時刻はもう真夜中になっただろうか。  
人気のない暗闇の廊下を忍び足で歩いてゆく影があった。  
右手にバットを持ち、油断無くまわりの気配を伺いながら、真夜は宿直室のドアを開ける。  
 
ヒュッ!!  
 
風を切る音がして、真夜の鼻先を何かがかすめて行く。  
背後で硬い音――恐らくは鋭い刃物が壁に跳ね返る音がした。  
 
「来ると思ってたわ。」  
凛とした声で告げ、まといは、もう一本包丁を取り出して構えた。  
真夜はまといから目を離さないように、部屋の様子を伺う。  
部屋の中央で立つまといの他には誰もいない―――いや、部屋の隅に丸められたように見える布団から  
は、白い腕と、長い黒髪が床に広がっていた。  
 
「・・・邪魔しようとした奴は、先に片付けたわ。先生には逃げられたけど――」  
 
その言葉が終わるのを待たずに、真夜は身を翻し廊下を駆け出した。  
意表を突かれ、まといの動きが一瞬遅れた。  
ほとんど体当たりでドアを開けて、まといは包丁を構えたまま真夜を追う。  
 
廊下を走り、階段を駆け上がって行く真夜の背に、まといが無言で迫ってゆく。  
真夜まであと一足で届く距離まで追いつくと、まといは包丁の切っ先を真夜の背中に向け、両手で構えた。  
真夜は――突然階段に倒れこんだ。  
「なっ!?」  
勢いのついていたまといはすぐには止まれず、転んだ真夜につまずき大きく態勢を崩した。  
なんとか、片方の手で階段の手すりを掴み、踏みとどまったが、  
 
カキン!!  
 
起き上がり様に振るった真夜のバットが、まといの片手から包丁を弾き飛ばし、この場には不釣合いともい  
えるくらい澄んだ音が響く。  
「クッ!」  
まといは床を蹴り、階段から落ちるように、踊り場に転がった包丁に飛びつく。  
バットを大上段に構えた真夜が背後に迫った。  
瞬間、バットと包丁が交差する。  
まといの包丁は真夜の頬を浅くかすめ、真夜のバットはまといの耳もとを撫でた。  
「甘い!」  
まといは包丁で切りかかった勢いのまま真夜に体当たりをかけ、階段を突き上がった。  
屋上へのドアにそのままぶつかり、鍵がかかっていなかったのかドアはあっさりと開き、二人は屋上に転が  
り出た。  
 
両者ともすぐに相手と距離を取って起き上がる。  
真夜は、頬の赤い筋を指で撫で、無言のままバットを構える。  
まといは風を巻いて切りかかって来た。真夜はバットで包丁を受け止める。  
屋上に金属音が鳴り響く。  
二人で力比べをする形になるが、単純な腕力ではまといに分があるのか、真夜はジリジリと屋上の端へと  
追い詰められてゆく。  
真夜の額に汗が浮かんできた。  
まといは構わず、一気に力を乗せ、  
 
ビキッ!!  
 
「あっ!?」  
包丁にヒビが入り、根元近くからへし折れた。  
力の支点を失い、まといはよろめき、その脇をくぐりぬけ、真夜は背後を取った。  
バットを大きく振りかぶる。  
 
「し・・・しま・・・・・ぐうっ!!!」  
唸りを上げてフルスイングされたバットはまといの背中を打ちつけ、まといの体が宙に浮いた。  
真夜はそのまま全力を込めてバットを振り抜く。  
まといの体はフェンスを越え、夜空に浮かび上がる。  
 
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ――――――・・・・・・・」  
 
―――悲鳴、そして、一拍おいて鈍い音が聞こえ、  
それきり、辺りは静まりかえった。  
 
 
 
――数分後。  
真夜は、ほとんど休憩も取らずに、急ぎ足で階段を降りていた。  
 
カツーン・・・・・・・・・・カツーン・・・・・・・・・  
 
下の階から響いてくる音に真夜は足を止めた。  
ゆらり・・・・と階段を上ってくる姿が見える。  
時々、松葉杖が小さく見える長身の少女の姿が現われた。  
その体のあちこちに巻いた包帯と、片手を固めたギプス。  
空いた方の手に持つ松葉杖の動きが止まった。  
ゆっくりと、眼帯をしていない方の目で真夜を見上げた。  
 
躊躇なく―――真夜は跳んだ。  
頭上の利を生かし、数メートル上から全体重を乗せ、バットを唐竹割りに振り下ろす。  
あびるの手が動き、頭上を庇うように松葉杖でバットを受け止めようとする。  
 
メキッ!!  
 
松葉杖は一度はバットの衝撃を防いだように見えたが、次の瞬間、耳障りな音と共に砕け散り、あびるの  
頭を直撃した。  
あびるの長身がグラリと揺れ、  
 
しゅるしゅるしゅるっ!  
 
唐突に両袖から伸びた包帯が真夜を捕獲した。  
そのまま、抱き寄せるように真夜を抱えこむ。  
真夜は暴れるが、万力を思わせる力で締め上げられて身動きが取れないようだった。  
額から鼻筋を通って血を伝わせたまま、あびるは真夜に笑いかけた。  
 
「捕まえた・・・・・・」  
 
真夜には、ゆらりと迫ってくるギプスで固められた腕が目に入ったが、どうする事もできず、  
 
ドボッッ!!!  
 
鈍い音を立てて、真夜のがら空きの胴に、ギプスが刺さる。  
激しい衝撃と共に呼吸が止まり、真夜の意識は暗転していった。  
 
 
一瞬か、数時間か。  
どのくらいの時間が過ぎたか、分からないが、真夜は意識を取り戻した。  
痛む腹部を押さえ、ふらふらと立ち上がる。  
あびるはまだ倒れたまま、ピクリとも動かない。  
真夜は、落ちていたバットを拾うと、体を引きずるように、のろのろとその場を後にした。  
 
 
まだ、おぼつかない足取りのまま、真夜は校内を彷徨っていた。  
先生はまだ見つからない。  
―――と、  
 
チャリチャリチャリ・・・・・・・  
 
その耳障りな音は、前方の暗闇の中から聞こえてきた。  
何か、金属製の物で床を引っ掻くような―――音。  
 
真夜は本能的に戦慄を覚え、身構える。  
 
暗闇の先から・・・・・美しいロングヘアーを垂らした少女が姿を現した。  
片手で引きずるスコップには、赤黒い液体が、生乾きのままこびり付いている。  
普段、ぴっちりと真ん中で分けている前髪は乱れるままで―――  
 
真夜は、それが彼女の危険信号だと知っている。  
 
バットを構えた、次の瞬間―――  
千里の姿が掻き消えた。  
「!?」  
いや、そう見える程の速度で間合いを詰めて来たのだった。  
 
「うなっ!!」  
奇声と共に振るわれた、すくい上げるようなスコップの一撃を真夜はほとんど、紙一重で体をかわす。  
制服のリボンが千切れ飛んだ。  
慌てて、間合いを取ろうとするが、燕返しに千里の二撃目が襲ってきた。  
何とかバットでスコップを受け止める。  
―――が  
「うううなあぁぁぁぁぁぁっ!!!!」  
雄叫びと共に、千里のスコップは金属製のバットを真っ二つに切り飛ばした。  
 
真夜は連続して後方にステップを踏み、何とか間合いを広げる。  
その目がチラリと動き、すぐ横の教室が何かを確かめる。  
「うなぁっ!!」  
一足飛びに襲い掛かって来た千里を、辛くも横に跳んでかわしながら教室のドアを突き破って進入した。  
 
一瞬、真夜を見失ったのか、千里の目が泳ぐように周囲を探る。  
「うなっ!」  
すぐに壊れたドアに気がつき、教室に飛び込んだ。  
 
千里がもう少し冷静であったなら―――あるいは、夜でなかったなら、部屋の異変に気がついたかも知れ  
ない。  
 
空気の漏れるような音と異臭。  
 
それに気がつく前に、千里を目がけて半分になったバットが飛んできた。  
軽くスコップで払い落とし、部屋の窓際に立つ真夜を見つける。  
駆け寄りながら、その手に持つ着火マンを見つけ、千里の顔が引きつった。  
 
真夜は迷わずトリガーを引く。  
 
―――轟音と熱風が二人を包み、科学実験室は炎に包まれた。  
 
 
ガラスの割れる音―――  
爆風に乗って窓から飛び出した真夜は、芝の上を転がりながら服に燃え移った火を消した。  
科学実験室は紅蓮の炎が舐めるように燃え広がり、黒煙を噴出している。  
 
真夜は荒い息をつきながら、力が抜けたのか、へたり込んでしまう。  
 
 
次の瞬間―――  
 
ぴしゅるっ!!  
 
炎の中から伸びた紐がムチのように真夜の首に絡みついた。  
そのまま恐ろしい力で引き寄せられる。  
部屋の中で、炎に包まれて立ち尽くす千里の姿が見えた―――気がした。  
 
悲鳴を上げる間もなく、さらに引き寄せられ、真夜は吸い込まれるように炎の中に消えた。  
 
―――三珠さん  
 
誰かの呼ぶ声  
 
―――三珠さん!!  
 
 
 
 
 
強く自分を呼ばれ、真夜は我に返った。  
目の前には担任教師。そして、ここはいつもの教室の自分の席。  
片手で頬杖を付き、黒板の方を眺めている自分。  
 
「どうしました? ボーっとして? もう授業は終わりですよ?」  
 
―――白 昼 夢 ?  
 
真夜は立ち上がり確認するようにまわりを見る。  
いつもと変わらない風景。  
首をかしげる先生を真夜は見上げた。  
「・・・・何か?」  
じわり・・・と涙が浮かぶ  
 
「み・・・三珠さん!?」  
 
困惑する先生に構わず、真夜は ひし! と、その腰に抱きついた。  
 
教室は水を打ったように静まり返り―――  
 
次の瞬間、大騒ぎとなった。  
 
次々と女生徒達に責められ、慌てている先生と、自分を鋭く見ている数人の女性との姿に、真夜は頭に浮  
かんだ言葉があった。  
 
―――予 知 夢 ・・・・・・かな?  
 

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