…大雪。空は一面の雲に覆われ、舞い落ちる雪は、いつもの景色を全く知らない世界へと変える。  
…休校。それは、授業が全てフイになる、とても幸せな響きの言葉。  
──だが、この雪の中、帰宅する事を考えると、素直に喜べる人など居るだろうか? いや、いない!  
 
 
「…40点くらいですかね。」  
「わっ!? 先生!?」  
出し抜けに背中から掛けられた声に振り向くと、そこには、いつの間にかニヤニヤしながら佇んでいる担  
任教師の姿があった。  
暖房の入っていない教室は、他に人影もなく、ことさらに寒く感じる。  
冷え切った教室内をあらわすかのような、曇りのない窓ガラスから校庭を見下ろし、奈美は一人で呟い  
ていた所だった。  
「…勝手に添削しないで下さいよお!」  
「一人寂しくポエムを作っていたのではないのですか?」  
「違います! これは、えーと、…心情を独白と言うか、何と言うか……」  
しどろもどろに言い訳を並べる奈美をよそに、窓辺に歩み寄り先生も校庭を眺めた。  
「まだ降っていますね。…まあ夕方には止むそうですが。…日塔さんは帰らないのですか?」  
振り返って尋ねる先生に、奈美は少し肩をすくめてみせる。  
「いや、この雪の中を帰るのは寒そうだから悩んでいたんですけど…… 聞いてたよね?」  
「ええ。聞いていましたよ。普通のポエムを。」  
「普通って言うなあ! ポエムじゃないし!」  
苦い顔をして文句を叫ぶ奈美に、先生は素知らぬ表情で他所を向いた。  
 
「…まあ、凍えて帰るもよし。寒い教室で凍えて待つのもよし。選択は自由ですね。」  
「……凍えるのは必須なんですか?」  
苦笑を浮かべた奈美は、ふと、先生の背中側の違和感に気が付き、覗き込んでみる。  
「あれ? 今日、まといちゃんはどうしたの?」  
「ああ……、いませんね。彼女もいない時はありますよ。…ま、この大雪ですし。」  
首を捻って自分の肩越しに誰も居ない背中を確認し、先生は笑って答えた。  
「確認しなきゃ、居るのかどうか分からないのって……」  
「そういえば、小森さんも今日はSC室に篭っていましたねえ。」  
奈美の言葉をさらりと流し、誤魔化すように別の話題に切り替えてみせた。  
半笑いになりながらも、それ以上は突っ込まずに奈美は答える。  
「智恵先生のとこですか。仲いいよね二人とも。」  
「交も昨日から命兄さんの所に行っていますからねぇ… まあ、つかの間ですが、一人気ままな暮らしを  
満喫できるわけですよ。いつも騒がしいですし、たまには良いものですよ。」  
「…なんか、所帯じみた話だなぁ……」  
少し苦笑した奈美に、先生も笑い返した。  
 
 
そこで会話が少し途切れ、静かな空気が立ち込める。  
気まずい訳ではないが、何となく間が繋げないかと奈美は少し考え、  
先に先生の口が動きかけた様子が見えたが、それを遮り奈美が口を開いた。  
 
「あ、そういえば、先生。バレンタインのチョコ、もう全部食べました? たくさん貰ってたでしょ。」  
先生は、一度開きかけた口を閉じ、言葉を飲み込んでから、再び口を開いて返事を言葉に出す。  
「ええ…… 全部食べましたよ。………交が。」  
「え……?」  
「まあ、その後、原因不明の熱が出て、命兄さんの所に厄介になっているわけですが。」  
奈美はちょっと力の抜けた表情になってしまう。  
「食べすぎだってば… 保護者なんだから止めろよ……!」  
「──そうですね。交も甘い物が好きな年頃…… 失念していましたよ。」  
「また微妙にはぐらかすなあ…… あ、でも、いいの先生? あの中に本命チョコ……とかあったりする  
かもしれないんだよ……?」  
ちょっと視線をそらしながら、ついでに付け加えるような質問を先生に投げかける。  
                     
「本命……義理…… なぜ、そんな判断に苦しむようなシステムになっているのでしょう…」  
「はい?」  
唐突に遠くを見つめて一人ごち始めた先生に、ぽかんとした顔で奈美はその顔を見る。  
「いっそ、義理 と書いた熨斗でも付けていただければ、分かりやすいのでは?」  
「いや、それ、おかしいって…! お歳暮じゃないんだしさ。……第一、他の人に丸分かりだし。」  
先生は少し首をかしげて難しい表情をしてみせる。  
「では、デコペンでチョコに表記してみては? 99%義理、とか。これは良いのでは?」  
「それじゃカカオ含有量だろ!? どっちにしろ微妙でしょ、そんなチョコ食べるのは!! そんなにデカ  
デカとアピールがあったら食べにくいんじゃない?」  
ちょっと半笑いで答える奈美を見て、先生はいつものシニカルな笑みを浮かべた。  
 
「そういえば日塔さんのチョコは、アピールバッチリでしたね。」  
いきなりの言葉に奈美の心臓が一度大きく跳ね上がり、一気に血が頭へと昇ってゆく。  
冷えた教室内と言う事もあり、紅潮して行く顔は隠すことは出来ず、ごまかすように照れ笑いを浮かべて  
みせる。  
「え…え〜!? 何かしてましたっけ? いや、ちょっと失敗しちゃったけど! いつもは、もっとちゃんと  
作れるんですよ?」  
しきりに頭などを掻きながら照れて見せる奈美に、先生は悪戯っぽい笑みを浮かべ、頷いてみせた。  
「わかっていますよ。──まさに高等テクニックですね。」  
「……は?」  
まったく予想していなかった言葉が飛び出し、奈美は口を半開きにした状態で間の抜けた声を上げてし  
まう。  
「ワザと左右非対称に造型する……そんな作戦ですね? あと、ちょっと歯触りを微妙にザラつかせたり、  
甘味を調節して苦めの味わいにしたり。──頑張ったけど、ちょっと失敗しちゃった──、感を出す!  
 まさにドジっ子アピール!!」  
「してないから! そんなアピール!!」  
饒舌に失礼な事をまくし立てる先生に、奈美は苦い顔で抗議の声を上げるが、先生は、聞く耳を持たな  
いという風に首を振りながら続ける。  
「まあ、ドジっ子さ加減も普通でしたが。」  
「普通って言うなあ!!」  
怒った顔で叫び、奈美は机の上に置いてあったカバンを取り、ズカズカと出口の方へと歩いて行く。  
「おや? やむまで待たずに帰るのですか?」  
ちょっと意外そうに尋ねる先生に、奈美は出入り口の戸を開けながら首だけで振り返る。  
「うん。やっぱ、もう返る。残っててもしょうがないし。じゃ、先生バイバイ!」  
軽く手を振る奈美に、先生は無言で少し微笑んで手を振り返し、体の向きを変えて窓の外を向いた。  
何となく、何か言いたげなその背中を見て、奈美は首をかしげながらゆっくりと戸を閉める。  
最後に少し残った隙間から見えた先生の背中は、やはり変わらずに窓の外を眺めているようだった。  
 
 
外をちらつく雪が返す光が窓から差し込み、校舎の中はいつも以上に明るく暖かく感じられる。  
とは言え、コンクリで作られたこの建物では外の冷気が染み込むように伝わり、氷のように冷えた床の感  
触が上履きの底を通して、つま先にじんじんと伝わってくる。  
雪の中、わずかながらに登校してきた生徒たちは、休校と知るやすぐさま下校してしまったのだろう。  
人気の感じられない長い廊下に足音を響かせ、奈美は昇降口へと向かっていた。  
 
 
先程見た先生の背中。どこか気にはなる様子はあったが、まあ、いつもの事だと割り切り、寒そうに両腕  
を擦りながら歩いていた。  
一階まで降りてきた所で、SC室の中から微かに話し声が漏れている事に気が付く。  
──霧ちゃんと智恵先生だな。  
すぐにそう判断した時、ふと自分の記憶の中から不下校の勝負をした時の事が思い起こされた。  
──あまりの恐怖に、結局日が暮れる前に逃げ出してしまったんだったな。  
あれは想像以上の寂しさだったよ──  ずっと一人で学校に残っているなんて……  
苦笑交じりに思い出した情景から、次々と鎖のようにつながった記憶が引き出され、それは奈美の頭の  
中で一つの形を取ろうとしているようだった。  
 
気が付いたら足が止まっていた。…奈美は今来た廊下を振り返ってみる。  
 
いつからか当たり前のように学校に来て、日々を楽しく過ごし、忘れていた事だった。  
不登校だった頃の事。だれも心配してくれなくて、その事に怒って登校して、そして先生に会った時。  
それ以来、会うたびに散々な事を言われたり、面倒に巻き込まれたりで。  
 
ちょっと恥ずかしくなってきたのか、奈美は微妙に顔を歪める。  
──だって、自分から構ってくれなんて言えないじゃない! だから、色々と可哀そうぶって……  
 
ハッと気が付いたように奈美の表情が強張った。  
思い出されるのは、つい今しがた見た先生の背中。──あの時、やけに小さく見えた背中だった。  
 
 
「あの、かまってちゃんめ……!!」  
奈美は歯軋りをするような表情を浮かべ、言葉に出して呟いた。  
──自分だってアピールしてるじゃないか!  
あの時、自分の言おうとした事を飲み込んでしまった先生の顔が浮かぶ。  
──わかる。…私と同じだから、わかる。……それを。  
奈美はいつの間にか早足になり、廊下を急ぎ進んでゆく。  
──何で気が付いてやれなかったんだろ……  
 
何だかんだ冷たいけど、いつも私の方が優先だった。  
人一倍、もしかしたら私よりも構って欲しがりのクセに、いつもいつもムリして憎たらしい事ばかり言って。  
 
一人がいいなんて嘘だ…… 一人は寂しい。  
誰かに自分の事を考えてほしい。考えて、気にかけて、いつも思ってほしい。  
自分の事を知ってもらってからでなきゃ、相手の事を気にかける余裕なんて生まれてこないんだ。  
…私たちみたいなのは。  
 
──だから、我慢させないようにしてあげる。私が。  
「……ホントに、めんどくさい人間だな…!」  
怒った口調で、しかしその表情は優しく、奈美は宿直室へと急いで歩いた。  
 
 
遠慮なくドアを開け、奈美は宿直室に上がり込む。  
「…あれ? まだ、戻ってきてないのかな?」  
いつも、誰かしらは居るこの部屋だからこそだろうか。落ち着かなくなるほどの静かな空気が漂っている。  
 
とりあえずコタツのスイッチを入れて中に入ろうとし、奈美は思いとどまったように捲った布団を戻した。  
「…うーん…… ずっと、テレビ見てるだけじゃなぁ… 何か無かったっけ?」  
ぶつぶつ言いながら、先生の机の引き出しを勝手に開けて、中を漁り始める。  
便箋だか封筒だかをどけていると、奈美の動きが急に止まった。  
 
紙の山で隠すようにして、引き出しの奥にしまわれた、見覚えのある箱が目に止まる。  
ゴクリと喉を鳴らして、丁寧に封筒の束をどかし、その箱を取り出した。  
何の飾り気も無い、真っ白な── しかし、どこか見覚えのあるそのフタをゆっくりと開く。  
緊張した面持ちで、隙間から覗き込むように中を見た。  
 
 
奈美の顔が少しずつ赤く染まってゆき、口元が緩んで笑みがこぼれた。  
サッ とフタを閉じると元の場所に戻し、さかさかと紙の束たちを押し込んで引き出しを閉める。  
(うそつきめ…… 交くんが全部食べたって…?)  
どうしてもニヤついてしまう顔を何とか落ち着かせようと、襟首をいじったり頬をマッサージしたり、モジモ  
ジしていたが、側らに置いてあったペンギンの縫いぐるみに気がつくと、思わず抱き寄せて「とおっ!」と  
声を出して畳の上に転がった。  
ごろんと一回転し、仰向けに止まった所で、入り口を開けて入ってきた先生と目があって、  
「わあああ!?」  
「──イタッ。」  
「…って! いま、痛って言ったー!? 小声で!」  
「いえ、何も。──それよりも、何をなさっているのです? 帰られたのではなかったのですか?」  
わざとなのか、部屋に上がると、転がったままの奈美を邪魔そうにまたいで、先生は自分の机に背を向  
ける位置でコタツに入り込む。  
「わざわざまたぐな! 失礼だろ!?」  
「…それはさておき、何か用事でも?」  
やや投げやりとも取れる興味なさげな口調のまま尋ねる先生に、奈美は縫いぐるみを離すと、コタツの  
向かい側の席に入り込んだ。  
「…いや、まあ、たまには先生と遊んであげようかなと思ってさ。…どうせ暇でしょ? 先生。」  
笑顔で答える奈美に、先生はロコツに視線をそらし、ぼそりと呟いた。  
「……迷惑な。」  
「おい!? せっかく来てあげたのに!」  
渋い顔で叫ぶ奈美に、先生は視線を戻す。  
「…で、何して遊ぶのですか?」  
「……え?」  
当然の問いかけに、奈美はしばし沈黙し、  
 
「と……トランプ。──とか?」  
 
 
「……普通ですね。」  
「普通って言うなあ!!」  
奈美は叫びながらコタツの中で足を伸ばし、トランプを取り出そうと机に手を伸ばす先生の膝を軽く触れ  
るように蹴った。  
その引き出しからは視線をそらし、ちょっとすねたような笑顔を浮かべて窓を見つめる。  
 
暖かくなってきた部屋。すりガラスのように曇りがかってきた窓からは、ゆっくりと落ちる雪が影絵のよう  
にぼんやりとした姿を映していた。  
 
 
 
 
 

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