『ここが、あの事件の舞台となった高校です。今日は休日ということもあって、校内は恐ろしいほどに静まり返っています』
テレビ画面の中で、レポーターがまくし立てている。その背後には、彼女がよく見慣れた建物が映っていた。
(テレビ局、来てるんだ。確かに大事件だもんね)
カーテンの間から、そっと外を見てみる。校庭の向こうの正門近くにワゴン車が留まっており、
さっきのレポーターとカメラマン、そして数人のスタッフがいるのが見える。
「うわ、ホントにいる・・・」
小森霧は、そう独り言を言った。その言葉を聞いてくれる人は誰もいない。
『ではここで、事件の全貌をもう一度振り返ってみましょう』
土曜の午前のワイドショーでは、緊急特番が放送されている。といっても、この番組では二ヶ月に一度の割合で「緊急特番」をやるので、あまりありがたみはないのだが。
こうやって、どうでもいいテレビ番組を見て時間を潰すのが、霧の日課だった。
しかしまさか、自分の住み着いている学校がニュースのネタにされるとは思ってもみなかった。今でも実感がわかない。
『今月の15日、都内の山林で女性の遺体が埋められているのが発見されました。
被害者は、3日前から行方がわからなくなっていた17歳の少女Aさんで、この学校に通う生徒でした』
・・・なにが「少女Aさん」だ。発見された当初は、実名で「小節あびるさん」と報道していたくせに。
事件がおおごとになってから名前を伏せたところで、何の意味があるというのだろう。
『学校関係者によりますと、Aさんは普段クラスでもおとなしい方で、動物好きの優しい少女だったということです。
このごく平凡な少女の身に、いったい何が起きたのでしょうか』
こういうワイドショーは、単品で観てもあまり面白いものではない。
霧はテレビから目を離してパソコンに向かい、いつものように「お気に入り」から「実況掲示板」へアクセスした。
日本のどこかにいるヒマ人たちが、テレビ放送と同時進行で実況を行うというサイトだ。
学校内引きこもりの彼女はよくこうして、どこか遠くで起きた事件を他人事として眺めていた。
<また特番かよw>
<いやこれは久々の大事件だろ>
<事件当初に報道された被害少女の写真 → ttp://www.uploader.ne.jp/cgi-bin/〜〜〜>
<被害少女テラ萌えス>
<マジ可愛いのにもったいない>
<つーかなんで包帯してるの、綾波系?>
<父親に日常的にDVを受けていたらしい。ソースは某週刊誌>
<D・V・D! D・V・D!>
みんな無責任なものだ。
しかし霧は怒る気にもなれなかった、自分だって少し前まではこうやって、無責任に事件を娯楽として消費していたのだ。
『遺体が発見されてから2日後、事件は新たな局面を迎えます。
被害少女の担任であった男性教諭が、校内の宿直室で首を吊って亡くなっているのが発見されたのです。
第一発見者は、この教諭の別の教え子でした』
あの時のことは、できれば思い出したくない。
糸色先生が死んでいるのを、最初に見つけたのは霧だった。
初めは、何の冗談だろうと思った。見慣れた先生が、いつもとは違う真っ白な袴を着て、ぶらんとカーテンレールからぶら下がっていたのだから。
何してるの先生、と言いかけた時に、彼の皮膚が紫色になっているのに気がついた。
端正だった顔立ちは白目を剥いて醜く歪み、足元の床には汚物が垂れて染みを作っていた…
テレビ画面には、先生の顔写真と共に「故 糸色 望 教諭(27)」と映し出されている。霧は思わず目をそむけた。
『現場に残されていた遺書には、次のように記されていました。』
レポーターがそう言ったあと、男性のナレーターが重々しい声で遺書を読み上げ始めた。
『父上、そして母上。先立つ不幸をお許しください。
――私の行為になんら非はないのですが、あのような事件が起きてしまった以上、世間はそうは見てくれないでしょう。
育ちのいい私は、これから浴びせかけられるであろう罵詈雑言に耐えられる自信がありません。
よって、ここに私自身の死をもって身の潔白を証明したいと考えます』
言っていることが滅茶苦茶だ。こんなことで簡単に死んでしまえる先生が許せない。
霧はパソコンに向かい、機械的にF5キーを連打し続けた。ブラウザ画面が次々と更新され、掲示板の発言が流れていく。
<しかしイケメンだなこいつ>
<どうせ生徒に手を出してたんだろ>
<父上母上っていつの時代の人間だよ>
<糸色家といえば地元の蔵井沢では元禄以来の名家>
<この遺書、自分の言い訳しかしてないな。最低の男だ>
<「育ちがいい」なんて自分で書くか普通>
<とりあえず死ねば何でも許されると思ってんだろ>
「見ず知らずの人にまで人間を見透かされてるね、先生。もっといいこと書けばよかったのに」
孤独を感じると、つい独り言が多くなるのが彼女の癖だ。
少し前までは、こんな独り言でも聞いてくれる少年がいた。
しかし、実の弟のように思っていたその少年は、つい先日実家に引き取られて帰ってしまった。
おそらく、もう二度と会うことはないだろう。二人の間に、もはや何の接点もなくなったのだから。
『そしてつい先日、警視庁はこの事件の容疑者を突き止め、補導したと発表しました。
少女Aさんを殺害し、遺体を山中に遺棄した犯人は、なんと彼女の同級生だったのです!』
レポーターは興奮した様子でマイクに向かって叫んだ。
『容疑者の少女は、補導される際に錯乱し、手に持っていたスコップで警官隊を殴りつけ、
3人に全治2ヶ月程度の重症を負わせたとのことです』
さすがは千里ちゃん、と霧は思った。
いやむしろ、本気の千里ちゃんと戦って3人が重症という程度で済むなんて、さすが警察官というべきだろうか。
『その後、落ち着きを取り戻した少女は犯行を認め、
取調べに対して「Aさんを包丁で刺したあと、鈍器で数回殴ってとどめを刺した。遺体は山中に運んで埋めた」と供述しました。
そして、犯行の動機について、少女は以下のように述べています』
テレビの画面が手書きの文章に切り替わり、今度は女性のナレーターが、またもや重々しい声で読み上げ始めた。
『私と先生は、以前からきちんとした交際をしていました。
世間的には非難されるべきことかもしれませんが、この思いは止められませんでした』
『Aさんは、そのことを知っていながら先生に手を出し、私から先生を奪おうとしたのです。
彼女の卑劣な「後出しジャンケン」が、どうしても許せませんでした』
『結果的に、私の行為が先生を死に追いやってしまったことは残念です。
でも、これでもう二度とあの人の浮気に悩まされなくてすむと考えると、ほっとします』
これだけ強烈なキャラが登場すると、掲示板も沸く。
<キターーーー(゚∀゚)ーーーー>
<同級生に鈍器でトドメってwwwポリ3人を返り討ちってwww>
<リ ア ル ひ ぐ ら し>
<なんという電波人間>
<よくある三角関係のもつれ、なのかあ?>
<こっちはこっちで自己弁護ばっかだな。殺したこと自体は後悔してないんかい>
<イケメン教師が哀れに思えてきた>
『この少女は普段から成績優秀で面倒見もよく、クラス内ではリーダー的存在だったそうです。
また、被害者のAさんとも特に仲が悪かったようには見えず、互いに会話することもあったとのことです』
テレビの人というのは、どうしてそんな内部事情にまで詳しいんだろう。霧はそう思ったが、その疑問はすぐに解消された。
『しかし、彼女たちの知人の一人は、次のように語っています』
テレビ画面が、やけに薄暗い部屋を映し出した。画面のほとんどはモザイクに覆われてよく見えない。
画面下には、「プライバシー保護のため音声を変えてあります」のテロップ。
『あの子はー、ちょっときっちりし過ぎって言うかー、完璧主義な所があってー』
声が変わっても、体格と話し方でだいたい見当はつく。同じクラスだが面識があまり無く、あだ名しか知らない子だ。
こんな番組でクラスのことをぺらぺらしゃべるなんて。
『少しキレやすいタイプっていうのん? ちょっと機嫌が悪いとすぐ人を怒鳴りつけるようなとこがあってー』
『(その少女が、先生と交際されていたというのは本当なんでしょうか?)』
『知らなーい。先生すごくモテたから。いつも誰か女の子と話をしてたし、先生のことをずっとつけ回してる子もいたくらい』
『(複数の女生徒と交際があったということでしょうか?)』
『んー。ていうかー、女子も男子も見境なしってウワサだったのん』
<うぜーよピザ>
<この女だけは鬼畜教師の手にかからずに済んだなw>
<やっぱスコップ女の妄想だったか>
<いいから少女A子さんを映せ>
<そういえば、犯人の実名と顔写真出して、発売直後に回収になった雑誌があったはず>
<撲殺少女の写真うpまだ?>
<某週刊誌のスキャン画像 → ttp://www.uploader.ne.jp/cgi-bin/〜〜〜>
<これは予想外のクオリティ>
<美人じゃん。ちょっと目つきがキツいが>
<この真ん中分けが夢に出そう>
<ちさとタン(;´Д`)ハァハァ>
さすがに、これ以上は実況を眺める気が失せた。
「ひとごとだと思って・・・」
霧はそうつぶやき、ブラウザのウィンドウを閉じた。
そう、この国の大多数の人間にとって、こんな事件は他人事に過ぎない。
どこか遠い、知らない町で起きた事件であれば、無責任に驚き、あるいは笑って眺めていられるのだ。
しかし彼女にとっては、とても他人事ですむ事態では無い。
あの日、千里の怒りが限界に達したとき、たまたまターゲットになったのが小節さんだったに過ぎない。
刺され、埋められ、被害少女のAさんとして報じられていたのは、自分だったかも知れない。
『まったく信じがたい事件ですね』
『日本の教育はどうなってしまったのでしょう』
『残酷な内容のマンガやアニメの影響があるのでは』
放送は再びスタジオに移り、司会者やコメンテータは好き勝手なことを言い合っている。
事件に対する無責任さでは、マスコミもネットも大差ない。
もう一度カーテンの間から校門の方を見てみると、レポーター達は撤収の準備をしていた。
「先生…」
また独り言を発してしまった。
そういえば最後に交くんと別れて以来、自分は誰とも会話していない。あれから何日ぐらい経ったのだろうか。
この薄暗い美術準備室に長くこもっていたせいで、時間の感覚や現実感があいまいになっている。
今すぐにも、糸色先生がドアを開けて会いに来てくれるような気がする。
確かに先生は心の弱い大人だった。優柔不断で責任を取るということができず、そのくせ女性に妙な気を持たせるのだけは上手だった。
しかし、自宅にこもっていた霧に、学校に来る勇気をくれたのは先生だった。
あの日、死にたくなったらまず言いなさい、とかけてくれた言葉には、うわべだけではない優しさが感じられた。
それなのに、あまりに勝手すぎる結末ではないか。
「ちくしょう!」
そうののしり、手近にあった雑誌をテレビに投げつけた。こんなことをして、気が晴れるわけでもないが。
まだ、緊急特番"教師と生徒の禁断の関係!? 戦慄の結末!"が続いている。こんな番組は消してしまおう。
『お話の途中ですが、たったいま緊急の追加情報が入りました。
糸色教諭の受け持っていた女生徒の一人が自殺を図り、先ほど病院へ運ばれる途中に死亡された、とのことです。
これは未確認の情報となりますが、この女生徒は教諭の熱心な取り巻きのひとりで、常に教諭につきまとっていた、とのことで、
教諭の後追い自殺を図ったものと推測されます』