2年生も3学期ともなれば、何かと身辺が慌ただしくなるものである。  
夕日の差し込む2のへ組の教室の中、机の上に広げられた生徒達の名簿とにらめっこをしながら  
望は小さく溜息をついた。  
――進路面談。  
留年を繰り返し、本格的に卒業が危ぶまれている永遠の2年生、2のへの生徒達だが  
一応進級できるものと仮定して、そろそろ大雑把な進路の方向性を決めておかなければいけない。  
そこまではいい、そこまではいいのだが。  
進学か、就職か。それだけを聞き出すのに、どうして精神的にも肉体的にもこんなに疲労しているんだろう、自分は。  
「それはまあ、うちのクラスですから。仕方ないですよ」  
「今私の心を読みましたよね、って言いますか常月さんいたんですか」  
「ええ、ずっと」  
背後から聞こえた涼やかな声に眉をひそめながら振り向けば、ひっそりと佇む和装の少女。  
鮮やかな朱色の着物に濃紺の袴、時節柄卒業式か一歩間違ったコスプレかという服装が意外に似合っている。  
「ずっとと言うことは、他の皆さんの面談内容を全部聞いていたわけですか。  
 先生それはさすがに感心しません」  
「安心してください、先生以外の人が話した内容は何も心に留めていませんから」  
「いえ、そういう問題では……」  
まといの言葉に軽く頭を抱えながら呻く望。  
と言うか、自分も気付かなかったが他の生徒達もまといがこの場面にいることに気付かなかったのだろうか。  
いや、気付いてもスルーしたのかも知れない。何しろ、この少女は自分のいるところいるところ  
必ずついてまわるのだから。  
「……まあ、どうせ次は貴女の番でしたし、丁度いいですね。  
 常月さんは、卒業後の進路は一体どうするのです?」  
名簿を手に椅子ごと背後の少女に向き直ると、まといはきょとんとした表情で手を口元にやり答えた。  
「どうって、私はずっと先生のお傍にいますよ」  
「お傍にって、貴女……」  
進路面談の意味が分かっているのだろうか、この少女は。そんなことを考えながら言い直す。  
「そうではなくてですね、貴女は進学するつもりなのか就職するつもりなのか、ということを  
 私は聞いているんですが」  
望の言葉に、少女は僅かに困ったような表情になった。きゅ、と着物の袖を握りしめながら  
「進学か、就職かって、決めないといけないんですか?」  
と尋ねてくる。  
「まあ、普通はそうですね。それとも貴女、1年浪人するつもりですか?  
 受験や就職に失敗して浪人するならともかく、計画的に行うのはどうかと思いますよ」  
思わず諭すような口調になってしまった。  
フリーターだのニートだの、大して珍しくも無いご時世とはいえ、さすがにそれを推奨するようなことはできない。  
「浪人とかは考えてないですけど……」  
この少女にしては珍しく、困ったように視線を逸らしながら口ごもる。何かを考え込んでいる様子に  
ひとまず口を挟まないでおくことにした。眼鏡を手で直しながらぼんやりとまといの顔を見つめていると  
意を決したようにこちらを見つめ返して口を開く。  
 
「私――私は、卒業してからもずっと先生のお傍にいたいんです」  
「は?あの、ですから……」  
「先生」  
望の呆れたような声を遮って、まといが少しだけ望に近寄った。  
「浪人っていうのは、進学や就職を希望していたけどそれができなかった人のことでしょう。  
 私、進学も就職も考えていません。ただ、先生のお傍にいたいだけなんです」  
 
――その言葉を、頭が理解するまでに、少し時間がかかった。  
 
「な……貴女は、何を言って……」  
上手く言葉が出てこない。  
「私は、先生のことをお慕いしていますから。先生のお傍にいられない進路なんて考えられません。  
 進学しても就職しても、今までみたいに先生の後をついて回るなんてできなくなってしまうでしょう?」  
望とは対照的に、まるで教科書の朗読でもするようにすらすらと話すまとい。両手を後ろ手に組んで  
真っ直ぐにこちらの目を覗き込んで続ける。  
「そんなの、嫌なんです。私はずっと、ずっと先生と一緒にいたいんです。  
 それが私の進路希望なんです」  
微塵の迷いすら感じさせずそう言い切ると、まといはこちらの様子を伺うように少し唇を噛んで黙った。  
教室の中はストーブを焚いても少し肌寒いくらいの気温だというのに、背中をすっと汗が流れ落ちていくのを感じる。  
数度大きく呼吸をして何とか気持ちを落ち着かせると、ゆっくりと口を開いた。  
「……もう少し真面目に自分の将来というものを考えるべきですね、貴女は」  
「先生、私は真剣に――」  
「お黙りなさい」  
今度は望がまといの言葉を遮った。いつになくきっぱりとした教師らしい口調に、思わずまといも口をつぐむ。  
「進学も就職もしないだなんて、そんなこと簡単に口に出すべきではありません。そもそも考えるのも間違いです。  
 高校は義務教育ではないんですよ、それなのにどうしてわざわざ貴女のご両親は高校入学をさせたのか、  
 貴女自身も入学を望んだのか、しっかり考えてごらんなさい」  
俯いてしまったまといから手元の名簿へと視線を落としながら、望は事務的な口調で続ける。  
「――丁度、来週は実力テストですね。進学するのだったらそこである程度の点数は取らなければいけませんし  
 もう一度進路を考えてみるにはいい機会です」  
『愛が重い』  
名簿のまといの写真の脇に書き添えた、自分の文字。  
ゆっくりと立ち上がって、俯いたままのまといを見下ろしながら  
「今日の面談は貴女で終わりですから、私はこれで失礼します。  
 ――先生、今日は本当に疲れました。ゆっくりと休ませてくださいね」  
言外に、ついてくるなと釘を刺して。  
棒立ちになったままのまといを教室に残して、望は1人で廊下へと出て行った。  
 
 
『ただ、先生のお傍にいたいだけなんです』  
少女の言葉が耳に残っているような気がして、軽くかぶりを振る。  
夕日によって美しい橙色に染め上げられた廊下を1人歩きながら、望は名簿を抱える手に力がこもるのを感じた。  
1人。  
いつも自分の後をついて歩くまといが、今はいない。  
私、恋するとダメなんです。  
そう言っては常に自分に張り付き、学校でも私生活でも、常に自分を見つめ続けてきた少女。  
数々の無言電話やら送りつけられた大量のFAXやら、明らかにディープ過ぎるラヴを押し付けられたことも多いが  
自分の生活が、彼女の姿があって当たり前のものへとなっていったのは何時だったか。  
――いたんですか。  
そう問い掛ければ間をおかずに  
――ええ、ずっと。  
そう返ってくるのが当たり前になっていたのは、何時からだったか。  
冬が終われば春が来るのが当たり前のように、その変化はとてもゆるやかなもので、でも確実なもので。  
(……冬が、終われば)  
春になれば、2のへ組の皆は進級し、3年生になって――その次の冬が終われば、卒業する。  
その変化もまた、ゆるやかに確実に訪れるはずだったのに。  
それなのに。  
『私はずっと、ずっと先生と一緒にいたいんです』  
まといの真っ直ぐだがどこか必死さの滲む視線を思い出して、思わず足を止める。  
――何を考えているんですか、私は……。  
あの瞬間、自分の胸にこみ上げてきた感情。  
それから必死に目を背けて、望はこの日一番大きなため息をついた。  
 
 
「おはようございます」  
実力テスト当日。教室に入っていった望を出迎えたのは、生徒達の戸惑いの視線だった。  
彼らが何を言いたいかは分かっていたので、敢えてその空気をスルーしてHRを始める。  
「今日は実力テストです。各教科とも試験官の先生の指示に従って受験して下さい。  
 テスト中はシャーペン、鉛筆、消しゴム以外のものは机の上に出してはいけません。  
 全ての問題を解き終わってもチャイムが鳴るまでは席を離れずに――」  
「あの、先生」  
望の説明を遮って、千里が手を挙げた。  
「どうしました、木津さん」  
「いえあの、先生、常月さん……」  
何事もきっちりとがモットーの彼女が、珍しく語尾を濁しながらちらりと見た先には  
他の女生徒達と同じセーラー服姿で席についている、常月まといの姿。  
 
まといが制服姿で学校に登校することも、自分の席に座って授業を受けることも、ここ最近全くなかったことで  
2のへ組の戸惑い、興味、好奇心をいっぱいに含んだ視線が望に集中するのも無理のないことである。  
おそらく、千里が挙手しなければ晴美や奈美が質問してきたであろう。  
だからこそ、望は全員の顔をぐるりと見渡して、きっぱりと言い切った。  
「何かおかしいですか?常月さんだってこのクラスの生徒さんなんですから、テストを受けるのは当たり前でしょう」  
一瞬何とも言えない空気が教室全体に流れ、生徒達が顔を見合わせる。  
「だってまといちゃん、今まで中間テストも期末テストもカンニング扱いだったじゃないですか」  
「そうですよぉ、今更じゃないですか?」  
あびるの発言に同意する形で、奈美。他の生徒達もうんうんと頷いている。  
「今まで受けていないから、尚更です。これからの進路に関わる大事なテストなんですから  
 今までの集大成という意味で、きちんと受験してもらわないといけません」  
言いながら出席簿に丸をつけていく望。どこか腑に落ちない、とでも言いたげにしている者と  
なるほどそういった考えもあるのか、と納得したような者とに二分された教室内をもう一度見回す。  
「テストは1時限目から順に国語、英語、理科、数学、お昼休みを挟んで社会となります。  
 私は他の組で試験官にならなければいけませんからこちらには顔を出せませんが  
 皆さん、先日の進路面談の内容もふまえて望ましい態度で試験に臨むように」  
言いながら、ふとまといと目が合った。いつものようにじっとこちらを見つめているが  
その表情は何かを思いつめたような、どこか苦しげなもののように見える。  
 
――実力テストをきちんと教室で受ける、それまでは望から離れて試験問題も見ないようにする。  
それは、あの進路面談の後、まといが自分から言い出したことだった。  
そして彼女は言葉通りに、授業中やプライベートでは望につきまとったものの、教師達が問題を作成する  
職員室の中には決して足を踏み入れなかった。盗聴や盗撮の気配も全くなかった。  
自分の言葉に、彼女なりに何かを考えてくれたに違いない。そして今まで狭い視野でしか見えていなかった  
彼女自身の将来というものに対して、何らかの大きなビジョンを持ってくれたに違いない。  
――その方が、彼女にとって幸せなはずなのだから。  
 
「……それでは、HRを終わります」  
まといの目を真っ直ぐに見つめ返しながら、名簿を閉じる。  
早くもテキストやノートを引っ張り出し、最後のテスト勉強が始まって騒がしくなった教室を  
望はゆっくりと後にした。  
 
 
――最後まで、背中にまといの視線を感じながら。  
 

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