眩しい緑が、さわさわと揺れる、午後のこと。  
開け放された窓から入ってくる爽やかな風が、中間服の白い袖を膨らませ、緩やかに通りすぎていく。  
いつものように何かに絶望したらしい担任教師が、今しも首をくくろうと梁に縄をかけ、固く結んで作った輪の中に首を通そうとしている。  
 
 
かすかに乱れたスカーフを手で押さえながら、しくしくと涙を流して台から脚を下ろそうとしている担任――糸色に、少女はにこやかに笑いかけた。  
「先生、今日はどうしたんですか?」  
「みんなの爽やかさに絶望したので、死のうと思います」  
「爽やかなのはいいことじゃないですか」  
相変わらず、つまらないことで死にたがる人だ。  
内心で苦笑しながら、にこやかにそう取り成すと、糸色は神経質そうに眉をしかめて眼鏡を押し上げた。  
「いいえ! 人間というのはもっとどろどろとして汚いものなんですよ!」  
「そうですか」  
「そうです! ましてやうちのクラスの生徒があんなに爽やかだなんて! ありえません!」  
だから死にます、と再び縄に手をかける彼を制止して、少女は底抜けに陽気な笑みを浮かべる。  
「いいじゃないですか。みんな青春なんですから、爽やかにもなりますよ」  
「現実を見据えなさい! 今のご時世爽やかな高校生なんざいませんよ!  
例え一見爽やかに見えたとしても、裏で恐ろしいほどえげつないことをしているものですよ!   
うちのクラスの生徒が一見でも爽やかに見えるということは、その数十倍はえげつないことをしている証拠です! 絶望した!」  
「そんなことないですよ」  
尚も叫ぶ糸色を、にこにこと笑顔でおしとどめた少女は、首を吊ろうとする彼の手を引いて、廊下に座り込んだ。  
死にたがっていた割には、案外と素直にそれに従い、糸色は少女の隣に腰を下ろす。  
「うちのクラスの皆は、本当に爽やかなんですよ」  
「……そうは思えませんけどねえ。特に、あなたは」  
「私はとっても爽やかですよ。青春してます」  
一見邪気のない笑みを浮かべる少女を苦笑して見やりながら、糸色は大きなため息をついた。  
はあ、と静かな廊下に彼の吐いたため息が思いのほか大きく響き渡る。  
「……そういえば、ここで何をしていたんですか? 授業中ですよ?」  
「先生に言われたくないですけど、探し物です」  
「私は今の時間は受け持ちの授業がないからいいんです。何を探してたんですか? こんな所で」  
軽く胸を張って言った糸色は、こんな所、と周囲を見回した。  
今は使われていない旧校舎には、当然のことながら人影はない。  
グラウンドから響く、微かな歓声だけがかろうじて、学校の面影を残していた。  
 
「先生を」  
「私をですか? ……まさか、また何かあったんじゃないでしょうね」  
「いいえ。個人的に探していただけですよ」  
頭を抱えてうめいて糸色を慰めるようにして、少女は彼の肩に手をかける。  
顔を覗き込むようにして、その耳元に小さな声で囁く。  
「ねえ、先生。なんでそんなふうにすぐ死にたがるんですか?」  
「この世の何もかもが私を絶望させるからですよ!」  
少女の真剣な眼差しに若干たじろぎながらも、糸色はそう吐き捨てた。  
その答えに微かに顔を顰めた少女は、嗜めるように彼の肩を叩くと、さらに続けた。  
「じゃあ、絶望しなければいいじゃないですか」  
「簡単に言わないでください! できるものならそうしています!」  
「私、その方法知ってますよ?」  
噛み付くように、大人気なく言い返す糸色に、少女はにっこりと微笑みかける。  
「簡単です。世界が変わって見えますよ」  
「……あなたのことだから、どうせおかしな薬とかでしょう? 嫌ですよ」  
「いいえ、先生。もっと簡単で、もっと単純で、もっともっと健全です」  
怯えたように身を震わせて、イヤイヤをするように首を振った糸色の顔は若干青褪めている。  
普段の少女の、ある意味あの真ん中分けの委員長に匹敵する暴走振りを身を持って知っている彼だけに、その反応は当然と言えた。  
あまりといえばあまりな言われようにも、少女は苦笑いを浮かべるだけですませる。  
「先生、本が好きでしょう?」  
「それなりには、読むほうだと思いますが」  
「よく言うじゃないですか。恋をすると世界が違って見える、って」  
だんだんと距離を詰めていった少女は、糸色の肩を壁に押し付け、彼の目の前へと移動すると、微笑んでそう言った。  
必死に目をそらせる糸色に、少女はゆっくりと顔を近づけていく。  
「……使い古されすぎたネタに、絶望します」  
「そんなこと言わないで下さいよ。私、わりと本気です」  
「余計に絶望度が増しました。……近い! 近いですよ! 離れましょう、風浦さん」  
いつのまにか、額が触れそうな距離にまで近づいている少女の顔に狼狽し、糸色は必死で言い募った。  
「私は! 犯罪者になるのはごめんですよ!」  
「合意だって証言してあげますよ」  
「例え合意の上だろうが、未成年とのアレコレは犯罪なんですよ!」  
全く頓着しない様子の風浦は、糸色の和服を乱し、中に着込んだシャツのボタンを外していく。  
わたわたと慌てる糸色は初めて触れる他人の指の感触に息を飲み、動揺のせいでろくな抵抗ができない。  
 
「バレなきゃ大丈夫です」  
「なんなんですか貴方は! 全く爽やかじゃないじゃないですか!」  
「爽やかさに絶望してたんだから、爽やかじゃない事には安心してくださいよ」  
ついに袴にまで手をかけ始めた少女に、糸色はもはや口だけでも、と言い募る。  
もどかしい愛撫に力の抜けた体を、少女の白い手が掠めていく。  
「……なんなんですか、風浦さん。いつにも増して意味がわかりません」  
「言ったじゃないですか。私、爽やかに青春してるんです」  
「まさか、恋、とかいうオチじゃないでしょうね。私と貴方の間で」  
本気で恐ろしそうに目を剥く姿に、内心でこっそりと傷つきながらも、少女は手を止めない。  
快感に、微かにうめく糸色をどこかうっとりとした目で見つめながら、少女は囁く。  
「そうですよ。私と先生の間に」  
「……今日一番の絶望です」  
「先生は、酷い人ですね」  
目を伏せて、セーラーの襟に手をかける少女をわたわたと止めながら、糸色はうめく。  
「本当に、一体どうしたんですか風浦さん」  
「ふざけてるわけじゃないですよ。私、先生が好きなんです」  
にこり、と笑いながら、今度はスカートの裾を持ち上げ始めた少女に赤面して、糸色は口元を手で覆った。  
性に疎い糸色にとって、生徒といえど年頃の少女のあられもない姿は刺激が強すぎる。  
「やめてください。死にたくなります」  
「先生は、本当に酷い。私は、先生に死んでほしくないんですよ。好きな人にはこの世に絶望なんかして欲しくない」  
「……わかりました! お気持ちはありがたく受け取ります! 今後あまり絶望しないように努めます! 勘弁してください!」  
ぎゃあぎゃあと喚く糸色を意に介さず、少女は下着に手をかけて、躊躇いなく引きずり落とした。  
壁にぴったりと張り付いて、追い詰められたように震える糸色に、少女は口付けを落として彼を黙らせる。  
「先生、好きですよ」  
「……もう絶望しませんから、マジで勘弁してください」  
「あら、先生お言葉が」  
くすくすと、彼の実家の執事を真似て笑った少女は、ゆっくりと彼に圧し掛かっていく。  
甘い息が糸色の首筋に触れ、不覚にもソレに反応を見せてしまった彼はますます落ち込んだ。  
「ね、いいでしょう?」  
「うううう」  
「好きですよ、先生」  
囁かれた言葉に、糸色は涙声で呻きながら俯いた。  
その白いうなじを甘く噛み、舌でなぞりながら、少女は彼を自らの内部へと導いていく。  
旧校舎の中に、荒い息と押し殺した喘ぎ声、そして微かな水音だけがしばらくの間響いていた。  
 
 
 
「全く、貴方という人は」  
「世界とか、変わりました?」  
照れくさそうに衣服を整えながら、糸色はため息まじりに彼女を嗜めた。  
にこにこと微笑む彼女の制服は未だ乱れたままで、妙に生々しい素肌にはいくつかの跡が見え隠れしている。  
その様子に頬を染めながら、糸色は何かを言い募ろうとしていたが、やがて諦めたように肩を竦めた。  
「ええ、確かに変わったような気がします」  
「それはよかった」  
「といっても、どうせ一時的なものです。どうせ人間は根本から変わることなどできはしないのですからね」  
皮肉げに吐き捨てた糸色の、汗で張り付いた前髪を払って、少女は彼の額へと口付ける。  
「それなら、先生が世界に絶望するたびに、私が世界を変えてあげます」  
「…………ものすごい問題発言だと思うのですが、気のせいでしょうか」  
「気のせいじゃないと思います。嫌ですか?」  
彼女らしい壮大な言葉で、遠まわしに次回を仄めかせた少女に、あんぐりと口を開けた糸色は、はっとしたように口を閉じる。  
その口元の端に口付け、少女はさらに言い募った。  
「ねえ、好きですよ、先生。死なないで下さい。死ぬような真似、しないでください」  
「……私もね、貴方のことは、実はそれほど嫌いでもありませんよ。……むしろ、羨ましいときもある」  
ふっと顔を和ませた糸色は、初めて自分から、少女の唇に口付けを落とした。  
その行為に微かに頬を染めながら、少女は満面の笑みで彼に言う。  
「お似合いじゃないですか、私たち」  
「……本当に、ポジティブですね貴方は」  
苦笑して、少女の髪を撫でた糸色は立ち上がり、傾いた陽を見つめる。  
その後姿を見つめながら、少女が小さく、しかしこの上なく幸せそうに微笑んだ事に、糸色が気付くことは――残念ながら――無かった。  
 
 

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