「・・・ふう。ここも、異常は無いようですね。」
先生は化学実験教室の扉を閉めてつぶやいた。
手に持ったノートの表紙には、手書きで「死に るるぶ」と表されている。
先生はページをめくり、付箋をつけてあるページを出す。
「・・・・・学校の中では・・・・あとは、音楽室で終わりですね。うん。今日も、私の厳選したスポットは異常ないようですね。」
独り言をつぶやき、そろそろ夕暮れのせまった廊下を歩いてゆく。
特別教室の多いこちらの校舎は、人の気配は無く、静まりかえっている。
「・・・おや?」
視線の先に、音楽室のドアを目にした先生は、歩みを止めた。
そこでは、女生徒が一人、周りの様子を伺うようにキョロキョロと首を動かしていた。
先生は、とっさに、そばにあった消火栓の影に身を隠す。
(・・・あれは、うちのクラスの・・・三珠さん・・・ですよね・・・・・)
見つからないように、様子を伺っていると、彼女は袖口から短めのバールのようなものを取り出して、ドアの隙間に差し込む。
(・・・・え・・・・・? ・・・・まさか?)
もともと古い作りのドアは、隙間から数回こじっただけであっさりと鍵が外れ、ドアが開いた。
(・・・不法侵入!? しかも、そこは私が目をつけているスポットですよ!)
驚いている間に、真夜はすばやく音楽室に入るとドアを閉めた。
先生は消火栓の影から出て、ドアのそばまで行く。
(・・・・いや、まてよ・・・。単に忘れ物をしただけかもしれない。・・・・無口な子みたいですし、鍵を貸してくれと言い出せなかった
のかも知れませんね・・・・・)
先生はハッと気が付いたようにそう考えた。
(・・・・・決め付けるのは良くありません。とりあえず様子を・・・・・)
そう決めると、先生はそっとドアを開けて、教室へと入っていった。
音楽室の中は、防音のため2重扉になっている。
物音を立てないように外扉を閉めると、先生は内扉の引き戸を少し開けて、隙間から中を覗く。
少し離れた所にあるピアノの下に真夜がいた。
(手に持っているのは・・・・・ハサミですかね?)
真夜はピアノの下で膝をついて、その裏側をハサミで擦るような仕草を繰り返している。
木を引っ掻くようなガリガリといった音が微かに聞こえた。
やがて、真夜は満足げに口元に笑みを浮かべて、ピアノの下から出てくる。
(イタズラ・・・・・・ですか?)
先生が首をひねっているうちに、真夜はピアノのカバーを外し、椅子に座って鍵盤を開いた。
音を確かめるように、いくつかの鍵盤を爪弾き、真夜は嬉しそうに微笑んだ。
きつい目付きは相変わらずだったが、喜んでいるのは分かった。
(なにやら楽しげな感じで・・・・・)
やがて真夜は、少し呼吸を整えてから、鍵盤の上に指を走らせ出した。
「・・・・・ほお・・・・」
先生は思わず溜め息をもらす。
実際、真夜の演奏は見事なもので、彼女の指が鍵盤の上で踊ると共に、心地よい旋律が紡ぎ出されてゆく。
(・・・・・・なるほど、こっそりとピアノを弾きたかったという訳ですか。しおらしい子じゃないですか。)
先生は少し笑みを浮かべると、もう少しよく見ようと身をよじる。
バササッ!
抱えていたノートが落ちる音がした。
真夜の演奏がピタッと止む。
(あちゃー・・・・・・)
引き戸の隙間に先生の姿を見つけた真夜と目があってしまい、先生は焦ってノートを拾う。
「・・・・・・や・・・いやー・・・・上手に演奏されますね・・・」
先生は頭などを掻きながら、戸を開け教室に足を踏み入れた。
愛想笑いと苦笑いの中間くらいの笑みを浮かべ、真夜の近くまで行く。
真夜は先生に視線を向けたまま、指は演奏中の状態で硬直していた。
「・・・・すみません。驚かせるつもりはなかったんですが・・・・・・・。」
真夜はじっと先生を見る。
先生は気まずそうに視線をそらした。
「ええっと・・・実は先生も、子供のころピアノやってまして。・・・・まあ、習わされたというか、たしなみ程度でしたがね・・・」
そう言って、少し苦笑を浮かべた。
「・・・三珠さんは、ピアノがお好きなんですねぇ。かなり練習されたのでしょう? いや、お世辞抜きで、とってもよかったですよ!」
先生の言葉に、表情は変えないまま、真夜の頬が少し赤くなったように見えた。
突然、ガタン! と椅子を蹴って真夜は立ち上がる。
「・・・・どうしました?」
真夜は椅子の横に移動して、無言のままピアノを手で指し示す。
「・・・・・もしや・・・・・、私にも弾いてみてくれと・・・言う事ですか?」
真夜はじっと先生を見つめている。
静かな音楽室に、時計の音だけが聞こえている。
「・・・・・えー・・・・まあ・・・・少しだけなら、まだ弾けるかもしれませんが・・・・・・・上手くはないですよ?」
無言のまま真夜にうなずかれ、先生は頭を掻いて椅子に座った。
「じゃあ・・・・・・先ほど三珠さんが弾かれていた曲を私も弾いてみましょうか。」
先生の言葉に真夜はピクッと体を震わせた。
「・・・・・・失敗しても怒らないでくださいよ? 先生、下手ですからね。」
何度も念を押して、先生もピアノを弾き始める。
少したどたどしいメロディで、同じ曲が爪弾かれてゆく。
真夜は、じっと、先生の指先と横顔を見つめている。
少し指先が震えているようにみえた。
「・・・・ああ・・・やはり・・・・三珠さんの様にはいきませんねえ・・・・・」
ピアノを弾きながら先生がぽつりとつぶやくと、真夜は目を見開いた。
しゅるっ・・・・と、袖の中からバールが手の中に滑り落ち、力強く握り締めた。
ガツッ!! バジャャァァァァアアアンンッッ!!!
力いっぱい振り回したバールは先生の後頭部を打ち据え、先生は顔面から鍵盤に突っ込み派手な音が響く。
真夜は上気した顔で、先生の後頭部に膨らんだタンコブを見ている。
「・・・・・な・・・・! 何が起きたのですかぁ!?」
先生は頭を振りながら上体を起こし、真夜を見た。
真夜はバールを握ったまま、微笑を浮かべて先生を見ている。
「・・・・三珠・・・さん?」
先生は、ぽつりとつぶやいた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「犯人な訳がない! あまりにも、証拠が揃いすぎています!」
天井を仰ぎ、こぶしを握り締めてそう叫ぶ。
「そうです! ここは旧校舎の音楽室・・・・・きっと怪奇現象の類いですね!」
そう結論付けると、真夜の方を振り向く。
「あなたは無事のようですね。しかし、ここは危険な予感がします! 退散しましょう!」
先生は立ち上がって宣言した。
「さあ! っと、そんな物を持っているのは危ないですよ!?」
言うが早いか、真夜の手からバールを取る。
真夜は一瞬、ぽかんとしたが、慌てて先生のバールを持った手を掴んだ。
「・・・三珠さん? 護身用なのは分かりますが、危ないです!」
そう言って、手を高く上げるが真夜は離さなかった。
背伸びをした状態で、その手首を掴んでいる。
「『転ばぬ先の杖が刺さる』と、言いましてね。 予防しすぎるのも考え物で・・・・・・・」
真夜は答えず、空いている方の手を伸ばそうとするが、それに気がついた先生がその手も押さえた。
力比べでもしているような、妙な格好になり、真夜はバランスを崩し、後ろに押される形になってしまう。
先生もそれに釣られて、真夜を押してしまう。
ガタッ!
真夜の背中が窓に当たって止まった。
「・・・・あっと・・・!」
先生は思わず真夜にぶつかってしまった。
真夜はビクッ!と目を閉じて少しうつむいた。
(・・・・・・・あ・・・・・・・・・・)
先生は思わず真夜の顔を見つめる。
窓から差し込む夕日が無ければ、その頬が赤く染まっていた事が分かっただろう。
閉じた切れ長の瞳。
そのまぶたからは、夕日に照らされ、長いまつげが頬に影を落としている。
普段の鋭い視線からは想像しなかったその姿を間近で見つめ、先生は思わず見とれていた。
真夜が薄目を開けて自分を見ている事に気がつき、先生は慌てた。
「・・・・・・・い・・・・いや・・・・その。綺麗なまつげをしていますよ、三珠さん。」
うっかりそんな言葉が口から飛び出した。
その言葉を聞き、真夜は慌てて目を閉じ顔をそむけた。
夕日に染まった教室でも判るほど、真夜の横顔は朱色に染まっている。
「・・・・あっ!? す、すみませ・・・・・・・・」
ガララッ!!
「何をしているんですか? 先生?」
引き戸の開くく音と共に現われたのは、智恵先生だった。
入り口に立ったまま、こちらに冷ややかな視線を送ってくる。
先生はその場に凍りつき、自分の状況を確認する。
・薄暗い音楽室に、担当クラスの女生徒と二人きり。
・女生徒の両手を押さえ、しかも窓際に迫っている。
・その手に持つ物はバール(凶器)
・女生徒は顔をそむけ、嫌がっている(ように見える)
「・・・・し、証拠過多ですからぁぁぁぁっ!!」
絶叫する先生を無視して、智恵先生はツカツカと歩み寄ってくる。
「物音がしたから来てみたら・・・・・糸色先生が、自分の生徒に手を出すなんて。」
「ち、ちがいます、コレは・・・・」
抗議しようとした先生の手に、いつの間にか智恵先生が手錠をかけていた。
「言い訳は反省室で聞きます。」
「ちょ!? 智恵先生なぜ手錠を持ちあるいて!? じゃなくて! 反省室って・・・・・・!」
その声には答えず、智恵先生は、引きずるようにして先生を連行してゆく。
「・・・いやだぁぁぁ!! セクハラ教師で告訴されるのはいやだぁぁぁぁ!! 皆で私を白い目で・・・・・・・」
先生の叫び声は小さくなってゆき、やがて聞こえなくなった。
真夜は無言で先生を見送っていたが、やがて先生が落としていったバールを拾い上げる。
バールを両手でそっと抱きかかえ、真夜は微笑んだ。
やがて、余韻に浸るようにしばらく抱えていたバールを袖口にしまうと、真夜はスタスタと音楽室を出ようとした。
しかし出口をくぐろうとした所で足を止め、何事か考えている。
と、サッときびすを返し、すばやくピアノの下に潜り込んだ。
ポケットからハサミを取り出して、嬉しそうな表情を浮かべると、再びピアノの裏側をガリガリと引っ掻く。
しばらくして、手を止め、その場所を見て満足そうに笑う。
真夜の頬が、ぽぉっ と赤くなった。
まよ
と
せんせい
少し丸みのある文字で、掘り込まれていた。
真夜は笑みを浮かべたままで、ささっと音楽室を飛び出す。
ぱたぱたと機嫌のよさそうな足音が遠ざかっていった。
「世間に叩かれるぅぅぅ!!!」
暗くなった校内には、どこかの反省室から聞こえてくる、先生の叫び声だけがこだましていた。