「ずっと前から好きでした、どうか俺の傍に居てください!」
◇ ◇ ◇
大地をじりじりと焦がす太陽は必要以上に自身の持つ特性を発揮する。
額に浮かぶ汗はそれによって生み出されたものだ。
夏の暑さと巧みなハーモニーを奏でる虫の鳴き声は、只今下校中である少女の内に、次第に苛立ちを募らせていった。
そして呟いたのは、
「あぁ、早く帰ってクーラー浴びたいよ」
普通の一言。
無論、何がおかしいというわけではない。
――――普通、との言葉はただそこにあった真実を述べているだけである。
「………お」
日塔奈美は曲がり角を勢いよく曲がった。
すると前方に見えたのは見覚えのある二つの背中。
一つはクラスメート、性格を表しているかのように丸まった背中―――加賀愛。
その後ろを行く一つは別のクラスの知人、前方を歩く愛を尾行するように慎重な速度で移動を図る木野国也。
彼がどんな意図で彼女の跡を追っているかは大体想像できること。
奈美は邪魔しては悪いかと道を変えようとするが、他人の恋路のためにそこまでしてやる自分もどうなんだと結局方向転換はしなかった。
暇つぶしにじっと木野の背を見つめながら奈美は道のど真ん中を堂々と歩き続ける。
恋愛か。
そういえば最近…いや、高校に入ってから一度もしてないな。
中学のときは……友達と騒ぎたいがためによく無理矢理好きな人を作ってキャーキャー言ってた気がする。
そんなことやってたらいつのまにか自然に好きになってたりしたっけ。
だけど最終的にはいつも本気になるのが遅すぎるから別の人と両思いになって、私もすぐ諦めてた。
高校になってもまた同じことするのかなとか思ってたけど、そんなこともなかったなぁ。
どうせあんな面子を好きになっても、発展無しのままお前普通だなって馬鹿にされるだけだし。
そう考えるとみんなは良いな、普通じゃなくて。学校内でも自由に恋愛できるじゃない。
私もあんなふうに誰かに夢中になったりしてみたい。楽しそうだもん。
「……あれ?」
思考を止め不と意識を現実に引き戻すと愛が自宅に入っていく姿が見えた。
いつの間にやらこんなところまで差し掛かっていたのか。
木野といえば近くに停車してあった車の影に隠れ、扉の向こうへと姿を消す愛を最後まで見届けていた。
(………完璧にストーカーだよ、あの人)
◇ ◇ ◇
木野国也はチャイムが校内に放課後の知らせを届けると共に勢い良く教室から廊下へと飛び出す。
帰りの礼が終わっていなかったため背後からは担任の怒声が聞こえた気もするが、今は説教に付き合っている暇などない。
何故彼が今日こんなに張り切っているかというと、心の中である決意を固めていたからだ。
――――今日こそ加賀さんと一緒に帰る!
…勿論彼が言っている"一緒に帰る"の意味は横に並んで男女睦まじく下校をするという意味で。
確かに一緒に帰ってはいるが、こんな風にただ後ろから付き纏うストーカーのような真似をしたかったわけでない。
(くそ……いつ言えば良いんだ?いつ誘えば……あ!)
愛が自宅の門を開くために身体を横に向ける。
視界の隅に映ってしまうといけないので木野はわざわざ付近の車の影に身を潜めた。
そして慎重な動作で顔を覗かせ、愛の横顔を最後まで見据えて扉が閉まると道路に姿を露わにする。
(無理だったか……。しかしこういうときはどうすりゃいいんだ?どんな誘い方すれば女の子は喜ぶんだろう…)
木野が頭をポリポリと掻いて愛の家の二階の窓を、特に意識せずに見つめる。
しかし背後からその様子を窺っていた奈美にとってはそれは不審者にしか見えなかった。
「ちょっとちょっと、女の子の部屋じっと見つめるなんて怖がられちゃうよ」
「え、日塔さん?」
「愛ちゃんのことが好きなのはわかるけどさ、……まといちゃんじゃないんだから」
奈美の呆れたような表情を見れば、何を言っているんだこの人は?という疑問よりも先に浮かんできたのは喜び。
そうだ、女の子のことは女の子に聞けば良い!
木野は素晴らしいタイミングで声を掛けてくれた奈美の手を胸の前で握り、歓喜の涙を目尻に浮かべた。
「相談があるんだ!」
◇ ◇ ◇
「え…、愛ちゃんと下校?」
「うん」
子供たちの戯れる声が飛び交う中、木野と奈美は公園のブランコに腰を降ろしていた。
キィキィと緩くブランコをこぎながら奈美は木野の方に面を向ける。
てっきり愛の傍に居たいがためだけに尾行していたのかと思いきや、そのような目的があったことに奈美は面食らったのだ。
成る程、自分は近くに常月まといという少女が居るのでどうもそっちの方に意識がいっていたのか。
思えば木野は私服のセンスが未来人を連想させるほどに異常なだけで、性格的にはそこらの男子と同じな気がする。
特に恋愛に関しては女子の気持ちがわからなかったり下校を一緒にしたいというところなど普通の男子の考えのようだ。
「そうだねー…。別に、ただ一緒に帰らない?って言えば良いだけだと思うけど」
普通!
どこからかそんな罵声が浴びせられた錯覚に陥るが、決してそれは現実で起こった出来事ではなかった。
木野は深刻な面持ちで低く唸りながら何かを思案するように視線を天へと仰がせていた。
「でも断られたら嫌じゃん」
「はぁ!?そんなこと言うくらいなら最初から帰りたいだなんて思うなよぉ!…まぁ確かにその考えもわからなくもないけどさ」
愛の性格を考えれば、有り得なくも無い。
けれどそれが怖くて誘えないだなんて、その願いはあまりに無謀すぎやしないだろうか。
「断られるのが怖いなら、一生片想いのままじゃない」
「でもこれってすげー勇気がいることなんだぜ?」
「それはわかってるけど……帰りに誘うことすらこんなに悩むんだったら告白はどうするのよ」
「……告白!?」
「告白しないと愛ちゃんと付き合えないじゃん」
「………………そうだな、告白すりゃ良いんだ」
「……………」
前言撤回。
やはりこの男はちょっとズレている。
帰りを誘うことに頭を悩ませるくせに、告白することには何の躊躇いも持たないのか?
それともその考え自体が普通すぎるのか?
「じゃあ練習させてくれ!」
「練習?」
「告白の練習」
「……私告白とかしたことないからそこまでアドバイスできないよ?」
「いや、俺の告白を受けてどう感じたかとか、ただ感想みたいなこと言ってくれれば良いよ」
「だったら良いけど」
熱心な申し出に奈美はいとも簡単に折れた。
了承の言葉を受けて木野は無邪気に黄色い笑顔を浮かべる。
◇ ◇ ◇
ブランコから立ち上がった二人は互いに向き合う形となり、なるべく雰囲気を出すために園内の鮮やかな木々の並ぶ中に立っていた。
「じゃあまずはシュチュエーションを決めよう。そうだなぁ…学校の教室とかどうだろ?よくあるじゃない、テレビとかで」
「…………………ああ、良いなそれ」
実は先ほどから木野は"普通"という言葉を何とか喉の奥に押さえていた。
自分のために指導してくれる先生である奈美が機嫌を損ねないように、だ。
奈美はそんな木野の気も知らず、両瞼を閉じてイメージを膨らましていく。
「ここはグラウンドから野球部のバットとボールがぶつかり合う音だけが聞こえてくる教室。
夕焼けが紅く染め上げる教室の中心に向かい合う愛ちゃんと木野くん。ここに居るのはその二人だけ。
雰囲気はまさに最高、木野くんにとってこれは最大のチャンスです。……さぁ、想像しながら言ってみて」
緩く瞼を持ち上げる奈美と入れ替わりに、木野は両目を閉じ瞑想する。
―――ここはグラウンドから野球部のバットとボールがぶつかり合う音だけが聞こえてくる教室。
夕焼けが紅く染め上げる教室の中心に向かい合う加賀さんと俺。ここに居るのはその二人だけ。
雰囲気はまさに最高、俺にとってこれは最大のチャンス…。
頭の中で復唱すると、心を落ち着けるべく大きく深呼吸して――――
「好きです、結婚してください!」
頭を深く下げた。
木野の頭のてっぺんの向こうで奈美は頬を引きつらせて顔を蒼褪めさせている。
「結婚って……お前らまだ高校生だろ!もう一回!」
「好きです。俺、加賀さんを満足させられる自信があるんだ!」
「自信過剰すぎるだろ!もう一回!」
「どうか俺と付き合ってください!俺からの一生のお願いです!」
「必死すぎて痛い!次!」
「君は薔薇の花さながらの…」
「きもい!次!」
「俺とペアルック…」
「次!」
「………」
「次!」
「………」
「……!」
「…」
「…!」
◇ ◇ ◇
「ハァ…ハァ……」
あれから何十回と妙な告白を聞いて、両肩を上下させ呼吸する奈美はツッコミすぎて疲れ果てていた。
どうしてこの人はまともな告白ができないのだろう。
いや、寧ろ本当に真面目にやっているのかすら疑わしい。
だが奈美からの否定の言葉にいちいち落ち込む木野の表情を見れば、本人は至って本気であることはわかる。
「どこが悪いんだ!?俺の言っていることの、何がおかしいんだ!?」
「……アンタの考え全てがおかしいんだよ、じゃなくて………。木野くんの告白には砂漠を彷徨うアゲハ蝶だとか澄み切った空とか無駄な単語が多すぎ」
「…………」
「告白っていうのはそんなに難しく考えなくても、木野くんの気持ちを愛ちゃんに伝えられればそれで良いんだよ」
「俺の気持ちを?」
「そう。好きなら好きって、単純にそういえば良いの」
「そんなもん?」
「そんなもん」
「そっか…」
心を入れ直そう。
木野は緩慢と瞬きをする際もう一度最高のシュチュエーションを脳内に作り上げ、真っ直ぐ奈美の瞳を見つめた。
(む……)
貫くかのような眼差しに、奈美は僅かに動揺する。
緊張感の無かった頬は筋肉が引き締まって、表情が硬直してしまう。
そういえばお団子ヘアの友達が言っていた、"木野くんはカッコイイ"と。
確かに口を開いていない今ならその言葉に大きく頷ける。
「じゃあ、改めて」
「…う、うん」
青かった空には橙色が飾られており、夕陽が強い決意を固めた少年を優しく見守っていた。
気付けば時間が大分流れていて先刻までのはしゃぎ声も止んでおり、子供たちが帰路についたことを奈美は知る。
そんな静寂に包まれながら、木野は今までに見てきた愛の全てを瞼の裏に蘇えらせながら全身全霊を掛けて抱いてきた感情を吐き出した。
「ずっと前から好きでした、どうか俺の傍に居てください!」
―――――――あぁ、この人は本当に。
ざわりざわり。
間を吹き抜ける風が、二人を囲む木々の葉を揺らした。
そこに紛れて今にも木野の耳に届いてしまいそうな奈美の鼓動音。
ひょっとしてもう聞こえてしまっているのではないだろうか、と奈美は不安になりながらも無意識の内に口を開く。
「もう一回言って」
「……日塔さん?」
「え、あ、ううん、何でもない!それにしても本当に愛ちゃんのこと好きなんだね」
ついつい出てきてしまった本音。
奈美は仰々しく両手を振りながら頬を紅潮させ罰の悪そうに笑った。
「今のすごく良いと思うよ!絶対に愛ちゃんに伝わると思う!」
「マジ!?じゃあこれでいこうかな…サンキュー日塔さん!」
「うん!よし、それじゃあ私はこの辺で…!ばいばい!頑張ってね!」
一気にまくしたてると木野の返答も待たずに奈美は即座に身を翻し、足元に置いた鞄を手に歩き出す。
"いや、お礼に送ってくよ。もう遅いし"という背後からの声は聞こえぬ振りをして。
だってこれ以上居たらきっと自分が辛い想いをしなければいけなくなるかもしれない。
だから、どうか今はまだ小さなこの気持ちが大きく膨らんでしまわないように。
ただそれだけを祈って。