服を脱ぐのすらもどかしい。  
焦りで震える手を必死で動かして、中途半端に引っ掛かっていた着衣を脱いだ。  
袴と一緒に下着も取り払ってしまうと、愚息は腹につくほどに反り返り、やたら自己主張していた。  
そのあまりの元気の良さにか、それとも男性のモノを見た事が初めてなのか、  
寝転がってこちらを見る可符香の驚いたような視線が、下半身に釘付けになっている。  
あまり凝視されるのも恥ずかしい。  
羞恥を誤魔化すように、改めて可符香に覆いかぶさった。  
ちなみに彼女の方も、望が脱いでいる間にスカートも下着も勝手に取り払ってしまったようで、  
今は生まれたままの姿で彼の下にいる。  
熱を持った眼差しで見上げられて、いきり立った男性自身に、更に熱が集中するのがわかった。  
「あ、と……」  
と、そこでふいに、もう一度身体を離す望。  
「どうしました?」  
「いえ、その……少し、準備を」  
半身を起こしてこちらの様子を窺う可符香に、肩越しに振り返って答えながら、  
ベッドを降りて、ゴソゴソとさっき脱いだ着物を探る。  
中々見つからずに手間取っていると――背中に、柔らかな温度が触れた。  
ピトリと寄り添う少女の感触に、思わず望の動きが止まる。  
「いりませんよ、そんなの」  
望が何をしようとしているのか察した可符香は、熱っぽい吐息を吹きかけるように、耳元で囁く。  
「だ、駄目ですッ。こういう事は、ちゃんとしておかないといけません」  
吸い付くような肌の感触。少しだけ早い彼女の鼓動。  
それらに理性が陥落しそうになりながらも、ブンブンと頭を振って、お目当ての物――避妊具を取り出した。  
だが、それを持った手にそっと、可符香の掌が重なる。  
「もちろん、私だって軽い気持ちでいるわけじゃないです。  
でも初めては……ちゃんと先生を、直に感じたいんです」  
駄目ですか? と、彼女らしからぬ気弱げな吐息が、耳朶を擽った。  
――カラカラに乾いた喉を、無理矢理ゴクリと鳴らして、そっと振り返る。  
そこにあるのは、相変わらずまっすぐにこちらを射抜く、二つの濡れた瞳。  
「………」  
あぁ、本当に――彼女は私の全てを求めているのだな、と、泣きたくなるほど痛感した。  
無言で、思っていたより随分と小さな身体を真正面から抱きしめる。  
「……もし、子供ができたら――」  
『後悔しませんね?』  
そう言葉が続くものと思い、今更だと苦笑しながら、細い青年の身体を抱きしめ返す可符香。  
だが、彼女の耳元で囁かれた言葉は、予想と少し違っていた。  
 
「――本当に、もう、逃がしませんからね?」  
 
目を見開く。  
より強く抱きしめられて、彼が――思った以上に、自分を求めてくれている事を、理解した。  
「……はい」  
何か気のきいた台詞で返そうかとも思ったが、結局口をついて出たのは、至極簡潔な二文字の了承。  
結局自分も彼とそう変らない。苦笑しながらその事を認めて、  
自分を抱き締める腕と同じくらいの強さで、彼を抱きしめ返した。  
 
――再度、二人はベッドに身を横たえる。  
可符香を横たわらせる際、望は腰の下に枕を敷くように言った。  
キョトンとする可符香に、「こうやって腰の位置を調整した方が、痛みがマシになる」と説明する。  
「さすが先生。伊達にヤンチャしてませんね」  
悪戯っぽく笑いながら、言われた通りに枕を腰の下に敷く可符香。  
「……あの、正直に言いますが、初めての女性のご相手は……」  
「したこと、ないんですか?」  
「えぇ。――甲斐性なしでしたからね」  
覆いかぶさりながら、自嘲気味に呟く望。  
今まで関係を持ってきた相手は皆、少なからず経験を持った人間だった。  
痛み云々の話は、そういう経験のある知り合いから聞いただけだ。  
そもそも、こんな自分に初めてを捧げようなんて相手が居るはずも――ない、ハズだったのだが。  
あらためて、処女を奪うという事へのプレッシャーを感じる。  
だが自分よりも、奪われる彼女の方が何倍も緊張しているだろう。  
彼女の掌の汗の感触を思い出して、望はきゅっと唇を引き結んだ。  
「あら先生。顔が強張ってますよ? ほら、リラックスっ、リラックスっ」  
と、そんな望の内心とは裏腹に、可符香はヘラヘラと笑顔で望の顔に手を伸ばし、  
先ほどのお返しとばかりに、ムニムニと両頬をつまんでくる。  
「ほひゃぇ」  
「あははっ」  
妙な声を上げてしまう。それが可笑しかったのか、綻んだように笑う可符香。  
ああ、やっぱりかなわないな。と、つくづくそう思った。  
 
「それじゃあ、いきます……」  
立膝をついて彼女の足の間に割って入る。  
足を開かれるのが流石に恥ずかしいのか、可符香は少し顔を赤くして、天井に視線を投げた。  
ぴと、と先端を入り口に触れさせる。  
それだけで、ソコが熱く疼いているのがわかる気がした。  
こっちの滾りも伝わったらしく、小さく声を上げて、視線を望へ移す可符香。  
ここで安心させるように優しく微笑む――くらい出来ればいいのだが。  
生憎望の方もあまり余裕が無く、完全に真顔で、荒い呼吸と突き上げる衝動を抑えるのに必死だ。  
「力を抜いて……、ください」  
擦れた声でそれだけ言うと、何度か入り口を先端で撫で上げる。  
「ん、んぁ……」  
存分に愛液を絡ませるように撫でると、可符香はその動きに合わせるように腰をくねらせた。  
彼女の脇から腰にかけてを、安心させるように何度も撫で擦りながら、  
十分に濡れた自身の先端を、ほんの僅かに内部へと埋もれさせる。  
「……ッッ、は、ぁ……」  
「……入れ、ますよ……?」  
可符香は瞳に涙を湛えて、コクリと一度、深く深く頷いた。  
覚悟はとっくに出来ている――と、彼女の瞳が言っていた。  
あとはただ、その想いに答えるのみ。  
狙いを定めて、ぐっと腰を突き入れる。乱暴にならないよう、細心の注意を払いながら。  
「ぁう、いッッ――――!!」  
仰け反る少女の小さな身体。初めて受け入れる異物の感触に、呼吸が詰まる。  
肉の壁をめいっぱい押し広げ、無遠慮に侵入してくる熱い塊。想像以上の質量が、彼女の内側を犯していく。  
 
「っ、か、可符香、さ……っ!」  
頤を逸らして大粒の涙を零す可符香を強く抱きしめながら、ゆっくりゆっくり、彼女の中に押し入る。  
きつく吸い付くように絡み付いてくる熱い感覚に、理性が砕けそうになる。  
背中に立てられた彼女の爪の痛みが、崩れる理性を繋ぎとめてくれるようだった。  
 
可符香は強張る身体から、必死に力を抜こうと努めていた。  
けれどどうしても身体がはねてしまう。深く息を吐こうとして、細い悲鳴のような声が漏れた。  
無理をさせないよう、途中で何度も動きを止めながら、こっちの呼吸に合わせて、少しずつ腰を進める望。  
その優しさが嬉しくて、思わず泣いてしまった。  
きっと彼は、それを痛みの所為だと思うだろう。  
まぁ、思わせておけばいい。――全部終ったあと、これをネタにからかってやろう。  
そんな事を頭の隅で思いながら、可符香は泣きながら、ほんの少しだけ笑った。  
 
――望にとっても、可符香にとっても、妙に長く感じられたその時間。  
深く深く、恥骨が合わさるまで繋がって―――二人は僅かに肩の力を抜いた。  
「こ、れで……ッ、全部、入りましたよ……」  
「っは、っは、っは―――ぅ……ッ」  
可符香は返事をする余裕もないのか、浅く忙しなく、擦れた呼吸を繰り返す姿が痛ましい。  
だがそんな彼女とは裏腹に、望はあまりの快感にどうにかなってしまいそうだった。  
まだ未開発のソコは今までに感じた事がないほどにキツく締め付けてくる。ドクンドクンと脈打つように。  
今すぐにでも動き出したい衝動を全力で堪えながら、ギュッと目を瞑って痛みに耐える可符香の額に、軽く口づけた。  
それから何度も何度も頭を撫でる。彼女を、そして何よりも快感に負けそうな自分を落ち着かせるように。  
しばらくそうしていると、大分慣れてきたのか、可符香の呼吸が緩やかになってきた。  
背中に食い込んだ指先から、徐々に力が抜けていく。  
「――背中、痛くしちゃいましたね……」  
「……貴女の方が何倍も痛いでしょうに」  
思わず苦笑する望。正直、背中の痛みすら心地よく感じるほど、この小さな身体に溺れそうだった。  
「大丈夫です。痛くないです」  
「嘘おっしゃい」  
「ホントですってば。何ならもう、ガツガツ動いていただいてもOKですよ?」  
軽口を叩けるくらいまでは回復したようだが、それでも若干声が震えている。  
「……」  
試しに、少し腰を引いてみた。  
「いッッ―――!!」  
即座に身を強張らせる可符香。だが、すぐにハッとしたように目を見開いて、  
「――ったくも、ない……ッ」  
目尻に溜まった涙をゴシゴシ拭いつつ、必死に笑みを浮かべた。若干、引き攣ってはいたが。  
「……そんなトコで勝負しなくて良いですから」  
「勝負するトコなんですっ」  
――今はまぐわっているのであって、決してバトルしているわけではないのだが。  
 
ふっと苦笑するように溜息を吐きながら、見栄っ張りな少女の胸に触れる。  
痛みが少しでも和らげばと、やわやわと掌全体で包み込むように、優しく揉みしだき、撫で擦る。  
「んん、ん……」  
ツンと上を向いた乳頭をクリクリと弄ってやれば、いつもより僅かに高い、鼻に掛かった声が小さく漏れた。  
その声をもっと近くで聞きたくて顔を寄せると、お返しとばかりに耳を軽く噛まれる。  
「うぁ」  
不意打ちに情けない声が出てしまう。  
慌てて顔を離すと、可符香は頬を染めながらも、してやったりと笑っていた。  
「んふふ。先生、可愛い」  
「こ、こら」  
「あっ、ふふ……、先生の、ちょっとピクンってなりましたよ。  
 耳が弱いんですね〜。覚えておきます」  
中で脈打つ男の反応にほんの少し体をひくつかせながらも、他人をからかう事だけは忘れないらしい。  
「まったく……」  
主導権を握りきれない事に若干の不満を覚えつつも、まぁ、この方が彼女らしいとも思う。  
「――もう、本当に大丈夫ですよ。先生」  
笑顔のままで見上げてくる可符香。その言葉の意味する所を察して、望は深く頷いた。  
「それじゃ……。無理そうなら、ちゃんと言うんですよ?」  
「了解です」  
可符香は軽い調子でウィンクをひとつ。何が何でも弱音など吐くつもりはなさそうだ。  
仕方ないな、と内心で苦笑して――ゆっくりと、腰を引いた。  
「ん、んん――ッ」  
ほんの少し引いて、すぐに突き入れる。細かく腰を揺らして、奥を軽くノックするように。  
「はっ…、は、はぁ…ッ」  
小さく揺れる乳房に口づけながら、何度か突き上げる角度を変えて、注意深く可符香の反応を見た。  
「っは、ぅ、うんん――ん、んっ」  
僅かに眉根を寄せて、薄く目を開いて見返してくる可符香。  
頬は紅潮して、小さく開いた唇から覗く舌が艶かしい。  
「――ぁ、そこ……、ちょっと、気持ち良い、です」  
「ここ……、ですか?」  
「ッッ、は、い――っ、そこ……っ!」  
一点を擦りあげると、痛みとは違う感覚に可符香の身体が仰け反った。  
「ぁ、ぁ、あ、ぅ――ッ、んん――」  
突き上げる度、控えめな喘ぎが漏れる。  
耳に心地良いソレに酔いながら、望は可符香の目元に溜まった涙を吸った。  
二人でいかにお互いが気持ちよくなれるか探りあいながら、徐々に上り詰めていく過程が、少し楽しい。  
望が動く度、膨らんだ陰核が望の陰毛に擦れるらしく、それが可符香の快感を更に助長していた。  
繋がりあった場所から漏れる水音が派手になってくる。  
肉と肉がぶつかり合う音と交じり合って、お互いの興奮を煽るかのように、室内に響いた。  
「――は、ぁ……ッ」  
望の呼吸が徐々に狂い出す。顎から伝い落ちた汗が、可符香の胸の輪郭をなぞった。  
内で蠢くモノが膨張するのを感じて、可符香は望の限界が近い事を悟る。  
 
「せ、んせ……。どうぞ……っ」  
荒い呼吸の中で、精一杯の笑みを浮かべる可符香。  
僅かな言葉の意味を察して、望は一瞬躊躇したものの――応えるように、少女の唇に吸い付いた。  
必死に唇を吸いながら、ぐっと細い足を抱え上げる。  
「んぁ――!!」  
より深く突き入れると、可符香の身体が大きく仰け反った。その拍子に、唇が離れる。  
彼女が痛がっていると頭では理解したというのに、身体は今更止まってはくれなかった。  
もう、彼女の最奥に放つ事以外考えられない。  
本能が理性食い尽くす感覚に自分自身で怯えながら、震える小さな身体を折れそうなほどかき抱いた。  
背中に回された細い腕の感触が優しくて、余計に自分の残酷さを意識させられる。  
「か、可符香さ―――」  
ギシギシとスプリングが悲鳴を上げる。もう一度唇を貪りたくなって、彼女の顔を覗き込んだ。  
突き上げられ、酷く犯されているというのに、彼女は。  
「――せ、んせ、い――」  
泣きながら、それでも笑みを絶やさずに。真っ直ぐに自分を求めてくれていた。  
「――――は、ぐ……ッ!」  
僅かに孤を描いた唇を塞ぐ。愛おしくて堪らなかった。  
深く深く突き入れて――湧き上がってくる衝動を、そのまま中にぶちまけた。  
「……ぁ……」  
蚊の鳴くような、小さく細い声が上がる。  
満たされていく感覚を感じながら、可符香は細く、長い吐息を吐いた。  
望の荒い呼吸を聞きながら――あぁ、終ったのか――と、ゆっくりと目を閉じる。  
瞼に押し出された涙を、望の温かい舌が舐め取るのを感じながら、可符香はそのまま意識を手放した。  
 
◇ ◆ ◇ ◆  
 
浅い所を彷徨っていた意識が、少しずつ浮上する。  
ゆるやかな覚醒に心地良さを感じながら、望は薄っすらと目を開けた。  
見慣れない天井に一瞬混乱するが、すぐに昨夜の事を思い出す。  
――思い出してしまうと、眠気はすぐに覚めてしまった。  
「おはようございます、先生」  
まるで望の覚醒を待っていたかのように、隣から声がかかる。  
「あ、ああ。おは――」  
何故か少し焦りながら上半身を起こし、振り向くが――、上ずった声が思わず途切れた。  
可符香は望より先に起きていたらしく、薄く微笑みながらベッドの上に座っていた。  
 
黄色い無地のパジャマを身にまとって、大きく膨らんだお腹を擦っている。  
 
……しばし、その膨らんだお腹を凝視する望。  
「先生があんなに激しく出すから、できちゃいました〜」  
「早ッッ!!」  
いや、よしんば出来ていたとしても、急成長にも程がある。  
「っていうか、朝からそういう微妙に洒落にならない冗談は止めてください! 心臓に悪いから!」  
「ちぇ」  
不満顔で、パジャマを捲ってお腹に隠していた枕を取り出す可符香。  
「……もしかして、その冗談の為だけにパジャマ着たんですか」  
確か――自分がぶちまけたモノを拭いたり、事後処理を一通りこなした後は、お互いそのままの格好で眠った筈である。  
 
「はい。あ、ちょっと寒かったっていうのもありますけど」  
「まったく……」  
昨日の今日だというのにこれほどマイペースな態度で居られると、昨夜の事が嘘のように感じられる。  
だが確かに、触れた温度や泣きたくなるほどの激情の余韻が、まだ身体の奥に残っている。  
「ねぇ、先生」  
いつのまにか俯いていた顔を上げると、可符香は驚くほど近くに顔を寄せてきていた。  
「な、何です?」  
「まだ時間ありますから、お風呂に入ってから、学校に行きましょう」  
「お、お風呂……?」  
視線を壁にかけてある時計に移すと、確かにまだまだ余裕があった。  
カーテンの隙間から射す朝日もまだ僅かで、外は薄青い夜の余韻に浸っている。  
「汗とか色々、このままじゃちょっとばっちぃじゃないですか。  
 それに、匂いで他の娘にバレちゃうかもしれませんよ?」  
口元に手を当てて、悪戯っぽく笑う可符香。  
耳まで真っ赤になる望を尻目に、可符香は「よいしょ」と声を上げつつ、ベッドから降りた。  
「それじゃ、沸かしてきますね」  
「え、あ――い、いってらっしゃい」  
返事も待たずに部屋を出る可符香の背を見送りながら、望は今更肌寒さを感じて身震いする。  
まだ少し少女の温もりが残る布団に包まりながら、何とはなしに、外の景色を見たくなった。  
いつも小森がそうしているように、肩に布団を引っ掛けてベッドから降りる。  
そっとカーテンを引く。夜から朝へ移り変わりつつある景色を眼下に、欠伸を噛み殺した。  
 
と。まだ人気などほとんどない景色の中に、見覚えのある姿を見かけた気がして、よく目を凝らす。  
丁度家の前を通り過ぎていくのは――昨日公園で行為を覗き見てしまった、あのカップルだった。  
二人は腕を組んで歩いている。昨日の、まるで獣のような二人とはまるで違う、穏やかな雰囲気を纏って。  
―――思い返せば、あの行為だって恋人同士の愛情表現だ。昨夜自分達のした事と、そう変らない。  
幸せそうな姿をぼんやりと眺めていると―――女性の方と、目が合った。  
それに気付き、男の方もこちらを見上げてくる。  
すぐにカーテンを引けばいいものを、思わず硬直してしまって、そのまま見詰め合う形になる。  
(ば……、バレてたんでしょうか……)  
強くカーテンを握り締める手が汗で湿るのを感じつつ、青ざめる。  
二人は何か会話したあと、すぐに何事もなかったかのように歩き出した。  
ホッと息をつく――と、二人は道の真ん中でキスをした。  
軽く触れるだけの口づけを交わし、また何事もなかったかのように歩き出す。  
その後姿を呆然と見送りつつ、ハッと我に返り、ゆっくりとカーテンを引いた。  
……最後に見た二人の顔は、少し悪戯っぽく微笑んでいた気がする。  
 
「……見せ付けられたんでしょうか」  
「何がですか?」  
「にぎゃぁあッ!?」  
予想外の応答に、咄嗟にその場から飛び退く。  
結果。  
 
っがごしゃん!  
「ぉふッ」  
背後の窓に後頭部を盛大にぶつけ、そのままズルズルとへたり込んだ。  
「……何してるんですか?」  
「な……、何でもないデス」  
ぶつけた後頭部を擦りつつ答える。一人で勝手に大慌てしている自分が情けなかった。  
「お風呂沸きましたから、行きましょう?」  
「あ、先に貴女が入って下さい。私は後でいいですから」  
ヨロヨロと起き上がり答えると、可符香は一瞬キョトンと目を丸くして、すぐに呆れたように苦笑した。  
「何をお惚け言ってるんですか。一緒に入るんですよ」  
「え」  
硬直する望。見る見る頬が赤くなる様が可笑しくて、可符香は思わず吹き出した。  
「あっははッ。今更恥ずかしがらないで下さいよ、先生」  
言いながら、望の手を取り歩き出す。  
「ほら。そのままじゃ風邪ひいちゃいますよ」  
「あ、ああ――そ、そうですね」  
部屋を出て、冷たい廊下を素足で歩く。ペタペタと足音を鳴らしながら、浴室へ向う。  
 
「――そうですよね」  
「はい?」  
ふいに零れ落ちた望の声に、きょとんと振り返る可符香。掴んだ手はそのままに。  
「恋人ですもんね、私たち」  
 気弱げな笑みがそこにはあった。掴まれた手を、ほんの少し強く握り返す望。  
 
「……」  
 
ノーリアクションの可符香。  
――僅かな、間。  
 
「こ、恋人、ですよね……?」  
 
――更に、間。  
 
「ちょ、そそそ、即答して下さいよ!」  
「あはは」  
「アハハ、じゃなくて!」  
「大丈夫ですよ、自信持ってください」  
一頻り青ざめる望の様子を堪能したのか、可符香はやっと安心させるように微笑む。  
「それに、逃がさないって言ったのは先生じゃないですか。  
そんな弱気じゃ、私、どっか行っちゃうかもしれませんよ〜」  
ふいに、可符香は繋いでいた手を離し、軽い足取りで数歩先へと歩いた。僅かに遠ざかる、細い背中。  
 
「あ」  
それは困る。  
なんというか――恥ずかしながら、もう彼女に夢中なのだ。  
今更どこかへ行かれても、本当に困る。  
 
ほとんど無意識に手を伸ばし、可符香の肩に手を掛けた。  
そのまま引き寄せて、羽織った布団の中に包み込むように抱き寄せる。  
間近に感じる少女の匂いに、昨夜の事を思い出してしまって、急に気恥ずかしくなった。  
「――それで良いんですよ」  
可符香は首だけ振り向きつつ、満足そうに目を細めた。  
(……試されちゃいましたかね)  
自分の不甲斐なさが腹立たしい。まるで彼女の掌で踊らされている。  
「ッ、ふぇ――」  
ふと、望は急に可符香から身を離し、慌てて口元を手で覆った。  
クシュン。と、クシャミをひとつ。  
「あらら。これじゃホントに風邪ひいちゃいますね」  
「は、早く行きましょうか」  
歩き出す可符香の隣に並ぶ望。僅かに触れる肩の温度が温かい。  
――さっきのカップルの姿を思い出す。恋人として、自然に振舞う二人の姿を。  
まだ学生と教師という立場上、あんな風に堂々と振舞う事は出来そうもないが、  
せめて二人でいる時くらい、ちゃんと自然に恋人として振舞えるようになれるだろうか。  
 
愛おしいという気持ちは、十分過ぎるほどある。  
長いこと望んでいた感情は、彼女がくれた。  
次に望むのは、この気持ちを上手く伝える方法だ。  
「可符香さん」  
「ん?」  
浴室のドアを開けながら振り返る可符香。   
「――よ、呼んでみただけです」  
「そうですか」  
苦笑で返される。  
あぁ、本当に情けない。  
 
切実に、この胸にある気持ちを、上手く伝える術を望む。  
 

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