「ん! 出来た! 我ながら上出来〜」  
奈美は楽しそうな声を上げて、頭の三角巾をほどいた。  
キッチンのテーブル上に置かれたオーブンプレートの上には、握りこぶしくらいのサイズ  
のシュークリームが行儀良く並んでいる。  
奈美は銀色のボールを手に取り、ヘラで少し残ったクリームをすくって口にくわえた。  
「・・・ああ・・・・とろける〜  やっぱりちゃんとバニラビーンズを使って正解だわ。」  
目を閉じ、うっとりした顔でひとり言を言う。  
「・・・・・そうやって、また・・・」  
「ひっ!?」  
突然、後ろからかけられた声に、奈美はボールを落としそうになる。  
振り向くと、開け放してある窓から先生が顔を半分のぞかせていた。  
「先生? なんでそこに?」  
「・・・また、恩を着せようというのですね! 感謝の言葉を求めて!」  
問いかけには答えずに放たれた先生の言葉に、奈美は一気に脱力した表情になった。  
先生は少し立ち位置を変えた様で、上半身が窓から確認できる。  
奈美は少し怒ったような顔をして、先生に背を向けた。  
「別に、先生にあげるなんて言ってませんよー!」  
「・・・・え?」  
その言葉に先生は首をかしげる。  
「無いんですか? 私には?」  
「そーです・・・・・・って・・・」  
奈美は先生の言葉に少し口元を緩ませ、意地悪そうな笑みを先生に向ける。  
「・・・もしかして、期待してるんですかぁ〜?」  
しかし先生は表情を変えず、  
「汚名を返上する気、満々にみえたのですが?」  
「何の汚名だぁ!!」  
奈美はヘラでボールをガンガン叩きながら叫ぶ。  
そっぽを向いた先生の口元がニヤリとしている。  
ふと、何かを思いついたように、奈美はテーブルの紙皿に数個置いてあったシューを一個  
掴み、足音も荒く先生の目の前に行く。  
「はい! しかたないから1個あげます!」  
先生は奈美の方に向き直り首をかしげた。  
「何だか、催促したみたいな流れになってしまいましたね。」  
「・・・ってゆうか催促しに来たよね・・・? まあいいや・・・・。はい、先生! あーん!」  
そう言って奈美は、先生の口の高さにシューを持って行く。  
一瞬、手を差し出そうとしていた先生は、少し眉を寄せ、口を開けた。  
「召し上がれ!」  
すかさず、奈美が先生の口にシューを半分程押し込む。  
先生はもごもごと、口を動かす。  
「おいしいですよね?」  
奈美は先生の顔をのぞきこみながら尋ねた。  
先生の口の動きが止まった。――ちょっと考えるような顔をみせて、再び咀嚼を開始する。  
そして、何かに気が付き、半分かじりかけのシューを手に取り確かめてみる。  
「・・・・・これは・・・・・中までみっちり、全部、シュー皮・・・・! 失敗作ですか!?」  
奈美はクスクスと笑い出す。  
「この前のお返しですよー! 結構ショックだったんですからね!」  
嬉しそうに言う奈美に、先生は表情を止めたまま、奈美の顔を見る。  
「・・・・・・え?」  
「仕返しのやり方もホント普通ですね。」  
「普通って言うなあ!!」  
先生は残りのシューをかじりながら遠い目をする。  
 
「・・・・・まあ、中に針とか硫酸とか入ってたりしないですからね。」  
ぽつりと呟いた言葉に、奈美の顔が引きつる。  
「そんな危ない事しませんよぉ・・・・・・!」  
「もちろん分かってますよ。あなた普通ですから。」  
「だから、言うなぁ!!」  
奈美は叫んでから大きく溜め息を付き、側にあったイスに腰を下ろす。  
「・・・・あー・・・なんか立ちくらみした・・・」  
先生は残りのシューを飲み下して口を開いた。  
「いやぁ、普通がいいです。普通に夜更かししたり、普通に寝坊したり、普通に遅刻したり、  
普通に宿題忘れたり・・・・・」  
先生の並べる言葉に、奈美は肩をピクピクさせている。  
「・・・・あと、普通に甘いもの食べ過ぎたり、普通にダイエットしなきゃと思ったり・・・・・」  
奈美の顔がギクッと引きつり、赤くなる。  
「なんで知ってるんですかぁ!?」  
「・・・それは、緊急連絡網に――――」  
「ええ!? やめてよぉ!?」  
立ち上がって絶叫する奈美に、先生はニヤリとして見せた。  
「先生が流しました。」  
「流すなあ!! って、全然緊急じゃないだろ!?」  
奈美は一気に叫ぶと、少し涙目になって恨めしそうに先生を睨む。  
「何でいつも私ばっかりイジるんですかぁ・・・・・  この前だって、食べてみてくれるだけで済んだのに、わざ  
わざ引っ掻き回さなくても―――― まあ・・・そりゃ、私も恩着せがましかったかもですけど!」  
先生は少し真剣な顔をして腕を組んだ。  
あごのあたりを指で掻きながら、短く唸るのが聞こえた。  
「・・・先生?」  
「ちゃんと、受け取って・・・・・美味しく頂いていたら――― その後どうなりましたかね?」  
思ってもみなかった問いに奈美は眉を寄せた。  
「それはぁ・・・・・・・えーーと、ほら! 『美味しい』って言われると嬉しいじゃないですか! 今度も張り切って、  
もっと凝ったものを作ってみたくなりますよ?」  
先生は一つうなずいた。  
「・・・その後はどうでしょう?」  
「そ・・・そのあと? それは、また先生に食べてもらいますよ・・・・・・・」  
奈美は少し赤くなりながら答える。  
そして、ハッと気がついたように口を尖らせた。  
「何でそんな事聞くんですかぁ・・・・・・・」  
先生は短く息を吐き、自嘲気味に笑みを浮かべた。  
「・・・そして、スコップやら、包丁やらが、どこからともなく飛んでくる訳ですよ。」  
奈美は小さく呻いて、瞬間的に顔を雲らせた。  
先生を取り合っているクラスメイト達の顔が次々と浮かび、引きつった表情のまま、苦笑を浮かべる。  
「あ――  そっか・・・。先生が命狙われちゃいますねぇ・・・・・・・」  
「それだけなら・・・まだ、いいんですがね・・・」  
先生はぽつりとつぶやいた。  
奈美は小首をかしげる。  
「それだけ・・・・・って。先生、命の危険があっても平気なんですか?」  
先生は即座に首を振った。  
「平気な訳が無いでしょう! まだ私だけの方が・・・・・・・・・いえ、まあ、いいです。」  
ぽかんとした顔をしている奈美を見て、先生は苦笑した。  
「おっと・・・・・・・そろそろ帰って・・・・・戸締りをしないといけませんね。」  
「・・・・へ? 戸締り? ・・・まだ昼過ぎですけど。」  
奈美の言葉に、先生はいつもの悪戯っぽい笑みを浮かべる。  
「ええ。しっかり戸締りをしますよ。・・・感謝強盗が来る予感がしてますから。」  
「・・・・・・・・・・!」  
奈美は頭痛でもしているように、片手で自分の額を押さえてうつむいた。  
大きく溜め息をついて顔を上げると、すでに窓からは先生の姿は消えていた。  
 
 
「何しに来たんだぁ! ああ、もう、ムカツク!!」  
ドンドンと床板を踏み鳴らしながら、洗い物をシンクに持って行き、スポンジを握り締めると、力を込めて  
洗い始めた。  
食器や調理器具の硬い音が騒がしく鳴り出す。  
ガチャガチャと洗い物をしながら、涙がにじんできた目をこすり・・・・・・・水が少し目にしみてしまい、余計  
に涙が出てきてしまった。  
「・・・どーせ、私は、恩着せがましいよ!  感謝だってされたいんだぁ! ・・・いいよ! 先生にはどうせ  
分かってもらえないんだからさ!!」  
片手で目を押さえながら、大声で悪態をつく。  
水を止めて、洗い物を水切りカゴに移すと奈美はまた溜め息をついた。  
「・・・・・すね方も普通ですね。」  
奈美はハッと窓を振り向き、窓からのぞいている先生の顔を見付ける。  
「普通っていうなぁ!!  って、まだいたんですかぁ!?」  
真っ赤になって窓に駆け寄ると、先生はすばやく身を翻し、逃げてしまった。  
先生の走る足音が離れていく。  
奈美は窓をピシャリと閉め、力が抜けたのか椅子に座り込み、テーブルに突っ伏してしまった。  
「・・・・・先生のバカ・・・・・」  
顔を伏せたまま、くぐもった声でそれだけつぶやいた。  
 
 
しばらくの後、奈美はゆっくり顔を上げた。  
頬のテーブルに付いていた部分が赤くなっている。  
(・・・・・・ホントは用意してあるけどさぁ。まあ、作っちゃったし。)  
少し乱れた髪を押さえつけて、奈美は立ちあがりエプロンを外した。  
エプロンを適当に畳み、椅子の背もたれに掛けると、奈美は傍らのキッチンラックにまとめてある紙袋を  
探り始めた。  
(しっかし先生もモテすぎて大変だよねぇ・・・・・・、みんなで争いまくってるもんな・・・・・・。 ――まあ、私  
はとても入っていけないけどさ。)  
ちょうどいいサイズの紙袋を取り出したところで、奈美の頭に、ふと、浮かんだものがあった。  
(・・・まさか・・・・ね。・・・・・考えすぎだよね? ・・・いやでも・・・・・)  
一度、頭に浮かんだ考えはなかなか消えず、奈美はのろのろと、一番、形のいいシューを紙袋に入れる。  
(――それだけならまだいいって、先生が・・・・。・・・じゃ、先生は私に・・・・・・・? そ・・・それじゃあ、いつも  
の悪態は、そのため・・・・・・・・?)  
じわじわと胸の内に広がる考えをまとめながら、奈美は紙袋の口を閉じた。  
自然と鼓動が早くなってくるのが自分でも分かった。  
(・・・・・憶測・・・・・でしかないけど。・・・なんか、いいな、この気分・・・・)  
奈美は両手で持った紙袋を見つめ、微笑を浮かべた。  
「よしっ! ・・・泣かされに行ってやるかな。」  
奈美は笑いながら目を閉じ、紙袋に軽く唇を触れさせた。  
唇が触れたところで、  
「・・・ばっ・・・・! 何やってんの私は!? 中学生男子か!?」  
少し赤くなって、今触れた場所を手で払った。  
 
 
 
「お邪魔しますよー」  
「あああっ!! 感謝強盗がお見えになった!」  
「なぜ丁寧語っ!? なんか余計に腹立つ!!」  
奈美は宿直室の入り口に立つと、先生に紙袋を差し出した。  
先生は無表情で受け取ると紙袋を開いた。  
「自信作なんですよ? さ、どうぞ。」  
奈美にうながされ、先生はシューを頬張る。  
「・・・・もちろん北海動産の生クリーム使って、バニラビーンズは本場フランス産なんですよ!  
卵黄だって、平飼いの自然卵で・・・・・・」  
延々と説明する奈美を見ながら、先生はゆっくりとシューを咀嚼し、飲み込んだ。  
奈美は笑顔で先生に尋ねる。  
「どうですか? おいしかった?」  
「・・・・・・・・・良いと思いますよ。」  
奈美の表情が固まる。  
「え・・・ええ? 感想、それだけ!?」  
「いや・・・・そう言われても・・・」  
「・・・ほかに、あるでしょう? なにかもっとこう、しっくりとくるのが―――」  
奈美の言葉に、先生は「ああ!」と、何かに気が付いたように手を打った。  
 
「普通でした。」  
「・・・普通って言うなぁ!!」  
 
奈美は先生に向かって叫んで、部屋を飛び出してしまった。  
「・・・・・・・もう、ぜーっっったいに、先生には何も作ってあげないからね!」  
廊下の先から奈美の叫び声が聞こえてきて、先生は苦笑した。  
「・・・やっぱり、普通ですね。」  
誰にとも無くそうつぶやいて、先生は一瞬嬉しそうな表情を浮かべた。  
先生は苦笑を浮かべたまま、聞こえなくなるまで、奈美の足音を見送っていた。  
 

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