『親指姫始め』
ひたひたひた。
元日から一夜明けた1月2日。小走りで宿直室ヘ向かう影が1つ。
大正時代の女学生を思わせる袴姿の少女。2年へ組出席番号26、常月まといである。
恋愛対象にして担任教師の糸色望に常時付き纏っているまといであるが、さすがにお年玉という臨時
収入の稼ぎ時には家に留まらねばならず、やむなく元日だけは離れていたのだ。
超恋愛体質のまといにとって、一時でも望から離れるのは耐え難いことであった。ましてや、離れてい
る間は恋敵が望を独占する可能性が極めて高い。走るには不向きな服装であっても、まといが小走り
になるのも無理はなかった。
ようやく宿直室の入り口に到達すると、そのまま室内に侵入したくなる気持ちを抑え、かすかに乱れた
呼吸を整える。焦燥感に駆られて小走りで来た事を、恋敵には悟られたくなかったのだ。
呼吸を整え終わると、まといは扉に耳を寄せて中の様子を窺い始めた。
漏れ聞こえてきたのは望の声。そして予想通り、恋敵の1人小森霧の声であった。
霧は学校に引き篭もる不下校生徒である。望が宿直室での仮住まいを始めてから、家事の名目で宿
直室に入り浸る生活を送っている。望に好意を寄せており、かつ半同棲状態という霧の存在が気に掛
かるのは当然であるが、望がその生活を受け入れている状況が、更にまといを不安定な気分にさせ
ていた。
望「それでは小森さん、よろしいですか?」
霧「は、はいっ!・・よ、よろしくお願いします」
普段はマイペースな霧の声が緊張感から震えている。その緊張感が伝染したためか、まといはその
場から動けなくなってしまった。
望「最初は痛いかもしれません。その時は遠慮なく言ってくださいね」
霧「うん。でも・・・」
望「でも?」
霧「先生に触られたり、見られるのは少し恥ずかしいよ・・・」
(痛い?触る?見られる?恥ずかしい?まさか、それって・・)
まといの脳内に、初体験、姫始め、という単語が浮かび上がる。
望「はは・・、さすがに触らないことには始まりませんよ。ただ、毛布がないと不安でしょうから、脱ぐの
は下だけで構いません」
霧「うん。ありがとう先生・・」
授業中とは異なる、優しく包み込むような望の声。
そして望の気遣いによって緊張感から開放され、ところどころに喜色を滲ませる霧の声。
まといの脳内に、望と恥ずかしげに下半身を現す霧の姿が形成され始める。
望「それではいきます。・・おや、小森さんのはとても柔らかいですね」
霧「先生、口に出されるとすごく恥ずかしいよ・・。んっ!あっ!ん・・・」
微かに聞こえる衣擦れの音と霧の喘ぎ声が、その形成速度を加速させる。
望「大丈夫ですか、小森さん?痛くはありませんか?」
霧「うん・・。少し痛いけど、大丈夫だよ」
望「そうですか。なら、続けますね」
霧「うん、先生・・。んっ!」
再び聞こえる霧の喘ぎ声が、まといの脳内に絡み合う2人の姿を完成させる。
霧「先生・・、少し気持ち良くなってきたよ・・」
望「それは良かった。では、もう少し続けますね」
まといを拘束していた緊張感はいつの間にか解けていた。
そのことに気付くと同時に、涙腺の栓が緩み始めていた。
霧に先を越されたことよりも、望が自らの意思で霧を選んだことが悔しかったのだ。
かといって、このまま引き下がるまといではなかった。
−霧が選ばれたとしても、自分ならそこに割り込める−
超恋愛体質ならではの根拠なき自信が、宿直室への突入を決意させた。
そして突入体勢に入った瞬間、中から予想外の人物の声が聞こえてきた。
交「へー、小森の姉ちゃん、すげぇ気持ちよさそうだな」
霧「うん。初めてだったけど、すごく気持ちいいよ・・、んっ!」
(えっ、交くんもいるの!?そ、そんな幼児の前で・・)
糸色交は望の5歳になる甥であり、訳あって一緒に暮らしている。
霧とは姉弟のように仲が良いはずだが、それでもこの濡場に同席させることは、まといの理解力を超
えていた。
交「ノゾム。じゃあ、次はオレにもしてくれよ」
望「交にはまだ早いと思いますが・・、まぁ お正月くらい大人扱いしてもよいでしょうかね」
(えぇっ!!ちょ、ちょっと先生、まさか男の子にまで!?)
望が男子、しかも幼児かつ甥に手を出す。それはまといにすら割り込み不可能な領域である。
未然に阻止せねばと思うより先に、まといは宿直室に突入していた。
目の前には裸で絡み合う男女の姿・・・はなかった。
霧「んっ!ぁ・・・・・・・・」
望「おや、常月さん。血相を変えてどうかされましたか?」
交「あっ、まとい姉ちゃんだ。あけましておめでとー」
座椅子に寄り掛かり、やや恍惚とした表情で足を望に向けている霧。その手に靴下が握られている点
以外、毛布に運動着という普段どおりの装い。
霧の対面に腰を下ろし、その足裏に両手の親指を添えている望。書生服姿はこちらも普段どおりの装
い。ついでにコタツには交の姿。
どう見ても、青年が少女に足ツボマッサージを施し、それを幼児が興味津々に眺めている図である。
妄想に脳内を占拠されていたまといは、ここに到ってようやく状況を把握した。
−望は男の子に手を出してはいない−
−霧に先を越されたわけではない−
−望はまだ自分以外の女性を選んだわけではない−
安堵による脱力が、緩み始めていたまといの涙腺を一気に開放した。
望「つ、常月さん!?何があったんですか!?まさか正月早々厄介事とか?絶望した!三が日でも
休息できない世の中に絶望した!」
この後、涙に動揺する望に付け入り、まといは三が日に限り宿直室に居座れる権利を獲得する。
そして霧との暗闘や共闘が始まるのだが、それはまた別の話。オンエアされない話である。多分。
―終わり―