「・・・・まったく、何を言い出すのですか、あなたは。」  
背中に可符香をおぶって、先生はわざと愚痴っぽく呟いた。  
もう、真夜中だろう。人気など無い道を、ゆっくりと歩いていた。  
今夜は風が無いのが幸いだが、真冬の空気は服の上からでも容赦なく染み込んでくる。  
可符香はガウンと、先生の外套にくるまって、その背中にじっと頬を寄せていた。  
「・・・一人じゃもう出かけられないんですよ。だから先生に来てもらいました。」  
目を閉じたまま、可符香は悪びれる様子もなく答える。  
「・・・・・・・・・・寒いでしょう?」  
「平気ですよ。先生って結構暖かいですね。」  
からかうような口調の可符香に、先生はちょっと足を速める。  
「・・・・それで? どちらまで行きますか?」  
「先生・・・・・私と初めて会った時の事覚えてますか?」  
先生は苦笑を浮かべた。  
「憶えていますよ。ガブリエルのそばで会いましたね。・・・・・そこへ?」  
「・・・・もう一度、見ておきたいんです。・・・・本当は、花の咲く時がよかったですけど。」  
「また来ればいいじゃないですか。私でよければ連れてきてあげますよ?」  
「・・・・・・・ん。そうですよね・・・」  
つい、反射的に口をついて出た言葉だったが、あまりにも、他人行儀な慰めの言葉だった事に気がついた。  
・・・胸の中の、何かが軋む音がしたようだった。  
二人はそのまま、言葉は無く、静かに歩いてゆく。  
可符香は口元に微笑みを浮かべ、ずっと先生の背中に頬をよせていた。  
 
「・・・・この先でしたね。もうすぐですよ。」  
やがて、先生が目的地が近い事を告げると、可符香は目を開けて前を見つめた。  
先生の横顔越しに、その場所が見えてきた。  
「・・・・・・・え・・・・」  
ガブリエルが目に入った可符香は思わず声を上げてしまった。  
「どうしました?」  
「・・・咲いてます・・・・・ガブリエル。花をつけて・・・・・・ます。」  
「・・・まさか」  
ずっと足元を見ていた先生は顔をあげた。  
空は厚い雲に覆われて月明かりもない。離れた場所にある街灯の明かりが、かろうじてガブリエルの輪郭を浮かび上がらせていた。  
「・・・ええ・・・・っ!!」  
先生も声を上げた。  
わずかな明かりに浮かび上がったその大木は、自身が光を放つかのように白いその姿を見せている。  
呆然とする先生の背中から降りた可符香は、ゆらゆらと歩み寄る。  
「・・・・・・・咲いてます・・・・満開。」  
やがて、枝の下まで歩みを進めた可符香は、ゆっくりと振り返り先生に微笑んだ。  
 
(・・・・・これは・・・・・・・そう・・・・ですか・・・・こんな・・・・)  
先生は、背中にガブリエルの姿を携えた可符香の姿を見つめ、心の中で呟いた。  
その時、まるで地面から吹き上がるかのような風が吹き抜け、ガブリエルを包んだ。  
白い・・・・・花びらが空に舞い、ゆっくりと二人の上へと舞い落ちてくるように見えた。  
「・・・・・雪」  
小さく先生は呟いた。  
可符香は片手を空にかざし、そのひとひらを手に乗せた。  
白い、綿のようなそれは、手にふれ、手のひらを転がるようにすべり、また舞い上がった。  
それを、優しく可符香は見つめる。  
初めて見せる表情だった。  
透明な・・・・・透き通るような笑顔。  
それに魅入られたかのように、じっとみつめていた。  
可符香はそんな先生に気がつき、顔を向けた。  
・・・・・時間が・・・・・・止まりかけたように。  
ゆらりと・・・・・・可符香の体は傾いていった。  
「! 可符香さん!!」  
ハッと手をさしのべ、その体を受け止めた。  
「可符香さん!!」  
絶叫にも近い先生の声。  
背中に回した手から感じる可符香の鼓動は、  
ゆっくりとして・・・、まるで時を刻む秒針のように、伝えようとしていた。  
別れの時間が、近づいているという事を。  
 
 
可符香は先生に抱えられたまま、枝葉から静かに舞い落ちる雪を見ていた。  
先生はそんな可符香の顔から目をそらせなかった。  
腕から感じられる可符香の鼓動は、もう間違えようもなく緩やかになっていく。  
「先生・・・・何も言わずに、聞いてください。」  
可符香が口を開くと、先生は無言でうなずいた。  
「・・・私、ほんとは、いつも先生に腹を立ててました・・・・・・、いえ、・・・・憎んで・・・いました。」  
先生は可符香の言葉に息を飲んだ。  
その様子を見て、可符香は微笑みかける。  
「・・・・・・逆恨み・・・八つ当たりですね・・・。いつも死にたがってて、でも、ホントは死ぬ気無い先生を見てて・・・・・・腹が  
立ちました。・・・・・・じゃあ、私に少しでいいから、生きる時間をわけて欲しい。いらないなら、私が欲しい・・・・・なんで、  
いらないなんて言うの・・・・って。」  
可符香の瞳が潤んだ。  
「先生・・・私・・・・・・覚悟を決めてたわけじゃなかったんです。怖くて・・・・・・達観してるフリして、自分をごまかしてました。  
先生へ憎しみを覚えて・・・・初めて自覚したんです。」  
可符香は先生から目をそらした。  
「・・・冗談なんかじゃなくて・・・・・・本気で、死なせてあげる、って思った時もありました。・・・・・自分でも何してるか分かっ  
ていませんでした。・・・・・・・私は・・・先生を道連れに・・・・しようと・・・・・・してた・・・」  
可符香は、涙がこぼれるのをこらえているのだろう。喉の奥からしゃくりあげる音がした。  
先生は可符香の頭をそっとなでた。  
「・・・・・・・・気がついて・・・あげるべきでしたね。・・・・私の方が。」  
可符香は小さく首を振って笑った。  
「・・・先生らしくないですよ。」  
「・・・・・そうですね。」  
先生は、つられて笑みを浮かべた。  
時折、枝に積もった雪が、風に乗って舞い落ちる。  
落ちる雪を見ていた可符香は、ゆっくりと右手を動かす。  
「・・・・可符香さん?」  
可符香は先生に微笑むと、額の髪留めをゆっくりと抜き取り、先生に差し出した。  
「・・・・・これ・・・・もらって下さい。」  
「・・・大事な物、なのでしょう?」  
「だから・・・先生に・・・・・もらって欲しいです・・・・・・」  
先生は戸惑いながらも頷くと、可符香は先生の襟元に髪留めを差し込む。  
・・・・と、可符香が先生の首に両腕を絡ませて、すばやく顔を引き寄せた。  
「・・・・・・・!」  
可符香の唇が自分の唇に触れた事に気が付き、先生は思わず硬直する。  
・・・冷えた可符香の唇から、わずかに温もりを残した吐息が漏れ、自分の吐息と交じり、頬を流れていった。  
 
 
どのくらいの時間が経ったのか判らなかったが、やがて可符香はそっと腕を解いた。  
先生は少し自分の顔が火照っているのを感じ、微妙に目線をそらした。  
可符香は、その白い肌に、はっきり判るほど頬を赤く染め、目を薄く閉じて先生を見ていた。  
その額に、少し長くなった前髪がほつれかかる。  
先生は片手で、そっとその髪を撫で付けた。  
その先生の手を、可符香は両手でそっと包み込む。  
「・・・・先生・・・・私が生まれ変わったら、神様になるとか言っていた事・・・・・・・」  
突然の可符香の言葉に、先生はなんともいえない顔をする。  
可符香はクスッと笑った。  
「・・・・・・みんなを・・・大事な人達を・・・守るんだ・・・・って思ってたんです・・・・。でも、ちょっと変更・・・・・・・します・・・・」  
「・・・それは・・・」  
「・・・・・・・もう一度、私になりたいです。・・・・そしたら、先生・・・と・・・・・また会って・・・・・・」  
可符香の声が途切れがちになってゆく。  
「・・・・今度は・・・・・この場所で・・・・手をつないで・・・一緒に歩いて下さい・・・・」  
先生は、もう返事もできなかった。  
可符香を強く抱えたまま、その言葉を聞いていた。  
そして、かすれた喉から振り絞るように言葉を紡ぐ。  
「約束しますよ。可符香さん・・・・」  
可符香は安心したように微笑む。  
「・・・・可符香さん・・・・私は・・あなたに・・・あなたと会えて。・・・・・・・・あなたの事を・・・・」  
そこで言いよどんでしまった先生に、可符香は優しく答える。  
「先生・・・・・・・・・・ありがとう。」  
その言葉に、ハッとしたように、先生は可符香を見つめた。  
「・・可符香・・・さん・・・・・」  
先生は苦しそうな表情を浮かべていた。  
「・・・・先生・・・・・・・」  
可符香は微笑んだ。  
「・・・・ね・・・・・。笑って・・・・・・・下さい・・・・・」  
一瞬の躊躇の後、先生は可符香の瞳を見つめた。  
微笑を浮かべる。・・・可符香の瞳に自分の顔が映ったのがわかった。  
可符香は安堵したような、子供のような笑顔をみせた。  
・・・先生の手を包む可符香の両手が、ゆっくりと離れていった。  
 
 
「・・・可符香さん・・・・・・?」  
可符香は何も答えない。  
先生の腕の中で、ようやく安心したかのように、眠っていた。  
眠っているように見えた。  
可符香を抱きしめる。その体からは温もりが伝わってくる。  
それでも、可符香はもうなにも答えなかった。  
その途端に、怒涛のように後悔の念が押し寄せてくる。  
自分はまだ何も伝えていない  
わかっていたのに  お互いにわかっていたはずなのに最後まで言葉にしなかった  
可符香はもう行ってしまった  
ほんの少し前・・・・・まだ鮮明に思い出せるほど、ほんの少し前まではいたのに  
もうその声を聞く事はない。  
 
涙があふれてきた。  
可符香の笑顔の上に、しずくとなって伝い落ちる。  
「・・・神様なんて、いないんですよ可符香さん。・・・いるんだったらなぜです? あなたがこんな事にならなくてはいけない  
何をしたと言うんですか・・・・」  
可符香の頭を抱え、胸の中に抱きしめる。  
いまになって、いとおしさが体の中を突き抜けて昇ってくる。  
「・・・返事をして下さい・・・可符香さん・・・・・。わたしは、どうすればいいんですか・・・・。あなたがいなくなって、どうやって  
生きてゆくのですか・・・・・・」  
ざあっ・・・・・と風が鳴った。  
冷たい空気が吹き抜け、空からゆっくりと粉雪が落ち始めた。  
「・・・・・・・お願いです・・・・・私から・・・・・・可符香さんを取り上げないでください。・・・・大事な事を伝えさせてください。・・・・  
・・・・・・お願いですから・・・・・・・・・何とかして下さい・・・・・・」  
答える者はなく  
雪は降り続ける。  降り積もってゆく。  
音もなく雪が落ちる空に向かい、一人、祈り続けていた。  
 
 
・・・・・さっきまで、あの子がいた、その場所で。  
 

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