4教科のテストが終わり、午前中の教科の答え合わせや午後のテスト勉強で騒がしい昼休み。  
「ただいま戻りました」  
「おかえり」  
昼食を取りに宿直室へ戻ってきた望を、交が出迎えた。  
「午前中って、テストの試験官やってただけだろ。何でそんなにぐったりしてるんだよ」  
「さあ、どうしてでしょう。暇疲れってやつですかね」  
大きく伸びをしながら覇気のない口調で答える。  
実際試験官と偉そうに言っても、テストの間教室にずっと座っているだけの仕事である。  
時折生徒が落とした鉛筆や消しゴムを拾ってやるくらいで、後はほぼ何もすることはない。  
鉛筆の音と時計の針が動く音だけが響くピリピリとした空気の教室の中で、ひたすら時間が過ぎるのを待つ。  
それが午前中4教科分で、4時間。いい加減疲労も感じるというものだ。  
「交、午後は私の代わりに教室で座っていてくれませんか」  
「冗談言うなよ」  
半ば本気で甥っ子に押し付けようとしながら座布団に腰を下ろし、霧が朝作ってくれた弁当に箸をつける。  
「そんなに暇なら本でも持って行けばいいだろ」  
「……さすがに皆さんがピリピリしてテストを受けている中で読書は、無理ですねぇ。  
 皆さんの進路がかかった大事なテストですから、そんなテストの試験官が読書なんかしていたら  
 PTAとか教育委員会に何を言われるやら分かったものじゃありませんし……」  
命の危機ですし。とは敢えて言わない。  
携帯ムービーでテスト中に読書する自分の姿を撮影して動画投稿サイトに流す教え子や  
どこかから取り出したスコップ片手に『どうしてきっちり試験を監督しないのかしら』と魚目で呟く教え子を想像して  
ぞっとした表情で出汁巻き卵を口に運ぶ望。  
「ふーん」  
対照的に『どうでもいい』とでも言いたげな顔で唐揚げを口に放り込む交。  
「そんな大事なテストなら真面目にやれよ、試験官」  
「……分かってますよ」  
正論で返されて、ぐうの音も出ない。  
「……大事な、テストなんです。これからの道を決める、大事な……」  
呟きながら、2のへの生徒達の顔を思い浮かべる。  
その中でも1つ、際立って鮮明に浮かんでくる、あの少女の顔。  
――先生のお傍に。  
そう言い続けた彼女が、自分から離れて彼女自身の道を歩くための1つの転機なのかもしれないのだ、これは。  
いつまでも自分の後ろに彼女がいるなど、あり得ない。彼女のためには、あってはならない道なのだから――  
 
「……望」  
「え?」  
はっと思考を中断すれば、ちゃぶ台の向こうからげんなりとした表情でこちらを見ている甥っ子の姿。  
「ど、どうしました?交」  
きょとんと問い掛ける望の声に被さるようにして、ぴんぽんぱんぽん、と校内放送がかかった。  
 
『糸色先生、糸色望先生、職員室までお越し下さい。糸色望先生、至急職員室までお越し下さい』  
 
「ええと……」  
頬に一筋の汗を流しながらあさっての方向を見つめる、その視界のぎりぎり端に、へっと甥っ子が笑うのが見えた。  
「何やらかしたんだ、お前」  
「何もやらかした覚えは御座いません!  
 絶望した!食事の時間さえ与えてくれない校内放送に絶望した!!」  
頭を抱えて叫ぶ望。思いっきり聞かなかったことにしてスルーしたいが、さすがに校内全域に  
オンエアされているであろう放送をスルーするのは無理がある。  
「ううう……せめて昼休みぐらいはくつろごうと思っていたのに、何事でしょうねえ」  
「至急って呼び出されるくらいだから、何かあったんだろ。早く行けよ」  
交の冷淡な言葉に押されるようにのろのろと立ち上がると、まだ半分以上残っている弁当をちらりと見て  
はぁ、と溜息をついた。わざわざ霧がテスト当日だと言うのに早起きして作ってくれた物である。  
残飯として捨ててしまうのも忍びない。  
「5時限の予鈴が鳴るまでに帰ってこないようでしたら、食べてしまっていいですよ、それ」  
「全部は食いきれないよ」  
「残ったら弁当箱ごと冷蔵庫に入れておいてください」  
ひらひらと手を振りながらそう言うと宿直室から出て行く叔父の背中を見て  
交は半目になって、さっきの何かを考えているようだった望の表情を思い出す。  
(試験官ってのが、どれだけ疲れるんだか知らないけど)  
――大の大人が、あんな泣きそうな顔するなよ。  
小さく毒づくと、望の弁当箱から1つひょいと唐揚げを摘み上げた。  
 
 
職員室の扉を開けた瞬間、その場にいた教師達の視線がばっとこちらに集中したのは、多分気のせいではない。  
思わず気後れしながらも足を踏み入れる望の元に、智恵が駆け寄ってきた。  
「糸色先生、お呼び出ししてごめんなさい」  
「いえ……何かあったんですか?」  
ただならぬ雰囲気にきょろきょろと周囲を見回しながら、望。こちらへ、と智恵に案内されて  
自分の机の方へと進んでいくと、腕組みをして難しい顔でこちらを見つめている甚六と  
椅子に腰掛けて俯いている1人の生徒が視界に入る。  
「……常月、さん」  
望の声に反応してか、ぱっとまといが顔を上げた。  
朝見たのと同じ、何かを思いつめてしまったような表情に、望の胸にこんこんと不安が湧き上がってくる。  
「あの……甚六先生、智恵先生、常月さんが何か?」  
今回はまといはテスト問題は見ていないからカンニングにはならないはずだ。  
試験中に気分を悪くしたのなら、行くのは保健室であってここではない。  
――何か、問題行為を起こしてしまったのだろうか。  
望の問い掛けに、甚六がううむと唸る。  
「糸色先生は、国語の試験の採点はまだ行っていないのですか?」  
「え?」  
逆に質問を返されて一瞬うろたえるも  
「あの、私は午前中はずっと試験官をしていましたから」  
と答えると、甚六はなるほどと頷いた後、言いにくそうに口を開けた。  
「実は……彼女の答案なんですが……いや、実際に見ていただいた方が速いでしょう」  
智恵先生、と甚六に促されて、智恵が持ってきた答案用紙を望に手渡す。  
午前中の英語、理科、数学のそれをざっと見て、望は絶句した。  
「な――」  
『2年へ組  常月 まとい』と丁寧な字で記入された名前欄。  
彼女の字が書かれているのは、そこだけだった。  
後は3枚とも全て空欄となっている。一度書かれた文字が消された形跡も、数式が途中まで計算された形跡もない。  
望は慌てて自分の机へと駆け寄り、そこに置かれた答案用紙の山を掻き分けるようにして  
まといの答案を探し出す――これも、白紙。  
名前欄以外配布されたときと全く同じ状態のままで、全教科の答案を提出したのだ、この少女は。  
「国語も、ですか」  
ある程度予想がついていたのか、溜息をついて困ったように頭を掻く甚六。  
「常月さん、貴女、問題が分からなかったわけじゃないわよね?  
 一体どうしてこんなことをしてしまったの?」  
白紙の答案を持ったまま呆然と立ち尽くす望に代わって、智恵がまといに声をかける。  
まといの膝の上で握られた両の拳が、微かに震えているのが見えた。  
追い詰められたもの特有の強さをその瞳に湛えて、まといはゆっくりと口を開く。  
「……先生が、おっしゃったからです」  
「え?」  
「自分の進路を真剣に考えた上で、それを踏まえてこのテストを受けるようにって、糸色先生がおっしゃったからです」  
 
少女の視線は揺るがなかった。ただ真っ直ぐに、望を見つめている。背後に立っていた時と変わりなく。  
「……何ですって?」  
問い返す声が、少し掠れているのを自覚する。  
「私、あれから真剣に自分の進路を考えました。でもやっぱりダメなんです。  
 先生と一緒にいられない進路なんて、どうしても考えられないんです。私、先生が好きだから」  
まといの一言一言が、胸に刺さる。それと同時に、あの面談の時にこみ上げてきた感情が蘇ってくるのを感じた。  
「私の希望は、ずっと愛する先生のお傍にいることですから。  
 だから、卒業後に就職も進学もできなくたっていいんです」  
答案を持った手に力が入り、紙がくしゃりと音を立てる。強く、強く握り締める。  
胸に湧き上がる感情をかき消そうとするように、強く、強く、強く、強く。  
「先生と一緒にいるためだったら、卒業なんかできなくたって、ずっと高校生のままでも構いません。  
 私、先生と――」  
「常月さん!」  
望の強い口調に、まといの体がびくりと震えた。  
力を込めすぎてぐしゃぐしゃになった答案を見やり、ゆっくりと少女に視線を戻す。  
「貴女は――そんなことのために、こんな真似をしたのですか」  
低い声に、まといの瞳が初めて揺らいだ。弾かれたように立ち上がる。  
「先生!そんな――そんなことって――」  
「私が進路について真剣に考えろと言ったのは、そういう意味ではありません」  
悲痛な声を遮る。彼女の言葉をこれ以上聞きたくなかった。  
聞けば、聞いてしまえば、自分は――  
「ご自分のしていることの意味を考えなさい。そして、午後の社会は真面目にテストを受けるんです。  
 貴女のしていることは、とても馬鹿げた、無意味な、誰のためにもならないことだということを自覚なさい」  
怒りを抑えているような、あるいは泣き出しそうなのを我慢しているような歪んだ表情でそう続けると  
隣で黙って見守っていた甚六に答案を手渡し、くるりとまといに背を向けてそのまま職員室から出て行こうとした。  
 
馬鹿げた?無意味な?誰の――先生のためにも、ならないこと?  
こんなに、先生が好きなのに。愛しているのに。それだけなのに。  
ああ、先生が行ってしまう。  
いつもみたいに後ろについて行かなきゃ……。  
でも、それも馬鹿げた、こと?  
いつもは私がどんなにお傍にいても、何も言わないでいてくれるのに。  
――どうしよう。  
――先生に、拒絶された。  
――目の前が、真っ暗になる。  
――頭のおくで、がんがんと音がなる。  
――せかいが、ゆれる。  
――いきができない  
 
「常月さん!」  
智恵の叫び声に、反射的に振り返る。  
望が見たものは、甚六が咄嗟に伸ばした腕に抱えられた、意識を失ったまといの姿だった。  
 
 
 

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