靴音も高らかに廊下を走る影が一つ。  
宿直室のドアの前にたどり着き、息を整える間も惜しみながら勢い良くドアを開ける。  
「メリー・・・!!」  
ドアを開けると同時に部屋の中に向かい、奈美は陽気に声を張り上げた。  
「・・・クリスマ―――・・・ス?」  
まだ荒い息をつきながら笑顔で部屋に入ってきた奈美の動きが固まった。  
すぐ目の前には帰り支度をした晴美が、赤い顔をして寝息を立てている千里に肩を貸して靴を履こうとし  
ている。  
「あ・・・あれ? クリスマス会・・・・・・」  
「もう終わったよ?」  
サンタ服を身に付けて小さな袋を担いだ姿で小首をかしげた奈美に晴美が告げる。  
その後ろには、コタツで横になり気持ちよさそうに寝ている霧と交の姿があり、向かい側には先生が足先  
をコタツに入れてこちらに視線を送っていた。  
「え・・・・・・えええええーっ!?」  
「いや、だって奈美ちゃんバイトって聞いてたし。」  
一気に力が抜けたのかその場に奈美はへたり込んでしまった。  
千里に肩を貸しながらその横を通り抜け、「お先に〜」と言い残して晴美の姿は廊下へと消えていった。  
 
 
しばしの沈黙の後、何とか立ち直ったのか奈美はのろのろと体を起こす。  
「せっかくサンタ服のまま来たのに・・・・・・」  
「空気読んで下さい。」  
「クリスマスに空気読めって言われた!?」  
先生は、上半身をコタツ布団から出して熟睡している交に毛布をかけながら、すました顔をしている。  
一つ溜め息を落として奈美は靴を脱いで畳の上にあがった。  
「先生、何か料理残ってないの・・・?」  
「ああ・・・残念ですが・・・・・・何もないようですねぇ・・・」  
コタツの上、オードブルが盛ってあったらしい大皿に目をやり、先生は残念そうな声で答えた。  
「そんなあ・・・・・・」  
「では、これをどうぞ。」  
先生が指に軽く挟んで奈美に差し出した物。  
これがもし、花の一輪などであったら様になる仕草だろうが、その緑色の物体を見て奈美は口をへの字  
に曲げる。  
「パセリじゃないですかぁ!!」  
「お嫌いですか? クリスマスカラーですよ。」  
「色の問題じゃないっ!!」  
奈美の叫びに一つ肩をすくめてみせると、先生は、ひょいと手を翻して口元に運び、少し乾きかけたパセ  
リをしゃくしゃくと食べてしまった。  
奈美はさらに深い溜め息をつき、おもむろに、担いできた袋の中から自分の物と思われるコートやらマフ  
ラーやらを取り出して着替えはじめた。  
「あーあ・・・ 着て来たイミ、無いじゃないかぁ・・・・・・」  
不機嫌そうにぼやきながら手早く衣装を脱ぐと、コートを羽織ってマフラーを身につけた。  
最後に帽子を袋に放りこみ口を軽くしばる。  
「帰ろ・・・・・・バイト先にサンタ服返さなくちゃいけないし・・・・・・」  
「では、よいお年を。」  
「それ、気が早くない?!」  
苦笑した奈美に先生は少し悪戯っぽく笑いながら一礼をしてみせ、コタツの上を片付けはじめた。  
 
 
そこで会話は途切れ、急に静かになった室内には、音量を落としたテレビから流れるバラエティ番組の  
笑い声だけがはっきりと聞こえてくる。  
奈美は入り口近くに立ったまま、所存無げに室内を見まわしていた。  
その視線の先に部屋の端に置かれたもみの木が映り込む。  
煌びやかなモールや、雪を模した白い綿で飾り付けられたそれは天井に届くくらいの高さがあり、その一  
番上には金色の星が取りつけられている。  
「・・・? 帰らないんですか?」  
「いや・・・まあ・・・。そのツリーどこから持って来たのかなぁ・・・、と思って。」  
奈美に指をさされ、先生もツリーの方を振りかえった。  
「ああ、これは商店街に飾るツリーの余りをお借りしましてね。結構立派でしょう? ・・・そういえば他にも  
色々お借りしましたよ。」  
部屋の隅に固められた荷物に目をやって答えた先生に、奈美は良い事でも思い付いたような表情を浮  
かべて口を開く。  
「あ! じゃあ、ついでに返してきてあげますよ! ほら、私もバイト先に行くし、先生このままじゃ狭くて  
寝る場所にも困るんじゃない?」  
先生は、ちょっと得意気とも言える表情を浮かべる奈美を振り返り、  
「おや、それは助かりますね。では、お言葉に甘えて―――」  
いそいそと部屋の隅に押しやられている物を手に取り、奈美へと手渡してゆく。  
「まず、このビンゴゲームと、百人一首ツイスターと・・・あと、ワイングラス、シャンパングラス、大皿、取り  
皿・・・・・・鍋もお願いしましょうかね。」  
紙袋やビニール袋に入れられた物を次々と手渡され、あっという間に奈美の両手は塞がり、先生は鍋を  
逆さにして奈美の頭に被せた。  
引きつった顔をする奈美を置いたまま、先生は部屋の中を見回し、  
「・・・あとは、ツリーですかね。」  
「そんなに持てるかぁ!!」  
抱えた荷物の重さにふらつきながら奈美は絶叫した。  
「普通、手伝うとか言うだろ!?」  
続けざまに口をついて出た自分の叫びに、ハッ、と気が付いたように奈美は目を見開いた。  
正面にある先生の顔が面白い物を見つけたかのように微笑む。  
「普通、手伝いましょうか?」  
「普通って言うなぁ!!」  
 
 
クリスマスの商店街もこの時刻になるとすでに閉まっている店も多く、ツリーやリースも所々片付けられて  
いるようだった。  
気の早い店ではすでに門松を飾っている所まである。  
―――結局、ツリーだけを後日に残し、奈美と先生は半々に荷物を持ち分けて商店街へと届ける事とな  
ったのだった。  
 
「ありがとうございましたー」  
「よいお年をねー」  
この時期になるとどこでも聞ける挨拶が交わされ、食器などを返しに来た肉屋の裏口を閉めると、奈美  
は外で待っていた先生の元へと駆け寄る。  
「ほらほら! 貰っちゃった、これ!」  
奈美は嬉しそうに両手に一本ずつ握ったチキンを先生に見せびらかす。  
少々冷めているのか湯気が出るような温かみは感じられないが、スパイスの香ばしい香りが鼻をくすぐる。  
先生に一本を渡すと、奈美は早速そのチキンにかぶりついた。  
「行儀が悪いですよ、歩きながらは。」  
「だってお腹空いたし。」  
「・・・ああ、そうでしたね。しかし・・・あなた、残り物が目当てだったのですね?」  
「ん・・・・・・まあ・・・それもあったかも。」  
奈美は口の回りにソースをつけながらチキンを頬張りつづける。  
 
その食べっぷりを驚いたように見ていた先生だったが、奈美には見えないように少し笑い、食べ終わる  
のを待ってから自分のチキンを差し出した。  
「私はお腹一杯でして。―――どうぞ。」  
「あ、いいの? じゃ、いただきまーす!」  
嬉しそうに受け取って二本目のチキンにかぶりついた奈美を見て、先生は感心したようにうなずいてみ  
せる。  
「・・・相当に飢えていたのですねぇ・・・・・・」  
「なんかビミョーに嫌な表現だな!?」  
程なくして食べ終わり、奈美はガラを近くにあったゴミ箱に捨てると、口の回りについたソースを指で拭った。  
「いや、女の子にあるまじき食べっぷりでしたね・・・ 惚れ惚れしましたよ。」  
先生の言葉に奈美はやや顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。  
 
道行く人の姿はもうほとんど無く、たまにすれ違うのはカップルらしき男女二人連れくらい。  
腕をくんだり、手を繋いだり、楽しそうな笑顔を浮かべて寄り添いながら通りすぎてゆく。  
そんな光景を眺めているうちに、どことなく場違いな感じを受けて、手を拭ったハンカチをしまいながら隣  
を歩く先生を横目で見上げた。  
すぐ隣とはいえ、常に相手との間に人一人分の距離を確保して歩く先生。  
こんな閑散とした場所でなければ、連れ立って歩いているようには見えない時もある。  
少し楽しい気持ちに水を差された気分になり、奈美は無言で目を伏せた。  
「・・・日塔さん? どうされました?」  
「ん・・・・・・ なんでもない。」  
急に黙ってしまった奈美を気遣うような先生の声にも、ついそっけない返事が出てしまっていた。  
不思議そうに首をかしげて再び前を向いてしまう先生を見て、無意識に溜め息をつきそうになった自分  
に気が付き、慌てて小さく首を振ってごまかした。  
 
―――ふと、何かを用事でも思い出したように足を止めた。伏していた顔を上げて先生を見る。  
「ね! 先生。ちょっと寄り道しませんか?」  
「寄り道・・・・・・ですか? どこへ?」  
奈美は軽く笑顔を作って見せ、路地を曲がって手招きした。  
「今年のは、まだちゃんと見ていなかったんですよ! ツリー!」  
 
 
やや広い造りの路地が交差する場所。  
真ん中に植込みが作られ、その中心に一際巨大なもみの木のツリーがそびえていた。  
ここの装飾はまだそのままにされており、電飾の明かりも灯ったまま枝葉の隙間からチラチラと光の点  
滅を覗かせている。  
 
ぼうっとした顔でその姿を見上げていた奈美だったが、いつのまにか隣にいた先生の姿が見えない事に  
気が付いた。  
――ピ・・・・・・ゴトン。  
さがそうとするより先に背後から聞こえた音を察し、振りかえらずに気が付いていないフリをする。  
隣へと先生が戻ってきた気配がした。チラッと横目で盗み見ると、カンコーヒーのプルトップに指をかけて  
開けようとする先生の姿があり・・・・・・ 奈美は思わず勢い良く振り向いた。  
「自分だけ!?」  
「・・・はい?」  
コーヒーを口に運びながらきょとんとした顔をする先生を見て、奈美は肩を落としツリーの方へと視線を  
戻して、  
「熱っ!?」  
出し抜けにその頬に熱い物が触れ、思わず当たった方の片目を閉じて顔をしかめる。  
目を開けると、やはりそこには悪戯っぽく笑った先生の顔があった。  
「どうぞ。」  
「え・・・あ・・・ ありがとう・・・」  
少々バツが悪そうにそっと受け取った缶を、奈美はもう一度、ゆっくりと自分の頬に当ててみる。  
冷えた肌にはヤケドしそうな鉄の感触だったが、うなじや耳に交互にあてていると少しずつほぐれるよう  
に温もりが伝わってくる。  
先生はコーヒーの缶を傾けながら、隣でツリーを見上げていた。  
 
 
「ようやく、今年のクリスマスも終わりますね・・・」  
「・・・ああ。やっぱりまだ嫌なんですか? クリスマス。」  
「この日こそ、私は日陰者でいたいのですがね・・・・・・」  
疲れた顔を作って見せる先生に、奈美は肩をすくめた。  
「・・・でも、あと・・・・・・ 1回ですよね。このツリーを見れるのって。」  
「どう言う意味でしょう?」  
言葉の意味を捉えきれずに、先生は問い返してきた。  
ひとり言に近いそれでは言葉が足りなかった事に気が付き、奈美は慌てて付け足すように口を開く。  
「あ・・・その・・・ 私たちがこの次に見れるのは、って事です。来年で3年生ですから、まあ、最後かなっ  
て思って。」  
少し寂しそうな顔をして答えた奈美に、先生は優しく微笑んでみせる。  
「大丈夫です。何回でも見に来ましょう。・・・ね?」  
「――え!? え・・・それってどういう・・・・・・?」  
思わず先生の顔を見つめ、鼓動が早くなってきた奈美に先生は笑顔のまま小さくうなずき、  
「・・・あなたなら、また来年も2年生ができますから。大丈夫!」  
「笑顔で言うなぁ!!」  
苦い顔で叫んだ奈美に、先生はさらに微笑みを重ねその肩に手を置く。  
「大丈夫! あなたはやれば出来る子ですから。」  
「ひどいです! それ!」  
ほんのりとした期待が膨らみかけた心に、いきなり冷水へと突き落とされたような衝撃を感じ、奈美は脱  
力した表情で肩を落とした。  
先生はコーヒーを飲み終えたがゴミ箱は見当たらず、取り敢えず外套のポケットへ入れたようだった。  
 
ふと、奈美は手に持ったままだった缶に視線を落とし、眉をしかめた。  
「ええ!? コーヒーかと思ったら、何でおしるこ!?」  
しかめ面で先生を見上げる。  
「ああ、疲れた時には甘い物が一番ですよ。・・・まぁ、お疲れ様と言う事です。」  
すました顔で他所の方を向いたままの答えに、奈美は一瞬だけ考え―――その表情を、苦笑から微笑  
へと変えた。  
一旦顔を伏せ心を決めたように真剣な眼差しとなる。  
呼吸を整えるように息を深く吸い込んだ。  
「先生! ちょっと持ってて!」  
突然、缶を先生に押し付けると、不思議そうな顔をしている先生の前でくるくると自分の襟首からマフラー  
をほどきはじめた。  
外したマフラーは二つ折りにしてあり、折り目を広げ全部を伸ばすと、ほぼ倍の長さとなった。  
「・・・何ですか、そのやたら長いマフラーは?」  
訝しげに尋ねる先生には答えずに、奈美はニヤリと笑うと「それっ」と言う掛け声とともに先生の首にマフ  
ラーを巻きつけ始めた。  
先生は驚いてそのマフラーを片手で掴み、首をかしげて編み目を見ている。  
「これは・・・・・・手編みですか?」  
「へへ〜 クリスマスプレゼントですよ! ・・・ちょっと居眠りしながら編んでたら長くなっちゃったけど。」  
照れ隠しのような笑いを浮かべ、ぐるぐると幾重にも先生の首に巻きつける。  
毛糸の塊を首回り一帯に巻きつけられ戸惑っていた先生だったが、やがて再びマフラーを見つめ、  
「・・・ちょっと編み目が乱雑なようですね。」  
「細かい事はいいでしょう! とにかく、あげる!!」  
少し口を尖らせ、楽しそうに笑う奈美。  
 
くしゅん!  
 
犬の散歩につかうリードのようにマフラーの端を持ってはしゃいでいた奈美が、一つくしゃみを落とした。  
ちょっと赤くなった鼻の頭を寒そうに両手で多い、先生の目の前から真横へと移動する。  
不思議そうに先生は首を傾げる。その首に巻いた長すぎるマフラーの端を、ぐいっ、と引っ張り寄せて、  
そのまま自分の首へと巻き付けてしまった。  
「ちょっと貸して下さいね。」  
「あなたね・・・・・・」  
先生は一瞬苦笑を浮かべたが特に抵抗もせず、二人はマフラーの両側を互いの首に結びつけた奇妙な  
格好で佇んでいる。  
 
 
ややあって、先生の手がごそりと動き、まだ熱いおしるこの缶を奈美の前へと差し出した。  
預けたままだった事を思い出し、受け取ろうとした奈美はその缶の胴にいつの間にか太い紐のような物  
が巻きつけられていた事に気がついた。  
「あれ? 何だこれ?」  
不思議そうにつぶやいてその紐を外そうとすると、先生が横手から遠慮がちに手を伸ばして端をつまん  
だ。  
「・・・まあ、ケチな奴と思われたくありませんし、私からのお返しですよ。・・・一応、手編みですので不恰  
好ではありますが。」  
「てあみ・・・ って? あ―――これ、ミサンガ・・・・・・かな?」  
細かい物を見るにはやや乏しい明かりを頼りに確かめると、それは確かに白い紐状の物で編み込まれ  
たブレスレットのような輪に見えた。  
「願いが叶うようにと心を込めて編みましたよ。・・・・・・木目糸で。」  
「もく・・・!?」  
顔が緩みかけた奈美だったが、とたんに眉間にシワを寄せた。  
溜め息をつきながら無意識に傍観の笑みを浮かべ、とにかく「ありがとう」と言おうと口を開きかける。  
 
しかし、それよりも早く先生の手が奈美の空いている片手をそっと掴み目線の高さまで持ち上げると、反  
対の手でミサンガを持ちゆっくりと5本の指をくぐらせ手首へと導く。  
(わ、わ、わ――!?)  
煌びやかな飾りと電飾が銀色に瞬くツリーの前。向かい合って自分の手を取る先生。どこか憂いを帯び  
た印象のいつもの表情。  
まるで指輪でも渡すかのような仕草でそっと自分の手に触れている。  
あまりに突然訪れた映画のワンシーンのような光景が脳裏にちらつき、奈美は頭から湯気が出そうなほ  
どに顔を火照らせる。  
思わず、缶を持っている事も忘れて自分の手を重ね合わせようとした時、  
 
――ぶち  
 
妙にはっきりと聞こえたその音に二人の動きが凍り付いた。  
ぎぎぎっ・・・と、ぎこちなく首を動かして手首に視線が集まる。  
白いミサンガは、ちょうど手首に収まった所で見事に切れてただの紐となっていた。  
「・・・・・・何か、切れてしまいましたね。」  
「仕込んだろ!? 不自然だってば!!」  
つぶやきを遮り、絶叫に近い声が上がる。  
いつもの事と言えばいつもの事なのだが、思わぬショックに奈美の目に涙が滲み出る。  
ガクリと肩の力が抜け、疲労感が全身を漂う。  
「・・・願いなんて叶わない物ですねぇ・・・・・・」  
しれっとした顔で夜空などを見上げて独白するかのように呟いた先生の言葉。  
背負った暗雲が見えるほどに消沈していた奈美だったが、ふと、何かに気が付いたように目をまたたいて顔を上げる。  
脱力感はもう消えていた。かわりに暖かいものが胸を満たすような高揚感が湧き上がってきた。  
口元に笑みが浮かぶ。  
 
切れたミサンガを手に取ると、一旦、先生に見せびらかすように目の前で振って見せて、そっとポケット  
へとしまいこんだ。  
「クリスマスだもんね。願いは叶いますよ。」  
「・・・はい?」  
「願いなら、もう叶ったから。だから切れたんですよ・・・!」  
少し照れたような笑顔を浮かべて自分を見上げる奈美をしばらく見つめ、先生は小さく肩をすくめて僅かに微笑んでみせる。  
「それは何よりです・・・」  
再びツリーの方へと向き直る先生に、奈美は持ったままだったおしるこの缶をかかげてみせる。  
「メリークリスマース! ・・・なーんてね。」  
悪戯っぽく笑い缶のフタを開けた。硬い音が響く。  
辺りに甘い香りが立ち込めた。  
火傷しそうな舌触りの甘いあずきの粒を少しずつ口に含む。喉を通る熱い感覚は体をほぐしながら全身  
に心地よく染み渡って行った。  
 
 
「さて、そろそろ帰りますよ。」  
そう言って歩き出そうとした先生だったが、張り詰めたマフラーに、グイ、と喉を絞められて、思わず顔を  
しかめて立ち止まる。  
「日塔さん?」  
奈美はすました顔でその視線はツリーを見上げていた。  
「駄目ですよ・・・・・・まだ、飲み終わってませんからね。」  
「・・・・・・?」  
「歩きながらは行儀が悪いですよね?」  
先生の顔に一瞬驚いたような表情が浮かび、それはすぐに微笑へと変わり、また元通りの隣の位置に並  
んで立った。  
「まあ・・・・・・良い事です。」  
苦笑混じりのその言葉に奈美は嬉しそうにちょっと笑って、缶を口元へと運び、中身を一口含もうとし、  
・・・一瞬考え、飲むフリだけをしてみせた。  
 
 
「・・・おそらく来年も見に来ている気がしますねぇ。」  
「いいじゃないですか。年一回の事だし。」  
嬉しそうに笑顔になった奈美に、先生はニヤリと笑い、  
「・・・普通に、来年も同じ事を言っているかもしれませんね。」  
「普通って言うなぁ!! ・・・って、留年させる気満々って事!?」  
奈美は少し膨れっ面をして見せる。  
先生はこちらを見ているのかいないのか、ただ静かに微笑みながらツリーを見上げていた。  
 
「――ねえ先生」  
「何か?」  
先生がこちらに顔を向ける。  
奈美は無言でそっとマフラーに手を触れ、その中に隠すように、自分の赤くなった頬をうずめた。  
「・・・ありがと」  
編みこんだ毛糸から漏れださないように、誰にも聞こえない声でぽつりと言って、瞳を笑みの形に細めた。  
先生は小首を傾げて奈美を見ていたが、またツリーへと視線を戻し、自分もマフラーに頬をうずめてみせる。  
 
奈美は瞳を閉じてみた。  
手を触れたマフラーを優しく握りしめ、もう一度、声には出さずにその持ち主を呼んでみる。  
もちろん返事はない。  
何も言わずに同じマフラーで巻かれて隣に立っているだけ。  
それだけの事なのに、つい、気持ちがこぼれてしまいそうなくらいに胸の中が満たされている。  
頬を包むこのマフラーのように、柔らかな温もりに包まれているようだった。  
 
 
 

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