ぴろりぱらぴりろら
メール着信 1件
音無さん
「? 何だろう? 夏休み中にめずらしいな・・・」
彼はそう呟きながら、読みかけの本を閉じると、メール本文の画面を開いた。
『 母さん オレのあの帽子 どうしたものでせうね? 』
「・・・・・・詩のパロディ? なぜ僕に?」
メール文の意味を測りかね彼は立ち止まった。癖なのか、片目を軽く閉じて小首をかしげ、文面をもう一度読み
直すが、やはりその意図は見えてこないようだった。
ふと、顔を道の先に向けると、並木道の木立に隠れるように自分を見ている人影を見つけた。
春には一面の桜畑となるこの並木は、今は、青々とした葉を茂らせ、その木漏れ日は剥き出しの地面に点々と
光の模様を映し出している。
蝉たちの大合唱に紛れて、再び携帯からメール着信音が鳴った。
『 ええ プールへ行った帰り道で 突然消えたあの帽子ですよ
だって いきなり風が吹いてきたから 』
メールを読み終わらないうちに、その小さな人は木立の影から走り去り、並木道を少し走って遠くの木陰にまた
身を隠した。
彼は、少し眉を上げて柔らかい表情を見せると、閉じた本を鞄にしまいゆっくりとその後を追う。
また、携帯が鳴った。
『 そして 取ろうとして ずいぶん骨折りました
だけど とうとうだめでした 』
その文を読んでいる時、また小柄な少女の姿が走り去るのが視界の隅に映った。小さな頭の両端で括られた長
い二本の髪が揺れていた。
『 向こうからやってくる 若い書生さんの姿が見えました
あの人なら取ってくれそうです たしか久藤くんと いいましたか 』
その文を読み終わって、久藤くんは小さく肩をすくめた。
並木道の先には、少し道から外れてそびえ立つ、この辺りで一番大きな桜の木が見えた。
その広がった枝を隠し、一面に広がる緑は時おり吹き抜ける風に揺られ、ざわざわと音を立てている。
緑の中に見える白い麦藁帽子は、ちょうど芽留の身長の倍ほどの高さにあった。
彼女の荷物だろう。青いビニールのトートバッグが根元に置かれており、本人は幹に片手を当てて久藤くんが到
着するのを待っているようだった。
涼しげな、水色のチェックのワンピースとミュール姿で立ち、片手の携帯を操作していた。
『 ここは ひとつ よろしく な 』
久藤くんは携帯を閉じるとポケットにしまいながら、あらためて青い桜の木を見上げ、
「・・・そうだね。これはちょっと、跳ねても届かないかな? 何か、長い棒でもないかな。」
『もう探した 何もねーよ』
すばやく携帯の画面を差し出した芽留に、久藤くんは首を捻って、持っていたカバンを地面に置いた。
そして、姿勢を低く崩し、膝立ちの格好になって芽留を手招きする。
「じゃ、これだ。肩車するよ。音無さん、乗って。」
芽留は一瞬考えたようだったが、すぐに携帯を打ちながら、すたすたと近寄って来た。
『変なトコ 触ったら コロスゾ』
肩をすくめてちょっと笑った久藤くんの背後に回り、ミュールを脱いでゆっくりと肩に足を通す。芽留の足首をしっ
かり掴むと、彼はそっと立ち上がった。
『ニオイ 嗅いだり すんなよ』
「ん? 大丈夫だよ。プールの塩素の匂いは抜けてる。・・・いい香りしかしないよ音無さん。」
『そーいう意味じゃねーよ! タコ!』
目を吊り上げて目前に差し出した芽留の携帯を、久藤くんはスッと手に取る。
携帯が手から離れ、驚いた顔をした芽留に言い聞かせるような口調で、
「だめだよ、片手じゃ危ないから。僕が持っておくよ。」
そう言って、自分のポケットに芽留の携帯を畳んで入れた。
芽留は泡をくったように、しばらくおろおろしていたが、不本意そうな顔で上を向き、帽子の位置を確かめる。
手を一杯に伸ばそうとするが、あと腕一本くらいの高さで届かないようだった。
「・・・・・・うー・・・・・・・・・」
困った顔をして小さく唸っていたが、やがて両手を久藤くんの頭に置いてしっかり掴むと、足をそろそろ抜いてゆ
っくりと彼の肩を踏みしめる。
「音無さん! 危ないよ!」
芽留の動作に気が付き久藤くんは声を上げるが、芽留は耳を貸さない様子で、片手で近くの枝を掴み、彼の肩
の上にふらふらと立ち上がった。
芽留が掴んで揺れた枝に驚いた蝉が、一匹、短く鳴いて逃げていった。
「音無さん、気をつけて・・・・・・」
心配そうな声で上を向いた久藤くんの動きがそこで固まった。
芽留は空いている片手で、今しも帽子を掴む所で、まったく気が付いていない様子だが、そよぐ風が二本の垂ら
した髪をなびかせる傍ら、薄手のワンピースの中に入り込んで大きく膨らみ、筒状の服を通して襟首の穴から芽
留の顔が見える状態になっていた。
「あー・・・・・・・・・」
当然、普通なら服で隠されている部分は、彼の視界に全て納まっている状態で、ちょっと気の抜けた様な声を出
しながら、それでも彼は目をそらさず眺め続けている。
帽子を桜の木から取り返し、踏み台になっている久藤くんに笑いかけようと首を下に向け、
二人の目が合った。
一瞬の間があり、芽留の顔が朱色に染まり、怒りとも恥じらいとも取れる表情で大きく暴れ、
「わ!」
「・・・ぃ・・・!」
即座にバランスを崩し、芽留は足を踏み外す。
同時に体勢を崩した久藤くんだったが、仰向けに尻餅をつきながら、とっさに両手を差し出して落ちてきた芽留
を受け止める。
久藤くんを下敷きにする形で二人は折り重なって倒れていた。
「・・・音無さん? 大丈夫?」
落ちた時のショックからか、目を回している芽留を抱き起こして軽く揺さぶると、芽留はすぐに気が付いた。
素早く立ち上がって幹の向こう側に隠れようとしたが、その手に携帯を持っていない事を思い出し、おろおろと両
手を漂わせて久藤くんの方をうかがっている。
その芽留の様子に気が付き、彼はポケットから芽留の携帯を取り出して笑いながら差し出す。
おずおずとした動作で携帯を受け取ると、芽留は ささっ と身を隠し、一拍置いて幹から携帯の画面だけを差
し出した。
『 見たな!? どこまで見た!? 』
「ん? うーん・・・・・・・・・ 全部かな?」
事も無げに言った久藤くんの返事に、芽留の手から携帯が ぽろり と落ちた。
慌てて拾い上げ、
『さらりというな!』
『ってゆーか 目を逸らすだろ フツー!?』
『タダ見しやがって! 金払え!』
続けざまに非難の言葉を見せる芽留に、久藤くんはちょっと首をかしげながら微笑んだ。
「ごめんごめん。じゃあ、何か、冷たいものでも食べに行くのはどうかな? 今日は、暑いからね。・・・どう?」
『・・・・・・ モノ次第で 手をうってやる』
芽留は、幹の端から顔を半分覗かせ久藤くんの顔を見ている。
久藤くんは、少し考えると口を開いた。
「・・・・・・トコロテンとかは?」
『何でだ もっと甘いモノにしろ』
「じゃ、とりあえず甘味処に行こうか。」
立ちあがり、ズボンについた汚れを払いながら言って、カバンを手に取った。
芽留は木陰から出ると、彼の目の前に携帯の画面を突き付けた。
『ゼッテ−に 誰にも言うなよ!』
久藤くんは小首をかしげる。
「・・・グンゼの事かな?」
『コロス!! って、オレのはグンゼじゃねーよ! テキト−な事言うな!』
「ごめん、ごめん。見なかった事にするよ。ね?」
『本当に分かってんのか!?』
芽留はまだ不満そうだったが、とりあえず帽子を頭に載せ、横に並んで歩き出した。
久藤くんは前を向いたまま、しばらく黙って歩いていたが、やがて芽留に顔を向け、
「そうそう、音無さん―――」
話しかけられ振り向いた芽留に、
「・・・『帽子と鬼ごっこした女の子』。 ―――それは、とても暑い夏休みのことでした・・・・・・」
『 コ ロ ス !!』
携帯をかざして追いかける芽留と、笑いながら早歩きで逃げる久藤くんの姿は遠ざかり、
やがて二人は見えなくなり、辺りには再び、蝉の合唱が再開されていた。