巷ではクリスマスのイルミネーションが煌き、
ジングルベルが鳴り響くこの季節。
ここ、天界では神々が難しい顔をして額を寄せ集めていた。
髭の神様がため息をついた。
「本当に、あの男は何とかならんものかの。
この間は早々に天使ちゃん達を使ってお帰りいただいたが、
余りしょっちゅう来られては、天国の沽券にかかわるんじゃ。」
神様の向かいで、仏様が渋い顔で首を振った。
「わしも以前、あの男には我慢の臨界点を超えたことがあるが…。
いっそのこと、あの世に送ってしまっても良いのではないか。」
すると、その隣で三途の川の渡し守の婆がしわくちゃの口元をすぼめた。
「いや、それが、思い切って向こう岸に渡しちゃろうと思うと、
あやつ、笑ってごまかして逃げよるんじゃよ。
死ぬなら死ぬ、生きるなら生きるではっきりしてもらわんとの。」
仏様が顎を掻きながら言った。
「どうすればよいか…3日以内に10人の女性と交わらんと死ぬぞ、
と脅してみるか?」
「…保管庫を読みながら言うな。それではマルパクではないか。
大体、あんな大作書けるものか。
そうだのう、やはりこの季節からすると…あれではないか?」
神様の提案に、渡し守の婆が顔をしかめた。
「あれか…西洋の話は好かんが…この際、仕方ないかの。」
「まあ、できる限りのことはやってみようではないか。」
3人は、顔を見合わせて頷いた。
<<朝だ・・・起きたり起きなかったり・・・って!ダメだぞ!起きろー!>>
携帯から流れる大音量の声に、望は飛び起きた。
「な、な、なんですか!?」
慌てて眼鏡をかけて辺りを見回すと、まだ窓の外は暗い。
首をめぐらせると、望の枕元に、携帯を掲げて持っている芽留が座っていた。
「音無さん…一体何の嫌がらせですか!?」
芽留は望の抗議を軽く無視すると、再び携帯の液晶を光らせた。
『うるせー。神様から伝言だ。
これから3人の幽霊がテメーにあるものを見せに来る。
この先、心安らかな人生を送りたかったら心して見るんだな。以上。』
「…はぁ?」
とっとと携帯をしまって帰ろうとする芽留に、望は惚けた声を上げた。
「神様とか、幽霊とか…何の話ですか?」
『テメーの生き様が、天界にメーワク及ぼしてんだよ、このハゲ!
いつも中途半端にゼツボーしてるんじゃねー!』
振り向かないままに毒舌をメールで送ると、芽留はそのまま姿を消した。
「…訳が分かりません…。
絶望した!安眠を妨害された上に意味もなく罵られて絶望した!!」
「…お兄様…さっそくお定まりのセリフですか…。」
叫ぶ望の後ろから、声がかかった。
望が振り向くと、そこには白い着物を纏った倫の姿があった。
「倫…?どうしてここに…お前も私の安眠を妨害するのですか!?」
「お兄様。」
倫は怖い顔をして望を見た。
「音無さんの話をきちんとお読みになりました?
私は、お兄様を絶望から解き放つために天界から遣わされた第1の使者。
過去の幽霊です。」
「…何を、言って…。」
望の言葉が終わる前に、目の前の光景が一変した。
古い風情のある日本家屋。
障子からは明るい光が漏れ、2つの人影が映っている。
「ここは…私達の実家じゃないですか。でも何だか雰囲気が違う…。」
辺りを見回して呟く望を見ながら、倫が無言ですっと障子を開いた。
望は息を飲んだ。
「…!?お父様とお母様…?…若い!!」
そこにいたのは、望の両親だった。
しかし、望の記憶にある2人よりも随分若い…30代そこそこに見える。
2人には、全く望達が見えていないようだった。
「メリークリスマス、妙。」
「メリークリスマス、あなた。」
2人は微笑み合いながらグラスを合わせた。
「子供達は、もう寝たのか?」
「ええ、3人ともクリスマスパーティではしゃぎすぎて疲れてしまったみたい。」
「そうか…今年もパーティに参加できなくてすまなかったな。」
「いいえ、お忙しい中、こちらに帰ってきてくれるだけで嬉しいですわ。」
「いつも留守にしてしまって…寂しくはないか?」
大の問いに妙は首を振った。
「大切なお仕事だって分かってますもの…それに、私には子供達がいます。」
「…本当に、皆、いい子達に育っているな…私達の宝だ。」
妙は、その言葉に大を見上げた。
「あなた…。私、クリスマスプレゼントをおねだりしてもいいかしら。」
「ん?何だね?」
「私、もう1人、子供が欲しい…私と、あなたの宝物を。」
「も、もしや、これは…。」
2人の会話を聞いていた望の背を、冷たい汗が伝わった。
倫はにっこりと頷いた。
「そのとおり、お兄様がこの世に形作られたときの場面ですわ。」
「―――!!絶望した!!両親のラブシーンなんて気恥ずかしいものを見せられ、
あまつさえそれが自分の製造現場なんて、絶望以外の何物でもない!!!」
倫はため息をついた。
「そう言われると思いました。
…でもね、お兄様。お2人の会話、聞いてらした?」
「…は?」
「は?じゃありません。お兄様、いつもおっしゃっていたじゃないですか。
自分は、両親がクリスマスに浮かれてできた子供だ、って。
でも、今のお父様とお母様のお言葉、聞いてらしたでしょう?
…お2人は、本当に、心からお兄様を望まれていたのですわ。」
「…。」
望と倫の前の場面が切り替わった。
辺りに赤ん坊の泣き声が鳴り響く。
「妙…よくやった!」
「あなた…見て、元気な男の子。」
妙の腕の中の赤ん坊を覗き込む2人の顔は、喜びに溢れていた。
「ねえ、あなた…私、この子を、望、と名づけたいと思いますの。」
「望…良い名だな…この子は、私達の望みを受けて生まれたんだものな。」
「…名前をつける前に、自分達の苗字を考えて欲しかったですけどね…。」
望は呟いたが、その声音には先ほどのようなとげとげしさはなかった。
自分では気がつかなかったが、望は柔らかい表情で目の前の光景を見ていた。
倫は、そっと望を覗き込むと、小さく微笑んだ。
目の前の光景は、再び変わり、望の子供時代を目まぐるしく映し出していった。
そこには常に、家族の暖かい笑顔が溢れていた。
―――そういえば、この頃は、絶望という言葉さえ知りませんでしたね…。
眺めているうちに、目の前の光景はだんだんと薄れていき、
いつの間にか、望と倫は元の宿直室の部屋に戻っていた。
倫と望は向かい合って座っていた。
倫が、望の目をひたと見つめた。
「お兄様…お兄様は、この世に望まれて生まれてきたのです。
それだけは忘れないで下さい。
お父様とお母様の思いを、無にすることのないよう…。」
そう言うと、倫は望の前から掻き消えた。
望は、黙ったままぼんやりと、今まで倫が座っていた空間を見つめていた。
「さーて、次は私の番ですよ、先生。第2の使者、現在の幽霊でーす。」
明るい声に望は振り向いた。
そこには、奈美が白いワンピースを着て立っていた。
「…。」
「どうしたんですか、先生?そんな不思議そうな顔して。」
「いえ、人並みなあなたがこんな大役を仰せつかるなんて、
神様の判断基準というのは分からないものだ、と思いまして。」
「人並み言うな!!それに、馬鹿にするなぁああ!!」
奈美は両手を振り上げて怒鳴った。
「もうっ、いいから、先生こっち来て見てくださいよ。」
奈美が振り上げた両手を下ろすと、
目の前に、望のクラスの生徒達がどこかの家で、
クリスマスパーティの準備をしている光景が現れた。
「先生、今年も来てくれないのかなぁ。」
千里がツリーに飾りをつけながら、ため息をついた。
「ねぇ。何をするにも、先生がいないと何かピリッと来ないよね。」
晴美が隣で相槌を打つ。
「ほら、先生、こんなに生徒達に慕われてるんですよ。」
嬉しそうに望を振り返る奈美に、望はため息をついた。
「…なんですか、そのリアクションは。」
「余りにもインパクトがなさ過ぎて。…本当に悲しいまでに普通ですね。」
「普通ってゆーなあ!」
奈美は顔を真っ赤にして怒ると
「違うんです!私が本当に見せたかったのは、あっちです!!」
と部屋の一角を指差した。
奈美の指差す先にいたのは、膝を抱えてうずくまっている甥っ子だった。
「交…?」
うずくまる交に、千里が声をかけた。
「交君、一緒にツリーの飾り付け、しない?」
その誘いに、交はふい、と顔を背けた。
「…クリスマスなんて、大嫌いだ。」
「どうしたのよ、交君。」
女生徒達が、わらわらと交の周りに集まってきた。
「だって、クリスマスが近くなると、叔父さん機嫌が悪くなるんだもの。」
交は下を向いてぼそぼそと呟いた。
「…。」
黙って目の前の光景を見ている望を、奈美は非難の目で振り返った。
「子供にとって、クリスマスは1年で一番楽しい季節のはずなのに、
交君は、先生のせいで、クリスマスはいつも嫌な思い出ばかり!」
「だって!それを言ったら、私の元に交がいること自体、
そもそも縁兄さんがいけないんじゃないですか!!」
不満そうに叫ぶ望の言葉に、奈美は悲しそうな顔をした。
「…先生、そんなこと言うんですか…がっかりです。」
奈美は、寂しげな声で呟いた。
「誰の責任とかじゃないじゃないですか…目の前に、先生が
救うことができる子供がいるのに…先生は、目をつぶるんですか。」
「そ、そんな、いくら年末だからって、
赤い羽根の共同募金みたいなこと言わないで下さい!」
居心地が悪くなって、望は再び目の前の光景に顔を戻した。
―――ずきん。
ふいに、交の表情の暗さが、望の胸をついた。
その表情は、子供の表情ではなかった。
世を拗ねた大人のような―――まるで自分のミニチュアのような。
「…交君、このまま、絶望まみれの人生を送らなきゃいけないんですか?」
奈美の声が後ろから追いかぶさる。
望は、ふと先ほど見た自分の子供時代を思い出した。
今は絶望ばかりしているが、自分の子供時代は楽しかった。
―――交は、それさえも与えられていないのか…。
奈美は、しばらく望の表情を観察していたようであったが、やがて、
「…どうやら、先生、分かってくれたみたいですね。」
と肩をすくめた。
「…人並みなあなたに、そんな洞察力があるんですか?」
望の答えに、奈美は顔を赤くして口を開いたが、望を見て口を閉じた。
そして、突然、輝くような笑顔を浮かべた。
「…分かりますよ。だって、私も、先生のこと大好きですから。」
そう言うと、望の答えをまたず、奈美は虚空に姿を消した。
最後の奈美の笑顔が余りにも印象的で、望は呆けたように突っ立っていた。
何だか顔が熱いような気がして、頬に手をやる。
「…なんだ、日塔さん、意表をつくようなこともできるんじゃないですか…。」
頬を押さえながら呟く望に、後ろから声がかかった。
「やだなぁ、世の中に意表をつくことなんかあるわけないじゃないですか。
全ては必然の結果ですよ。」
「…やはり、最後はあなただろうと思ってましたよ、風浦さん。」
望はため息をつきながら振り返った。
そこには、白い天使のような姿をし、笑みを浮かべた可符香が立っていた。
「それなら話は早いですね。さあ、未来へと飛び立ちましょう!」
可符香が腕を優雅に振ると、辺りが真っ暗になった。
「カウシテ」「コノ物語ノ主人公ハ死ンダ」
空から、誰のものとも知れない声が響く。
そして、ふいに2人の目の前に、どこかの式場が現れた。
「…ここは?」
「先生のお葬式ですよ。」
白と黒で埋められた場内には、静かな読経の声とすすり泣きが満ちていた。
「ほほう、なかなかいい式じゃないですか。」
望は、きれいに飾られた祭壇を眺めながら、満足そうに目を細めた。
可符香は、そんな望を横目で見やると不可思議な笑みを浮かべた。
「まだまだ、ここからが本番です。」
急に、式場でざわめきが起こった。
「大変、まといちゃんが首を吊りました!!」
外から駆け込んできた生徒が、慌てたように告げた。
「え…!?」
絶句した望の目の前で、霧がロープを取り出した。
「抜け駆けなんて、ひどいよ!私も、先生のところに行く!」
そういうと、ロープを式場の梁にかけ、えい、とばかりにぶら下がった。
「な、何やってるんですか、小森さん!」
望は霧に駆け寄ったが、その手は、霧の体をすり抜けてしまった。
「何故、誰も止めないのです!?」
望の叫びは、当然のことながら式場の誰にも届かない。
「ごめんなさい、先生が自殺しちゃったのは私のせいなんです!」
愛が突然立ち上がると、泣きながら式場から走り去った。
間もなく外から、ブレーキを踏む音と嫌な衝撃音が聞こえてきた。
「…。」
真夜が涙目で、爆弾のスイッチらしきものを押した。
爆音が響き、真夜は周囲の生徒達ともども吹き飛ばされていった。
「なん…何なんですか、これは一体!?」
言葉を失っている望の背後から、可符香が明るい声をかけた。
「やだなぁ。先生は、皆に悲しまれて死にたかったんでしょう?
先生の望みどおりじゃないですか。
30倍どころか100倍、1億兆倍も悲しまれてますよぉ。」
望は、目を見開いて可符香を振り返った。
そこに、涙でしゃがれた声が聞こえてきた。
「いつの世にもこの子に望みがあるようにと、願いを込めて名づけたのに…。
こんな形で我が子に先立たれて、この先、夢も希望もありません。」
親族席で、望の両親が立ち上がると、怪しげな錠剤を口に放り込んだ。
「そんな…いやだ!」
望の叫びも虚しく、両親は重なり合って崩れ折れた。
可符香は、青ざめた望を見ながら、楽しくて仕方ないというように
腕を一振りすると、新たな場面を映し出した。
「ほら!見てください、先生!これは必然です!!
先生の絶望の先には、こういう結末が待ってるんですよ!!」
既に式場は阿鼻叫喚の坩堝と化していた。
そんな中、千里が血の涙を流しながら立ち上がった。
その手にはスコップが握られている。
「絶望よ!先生のいないこの世なんて、存在する価値はない!!」
千里はスコップを振り上げた。
悲鳴と怒号。
望の目の前に、言葉に尽くせない凄惨な光景が広がっていった。
望は顔を覆った。
「やめて…もうやめてくださーい!」
「どうして?
素晴らしいじゃないですか!先生のおっしゃるとおり、
世の中には希望なんてない、あるのは絶望だけなんです!
箱の底に残ったのは、希望じゃなくて絶望だったんですよ!!」
可符香の明るい笑い声が、望の頭の中いっぱいに響き渡る。
「私が悪かったです!もう、もう絶望なんかしないから、
お願いですから、やめてください―――!!」
望は、叫びながら飛び起きた。
「あ…?」
朝日がさんさんと部屋に差し込んでいる。
「今のは…夢…?」
呟きながら、ふと枕元に目をやった望の表情が強張った。
そこには、小さな髪留めが落ちていた。
「何やってるんだよ、叔父さん。」
望は、その声に振り向いた。
交が仏頂面をしながら望を見ていた。
「いくらクリスマスが嫌いだからって、悲鳴上げながら起きるなよ。」
「…交。」
甥っ子の姿に、望の脳裏に奈美が見せた光景が蘇った。
同時に、倫や可符香が見せた光景も…。
望は、壁の日めくりに目をやった。
今日は12月24日―――千里の家でクリスマスパーティが開かれる日だ。
―――まだ、間に合う…ということでしょうか。
望は、再び交を見た。
「交…後で、一緒に木津さんの家のパーティに行きませんか?」
交は目を瞬いた。
「…。叔父さん、何かヘンなもんでも食べたのか?」
「いいえ、ちょっとした心境の変化です。」
望は明るくそう答えると、布団から出た。
窓を開けて天気を確かめると、交を振り返る。
「今日は良い天気ですからね。
もしかして夜にはサンタクロースも現れるかもしれません。」
交が大きく目を見開き、次の瞬間顔を輝かせた。
「ホントか!?」
「ええ、きっと、この部屋にも来てくれますよ。」
―――後で、交が欲しがっていたあのプラモを買っておきましょう。
望はそっと微笑んだ。
望は、再び窓から外を見やり、3人の幽霊達のことを思い浮かべた。
やり方は三人三様であったが、皆、望に大切なことを伝えようと
必死だったことが、今なら分かる。
―――誰からも愛されていない人間なんていない。
誰も愛することのできない人間も、いない。
そうやって、人は、常に誰かとの絆を築きながら生きていく。
自分の人生は、決して自分1人だけのものではない―――。
―――少し、うっとうしいですけどね。
望は、小さく笑うと、辺りを見回した。
見慣れたはずの風景が、いつもよりまぶしく見えるのは気のせいだろうか。
どこか遠くから、ジングルベルの歌が聞こえてくる。
望は、空を見上げて目を閉じると、小さい声で呟いた。
この世に生まれ、そして生きてゆく全ての人に―――メリークリスマス。