金魚すくい、射的、りんご飴――――  
様々な屋台が神社の参道を挟み、埋め尽くす様に連なっている。普段閑散とした印象の多い神社だが、今  
日の縁日などの年中行事の時は、夜店目当ての人でごった返し、夜半までその賑わいが続く。  
 
鉄板の上で焼ける音、行き交う人の話し声、参道を外れ砂利の上を歩く音、風船の割れる音・・・・・・  
 
その中、かろころ、と下駄の音を響かせながら歩く浴衣姿。  
少し癖のある短い後ろ髪を襟の上で跳ねさせながら、奈美は上機嫌で参道を歩いていた。  
 
片手には大ぶりの五平餅を持ち、その手首には夜店で買ったのか、もとから付けているのか、ミサンガの  
ような物や数珠らしき物を嵌めている。  
辺りの屋台を物色しながら参道を進んでいたが、やがてその視線の先に神社の本殿の姿を捉え、奈美は  
足先をそちらに向ける。  
 
「とりあえず、お参りしとこうかな。」  
そう呟いて五平餅を、はぐり、と頬張った時、  
 
「また、ズルする気ですかぁ!?」  
「んくうっっ!?」  
出し抜けに横手からかかった声に驚き、その拍子に噛まずに飲み込んだ五平餅のカケラがノドに引っかか  
ってしまう。  
胸の上をドンドンと叩きながら息を止めて何とか飲み込み、奈美は苦しさに涙を浮かべながら声のした方を  
振り向き叫ぶ。  
「何するんですかぁ!!」  
そこには涼しい顔をした先生が両袖に手を入れて腕を組みながら立っていた。  
 
「また、素敵なタイミングで神様にお参りに来たのでしょう?」  
「・・・って、先生! 今、絶対、タイミング計って声かけたな!? そうでしょう!?」  
詰め寄る奈美に、先生はしれっとした顔であさっての方に視線を移す。  
「私、今年は賢くタイミングよく生きる事にしましたから。」  
「・・・・・・今年の半分過ぎてから抱負を語られても。」  
嫌そうに言った奈美には答えず、先生は参道を歩き出した。  
仕方なく、といった表情で奈美もついていく。  
 
先生は浴衣ではなく着流しを身につけ、帯に小さな巾着を挟んだだけの軽装だった。巾着の根付が皇帝ペ  
ンギンなのはだれの趣味なのだろうと思いつつ、奈美はそのミスマッチさに、くすりと笑った。  
 
「何ですか?」  
「あ、先生、着流し姿カッコいいですよ。遊び人みたいで何か似合う。」  
「・・・実に微妙な表現ですが、まあ、褒められたと思っても良いですよ。」  
その言葉に奈美は苦笑を浮かべる。  
先生はそのままパタパタと草履の音をさせて本殿へと歩いて行く。  
 
しばし無言で二人並んで進み―――  
 
「・・・あ・・・あれ?」  
奈美は首を傾げ、からんころ、と下駄を鳴らして先生を追い抜く。  
「ね! 先生先生!」  
足を止めた先生の前で、奈美はちょっとよろめきながら、ゆっくり一回転してみせる。  
 
「・・・日塔さん、まさか、お酒飲んでますか?」  
「なんでそうなる! ―― ゆ か た !!  何でノーコメントで行っちゃうんですかぁ!?」  
 
そう言われ、先生は顎に手をやり、奈美を足先から頭へとゆっくり見つめる。  
奈美は思わず硬直し、少し変な姿勢のまま動けなくなった。  
 
「―――あなた、大量にぜんざいを作るのに適したナベはご存知ですか?」  
「は・・・? えーと・・・ずんどう・・・? ・・・・・・って、嫌味かあ! 私、ちゃんと、でこぼこありますよ!」  
「いや・・・日本人として普通ですよ。」  
「普通って言うなあ!!」  
 
いつも通りニヤニヤしている先生に、奈美は大きく溜め息をつき自分の浴衣を見下ろしてみる。  
「今年はちょっと大人っぽくしようと思って、柄と色もこだわったんですよ? ・・・全然駄目ですか?」  
「ほほう・・・・・ 浴衣を着て大人っぽさを演出しようとした訳ですか・・・・」  
先生は若干嬉しそうな笑みを浮かべて奈美を見た。  
「普通の発想ですね。」  
「だから、言うなあ!」  
叫んで詰め寄る奈美から身をかわすように、先生は、すすっと本殿の方に行ってしまう。  
 
「あ! まってくださいよお!」  
追いかけてきた奈美より先に、先生は石段を上がり賽銭を投げ込んで手を合わせた。  
しばし間を置いて祈り終え、奈美に場所を空ける。  
 
「えーと、先生、これ。」  
奈美は持っていたままだった五平餅を先生に預け、自分も賽銭を入れて手を合わせた。  
(・・・・・・あ、何をお祈りしよう・・・・・。・・・んー・・・よし! 夏休みが楽しく過ごせますように! OK!)  
今思いついた漠然とした願いを祈り、奈美は満足して石段を降りてきた。  
 
先生から五平餅の割り箸が差し出される。  
「あ、すみませ・・・・・・・へ・・・・?」  
割り箸だけだった。  
見ると、先生が周りに少しタレをつけた状態の口をモグモグとさせていた。  
 
「こらあ!!」  
 
叫ぶ奈美に、先生はキョトンとした表情で、  
「ああ、ご馳走様。」  
「ごちそうさまじゃなくって! 何、食べてるんですかぁ!」  
「・・・・・・ええっ!? 『これ』って言って私にくれたじゃありませんか!」  
「あげてないだろ!? 預けただけじゃないですかぁ!」  
奈美は手に持った割り箸を振りながら非難の声を上げている。  
先生は困ったように腕を組み、難しそうな顔をして唸りだしたが、やがて何か思いついたように腕を解くと手  
をポンと叩いた。  
 
「ちょっと言葉の行き違いがあったようですね。」  
「・・・行き違い・・・・・かなぁ・・・・?」  
「それは、『語弊』餅ですからねぇ――― しかたないでしょう。」  
口元に片手を当てて、横目でニヤリと笑いながら言った先生の言葉に、奈美の動きが止まる。  
ぴき と、一瞬ひたいに血管が浮いたように見え、  
「くだらない事言うなぁ!!」  
小走りで逃げ出した先生を、奈美は下駄の音を響かせながら追いかけていった。  
 
 
 
取り合えず、先生がりんご飴を奢る事で話がつき、出来たてのりんご飴をそれぞれの手に持ちながら二人  
は歩いていた。  
「・・・あ、先生! お面買いません? お面。」  
言い終わらないうちに奈美はお面の屋台に近寄って選び始めた。先生は後ろで飴をカリカリ小さく齧りなが  
ら奈美を見ている。  
「日塔さんは、こういう所でやたらと小物を買って部屋が雑然となるタイプですね?」  
「憶測で言わないで下さい! ちゃんと片付けてますよ部屋。」  
チラッと振り向いてそう言い、奈美は面を二つ受け取った。  
 
「はい、先生。」  
「ええ・・・? キャラクター物は勘弁してください。」  
「違うって。 先生は―――――ひょっとこ!!」  
奈美はサッと背伸びして、先生に面を当て、ゴムをかける。少し嫌そうな顔をして先生は面を横にずらし、  
耳の上に移動させた。  
「日塔さんは・・・・・・何故キツネを?」  
昔ながらの赤い隈取りが入った白い面を額の上に乗せ、ゴムをうなじに通しながら奈美は小首を傾げた。  
「・・・・・・ん、なんとなく・・・・。何かこのシャープな顎のラインがいいなって思って。」  
その言葉に先生は納得の表情を浮かべた。  
「日塔さん、丸顔ですからね。」  
「はっきり言うかな!? ちょっとキズつくんですけど!」  
ムッと眉を寄せて奈美は口を尖らせる。  
先生は笑いながらひょっとこの面を顔に被せ、そっぽを向いてしまう。  
「あー! またスルーですかぁ!?」  
奈美は苦笑しながら肩をすくめ、まだ熱いりんご飴を軽く齧った。  
 
 
「そういや先生、今日は交君は?」  
「ああ、倫と一緒です。明日には帰ってくると言ってましたね。」  
「そっか・・・・。じゃ、まだ廻れますね?」  
奈美の問いに先生はあからさまに苦笑いを浮かべてみせた。  
「なんですかぁ。」  
「・・・しょうがないですねぇ。これを食べ終わるくらいまでは居ましょうか。」  
わざとらしい溜め息をついて、ちいさく齧ったりんご飴を軽く振って見せた。  
 
 
 
「おや? ちょっと風が出てきましたね。」  
先生につられて奈美も空を仰ぐと、夜空に出ている月がゆっくりと移動する雲に隠れ、おぼろげな姿となっ  
ている。時折、吹き抜ける風が、少し蒸した空気を払ってくれるようで気持ちがいい。  
 
「――そういや意外と、先生は射的や輪投げが下手なんですか? 男の人のわりに。」  
「おみくじを二回も引いて二回とも『中吉』だった人に言われたくないですねぇ。」  
「・・・うっ・・・・・それは関係ないっ!  ・・・だって何か、くやしいじゃないですか!」  
 
ぴぅ ぱるるるる・・・・・・  
 
先生はおどけるように残念賞にもらった紙笛を吹いて見せた。丸まっていた紙笛は奈美の鼻先まで伸び、  
また元の形に巻き戻る。  
奈美は力の抜けた顔で溜め息をついた。  
「この、平凡な事を脱却できる方法――――何かないかなぁ・・・?」  
「何もないですねえ。・・・ゼロは何を掛けてもゼロでしょう?」  
「私がゼロだとまで言う!?」  
ほとんど間を置かずに返ってきた言葉に、奈美はさらに深く肩を落としてしまう。  
 
「まあまあ。普通の方が良いことも・・・・・・・そうですね・・・・たとえばアレです。」  
先生は辺りを見回し、カキ氷の屋台に目をつけた。  
「あれにドレッシングをかけて出されたら嫌でしょう?」  
「極端な例をだすなぁ・・・」  
奈美は苦笑しながらそれでもちょっと考え込む。  
 
「それを喜んで食べたら普通じゃないですよね?」  
「受け狙いだったら、ただのイタい人ですよ。ねえ日塔さん?」  
「うう・・・・・・って、実は、なぐさめてないだろ!?」  
我に返ったように叫んだ奈美に、先生は肩をすくめた。  
「ええー? はははは・・・」  
「そこで笑って誤魔化しますか・・・?」  
奈美の非難の篭った視線を受けながら、先生は小さくなったりんご飴をひとかじりして、芯が刺さった串を  
近くにあったゴミ箱に投げ入れた。  
 
(・・・・・・・・あ・・・・)  
奈美は心の中で呟き、いつの間にか残り一口程になっていた自分のりんご飴を口に運び、串を同じゴミ箱  
に捨てた。―――何だか楽しかった気分が急にしぼんでいく様な焦燥感に囚われ、奈美は落ち着き無く、  
視線を周りに漂わせている。  
 
その奈美の様子に気がつき、先生は不思議そうな顔をして口を開く。  
「・・・日塔さん?」  
先生の声にハッとした奈美は、突然その着物の袖を掴んで先生を引っ張った。  
「あ・・・えと・・・・・・先生、ほら! あれあれ!」  
適当に指差した方向に先生を引っ張って行きながら、奈美は辺りを見回し、何か無いか探す。  
ふと、その視界に何かが飛び込んできた。  
 
「ちょ・・・日塔さん?」  
「先生ほら! あれ!」  
 
ちょっと小走りで奈美は指を指して見せた。  
 
 
境内の外れに組まれた大きな竹棚に、様々な色のかざぐるまが並び、緩やかに回っていた。  
椿の花を思わせる八枚羽作りで、一つ一つがカラカラと軽い音を立てて回転していた。  
 
「ほお・・・風流ですねぇ・・・・・」  
「・・・あ。無人販売だって。箱がありますよ。」  
奈美の指差す先には小さな木箱が置いてあり、『どれでも100えん』とだけ書いてあった。  
先生には何も聞かず、木箱に硬貨を二枚入れて奈美は微笑んだ。  
 
「先生に似合う色、選んであげますね!」  
「・・・またそんな。・・・まあ、例によって普通な色を選ぶんでしょうね。」  
「選ぶ前から言うなぁ!」  
 
一声叫んで、奈美は先生に背を向け、真剣な表情で一つ一つ見定めてゆく。  
(・・・・・・絶対「普通」って言われない色・・・何か・・・・・・)  
下の段から順番に眺めて行き、ゆっくりと視線を上の方まで巡らせた時、ショッキングピンクの地に金銀で  
マーブル模様が描かれた物を見つけ、奈美はニマ〜と顔を緩ませた。  
(あれだな!)  
奈美は背伸びして手を伸ばし横目でチラリと先生を見ると、先生は奈美が何を選んだかに気がついた様子  
で、渋い顔を浮かべて見上げている。  
 
(やった!)  
心の中で自分に喝采を浴びせ、奈美は手を伸ばしてかざぐるまの柄を掴もうとし―――  
その手が止まった。  
 
(・・・・・・やめた!)  
手先をずらし、近くにある空色のかざぐるまを手に取った。  
(こっちがいいや。)  
自分の企みに緩んでいた顔を微笑に変え、奈美は振り返って先生に差し出した。  
「・・・はい。」  
 
先生は無言で受け取り、指先でその羽を軽く弾きゆるやかに一度回した。  
 
「・・・・・・・・・・あれ? 言わないんですか?」  
奈美は意外そうな声を出し、小首をかしげると、  
 
「・・・言ってほしいんですか?」  
手元を向いたたまま視線を奈美に向け、先生はポツリと尋ねる。  
奈美はギクリと体を強張らせた。  
 
「いえ・・・・・・・べつに・・・・・・」  
少し裏返った声でそう答え、先生から目をそらす。  
(調子狂うじゃないかぁ・・・・・・)  
 
戸惑っている様子の奈美に、気が付いていないのか、先生は首をかざぐるまの棚に向け、  
「日塔さんは、どの色がいいんでしょうか?」  
「ええ・・・・!? ・・・選んでくれないんですか?」  
驚いた声を出した奈美に、先生は少し悪戯っぽく笑う。  
「先生、文句言われたくないですから。」  
「・・・・・・っ! またぁ!」  
 
少し膨れ面をして、奈美は好みの色を選び出す。  
「じゃあ・・・・・・あの、一番上の赤いやつ!」  
「いちばん普通なやつですね。」  
「ここで言うか!?」  
眉間に眉を寄せて憤慨する奈美に少し笑いかけ、先生は手を伸ばしてかざぐるまを取った。  
 
奈美の選んだ色とは違う、明るい黄色のかざぐるま―――  
 
「あ、あれ? 間違い・・・・」  
戸惑う奈美に手渡し、  
「こちらの方が似合うと思いますから。」  
さらっとそれだけ言って、少しぎこちなく微笑んだ。  
 
「・・・・・・え・・・あ、ありが・・・とうございます。」  
呆けたような表情でお礼を言って受け取ると、奈美は少し顔を赤らめた。  
 
先生は手を伸ばした際に袖が触れて、少し傾いてしまった棚のかざぐるまを直していた。  
 
 
(・・・・・・・・・・・・・・・)  
 
奈美は、優しい表情を浮かべ先生の姿を見つめ、  
 
「ねえ・・・先生・・・・・」  
 
自然と―――その唇が動き、言葉を紡ぎだした。  
 
「私・・・先生のこと、好きですよ。」  
 
その・・・言葉と同時に風が吹き抜けた。  
先生から奈美に向かい吹き抜け―――かざぐるま達は勢い良くまわりだす。  
 
呟くように唱えた奈美の言葉は、その中に溶け、風の音たちに持ち去られたようにかき消され―――  
 
風音が収まると、再び縁日の喧騒だけが聞こえてきた。  
奈美は同じ表情のまま、先生を見つめ・・・・・・先生は奈美を見つめていた。  
 
 
「・・・・・・日塔さん?」  
先生の言葉に奈美は夢から覚めたようにハッと表情を変えた。  
「あ・・・! えーと! ・・・もう帰る時間なんじゃないかなー、って・・・・」  
慌てて、誤魔化すように奈美は答えた。  
「・・・そうですね。じゃあ、おいとまさせてもらいますか。」  
 
心の中でそっと胸を撫で下ろす自分に気がつき、奈美は苦笑を浮かべる。  
(・・・聞こえてないよな。うん。)  
 
先生は軽く会釈して、ゆっくりときびすを返して入り口の鳥居に向かい―――  
立ち止まって振り返った。  
手に持った、空色のかざぐるまを奈美に見せる。  
 
「―――ありがとう。」  
 
奈美に向けられた搾り出すような声は少しかすれ、  
真剣な目と、僅かに口元に浮かべた微笑みは、どこか、つらそうな悲しさが感じられ  
再び奈美に背を向けて  
先生の姿は鳥居をくぐり、見えなくなった。  
 
 
 
奈美は返事をする事も忘れ、しばし、目に焼きついたように残る先生の表情を繰り返し思い浮かべていた。  
 
やがて、大きく息を吐き出し、その場にうつむく。  
 
「聞こえてたんだな・・・・・・ばか・・・・・・」  
呟くように言って、首を振った。  
「私もか・・・・・・・・・・馬鹿な事、言っちゃった・・・・・・・・」  
 
ぽたり  と、奈美の頬を伝い、しずくが落ちた。  
 
「・・・あんな、つらそうな顔しないでよぉ・・・・・・。聞き流せばいいじゃないかぁ・・・・・・・・・」  
手で頬を拭い、奈美は少し頭を振って空を見上げた。  
月は雲に隠れその姿は見えず、雨が落ちてきそうな予感を憶える空気だった。  
 
「いつもみたいに・・・・・・悪態つけば良かったのにさ・・・・・・・・先生・・・」  
奈美は空を見上げたまま、少し肩をすくめた。  
 
「・・・やっちゃったな・・・・・・・私・・・・・」  
 
奈美の言葉に答えるように、小さな風を捕まえて、手に持ったかざぐるまが回りだした。  
涙目のままクスリと笑い、奈美はその羽を小さく弾いた。  
 
「・・・笑うなぁ。」  
 
かざぐるまは一度止まり、再び回りだした。  
からからと小さな音を立てて。  
 
 
 
 

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