可符香は、白い靄の中を歩いていた。  
―――ここは、どこだろう…。  
 
なんとはなしに不安な気持ちにさせる、白い靄。  
可符香は、その中で、一生懸命誰かを探していた。  
 
―――どこに…どこに、いるの…?  
 
と、靄を通して、袴を着た背の高いシルエットが霞んで見えた。  
「先生…。」  
可符香は、小さく呟いた。  
 
―――そうだ、私は、先生を探していたんだ…。  
 
可符香が歩み寄ると、その姿…望がゆるゆるとこちらを振り向いた。  
 
「可符香…あなたと、お別れしなければなりません。」  
「え…?」  
望は、それだけ言うと可符香の視線を避けるように目をそらせた。  
 
可符香の喉は、からからだった。  
 
―――何を、言っているの?先生!?  
 
問い質したいのに、声が出ない。  
 
急に、2人を取り巻く靄が濃くなった。  
望の姿が霞んでいく。  
いつの間にか、その首にはロープが巻きついていた。  
 
「…さようなら、もう、会うこともないでしょう…。」  
 
靄の向こうから、望の声だけが聞こえてきた。  
 
「―――先生!!」  
 
 
 
可符香は、自分の叫び声で目を覚ました。  
 
「……夢…?」  
 
可符香は、自分のベッドで寝ていた。  
心臓が激しく動悸を打っている。  
汗をびっしょりかいていて、気持ちが悪かった。  
 
―――なんで、あんな夢なんか…。  
 
のろのろと起き上がり、台所で水を飲んだ。  
何故か、先ほど夢の中で感じた不安感が消えなかった。  
 
可符香は、台所の窓から見える月を眺めると、呟いた。  
「先生…。」  
 
 
* * * * * * * *  
 
 
その頃、糸色望は、宿直室で執事の時田と向かい合っていた。  
腕を組んで執事を睨みつける望に対して、時田は涼しい顔をしている。  
 
「何度言っても同じです。見合いはしません。」  
「ぼっちゃま。そうおっしゃいますが…。」  
「だいたい、あの儀式なんて、所詮、時田の憂さ晴らしじゃないですか。」  
 
時田は、望の言葉にモノクルをきらりと光らせた。  
「ぼっちゃま、今回の見合いは、『見合いの儀』ではございません。」  
「…なんですって?」  
「きちんとした、本格的なお見合いでございます。」  
そういうと、時田はカバンから大きな封筒を取り出し、望の前に置いた。  
 
「さる代議士のお嬢様です。優しくお美しく、お年もぼっちゃまと頃合い、  
 これほどの良縁はございません。」  
「じょーーーーだんじゃありません!!」  
望は大声で叫んだ。  
 
「だいたい、見合いだったら私よりも兄さん達の方が先でしょう!  
 なんで、いつも、私ばかり結婚させようとするんですか!!!」  
 
激昂する望に、時田は、首を振った。  
「ぼっちゃま…ぼっちゃまには、糸色家の正当な継承者として、  
早くに身を固めていただく必要があるのです。」  
「木目糸売の件ですか!?あれは、お父様の悪ふざけでしょうが!」  
 
時田のモノクルが再び光る。  
「本当に、そう、お思いですか…?」  
「え…。」  
「旦那様は、自分の地盤を継がせるには、望ぼっちゃま、  
あなた様しかおられないと、前々から考えておられるのですよ。」  
「な…、私なんかに、政治家なんか務まるわけないじゃないですか。」  
望は、あきれたように時田を見た。  
 
時田は、首を振ると鋭い目を望に据えた。  
「縁様は、確かに実力はご兄弟で一番ずば抜けていますが、何せご縁の薄い方。  
 景様は、才能ある方ですが、常人には理解し難い。  
 命様は、怜悧すぎて、やや人情味に欠けるところがございます。  
 あなた様が、一番、大様の地盤を継ぐのにふさわしいのですよ。」  
 
「…つまりは、私は、一番出来が悪くて平凡だってことですか。」  
傷ついた顔をする望に、時田は諭すような目の色になった。  
「ご両親は、あなた様に、糸色家の未来を託しておられるのです。」  
望は、思わず時田から目をそらせた。  
「ぼっちゃまは、そのご両親のご期待にお応えなさらないのですか?」  
「…………でも、……私は……。」  
 
言いよどむ望に、時田の表情が厳しくなる。  
「例の女生徒の件であれば、それは考慮の範囲外ですぞ。」  
「―――!!!」  
「私の調査能力を見くびってもらっては困ります。」  
望の顔から、ゆっくりと血の気が引いていった。  
 
時田は、悲しげな目で望を見つめた。  
「…ぼっちゃま。その場限りの関係であれば、相手が教え子だろうが構いません。  
 しかし、あなた様は江戸時代から続く糸色家の、大事な跡継ぎなのです。  
 ゆめ、ご軽率な行動は取られませぬよう…。」  
「………。」  
 
時田が宿直室を辞したのは、真夜中を過ぎていた。  
1人残った望は、封筒を前に、無言で腕を組んでいた。  
 
秋の夜長の虫の音が、うるさいくらいに辺りに響いている。  
暗い部屋の中で、望の横顔を、月が照らしていた。  
 
月が校舎の影に沈んだ後になって、ようやく、望は立ち上がった。  
そして、封筒を見下ろすと、深いため息をついた。  
 
 
* * * * * * * *  
 
 
翌朝。  
 
可符香は、昨日から消えない不安にいたたまれず、早朝に学校の門をくぐった。  
そのまま、まっすぐに宿直室に向かう。  
 
宿直室の前の中庭から、煙がひと筋昇っていた。  
「…?」  
可符香が、中庭を覗き込むと、望がなにやら焚き火をしていた。  
 
「…先生、こんな朝っぱらから、何やってるんですか?」  
可符香が呼びかけると、望は、大げさなくらいに驚いて飛び上がった。  
「か、可符香!どうしたんですか、こんな早くに!!」  
 
「…ちょっと、眠れなくて…それより先生、何を燃やしてるんですか?」  
可符香は、望の手元を覗き込んだ。  
炎の端から白い、封筒らしきものが見える。  
望は、慌てた様子で焚き火をかき回した。  
「べ、別に、単にゴミを燃やしていただけですよ!早くに目が覚めたもんですから!」  
 
「…。」  
可符香は押し黙った。  
望の行動はどう考えても怪しかったが、それ以上突っ込んでも  
素直に答える性格ではないことは、長い付き合いで良く知っている。  
 
―――放課後、ゆっくり探ってみるしかない、かな…。  
 
可符香は、心の中で呟いた。  
 
 
可符香は、放課後、すぐにでも宿直室に行きたかったのだが、  
そういうときに限っていろいろと用事が重なるものだ。  
結局、可符香が宿直室を訪れたのは、すっかり日が暮れてからのことだった。  
 
「先生…います?」  
扉をそっと開けて中を覗き込んだ可符香は、目を丸くした。  
 
この学校の宿直室は風流なことに、中庭に面して縁側が作られている。  
望が、そこに座って、一人、杯を傾けていたのである。  
 
望は振り向くと、驚いたような顔をした。  
「可符香……?どーしたんですか、こんな、時間に…。」  
少し酔っているようだ。  
 
「…珍しいですね、先生がお酒を飲むなんて…。」  
可符香は、上がりこむと、望の隣にすとんと腰を下ろした。  
「交君は、どうしたんですか?」  
 
望は、ゆらゆらと杯を上げながら答えた。  
「交ですか…交はですねぇ…。」  
ふと、望の表情に苦々しさがよぎる。  
「…時田が、実家に、連れて帰りました…。」  
「時田さんが?また、どうして?」  
 
望は、それに答えずに杯を干すと、ふーっと息をついた。  
 
「…先生、お酒、飲めないんじゃなかったでしたっけ?」  
「…余り、得意ではありませんねぇ…。」  
「だったら、何で飲んでるんですか?しかも1人で。」  
 
絶対、今日の望は何かおかしい。  
可符香は思った。  
 
「先生…。」  
可符香が言いかけたとき、望が口を開いた。  
「あなたも、飲みますか?」  
「…生徒にお酒勧めるなんて、問題ですよ。」  
 
可符香自身も、余り酒を飲みつけてはいない(まあ、当然だが)。  
しかし、望から何かを聞きだすためには、とりあえず調子を合わせたほうがいい、  
そう考えた可符香は、望の手から杯を受け取った。  
 
可符香の手の中の杯に酒を注ぎながら、望が呟く。  
「この杯を受けてくれ、どうぞなみなみ注がしておくれ…か。」  
「勧酒、でしたっけ…?」  
可符香は、その有名な訳詩の先を思い出して、ヒヤリとした。  
 
―――サヨナラダケガ ジンゼイダ…。  
 
「せん…」  
「さ、飲んでください、可符香。」  
「…。」  
 
大きめの杯に満たされた酒に、月の光が反射している。  
可符香は、それを見つめると、一気に飲み干した。  
 
喉を熱い塊が下りていき、体がかっと熱くなる。  
可符香は、ほぅ、と息をついた。  
 
と、望が可符香の手から杯を奪い取った。  
「先生?」  
顔を上げた可符香に、望が乱暴に口付けてきた。  
 
「んんっ!」  
望の息は、甘い、酒の香りがした。  
可符香は、そのまま縁側に押し倒された。  
「せ、先生…?」  
 
望の表情は、月の光を背にして、はっきりとは分からなかった。  
次の瞬間、望がいきなり可符香の首筋に顔を埋めてきた。  
「…っ!?」  
可符香は、混乱した。  
 
望は、普段体を合わせるときは、優しく焦らすような愛撫を繰り返し、  
可符香が何もかも分からなくなるまで、ゆっくりと追い詰める。  
 
しかし、今の望には、そんな余裕は全く見られなかった。  
何かにすがるように、可符香にしがみついていた。  
 
「先生…。」  
呼びかけても、望からは答えはない。  
「や、…んっ!」  
首筋を強く吸われて、可符香はのけぞった。  
 
「先生、待って、私、先生に聞きたいことが…。」  
可符香は、望の胸を押し返した。  
望は、一瞬、動きを止めて可符香を見たが、何も言わずに  
再び、可符香の首筋に顔を埋めた。  
 
「やっ、ちょっと、先生、待って…!」  
望の指が、セーラーのリボンをほどき、前襟のスナップを外していく。  
可符香は、両腕を上げられ、あっという間に上着を脱がされてしまった。  
ブラもむしりとるように取り去られ、顕になった素肌に、  
望が紅い跡を散らしていく。  
 
可符香は、既に息が上がっていた。  
望に、話を聞かなければと思いながらも、何も考えることができない。  
自分の上を行き来する、望の指と唇の触感だけが可符香を満たしていた。  
 
望が、スカートのファスナーを下げる。  
スカートと一緒に下着も下ろされた。  
 
「え…。」  
望が、袴を乱暴に脱ぎ捨て、可符香の上に覆いかぶさった。  
「っ、ぁぁぁあああ!」  
望が、前触れも無しに可符香の中に侵入してきた。  
 
既に、十分潤っていたとはいえ、さすがに痛みを感じる。  
「先生、痛い…!」  
望の性急な行為に可符香は恐れを感じた。  
 
望から、こんなにも強引に体を開かれたのは、前に一度きり。  
合意さえなかったあのときは違うとはいえ、それ以来、望は  
可符香が痛みを感じるようなことは一度もしたことがなかった。  
 
それが、今は、可符香の抗議が聞こえているはずなのに、  
動きを止めようとする気配もない。  
 
望の顎から、可符香の上に汗が落ちてきた。  
望は、着物さえ脱いでいなかった。  
 
―――どうしたの、先生、ねえ、何があったの…!?  
 
可符香の疑問は、段々と湧き上がってきた快感に押し流されてしまった。  
 
「くっ…!」  
「…ぁっ!」  
2人、小さく叫んで、可符香は望と同時に果てた。  
 
2人は、虫の音の中、しばらく無言で呼吸を整えていた。  
月の光だけが照らす部屋で、互いの息遣いが響く。  
 
可符香は、隣でごろりと横になっている望に顔を向けた。  
望は、手の甲を目にあて、上を向いていた。  
その姿が、何となく泣いているように見えて、可符香は声をかけた。  
「先生…?」  
 
望は、ピクリと体を動かすと、手を顔からどけた。  
そして、ゆっくりと、可符香の方を向いた。  
望の目は、乾いていた。  
しかし、その瞳は暗くよどみ、可符香を不安にさせた。  
 
「先生…。」  
口を開いた可符香に、望が手を伸ばした。  
ぐい、と引き寄せられ、再び望の唇が強く押し付けられる。  
「んっ、せん、せ…。」  
可符香の抗議は、絶え間なく与えられる口付けに封じ込められた。  
 
可符香は、息が苦しくて朦朧となりながらも、  
望の欲望が再び盛り上がっているのを感じた。  
 
望が、可符香の細い体を組み敷いた。  
「え、まさ、か、せんせ…。」  
可符香の声を無視するように、望が再び可符香に押し入った。  
 
―――先生…!!  
 
望の狂おしい表情を目に、可符香の意識は遠のいていった。  
 
 
 
* * * * * * * *  
 
 
「…。」  
 
夜半もだいぶすぎた頃、望はそっと起き出した。  
立ち上がり、ぐっすりと寝入っている可符香を見下ろす。  
 
飲みつけぬ酒を飲んだところに、何度も激しく求められ、  
可符香は、いつになく深い眠りについているようだった。  
ちょっとやそっとでは目を覚ましそうにない。  
 
望は、押入れから布団を出して可符香にかけると、  
旅立ちセットが入ったカバンを取り出した。  
そして、大きな音を立てないよう、その中身を入れ替えていった。  
 
最後、カバンを閉め、手に持って立ち上がりかけ、  
望は、再び可符香を見下ろした。  
 
「…。」  
望は、カバンを置くと身をかがめ、寝ている可符香の頬をそっとなでた。  
可符香が、くすぐったそうに身じろぎをする。  
 
望は、はっと身を引き、息を殺して可符香を見守った。  
どうやら、可符香は再び眠りに落ちたようだ。  
 
望は、ほっと息をついた。  
しばらく可符香をそのまま眺めていたが、引き寄せられるように顔を近づけ、  
可符香に口付けしようとして……直前で止まると、体を起こした。  
 
そして、小さくため息をつくと、今度こそカバンを手に立ち上がった。  
 
「さようなら、可符香…。」  
望は、呟くと、音も立てずに宿直室から出て行った。  
 
 
* * * * * * * *  
 
 
翌朝、可符香は宿直室で目を覚ました。  
 
―――あ、あれ!?まずい、私、そのまま寝ちゃったの!?  
 
慌てて起き上がり、辺りを見回す。  
「…先生…?」  
そこに、望の姿はなかった。  
 
ふと、押入れが少し空いているのに気づき、近づいて、開けてみる。  
そこにあったのは、望がいつも「旅立ちセット」と言っていた小物たち。  
「何で、これがここに…。」  
旅立ちセットが入っていたカバンは見当たらない。  
 
―――先生!?  
 
急に、得体の知れない不安が可符香を捉えた。  
この「旅立ちセット」は、実際には旅立てない見せかけだけの代物である。  
それを置いて、望は、いったい代わりに何をカバンに詰めて行ったのか。  
 
―――そもそも、先生は、いったいどこに行っちゃったのよ!!  
 
宿直室の押入れをもう一度覗く。  
着替えが入った行李には手はつけられていないようだった。  
 
―――着替えも持たないで、どこに…?  
 
心臓の音がうるさいくらいに鳴っている。  
可符香は宿直室を出ると、隣りの用具室の扉が僅かに開いているのに気が付いた。  
 
覗くと、壁にかかっていたはずの、丈夫で太いロープがなくなっている。  
 
可符香は、息を飲んだ。  
「先生!!」  
可符香は、望の姿を求め、廊下に飛び出した。  
 
 
「えー、どうやら、糸色先生は、また失踪中のようです。」  
新井智恵は、朝のホームルームで、うんざりした顔でそう告げた。  
生徒達の反応も、慣れたもので、誰も心配していない。  
 
その中で、1人、可符香だけが青ざめた顔をしていた。  
 
と、教室の扉が開いて、袴姿の少女が現れた。  
「あれ…まといちゃん?先生についていったんじゃないの?」  
 
不思議そうな顔をするクラスメートに、まといは顔をしかめた。  
「先生がくれたコーヒーを飲んだら急に眠くなっちゃって…。  
 気が付いたら、保健室で寝てた。」  
 
頭を振りながら席につくまといを見て、生徒達が呟いた。  
「それって、睡眠薬?」  
「先生、今回の失踪は、随分手が込んでるねぇ…。」  
 
ガターーン!  
 
可符香は、思わず椅子を引っくり返して立ち上がっていた。  
教室の皆が、可符香を振り返る。まといが、す、と目を細めた。  
智恵も、教壇から驚いたような顔で振り返った。  
 
「あ…、と。すいません、智恵先生、お手洗いに行きたいんですが。」  
可符香は、慌ててその場を取り繕った。  
「え、ええ、もうホームルームは終わりなので、どうぞ。」  
智恵が、面食らったような顔で答えた。  
 
クラスの皆も、いつにない可符香の態度をいぶかしんでいるようだ。  
可符香は、皆の目を避けるように教室から出ると、宿直室に向かった。  
 
無人の宿直室に入ると、  
「先生…。」  
可符香はちゃぶ台の前にへたり込んだ。  
 
と、後ろから聞きなれた声がした。  
「杏ちゃん、いったいどうしたっていうのさ。」  
 
「准君…」  
可符香は振り向いた。  
 
「先生に、何かあったの?」  
尋ねる准に、可符香はうつむくと、ぽつりぽつりと話し始めた。  
 
昨日、朝から望の様子がおかしかったこと。  
可符香に何も言わず姿を消してしまったこと。  
 
さすがに、昨日の夜のことは話せなかったが、  
旅立ちセットの中身が入れ替わっているようだと話したとき、  
黙って可符香の話を聞いていた准の表情が変わった。  
 
「…それって…。」  
准は、眉根を寄せて、可符香を見た。  
可符香は、准が、自分と同じことを心配しているのだと分かり、  
不安がさらに高まってくるのを感じた。  
 
准は顔を上げた。  
「倫ちゃんに、何か分からないか、聞いてみるよ。」  
「…倫ちゃん?」  
「うん。時田さんが交君を実家に連れて行ったって言ってたろ。  
 先生の実家の方で、何かあったのかも知れない。」  
「…うん。ありがとう、准君…。」  
 
気にしないでよ、と笑顔で手を上げる准を見送ると、  
可符香は、再び、ちゃぶ台の前に座り込んだ。  
 
―――先生、なんで、何も言ってくれなかったの…?  
 
可符香は、両手をちゃぶ台の上につき、その中に顔を埋めた。  
 
 
* * * * * * * *  
 
 
倫が、喫茶店で待つ准のもとに、息せき切って走ってきた。  
「准!分かったぞ!」  
「良かった!…どうもありがとう、倫ちゃん。」  
 
「時田の奴、はじめはしらばっくれていたが、締め上げたら吐いた。」  
倫は准の向かいに腰を下ろした。  
准は、「締め上げた」の言葉が気になったが、あえて尋ねないことにした。  
 
「お兄様、どうやら見合いの話があるらしい。」  
「ええ!?また!?」  
「いや、今回は『見合いの儀』ではなく、本格的な見合いだ。」  
「…だって、先生には、杏ちゃんが…。」  
 
倫は、ふむ、と腕を組んだ。  
「お父様は、どうやら望お兄様を本気で跡継ぎに、と考えているようだな。  
 いくら、冗談好きなお父様でも、さすがにそうなると…。」  
「杏ちゃんは、糸色家にはふさわしくないってこと!?」  
気色ばむ准に、倫はムッとした顔をした。  
「私が言っているわけではないぞ。」  
「あ、ごめんよ倫ちゃん、つい…。」  
准は、倫に謝りつつも、口を尖らせた。  
「…でも、てことは、先生は杏ちゃんに内緒で見合いに出かけたってわけ?」  
 
倫が首を振った。  
「それが…お兄様、実家にも姿を見せていないらしい。」  
「え…。」  
「時田の口ぶりだと、かなり見合いに抵抗していたらしいから…。」  
「じゃあ、本当に、失踪…?」  
 
准と倫は顔を見合わせた。  
倫が、表情を曇らせて、呟いた。  
「これは少し…心配だな。」  
 
 
* * * * * * * *  
 
 
 
 

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