智恵は、目の前の光景にため息をついた。  
 
季節は春。  
うららかな日差しの中、校舎の裏手の草むらで、  
気持ちよさそうに寝ているのは、彼女の恋人である青年。  
 
年の割りにあどけないその寝顔に、近くの桜の木から舞い散る花びらが  
さらさらと流れていく光景は、平和で、微笑ましい光景であった。  
 
―――ただし。  
今が授業時間中であり、彼が教師である、と言う事実さえなければ、である。  
 
例によって授業をサボり、教室を抜け出した望を探しに出た智恵が、  
やっと見つけたのが、ここで、すやすやと眠っている恋人の姿だった。  
 
―――まったく、この人は…。  
 
もう一度ため息をつくと、智恵は望の傍らにしゃがみこんだ。  
「先生…糸色先生…。………望、起きて。」  
 
肩をゆすると、望はゆっくりと目を開いた。  
「ん…智恵…?」  
寝ぼけ眼で智恵を見上げると、ほわぁ、と嬉しそうな笑みを浮かべた。  
 
その笑顔に、智恵は思わずくらりときて、慌てて体勢を立て直した。  
 
この年下の恋人は、時々こうやって、無防備な表情をさらけ出す。  
そのたびに、智恵は彼の行動を何もかも許してしまいそうになるのだ。  
 
今日こそは、と心を鬼にして望に向き直った智恵だったが、  
「智恵…こっち…。」  
「きゃっ。」  
まだ半分まどろんでいる状態の望に手を引っ張られ、倒れ込んでしまった。  
そしてその腕の中に抱きとめられる。  
 
「ん…。」  
柔らかく微笑んだ恋人から、甘い、春の香りのする口付けを受けた瞬間、  
智恵の決心は跡形もなく溶け去っていた。  
 
だんだんと目覚めてきたらしい望が、指先で優しく智恵の髪を梳く。  
その気持ちよさに、智恵は目を細めた。  
 
桜の木の下で、2人は、ゆっくりと口付けを交し合った。  
智恵の胸元に桜の花びらが落ちる。  
 
望は、その花びらをそっと拾うと、花びらがあったところに唇を寄せた。  
「…っ、だめよ、そんなところに跡をつけちゃ…。」  
智恵が望の頭をつかんで、押し返す。  
 
望は、不満そうな顔で智恵を見ると、智恵の襟元をぐい、っと押し広げた。  
「んっ…。」  
望の唇が、洋服の下、外から見えないところに紅い花びらを散らす。  
「は…ぁ…。」  
思わず、智恵は甘い吐息をついた。  
 
望はすっかり目覚めたようだ。  
智恵のブラウスのボタンに手をかけた。  
「ちょっと、こんなところで…。」  
「大丈夫ですよ…今は授業中ですから…誰も来ませんよ…。」  
 
授業中、というところが問題なのだと智恵は思ったが、  
望の手の動きに、すぐに、考えることを放棄した。  
 
望は、智恵のブラウスのボタンを外して前を肌蹴させると、  
後ろに手を回してブラのホックを外した。  
 
量感のある智恵の胸がはじけ出る。  
望は、ブラを押し上げると、その智恵の胸の谷間に顔を埋めた。  
「もう…いつも、そうやって…。」  
「…男なんて、所詮みんな、おっぱい星人なんですよ…。」  
幸せそうに、智恵の豊満な胸に頬ずりしながら望が呟く。  
 
望が、そのまま、ちろりと舌を出して智恵の胸の先を舐めた。  
「あ…ん。」  
智恵の口から甘い声が漏れる。  
 
その智恵の声で火が点いたように、望は智恵の胸への攻略を開始した。  
 
舌を尖らせて先端をつついたかと思うと、  
子供が母親の乳房を吸うように、チュクチュクと音をさせて吸い付く。  
 
「ん…っ!」  
先端を強く吸われ、智恵の呼吸が荒くなった。  
智恵は、熱の篭った目で望を見ると、その袴の帯に手を伸ばした。  
 
智恵がシュルシュルと器用に袴の帯を解くと、望が自分で袴を蹴り飛ばした。  
「智恵…随分、袴の脱がせ方が上手くなったじゃないですか…。」  
「馬鹿…。」  
 
智恵は、望に手を伸ばし、すっかり存在を主張しているそれを、  
下着の上からやわやわとなぞった。  
そして、下着の隙間から、つと指を入れるとそれを取り出した。  
「男性用の下着って、便利よね…。」  
小さく含み笑いをして、望を見上げる。  
指は、そのまま優しく望自身を撫で上げていた。  
 
望の顔は紅潮し、唇が少し開いていた。  
「望…。」  
智恵が巧みな指遣いはそのままに、望に顔を寄せると、望は目を閉じた。  
そのまま、2人でゆっくりと舌を絡ませあう。  
 
「ん…はっ、ち、智恵…!」  
望は、智恵の手をつかむと、自身から引き離した。  
「こ、これ以上は、もう…。」  
智恵は、妖艶な笑みを浮かべて望を見返した。  
「ええ…私も、あなたが欲しい…。」  
 
望は、息も荒く、智恵のスカートをめくり上げた。  
そして、下着の中に手を入れる。  
 
智恵のそこは、すでに十分に潤っていた。  
望が、特にほぐす必要もなかった。  
 
望にも、そんな余裕はないようだった。  
 
「いいですか…智恵…。」  
望の囁きに、智恵は頷いた。  
「…来て…。」  
 
望が智恵の中に侵入する。  
智恵は、目を閉じると満足げな吐息を漏らした。  
 
「く…っ、ああ、智恵、いい…。」  
「望…私も…。」  
 
重なった2人の上に、桜の花びらが降りかかる。  
そのまま2人は、我を忘れて互いを求め合った。  
 
 
同時に、互いの欲望を解放し、  
2人は荒い息をついて、並んで空を見上げていた。  
 
春の光が溢れる、淡い色の空を見上げているうちに、  
だんだんと智恵の中に冷静な考えが蘇ってきた。  
 
―――ミイラ取りがミイラになってどうするのよ…。  
 
智恵は激しく自己嫌悪に陥った。  
 
智恵は、望に向き直ると、不機嫌そうな口調で質した。  
「ねえ、糸色先生は、どうして、すぐに授業をサボるんです?」  
「…え…。」  
 
望は、まだ行為後の甘い余韻に浸っていたのか、  
いきなりの智恵の糾弾にびっくりした顔をして、起き上がった。  
 
「そのたびに、私が先生を探しに行くハメになるんだから…。」  
「何を、あなたは…今こんなときに言わなくたって……。」  
望の顔も、徐々に不機嫌なものになっていく。  
 
望は、頬を膨らませると、ぷいんと智恵から顔を背けた。  
「智恵先生は、担任を持ったことがないから分からないんですよ。  
 あのクラスの担任をするのが、どれくらい大変なのか。」  
 
智恵はかちんときた。  
自分も体を起こすと、望を睨みつける。  
「悪かったですね、担任を持ったことがなくて!  
 どうせ私は、教員資格もない単なるカウンセラーにすぎないわよ!」  
「そんなこと言ってるんじゃありません!」  
「言ってるじゃないですか!」  
 
2人は、しばし無言で睨み合った。  
 
「……あなたみたいに、怠け者で情けない人、見たことがない!」  
「私だって、智恵先生みたいに頑固で薄情な人、見たことないですよ!」  
 
もはや、2人は立ち上がっていた。  
 
「―――あなたなんか、大嫌い!」  
「こちらこそ!」  
 
2人は、お互いに顔を背けると、智恵は学校へ、望はその逆方向へと  
それぞれ歩き始めた。  
 
しかし、大声で罵りあいながらも、  
2人とも、この喧嘩をそれほど深刻に取っているわけではなかった。  
 
これは、大人になりきれない2人の、いつもの他愛無い痴話喧嘩。  
明日になれば――いや、今日の午後にでも、きっと仲直りできるだろう…。  
 
2人とも、そう思っていた。  
 
―――智恵が帰っていった学校に近づく不穏な足音に、  
            望も智恵も、全く気が付いていなかった―――  
 
 
*   *   *   *   *   *   *   *  
 
 
望は、頭が冷えるまで、しばらく街の中をうろついていた。  
 
―――まったく、彼女ときたら、あんな甘い雰囲気の後に、  
どうしてあんなことが言えるんでしょうね。  
 
望は、街外れを流れる川の近くの土手に腰を下ろした。  
手元の草をむしると、川に向かって放り投げる。  
 
―――そりゃ、授業をサボった私に非があるのは確かですが…。  
 
ふと、傍らに、智恵の好きな花が咲いていることに気が付いた。  
 
彼女は、街の花屋で売っているような花よりも、  
こうした野生の草花の方を好んでいた。  
「……。」  
 
―――別に、ご機嫌を取るわけじゃないけど…。  
 
望は、手を伸ばすと、その可愛らしい野生の花で、小さな花束を作った。  
そして、そろそろ帰ろうかと腰を上げたとき、土手の向こうを、  
パトカーがサイレンを鳴らしながら通り過ぎて行った。  
 
―――そういえば、さっきから、やけにサイレンがなってますね。  
 
バラバラという音に空を見上げると、ヘリコプターが飛んでいる。  
 
―――何か事件でもあったんでしょうか。  
 
急に不安にとらわれて、望は土手を登ると学校へと向かった。  
 
学校へと向かう途中、望の不安は段々に増してきた。  
街の人達が、皆、望の歩いていく方向に向かって走って行っているのである。  
 
呼び止めて尋ねようにも、皆、興奮しているようで要領を得ない。  
いたたまれず、望も一緒になって走り出そうとしたところに、  
後ろから、聞きなれた声がした。  
 
「望!お前、無事だったのか!?倫は?交はどうしたんだ!?」  
 
振り返ると、白衣に医療カバンを抱え、やや青白い顔をした兄が、  
息せき切って立っていた。  
「倫…?交?…命兄さん…いったい何があったんですか?」  
 
命は唖然とした顔をした。  
「お前…知らないのか…!?」  
胸の中の不安が一気に膨らむ。  
「何があったんです!?」  
 
命が重々しい顔で、望を見た。  
「お前の高校が、過激派だかテロリストだかに占拠されたって…。  
 今、テレビでもそのことで持ちきりだぞ!!」  
 
 
―――望の手から、花束が落ちた。  
 
 
思わず、命に詰め寄る。  
「テロリストってなんですか!何でうちの高校なんですか!!?」  
「良く分からん。  
 ただ、お前のところ、校名にネーミングライツとかやってるの、  
 この間の新聞に大きく取り上げられてただろう。  
 報道によれば、それが原因で、標的になったらしい。」  
「な…。」  
「神聖なる教育の場で金儲けをする、穢れた資本主義の手先ってな。」  
「馬鹿な…。」  
望は血が滲むほど、唇を強く噛み締めた。  
 
「それよりも、そうすると倫も、交も、まだ学校の中なんだな。」  
命が心配そうに尋ねた。  
「多分…。」  
 
望は、学校の方を向いた。  
倫と交だけではない。  
自分のクラスの教え子達も…そして………彼女も…。  
 
「…テロリストの要求は何なんですか…。」  
命は、難しい顔をした。  
「先月、アメリカでお粗末なハイジャック未遂事件があっただろう。  
 そのときに逮捕された『同志』の解放だと。」  
望は絶望的な顔で命を見た。  
「そんなの…あの国が応じるわけがないじゃないですか…!!」  
 
望は、心から自分の行動を後悔していた。  
なぜ、自分は、授業をサボったりなどしたのだろう。  
どうして、自分は、今このとき、彼女の隣にいないのだろう。  
 
「とにかく…近くまで行きましょう!」  
望は、命と連れ立って、学校へ向かって走り出した。  
 
学校の前は既に人だかりで、黄色いテープで規制がされていた。  
そこに、長身長髪の、作務衣姿の男性の姿があった。  
 
「景兄さん!」  
望の呼びかけに、景は振り返った。  
「望!無事だったか!命も来てたのか。倫と交はどうした!?」  
駆け寄ってきた景に、望は首を振った。  
景は顔を曇らせた。  
「…っ。とにかくここじゃ、埒が明かない。中に入ろう。」  
 
3人が何とか最前列までこぎつけたところで、制服姿の警察官に阻まれた。  
 
「入れてください!私は、この学校の教師です!!」  
命も、望の隣から顔を出す。  
「甥も妹も中にいるんだ!通してくれ!!」  
「ダメです!何と言われてもこちらが許可した者以外は立ち入り禁止です!」  
 
押し問答をしている2人を見て、景が怒鳴った。  
「馬鹿!こういうときに親の七光りを使わないでどうする!」  
そう言うと、景は命の携帯電話であちこちに電話をかけ始めた。  
 
「はい…はい、ありがとうございます。…はい、よろしくお願いします。」  
しばらくして、景が携帯電話を目の前の若い警察官に差し出した。  
 
「おい、お前、この電話を切らずに、ここの責任者のところまで持って行け。」  
警察官は、作務衣姿の景を胡散臭そうに眺めると、携帯を引ったくり耳に当てた。  
 
「誰だ、お前…。……。え?……ええ!?」  
若い警察官の顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。  
「し、失礼いたしました。はっ、直ちに!!」  
警察官は、そのまま、踵を返すと携帯を持ったままどこかへ走り去った。  
 
望と命は、呆然と景の顔を眺めやった。  
「兄さん…誰と電話してたんですか…?」  
「ん?警視総監だよ。親父様の秘書からつないでもらった。」  
涼しい顔で答える景に、望と命は、顔を見合わせた。  
 
やがて、先ほどの警察官が戻ってくると、3人に対して、  
先ほどとは打って変わった丁寧な物腰で、同行するよう依頼した。  
 
「…お父様が、そんなに大物だったなんて、知らなかった…。」  
「何言ってるんだ。伊達に、絶大の名を背負ってるわけじゃないんだぞ。」  
 
3人は、「テロ対策本部」と墨痕鮮やかな看板のかかるテントに連れて行かれた。  
 
中に入ると、恰幅のいい中年の男が3人を出迎えた。  
「私が、ここの責任者を務める警視庁公安部公安第一課課長の山田だ。  
 ここでは、ま、そうだな、本部長と呼んでくれたまえ。  
 …君らが、糸色議員の息子達か。確かに、そうそうたる面構えだな。」  
頷いて手を差し伸べる。  
 
望は、思わず前に進み出た。  
「そ、それより、本部長。現状は、どうなってるんでしょうか。」  
本部長は、望を見た。  
 
「君は、あの学校の教師だそうだな。」  
「…はい。」  
「たった今しがた、テロリストの奴らから連絡が入った。  
 一部の女生徒を残して、後は解放するそうだ。」  
望達は、息を飲んだ。  
 
「…普通は、女子供から解放するのが先でしょうに…!」  
 
―――智恵は…倫は、交は…私の生徒達は…大丈夫なのか…?  
 
望は、他の生徒や教師達に後ろめたく思いつつも、  
彼らが解放組に含まれているよう、心から祈った。  
 
 
*   *   *   *   *   *   *   *  
 
 
一方、学校の中では、教師も生徒達も、皆、体育館に集められていた。  
あちこちですすり泣きがもれる中、銃を持ち、覆面をしたテロリスト達が  
人質を囲んでいる。  
 
智恵は、交を膝に抱きしめながら、テロリストたちを睨んでいた。  
 
今、現実に起きていることが、信じられなかった。  
 
 
 
智恵は、望と言い合いをした後、カッカしながらSC室に帰っていった。  
 
そして、お茶でも飲んで気を落ち着けようと、ポットに手を伸ばした瞬間、  
玄関から凄まじい爆音と、怒号、悲鳴が聞こえてきたのだ。  
 
驚いて廊下に出ると、階下から煙が上がってきていた。  
そこに、聞こえてきたのは銃声らしき音。  
もちろん、実際の銃声を聞くのなど、初めてだった。  
―――な、何!?いったい何があったの!?  
 
パニックになっていると、煙の中から覆面をした男達が飛び出してきた。  
そして、両腕をつかまれ、体育館まで連行され、今に至るというわけである。  
 
はじめの頃、教師の1人が、勇敢にもテロリストに抗議をした。  
「何故、こんなことをするんだ!我々が何をした!」  
その教師は、テロリストに銃の台座で殴られ、倒れ臥した。  
泣き叫んでいた生徒達が、一瞬にして静まった。  
 
テロリストの首謀者らしき、口髭を生やした男が、楽しそうに人質を見渡した。  
「貴様らの高校は、腐った資本主義の手先、金の亡者の見本だ。  
 我々は、全世界に向けて、堕落しきったこの国に活をいれ、  
 全人類が等しく幸せになるユートピアを作り上げるべく、今ここに立ち上がった!!」  
 
「…考え方が、半世紀以上遅れてるんじゃないかしら…。」  
智恵は口の中で呟いた。  
 
髭の男は続けた。  
「我々は、日本政府に対し、資本主義的帝国主義者の巣窟である彼の国に  
 囚われている勇敢なる同志を解放するよう交渉することを求めている!  
 それが受け入れられないときは、貴様らの命はないものと思え!」  
 
体育館の雰囲気が、再び恐怖に満ちる。  
テロリストたちの要求が受け入れられる可能性は、ゼロに等しいように思われた。  
 
「智恵先生…望叔父さんは、どこにいるんだ?」  
隣に座っていた交が、小さな声で尋ねてきた。  
 
智恵も、先ほどからずっと、望の姿を目で探していた。  
どうやら、人質の中に望の姿はないようだ。  
 
―――まだ、戻ってきてなかったのね…。  
 
失望と安堵とを同時に感じながら、息をつく。  
「交君…叔父さんは、無事よ。多分、お外にいらっしゃるわ。」  
「そっか…心配してるね、きっと…。」  
 
交の言葉に、智恵の胸はキリ、と痛んだ。  
 
―――望…。  
 
さっき、喧嘩別れしたばかりの恋人の顔が目に浮かぶ。  
 
―――あなたなんか、大嫌い!  
最後に、望に投げつけた言葉が心に蘇った。  
 
―――……あんなこと、言わなければ良かった…。  
 
喧嘩別れしたまま、仲直りもできないままに、  
もし、自分がここで死んでしまったら…。  
あの、繊細な青年は、多分、一生それを引きずって生きていくだろう。  
 
―――それだけは、だめ……どうか…誰か、私達を、助けて…!  
 
智恵は、目を閉じると、両手を強く握り締めた。  
 
しばらくたって、髭の男が再び声を張り上げた。  
「よーし、一部、交渉がまとまった。  
 お前ら人質のうち、そうだな…こいつらを残して、あとは解放してやるぞ!」  
 
髭の男が「残す」として指差したのは、2年へ組の少女達が座る一角だった。  
「な…!」  
智恵は言葉を失った。  
 
彼の、クラスの生徒達。  
望が、いつも文句を言い、授業をサボりながらも、  
教え子達に深い愛情を抱いているのを、智恵は知っていた。  
 
この子達を置いて、自分だけが助かるわけにはいかない―――!  
智恵は、交を横に押しやると、思わず声を張り上げていた。  
「私も、残ります!!」  
「智恵先生!」  
交が驚いたように智恵を見上げる。  
 
髭の男は、ん?というように智恵を睨みつけた。  
「…なんだ、お前は。」  
両脇の若いテロリスト達が、智恵に銃口を向ける。  
 
智恵は、喉かカラカラに渇いているのを感じた。  
「わ、私は…この学校の保健医です…。  
 か、彼女達が怪我をしたとき…誰か、手当てをする者が必要です!」  
口からのでまかせを、必死につむぎ出した。  
 
髭の男は、しばらく黙って智恵を睨めつけていた。  
智恵は、恐怖と緊張のあまり、気が遠くなりそうだった。  
 
と、そこに、のんびりとしたしわがれ声が上がった。  
「私も、一緒に、残らせてもらえませんかな。」  
 
智恵は、声の主を振り返った。  
「甚六先生…。」  
 
初老の教師は、どっこらしょ、と立ち上がると、髭の男に向き直った。  
「智恵先生も、もう1人くらい手伝いがいた方がいいでしょうし…、それに。」  
甚六は、他の生徒に聞こえないよう、男に向かって声をひそめた。  
「それに、いざ、人質から犠牲者を選ぶときは、女子供よりも、  
 私のようなクソ親爺の方が、世間からの非難は少ないですよ。」  
 
髭の男は、ぐいと眉を上げると、つばを吐いた。  
「腐った資本主義者の連中にどう思われようが、そんなものはかまわん。  
 …だが、まあ、いい。」  
男は、智恵と甚六を見た。  
 
か弱い女性と、いかにも非力そうな初老の教師。  
「お前ら、そんなに早死にしたければ、残るがいい。」  
 
ほっと息をつく智恵に、甚六は、にっこりと微笑んだ。  
 
交が叫んだ。  
「そんな!倫も、智恵先生も、残るのか!?だったら俺も残る!!」  
「だめ。」  
智恵がしゃがみこむと、交の両肩に手を置いた。  
 
「あなたは、外に行って、望叔父さんに教えてあげて。  
 倫ちゃんも、クラスの皆も、元気ですって。  
 …それから……。」  
智恵は、言いよどんだが、思い切って口にした。  
「…智恵が、叔父さんを愛してるって…そう、伝えてちょうだい。」  
交は、驚いたように涙の溜まった目を見開いて、智恵を見上げた。  
 
そこに、倫がそっと膝でにじり寄ってきた。  
「交。智恵先生の言うとおりだ。  
 お前は、先に外で待っていろ。私たちも、必ず後から出て行くから。」  
 
それを聞いた若いテロリストが、ふん、と鼻を鳴らした。  
 
交は、しばらく下を向いていたが、やがてぐい、と涙を拭くと顔を上げた。  
「分かった…俺、行くから。…だから、倫も、智恵先生も、絶対、出て来いよ。」  
そう言うと、交は立ち上がって解放される人質の列に加わった。  
 
智恵は、ほっと息をつくと、目を潤ませて交を見送った。  
 
―――交君…あの人に、よろしく…。  
 
 

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