またあの夢を見た。  
夢だということはわかっている。わかっているから、どうすることもできない。  
 
ジャングルに囲まれた村。ひどく蒸し暑い。嗅ぎ慣れた硝煙と血の臭い。  
私は目の前の幼い少女に、SMG(短機関銃)を向けている。  
少女の瞳は、怯えと絶望、そして諦めの色に染まっている。  
 
私の後ろから、足音が近づいてくる。  
どうする、どうする、どうする…  
 
 
「死んでやるー。もう死んでやるー!」  
なんとも物騒な絶叫が、職員室の方まで聞こえてきた。  
しかし、もうこの部屋にいる誰も、その声には驚かない。  
 
「またですか。あれでよく教師が務まりますね」  
SCの知恵先生がそうつぶやく。  
「まあまあ、あれが糸色先生なりの教育方針なのでしょう」  
とっさに、私はそう言ってフォローした。あまりフォローになっていない気もするが、仕方がない。  
「どんな方針ですか。そんな風におっしゃるのは甚六先生だけですよ」  
千恵先生は、腕組みをしながらそう切り返してきた。この動作で、豊かな胸が強調される。  
狙ってやってるのか、このひとは。  
あいにく私は、そういった感情にはここ何十年も縁がない。  
 
「離してくださいっ。今度こそ、今度こそ本当に自決します。死にますから!」  
"死"か。  
良家のお坊ちゃまに生まれ、何不自由なく育ってきた彼が、死のいったい何を知っているというのか。  
「先生?」  
千恵先生が、不思議そうな顔で私を見ている。  
いかん。つい険しい表情になってしまったようだ。  
私はいつでも「仏の甚六」でなくてはいけない。そう生きていくと決めたのだから。  
 
 
「ジンロク。なあジンロクセンセ」  
放課後の廊下で、私に声をかけてくる女生徒がいた。この子は確か、留学生か何かの…  
「関内君。どうかしましたか」  
「マリアでイイヨ。関内・マリア・太郎!」  
元気に返答されたので、少し気おされた。  
「ああ、あなたにはミドルネームがあったのですね」  
どうかしてる。太郎って何だ、どう見ても女子だろう。  
とはいえ、この学校自体、どうかしてる高校なのだから仕方がない、と私は気をとりなおした。  
こんな適当な職場だからこそ、私のような経歴不明者でも雇ってもらえるのだ。  
 
「ジンロクは、おしゃれ上級者なのナ」  
「はい?」  
いきなりそういわれても、意味がよくわからない。  
「エート、背中に、おっきいアクマのタトゥー」  
あ。やはり見られていたのか。  
確かに、私の背中には巨大な般若の面の彫り物がある。  
以前、つい気が緩んで更衣室でシャツを脱いでしまったことがある。  
あのとき誰かの気配を感じたのだが、この子だったのか。  
 
「それでナ、その、ゴメンナ」  
マリアは急にしゅんとした表情になってしまった。  
「ジンロクのタトゥー、すごくカッコイイと思ってナ、みんなに教えた」  
「困りましたね」  
口ではそういいつつも、表情はあくまで笑顔を崩さないで言った。  
ばれてしまったのは面倒だが、学校側も彫り物があるという程度の理由で解雇はできまい。  
「このクニでは、背中にタトゥー入れてるのは、ギャングメンバーだけなんだろ。マリア、知らなかった。ジンロク、ギャングか? クビか?」  
 
私が彫り物を入れたのは、十九のときだった。  
あの頃は若かった。とにかく、誰にもナメられたくない、その一心だった。  
しかしすぐに、気の早い決断に後悔した  
なにせ、気軽に銭湯にも行けない。  
親からは勘当され、土方の仕事さえ断られた私は、もう極道になるしか無かった。  
 
ヤクザの世界に入ってしばらくして、組の若頭に気に入られた。  
出世のチャンスがやってきたと張り切った私は、彼の命令なら何でも従った。しかしそれが罠だった。  
ある日、私が若頭の指示どおりに弾いた男は、上の組のお偉いさんだった。  
身内殺しの汚名を着せられた私は、ついに日本にもいられなくなった。  
 
「なーなー、もっかいホリモノ? 見せてナー」  
職員室に戻ろうとした私の後を、いつまでもマリアがついてくる。  
私がクビになるのではと心配した彼女に「彫り物程度でその心配はない」と説明したところ、  
急にもう一度見せてくれとせがみ出したのだ。  
「ダメか?」  
急に心細そうな表情になって、そう聞いてきた。まるで親にはぐれた子供のように。  
「ここではちょっと困りますね。人のいない部屋でなら」  
そう言ってやったら、一転して満面の笑顔を浮かべた。  
まったく、この子の頼みを断れる人間なんて、そうはいないだろう。  
階段の脇に掃除用具室がある。狭くて、おまけに薄暗い部屋だ、ここなら誰も来ないだろう。  
 
「これでいいですかな?」  
上半身裸になって、背中を見せた。正直異様な光景だろう。人が見たらどう思うことか…  
しかし、それでもかまわない。彼女と話しているうちに、なぜかそんな気分になってきたのだ。  
それにしても、私の体も衰えたものだ。若い頃の面影はもうない、などと考えていると、  
「エヘヘヘ」  
何を思ったか、彼女が急に背中に抱きついてきた。からかわれているのか? それと、何か感触が変だ。  
「マリア君?」思わず振り返る。  
 
マリアは全裸だった。  
いつの間に。床には脱ぎ捨てられたセーラー服がある。というかそれしかない。  
「君、し、下着の類は?」  
「もってないヨ」  
そう答えられて、あっけに取られている隙に、押し倒されてしまった。  
「とう!」  
さらに、私の上に飛び乗ってきた。馬乗りの姿勢で、少しずつこちらに体を近づけてくる。  
「んー…」  
やめたまえ、と言おうとしたが、うまく口が回らない。  
彼女が首に抱きついてきた。そして有無を言わせず、唇を重ねてくる。  
やわらかい。そして、暖かい。女性の体とは、こんなに気持ちがいいものだったか。  
しかし、なんとか抵抗しないといけない。横を向いて強引に唇を離した。  
すると彼女は、私の頬をなでながら、耳元でこうささやいた。  
「なんでも、するヨ」  
そのまま、耳に、そして首筋にキスの攻撃を仕掛けてくる。過去に知ったどんな女よりも、巧みな愛撫だった。  
「どこで覚えたんですか、こんなこと」  
思わず聞いてしまう。  
「マリア、いろんなお仕事知ってるヨ。女の子なら誰でもできるお仕事、いっぱい覚えたヨ」  
にこやかに笑いながらする話ではないでしょう、と言いかけたが、すぐにまた唇をふさがれる。  
今度は、なかなか開放してもらえなかった。舌を絡め合わせながら、彼女は優しく、私の背中をなで続けた。  
その一つ一つの動作が心地いい。  
もうこんな感情には、縁がなくなったのではなかったのか。  
いや、嘘だ。そもそも、あの日以来、女性と肌を合わせたことなどなかった。  
単に他人と触れ合うことから逃げてきただけだった。  
 
三十年近く前、私はアジアのとある小島にいた。  
紛争地域専門の国際民間警備員、と言えば聞こえはいいが、要は傭兵だ。  
それも、正規の軍隊にはできないような、汚い仕事ばかり回ってくる。  
だが、自分などいつ死んでもかまわない、そう考えれば、どんな危険な任務も苦にはならなかった。  
 
そのときの雇い主は、この国を独裁政権によって支配している軍人だった。  
作戦目標は、独立派ゲリラの排除。  
より正確に言うなら、ゲリラの疑いがある島民の即時射殺。  
そして、この島に「ゲリラの疑いが無い」者など一人もいなかった。  
たとえ幼い子供でも、手榴弾を握り締めて自爆攻撃を行うぐらいはできる。  
 
上陸してわずか3日で、私の部隊は作戦目標の9割を達成した。  
まさに悪夢だった。殺されるほうにとってはもちろん、殺すほうにとっても。  
だが、今さら逃げることはできなかった。  
もしも任務を放棄したら、後ろから仲間に撃たれてしまうだろう。  
この島で自分たちがしたことを、誰にも知られるわけにはいかない、  
隊員全員が「共犯者」として、死ぬまで秘密にしておかなければならない。  
 
この島で最後に残った集落を本隊が殲滅している間に、私を含む分隊は残存者の掃討を行っていた。  
ほかの部隊が通ったあとを回り、動いている人間がいれば撃ち、原型を留めている家屋があれば火を放つ。  
そして、集落の食糧庫らしき粗末な小屋をふと覗いてみたところ、そこに人影が見えた。  
思わずSMGの銃口を向ける。その先にいたのは、まだ12・3歳ぐらいの少女だった。  
少女の瞳は、怯えと絶望、そして諦めの色に染まっている。  
なぜ生きているんだ、私はいらだった。これがただの死体なら、これ以上心が痛まずにすむのに。  
逃がしてやれないか? いや、それはありえない話だ。こいつの運命は、ひとつしか残されていない。  
 
後ろから、仲間の足音が聞こえてきた。私が戻ってこないのを不審に思い、様子を見に来たのだろう。  
この少女の、これからたどるであろう運命が、実は2つあることに気がついた。  
つまり、今から数人の男に陵辱されたあとに殺されるか、ここで私に殺されるかだ。  
せめてすぐに楽にしてやれと、私の中の悪魔が告げる。  
どうなろうとかまわない、傍観していろと、もう一人の悪魔が告げる。  
足音はすぐ近くまで迫っている。どうする、どうする…  
 
気がつくと、私はマリアを抱きしめていた。  
「ドシタ? ジンロク」  
彼女は私の眼鏡を外し、目尻にそっと口付けをした。  
泣いていたのか、私は。  
思わず涙を拭いた私の指を、すかさず彼女は口に含んだ。  
暖かく、柔らかな舌の感触が心地よい。  
そして、頼まれてもいないのに丁寧に私の指をなめてくれるその仕草には、底知れない慈愛が感じられた。  
この子は、単に男性が喜ぶ方法を知っているだけではない。おそらくは、世界中の全ての人間を愛しているのだろう。  
 
その感触に気をとられている隙に、自然な動作でベルトを外された。  
さらに、私の服を全て脱がそうとする。  
「な、ダメだ、それは」  
拒否するが、逃がしてはもらえない。  
「なんでダ? すごく元気ダゾ?」  
そういいながら、局部を撫で回された。その瞬間、全身がしびれるような感覚に襲われた。  
「その、これ以上は」  
「知ってる、"誘い受け"ダナ、ジンロク」  
私の目をじっと見つめて言いながら、その手で男性器をしごき始めた。それだけで、めまいがするほどの快感に襲われる。  
 
諦めた私は、彼女のあごに優しく手を沿え、今度はこちらから口付けをした。  
それだけのことで、心からうれしそうに微笑んでくれた。  
そのまま、マリアを冷たい床に押し倒した。もうこれ以上、彼女に奉仕させる気はない。  
「こんな年寄りにいたずらされて、何が嬉しいんだ?」  
今まで攻められっぱなしだったので、少し意地悪なことが言いたくなる。  
だが、それに対する彼女の反応は意外なものだった。  
「パパ…」  
頬を赤く上気させて、先ほどまでとは別人のように瞳を潤ませて、こちらを見ている。  
私のことを、遠い国の自分の父親と重ね合わせているのか。そもそも、彼女の父親はまだ生きているのか。  
なんにせよ、その表情で私はますますいきり立った。  
しかし、こんな少女にこんなものを入れて大丈夫なのだろうか。いくら経験ありとはいえ。  
さらに彼女はつぶやく。  
「Come on…」  
 
もう理性は残っていなかった。私は今までの優しげな態度を全て捨て、動物としてオスが行うべき行為を行った。  
行為の最中も、彼女はときおり微笑み、私の唇を求めた。  
私が果ててしまうまで。  
 
 
またあの夢を見た。  
夢だということはわかっている。わかっているから、変えなくてはならない。  
後ろから、足音が近づいてくる。どうする…  
 
「ヘイ、ジン。そんな所で何やってんだ」  
そう怒鳴りながら、同じ部隊の男が小屋に入ってきた。  
結局、私はあの時、少女を撃てなかった。  
「おお、女じゃねえか。まだガキだが、まあいい」  
私はこの男を心から軽蔑していた。いや、ある意味ではうらやましかった。  
罪悪感というものを一切感じないという、その性格が。  
 
「たまには、私にも犯らせてくださいよ」  
そう言いながら、私は戦闘服とシャツを脱いだ。背中には般若の彫り物。  
「ジャパニーズってのは、こんなオコサマがいいのか。理解できねえな」  
男は床に座り込んだ。順番を待つつもりらしい。  
彼にこう尋ねてみた。  
「我々は、死んだら地獄行きでしょうか」  
「聞くまでもねえだろ!」  
即答か。  
「では先に待っていてください」  
そう言いながら、私は無防備な彼の頭部にSMGを数発撃った。これで即死だろう。  
少女は呆然とした目で私を見ている。  
何をやっているんだ、私は。アクション映画の主人公にでもなったつもりか。  
 
その後、何重もの幸運に恵まれて、私は奇跡的に島を脱出できた。  
しかし頭部に重傷を負って、記憶の一部を失ってしまった。  
記憶を? そうだ。  
私は、あの夢の続きを、今まで忘れてしまっていたんだ。  
 
 
「ジンロク、起きたカ?」  
どうやら、行為が終わったあと、そのまま気を失ってしまったらしい。  
マリアが、膝枕をしてくれていた。  
すでにあたりはすっかり暗くなっており、非常灯の緑色だけが、ぼんやりと私たちを照らしていた。  
 
「パパ」  
ん。今なんと?  
「マリアね、パパを探してニッポンに来たんだヨ」  
そうなのか。  
「ていうか、本当のパパは、どこの誰だかよく分かんないんだけどネ」  
そんな重大な事をさらっと言われても。  
「昔ネ、マリアが生まれるよりずっと昔、ママのことを助けてくれたヒトがいたんだって。だからそのヒトのことをパパだと思いなさいって、サイゴにママが教えてくれた」  
私は、体を起こしながら尋ねた。  
「その人は、どんな人なのですか」  
「名前はジン、ニッポンジン。背中に…おっきいアクマのタトゥー!」  
 
 

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