はじめてだった。  
あんなにも感情が昂ぶって、自分が制御できなくなったのは。  
それはお互い様だったようで、気が付けば二人して、戸惑いがちに唇を重ねていた。  
頭の先からつま先まで、身体全体に染み渡る他人の体温。  
自分のそれより僅かに骨ばった指先が、唇を撫でた。  
親指で柔らかな弾力を楽しむように、ふにふにと押される。  
からかう様にその指先を舐めると、彼の指は引っ込むどころか口の中にまで入り込み、舌までも弄びはじめた。  
 
いずれ誰かに、こんな風に身体を預ける日が来るだろうと思っていた。  
けれどまさか、相手がこんな、有体に言えばチキンな人とは予想していなかった。  
しかもそんな人に触られて、未体験の感覚に戸惑う事になろうとは。  
 
身体がはねる。反らした頤を彼の舌がなぞる。  
悶えて、弓なりに身体を反らすと、胸の先端がツンと上を向いているのが見えた。  
その淡く色づいた乳頭を、細い指の間に挟まれてコリコリと弄られる。  
驚いて小さく声を上げると、唇を塞がれてその声を飲み込まれた。  
気が付けば未開拓の茂みの奥は秘かに潤っていて、太ももをすり合わせると、愛液が一筋シーツに伝う。  
知識としては知っていたが濡れた事なんて始めてで、咄嗟にタイミング悪く生理が来たのかと焦ってしまった。  
男は戸惑うこちらの反応を楽しむように小さく笑って、ゆっくりと茂みの奥に指を滑らせた。  
反射的に緊張した身体を抱きしめられる。蜜の感触を楽しむように、花弁の間で骨ばった人差し指が蠢いた。  
耳元で何か言われた気がするが、内容までは覚えていない。  
普段聞く事のない深みを帯びたその声にすら、身体は快感を見出していた。  
たぶん、自分も普段絶対に上げないような声で鳴いているのだろう。  
秘所で蠢く指。鎖骨をなぞる舌先。胸を包み込む、思ったより大きな温かい掌。  
与えられる感触が多すぎて、ただ自分がおかしくなっている事しか、わからなくなった。  
わからない。自分が何をされているのか。そもそもこの感覚は快感なのか苦痛なのか。  
思考が曇る。悲しくもないのに涙が溢れる。まともに呼吸が出来ない。  
気持ち良いなんて嘘だ。自分が自分でなくなるこの感覚は、紛れもなく恐怖だった。  
それでも何故か拒めない。このまま気が狂う事を望んでいるのか、無意識に腰がくねって愛撫を求める。  
ああもう、何がなにやら。  
助けを求めるように喘ぐ。形だけでも拒絶するように頭を振り乱す。  
閉じた視界を塞ぐ黒の中で、光がチカチカと瞬き出した。  
もうすぐ届く。もうすぐ、気が狂うのはもうすぐだ。  
呼吸が犬のように忙しなくなる。太ももの内側の筋肉がビクビクと痙攣し出して―――  
 
そこで、意識が急速に冷めた。  
 
「―――っぅ、ぁ…ッ…」  
ゆっくりと両目を開く。  
グチャグチャに乱れたシーツの上で、荒い呼吸を吐いているのは、風浦可符香という名の少女、ただ独り。  
薄桃色のパジャマの前を肌蹴させ、ズボンを膝まで下ろした扇情的な格好で、彼女はベッドの上で深く息を吐いた。  
下着の中に突っ込んだ右手を引き抜く。指先は、自らの愛液で濡れそぼっていた。  
顔の前に手をかかげ、人差し指と親指をすり合わせて、糸を引く様をぼんやりと見つめる。  
汗で湿ったパジャマが、肌に張り付いて気持ち悪い。  
瞳に溜まっていた涙が頬を伝い、枕に染みを描いた。  
「やっぱり、駄目かぁ」  
ふっと苦笑して、乱れた格好を直す事もせず寝返りをうった。うつ伏せになり、枕に顔を埋める。  
 
「……独りじゃ、駄目かぁ……」  
 
自分の声がくぐもって聞こえるのは、枕に顔を押し付けている所為だと思う事にした。  
 
◇ ◆ ◇ ◆  
 
その日、ちょっとしたハプニングが起こった。  
いやそもそも、2のへではハプニングが起こらない日の方が珍しいのだが。  
そんなクラスでも珍しい類の事件は、午後の体育の授業中に起こった。  
授業中、一人の女生徒が倒れたのだ。  
しかもその女生徒があまりに意外な人物だった為、彼女が倒れた際、クラスメイトは一瞬思考が停止する程に驚いた。  
連絡を受けた担任にいたっては、倒れたクラスメイトの名を聞いて、また何かの冗談かと思ったくらいだ。  
けれど保健室に見舞いに行って見れば、ありえないと思っていた光景は、実際に彼の瞳にしかと映し出された。  
「あ。来てくれたんですか、先生」  
可符香は青白い顔で、ベッドの上から弱々しい笑顔を望に向けた。  
「……そ、そのままで。無理をしないで下さい」  
身を起こそうとした可符香を慌てて制止して、今だ状況を理解できないまま、  
とりあえずベッド脇にあったパイプ椅子を移動させて、可符香の前に座る。  
彼女は大人しくもう一度ベッドに身を沈めた。  
布団から覗く体操着は汗で湿って、彼女の身体に纏わりついている。  
ついこの間までは、いくら着込んでも歯の根があわない程寒かったというのに、  
気がつけばちょっと運動するとすぐに汗ばむほどの陽気が、春の訪れを告げていた。  
「……驚きました」  
「私もです。全然元気だったのに、バスケしてたらいつの間にかベッドの上なんだもの」  
青白い顔のままで、コロコロと笑う可符香。  
いつもと変らぬ完璧な笑顔と、透けるような顔色がつりあわない。  
「保健の先生は」  
「ちょっとした貧血と、あと寝不足だっておっしゃってました」  
そう診断した当の本人は、人が居ると落ち着いて眠れないだろうからと、気を利かせて席を外したとの事。  
大事はないと聞いて、ひとまずホッと胸を撫で下ろす望。  
「まさか貴方が倒れるなんて、何の冗談かと思いましたよ」  
「そう思ったんなら、どうしてわざわざ来てくださったんです? お見舞い」  
「担任って立場上、ほっとくわけにもいかないでしょう」  
そう言いつつも、最後の最後に蚊の鳴くような声で。  
「――まぁ、少しは心配したのも事実ですが」  
あらぬ方向に視線を投げつつ、口の中でボソリと呟いた。  
ニヤリと可符香の口元が吊りあがる。  
次に彼女の口から出るのは、実に意地の悪い台詞に違いない。  
瞬時にそう察した望は、彼女を黙らせる目的も込めて、ズイっと身を乗り出した。  
不思議そうな顔で見上げてくる可符香の瞳を覗き込むように顔を寄せる。  
「……あ」  
彼女は反射的に顎を引いて逃げようとするも、頭をより深く枕に埋めるくらいしか出来ない。  
息が触れるくらいまで近づくと――望はやおら眉をハの字にして、心配そうな、それでいて情けない表情になった。  
「隈ができてますね。顔色も、やっぱり悪い」  
そう言うとすぐに顔を離す。  
「眠れないんですか? 何か悩みがあるなら、解決できるかはともかく聞くことくらいは出来ますよ。  
 ……まぁ、あまり深刻な相談をされると、私まで不眠症になりかねませんが」  
ドンと胸を叩いて頼もしい事を、この男が言う筈もなく。  
確実に相談する気が失せるような事をさらっと言ってのける担任教師に、可符香はやれやれと嘆息しながら苦笑した。  
いつの間にか強張っていた肩の力が抜ける。  
「まぁ、そうですよね。糸色先生ですもん」  
「……なんか、そこはかとなく馬鹿にされたような気がするんですけど」  
「いえいえ。気のせいです」  
やぶ睨みで見つめてくる吊り目を悪びれも無く見返して、大仰に肩を竦めて見せる可符香。  
 
「それじゃあ、先生?」  
「はい」  
相談事かと身構える望に、彼女は花のようにニッコリと笑いながら、小首を傾げて問うた。  
 
「最後にしたのって、いつでしたっけ?」  
 
主語のない質問に、可符香とは逆の方に小首を傾げる望。  
「……したって、何を」  
……思った以上に朴念仁だったようだ。  
内心で溜息を吐いて、彼女は一度瞳を閉じた瞳をゆっくりと開きながら、首を左右に振った。  
「やっぱり、なんでもないです」  
「やっぱりって。わざと気になる言い方しないで下さいよ」  
「やだなぁ、そんなつもりないですよぉ。先生はお気になさらず、今夜もたっぷり惰眠を貪ってください」  
そう応える間にも、彼女はゴソゴソと身を捩り、頭までスッポリと布団に包まってしまった。  
「あ、ちょっと」  
思わず身を乗り出す。ガタン、と椅子が鳴り、自分でその音に驚いて硬直してしまった。  
可符香が見ていればからかうように笑ったのだろうが、生憎彼女は布団の中で目を閉じてしまっている。  
「眠くなっちゃいました。良くなったら適当に帰りますから、先生はもう戻って大丈夫ですよ」  
どうやらもう話すつもりはないようだ。  
これ以上食い下がっても彼女の身体に、それどころか気にも障るだけだ。  
望はこれ見よがしに深く溜息を吐いてから、のろのろと椅子から立ち上がった。  
「……もし治らないようでしたら、一応病院に行くんですよ」  
「先生のお兄さんのとこですか?」  
「あそこ以外、です」  
ベッドの周囲を囲むカーテンを開きながら言うと、くぐもった笑い声が背中を擽った。  
 
◇ ◆ ◇ ◆  
 
「……悩み聞いてもいないのに、眠れなくなってどうするんですか」  
時刻は午前0時になろうとしていた。  
望は天井の染みをぼんやりと見つめつつ、不貞腐れたような声でぼやく。  
隣では交がスヤスヤと、こっちの気も知らず幸せそうな寝息を立てていた。  
まぁ甥に罪はない。眠れないのはきっと、昼間これ見よがしに倒れた誰かさんの所為だ。  
無意識に眉間に皺が寄る。  
さっきから何度も眠気の波は襲ってくる。けれど意識が落ちるその寸前に、  
青白い顔に笑顔を張り付かせた女生徒の姿がチラついて、目が覚めてしまうのだ。  
苛立たしげに布団を被りなおす。  
数分もしないうちに寝返りをうって、ようやく彼は、このまま眠る事は無理だと認めた。  
諦めて目を開く。視界に、枕元に置いた携帯が映った。  
「……眠れているでしょうか」  
旧式の携帯を見つめながら、小声で呟く。  
電話してみようか。いや、もし眠っているならむしろ邪魔にしかならないだろう。  
もう日付が変るような時間なのだ。眠っている可能性の方が高い。  
だがこのままでは自分が眠れない。そうだ、そもそも眠れなくしたのは彼女なのだから、  
意趣返しとして電話くらいは許されるだろう。そうだ。そういう事に今決めた。  
「よし」  
言い訳成立。  
そのわりには微妙に自信なさそうな笑みを浮かべつつ、望はゆっくりと携帯に手を伸ばした。  
 
 ◇ ◆ ◇ ◆  
 
日付が変った。  
可符香はすっかり眠ることを諦めて、枕を抱きながらベッドの上に座り込んでいた。  
曇り硝子のような瞳には、壁に掛けてある時計が映り込んでいる。  
息が荒い。熱にでも浮かされたように胡乱気な眼差しで、  
口を半開きにして時計を見つめる彼女からは、淫靡な雰囲気が漂っていた。  
肩までずり落ちたパジャマから覗く細い肩が、呼吸の度に上下する。  
内側から生じる熱は、何もウィルスと白血球が戦っているからではない。  
「……は、ぁ……。あ、ぁ……」  
吐息の中に混じった声は、助けを求めるようにか細く弱々しい。  
 
モゾモゾと身体を揺り動かす。太ももをすり合わせると、くちゅ、と湿った音が聞こえた。  
下着と下の唇が、愛液に塗れて擦り合わさる。  
その感覚を追うように、可符香は枕を抱き潰すようにしながら、身体を揺り動かしていた。  
「……どうせ、駄目、なんですけど……ね……」  
呼吸の震えが激しくなっていく。悲しくもないのに、じんわりと涙が滲んでくる。  
いつの間にか無意識に、パジャマの隙間から手を突っ込んで、自身の胸を掴んでいた。  
揉むというよりも握り潰すような荒々しさで、まだ少し固さの残る乳房をこねくり回す。  
そこに快感はない。強く力を入れすぎている所為で、痛みしか感じられなかった。  
それでかまわない。腹の底から湧き上がってくる情欲に対抗するように、自ら痛みを求めていた。  
けれど茂みの奥は熱い杭を求めて秘かにひくついて、身体の熱は増していくばかり。  
「ッ、ッ……う……ん…ッ…」  
いつの間にか泣いていた。  
小さな嗚咽を漏らしながら、可符香は糸の切れた操り人形のような唐突さで、抱きしめた枕と共に深くベッドに身を沈めた。  
「……は…ぁ……」  
ゆっくりと目を細めると、目尻に溜まった涙が頬を伝った。  
温かな雫の感触が、愛しい指先が頬を撫ぜた記憶を思い出させて、余計に息が苦しくなる。  
「―――」  
無意識に唇が誰かを呼んだ。声は出ない。  
昨夜と同じように、この一晩を渇望に耐えながら過ごす覚悟を固めて、可符香はより強く枕を抱きしめた。  
 
唐突に流れ出したハマショーの着メロが、悲観的気分をぶち壊す。  
 
自分で設定しておきながら、あんまりなタイミングにキョトンとしてしまう可符香。  
そもそも、こんな真夜中に着信があるなんて思わないだろう、普通は。  
「……誰、かな」  
ふいに脳裏に過ぎった都合の良い名前を、それはナイと頭を振って掃いながら、携帯に手を伸ばす。  
 
――その都合の良い名前が、そのまま携帯の画面に光っていた。  
 
◇ ◆ ◇ ◆  
 
三回。  
三回コールして出なかったら、寝ていると判断しよう。  
そう心に決めて、望は荒くなる呼吸を静めようと努めながら、静かに携帯を耳に押し当てていた。  
何故か加速する心音が煩く耳の奥に響く。コールの音よりも煩く感じた。  
眠っている交を起こさないよう宿直室から出て、今は廊下の窓から青白い月を見上げている。  
――三回目のコールが終わった。  
「……」  
携帯が手元にない可能性も考慮しよう。近くになかったら、起きていたとしても取るのに時間が掛かる筈だ。  
七回。七回コールして出なかったら、今度こそ切ろう。  
そう心に決めて、少し強く耳に携帯を押し当てた。何故だか、携帯を持つ手が震えている。  
――七回目のコールが終わった。  
「……もう少し……」  
十回。十回コールして出なかったら、今度こそ―――。  
青白く光る月が、嗤うようにこちらを見下ろしているように見えて、望は眉間に深く皺を刻んだ。  
 
『――先生?』  
電話口から声が聞こえたのは、十五回目のコール音が止んだ時だった。  
もはや諦め初めていた望は、耳朶を擽るか細い声に心底驚いて、思わず携帯を取り落としそうになってしまう。  
「あ、あ、ぇ、あっと……。ふ、風浦さんですよね?」  
裏返った声が可笑しかったのか、電話の向こうで可符香が盛大にふきだした。  
しばらくクスクスと笑い声だけが聞こえて、  
『はい、私ですよ。風浦可符香です。こんな時間にどうしたんです? 先生』  
深夜に電話。その上開口一発妙な事を口走る。そんな自分の常識外れな行動を、  
可符香の笑みを含んだ声音が余計に意識させた。  
 
背中に嫌な汗が流れる。そもそも、彼女に電話して何を話そうと言うのだろう。  
「いえ――その。ちゃんと眠れていたか心配で……」  
そんな理由で安眠妨害の電話を掛けるなんて、それこそ本末転倒だ。  
僅かな沈黙を挟んで、望は諦めたように肩の力を抜いた。  
結局の所、  
「……声が聞きたかっただけ、です」  
そんな、子供じみた馬鹿らしい理由だったのだと、不承不承認めつつ、  
特に言い訳も思いつかなかったので、気持ちをそのままに伝える事にした。  
『……あはは』  
てっきり呆れたような言葉が返ってくると思ったが、  
予想に反して耳朶を擽った笑いは、今にも泣き出しそうな程に擦れていた。  
もしや呆れが限界突破して泣いてるのかと誤解して、望は冷や汗をかきながらワタワタと慌ててしまう。  
「い、いや分かってたんですよ? もし眠ってたら邪魔にしかならないだろーなー、とかッ。  
 でもですね、何といいますか。その、昼間あんな事言われて気にならないわけがないというか、  
 ぶっちゃけ私の安眠を返して欲しいと言いますかッ!」  
しかし口から出てきたのは謝罪ではなく、子供じみた言い訳だった。  
自分でも何を言いたいのかわからないほど混乱している彼の様子が電話越しに見えるようで、  
可符香はベッドの上で仰向けに寝転がりながら、穏やかに、静かに深く吐息を吐いた。  
『――じゃ、私もぶっちゃけちゃいますね』  
「ん、あ、はい?」  
なんて事のない、いつもの口調で、彼女は一言。  
 
『寂しかったんです』  
 
必死に次の言い訳を考えて熱暴走していた頭に冷水を浴びせられたように、望は息を呑んで固まった。  
『はじめて一緒に寝た時のこと、覚えてますか?』  
「あ……、当たり前じゃないですか」  
いつか抱きしめた少女の肢体が鮮明に蘇って、月明かりの中でもそれと分かるほど顔を赤くする望。  
『知識としては知ってたんです。男女の交わりとか、気持ち良くなる方法。  
でもですね。先生と一緒にするまで、実際どんなモノか経験した事なかったんですよ、私』  
「それは……」  
そうだろう、と内心で続けた。彼女のはじめての証である処女は、確かに自分が貰ったのだから。  
痛みを堪えて涙目で見上げてくる可符香の姿が蘇って、思わず前かがみになる。  
『もちろん処女云々もそうです。それだけじゃなくて――性的な快感そのものを、私は知らなかったんです』  
 
性に目覚める年齢は人それぞれだが、一般的に性欲の全盛期は、中学生頃から高校生頃と言われている。  
早い人なら小学生から自慰にふけっていただろうし、逆に遅い人も居るだろう。  
可符香が知識としてソレを知ったのは、小学生の頃だった。  
けれど特に興味を持てなくて、自ら自慰や遊びに踏み出す事はしなかった。  
 
中学生になれば、クラスメイトがそういう話題を持ち出す事も多くなった。  
人の心を掌握する一つの手段になるだろうか。そんな考えで、自ら試してみた事もあった。  
けれどどんなに自分で触ってみても、話に聞くような快感は得られない。  
触れ方が悪いのかと、色々調べてみたりもした。  
だがどんなに試してみても、皆が夢中になるような快感はどこにもない。  
結局彼女は諦めて、知識として覚えておくだけに留めた。  
身を持ってその感覚を知らなくても、人の心を弄ぶには十分だった。  
 
時が過ぎて彼女は高校生になり、快感を知らぬまま、愛しい男に身を委ねた。  
そこで彼女ははじめて知ったのだ。思考が霞みがかって、身体の奥が痺れる程の快感を。  
可符香も高校生というお年頃。はじめて得た性的快感に夢中になるのは、そう不思議なことではなかった。  
だが。  
 
『あんまり頻繁におねだりもできないじゃないですか。二人きりで会う事すら少ないのに。  
 だから自分で静めようとしたんです。先生にどう触られて気持ちよくなったか、思い出しながら』  
はじめて得た快感を、一人になると思い出す。  
抱きしめられて満たされる安心感。撫でられて、呼吸を狂わされる焦燥感。  
夜毎火照る身体は、ただ一人の男を求めて酷く疼いていた。  
けれど、潤む秘所に指を這わせても、固くなった乳頭を苛めても、その指は男のものではない。  
触れる体温は紛う事無く自分のもので、いくら望との性交を思い出してみても、望の愛撫を再現してみても、  
そこには心がなかった。  
意識が爆ぜる最後の最後で、急速に心が冷めてしまう。  
けれど身体の奥で燻る熱は冷めず、彼女の意識を犯していく。  
――切なくてしょうがなかった。  
 
『そんなこんなで、ここの所ずっと寝不足だったんです。やらしいでしょう? 私』  
自嘲するような響きを含んだ声。  
彼女は今夜も眠れていなかったのだろうか。だとすれば、いったいどんな想いでいたのだろう。  
電話に出た時の彼女の声を思い出す。泣いた直後のような、擦れた声音を。  
望は乾いた喉に、無理矢理唾を押し込むように喉を鳴らした。  
「――絶望しました。自分のあまりの不甲斐なさに」  
『あはは。今更ですよー』  
茶化すように笑う可符香。  
望は深く俯いて、今すぐ彼女の元に駆け出したい衝動を抑えるように身を震わせた。  
「……今度、二人でどこかに行きましょう」  
『お泊りで?』  
「もちろん」  
口の端に笑みを乗せて応えると、電話の向こうで可符香が寝返りをうったのがわかった。  
 
『やった。おねだり成功です』  
 
答える声からは、堪えきれない幸せの空気が伝わってきた。  
 
 
『それじゃあ先生。ついでにもう一つ、おねだりしても良いですか?』  
「この流れで断れると思います?」  
くぐもった布ずれの音に、可符香の忍び笑いが飲み込まれた。  
『えへへ、ですよね。それじゃあ……、私の安眠に協力して下さい』  
子守唄でも歌え、という意味ではもちろんなさそうだ。  
望は更に前かがみになりつつ、自重しない自らの下半身に心底嫌になりながら答えた。  
「い、今すぐ行きます。走って行きます」  
『そこまでは望みませんよぉ。先生は、ただ喋ってくれてるだけでいいんです』  
「?」  
首を傾げていると、ゴソゴソと可符香が身じろぐ音がした。  
 
◇ ◆ ◇ ◆  
 
「先生は…ッ、何もしなくて、いいですから」  
ショーツの上から自らの秘所を撫でつつ、可符香は肩と耳の間に挟んだ携帯電話に、わざと熱い吐息を吐いた。  
息を呑む気配。どうやらこれから何をするのか気付いたようだ。  
電話の向こうでオロオロする望の姿を想像するように、可符香は楽しげに瞳を閉じた。  
『ふ、風浦さんッ。あの……ッ』  
「先生の声……聞いてるだけで。自分でするよりずっと、気持ちよくな…ッ…ちゃ…って」  
意識せずとも言葉が途切れる。荒い息を吐きながら、堪えきれずショーツの中へ指先を滑らせた。  
『……ッ……』  
望の呼吸も乱れ始めている。まるで可符香の興奮に呼応するように。  
「ん……――んんんッ!」  
膨らんだ陰核を皮の上から押し潰すように刺激すると、否応にも身体がはねた。  
『……今、どこを触ってますか……?』  
どうやらあっちも気分が乗ってきたようだ。  
いつもより幾分低い声にゾクゾクして、可符香は乾いた唇を舐めた。  
「ん、下の方……です。何なら、もっと詳しく言いましょうか?」  
 
『え。あ、いや……。そ、そこまでは、その……ッく……』  
そっちが恥ずかしがってどうする。  
どうやら、気分が乗っても望は望らしい。  
クスリと苦笑しながらも、あまりにらしい反応に胸の奥が温かくなった。  
「ッぁ、あ……。せんせ、黙らないで下さい……」  
『――ッす、すみません。えぇっと……ぅ、困りました、ね……』  
「喋りながら自慰って、難しいですか?」  
『――ぇうッ!!?』  
「あっははー。バレてますよ、先生も息荒いですもん」  
『ど、どこかから見てるんじゃないでしょうね……』  
「わかりますよ。先生の事ですから」  
『答えになってませ、ッ……』  
「アハハッ。先生の声、良い……なぁ……ッ」  
秘所で蠢く指の動きが、意識せずとも早くなる。  
それに合わせて呼吸も忙しなくなり、電話の向こうの望にも、彼女の絶頂が近い事が伝わっていた。  
「あ、あ、ぁ――んんんぅぅぅ……ッ……」  
『……ふ、うら、さん。もう……?』  
可符香はもう「はい」と答える事すら苦しくて、見えないとわかっているのにコクコクと頷く事しか出来なかった。  
見えなくとも切羽詰った空気は伝わったようで、望の呼吸も興奮に擦れて、忙しなくなっていく。  
『……ぁ、く……。風浦、さ――ッ……』  
上ずった声が耳朶を擽る。それがトドメだった。  
 
「ッッッ!! ぁ、んんんんんん―――……ッ!!」  
『―――ッッ!!』  
 
食いしばった歯の間から、抑えきれない喚声が漏れた。  
身体がはねて、シーツに後頭部を押し付けるように悶える。  
小刻みに襲ってくる震えに合わせて、小さな声が断続的に漏れた。  
――しばらくそうして、久方ぶりの絶頂の余韻に震えていると、電話の向こうから小さな声が聞こえてきた。  
そこでようやく、いつの間にやら携帯を放り出していた事に気付き、慌てて耳に押し当て直す。  
荒い呼吸をぬうように、望が何か言っていた。  
けれどその声はあまりに小さく、しかもこもって聞こえて何を言っているのか聞き取れない。  
『―――せん』  
「はい?」  
 
『……い、一泊二日の温泉旅行ッ! 詳細は、また後日にッ!!』  
 
「わっ」  
声量の調節を失敗したらしく、今度は煩すぎる声が耳を貫いた。  
驚いていったん携帯を離し、もう一度そっと耳を傾ける。  
――通話は既に切れていた。  
「……えっと。温泉旅行?」  
不可思議な捨て台詞の意味は、自ずとすぐに理解できた。  
ジワジワと嬉しさがこみ上げてきて、可符香は身体からその幸せが溢れないように、頭からシーツを被る。  
携帯をギュっと握り締めて、だらしない笑みを浮かべながら、  
「私、箱根が良いです。先生」  
今頃きっと顔を赤くしているであろう愛しい人に、悪戯っぽく呟いた。  
 
――その愛しい人は、廊下の壁に寄りかかって座り込み、  
「……絶望した……。後先考えずに、こんな所で……」  
白濁に塗れた自分の手と、廊下にぶちまけた液体の処理に絶望していた。  
 
翌日、可符香の隈はスッキリ消えていたが、  
担任教師の目の下には、クッキリと隈が出来ていたらしい。  
 
 

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