旧制中学校を模して建てられた、温かみのある校舎。  
大きな窓から、日の差し込む明るい教室。  
 
ここで、彼らとともに、教え、学び、騒ぎ、そして笑って泣いた。  
 
毎年、春になると満開の桜が花びらを散らせる通学路。  
思えば、彼女と初めて出会ったのも、桜の季節だった。  
 
臨海学校や夏祭り、修学旅行、初詣に豆まき、そして再び巡る春、  
季節は、彼女の明るい笑顔と、教え子達の笑い声に満ちていた。  
 
今振り返れば、宝石のように輝いて見える、愛しく大切な日々。  
 
―――そして、明日。  
 
彼らは、そして彼女は―――この学校を、卒業する―――。  
 
 
 
*     *     *     *     *     *  
 
 
 
帰りのホームルーム、望は出席簿を閉じると皆を見渡した。  
「明日は、教室でホームルームの後、式に参列となります。  
 皆さん、明日で最後ですから遅刻しないように。」  
 
留年を繰り返し、永遠の17歳と言われていた2年へ組の生徒達も  
いつのまにか3年に進級し、とうとう明日の卒業式を残すのみとなった。  
 
2年から持ち上がりで担任を務めた望のホームルームも、あと1回。  
こうやって教壇から彼らの顔を眺めるのも、明日で最後だった。  
 
望は、しばらく黙って生徒達を見ていたが、やがて静かに口を開いた。  
「…連絡事項は、以上です。」  
 
廊下を歩く望の後を、可符香が追いかけてきた。  
「先生!」  
密かに彼女と付き合い始めてからも、随分と年月が経っている。  
 
「ああ、風浦さん。後で、宿直室に来ていただけますか?」  
望は、廊下を通り過ぎる生徒達を気にしながら、可符香に笑いかけた。  
「え…。」  
「あなたに、お伝えしたいことがあるのです。」  
望の言葉に、可符香は、心なしか表情をこわばらせて頷いた。  
 
 
 
 
生徒達があらかた下校した後、宿直室に可符香がやってきた。  
交は、あらかじめ倫の家に預けてある。  
 
そういえば、と望はふと思い当たった。  
いつの頃からか、可符香がやってくるときには、まといの姿を見かけなくなった。  
まといの気持ちを思うと心が痛んだが、こればかりはどうしようもなかった。  
 
「こちらにどうぞ。早咲きの桜が見えますよ。」  
靴を脱いだ可符香に、縁側から手招きする。  
 
望と並んで縁側に座った可符香の表情は固かった。  
「どうしたんですか、怖い顔をして。」  
「…。」  
「可符香…?」  
「今度は、何が理由ですか。」  
「…は?」  
「また、別れようって言うんでしょう?」  
 
可符香は、固い表情のまま、前を向いて言った。  
 
「………私は、まだ、何も言ってないのですが…。」  
「言わなくたって分かります。」  
「…あのですね…。」  
「いつだって、そうじゃないですか。」  
くるりと、可符香は望の方を向いた。  
 
「今までに、先生は、いったい何度私と別れようとしたと思うんですか。  
 しかも、その理由はいっつも独りよがりで。  
 どうせ、今回だって、卒業後は新しい別の人生を歩けとか言うんでしょう。  
 先生のネガティブ思考には慣れましたけど、もう、いいかげんにしてください。」  
 
一気にまくしたてて、なおも言い募ろうとする可符香に、  
望は大きなため息をつくと、その腕をぐいっと引っ張った。  
「!!」  
そのまま、唇をふさぐ。  
「んっ――!!」  
 
抱きしめたまま、ゆっくりと舌を絡め、何度も吸い上げると、  
やがて、可符香はぐったりと大人しくなった。  
 
「…先生、ずるいです…。」  
目を潤ませて、可符香が睨みあげる。  
「あなたが、人の話を聞こうとしないからですよ。」  
望は、再びため息混じりに言うと、がさごそと後ろから小さな箱を取り出した。  
 
「え…?」  
「私は、これを渡そうとしていたんです。なのに、あなたときたら…。」  
「先生、これ…?」  
「開けてみてください。」  
望はにっこり微笑んだ。  
 
可符香は、震える手で箱を開けた。  
中には、可愛らしいダイヤのついた指輪が収まっていた。  
 
言葉をなくして箱の中の指輪を見ている可符香に、望は語りかけた。  
「先生と、生徒でなくなったら、あなたに言いたいと思っていました…。  
 ちょっとフライングになっちゃいましたが…。」  
照れたように言うと、望は表情を引き締めた。  
 
「可符香…私と、結婚していただけますか?」  
可符香が弾かれたように顔を上げた。  
「…!」  
 
望は、可符香を見つめながら続けた。  
「あなたは、いつも私に、世の中の明るい面を見せてくれた。…おかげで、  
 私もいつの間にかあなたの目線で世界を見るようになっていました。」  
可符香は、望の言葉に、目を潤ませるとうつむいた。  
「可符香。私は、あなたと一緒なら、人生に絶望せずに生きていける。  
 あなたと…ともに、幸せになりたいのです。」  
 
下を向いたまま黙り込んでしまった可符香に、望は心配になった。  
「…迷惑、だったでしょうか…?」  
そっと尋ねる。  
 
可符香は勢いよく首を振った。  
そして、涙に濡れた目で望を見上げた。  
 
「私、両親を亡くしてから、自分の家って呼べるような場所がなかったんです。  
 先生と付き合うようになって、初めて、自分の居場所が見つけられた気がした。  
 だから………先生。」  
可符香は涙を拭くと、にっこりと微笑んだ。  
 
「嬉しいです。私も、これからの人生を先生と一緒に過ごしたい。」  
 
望は、顔を輝かせると、次の瞬間、ほーーーっとその場にへたり込んだ。  
「良かっ……た!」  
「…先生?」  
可符香が怪訝そうに望を覗き込む。  
「いや、断られるかもしれないと思って、ものすごく緊張していたんですよ…。」  
 
望の言葉に可符香が呆れたような声を上げた。  
「そんな…私が断るわけないじゃないですか!」  
「いや、そうは言ったって……私みたいな面倒な男と、なんて…。」  
「あーもう、また、そういうことを言うんですね。」  
ぼそぼそ呟く望に、可符香がため息をついた。  
 
「でも…」と可符香は小さい声でつけたした。  
「先生からプロポーズしてくれるなんて思わなかった…すごく嬉しいです。」  
「…可符香…。」  
望は、照れくさそうに指輪を取り上げた。  
「私も、少しは、進歩したってことですかね。」  
そう言いながら、可符香の左手の薬指にそっと指輪を嵌める。  
 
可符香は、うっとりと指輪を見つめた。  
「きれい、ですね…。」  
望は、その可符香の上気したような横顔をじっと眺めていた。  
 
―――指輪なんかより、あなたの方が、ずっときれいですよ…。  
思わず手が伸びる。  
「あ…。」  
望は、振り向いた可符香の紅い唇に、そのまま深く口付けた。  
 
「可符香…あなたを、一生愛し続けます。誓いますよ。」  
「先生…。」  
 
望は、可符香の背中に手を回すと、そっとその場に横たえた。  
 
 
宿直室の外では、2年へ組の生徒達が突っ立ったまま固まっていた。  
皆、高校生活最後の日を担任と過ごそうと、手に手にお菓子や飲み物を持って  
集まって来ていたのだ。  
 
「ど、ど、どうする…?」  
奈美が、ぎ、ぎ、ぎ、と音がしそうに顔を回すと、他の皆に尋ねた。  
「…ったって、今、中に乱入するわけにはいかないでしょーよ。」  
ドアに耳をへばりつけたまま、晴美が囁く。  
 
ほぅ、と千里が吐息をついた。  
「そっか…。先生、可符香さんと…。なんかちょっと悔しいけど…。  
 …でも、きっちりしたみたいだから、許してやるか。」  
晴れ晴れと顔を上げる千里の横で、霧が少し目を潤ませてうなずいた。  
「先生、最初っから、彼女しか見てなかったもんね…。」  
 
そこで、皆が、はっと後ろを振り向いた。  
そこには、ひっそりと袴姿の少女が佇んでいた。  
「まといちゃん…。」  
まといは、ゆっくりと顔を上げると、小さく微笑んだ。  
「…袴着るのも、今日で最後になっちゃったかな。」  
 
その言葉に、皆、ほっとしたようにまといを取り囲んだ。  
「でも、卒業式に袴なんてありがちだから、かえって良かったかもよ。」  
「そうよ、これからは、洋服の似合う女になって先生を見返してやらなきゃ!」  
軽口を交し合いながら、皆で宿直室を後にする。  
 
校庭に出ると、奈美が提案した。  
「ね、せっかくお菓子買ったんだし、校庭でピクニックでもしようか。」  
「そうね、…この学校に来るのも、明日で最後だし。」  
その千里の言葉に、皆、校舎を振り仰いだ。  
 
「…楽しかったね、高校時代…。」  
誰ともなく呟いた。  
「うん…。明日は、いい式にしようね…。」  
「そうだね……。でも、その前に!」  
晴美が指を立て、皆を集めるとひそひそ話を始めた。  
 
 
一方、宿直室。  
 
望は、外での会話に全く気がついていなかった。  
目に映るのは可符香の姿だけ、聞こえるのは可符香の息遣いだけだった。  
 
ゆっくりと可符香の服を脱がせていく。  
何度も目にしたはずなのに、彼女が着るもの全てを取り払った瞬間は、  
いつも息が止まるような気がした。  
 
可符香は、上気したように頬をピンク色に染めて、望を見上げていた。  
―――ああ、なんて…!  
 
望は、この愛らしい少女が自分のものになったことが信じられなかった。  
ふいに不安にかられ、その白い肌を強く吸ってあちこちに自分の証を残す。  
そのたびに、可符香は小さく声を上げた。  
その声さえ外に漏らすのが惜しい気がして、望は可符香の口を唇で塞いだ。  
 
彼女の全てを飲み込むように舌を深く差し込み、ゆっくりと口内を味わう。  
そうしながら、望は自分の執着心に内心驚いていた。  
こんなにも、他人に執着したのは初めてだった。  
 
夢中で可符香の舌をむさぼっていると、可符香が望の背中を叩いた。  
慌てて口を離すと、可符香が咳き込んで荒い息をつく。  
「せ、先生…。窒息、しちゃいます…。」  
 
望は赤くなったが、涙目で見上げてくる可符香が愛しくて、再び口付けた。  
そして、唇を合わせながら囁いた。  
「もう、先生じゃありません…これからは、望、と呼んでください。」  
 
女性経験は決して少ない方ではない。  
なのに、何故、彼女に対してはこうも歯止めがきかなくなってしまうのだろう。  
 
望は、頭の片隅でそんなことを考えながら、可符香の胸に顔を埋めた。  
ふくよかでやわらかいその感触は、いつも、望を感動させた。  
指で、ふくらみを軽くつかむと、弾力のある手ごたえを感じる。  
 
しばらく、その手ごたえを楽しみつつ、頂にある愛らしい紅い蕾に唇を寄せた。  
―――まるで、砂糖菓子のようですね…。  
そう思いつつ、菓子を味わうように蕾を舌で転がす。  
「は…ぁ!」  
その動きに、頭上で、可符香が喘いだ。  
 
今度は、その喘ぎ声をもっと聞きたくなって、細かく蕾を舌で震わせ、歯を当てる。  
「あ…っ、ん、あぁ!」  
可符香の声が大きくなった。  
 
可符香の感じるやり方は、分かっていた。  
望は、舌で可符香の胸の先端を弾くと、次の瞬間、強く吸い上げた。  
「ああああ!」  
いつものように、可符香が背中をしならせて叫ぶ。  
 
望は、息を切らせている可符香にそっと口付けると、愛してますよ、と囁いた。  
可符香を愛しいと思う気持ちが、次から次へと溢れてきて止まらない。  
 
以前には、感情の行き違いから、可符香に自分の欲望だけをぶつけたこともある。  
絶望の余り、無理矢理に救いをこの華奢な体に求めたこともある。  
 
思い出したくもない、数々の忌まわしい記憶。  
二度とそんなことはしたくなかった。  
これからは、どこまでも、彼女を愛し、慈しみたかった。  
 
可符香の下肢にそっと手を伸ばす。  
そこは、すでに十分に潤っていた。  
 
軽く表面に指を滑らすだけで、くちゅ、という水音が漏れる。  
「すごい、胸を触っただけなのに、もうこんなになってますよ…。」  
可符香の耳元で囁くと、可符香は真っ赤になって顔を背けた。  
 
その姿に悪戯心が芽生え、望は可符香の耳にふっと息を吹きかけると、  
軽く耳たぶを噛んだ。  
可符香が驚いたようにビクンと跳ねる。  
 
それをそっと押さえると、  
「静かに…。」  
囁いて、耳の穴に舌を差し込んだ。  
 
「ひぁ…!」  
可符香が目をぎゅっとつぶって首をすくめた。  
慣れない刺激に、必死に耐えているようだ。  
「可符香、可愛いですよ…。」  
たんねんに舐められてすっかり湿った耳に、望は再び息を吹きかけた。  
「は、あぁ…!」  
可符香が、目をつぶったまま喘いだ。  
 
「耳、気持ちいいですか…?」  
望が問いかけると、可符香は真っ赤な顔をしたまま答えない。  
「答えてくれないと、分からないですよ…。」  
望は、再び可符香の耳に舌を差し込んだ。  
「あぁっ…!」  
可符香が目を開けて望を見上げた。  
心なしか、目じりには涙が溜まっているようだ。  
「き、きもち、いい、から、もう…!」  
 
望は、可符香を見てにっこりと笑った。  
「もう、何ですか?」  
可符香は再び赤くなって横を向くと、涙目で呟いた。  
「分かってるくせに…。なんで、先生、そんなにいじわるするんですか…?」  
 
「―――!」  
―――ああ、あなたの方こそ、いつもそうやって、私の心臓を止めようとする…!  
 
望は、可符香を思い切り抱きしめると囁いた。  
「先生じゃないと言ったでしょう、望、です…。」  
 
望は、可符香が望んだとおり、下肢に再び手を伸ばした。  
そして、今度は、深く指を差し入れた。  
「…ふ…ぁ…っ」  
可符香が、満足そうな吐息をもらす。  
 
望は、慎重に指を動して可符香が反応する場所を探り当てると、  
ゆっくりとそこを上下にこすり上げた。  
「い、いやっ!」  
可符香が望の腕にしがみつく。  
「嫌、なんですか…?」  
望が笑いを含んだ声で、可符香に尋ねた。  
その間も、指の動きは止めようとしない。  
可符香は、震えたまま、無言で力いっぱい望にしがみついていた。  
 
望は、体を下にずらした。  
「やっ…!」  
可符香が、それに気付いて体を引く。  
「こら、逃げるんじゃありません。」  
望は可符香の腰を捕らえ、引き寄せると、顔をそこに埋めた。  
 
可符香の濡れて光るその場所に、そっと舌を差し入れる。  
「あぁぁぁあっ。」  
可符香の腰が跳ねた。  
望は、そのまま、あふれ出る蜜を丹念に舐め取ると、ゆっくりと襞の感触を味わった。  
「や、だ、だめ…せんせい…!」  
可符香は、望の舌が動くたびに、つま先を痙攣させている。  
 
「望、と言ったでしょうに…。」  
望は、可符香の赤く膨らんだ突起を舌の先でこね回した。  
「いや、あぁぁぁあ!」  
可符香は、体をそらせるとそのままぐったりとなった。  
 
―――もう、いいでしょうかね…。  
望自身も、そろそろ限界だった。  
意識を飛ばしたままの可符香に囁きかけた。  
「可符香…いいですか…?」  
 
可符香がゆっくりと望を見上げた。  
その、可符香の眼差しに、望はぞくりと背筋が震えるのを感じた。  
愛らしい少女の瞳に宿る、淫蕩にふけった娼婦のような妖しい快楽の色。  
―――そんな顔、私以外の男の前では、絶対に見せないでくださいね…。  
 
望は、心の中でそう願いながら、可符香の中に己を埋めた。  
「ふっ…うっ!」  
溢れ出る暖かさに包まれる。  
頭の芯が痺れるような快感に耐えながら、望はふと、  
―――母親の胎内というのは、こんな状態なのかもしれない…。  
と思った。  
 
そうであれば自分は、可符香と交わるたびに、再び生まれ変わっているのだ。  
そんなことを考えているうちに、余りの気持ちよさに何も考えられなくなってきた。  
 
「くっ…!可符香…もう…。」  
望のかすれ声に、息を切らせながら可符香が反応した。  
「先生、私、も…!」  
 
最後の瞬間、望は、脳裏に、可符香の胎内で丸くなる自分の姿を見たような気がした…。  
 
 
2人で夢見心地のまま横たわり、気がつくと、あたりはすっかり暗くなっていた。  
「明日は卒業式ですし、あなたも帰らなくては…送っていきますよ。」  
望の声に、可符香は気だるげに体を起こすと、望を見た。  
 
「明日で…本当に、最後なんですね。」  
「…ええ。でも、あなたと私は、これからもずっと一緒です。」  
「ん…。」  
可符香は、かすかに頬を染めて頭を下げた。  
「これからも、よろしくお願いします、せん……望、さん…。」  
「はい、こちらこそ。」  
 
2人は、顔を見合わせるとくすりと笑った。  
 
 
翌日。  
最後の朝のホームルームへと向かった望は、教室に入ったとたんに  
クラッカーの派手な音に包まれた。  
「な、な、な…!?」  
 
驚いて見回すと、教室は色とりどりのテープやリボンで飾られ、  
黒板には チョークで Congratulations!! とカラフルに大書してある。  
教壇には、ヴェールを頭にかぶせられ赤い顔をしている可符香がいた。  
「か…、と、風浦さん?これは…?」  
 
呆然としていると、後ろからつつかれた。  
「先生、こういうことは、きっちり発表していただかないと。」  
振り向くと、にっこり微笑む千里がいた。  
焦って可符香を見ると、可符香が慌てて「私じゃない」というように首を振る。  
 
「あのね、先生、んなものはバレバレなんですよ。」  
「今まで、ばれてないと思っていた方がおかしい。」  
晴美とあびるが口々に望に語りかけた。  
 
なおも言葉を失っている望に、制服姿のまといが花束を持って歩み寄った。  
「先生…。おめでとうを…心からのおめでとうを、言わせてください…。」  
「常月さん…。」  
 
まといのその言葉を皮切りに、クラスの生徒達が一斉に歓声を上げた。  
再びクラッカーが鳴り響く。  
准が、可符香に向かい、片目をつぶって親指を立てていた。  
 
「先生、可符香ちゃん、おめでとう!」  
「お幸せに…!」  
望と可符香は、生徒達にもみくちゃにされた。  
「誰が掃除するんだよ〜」と笑い声が起きる中、教室中に紙ふぶきが舞う。  
 
望が可符香を見ると、赤い顔をしながらも、幸せそうに笑っていた。  
「皆さん…。」  
感動の余り言葉を詰まらせた望の代わりに、千里がパンパンと手を叩いた。  
「さーて、そろそろ入場の時間よ!皆、講堂に向かって!」  
 
その声に、皆、頭にクラッカーのかけらや紙ふぶきを乗せたまま、  
がやがやと楽しそうに教室を出て行った。  
 
 
卒業式は、和やかに行なわれた。  
涙ながらに卒業証書を受け取る者、皆に向かってガッツポーズをとる者。  
望は、教え子達の晴れ姿に目を細めた。  
 
やがて、卒業証書授与式も終わり、  
ピアノの音に合わせて生徒たちが歌い始めた。  
 
―――仰げば 尊し わが師の恩  
     教えの 庭にも はやいくとせ――  
 
望は、歌声が響く中、教え子達を一人ひとり眺めていった。  
 
―――せーん、せ。  
引きこもりだった少女。  
一時ぐれたりもしたが、今では立派に卒業式に出席できるまでになった。  
 
―――普通って言うなあ!  
彼女は嫌がっていたけれど、普通でいると言うことは、ときには非常に困難だ。  
彼女には、いつまでも、彼女の特徴である普通さを失わずにいて欲しい。  
 
―――先生、きっちりしてください!  
この子には随分苦労もさせられたけれど、彼女はいつも何事にも全力投球だった。  
そんな彼女には、きっとその努力に報われる人生が待っていることだろう。  
 
―――思えば いと疾し このとし月  
         今こそ 別れめ いざさらば―――  
 
必死にメールを打っている小柄な少女の姿に、望はくすりと笑った。  
あの子は、きっと、歌う代わりに歌詞を一生懸命打っているに違いない。  
その隣では、やはり小柄な色黒の少女がたどたどしい日本語で歌っている。  
彼女の先行きはある意味一番心配だったが、あのバイタリティがあれば大丈夫だろう。  
 
小柄な2人の向こうには、頭一つ大きい金髪の少女。  
―――見たわね、訴えるよ!  
最近は、多重人格の傾向もすっかりなりを潜めたようだ。  
これからは、広い世界に羽ばたいて行って欲しい生徒の1人だった。  
 
―――朝ゆう なれにし まなびの窓  
      ほたるのともし火 つむ白雪―――  
 
しっぽ好きの少女と妖しげな漫画ばかり描いていた少女が並んで口を開けている。  
2人とも、特殊な性癖を持ってはいるものの、気立てはよい子達だ。  
そのまま世間になじんでいってくれるだろう。  
 
言葉少ない放火少女も、加害妄想の引っ込み思案な少女も、そして  
いつも影が薄かった少年も、今日ばかりは、皆、声を張り上げて歌っている。  
苦労性の奥様も、今日は生徒の顔をして歌っていた。  
 
彼らの横には、面倒見の良い、本好きの少年。  
―――彼とは、これからも長い付き合いになるんでしょうね…。  
准が倫と目を見交わし合っているのを、望は複雑な面持ちで眺めた。  
 
ふと、望は後ろを振り向いた。  
―――常月さん、いたんですか。  
―――はい、ずっと。  
これまでに、何度も繰り返されてきた会話。  
 
しかし、もはや、いつもの定位置にその姿はなかった。  
目を前に戻すと、生徒達の列の中、制服姿で歌っているまといの姿がある。  
 
彼女には、辛い思いをさせてしまったかもしれない。  
この次は、彼女の想いを受け止めてくれる人が、あらわれますように…。  
望は心からまといの幸せを祈った。  
 
そして。  
望は、列の前方に目をやった。  
 
―――命を粗末にしては、いけません!  
人生を変えてくれた、最愛の人。  
 
―――わするる まぞなき ゆくとし月―――  
 
可符香は、こころなしか赤い目をしながら歌っていたが、  
望の視線に気がつくと、にっこりとこちらを見て微笑んだ。  
その左手の薬指には、望の贈った指輪が光っていた。  
 
 
―――今こそ 別れめ いざさらば―――  
 
 
講堂の天井に、生徒達の歌声がゆっくりと消えていった。  
 
―――今こそ、別れめ…。  
―――ああ。本当に、これで皆さんとお別れなのですね――。  
望は、ふいに涙がこぼれそうになり、天を仰いだ。  
 
曲者ぞろいのクラスで、最初はどうなることかと思ったけれど、  
彼らと過ごした日々は、なんと輝いていたことか。  
 
絶望ばかりしていた自分を変えてくれたのは、可符香だけではない。  
毎日を、彼らと全力でぶつかり合って過ごしていくうちに、  
いつの間にか、こんなにも「教師」になっている自分がいた。  
 
卒業生達が列になって退場していく。  
 
―――人生の大切なものを教えてくれた皆さんに、心からの感謝を。  
―――そして、これからの皆さんの未来に幸多からんことを…!  
 
 
いつのまにか、式は終わっていた。  
 
 
「先生――!」  
講堂の外に出た望に、生徒達が皆、手を振りながら駆け寄ってくる。  
そして、これから人生をともにしていく愛しい少女も―――。  
 
望は、満面の笑みを浮かべると、両手を広げて教え子達を迎えた。  
 
 
―――ありがとう、皆さん、そして、お元気で…!  
 
 
歓声が響く校庭で、早咲きの桜が、春の風に花びらを散らせていた。  
 
 

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