「珍しいわね」  
 いつものように登校し、カウンセリング室の受付箱を調べて新井智恵は思わずそう呟  
いた。箱の中には相談受付カードが1枚だけ入っており、氏名の欄には木津千里、相談  
内容の欄には「ご相談したいことがあるのでお願いできますか。」とだけ几帳面な字で  
書いてある。  
 そもそも二年へ組の生徒から相談の申し込みがあったことが今まで一度もなかった。  
担任である糸色先生だけはしょっちゅうカウンセリング室に現れては相談とも愚痴とも  
つかぬ話をして帰るのが日課のようになってしまっているのだが。  
 普通なら担任を通じてカウンセリングの日時を生徒に伝えるのが手順だが、何かそう  
しない方がいいのではないか、という勘が働いて直接会って伝えることにした。  
 
 放課後に教室から出てくるところを捕まえるつもりで、6限目が終わる少し前にへ組  
の教室に向かった。水曜日の6限はホームルームで、想像していたとおり、教室の中は  
蜂の巣をつついたように大騒ぎである。またいつものように糸色先生の無茶な授業で大  
混乱といったところなのだろう。教室の近くまで来るとちょうど木津が司会となって何  
かを話しあっているところのようだった。  
 「マ太郎、授業中中に走り回らない! 赤木さん、本当にその出し物でいいんですか  
?!」木津が声を張り上げているのが聞こえる。戸の小窓から覗くと、糸色先生は壁に  
頭をこすり付けてなにやらぶつぶつ呟いている。  
 「どっちが先生だかわからないわね」思わず笑みがこぼれた。  
 ちょうど授業終了を告げる鐘が鳴り、間髪を置かずに生徒達がどかどかと出てくる。  
木津も出てくると、すぐに新井に気づき、ちょっと緊張した様子で近づいてきた。  
 「木津さん 明日の放課後でいいかしら」  
 「はい、大丈夫です。」  
 「そう じゃあ明日お話しましょう」  
 どんな相談内容であるのか少し訊いておいたほうがいいのかとも思ったが、他の生徒  
達もいる手前、短くそう言うと教室を離れた。  
 
 
 その日は特に忙しいこともなく、カウンセリング室でちょっとした書類仕事をしてか  
ら家に帰った。もともと都内でもかなり上位の進学校であり、深刻な問題などほとんど  
起きたことがないし、はっきり言えば暇な仕事であった。  
 新井は非常勤の教師である。給料もそんなに良いわけではない。学校の近くに安いア  
パートを借りて住んでいるが、そこの家賃でさえ払ってしまうと、それほどお金が余る  
わけでもない。まあ暇があるのはありがたいし、その時間を使って正規の講師の職でも  
得られればと資格の勉強などもできる状態ではあったが、なんとなく不満を感じている  
のは確かだった。  
 「糸色先生の家は、資産家だそうですよ」少し前の飲み会で甚六先生に言われた言葉  
を思い出した。もちろん彼も冗談で言っているのだが、糸色先生がしょっちゅうカウン  
セリング室に新井と話をしに来ていることも知っている。  
 「甚六先生、糸色先生は単に冗談を言いに来ているだけですよ 面白がっているんだ  
と思います それにそういう話題は職場ハラスメントにあたるんじゃないですか」  
 「いやいや先生 ほんとに冗談ですから 真面目に受け取らないでくださいよ」  
 話はそれで終わってしまった。確かに冗談なのだろう。  
 
 
 家に帰ると、食事の支度をし、特別に何かすることもなく時間は過ぎていき、横にな  
った。目をつぶってからも木津の相談のことが気になっていた。普通なら相談票には進  
学のについてであるとか、健康上の問題であるとか書くようになっており、話を聞いた  
うえで、適切な先生や外部の医師に取り次いだりするのだが、あの内容ではどんな相談  
なのか想像がつかない。  
 「まあなんにしても話を聞いてから考えればいいことね」そう考えているうちに眠っ  
てしまった。  
 
 * * *  
 
 次の日、放課後すぐに木津千里がカウンセリング室に現れた。  
 「いらっしゃい そこに腰掛けて お茶でいいかしら?」  
 「はい、いただきます」  
 二人分のお茶をいれ、新井も席に付いた。  
 「木津さんは進学希望よね 志望校とか希望学部とか決まっているの?」  
 木津の成績についての詳細は、手続きをした上で担任から聞かなければわからないが  
、彼女の成績がずいぶん良いことは噂で聞いて知っていた。  
 「はい、文学部がいいと思っているんです。でも数学も得意だし理系もいいかなって  
。まるで正反対なんですけど。」ちょっと笑って緊張も解けたようだった。  
 
 「それで今日はどういう相談がしたいのかな?」  
 「はい、実は・・・。」さっきまでの態度とは違い、急に緊張してしまった様子で、次の  
言葉がでてこない。  
 「別にそんなに緊張しなくても、話しやすいところから喋ってもらえればいいのよ」  
 何か言いかけては言いよどみを繰り返し、感情が高ぶってしまったのか少し涙を浮か  
べて、ようやく口を開いた。  
 「実は、糸色先生のことなんです。」  
 それを聞いて、新井は特に驚かなかった。むしろそうであることは最初からわかって  
いたような気がした。  
 「そう」  
 「こんなこと学校で相談するのが変なんだと思いますけど・・・私先生のことが・・・いえ  
、私先生に嫌われていると思うんです。」  
 「どうしてそう考えるのかしら 木津さんは成績もいいし とても良い評価をされて  
いると聞いていますよ」  
 「そうかもしれませんが、私は心配しているのは、実は・・・。」  
 また言葉がでてこなくなった。  
 「先生のことが好きなのかな?」新井がそういうと、木津はこくりとうなずいた。  
 
           * * *  
 
 「先生のことが好きな子は、クラスには他にもいます。でも私は特別だと思ってい  
たんです。」  
 また少しずつ言葉が続き、木津は保健室であったこと、修学旅行の下見であったこと  
、いろいろなことを話した。  
 普通ならずいぶん思い込みが激しい子であると思うのが当然だろうが、新井は木津千  
里という生徒の気持ちが良くわかったし、見た目よりもずっと幼い感じの部分の中にあ  
る、ひたむきさ、純真さに好感を持った。  
 「私、やっぱり変ですよね?  
 「そんなことないわ。ちっとも変だとは思いませんよ」  
 修学旅行の話では「それは 糸色先生もひどいわね」と言い、一緒に笑った。  
 
 一時間ほど話ただろうか、木津もすっかりリラックスしていた。  
 「先生の立場としては こういう問題は・・・」  
 「いえ、いいんです。なんか話をすることで、私、すごく・・・」  
 木津は落ち着いた様子ではあったが、わずかに不安げな声で続けた。  
 「先生、今日話したことなんですが・・・。」  
 「大丈夫ですよ。誰にも話さないのは当たり前だし、記録にも残しません。まあ相談  
に来たのは事実だから進路相談だったということにしておきましょう そろそろ理系か  
文系かくらいは決めておかなきゃならないしね」  
 「はい。」  
 「またいらっしゃい」  
 
 
 木津を送り出し。新井は新しいお茶を飲みながら、窓の外を眺めた。  
 「糸色先生については、きっとほかにも相談を受けなきゃならない生徒がたくさんい  
るんでしょうね」  
 私の相談は誰が聞いてくれるのだろう、そう考えて少し笑った。  
   
 完  
 
 

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