騒ぎの果てに愛する先生の姿を見失ってしまったまといは、仕方なく宿直室の卓にて先生の帰りを待っていました。
部屋の隅には恋敵の霧もいて、二人は視線も言葉も交すことなく、離れて座っていました。時計の音だけがコチコチと鳴り、かえって静けさを伝えていました。
「旧友、いる?」
と、そこに表れたのは、DVDのケースを右手に持った一旧です。
「いないよ」
と、霧はそっけなく答えました。すると一旧は「そうか、じゃあここで待たせてもらおうかな」と言って、宿直室に上がり込み、テレビの前でごろんと横になりました。
そして一旧はそこらに散らかしてあった望の読みかけの本を手に取ると、二、三ページ捲り、ぽいと投げ出してしまいました。また別の本を手に取ると同じことをします。
なんて図々しい奴なんだ……と、まといも霧も自分のことは棚あげして驚愕の視線を一旧に送ります。が、一旧は全く気がつかないのほほんとした様子で、テレビのスイッチをひねりました。
しばらく誰も喋ろうとせず、今度はテレビから流れる音が、この部屋の静けさを伝えています。
霧は居心地が悪くなって、もぞもぞと動きました。
(それにしても遅いな、せんせー……。一旧さんが来てから、もう何十分経ったんだろう)
霧はそう思い、時計を見やります。
(ま、まだ五分しか経ってない……!)
時間旅行に成功し、霧は青い顔をしました。
同様の動揺は、まといにもありました。
二人っきりでいた時は、張り詰めた緊張感があったのですが、一旧が来て二人とも気がゆるんでしまったのです。
恋をすると距離感の分からぬまとい、引きこもりの霧と、それぞれにコミュニケーションに難を抱えた二人でしたが、
自分以上にKYな一旧の振る舞いに気を抜かれ、ふと冷静になり、「変人と恋敵と同じ部屋にいる、しかも無言」という状況に「気まずさ」を感じ始めていたのでした。
(どうしよう……。何か話しかけた方がいいのかな……)
まといは気まずさに少し迷い、勇気を出して変人に話しかけました。
「少し前までは寒かったけど、最近は暖かくなってきましたね」
「え?ああ、そうだね。うん」
「……」
「……」
「……」
(会話がっ続かない……!)
まといは無言だったさっきより気まずくなった気がして、涙目で頭を抱えました。
一方で、まといの行動は、霧に勇気を与えました。子供好きとしてかねて興味のあった話題を一旧にぶつけます。
「……せんせーは、子供の頃、どんな子だったんですか?」
まといはハッと顔を上げ、霧を見ました。これぞ『共通の話題』です。霧もまといに、唇だけ動かして笑みを送りました。
ポットに入っていたお茶を勝手にすすりながら、一旧は答えます。
「うーん……あまり目立たない子供だったよ」
実は全然覚えていなかったのでした。
「そう……ですか……」
「うん」
「……」
「……」
「……」
霧は勝負でもないのに、負けたような気持ちになりました。
「あの……」まといがおずおずと話しかけます。「女性関係とかは、どうだったんですか?」
「去年の四万六千日に」
「いや一旧さんのではなくて」
「旧友の?えーと」
一旧は両手の人指し指を額にあて、しばし目を閉じました。比較的近い事柄だったので、思い出すことが出来ました。
「中等部、高等部の頃から、女の子にはよく好かれていたよ。誘いを断れない性格だから、いろんな女の子を泣かせては、ダメ集団的自衛権をくらっていて……」
まといも霧も身を乗り出して聞いています。
「……今でこそ枯れたような様だけど、当時は彼も若かったしね。とにかくムードに流されやすくて、強引に誘われれば男女のべつまくなし、といった所があった」
まといは思わず膝を叩きました。先生に意思薄弱で押しに弱い性格は未だ残されている、
それならば、一旧の話が正しければ、エロスへの興味が成人男子相応にありさえすれば、あっさり陥落するはずです。
至急、通信教育で精力増強マッサージを身に付けようと決意したまといでした。
一方で霧も同じことに気が付いていて、今夜から毎日、先生には山芋やにらを食べさせようと考えていました。
さて、今この情報を知っているのは、絶望ガールズの中でも二人だけです。
(となると……)
(邪魔なのは……)
まといと霧の瞳がそれぞれぎらりと光りました。
「おや、皆さんお揃いで」
そこに青ざめた顔の糸色望が帰ってきたことで、二人の思考と一旧の話は中断されました。
「先生!」
「せんせいっ」
「おお、旧友!」と一旧が持ってきたDVDを掲げると、望は露骨にげんなりした顔をしました。
後日、二人の「先生を陥落させる」もくろみは概ね成功しました。
ただ一つ誤算があったとすれば、人並みにエロスに興味を取り戻した糸色望が、今までにフラグが立っていた女生徒を全員食ってしまい、相対的に距離が縮まなかったことです。
(了)