「命さん、私たちが付き合い始めて今日でちょうど1ヶ月よ。」
女が、ある宝石店の前で立ち止まり、期待に満ちた目で命を見た。
命は、無言で女を見下ろした。
この女と「付き合った」覚えは毛頭ない。
しかし、女は命の腕を引っ張ると、ショウケースの前まで連れて行った。
「ほら、この新作がね…。」
女が高価そうな指輪を指差しながら話しているのを適当に聞き流しながら、
命は、ふと、ショウケースに飾られているペンダントに目を奪われた。
このブランドの定番らしい、四つ葉のクローバーをモチーフにした、
周りをゴールドに囲まれた白蝶貝のペンダントヘッド。
可愛らしさの中にも清楚できりりとしたイメージがあり、何故か、
医院を切り盛りしている、しっかりものの看護師を思い起こさせた。
その日、女を言いくるめて何とか追い払った後、命はその店に舞い戻った。
翌日。
帰り支度をしている看護師に、命は小箱を差し出した。
「…なんですか、これは。」
しかし、看護師の反応は命が想像していたものとは全く違っていた。
彼女は、有名宝石店の包装紙に包まれた小箱を見ると、
この上なく不機嫌な顔で、命に問い返してきたのである。
命はとまどった。
今まで、女性に宝石をプレゼントして機嫌を悪くされたことなどない。
「なんですかって…プレゼント。」
「どうして、私がプレゼントをもらわなきゃいけないんですか。」
「どうしてって…。」
その質問に、命は、はたと考えた。
確かに、何故だろう。
これを見た瞬間に、なんとなく彼女が思い浮かんで、
ほとんど反射的に買ってしまったのが正解なのだが、そうも言えまい。
「いや、ほら、いつも君は一生懸命働いてくれているし。」
「それに対しては十分すぎるほどのお給料をいただいてます。
それ以上に、こんな高価なプレゼントをいただくいわれはありません。」
―――それもそうだな…。
命は、再び考えこんだ。
そして、ようやく思い当たることをみつけて、顔を輝かせた。
「君、いつもミルクティー入れてくれるじゃないか。そのお礼だよ。」
とたんに、看護師は泣きそうな顔をした。
そして、うつむくと、消え入りそうな声で言った。
「ミルクティーは、私が勝手にやってることですから…。
そんなプレゼントなんか、いりません。」
看護師の半泣き顔に、命はうろたえた。
自分は、何か間違えたことを言ってしまったのだろうか。
女扱いには自信があったのだが、この娘だけはどうも勝手が違うようだ。
黙り込んだ命に、看護師は顔を上げた。
そして、小さいがはっきりとした声で、命に告げた。
「プレゼントなんて、いらないんです。
もし、先生が私のミルクティーを美味しいって思ってくださるんなら…
一言、ありがとうって、言っていただけるだけで、うれしいんです。」
命はきょとんとした目で看護師を見た。
「そんなもので…いいのかい?」
看護師は、きっぱりうなずいた。
「それが、いいんです。」
「そうか…いつも、ありがとう。」
命が、にっこり微笑んで見せると、看護師は、真っ赤になった。
それを見て、命は看護師に笑いかけた。
「君は、本当に欲のない子だね。」
すると、看護師は泣き笑いのような顔をした。
「そんなことないですよ…。
私、もしかして、誰よりも、欲が深いのかもしれません。」
「…?」
不思議そうな顔をする命に、看護師は小さく笑うと、
「それじゃ、お先に失礼します。」
と頭を下げ、扉を押して帰っていった。
「欲が深い…?」
一人、医院に残された命は、しばらく首を傾げていたが、
やがて、あきらめたように首を振った。
そして、ふと手の中の小箱を見ると
「そうは言っても、買っちまったもんはなぁ…。」
とぼやいた。
―――彼女に買ったんだから、他の女にあげる気はしないし…。
また、別の機会にでもチャレンジしてみるか…と、
命は、頭をかきながら診察室に入っていった。