「…いったい全体、どうしてくれるんですか。」
街角にある急な階段の下。
望は、この上なく不機嫌な顔でクラスの女生徒を睨みつけていた。
その女生徒は、望が心から愛しているはずの少女、風浦可符香。
一方、可符香はふてくされたようにそっぽをむいていた。
何故か、可符香の横には倫がそっと寄り添っていた。
そして、望の隣ではこれまた何故か、
久藤准が困った顔をして、望を見上げていた。
望は、再び押し殺した声で、可符香に向かっていった。
「聞いているんですか、久藤君。」
「聞こえてますよ、何度も言わなくたって。」
久藤君、と呼ばれた少女はうんざりした顔で望を振り返った。
ことの起こりは本日の放課後。
可符香と望がのんびりと街を散歩していたところに、
倫とデートをしていた准が、階段で足を踏み外し、転がり落ちてきた。
そして、見事に可符香とぶつかって、その中身が入れ替わってしまったというわけだ。
「ここでは、私も以前、木村さんと入れ替わった(というより追い出された)ことが
ありますし、何かの磁力が働いているとしか思えませんね…。」
望が階段を見上げてため息をついた。
准の姿の可符香が、うーん、と腕を組んだ。
「この前に先生が入れ替わっちゃった後、みんなでいろいろ試したんですよ。
結局、2人で抱き合って飛び降りるのが、一番、成功率が高かったかなぁ。」
望の顔色が変わる。
「抱きあ……許しませんよ、そんなの!!」
「だって、じゃあ、どうするんですか!!」
言い争う可符香(in准)と望を見て、倫は頭を振った。
「ああ、もう、お兄様ったら…。」
准(in可符香)は、少し不服そうに口を尖らせた。
「…倫ちゃんは、僕と杏ちゃんが抱き合っても平気なの?」
「馬鹿なことを。心のこもっていない抱擁など、何の痛痒も感じん。
…私は、そんなこと、心配する必要などないのだろ?」
にっこりと問い返されて、准は可符香の顔で赤くなった。
なにやらほのぼのした雰囲気の2人に、望の鋭い声が飛ぶ。
「そこ!ラブコメしてるんじゃありませんよ!」
「…ラブコメしてたのは、お兄様の方じゃありませんか…。」
倫は小さい声で呟いた。
「で、どうするんですか、先生。僕と杏ちゃんが抱き合うのが駄目って
言うんだったら、ずっと僕らこのままですか?」
准の言葉に、望がぐっと言葉に詰まる。
「それに…僕、さっきからトイレに行きたいんですけど…。」
―――間。
「ちょっと、准君、それって……やだ!」
「そんなことしてご覧なさい、あなた、明日から出席名簿に載ってないですよ!」
「だったら、どうするんですか、ここで漏らしちゃってもいいんですか!?」
かなりレベルの低い言い争いが続いた後、望が悲壮な顔で決断を下した。
「…分かりました。久藤君、あなた、目隠しをしなさい。そして、倫。
あなたが久藤君について行って、彼が可符香の体に触らないよう、
用を足すのを手伝ってあげてください。」
「なっ…!」
倫は絶句した。
しかし、准を見ると、どうやら事態はかなり切羽詰っているようだ。
「分かりましたわ…お兄様、この貸しは大きいですわよ。」
倫は、しぶしぶと、目隠しをした准を、近くの公衆トイレに連れて行った。
しばらく後、ぐったりとした倫が准を連れて戻ってきた。
「こんな心身ともに疲れることは、二度とごめんですわ…。」
そう言うと、その場にしゃがみこんでしまった。
「先生。やっぱり、私と准君で一回飛び降りるしかないですよ。」
「そうですよ、僕、この先、風呂にも入れないとか、嫌ですからね。」
「…風呂ですって…!?」
望の声が裏返る。
ちらりと倫を見たが、倫にこれ以上の協力を頼むのは無理そうだった。
望はしばらく腕を組んで考え込んでいたが、やがて、顔を上げた。
「分かりました。それじゃあ、こうしましょう。
まず、久藤君に可符香の体の中から出て行ってもらって、
私が可符香の中に入ります。」
「「「…は?」」」
「ですから、まずはじめに、私と、可符香の姿の久藤君が一緒に落ちます。
その後、私の姿の久藤君と可符香に、一緒に落ちてもらいます。
それで、久藤君はもとの姿に戻るでしょう。
あとは、私と可符香が入れ替わればいいんです。」
滔々と説明する望に、可符香と准は、うんざりとした顔を見合わせた。
「…なんで、わざわざそんな面倒臭いことを…。」
「よっぽど、僕と杏ちゃんが抱き合うのが嫌なんだろうね、先生…。」
「図書室でのことが、トラウマになってるのかも…。」
「はい、決まったら善は急げですよ!
またトイレに行きたくなる前に、片付けてしまいましょう。」
望と准は、階段を上ると、お互いに向き合った。
「可符香と抱き合うといっても、中身があなただと思うと非常に不愉快ですね。」
「…先生なんか、少なくとも僕の外身は杏ちゃんなんだからいいじゃないですか。
僕なんか、相手は中身も外身も先生なのに抱き合わなきゃいけないんですよ。」
「……。いつかあなたとは本気でケリをつけたいと思いますよ。」
階段の上で睨み合っている2人に、可符香が下から声をかけた。
「先生!准君!何やってるんですか!
今度は、私がトイレに行きたくなっちゃいますよ!」
望と准は、もう一度不機嫌な顔を見合わせると、しぶしぶ、双方の体に腕を回した。
「いいですか、久藤君。」
「とっとと降りましょう、先生。」
そう言うと、2人は階段の上から飛び降りた。
望は、飛び降りる瞬間、可符香の体を自分の体で包み込んだ。
中身は生意気な小僧であっても、体自体は大切な恋人のものである。
決して、怪我などさせてはならない。
―――どすっ!
望は、体にものすごい衝撃を感じ、次の瞬間目の前が暗くなった。
「…せい、先生!?」
ハスキーな少年の声が、自分に呼びかけている。
「…っ。」
望は、起き上がろうとして、自分がセーラー服を着ていることに気が付いた。
―――どうやら、成功したようですね。
顔を上げると、心配そうな顔をした准の顔が目の前にあった。
「…。」
その中身が、自分の恋人だと認識するまでにしばらくの時間がかかった。
「あー、と。大丈夫、あなたの体は、傷1つありませんよ。」
複雑な笑顔で可符香(in准)に向かって微笑んでみせる。
と、隣を見ると、青い顔をした自分が倒れていた。
「准、准、しっかりしろ!」
倫が涙声で自分の体を揺さぶっている。
どうやら、先ほどの衝撃からすると、自分の体はもろに地面に叩きつけられたらしい。
「…ん。」
准(in望)がうっすらと目を開けた。
「准!」
准はのろのろと起き上がると頭をさすった。
「いてて…。先生、受身くらい取ってくださいよ…。」
ぶつぶつと文句を言う。
「うるさいですね。自分の体をどう扱おうと私の勝手ですよ。」
「怪我をするのは勝手ですけど、当面、その痛みを感じるのは僕なんですからね。」
そういいながら、准(in望)は、体のあちこちをなでさする。
「准…良かった…。」
倫が、震える声で、准に寄り添った。
准は、倫の目の端に涙が滲んでいるのを見てはっとした顔をした。
「倫ちゃん…そんなに、心配してくれたの?」
「…。」
倫が赤くなって横を向いた。
「倫ちゃん…ああ、もう、君って何て可愛いんだ!」
准は、いきなり倫を抱きしめると、熱烈に口付けた。
「ちょ…っ!」
望が血相を変えて、2人を引き離そうと体を乗り出す。
と、背後から、息を飲む声が聞こえてきた。
振り向くと、そこには奈美、あびる、千里の3人が立っていた。
「なんで、あなた方がここに…。」
望の呟きをかき消すかのように、奈美が大声をあげた。
「先生…!?兄妹でいったい何やってるんですか!?」
望は青ざめた。
確かに、傍目からは、望が倫を抱きしめ口付けているとしか見えない。
「…先生、不潔。」
呟くあびるの横で、千里が無言でバットを振りかざした。
結局、千里が暴れたために誤解を解く間もなく3人が立ち去った後、
望は准に詰め寄った。
「…なんて事をしてくれたんですか!?久藤君!!」
「せ、先生、それよりも、僕、本当に死にそうなんですけど…。」
准は、千里にぼこぼこに殴られて頭から血をだらだら流していた。
倫が、その横で、必死でハンカチで血をぬぐっている。
「情けないですね。それくらいのこと、日常茶飯事ですよ。我慢しなさい。」
「…先生って、実は思ったよりもハードな人生を生きてるんですね…。」
妙なところで感心している准の前に、望はスカートを翻して仁王立ちになった。
「さあ、今度は、久藤君に私の体の中から出て行ってもらいましょうかね。」
「…出て行けって…自分が、交換を申し出たくせに…。」
「今度は、その体に可符香が入るんですから、きちんと体を庇って落ちてくださいね。」
「それって、怪我する体も痛い思いをするのも、僕になるってことですよね。」
「当たり前じゃないですか。それが何か?」
「…なんでもありません。」
「准、余り無理しなくていいぞ…。」
倫は望に聞こえないよう、小さい声で囁いた。
階段の坂の上。
可符香(in准)は、准(in望)の腕の中で、ぎこちなさそうに身じろぎした。
慣れ親しんだ恋人の腕とは言え、中身は幼馴染、しかも自分はその彼の体、
という状況に、どうも違和感があるらしい。
望は望で、これ以上ないくらいのしかめ面で2人を見上げていた。
「さ、てきぱきと事務的にやっちゃってください。」
いくら体は自分のものであっても、准と可符香が抱き合うのは気に入らない。
倫も望の隣で、多少複雑な顔をしていた。
と、そこに、再び後ろから息を飲む声がした。
「せ、先生!?久藤君!!??」
振り向くと、そこには、藤吉晴美が立っていた。
望は頭を抱えた。
―――なんで、よりによって一番まずい子に目撃されるんですかね…。
「やっぱり…やっぱり、久藤君と先生はリアルBLなんですね!!」
坂の上で抱き合う2人を見て、嬉しそうに目を輝かせる晴美に、
その場にいる全員が声を合わせて叫んだ。
「「「「ちがーーーーう!!!」」」」
しかし、晴美には、その叫びが全く聞こえていないようで、
「新刊、冬の祭典に間に合うかなあ…。」
と独りごとを言いながら、スキップでその場を立ち去った。
望は、引きつった笑顔で准を振り仰いだ。
「…近親相姦の次は、生徒とリアルBL、ですか…。
私、いったい、学校にいられるんですかね…。」
「と、とりあえず、僕だけでも早く元に戻りましょう…!」
准と可符香の入れ替わりは、その後、スムーズに行なわれた。
倫が、
「准!これで、全部お前に戻ったんだな!」
と嬉しそうに准に飛びつく。
その横では望(in可符香)が可符香(in望)を抱き起こしていた。
「大丈夫ですか?どこも痛くないですか?」
「千里ちゃんに殴られた跡がずきずきしますけど…あとは大丈夫ですよ、先生。」
可符香は起き上がると、逆に望を抱きしめ返した。
「あ…。」
今まで体験したことのない感覚に、望は小さく声を上げた。
小さなこの体が、すっぽりと「自分」に包み込まれる感じが、とても心地よい。
―――可符香は、いつも、こんな風に感じてくれてるんでしょうか…。
見上げると、可符香(in望)も、赤くなっていた。
「な、なんか、変な感じ…。自分の体なのに、こうやってぎゅってすると、
愛しい気持ちが溢れてくるみたいで…自分相手に、ヘンですね。」
望は、緑がかった自分の目を覗き込んだ。
「お互い、相手の自分に対する愛情を、身をもって確認できるって言うのは、
なかなかいいですね…。」
そういうと、にやりと笑った。
「どうです?このままの姿で、より深い愛情を確認するって言うのは。」
「え…。」
可符香が一瞬きょとんとした顔をして、次の瞬間真っ赤になった。
「や、やですよ、そんなアブノーマルなの!!」
「めったにできない体験だと思いますよ?」
顎に手を当てて、にやついている望(in可符香)と、
赤く頬を染めて体をよじらせる可符香(in望)。
―――端から見ると、かなり奇怪な光景であった。
と、そこに、携帯を持った音無芽留が通りかかった。
芽留は、赤い顔で身をよじり恥らっている「望」の姿を見て、
恐ろしいものを見たかのように固まった。
次の瞬間、芽留は、「望」の姿を携帯で激写すると、
稲妻のようにメールを打ちながら、その場から立ち去った。
准と倫は、その一部始終を端から見ていたが、准がぽつりと呟いた。
「…僕、だいたい、あのメールの内容、想像できるんだけど…。」
「…私もだ。想像するな。頭が痛い。」
芽留に全く気が付かずにいちゃこらしている2人を見ながら、倫と准は、
「…さて、我々は帰るとするか…。」
「そうだね、…何だか、今日は疲れたよ……。」
ため息をつきつつ、その場を後にしたのだった。
望の明日は、神のみぞ知る…。