火事が起きた。  
放火したのは、真夜。  
放火されたのは、まとい。  
特にこれといった理由はないのだろう。  
望を廻る戦いは目に見えていないだけで、あらゆる場所で起きている。  
今回は目に見える形で現れた。  
 
 
「というわけで、先生。しばらく泊めて下さい」  
「何がというわけですかぁ!」  
「…プンスカ」  
「だって先生、私には帰る家がないんですよ?」  
「しかし、女生徒が教師の家に泊まるなど…」  
「…」  
「…その女はよくても、私はダメなんですか?」  
「えっ!?いやっ、…それは」  
「せんせぇが迷惑してるのが分からないの?」  
「うるさいわね、私は先生と話をしてるの」  
「…その、小森さんは別ですよ。不下校なんですから」  
「…ニヤリ」  
「特別扱いはいけませんよ先生。PTAが知ったら、何て言うでしょうか…?」  
「ひっ!贔屓教師としてマスコミに叩かれる!絶望した!」  
 
チキン教師として名高い糸色 望。  
不下校少女、小森 霧。  
ディープラブなストーカー、常月 まとい。  
三人の奇妙な共同生活が始まった。  
 
朝が始まった。  
熟睡とは言い難い眠りから覚める望。  
結局まといの宿泊を許した。  
布団は三つあるが、少女が左右に寝ているのだ。  
どちらに寝返りをうつかだけでも喧嘩の原因になりかねない。  
金縛りの感覚。  
ただただ、天井を眺めていた。  
そんな長い夜から抜け出すように、望は布団から出た。  
横を見るとまといは未だ眠りに着いたまま。  
すーすーと寝息を立てるその小さな鼻。  
寝顔は可愛いと形容するしかないほど穏やかで。  
つい頭を撫でてしまった。  
不意に嫌な予感がして、後ろを振り返る。  
しかし、そこには霧が寝ていたはずの空の布団があるだけだった。  
ただの気のせいであったことを安堵して、望は居間へと向かう。  
そこには朝食の用意をしている霧が。  
 
「おはようございます、小森さん」  
「おはよう、せんせぇ」  
 
望と一緒にいるときは、いつでも嬉しそうな霧。  
今朝だけは、様子が違った。  
明らかに不機嫌な顔で、  
「あいつは、まだ寝てるの?」  
「…常月さんですか?まだのようですが」  
「しょうがないなぁ、ご飯冷めちゃうよ」  
 
よく見ると、食卓には三人分の朝食が用意されていた。  
口では、あからさまに嫌がっているが、きちんと三人分を用意する。  
それが小森さんの素敵なところだな、と思う。  
頬を膨らませる霧の頭を撫でる。  
 
「小森さん、…貴女は優しい人ですね」  
「えっ…!?(//△//)」  
「常月さんは、私が起こしてきますから」  
 
そういいながら、立ち上がる。  
さっきまで自分がいた空間はなにも変わらず、そのままだった。  
相変わらず可愛らしい寝顔のまといに近付く。  
 
「常月さん、朝ですよ。起きてください」  
「…ZZZ」  
 
軽く揺するが反応はない。  
仕方がないので耳元で話しかける。  
 
「常月さん!起きてください」  
「…んっ、先生そんなところ触っちゃダメですよ、…ZZZ」  
「……変な夢を見るのはやめてください!」  
 
まといの寝言につい大声でツッコミを入れてしまう望。  
さすがに耳元で騒がれては、起きないわけにはいかない。  
モゾモゾと動き出しまといが目を開ける。  
目と鼻の先には望の顔がある。  
 
「そんな先生…、寝込みに唇を奪おうとしなくても、言って下されば私はいつで  
もオッケーですのに…」  
「…へっ?いや、私はただ貴女を起こすために」  
「そんな言い訳なんて必要ないです。さぁ、熱い接吻を」  
「いや、違いますから!」  
 
正面からまといに抱き着かれ、身動きが取れない望。  
それでも何とかキスだけは避けようと、身を捩りジタハダ動く。  
バランスをなくした二人の体は倒れ込み、望がまといに押し倒される形で横たわ  
る。  
その拍子に、まといの唇が…。  
 
「せんせぇ、まだ起きない、の…?」  
 
タイミングがいいのか悪いのか。  
霧が襖を開けると、そこには望に抱き着き口づけるまとい。  
まといから逃げようと、もがいている望。  
望の首筋に、これでもかというほど吸い付きながら霧をちらりと見る。  
その瞳には勝利の色が輝いていた。  
霧が来たことに焦り、望はまといを無理矢理引きはがした。  
 
「せんせぇに何してるのよ!」  
「あらっ、先生のほうから誘ってきたのよ」  
「…そんなっ、私はただ」  
「せんせぇがそんなことするわけないでしょ」  
「どうしてそんなことが言えるのかしら?」  
「二人とも落ち着いて…」  
 
延々と繰り返される争いは、呼び鈴がなるまで続いた。  
せっかく霧が用意してくれていた朝食も、授業に行かなければいけない望とまと  
いは一口も箸をつけれないままに宿直室を後にした。  
朝から嫌気がさす出来事に、霧の気分はがた落ち。  
毎日の生活を共に過ごしている望は、そんなこと百も承知だった。  
あまりに不憫に思え、また、申し訳なく思った。  
一限目の授業が終わる鐘が鳴る。  
今までこんなことしたことない。  
望は真っ直ぐと宿直室を目指した。  
 
「小森さん、いらっしゃいますか?」  
「あっ、せんせぇ。どぉしたの?」  
「いえ、少し小森さんのことが心配でして…」  
「心配してくれたの?でも大丈夫だよ。朝のことなら気にしてないから」  
「すみません、私が優柔不断なせいで…」  
「ううん、せんせぇのせいじゃないよ。それより上がって?時間あるでしょ?」  
 
さすが望のことをよく分かっている。  
今日の望のスケジュールでは、一限目の次は三限目に授業があるので、暫く暇が  
ある。  
望としても断る必要はないので、部屋の中に足を踏み入れた。  
 
「悪いのはせんせぇじゃなくてまといちゃんなんだから」  
「まぁ、常月さんも大変な境遇ですから。あまり怒らないであげて下さい」  
「…せんせぇは、優しすぎるんだよ」  
「そうでしょうか?」  
「…プンスカ」  
「私は貴女のほうが、ずっと優しいと思いますが…」  
「…(//△//)」  
 
照れて顔を上げない霧の頭を撫でる。  
何だか望自身がこの動作に、魅力を感じ始めていた。  
素直に頭をこちらに預けている霧の姿勢は、あまりにも可愛らしくて。  
つい抱き寄せてしまった。  
嫌がる様子もなく、体全体を望に寄り添わせる霧。  
二人は、そんな姿を誰かに見られているとは夢にも思わずに、ただ時間が流れる  
のを待っていた。  
すると、予鈴が鳴り響いた。  
 
「私、そろそろ行かねばなりませんね」  
「…うん、いってらっしゃい。せんせぇ」  
「また、後でお会いしましょう」  
 
急ぎ足で宿直室を後にする望。  
扉を開けっ放しにしたままで行ってしまう。  
しょうがないなぁ、と心で呟き、扉を閉めに行くと、そこに一人の影が。  
まといがそこに立っていた。  
今までの場面を見られていたことに呆然とする霧を睨みつけ、  
「…負けないから」  
「えっ…!?わ、私だって」  
 
それだけを言い残し、まといは望の後を追い掛けた。  
霧も一瞬だけついて行きそうになるが、踏み止まる。  
少しだけ悲しい衝動だったが、忘れようと努力して霧は晩御飯の準備に取り掛か  
った。  
二人の少女の熱き戦いが始まる。  
 
 
キーンコーンカーンコーン。  
 
「それでは、今日の授業はこれで終わりです。…あと三珠さん、警察の方が聞き  
たいことがあるそうですので、行ってください」  
 
ガヤガヤとしだす教室内。  
それは、生徒の一人が警察に事情聴取されるからではない。  
授業が終わり無駄話を始めたからである。  
特に代わり映えのない生活の中で、望は宿直室へと向かった。  
後ろにはピッタリとまといがくっついている。  
それも日常茶飯事に過ぎない。  
扉に手をかけて、それを開く。  
がらがらと音を立ててながら、その隙間に体を割り込ませる。  
台所には夕飯の準備をする霧が。  
二人が帰ったことには気が付かない。  
いつもより短い毛布なのか、普段は見えない生足がすらりと伸びている。  
それに気付き、一瞬眺める望。  
さらに、それに気付いたまといが望の耳を軽く引っ張った。  
 
「いたたた…、な、何をするんですか!常月さん」  
「…早く中に入りましょう、先生」  
「あっ!せんせぇ、おかえりなさい。…まといちゃんも」  
「ただいま、小森さん」  
「……ただいま」  
 
帰ってきてすぐ険悪になりかけの二人。  
喧嘩をされては堪ったものではないと思う望は、とにかく何か話題を考えた。  
が、何も思い付かない。  
今この空間では、何か喋り出した方がまずい気がしてならなかった。  
じっと押し黙ったままの望。  
部屋の中にはトントンと大根が切られる音だけが響く。  
いつもなら好きなはずの沈黙は、望の背に重くのしかかった。  
 
(ダメです、もう堪えられません…)  
 
「あ、あの、小森さん」  
「ん〜、なぁに?せんせぇ」  
「えっ〜と、…風呂の掃除をしておきますね」  
「えっ、いいよ。せんせぇ、私がやるから」  
「いえいえ、小森さんに頼りきりではいけませんから」  
「なら先生、私がやります」  
「つ、常月さん…」  
「…」  
「お風呂場は確かこっちでしたよね?」  
 
まといが、望の背中から離れて歩き出した。  
昨夜身を清めたので、風呂場の場所は知っていた。  
すぐにそれを止めようと望が手を伸ばすが、思い留まる。  
…別にまといが行ってもいいのではないか?  
自分はただ、この場にいるのが嫌だったから。  
風呂掃除を口実に抜け出そうとしただけで。  
この雰囲気が変わるのなら、それはそれでよい。  
望は伸ばした手を落とし、元の位置に戻した。  
その思考に辿り着いた望は、この生活を生き抜く必勝法に感づいた。  
 
(小森さんと常月さんを、一緒に居させてはいけない!)  
 
今更な気もするが、望にとっては死活問題であった。  
何とかしてピリピリとした空気を追い払った望は、つかの間の安堵をゆっくりしようと思ったが、そんなものはありはしなかった。  
 
「きゃあっ!?」  
 
風呂場から急に聞こえた短い悲鳴。  
望はなんであろうかと訝しく思い、様子を見に。  
霧もその手を止めて、心配そうに風呂場の様子を伺っている。  
そこには頭から水を被ったまといがいた。  
 
「どうしました?常月さん…、って大丈夫ですか?」  
「うっ、先生…。冷たいです…」  
「どうしてそんなことに…?」  
「水を出そうと思って蛇口を捻ったら、シャワーになってて…」  
「と、とりあえず服を脱がないといけませんね」  
「…はい」  
 
幸いなことに、濡れていたのは上着のほうだけ。  
しかし、髪の毛はビシャ濡れだ。  
タオルを手繰り寄せ、少女の頭に乗せた。  
手際よく着付けを外しているので、まといは両手が塞がっている。  
しょうがなく望は、まといの髪を拭いてあげた。  
大人しくしているまといの髪を、丁寧に拭いていく。  
この少女が髪に思い入れがあるのか、望は知りはしなかったが、自分に出来る限  
り丁寧に拭いた。  
肩までの、女性にしては短い髪の毛を拭くことに集中していると、いつの間にか上着を脱ぎ終えたまといが、そこに立っていた。  
白い死装束のような胴着をだけを着た少女は、恥ずかしがりもせず、真っ直ぐ望を見つめた。  
髪を拭く手が不意に止まった。  
妖艶にも見える目付きは、こちらを意識してのことだろうか。  
先程の霧と同じように、長くすらりと伸びた足が白く眩しい。  
少し濡れて肌に張り付く肌着が、望の網膜に焼き付けられる。  
目線は変えないまま、まといが呟く。  
 
「あの子と、…小森ちゃんと、どっちが綺麗ですか?」  
「…へっ?そ、それは…」  
 
つい口をついて出そうになる。  
目の前の少女を称賛する評価が。  
その麗しい瞳に騙されそうになる。  
いや、騙されているのではない。  
虜にされているのか。  
ここで答えると、どうしようもなく面倒なことになる。  
それを知っている望は、黙り込んでいる。  
やけに長い時間が経った気もするが、本当には10秒も過ぎていない。  
その長く短い時間を見つめ合って過ごし、そうして、まといの方が観念した。  
 
「…さぁ、先生。着替えるので出て行って下さい」  
「えっ?あっ、はい」  
 
背中を押されて、その場から退出するように命じられる。  
普段のまといからしたらあまり考えられない行動な気もした。  
しかし、まとい目にはしっかりとした満足気な色を映しており、また頬を赤く染めていた。  
それが何を意味しているのか、望には少し理解できていた。  
けれど、それを否定できるような立場に望はいなかった。  
少女の潤んだ瞳はそのままで、望は脱衣所を後にした。  
鼓動を早くした心臓を鎮めもせずに、居間に座り込む望。  
自分が何をしていたのか、食事の準備を終えた霧が聞いてきたが、何故か素直に答えられなかった。  
正直に答えるのは、まといへの裏切りに思えたし、二人の喧嘩が再開する原因にも思えた。  
暫くすると着替え終わったのか、まといが早々と脱衣所から出てくる。  
まだ赤い頬をおしべもなく晒し、望へと微笑みかけた。  
二人のいつもと違う雰囲気に、霧はただ疑念を抱くことしか出来かった。  
まといが起こした事件も、時が経てば望の心からは少しずつ失せ始めた。  
今は目の前に広がる夕食に目を奪われ、舌鼓を打つのに夢中だ。  
 
「相変わらず、小森さんの料理は美味しいですね」  
「えへへ、そうかな♪」  
「えぇ、食がよく進みます」  
 
まるで新婚の夫婦であるかのような会話は、望が自分の存在を忘れているのではないかと、まといに危惧させた。  
楽しそうに食事を続ける望に大きな寂しさと、ちょっぴりの悔しさを持つ、まとい。  
時に嫉妬の念は、少女を大胆な行動に移させるものだろうか。  
自分の箸で自分のおかずを摘み、それを望の元へと。  
 
「はい、先生。いつもみたいに私が食べさせてあげますよ♪」  
「へっ…!?いつも?」  
「そんな邪魔女がいるからって遠慮しないで下さい」  
「い、いえ…」  
 
そんな有りもしないことを言われて焦る望だが、まといには有無を言わせぬ迫力が溢れていた。  
望は口に放り込まれた物を、それが食べ物であるかも確認せぬまま飲み込んだ。  
冷静に見れば、望の態度は全然そうではないのだが。  
傍から見る霧は、まるで二人がラブラブなカップルかのように振舞っている。  
そう見えて仕方がなかった。  
目からは嫉妬の炎が吹き出んばかりで、霧の箸はミシミシと悲鳴を上げていた。  
そんな霧をチラリと見て、勝利の冷笑。  
普段は温厚な霧も、さすがにこれには我慢ならなかった。  
 
「せんせぇ…」  
 
声を掛けたが返事を待たないで霧は立ち上がると、望の首に手を回してそのまま膝の上にちょこんと座ってしまった。  
そのままの状態で顔を望にすり寄せ、甘えだした。  
あまりの霧の行動にまといは箸を落とした。  
望も声をださないまま、固まる。  
 
「せんせぇ、いつもみたいに私に食べさせて…?」  
 
顔を真っ赤にしながらも潤んだ瞳で望の顔を見つめながら、霧はもてる勇気を振り絞ってその言葉を口にした。  
もちろん、そんな事実は無いのだが、まといも同じ手段を用いているので、おあいこだ。  
甘い砂糖菓子みたいな香りと、霧の体の柔らかさに望の鼓動が勝手に早くなり顔も赤く変わってきた。  
二人の女生徒の誘惑は、望の心労をピークまで持って行き。  
事切れたように望は、その場で倒れた。  
しかし、霧を道連れにはせずに器用に倒れた。  
頭から湯気が吹き出ている。  
そんな状態の中で…。  
 
「あんたがあんなことするから、先生倒れちゃったじゃない!」  
「まといちゃんだって!昼間にせんせぇのこと誘惑してたじゃない!」  
 
もちろん霧のはったりだ。  
 
「…!?」  
 
図星を突かれて少々焦るまとい。  
まといの反応に確信を得た霧は、言葉を続ける。  
 
「ふふーん、知らないとでも思ったの?せんせぇは私に隠し事なんてしないもの」  
「嘘よ、先生は話してないわ」  
「なんでそんなことが言えるのよ?」  
「だって、私にはちゃんと盗聴器があるのよ」  
「そんなもの持って…、ストーカー!」  
「…!?引き篭もり!」  
「ストーカー!ストーカー!」  
「引き篭もり!引き篭もり!引き篭もり!」  
 
少女達の言い争いは、望の目が覚める深夜まで行われていたそうだ。  
 

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