照明のスイッチを探すのも面倒で、眼前に広がる巨大なスクリーンの光を頼りにコンソールに歩み寄る。  
 明滅を繰り返す大きめのボタンを一つ押すと、スクリーンに表示された帝国のマークが消え、  
 代わりに建物の階層図が映し出される。そして順次、その建物の補足情報が追加されていった。  
 先週からガイナ高校に改名された、彼の勤務先であり潜伏地であり、そして目的地。  
 我先にと、情報どもは自らが意味する事柄を的確な位置に導かんと触手を伸ばしていく。  
 それらを揃えるのに、どれだけの時間と戦いを要したか。  
 その日々を思い返し、ふと、手のひらに痛みが走ったのに気づく。  
 開いてみると、よほど強く握りこんでいたらしく、うっすらと血が滲んでいる。  
 それを軽く舐めとると、彼はコンソールパネルに指を走らせ始めた。  
 操作卓から命じられるままに、スクリーンの情報が目まぐるしく移ろう。  
 画面狭しと並んでいた情報の数々は増減を繰り返し、そして一つの部屋をクローズアップして止まった。  
「……先生。目が悪くなってしまいます」  
 不意に背後から聞こえた声に苦笑いが浮かぶ。  
 整備班に昇降機のギアをもう少しやかましく鳴るように、と言っておかなければならない。  
 こうまで静かに開閉をされると、万が一、誰か暗殺に忍び込まれたとしても、察知が遅れてしまう。  
「常月さん。いらっしゃったんですね」  
「はい。たった今、戻りました」  
 返事と共に、部屋に光が満ちる。高い天井に、大仰な照明がいくつも鈴生りにぶら下がっている。  
 無機質さしか宿さない鋼鉄の床が照らし出され、それらは広々とした無駄な空間を持つ司令室を支えていた。  
 思えば、この温度を持たない床を視界に収めたくないがゆえに、照明を入れなかったのかもしれない。  
 もっとも、日頃から染みついている貧乏性に命じられるがまま、  
 ただでさえ馬鹿でかいスクリーンに電力を割いているのだから、と  
 節約の為に切ったまま動いた、という方がより真実に近しいだろう。  
 
「それでは、報告をいただきましょうか」  
 馬鹿な想像を振り払うように、肩に羽織ったマントを翻して副官に振り向く。  
 部屋の中に現れた時と同じように彼女は音も無く歩み寄ると、  
 手に持ったファイルを開いてそのページを捲り始めた。  
「……恐れていたとおり、メルのnovaがFONAにグレードアップされました。  
 これで事実上、メルはありとあらゆる場所での戦闘が可能になったと言っていいでしょう」  
 抑揚無く読み上げられる報告を、定期的に頷き返しながら聞く。  
 彼女は聡明で優秀だが、そんな事実はこの基地に詰めている全ての人員が知っている。  
 それ程までに、『彼女ら』は帝国にとって無視できない存在になってしまった。  
「更に一番の不確定要素であるカフカの髪止めの秘密は、依然として掴めては」  
「ありがとうございます。その辺りで結構です」  
 報告を途中で遮られ、副官はその大きい瞳を僅かに見開くが、上司の意のままファイルを閉じる。  
 少なくともその態度に不快な素振りは見えないが、どことなくしょげているようにも見えた。  
 空間から残響が消え去るのを待ち、彼はゆっくりと口を開いた。  
「元々、開いた戦力です。  
 報告を聞いて尻込みするよりも、聞かないままぶつかっていった方が思い切りがいいというものでしょう」  
「ですがっ、キッチリのスコップもハート型になって以来、刺してきざんで叩いて」  
「それにっ!」  
 次第に大きくなっていく副官の声を、更に大きな声で遮る。  
 上司がそこまで激昂したような声を上げるとは思っていなかったのか、  
 彼女はビクリと肩を揺らして若干の怯えを含んだ目を彼に向ける。  
「それに、もうあまり失敗は許されていません」  
 その瞳に罪悪感を苛まれ、視線を伏せる。苛立ちをそのままぶつけてしまった自分を恥じ入り、コンソールに手をつく。  
 
「……申し訳ありません」  
「そんな。先生は何も」  
「いえ。どちらにせよ、本部はそろそろ結果を欲しがっています」  
「そんな……。そんな、だって本部は何も知らないんです。先生がどれだけ頑張ってるか、知らないから……っ」  
 献身な副官は、ただかぶりを振る。彼女は賢い。  
 賢いがゆえに分かってしまうのだろう、彼の立場が危うい事を。  
 そして、何か一手が無ければ、それは改善しえないものであることも。  
 顔に手の甲を押しつけ俯く彼女に歩み寄る。  
「それに、そう悲観したものでもありませんよ」  
 そして顔をあげた彼女に弱く笑いかけ、煌々と光を発し続けるスクリーンを指し示した。  
 そこには先ほどのように一つの部屋が一杯に映し出されていたが、  
 一つだけ違うのはそこに彼らが求め続けて止まなかった一つの単語が表れていたことだった。  
「まさか……」  
「ええ。『梅玉』です」  
「……遂に。やっと、突き止められたのですね」  
 あまりの事実に手で口元を覆う。  
 が、それも束の間、僅かに赤くなった目じりが、にこりと満面の笑顔で飾られた。  
 これこそが求めた一手。それも極上の。  
 これさえあれば、彼の立場は安泰どころか、帝国が恐れる『彼女ら』に対抗すら出来る。  
「ええ。やはり、この学校内に溜めこんでありました。  
 間違いなく、あのコウテイペンギンが落とした梅仁丹の結晶です」  
「なら、早く。一刻も早く『梅玉』を」  
「ですが、事はそう単純ではないのです」  
 そう言うと彼は副官を促し、再びコンソールの前に立つ。  
 簡単にパネルを触り再び校舎の全体像を映し出すと、彼女は息をのんだ。  
 
「開かずの間……」  
「ええ。『梅玉』はあそこです。頑丈に鎖をかけられた、あの開かずの間にあります」  
 つまりそれは、これが『彼女ら』との、イヤボン戦士リリキュアとの総力戦になるという事。  
 『梅玉』を手に入れられれば、彼はリリキュア達と互角以上に渡り合えるだろう。  
 しかし、リリキュア達が駆け付けるまでにそれを手に入れられなかった場合、それが意味するものは。  
「……さて、準備を整えなければなりませんね」  
 副官の視線から逃げるように、コンソールから離れる。どちらにしろ、もう時間はないのだ。  
 これ以上この地で仕事を、任務外の『仕事』をするわけには、いかない。してしまったら、自分は。  
「……先生」  
 耳に届くか細い声を、聞こえないふりをして昇降機に向ける足を速める。  
 決意の綻びを、彼女に見せるわけにはいかなかった。  
 自分は任務を果たすために、帝国からこの地に赴いたのだから。  
「先生っ」  
 それでも、副官の声は彼を追いかけてくる。  
 彼の足は昇降機に向けてなお早まるが、それより先に彼女は上司の行く手を阻んで昇降機との間に周り込んできた。  
「先生! 本当は先生は、リリキュア達と戦う事を」  
「いつの間にか、そちらの呼び名の方が使い慣れてしまいましたね」  
 眼前に立ちはだかった副官の頭に手を乗せて、笑う。  
 彼女の瞳が大きく見開かれ、その奥の感情がありありと見てとれた。  
「常月さん、貴女が戦う必要はありません。  
 このままこの学校で生徒として暮らしていくのが貴女にとって一番いいと、私は思います」  
「……いいえ。最後までお供いたします……糸色様」  
 彼を見上げた目の色は、揺るぎない堅固さに染まっていた。  
 彼女がこうなったら梃子でも動かない事は、よく分かっている。  
「そうですか。……私は本当に、いい部下に恵まれましたね」  
 その言葉を受け、彼女の表情がくしゃりと泣き出しそうに歪む。  
 それを見ないで済むように、髪を乱さないように気を付けて頭を撫で、彼女の横をすり抜けて昇降機に向かう。  
「さあ。行きましょうか」  
 望の言葉と共に、昇降機の扉が音もなく開く。もちろん、きちんと電気を消すのも忘れない。  
 ここに赴任してからの日々を思い返し、対峙してきた彼女らを思う。  
 握り込んだ掌に、再び痛みが走った。開いてみると、爪の痕から血がわずかに滲んでいる。  
 今度はその血を拭う事はせずに、もう一度固く握り込み強く胸板に押しあてた。ただ、決意が揺らがぬように。  
 そしてゆっくりと閉じていく扉を、スクリーンに映し出された帝国のマークだけが見送っていた。  
 
 
 
  嘘予告 
 
 
「まといちゃん!? そんな、友達だと思っていたのに!」  
 キッチリの悲鳴にも似た声を切り刻むように、白閃が走る。  
 振り上げたスコップに叩きつけられた刃は、  
 その冷たさすら感じさせる繊細さとは裏腹の重い衝撃でもって、キッチリにたたらを踏ませた。  
「ええ、友達よ。ただ、優先順位が違っただけ」  
 眼前に迫る少女の顔には微塵の躊躇いもなく、逆手に握られた包丁の軌跡はあまりに鋭い。  
 スコップの威力を殺しきる零距離に潜り込まれ、常にその距離で付き纏われる。  
「それでも、どうして絶望帝国なんかに」  
 遮二無二振るわれたスコップは剛風を伴い、交錯した包丁を弾き飛ばす。  
 が、その刃物が宙に舞い上がるより早く、まといは既にスコップのリーチの外にいる。  
「どうして……? あなたなら分かっていると思っていたけれど。それとも、分かっているのに認めたくないだけ?」  
 得物を奪われたまといは、しかし欠片の動揺も見せずに力強く腕を振り上げる。  
 袂から出鱈目な数の鎖分銅が吐き出され、八方に伸びた鋼の連環は  
 部屋のあらゆる場所からその身を蟒蛇のようにくねらせてキッチリの足を絡め取った。  
「まあ、いいわ。分からないというのなら」  
 引き倒されたキッチリを、温度の宿らない眼が見下ろす。  
 苦悶の声と共に振り上げられたスコップは、しかしその身に相手を捉える事はなかった。  
「貴女はここで負けるだけよ」  
 そして背後からの絶望的な囁きに誘われるように、白刃がキッチリの首筋に這った。  
 
 砕けて地面に散った髪止めは、梅玉と競うように暴虐ともいえる光と騒音を撒き散らす。  
 梅玉を持つ望は相乗して膨らみ続けるその輝きをかろうじて見る事が出来たが、  
 メルは既に耳を塞いで地面にうずくまっている。  
 が、髪止めを失って以来だらりと体を弛緩させたままだったカフカが、  
 突如としてメルの手からFONAを奪うように取ると、画面をろくに見もしないでキーを叩き出した。  
 昼の光さえ暗く錯覚させる赤い烈光の中で、残骸となった髪止めを挟んで望とカフカが対峙する。  
 が、彼女は梅玉を持つ望などまるで眼中にないように一心不乱にFONAのキーの操作を続け、  
 さしたる間も置かずにひときわ強くボタンを押しこんだ。  
「……馬鹿な」  
 瞬間、小石すら持ち上げる音に埋め尽くされていた空間に、昼の光が戻る。  
 先の騒音は幻だと言われればおそらく信じてしまう程に、周囲は水を打ったように静まり返っていた。  
 呆気にとられる望に、カフカがFONAを無造作に放る。望は受け取ったFONAの画面を見て、驚愕に目を見張った。  
 
  ゆうて いみや おうきむ  
  こうほ りいゆ うじとり  
  やまあ きらぺ ぺぺぺぺ  
  ぺぺぺ ぺぺぺ ぺぺぺぺ  
  ぺぺぺ ぺぺぺ ぺぺぺぺ ぺぺ  
 
「何故、お前の世代でこれを……いや、知るわけがないな。……貴様、何者だ?」  
 支えを失って重力に逆らわずに下りた前髪に隠れ、カフカの眼を見ることはできない。  
 その代わりだ、とでも言わんばかりに、綺麗に閉じられていた唇が嘲り笑うように歪み上げられた。  
 
 普通は、途方に暮れていた。どうして、こんな事になっているのかと。  
「何故、コウテイペンギンが男になり、もう一匹が現れたのか。本当はわかっているんでしょう」  
 そんな事、分かるわけがないではないか。自分はいつも、リリキュア達に助け出されるだけの一般人だ。  
「考えてもみて。梅仁丹をまき散らしたペンギンに、そんなに懐かれている理由。  
 どうして、貴女にだけその子はあっさり捕まるのか」  
 流れから仕方が無くペンギンと一緒に開かずの間に放り込まれ、リリキュア達の戦いが終わるのを待った。  
 なのに、奥座敷の精霊はそんな普通にゆっくりと歩み寄る。  
 自分はカメラマンに憧れて、ちょっとペンギンに好かれるだけの女子校生なのだ。  
 なのに。なのにこの人は。  
「絶望帝国は今度こそ本気よ。梅玉を取られるのも時間の問題」  
 精霊は体に巻きつけた毛布をもう一度たくしあげ、長い髪の間から普通に睨むような鋭い目線を向ける。  
 普通は直感的に悟った。私の勘違いでないのなら、この人は私に、一般人この上ない私に。  
「貴女が四人目よ。普通」  
 戦え、と言っているらしい。  
 ペンギンを強く抱きしめ、普通は途方に暮れていた。どうして、こんな事になっているのかと。  
 
 光に包まれる望は、声を上げなければならなかった。  
 失ってからでは遅すぎる。望は、ちゃんとその大切さを知っていた。  
 何とか戦いから遠ざけたかった。傍に置いておけば守りきれるはずだった。  
 なのに。  
「本当に、目を離すと何をするか分からないんだから」  
 彼女の心を傷つけてしまうなら、せめて他の何も傷つけまいと幾度も撫でた髪がふわりと揺れる。  
 望に振り返った彼女はどこまでも優しく彼に笑いかけ、目尻には涙が浮かんでいた。  
「常月さん。……駄目です、今すぐそこをどきなさい。どくんです」  
 縋りつき、代わってやりたかった。  
 地に伏して這うしかできない体にあらゆる呪詛を吐きかけ、光を抱えるまといに少しでも近寄ろうともがく。  
「命令ですよ、どきなさいと言っているっ。聞こえないのか、今すぐそこからどけ!」  
 体を動かすのに全ての神経を使うと、言葉は勝手に流れ出した。  
 どんなに見苦しかろうと構わない。酷く渇いた喉を更に嗄らしながら、がむしゃらに地面を引っ掻く。  
「私が代わりになる! 彼女を、彼女は止めろ! 駄目だ、常月さんっ!」  
 光はますます膨れ上がり、景色は白く塗りつぶされつつある。  
 三半規管すら侵す強烈な光の中、望が眼前の影に伸ばした手は、あえなく空を掴んだ。  
 そんな望に、まといはただにこりと微笑む。目尻の涙が一筋、尾を引いて流れた。  
「どうか。どうか、お元気で……先生っ」  
 望が上げた声も、きっと届かないまま。  
 やがて、その微笑みも光に掻き消えていった。  
 
 一面に広がる岩、小石、砂利。  
 見渡す限り無機質で埋め尽くされた荒涼とした地に、二人は立っていた。  
 少女は水色の髪を揺らし、青年はボロボロになった袂から血を滴らせながら力なく空を仰いでいる。  
「さあ」  
 やがて弱々しく風が舞い、砂埃が全てを柔らかく覆っていく。  
「決着を、付けましょう」  
 そして、二人は歩き出した。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
続かない  
 

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