私は、高校に入ると同時に結婚し、間もなく子供を生んだ。
大恋愛の末の結婚だったし、当初は反対していた親も最後は認めてくれ、
順風満帆、幸せな結婚生活を送る……はずだった。
夫に、あんなに生活能力がないとは思わなかった。
夫は、決して悪い人ではない。心が優しすぎるのだ。
仕事で何か嫌なことがあるとふさぎ込み、家にこもってしまう。
そして、パチンコなどの遊興に逃避する。
結局仕事は長く続かず、我が家の家計はいつも火の車だった。
最近は、家に帰ってこないこともある。
帰ってくるときに香水の匂いをさせていることもあった。
親には、必ず幸せになって見せると大見得を切った手前、
今の状況を知られたくなかったし、絶対に頼りたくなかった。
そんなわけで、私は今日も、学校の昼休みに内職の造花作りに
精を出していた。
「麻菜実ちゃん、精が出るね。」
風浦さんが私を見て、「手伝うよ。」と一緒に造花を作り始めた。
それを見て、他のクラスメート達もわらわらと集まってくる。
「どう?この芸術的なシルエット!」
「晴美!そこは、こうやってきっちり作らないとダメでしょ!」
「…千里のは直線的過ぎて、もはや花じゃないよ…。」
「マリアもできたヨー。ほら。怪獣花!」
「だめよ、マリアちゃん。私に貸してみて。」
『…お前のは、可もなく不可もなく、ホントに普通だな!』
「普通って言うなぁ!」
…皆の気持ちは嬉しいんだけど…余り、役に立ってないかも…。
そこに、
「なにやら楽しそうですね。私も混ぜてください。」
このクラスの担任の、糸色先生が、ひょいと顔を覗かせた。
千里ちゃんが立ち上がって先生にビシっと指を突きつけた。
「お気楽なこと言わないで下さい!遊びじゃないんですよ!
これには、大草さんの生活がかかってるんですから!」
「え、そ、そうなんですか…。」
先生は、怯んだように千里ちゃんと私を見比べた。
……事実ではあるが、余りはっきり言われると傷つく。
「だいたい、先生、担任なら、大草さんの窮状を助ける、
何らかの動きがあってしかるべきでしょう!」
え、ちょっと待って。
それは、だいぶ話が違う。
しかし、私が何か言う前に、風浦さんが立ち上がった。
「それなら、いい方法があります!」
風浦さんは、両手を高く差し上げた。
「先生の下に会員(子)を募り、またその下に会員(孫)を募り、
倍々で増やしていくのです!!」
「その方法は、すでに経験済みです!!
またマルチ商法で逮捕されるのはまっぴらですよ!」
「だったら、先生が教祖になって、信者からお布施をもらうとか!」
「それだって、結局は詐欺ですからあぁぁあ!!
風浦さん、あなた、どうしても私を犯罪者にしたいんでしょう!
絶望した!生徒が教師を罪に陥れる現代社会に絶望した!!」
「それって現代社会とは関係ないから…。」
なんだか、話が横に逸れていったようで、私は内心ほっとした。
皆が、楽しみ半分に造花作りを手伝ってくれるのと、
他人から援助を受けるのとでは、全然話が違う。
それくらいなら、とうの昔に、親に頼っている。
私は、すっかり風浦さんに手玉に取られている先生を、ぼんやりと眺めた。
―――ダメ大人の典型みたいな人なのに、けっこう人気あるよね…。
頭を振り、造花の片づけをしようとして、ふと視線を感じて顔を上げた。
…先生が、私のことを気遣わしげな目で見つめていた…。
週末、私は野球場でビール売りのバイトをしていた。
このバイトは、サーバーが重くて腰に来るし、背中は冷たいしで、
けっこう辛いのだが、その分バイト料は、造花作りなどとは比較にならない。
今日は朝から暑く、ビールが飛ぶように売れていた。
サーバーを交換しながら、足元がふらつくのを感じる。
朝から、ロクにモノを食べていない上に、この炎天下。
―――これは、少し、何か口に入れたほうがいいかもしれない…。
そのとき、ファウルボールがこちらに向かって飛んでくるのが見えた。
―――危ない!
と思ったが、打球は思ったより前方に落ちた。
誰かに思い切り当たったみたい…鈍い人がいるものだ。
「…ん?」
よく目を凝らすと、それはうちの担任教師だった。
ファウルボールの直撃を受けたらしく、めそめそと泣いている。
―――ああ、もう、本当にこの人は…。
声をかけると、先生は振り向き、
「痛かったよぉぉぉぉお!」
と抱きついてきた。
私は、つい、息子にするように、
「はいはい、痛かったですねぇ。」
と頭をなでたが、腰に回された先生の手の存在が、何故か気になる。
下腹に埋められた先生の顔が、涙を拭くように、すり、と動いた。
「…っ!」
思わず、反応してしまった自分に、次の瞬間赤くなった。
最近、夫に触れられていないせいかもしれないけれど
こんな場所で、しかも先生相手に、なんて…。
私は、頭がくらくらして、目の前が霞んでくるのを感じた。
先生が、顔を上げて何か叫んだ。
最初は、恥ずかしさの余り気が遠くなったのかと思ったけど、
どうやら、貧血らしい。
そう思った次の瞬間、意識がブラックアウトした。
気が付くと、私は、自分の家の畳の上に、布団を敷いて寝ていた。
「…あれ…?」
「…気が付きましたか。」
驚いて振り返ると、先生が壁に寄りかかって胡坐をかいていた。
「せ、先生…?なんで…?」
先生は苦笑した。
「あなたが、しきりに自宅に運べと言い張ったんじゃないですか。」
全然、記憶がない。
「球場の方が、こちらまで運んでくださったんですが、
ご家族の連絡先が分からなくて…。私が担任だと言ったら、
残ってあなたを看るよう言いつけられました。」
申し訳ありませんが、勝手に財布を探らせていただきましたよ、
と言いながら、先生は家の鍵をぶらぶらさせた。
と、先生は、いきなり表情を改めた。
「それにしても、貧血なんて…きちんと食事はしているんですか?」
私は先生から目をそらして時計を見て、あっと声を上げた。
「どうしました?」
「大変、子供を迎えに行く時間が…!」
息子を預けている託児所の引き取り時間はとうに過ぎていた。
慌てて身支度をしようとして、再び眩暈に襲われる。
そんな私を見て、先生が立ち上がった。
「IDカード、財布の中にありましたよね。」
「え…。」
先生は、私の財布から託児所のIDカードを取り出した。
「私が、代わりに迎えに行ってきます。」
「ちょ、ちょっと待ってください、先生!」
しかし、先生は、さっさと部屋を出て行ってしまった。
私は、さっきより強い眩暈を感じて、布団に倒れこんだ。
先生は、程なくして戻ってきた。
その頃には、私の眩暈は、なんとか治まっていた。
息子は、先生の腕の中ですやすや寝ている。
「どうも、すいません…。」
「いいえ、どういたしまして。可愛い息子さんですね。」
息子を先生から受け取り、2階に寝かせると、私は下に降りて行った。
先生は、台所の椅子に座って、辺りを見回していた。
「先生、本当にご面倒をおかけしました。」
深々と頭を下げる。
先生は、私のバイトの予定がびっしりと書き込まれたカレンダーを
ぼんやりと見ながら、呟いた。
「大草さんは、なんでこんなに頑張ってるんですか。」
「なんで、って…。」
先生が、私の方を向いた。
「もう少し、気楽に生きたっていいじゃないですか。」
「…気楽に生きてたら、一家が路頭に迷います。」
「そうでしょうかね?」
先生の言葉に、私はムッとした。
「先生みたいな真正のお坊ちゃまには分かりませんよ。」
私の不機嫌が伝わったらしく、先生は、小さい声で呟いた。
「私は…。ただ、あなたが随分無理をしているように見えるので…。」
…無理は、してますとも。
でも、そうしなきゃやっていけないんだから、仕方ないじゃないですか。
この間は追証までかけられちゃったんだし。
「あなたには、ちゃんと、夫君がおられるのでしょう?」
…そのことは、今、触れられたくなかった。
ここのところの夫の不在の事実が、痛みを伴って胸に蘇る。
私は、両腕で体を抱えるようにして、先生から顔をそらした。
と、先生が、椅子から立ち上がる音がした。
足音がして、私の横に、影が落ちた。
見上げると、すぐ隣に先生が立っていた。
先生は、囁くような声で尋ねた。
「ねえ、あなたは、今、幸せなんですか…?」
私を見る先生の目には、質問以上の意味が、含まれていた。
私だって、初心な小娘ではない…それくらいは、分かる。
私は、一歩後ろに下がった。
先生が、その分、前に歩を進める。
我が家は狭い。すぐに、私の背中は、壁に突き当たってしまった。
先生が、私の両脇の壁に手をつき、私の退路を塞ぐ。
「どうなんですか、大草さん…。」
はい、幸せですと答えれば、きっと先生は私を解放するだろう。
でも、ここで、違うと言ったら―――。
私は、先生を見上げたまま逡巡していた。
言葉が出てこない。
自分がどうしたいのか、よく分からなかった。
先生は、立ち尽くす私をしばらく黙って見下ろすと
「分かりました…いいですよ、答えなくて…。」
そう言って、私を抱き寄せた。
私は、形ばかりの抵抗を示してみた。
「先生、だめです…夫が…上には、息子も…。」
ほとんど機械的に呟いた言葉は、先生の唇にふさがれた。
「んっ…。」
…何故、私はこんなことになっているんだろう。
先生からの口付けを受けながら、私は不思議な気持ちで自問した。
貧血で倒れてからの流れが、どうも理解できない。
最初から、先生は、私と、こうしたかったの…?
「ん…ふっ…む…。」
先生の舌が、私の口内をゆっくりと探る。
久しぶりに感じるこの感覚に、私は恍惚となった。
最近、随分夫と肌を触れ合っていない。
考えたら、キスも…いや、手を握ってさえいない。
繰り返し、執拗に与えられる先生からの口付けに、体が疼いて止まらない。
だんだん、何も考えられなくなってきた。
―――ああ…先生!!
―――とうとう、私の中にある何かの箍が外れた音がした―――
私は、先生を見上げると、熱い息を吐いた。
「先生…もっと…もっと、強くキスして!!」
そのときの私は、とても淫乱な顔をしていたと思う。
でも、もう、どう思われてもかまわなかった。
今はただ、この欲望に流されようと思った。
先生は、一瞬驚いたような顔で私を見下ろしたが、目を細めると、
今度は前より激しく私に口付けた。
強くなる体の疼きに、口付けだけでは飽き足らなくなって、
「ん…っ、はぁ、先生、もう…、ねぇ…。」
私は先生の襟元に手をかけて、シャツのボタンを外そうとした。
先生が、私の手を取ると、
「脱がすのは、私が先ですよ…。」
と、和室まで連れて行き、私を布団の上にゆっくりと押し倒した。
一瞬、頭の中に夫の顔がよぎる。
でも、私は頭を振ってそれを振り払った。
先生の手が、私の服のボタンにかかる。
バイトの制服は単純な構造のワンピースで、簡単に脱げてしまった。
先生は、下着だけの姿になった私の肌に、唇を寄せると囁いた。
「残念ですが、さすがに、跡を残すとまずいですからね…。」
そういいつつ、優しく唇を触れていく。
触れるか触れないかのタッチで肌の上を這う唇の感触がもどかしい。
私は、先生と肌を触れ合わせたくて、先生の襟に再び手をかけた。
今度は先生も抵抗しなかった。
「難しいですよ…大草さんに、脱がせることができますかね。」
先生は布団の上に起き上がると、余裕の表情で含み笑いをしている。
「…。」
私は、先生の着物の襟を開くと、シャツのボタンを外した。
そこで、我慢ができずに、開いたシャツの下の先生の胸に口付けた。
これは想定外だったらしく、先生の体がびくんと跳ねた。
「ああ…先生…。」
私は、そんな先生の反応に気を良くして、
さっき先生が私にやっていたように、その肌に唇を這わせた。
「…っ、大、草さん、っ!」
先生が私の肩をつかんで私を止める。
私は、熱を込めた目で先生を見上げた。
「まったく、油断がならないですね…。自分で脱ぎますよ。」
そういうと、先生は自分で着物を脱ぎ始めた。
全てを脱ぎ終わった先生を見て、私は胸が高鳴ってくるのを感じた。
―――この人の腕に、早く、抱かれたい…。
私の願望は顔に表れていたんだろう。
先生は私を見ると、手を伸ばして私を胸元に抱き寄せた。
肌と肌が密着する、この安心感。
私はうっとりとその感触を楽しんでいた。
先生が、手を私の背中に回した。
あ、と思う間もなく、ブラのホックが外されてしまった。
この間、授乳を終えたばかりの胸が、顕になる。
恥ずかしくて真っ赤になって胸を隠す私に、先生は賞賛の目を向けた。
「何を恥ずかしがっているんですか…きれいですよ、大草さん。」
体温が、上がったような気がした。
先生は、再び私を布団に横たえると、私の胸の頂を口に含んだ。
「ぁあ!」
快い戦慄に、背中が反る。
「なんらか、大草さんの、子供になったような気分になれまふね…。」
先生が、私の胸を口に含んだまま囁いた。
「馬鹿…。」
私は、呟きながらも、胸に吸い付く先生の頭をゆっくりとなでた。
でも、この子供は随分と性質が悪かった。
いきなり、強く吸い上げるかと思うと、軽く歯を当ててくる。
その間に、もう一方の乳房に手を伸ばして、先端を手の平でさわさわと撫でる。
「や、んぁ、こ、こど、もは、こんな、こと、しま、せん…っ!」
途切れ途切れに叫ぶと、先生は顔を上げてにやりと笑った。
「そうなんですか…じゃあ、こんなことは、どうですか?
私は、好奇心旺盛な子供なので…。」
そういうと、手を下着の中に滑り込ませ、一気に引き下ろした。
「ここが、こんなに濡れてるのは、どうしてなんでしょうね、大草さん?」
そう言いつつ、指を私の中に差し入れる。
「あ…やぁん…。」
先生は、ゆるく、優しく突起をなでるかと思えば、
ぐっと奥まで指を入れ、その中をこね回す。
私は、先生の緩急をつけた巧みな指の動きに体を震わせた。
「先、生…あっ…上手…っ!」
先生は、私の言葉に嬉しそうに笑った。
「お母さんに褒められると、子供は張り切るんですよ。」
そう言って、今度は、さんざん指で弄ったところに顔を埋めた。
「…んんんっ!ああっ!!」
先生が舌で執拗に私の中をさぐろうとする。
尖った舌が、私の突起をつついた。
私は、湧き上がる快感に我を忘れた。
―――ああ、先生、もっともっと、感じさせて…!
そして、何もかも、忘れさせて…!
どんどん体の中の感覚が高まってくる。
「ん…来る…先生、いっちゃ、う…!」
私の喘ぎに先生の動きが加速した。
「あああああ!!」
私は体をそらせて上り詰めた。
先生が、口をぬぐいながら、息を切らして私を見る。
「大草さん…どう、ですか?」
「…。」
私は、絶えて久しかった快感に、しばらく返事もできなかった。
代わりに、先生の顔を引き寄せると、濃厚に口付けた。
「ん…ふ…っ。」
しばらく舌を絡めあい、唇を離すと、私は先生を熱く見つめた。
「先生…今度は、私にやらせて…。」
そういうと、顔を先生の下肢へとずらせた。
大きく張り切った先生自身が目の前にある。
私は、期待にどきどきしながらそれを口に含んだ。
「…っ!」
先生が、声にならない声をあげる。
いつも、夫にしてあげていたように、奥までしっかり咥え込んだ。
夫のときよりも、ちょっと苦しいけど、我慢する。
同時に、指で、袋をゆっくりと優しく揉んであげた。
「あっ…あふっ、お、大草さ…ふぁ…。」
先生が、私の動きに合わせて声を上げるのが何となく可愛らしくて、
私は、舌を這わせながらのストロークを開始した。
「へんへいが、悪い子らから、おひおきをひてるんれふ…。」
「そ、そんな、…あぅぅ。」
口を離すと、先生の先端ににじみ出てくるものがある。
「先生…お仕置きされて、泣いてるの…?」
ちゅっと音をさせて、それを舐め取った。
「あふぅ…。」
一心に口を動かしていると、先生が
「ちょっと、…ちょっと待ってください、大草さんっ!」
と叫んで、私の頭をがしっとつかみ、先生自身から引き離した。
「このままじゃ、イっちゃます…!」
「イっても、いいんですよ?」
「いや…だって…。」
先生は、言いよどんだ。
私は、そんな先生を上目遣いに見上げた。
「先生…私と、したい…?」
「…あなたが、大丈夫なら…その…。」
先生は、何やらためらっていた。
「避妊だったら…心配しないで下さい、大丈夫です。」
これ以上、子供ができても困るので、だいぶ前から避妊措置をしている。
私も、できれば、先生をもっともっと感じたかった。
私は、先生に向かって囁いた。
「先生…来て…。」
先生は、引き寄せられるように、私に手を伸ばした。
「…では、あなたが、上になってください。」
「ん…。」
自分から、横たわる先生の上に腰を沈めていく。
「あっ…はぁ、ん…っ!」
体の奥まで、先生自身が埋め込まれ、私は背を反らせて喘いだ。
「ああ…大草さん…いいですよ…。」
先生が、かすれ声で呟きながら私の腰をつかんだ。
「あああああ、やっ、ああ、先生…っ!」
強く揺さぶられ、体の奥から頭まで快感が突き抜けた。
余りの刺激に、壊れそうになる。
私は、気がつかないままに、膝で先生を締め付けていた。
「く…っ、大草さん…っ!」
先生が、体を起こすと、私の両膝を抱え上げた。
「…ぁっ!」
私の中のものが当たる角度が変わり、私は再び背をそらせる。
「もう、限界です…っ!」
しばらくすると、先生が、私の胸に顔を埋めながら叫んだ。
私も先生の首に腕を回し、足を絡めると答えた。
「私も…先生…!」
私と先生は、その姿勢で、同時に果てた。
事が終わった後、私は、先生の腕の中でうつらうつらしていたけれど、
だんだんと、自分が何をしたかが心に染み渡ってきた。
―――どうしよう…夫がいるのに、こんなこと…。しかも先生と…。
後悔と恐怖が波のように押し寄せてくる。
そのとき、先生が、私の心の中を読み取ったかのように囁いた。
「いいんですよ、大草さん。たまには、こうやって自分を解放したほうが…。
あなた、頑張りすぎなんですよ。」
「…え…?」
思わず、先生を見上げた私に、先生は赤くなってわたわたと手を振った。
「ち、違います、決して浮気を推奨しているわけではないんです。
そうじゃなくて、これは単に自分を解放する1つの手段であってですね、
もちろん、浮気なんてしないにこしたことはなくて…。」
なおも先生を無言で見上げている私に、先生は、黙り込むと、
しかつめらしい顔で、こほん、と咳払いをした。
「ですから…あなたは、もっと、肩の力を抜いたほうがいい…。
私もそうですが、心の弱い大人は、身近な人間に頑張られてしまうと、
逃げるしかなくなってしまうのですから。」
「…!」
目を見張った私に、先生は頷いた。
「自分の愛する人が、自分のために無理をしている、頑張っている、
と思えば思うほど…、情けなくて、申し訳なくて、
私のような人間は、そこから逃げ出したくなってしまうんですよ…。」
私が、無理して、頑張りすぎて、それが夫を追い詰めている…?
先生は、そう言いたいんですか…?
だから、先生は、私の肩の力を抜くために、私と…?
私は、呆然と先生を見つめていた。
そのとき、2階で、ふぇぇぇぇえ、という泣き声が聞こえた。
息子が起きたらしい。
私は慌てて布団から出ると、そこら辺に脱ぎ捨ててあった服を羽織って
2階へと駆け上がった。
泣いている息子をそっと抱き上げると、
息子をあやしながら、今の先生の言葉を噛み締めていた。
私は、いつも、自分だけが頑張っていると思っていた。
自分は、彼のため、子供のために我慢しなければと思っていた。
でも、それが、彼にとってプレッシャーになっているなんて、
思っても見なかった。
造花の代金を受け取るときの、彼の卑屈な目。
私の「大丈夫よ。」との言葉に目をそらせる彼の背中。
確かに、あれは、結婚する前には、なかった彼の姿だった。
「そ、っか…。」
私は、小さい声で呟いた。
―――大丈夫よ、私が頑張るから。
―――あなたは、自分のできることだけやってくれれば十分。
そんな言葉が、彼を傷つけていたんだと、今になって分かる。
私が、彼を追い詰めていたんだ。
私が、彼を、他の女性のもとに追いやっていたんだ。
私は、息子のミルクの匂いのする柔らかい髪に、顔を埋めた。
今度、彼が帰ってきたら、甘えてみよう。
そして、2人で思いっきり馬鹿げた大騒ぎをしよう。
株も、やめる。
生活が苦しくたっていいじゃない。
夫と息子さえいれば―――人生、なるようになれ、で生きてみよう。
私は、泣いている息子をあやしながら、下に降りていった。
先生が、息子を抱く私を、優しい目で見上げた。
私は、先生ににっこりと微笑みを返した。
―――皆が先生を慕う理由が、分かった気がします…。
先生が、微笑みながら、先ほどと同じ質問を私に聞いた。
「大草さん。あなたは、今、幸せですか?」
私は、笑顔のまま、先生を見てしっかりと頷いた。
「―――ええ。私、今、とても幸せです。」