春、卯月。  
「……何をしているんですか、貴女は」  
ひらり、ひらり。  
「先生こそ、何やってるんですか?」  
桃色ガブリエルと名付けられた桜の下に、寝転がって花を見上げる少女が1人。  
その傍らに立って、困ったように少女を見下ろす青年が1人。  
「書店へ行った帰りです、貴女は?」  
「私はここで、お花見です」  
答えながらも起き上がる気配は一切見せない可符香に、周囲を見回す。  
「それは結構ですが……公道でしょう?ここは」  
「大丈夫ですよぉ。制服はちゃんと帰ってからお洗濯しますから」  
「そういう問題ではありません」  
言いながらため息をつくものの、車や自転車はおろか、歩行者すら近付く様子がないことに  
まあいいか、などと考えて自分も腰を下ろす。  
ひらり、ひらり。  
見上げれば、一面に広がる桜色。そこから思い出したように落ちてくる花びら。  
ぽかぽかと暖かく降り注ぐ日差しに、冬の終わりを実感させる柔らかい香りの空気は、確かに花見でもすれば  
気分がよかろうと思わせるのに十分過ぎるほどの力を持っていた。  
ぼんやりと花を見上げる望に、可符香が声をかけてくる。  
「気持ちのいい日ですね、やっぱり春ですね」  
「そうですね、暖かくなって雪解けの樹海からいろいろと発見される頃でしょうね」  
あいも変わらずどよんどとした発言だが、少女の明るい声がその空気を吹き飛ばす。  
「そうですよ、雪解けを迎えていろいろな草花が芽吹き、樹海に華を添えてくれるんです。  
 樹海へ迷い込んでしまった人たちはその美しさに心惹かれて夢中になっているに違いありません」  
さすがと言うべきか、自分のそれから微妙にずらされた話にはあ、と適当に相槌を打ちながら横目で可符香の笑顔を見下ろす。  
「それで、夢中になっているうちにその草花の栄養になるんですか。何かの食虫花みたいですね」  
根元に死体が埋まっているから、美しい花が咲く――ああ、それは桜か。  
「嫌だなぁ、下に死体が埋まっているのは桜ですよ、先生」  
まさしくピンポイントで自分の考えを読まれたような気がして、望はぎょっとして少女に向き直った。  
ん?とでも言うように邪気のない笑顔でこちらを見上げてくる可符香の顔をまじまじと見つめる。  
「どうかしたんですか?先生」  
「あ……いえ」  
ぶるぶると首を振って誤魔化すように再び桃色ガブリエルを見上げた。  
ひらり。  
袴の上に落ちてきた花びらを手で払う。払い落とされ、地面の上に美しく浮かび上がった桜色。  
 
「先生、私、人を埋めたんですよ」  
 
いつものポジティブ声で独り言のように呟かれた言葉を、最初は何かの聞き間違いかと思った。  
「……は?」  
「人を殺して、埋めたんです。あはは、何だか千里ちゃんみたいですね」  
見下ろした少女はいつものように屈託なく笑って桜を見上げている。だから、何かの冗談だと思った。  
「私と同じ年の女の子だったんですけど。高校に入る少し前だったかなあ、気付いちゃったんですよ。  
 その子がいると、私はどんなに頑張っても前向きに明るく生きられないって」  
ひらり。  
短い黒髪に鮮やかに浮かび上がった桜色。それを払い落とそうともせず、可符香は続ける。  
「私が前向きに生きるには、その子を殺すしかないって、分かっちゃったんですよ」  
明るく、微笑を絶やさずに話すその内容は、あまりにもその表情にそぐわないはずなのに。  
「だから、殺しちゃったんです。結構あっけなかったですよ。なーんだこんなに簡単なんだって、笑っちゃいました」  
ひらり、ひらり。  
舞い散る桜の花びらの中で語られるその言葉を、性質の悪いからかいだと思いたかった。  
「先生、桃色ガブリエルがこんなに綺麗なのは」  
聞き間違いでも冗談でもからかいでも、何でもいい。真実ではないと思いたかった。  
「ここに、その女の子が埋まってるからなんですよ」  
 
ひらり、ひらり、ひらり。  
 
「――あの、」  
ひどく掠れた声が喉から漏れる。ん?と再度見上げられて、思わず1つ深呼吸をした。  
「何ですか?先生」  
「……いえ、あの……」  
「ぷっ」  
言い淀んでいると、急に可符香が吹き出した。手で花びらを払いのけながら楽しそうに笑い出す。  
「嫌だなぁ、そんなこと本当にあるわけないじゃないですか。先生、ひょっとして本気にしちゃいました?」  
「……あ」  
また、遊ばれた。だが不思議と絶望よりも先に安堵が心に浮かんできて、慌ててかぶりを振る。  
「や、止めて下さいよ。猟奇オチ要員は木津さんだけで十分です」  
「あはは、先生ってすぐに信じ込んじゃうんですね。育ちがいいからですか?」  
「そうじゃありません、身近にすぐ埋めようとする人がいるのが悪いんですっ」  
「あはは」  
笑いながら何事もなかったように桜を見上げる可符香を見つめることしばし、大きく息をついて  
いつの間にか強張っていた肩から力を抜く。  
「正直に言いますと、信じてしまいそうになりました」  
「あら、それじゃ私の演技力も捨てたものじゃないんですね」  
ニャマリと笑う可符香に苦笑で応えると、袴についた土埃を払いながら立ち上がる。  
「お帰りですか?」  
「ええまあ、もうしばらくゆっくりしたいんですけど、交に留守番させてしまっているもので」  
 
きっと今頃『叔父さん、遅いなあ』と文句を言っているに違いない。  
「そうですか。それじゃ先生、お気をつけて」  
可符香が寝転がったままこちらに手を振る。それを見下ろして――再び少女の脇にしゃがみ込んだ。  
「先生?」  
不思議そうに声を上げる少女の髪にそっと手を伸ばし、払う。  
「貴女も早く起き上がったほうがいいですよ、こんなに土や砂をつけてしまって。体も冷えますよ」  
「―――――」  
「……風浦さん?」  
何も答えないままこちらを見上げてくる少女に首を傾げる。と、可符香がにこりと目を細めて笑った。  
「――大丈夫ですよぉ。私、平熱高めなんです」  
「そういう問題ではありません」  
「分かりました。もう少ししたら起きてちゃんと帰ります」  
「ええ、それがいいと思います」  
ゆっくり立ち上がりながら頷くと、可符香が再度手を振った。  
「さよなら、先生。交君によろしくお伝え下さい」  
「分かりました。風浦さんも気をつけて帰ってくださいね」  
そんな別れの言葉を交わして、並木道を学校へ向かって歩き出す。  
ふと顔だけで振り返ると、可符香は未だそこに横たわって桃色ガブリエルを見上げていた。  
 
 
ひらり、ひらり。  
不意に目の前に舞った桜色に立ち止まる。  
振り返れば、もうかなり後ろにかろうじて見える桃色ガブリエル。根元の部分はここからでは見えない。  
――真実ではないと思いたかった。  
隙あらばいつでも心の中に入り込み、他人を扇動してからかって弄んでくる少女。風浦可符香。  
そんな彼女の突拍子もない発言なのだから、いつものごとく『また私で遊んでいますね!絶望した!』とでも叫べば  
それで彼女は満足だったのではないか、とすら思う。  
それなのに少女の言葉を一瞬でも信じてしまったのは、あの目を見てしまったからだ。  
――深い闇を湛えたような、笑顔とはあまりに不釣合いな、あの目。  
そう言えば、明るいポジティブ声も本当にいつものものだっただろうか?  
どこか硬さのある、無理のあるものではなかったか――  
そこまで考えて、ぶんばぶんばと首を振って  
「……馬鹿馬鹿しい」  
と呟いた。  
 
彼女本人が言ったとおり、そんなことが本当にあるわけがない。いつものように自分をからかって  
騙されかけて青ざめた自分を見て笑っていた。ただそれだけのことに違いない。  
ただ、それだけのことに、違いない。  
そう、思いたかった。  
ひらり。  
そよ風に運ばれた花びらが、足元に落ちる。  
桃色ガブリエルの根元に、真っ白いセーラー服で横たわって桜を見上げていた少女。  
その光景を思い出しながら、まるで彼女自身が今から埋められる死体のようだ。そんなことを心の中で呟いた。  
 
 
ひらり、ひらり。  
舞い落ちてくる桜色に目を細める。  
寝転がったまま首だけを巡らしてみるが、もう担任教師の姿はここからでは見えない。  
――あの、と声をかけてきたときの緊張に強張った表情を思い出して、くすくすと笑う。  
よほど自分の話に真実味があったということだろう。  
それはそうだ、ほぼ真実なのだから。  
高校入学の前夜、大きく咲き誇ったこの桜の木の下で、1人の少女を殺して埋めた。  
それまでの人生の嫌な記憶を、悲しい記憶を、苦しい記憶を全て抱えた少女を。  
これからはポジティブに生きるのだとそう決めて、もう二度と私の中に現れないでとそう言って、自分は――『風浦可符香』は  
『赤木杏』という少女を笑いながら殺したのだ。  
殺した、はずだったのだ。  
それなのに。  
「……なんででしょうね、先生」  
彼の去った方向を見たまま、ぽつりと呟く。  
彼と話していると、一緒にいると、不意に気付いてしまうのだ。  
殺して埋めたはずのその少女が、生き返ろうとしていることに。  
生き返って、自分のすぐ傍まで近付いてきていることすらあることに。  
「なんででしょうね」  
ひらり。  
頬に落ちた花びらを、手で払う。  
「どうしようかなぁ」  
ひらり、ひらり。  
「どうすれば、いいのかなぁ……」  
桜の下には、自分が殺したはずの少女がいる。死体こそ埋まってないけれど。  
いっそ、彼が掘り起こしてくれるまで待ってみようか。そんなことを心の中で呟いた。  
 

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