灼熱の夏。  
まるで、砂漠でも歩いているかのような錯覚を受ける暑さ。  
しかし、所詮は錯覚に過ぎない。  
彼は勤務している学校の校庭を歩いているのだ。  
重い足取りを気にすることもなく歩き続ける。  
だらだらと。  
 
(暑い…、私は育ちが良いから堪えられませんね…)  
 
今にも手放しそうな意識の元で、望は一歩を踏み出していく。  
力弱く一歩、また一歩。  
そんなふらふらな望を見つめる瞳が二つ。  
ハの字に曲げられた眉が申し訳なさを示している。  
少女の名は加賀 愛。  
 
(あぁ、先生…。私ごときが後を付けてしまって、すみません…。でも、止められないです…)  
 
身を隠し、昇降口から眼を向けて、倒れるか倒れないかの瀬戸際を見つめている。  
 
 
―――愛はいつからか。  
儚げな雰囲気を身に纏う望に惹かれていった。  
初めて意識したのは沖縄に連れていかれた時の事。  
死にたがりの母性本能をくすぐる感覚。  
なのに、時々見せる大人の包容力。  
自分の加害妄想を理解し、受け入れてくれた。  
幾人もの女生徒が虜になる理由が、少しだけ分かる。  
誰もそんな事は無かったのに、望だけが受け止めたのだ。  
それをはっきり意識してから。  
愛は、惹かれていった。  
 
しかし、生徒と教師の関係では報われぬ想い。  
そう割りきって、愛は今日も後ろ姿を眺めるだけ。  
その姿を目に焼き付ける。  
…はずだったのだが。  
突然、望が倒れた。  
それはまさに、刹那の事象で。  
気付いたら、望は身を横たえていた。  
愛は驚愕し、身動きも取れなかった。  
約5秒の間を置いてから、駆け出していた。  
 
「先生!」  
 
一秒でも速く先生の元へ。  
望は薄れていく意識の中で、自らへと走り近付く姿を捉えた。  
ボンヤリとした視界の中では、その表情を特定することも出来ず。  
申し訳なさそうな眉と、泣き黶だけが視認出来た。  
 
 
白い部屋。  
白いベッドに、白い天井。  
白が協調され、非常に落ち着いた雰囲気の部屋。  
何処かの教室ではなく、宿直室でもない其処は。  
学校のオアシス、保健室。  
その一郭を担うベッドを占拠する姿。  
望と愛である。  
額に濡れタオルを乗せて、寝息を立てる望。  
望の手を握り、自身の腕を枕にしている愛。  
二人とも夢の中を散策している。  
時刻はとっくに下校時間を過ぎており、校内には二人しか居ない。  
電気も点けられていない部屋は、暗い。  
大きな窓から差し込む月明かりだけが、光と呼べる。  
そして、今丁度。  
更なる月の傾きによって、その明かりが望の瞼を突き刺す。  
眩しさから目を開け、現状を認識する望。  
取り敢えず、身を起こした。  
額からタオルがずり落ちたのを慌てて拾う。  
動きずらい右手に、初めて愛の存在に気付いた。  
 
(加賀さん…?此処は、保健室でしょうか…?)  
 
起きぬけの冴えない脳で、考えた。  
何処に居るのかは分かるが、何故、此処にいるのか。  
それだけは、考え付かない。  
だから、恐らく答えを知っているであろう少女に訊いてみる。  
 
「加賀さん…、加賀さん…!」  
 
肩を揺さぶり、少々強引に起こしに掛る。  
2、3回も揺さぶれば、そのつり目を開かせた。  
愛も暫くの間、考え事をしてから、急に謝りだした。  
 
「すみません、すみません…!私ごときが先生の安眠を妨害してしまいまして…」  
「加害妄想ですから、それ…」  
 
謝罪の嵐で全く話が出来ない状況、どうにもならない。  
仕方なく望は、再び愛の肩に手を置いて引き寄せた。  
至近距離の瞳と瞳。  
漆黒に彩られた美しい宝玉。  
互いに相手の眼を綺麗だと認識していた。  
愛は、謝ることを止めた。  
と、同時に頬を染める。  
 
「えー…、何故私は此処に居るのでしょうか?」  
「そ、その…、実は…」  
 
愛は事の経緯を全てを、話して聴かせた。  
望が倒れて、乾いた土から乾いた音が響いた。  
すぐに駆け寄った愛は、意識の確認をしたのだが、望は堅く双眸を閉じたまま。  
覚醒することなく、高い熱を体内に宿し続ける。  
危険な状態ではないかと危惧した愛は、望を日陰へと移動させて、助けを呼びにいった。  
運良く、職員室まで向かう途中で甚六と出会い、此処に至るのだと。  
 
「そんな事があったとは…」  
「すみません、すみません…!説明が遅れてすみません」  
「いえいえ、こちらこそ手間を取らせてすみませんでした…」  
 
午後七時半。  
甚六の診断は只の熱中症に過ぎず、すぐに気が付くはずだった。  
しかし、甚六の予想を遥かに上回り望が虚弱だった。  
夜中の至近距離での会話に、少しずつ鼓動が速くなる愛。  
 
「しかし、熱中症で倒れるとは。加賀さんが居てくださって助かりました…」  
「いえ、そんな…」  
「本当に、ありがとうございます」  
「こ、困ります…!恩に着られては…!」  
「え…!?」  
「あ、貴方の為にやったんじゃないんだからね!誤解しないでよね!」  
「………あのですね、加賀さん。先生は最近の流行りには疎いんですが…」  
 
再び濁りなく瞳を見つめ合う。  
長い間、忘れていた感覚だろう。  
本気で人を諭そうとしているのだ。  
加害妄想少女を、今この時だけ救おうとしている。  
自分の意見の主張は苦手な望だが。  
ハッキリとその耳へと届ける。  
 
「今、先生は確かに加賀さんに感謝しています。ですから、…そんなに悲観しないで下さい」  
「はい、すみません…」  
「…あのですね、言っている事分かってますか?」  
「はい、すみません…」  
「……とにかく、時には素直になる事も大切ですよ」  
 
話の半分は聞いていなかった。  
その真剣な眼差しは、決して反らされる事なく。  
愛を貫いていた。  
また、心が溺れて行く。  
少しずつ、少しずつ。  
糸色 望にのめり込んで、沈み込んで。  
二度と抜け出せなくなるような。  
そんな感覚だけに集中していて。  
他には何も考えられないのだ。  
 
「さて、随分遅くなってしまいました…。そろそろ帰りましょう。加賀さん」  
「あぁ…、すみません。私のせいで遅くなってしまって…」  
「だから、加害妄想だから、それ…」  
 
望の小さな呟きは、少女の鼓膜に届くか届かないかの微妙なもので。  
二人はそのまま立ち上がり、出口に向かう。  
鍵も掛けられてない扉を開き、その空間に身を滑らせる。  
その瞬間に、また呟く。  
 
「…まぁ、それが加賀さんの美徳でもありますがね」  
 
(…えっ!?)  
 
それは、確かに届いていた。  
 
 
暗闇の街を歩く二人。  
満月の明かりと、時々存在する街灯以外に光りは無い。  
そんな、不気味な街中を二人で歩く。  
淡々と歩き続けた。  
沈黙に沈黙を重ね、押し黙った二人の間に気まずさはなく。  
この状況が普通だと、認められているかのように。  
只々、歩き続けた。  
 
(あぁ…、あんな事を言われたのは初めてです)  
 
延々と広がるコンクリートの道路に視線を落とす愛。  
考え事を繰り返しながら、時々望の方を見る。  
その頬の紅潮は、保健室を出たときから変わっていない。  
恋する乙女のものだ。  
そして、その隣でも考え事を繰り返す影が一つ。  
こちらは少々情けない考え事だ。  
 
(しかし…、大の大人が、しかも男が、夏バテとはいえ歩いているだけで倒れるとは…)  
 
情けなさ過ぎる。  
日頃から体を鍛えてはいるが、それは一部分のみであり、体力にはあまり直結していない。  
それを恥じた望は、言い訳をすべきか、せざるかを悩んでいた。  
悩みに悩んで、行き着いた答えは。  
 
(言い訳をしようにも、何もありませんね…。やはり黙ったままの方が良いでしょうか)  
 
沈黙を守るという選択だった。  
情けない上にチキンな考えだ。  
しかし、そう自覚していても望は、この心地好さを大事にしたかった。  
騒がしい日常から一変したこの時間を。  
守っていたかったのだ。  
愛と二人で歩き続け、闇の中に身を沈めていく。  
やがて、地を踏む感覚は離れてゆき、不確かに空を舞うかのようだ。  
世界が二人だけになった。  
 
「此処が家です、先生…」  
 
白昼夢は儚く消え去り、目の前には現実が。  
何とか聞こえた愛の声で、感覚が帰ってきた。  
 
「すみません、送って頂いて…」  
「いえ、気にせずに…。それでは」  
 
そう言って、身を翻す望。  
視界から愛が消えた、その時。  
何となく、少女の事が気にかかった。  
 
「すみません、すみません…」  
 
小さな振動が鼓膜に届く。  
 
―――今、彼女は何をしているのだろうか?  
 
後ろ姿の自分に頭を下げているだろうか?  
 
それは、あまりにも鮮明に、そして容易に想像出来た。  
 
―――もし、そうだったら、どうしようか?  
 
望の心の中に、少しばかり悪戯心が芽生える。  
期待と予感を入り混ぜて、望は振り返った。  
頭だけでなく、体ごと振り返った。  
そこには、自分の思い描いた未来があり。  
ほんの少しだけ違ったのは。  
眉が想像したものよりも申し訳なさそうだった。  
目を瞑り頭を下げる少女を見ると。  
芽生えた悪戯心に花が咲いてしまった。  
つかつかと歩み寄り、少女の目の前に移動する。  
瞼を通して感じていた月の光が消える。  
不審に思った少女は、頭を上げた。  
そこには、自分よりも遥かに長身の男が立っており。  
影が光を遮っていた。  
 
「加賀さん、貴方の加害妄想は度が過ぎますね…」  
「すみま…、え…?」  
 
先程自分の癖を許してくれた教師が、あんなに険しい顔をしている。  
もう、見放されてしまったのだろうか。  
愛は、望が倒れた時以上に危惧していた。  
嫌われてしまったのだろうかと。  
 
「少し、被害を受ける事を覚えた方が良いかもしれないですね…」  
「えっ…?先生…?」  
 
そう言い放つと同時に望は、愛を家の塀に追い込んだ。  
乱暴にならないように気を付けながら片手を取り、塀に押し付ける。  
左手で右手を抑え、余った右手を頬の横で塀に置く。  
すでに紅潮はしておらず、話の展開に着いて行けてない困惑が表れている。  
 
「被害を受ける事も、時には重要なのですよ…」  
 
少しずつ近付いてくる望の瞳。  
暗闇の中でも、その漆黒の瞳は輝きを失っていない。  
愛は、逆らえない。  
逆らうつもりもないだろう。  
視界に望が収まりきらなくなった時を境に、愛は目を閉じた。  
少し怯えた表情で覚悟を決めた。  
 
「…何故、逃げないのですか?」  
 
吐息を感じるような距離で、望が呟いた。  
唇が重なるまで、残り数センチだ。  
愛は、再び目を開けた。  
愛しい人が、まさに目の前。  
異常に心臓が速くなり、顔に血が昇ってくる。  
問い積める瞳を見つめ返して、愛も呟いた。  
 
「先生になら、被害を受けたいです…」  
 
その時は素直に。  
加害妄想する事もなく、口を付いて言葉が出てきた。  
こんな事を言われては、望が後に引けなくなってしまう。  
愛が嫌がるものだと考えての行動だったので、この展開は予想外でしかない。  
今更どうにかすることも出来ないので。  
望は黙って、愛に口付けた。  
音も立たない接吻で。  
本当に唯、重ねているだけ。  
緊張の面持ちの望は、うっすらと目を開ける。  
そして、其処には自分以上に緊張している少女が居た。  
その可憐で、妖艶な表情は望の精神を追い込み。  
終にはそれを千切らせた。  
 
「んっ…、ちゅ…」  
 
重ねるだけでなく、色々と動作をおり混ぜる。  
少女の唇を自らで包んだり、舌でつついてみたり。  
そんな風に遊んでいると、愛が口を開いた。  
すかさず望は舌を差し込み、愛の口内を侵す。  
より顔を押し付けて、奥まで差し込む。  
 
「くちゅ…、ちゅぱ…、んっ…」  
 
歯茎をなぞり、犬歯を舐める。  
しかし、何時まで経っても愛が舌を出すことはない。  
痺を切らした望は、愛の舌を舌で拾い上げる。  
びっくりしたのか、顔を引っ込めようとする愛。  
だが、塀に置かれていたはずの望の右手が頬を支えており、離れられない。  
舌が絡み合う音が、辺りに響く。  
相変わらず愛は舌を動かさず、何処までも受動的なキス。  
望はそれでも満足していた。  
口付けを交す間も、そのしおらしさは少女にピッタリだと考えていた。  
流石に息苦しくなってきて、望が口を離す。  
 
「んっ…!はぁ、はぁ…」  
「加賀さん…」  
 
二人の間に銀の糸が繋がる。  
それが重力で落ちる前に、再び口付けを交す。  
もう何も考えていなかった。  
少女に悪戯するつもりだった事も。  
生徒と教師の関係の事も。  
考えられなかった。  
何時の間にか、両手で頬を支えていた。  
愛も舌は動かさないが、手を望の後頭部に回す。  
より深く、より近く。  
我に還ったのは、接吻を始めてから三十分後。  
愛の携帯が高らかに音を立てた。  
親が心配して連絡してきたのだろうか。  
愛はしきりに謝っている。  
その姿は、元の少女に戻ってしまったようで。  
望は無性に淋しい気持ちがしてしまい。  
携帯を閉じた少女に、つい言ってしまった。  
 
「加賀さん、被害を受けたかったら…、先生は何時でも手伝いますよ」  
「は、はい…!すみません…」  
 
最後まで謝っていた少女を残して、望は学校への闇に消えていった。  
 

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