「んー・・・・・何か、これといった物が、思いつかないなぁ〜。」  
大通りに連なる店を眺めながら、奈美はぶらぶらと軽い足取りで歩いていた。  
日はそろそろ暮れようとしているが、空の端に傾いた太陽はまだ十分に明るく、街灯も明かりは入っていない。  
茶色のタートルネックに、下は明るい色のローライズのジーパンといった軽装で、そのポケットに両手を半分差し  
込んで、特に目的地も無く歩いているようだった。  
街路樹に目をやると、まだ枝葉は色ずむ様子も無く、茂らせている。  
「今年は暖冬かもねー」  
奈美はそう呟き、携帯を取り出すとカレンダーを開く。――日付には、丸印を入れてある物や、プレゼントマーク、  
ハートマークなどで印されている日で一杯だった。  
奈美は来月の予定にある『先生 B-Day』と、なっている日付を見たようだった。  
「・・・えーと。あと一ヶ月ちょいか。・・・じゃ、まだ慌てなくていいよね。」  
自分の考えにうなずいて、奈美は携帯をしまって、横断歩道が赤になっている事に気がつき立ち止まる。  
一瞬考えて、歩道橋に足を向けた時、何かを見つけ、奈美の動きが止まった。  
 
階段を上りきったその先。橋の欄干から出ている顔と着物の襟。  
いつもなら、すぐに近寄って行って挨拶でもする所だが、先生と連れ添っている相手を見て、奈美は一瞬呼吸が  
止まったのを感じた。  
――見覚えが・・・・ある。  
「・・・あ・・・そうだ。――たしか先生の部屋に飾ってある写真の・・・・・・・・」  
二人は歩道橋の真ん中辺りで寄り添って立ち止まり、何事か言葉を交わしているようだった。  
相手の女性が微笑みながら話しかけ・・・・先生はそれに頷き、頭を掻きながら笑い返した。  
女性は先生の手を取った。先生は、少し照れ臭そうに笑っている。  
「そっか・・・・・。そりゃそうだよね・・・。」  
奈美は気の抜けたようにぽつりと呟いた。  
二人は、別れの挨拶を交わしたのか、お互い軽く手を振り背を向け合う。――先生が奈美のいる道への階段に向  
かった事に気がつき、慌てて階段の影に隠れた。  
「――――はは・・・・。何やってんの私・・・」  
自虐的な苦笑いを浮かべ、奈美はうつむいた。  
鼻の奥がツンと痛くなってきた。奈美は片手で口を押さえる。  
「・・・・・・・・・・っ!」  
喉の奥が引き付くように乾くのを感じ、小さく呻くと、奈美は階段とは逆方向へと駆け出していった。  
 
 
「・・・・・・・おや・・・・? あれは、日塔さん?」  
先生は歩道橋の上から、下の道を走っていく奈美の後姿に気がついた。  
声をかけられる距離ではない。――片手で顔を隠すようにして走り去って行くその姿をしばし見つめ、  
「・・・・・・・・!  もしや・・・」  
何かに気が付いたように唸り、少し眉を寄せて肩を落とした。  
一度後ろを振り返り、先ほどの女性と寄り添っていた場所を見る。――そして軽く溜め息をついた。  
しばし悩むように首筋に手を置いて空を仰いでいたが、やがて階段を降りると奈美の去っていった方向へと向かった。  
 
 
奈美は、いつのまにか全力で疾走していた。  
とにかく逃げたかった。あの場所から離れたかった。  
先生の顔も、まともに見れる自信がない。  
口を開いたらどんな言葉になるかなんて想像したくなかった。  
――とても怖い。先生に会うのがとても怖い。  
 
やがて息が苦しくなり、奈美は自然と足取りを緩め、立ち止まった。  
肩で息をしながら奈美はガードレールに腰を置き、涙で滲んだ目を拭った。  
「・・・・情けないぞ!・・・・・私・・・・・・泣くな・・・・!」  
無意識なのか、自分を叱咤する言葉が飛び出、奈美は大きく息を吐いた。  
ガードレールに体重を預け、片足の踵でそれをカンカンと叩き奈美はうつむいていた。  
 
 
呼吸も収まったが、なかなか顔を上げられずに、ずっと連続して溜め息をついていた奈美だったが、  
「おや―――   君は確か・・・・・」  
自分に掛けられた声に、奈美はゆっくり顔を上げた。  
「・・・・へ!?」  
一瞬、先生の顔に見えたが、すぐに違う人だと気がつく。  
「・・・・・あ! ・・・・・・・・・・絶命先生?」  
「くっつけて言うな!!」  
即座に引きつった顔で言い返した命に、奈美は思わずクスリと笑ってしまう。  
命は少し訝しげに、  
「・・・何か、可笑しかったかな?」  
「あ! いえいえ! 何だか、いつものやり取りみたいな気がして・・・・・・あ、いえ、何でも!」  
奈美はパタパタと手を振りながら立ち上がり、命に軽く会釈する。  
「お兄さんですよね? 先生の。」  
「ええ。・・・・君は望のクラスの・・・・・・・・・・・・・・えー・・・・・・・・」  
名前が出てこない様子の命に、奈美が自分で名乗ろうと口を開きかけると、  
「・・・・普通さん?」  
命の口からでた言葉に、思わずガクリと首を垂れてしまう。  
「もしかして先生、私の事話すとき、『普通』を名前代わりにしてたりします・・・・?」  
「いや! ま! とっても普通な子がいると、いつも言ってるものだから! ・・・あ!? ご免! 気に  
障った?」  
奈美は慌てる命に、苦笑して見せた。  
「気にしてませんよ。・・・・あ。私、日塔奈美って言います。」  
「そうでした! ・・・奈美さん。良い名前ですね。」  
頭を掻きながら悪びれる命に、奈美は微笑み返した。  
 
 
「・・・それで・・・、なぜこんな所で泣いて・・・・?」  
命に尋ねられ、奈美は慌てて目をこすった。  
「いえ! 泣いてたわけじゃないです! ちょっと目にゴミが・・・・・」  
そう言って、奈美は内心、『しまった!』と叫んでしまった。  
(うわあ・・・絶対「普通」っていわれそうだぁ・・・・)  
だが、命は少し眉を上げ、「そう。」と返しただけだった。  
奈美が、ぽかんとした顔で命を見ていると、命は持っていた紙袋をガサッ、と開いた。  
甘い香りが奈美のそばまで広がる。  
「・・・甘栗は好きかな?」  
「へ・・・?」  
奈美は思わず間抜けな声を上げて、命の顔を見てしまう。―――命は微笑んでいた。  
 
 
命に誘われるまま、近くの公園まで足を運んだ二人は、ベンチに並んで腰かけていた。  
間に紙袋を口を開けて置く。命は、ひざの上にハンカチを広げ、早速甘栗を剥き始めていた。  
それに習って奈美も、自分のハンカチを広げる。  
公園には、チラホラと犬の散歩をする人やジョギング姿の人が見える。  
陽はそろそろ周りの建物の屋根に触ろうとしている所だった。  
 
奈美は栗を一つ摘まみながら、そっと命の顔をのぞきこむ。  
今日は白衣は着ていない。茶色のスラックスと、シャツの上にベストを身につけている普段着の姿に見えた。  
顔立ちはやはり先生に似ている。  
(眼鏡のシュミも似てるんだ・・・)  
ちょっと感心したように眺める奈美に命は気がついた。  
「・・・どうしました?」  
「―――やっぱり、似てるなぁって思っちゃって。」  
 
「まあ、兄弟ですから。普通は似るでしょう。」  
命の言葉に奈美は苦笑する。  
「・・・ああ。『普通』って言われるの、嫌いでしたね?」  
命の言葉に、奈美は視線をそらし、栗の背に爪を入れた。  
「よく・・・わからないです。なんか、言われるとつい反応しちゃうけど。」  
パッキ、と音を立てて栗が割れた。  
「ほら、だって、『普通』って全然良い意味で使われないじゃないですか。どうでもいい時とか、悪く言うと角が立つ  
とか、取り合えず『普通』って言っておけばいいや、みたいに。」  
命は少し笑いながら栗を頬張り、奈美の話を聞いている。  
「・・・スルーしてるのと一緒の事ですよね。あまり構いたくない事とか、めんどくさいから流しちゃえって。」  
まだほんのりと暖かい栗を奈美は頬張った。  
「ただ・・・・まあ、最近はちょっと違うように思えて。クラスのみんなも、何かにつけて『普通、普通』って連呼するけ  
ど、何か―――違うんだなって思うようになって。私が嫌だった意味とは違うように思える事もあって・・・・・でもま  
あ、やっぱり反応しちゃうんだよねー。・・・・・・条件反射? かな。」  
ちょっと小首を傾げて苦笑いを浮かべた。  
 
栗が美味しかったのか、遠慮なく、すぐに二つ目に手を伸ばす。  
命は奈美が手に取るのを待って、自分のひざの上に数個置いた。  
「奈美さんは・・・・・結構、構って欲しがる人ですかね?」  
ぶしつけに命に言われ、奈美は思わず手元が狂い、栗がすっぽ抜けて転がってしまった。  
「何言うんですかぁ!? いきなり・・・・・」  
慌てて、栗を拾い上げ奈美は口を尖らせた。  
自分でも思い当たる所を突かれて、少し顔を赤くする。  
「・・・・・いえね。望の奴も、そんな所があってね。昔から。」  
「―――ああ。すぐに、かわいそぶるトコですか?」  
奈美は納得したように苦笑した。  
「小さい時からそうなんですか?」  
「うん。まあ、段々とやり方には、手が込んできたけどね。」  
「あはは・・・。わかりますっ。ホント。死にたがったりするトコですよねー?」  
命は笑いながら、少し手を払い、次の栗を手に取る。  
「ぜーんぜん、死ぬ気なんて無いんですよね。周りが心配して止めてくれるの期待しちゃってさ。・・・もう最近は誰も  
止めなくなっちゃって。あと、わざと悲観的な事叫んだり、ネガティブ思考したり―――で、ホントに悪いほうへ話が進  
もうとすると慌てて逃げるんですよぉー?」  
奈美の言葉に、命はちょっと吹き出して笑ってしまう。  
「つ・ま・り、チキン! なんですよね。先生は。――――あ! すいません! お兄さんの前で、先生こき下ろしてた!」  
「いやいや、・・・・そうか、学校でもそんな感じなんだね。あいつは。」  
命は面白そうに笑っている。  
 
奈美は少し首をすくめて、命から視線を外して正面を向いた。  
「結局みんなも心配しちゃって、ちょくちょく様子見にいったりしてるんですよぉ? 思惑にかかってる気がしないでもない  
ですけど。・・・・・まあ、一応自分の担任ですもんね。」  
ふと、命は困った口調で呟く奈美の表情に気がついた。  
ぼんやりとどこかを見ているようにも見えたが、口元には穏やかな笑みを浮かべて、遠くを見ているような瞳は透き通り、  
優しく揺れているようだった。  
(・・・そうか。この子にとっては―――)  
命は微かに微笑み、小さく溜め息をついた。  
「・・・・お兄さん?」  
「あー、いや、困った奴だな・・・・ってね。色々と大変な目に合わされてるだろう? あれで結構やんちゃな時期もあったし  
。―――それこそ、所帯でも持てば少しは落ち着くかと、実家のほうでも見合いに参加させたりもしていたけどね・・・・・」  
「所帯・・・・ですか。」  
「とは言っても、あいつは逃げっぱなしだし・・・・・まあ、常にふところに遺書を持ってるような男に、だれが来てくれるかっ  
て事もあるんだが。」  
フゥ・・・と溜め息交じりに苦笑を浮かべた命に、奈美もつられて笑ってしまう。  
「・・・最近では、浮いた話一つないしね・・・・」  
「そ・・・・・・う、なんですか?」  
奈美の脳裏に、ついさっき見た歩道橋の景色がよみがえる。  
 
「そうじゃないかな? ああ、君たちの方が良く知ってるかもしれないね。」  
「ん・・・・・・女性と歩いてたりするのを見た事は―――あります。」  
奈美は少し言葉に詰まりながら答えた。  
「そのくらいは・・・・・普通にあるんじゃないかな? ・・・・・ああ、御免。」  
奈美はクスリと笑って、「全然。」と答えた。  
そして、いつの間にか袋が空になっている事に気がつく。  
「あ! ご馳走様です。私、捨ててきますね!」  
そう言って、命と自分の剥いた栗の皮を集め袋に入れると、ゴミ箱を探しながら公園の中を小走りで走って  
いった。  
 
 
奈美の姿が見えなくなると、命はベンチの背にもたれて、大きく溜め息をついた。  
「・・・・おい・・・・・望!」  
少し鋭い声で、叫んだ。  
ベンチの後ろの茂みがガサリと揺れる。  
「・・・気がついてたんですか。兄さん。」  
何ともいえない表情をして、先生が顔をだした。  
「・・・・・・お前、変な趣味とか持ってないだろうな。」  
「私は出歯亀の趣味はありません!」  
そう叫んで、先生は茂みに隠れたままベンチに手をかけた。  
「・・・しかし、好き放題言ってくれますねぇ。だれが手の込んだチキンですか!?」  
「微妙に表現が間違ってないか?」  
命は首をかしげた。  
「まったく・・・・! 日塔さんも日塔さんで、いつも私には、あれだけ突っかかってくるというのに。兄さんの前  
では猫かぶりですか?」  
「いつも? ・・・『普通』って言われて怒るのか、彼女?」  
「ええ。兄さんが言うと怒らないでしょう。つまり、私に言われるのが気に食わないわけでしょう!」  
命は顔をしかめた。  
「おまえ、それ・・・・」  
命は何か言いかけて口を閉じた。  
(・・・それは、おまえに・・・・・・・分かって欲しいからだろう・・・・・?)  
心の中で溜め息をつき、命は先生の顔をみた。  
「おまえ、女連れで歩いたりしてたみたいだが・・・・・」  
「あ・・・やっぱり、日塔さん、見てたようですね・・・」  
先生は少し落胆したように声のトーンが落ちた。  
「別にそういう仲ではないです。誤解されたかと思って追いかけてきましたが・・・・・」  
「本当か? ・・・・・・おまえ、昔みたいに、何人もの子を誤解させてたりしないだろうな?」  
命の言葉に先生は眉を寄せた。  
「しません! もうこりごりですから!」  
「・・・本当か? 何人もの子と要領よく付き合って・・・・誰に振られてもいい様に、2番手や3番手を作ろうとし  
ていたりしないだろうな?」  
「私は鬼畜ですかぁ!?」  
先生の絶叫には構わず、命は親指で奈美のいた方を指す。  
「あの子も? 本命以外の、キープとかに、してたりしないだろうな?」  
「日塔さんを!? してません! 大体、本命ってなんですか!?」  
言い切った先生に、命はニヤリと笑って見せる。  
「じゃあ構わないな?」  
「はい・・・・?」  
命の言葉の意味を計りかね、先生は呆けた表情をした。  
「私が、食事に誘ったり、ちょっと買い物や映画に誘ったりしても、構わないって事だな。」  
一瞬の沈黙があり、  
「エエエエエ!? なんでそうなる・・・・」  
「何か問題があるか?」  
「兄さん! 援助交際ですよ!」  
「私が気をつければ良いだけの話じゃないか? ・・・おや、帰って来たみたいだな。」  
命の言葉に、先生は反射的に茂みに姿を隠した。  
少し間を置いて、奈美が戻ってきた。手には、お茶のペットボトルを二つ持っている。  
 
「どうぞ! のど渇いたと思って。」  
命に片方手渡し、自分のお茶のフタを空け一口飲む。  
「ありがとう。ちょうど何か飲みたくてね。」  
フタを空けながら、命は立ち上がった。  
「だいぶ薄暗くなってきたし、行こうか。」  
「あホント! そうですね。ご馳走様でした。」  
軽く会釈する奈美に、命は笑顔で話しかける。  
「そうそう。先週までここにアイスクリームの屋台が来ていてね・・・・・」  
「へえ・・・!」  
「夏の間だけなんだけど・・・・・、寒くなってくると今度は鯛焼きを売りにくるんだよ。それが、クリームチーズ入り  
とか、珍しい種類が多くて美味しいんだよ。」  
「わぁ・・・・・・」  
奈美の目が輝いたようだった。  
「来週の末からだったから、よかったら一緒に食べないかな?」  
「・・・え! じゃ・・・じゃあ・・・お言葉に甘えて!」  
そんな会話を交わしながら、二人は去っていく。  
命の視線が一瞬ベンチの方に向き―――――ちょっと眉を寄せて・・・・すぐに、前を向いた。  
 
 
 
 
奈美は足取り軽く、暮れなずみ、明かりの灯ってゆく街を家路についていた。  
やがてライトアップされた店先で立ち止まり、  
「・・・・お! 冬の新色・・・・ でもなぁ・・・上品な色だけど、こんな細っこいマフラーじゃ、先生は首吊るロープの  
イメージが・・・・・・」  
難しそうな顔で考えていたが、やがて何かひらめいたように、奈美は手を打った。  
「そうだ! 手作り! 去年に買ったキットがあったな! そうそう、ちょうどイイ色のセーターもあったし、あれを  
ほどいて作ろう!」  
自分の思いつきに、ちょっと浮かれてニヤニヤした顔になる。  
「今度こそ恩着せてやるもんね!」  
そう呟き、片手で軽くガッツポーズを取った。  
無意識に小声で歌を口ずさみながら、奈美は、少し冷え始めた空気の中を歩いていった。  
 

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